2004年12月の地平線報告会レポート



●地平線通信302より
12月の報告会から
地平線のタマゴ
森田靖郎
2004.12.24(金) 新宿区榎町地域センター

中国からの「密航者」をめぐるノンフィクションライターの第一人者、そして、04年はじめての小説『見えない隣人』を発表した森田さん。当日、期待の目が注がれた森田さんの顔色が・・青い。5日前に釣りに行っていた秋田・新潟県境の川でサケに大当たり。病院で安静必須のところ「娘の結婚式がある!」と偽って制止を振りきり帰京、病院も行かずに地平線会議へ。3,4日間はものを食べていない…という壮絶な経緯の末の登場だった。「元気のあるうちにしゃべります」との前置きで始まった報告のテーマは「地平線のタマゴ」。

◆大学で7年間の探検部生活で世界のあちこちを探検放浪。当時、貧しく元気な旅人たちの間に広がっていたの共通認識を森田さんは、こう表現した。「金の北米、女の南米、耐えてアフリカ、歴史のアジア、ないよりましなヨーロッパ」。言葉のセンスは天性のものなのだろう。大学を卒業後、新聞社にいた先輩の紹介で、コピーライターの道を歩くことになる。

◆何事にも集中して打ち込む性格。ジャンボ尾崎にインタビューしたことがきっかけでプロ・ゴルファーの道を目指したこともあるそうだ。「シングルには1年でなったけど、プロは片手シングル(ハンディ5以下)じゃないとダメなんだ」

◆地平線創設メンバーである森田さんの願いは「日本人の記録を活字に残す」ことだった。生み出されたのが年報『地平線から』。『地平線から1979』から『地平線から1983』まで編集長として手がけた5冊の探検・冒険年報を会場の参加者たちに見せながら、森田さんは「この本をみるといとおしい気持ちになるんだ」とさえ言った。この年報に地平線の原点があるのだ。

◆『地平線から』の出版には、ちょっとしたドラマがある。大企業の「ロレックス」の企業広告を得たことだ。その本の存在意義が認めてこそ企業からの広告は掲載される。考えてみれば『地平線から』第一号でのロレックス広告掲載は大事件。今開いてみても、『地平線から』のなかでロレックスはしぶく光っている。

◆中国の密航組織に関わる言葉の多くは森田さんによって紹介され、つくられる。「蛇頭(じゃとう)」、「工頭(こんとう、手配師のこと)」「車頭(しゃとう、犯行後、犯人たちを輸送する運転手)」・・。その中でも、世の中に浸透している「蛇頭」は「じゃとう」ではなく「だとう」と読むのが妥当なのでは?との、専門家筋からの問い合わせも。でも森田さんが「じゃとう」といえば「じゃとう」だ。

◆鮭釣りの話から始まった報告会。「鮎宿にて」というNHKのドキュメンタリー作品も手がけている森田さんの釣りに関する万感の思いには、胸に迫るものがあった。10メートルの竿を手に600tの激流に耐えておとり鮎とともに格闘する。おとりに思いを託し、放つ。「尺鮎を連れてこようとするおとりに対して感情が芽生える。移入していく。しっかりがんばれ!とつぶやき、鮎を動かす」

◆3,4日間絶食状態の中で、さらに合気道の話となり、最後には、まさかまさかのフォルクローレ演奏まで! しかもサンポーニャで「聖夜」「コーヒー・ルンバ」、さらにボリビアの「満月の夜」「カンバの娘」と計4曲も。聞いている側としては、はらはらするが、序盤の様子を思うと嬉しい驚きだ。森田さんの生きる底力、元気に会場のみんなが目を見張ったのではと思う。釣り、合気道、フォルクローレ、と、なんと多彩な世界での活躍。上達の秘訣を「どの分野でも最高の師に出会ってきたこと」と、森田さん自身は振り返る。

◆300か月を超えた地平線会議を振りかえって、続けることが大切だということを改めて感じる。続けること…何かが終われば、何かがが始まる。何かを始めるときは、とにかく原点に戻る。森田さんは、「真実を証明する」ノンフィクションの世界から、「存在を証明する」小説の世界へ踏み出した。春に毎日新聞社から発売となる2作目は、「中国ネタではない本格サスペンス」だそうだ。

◆地平線200回記念のイベントに初めて参加したとき、私は「こんなすごい大人たちが集まる場があるとは!」と衝撃を受けたことを思い出す。私事ではあるが、その後農業関係の出版社(某農文協です)勤めをし、日本の各地をスーパーカブでネタ集めしつつ営業の日々を送った。「日本っていい国なんだな」と心から感じたのは私にとって事件だった。都市を離れるとまったく違う世界が広がっていることに驚いてしまったのだ。すごいことはできないが、今、日本のことをちゃんと見直したい、みんなで共感したい、と思う。地平線で受ける衝撃と喜びは私にとてもとても大きなこと。地平線と関わっていくことの重大さを感じ始めている。(横田明子)


