2002年6月の地平線報告会レポート


●地平線通信272より

先月の報告会から・その2(報告会レポート・273)
エベレストの握り方

山田淳/斎藤豊・真理

2002.6.27(木) 箪笥町区民センター

世界7大陸最高峰登頂最年少記録を持つ山田淳とはどんな人物だろうかと胸を躍らせて雨の中、牛込神楽坂の会場に向かった。さぞ人を寄せ付けないオーラを放つ人だろうと予想しつつ。そして、登山経験もなくノースコルに登ってしまった斎藤夫婦とはどんなつわものだろうか、と。

◆山田君が関西弁で口早に話し始めた内容は、現在のメディアから伝わっているエベレスト登頂の見方についてだった。公募登山隊だから楽だ、という見方は全く間違っている、と熱をこめて話す。マスコミからの安易な情報で先入観を植え付けられてしまった聞き手たちの誤解を解こうとしたようだ。

◆斎藤夫婦の報告は、私が一番知りたかった“なぜノースコルに登ることになったのか”を説明することから始まった。弁当で始まったノースコルへの道。謙虚さの中に隠された熱い熱、やり終えた充実感が節々から伝わってきた。夫婦の連係プレイは絶妙で、豊さんが話していたとおもえば、途中から真理さんにバトンタッチされ、流れるようにスライドと話は進んでいった。

◆この話を聞き逃したら損をしただろうと思うくらい、私の体にエネルギーが湧き出てきた。お弁当コンテストに優勝したら、「ノースコルへ割り引き招待」という「運」ではあったけど、斎藤夫婦の「やりたい」という熱意が無かったら確実にできないことであったと思う。

◆だって、いくらコンテストの賞品といっても$5000が$3000になっただけで、依然として大金を必要としていたし、カトマンズまでの旅費、装備費、訓練も必要であったことには変わりなかったから。挑戦するには会社の休暇許可の問題もあり、さぞ勇気と決断力を要しただろう。

◆休憩の後、山田君は、強烈な匂いとともに再登場した。「チベットでは常にこの匂いがする」と言いながら、なんと分厚い羊の毛皮を着込んでいたのだ。しかも、毛皮から強烈に発する獣の匂いを一人一人嗅がせて、嫌がらせとも(笑)思える行為で客をグッと自分に引き付けた。かなりの悪臭の中、スライドと共にチョモランマ登頂の話が進められた。ネパール到着早々大事なパソコンがなくなってしまい、「落ち込んで、最初のニ週間は毎日枕を濡らしていた…」と語るが、その話し方からは全く落ち込んだようには見えなかった。

◆パワーポイントを使って一枚一枚写真を見せながら語る彼の横顔には自信が窺え、山田淳が持っている不思議な世界にひきずりこまれていった。高所登山のことはわからないが、高度順応がとてもよかったらしく、シェルパと相当なスピードで登り、頂上へは一番乗り、次ぎの人が登頂するまで3時間近くも差があった、という。そして、なんと頂上でパソコンを開いているショット。よくも、まあ‥。

◆写真といえば、「ファーストステップ」「セカンドステップ」と呼ばれる高所の岩場の写真は、日本に数枚と言うレベルのものであるらしい。江本さんがしきりにうなづいていたが、この高所になると、普通はシャッターを押す余裕なんてないのだろう。彼の限りない努力が自信を生み、それが行動力となり成功に繋がるのだろう。チョモランマ登頂のすごさよりも彼の人間的な追及心に感動し、胸が騒いだ。

◆報告会の後の二次会で山田君に「一緒に山に登りたい!」と申し出たら、気さくにオーケーしてくれた。人を寄せ付けないオーラなどなく、親しみやすさにあふれた人だった。斎藤夫婦と個人で話をしてみたら、報告会では見えなかった強さが感じられ、限りない冒険心を持っている人たちであることがわかった。二次会に参加することも新たなる発見の一ページであり、意味あることに思えたのでした。[鈴木博子=最近、地平線報告会に皆勤賞並み出席率の新人]


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