2002年5月の地平線報告会レポート


●地平線通信271より

先月の報告会から(報告会レポート・271)
「360万年のピクニック」
〜グレートジャーニー・エピソードII〜
関野吉晴
2002.5.28(火) 箪笥町区民センター

◆関野氏はテレビでも報告会でも、タンザニアでのグレートジャーニー(以下GJ)最後の行程を繰り返し「気持ちいいゴールだった」と語っている。この「気持ちいい」という言葉だが、我々は春の柔らかな光にも、秋の高い空にも、さらには扇風機の風にすらこの言葉を使う。つまり至って平凡な言葉なのである。

◆旅にしても語りにしても、何をするにも人それぞれのスタイルというものがある。そしてある人は個々の行動のスタイルが人間性をストレートに表しており、またある人は個々のスタイル同士が整合性に欠き、なかなか人物像が描けない。その点関野氏の行動スタイルはとても整合的なように、私には感じられる。カタチを繕うのではなく、内面が自然に発露するに任せて自分の行動を形作った人の姿だと思う。飾らない、素朴で暖かみのある人間性が、平々凡々な「気持ちいい」という言葉となり、そして穏やかに、しかしどんな美辞麗句より雄弁に語る。

◆その飾らない言葉で、今回はGJのエピソードを交えて少し深い話が語られた。語りは話題の上でも地理的にも広範囲に渡る。世界中を渡り歩き、ある時は中央政府と交渉し、またある時は一兵士をなだめすかし、そしてある時は伝統的な暮らしを守る現地の人々と触れあったGJの中心人物であればこそ、エチオピア高原とアンデスの高地帯を比較し、政府の建前と現地の本音を並べてみせることができる。GJ完結編の放映を切っ掛けに地平線にやってきた皆さんにも、地平線報告会の醍醐味を味わっていただけたのではないか。

◆前回に引き続き披露されたスライドはアフリカのものが中心で、二十世紀の芸術家達が衝撃を受けたアフリカの強烈な色彩がスクリーンの向こうに息づいている。どれも力強く美しかったが、特に私の印象に残ったのは個人を撮った写真であった。カメラをはさんで一対一で対峙する時には、必ず写真家と被写体の人間関係が問題になる。関野氏に義兄弟の印である蜂蜜を贈ったという青年の遠くを見つめている姿は、その人間関係の絶妙な距離を掴んだ結果と言えよう。拒絶されるほど遠くなく、馴れ合いになるほど近くない、その距離が単に私的な記録に留まらない、人間の本質を捉えるような写真を生み出す。関野氏を素朴で暖かみがあると書いたが、どうやらクールな視点も持ち合わせているようだ。深く見つめれば見つめるほど、味わいのある写真であった。

◆ところがその写真が、なんと今回もまた披露しきれなかった。今月の報告会を二度に増やして第3回GJ報告会を企画し、完結を目指すとのことだ。が、それで果たして終わるのか、と問うてみよう。あるいは、何が終わるのか、と。用意したスライドの披露は終わるだろう。GJ報告会も、それで終わる。ではGJ報告会を如何なる言葉で締めくくるのだろうか。GJにかけた十年は、一言二言で総括できるほど小ぢんまりした十年ではなかったはずだ。旅の記録のすべてが語り尽くされるわけではない。旅の途上で抱いた思い、なされた思考も、紹介し尽くされない。むろん写真もスライドに入らなかったものは披露されない。そして何より、GJは今やっと完結し、関野氏の思い出になったところなのだ。思い出が時間を経て、真の価値を持ち始めるのはこれからである。してみると、GJは終わったのではなく、今、始まるのだともいえよう。

◆「終わり」は編集された物語にしかない。経験したまま未編集の旅の話には終わりなど無くていい。ことある毎に引き合いに出し、何度でも語ればよいではないか。今は武蔵野美術大学で授業を受け持たれお忙しいことであろうが、今回に限らず何度でも報告会の壇上にのぼっていただきたい。そしてご家族の労に報いた暁には、再びGJの記憶を携え、また新たな旅路に立たれることを期待していよう。(哲学するマックユーザの東大生、松尾直樹)


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