【追記:】森田さんの話の後、11・7の続きのかたちで、短めの「リレートーク」となった。

【田中幹也さん】まずは虫歯を治して、北海道の天塩山へ。その後はカナダ、ロッキー山脈の北半分へ。安東浩正さんと共通する旅の方法があるという。「できるかどうかわからないからやってみる」という方法だ。「凍った川や湖を探りながら進むことに魅力を感じるし、共感できる。」クールな口調だが熱い内容だった。

【埜口保男さん】新潟中越地震被災地での活動報告。主にメンタル面でのサポートのために医療班として活動。「当人にとって何よりもつらいのがコミュニティーが崩壊したこと。とにかく何でもいい、話してもらうことが精神的に楽になる一番の方法」という。被災地の実際の様子は、ボランティアも医療班も過剰の状態。行政による日替わり医療体制では情報の連絡などが難しく、きめの細かいサポートはできていない。「現地で活動するよりも、どこかで働き、稼いだお金を送るという支援の方法が必要とされている」との言葉には頷かざるを得ない。「支援の難しさを感じる」の一言はズシンと心に残った。

【坪井伸吾さん】小学館のマンガ雑誌に掲載された「アマゾン漂流」のモデル。「2004年しまなみ海道100キロウルトラ遠足大会」に初参加、完走の報告のあと、2005年北米大陸横断ランをやる、との決意表明!

【山本千夏さん】モンゴル在住3年、友人と旅行会社「モンゴルホライズン」を設立、活躍中。モンゴルの最新事情の報告は、「モンゴルが大変だァ!」。与党・革命党と党との大接戦、かつてない状況となっている。また、長野県ほどの広さの中に35頭しかいない、といわれるゴビグマを保護するための住民運動も始まった。千夏さんの活動はまだまだ広がる様子。

【藤原和枝さん】バックパッカー再デビューの報告。長期の旅へ出る際の藤原流準備術などが披露された。いつも「8kg」の荷にまとめて旅立つというのはすごい。(横田明子)



お礼とその後の報告を兼ねた 報告者あとがき

〈元氣と感謝と、猫またぎ〉
「下っ腹に力を入れろ」。合気道がいう「下っ腹」とは、臍(へそ)の下にある臍下(せいか)丹田(たんでん)のことである。だが、正直、腹を下すと丹田に力を入れたくても力が入らないものだ。あの日(12月24日・地平線報告会)会場へ向かう私は、なんども深い腹式呼吸を試みて臍下丹田に力を入れてみた。

●「元気をもらう」。よく使われる言葉を、これまで体験したことがなかった。と言うより、元気は自分の“氣”を出すものだと、合気道では教わってきた。合気道でいう「元氣」とは、天地のエネルギーを足から頭からそして指先から受け取り、体内をめぐらせて自ら氣を発するものだ。大声を出すこともその一つだ。合気道からすれば「元氣をもらう」ことはありえないことであるはずだ。だが、現実には私は元気をもらったのだ。

●下っ腹に不安を抱えながら報告が進む、三十分ほどして私の体内には異変が起きていた。臍の下が熱くなってきた。会場に入った6時半頃に、会場の暖房に頭だけが熱くなり、足先は冷えていた。無理を言って、暖房を切っていただいた。しかし、会場に集まる皆の氣がエネルギーとなり私の足先から吸い上げられるように、足先から熱くなりそして丹田に蓄積されたのを実感した。「皆さんから元氣を貰った瞬間だった」

●思えば不覚だった。春の孵化のためにイワナの卵を源流に持ち上げようと、川漁師たちと朝日連峰の源流に踏み込んだ。さらに、今年の水温の高さで思わず上流に上がった鮭を釣り上げるライセンスまで貰ったのだ。禁漁の源流で独り占めするような釣果に溺れたのか、生鮭を貪った。二日後、腹が痛いと言い出したのは、秋田の川漁師だった。そして私がついで福島の山菜取りの名人が倒れた。担ぎ込まれたのは、村の産婦人科だと知ったのは翌日だった。「手に負えない」医師は、力なく点滴だけ打った。

●「いまどき、鮭を生で食べるなんて」見舞いに来た地元の漁師が、町の病院まで転送する車の中で言った一言が悔やまれた。「“猫またぎ”というんだ。猫もまたいで通るほど、脂が乗ってなくてまずい。地元じゃせいぜい味噌漬けにするくらいだ」 生鮭の食中毒より、猫も食べない“猫またぎ”を美味いと言って貪った自分の味覚が悔やまれる。

●「地平線報告会初めてのドタキャン」が頭によぎった。町の医師にはウソをついて病院を抜け出て新宿の地平線の会場にたどり着いた。腹に力のないサンポーニャまで演奏した。恥の上塗りを覚悟だった。「北京」では、ビールと特製のお粥までいただいた。「元氣をもらった」地平線の皆さんに、感謝しなければならない。そこで思った。江本嘉伸さんがいつもあんなに元気なのは、地平線の皆さんから、「元氣」をいただいているからだろう。ちなみに、あれから病院には戻らなかった。食中毒の原因は今も不明のまま。腹のなかで「元氣」によって消滅したのかもしれない。

●追伸。地元の漁師さんから、「熊の胆(い)」がお見舞いに送られてきた。熊の胆嚢のエキスを抽出した特効薬だそうだ。「良薬は、口に苦し」だった。(森田靖郎)


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