2005年4月の地平線報告会レポート



●地平線通信306より
先月の報告会から
4年越しのタージ・マハル
シール・エミコ スティーブ・シール
2005. 4. 23(金) 榎町地域センター

2004年12月、シール・エミコさんの旅が再び始まった。自らの夢であり目標である「世界一周自転車旅行」の途中、パキスタンでガンに倒れ緊急帰国してから4年。5年生存率20%といわれた厳しい状況で手術をし、治療と療養を続け、ついに実現した旅の再開だ。医師から3カ月の許可を得て向かった先は、パキスタンのアボタバード。そこからタージ・マハルのあるインドのアグラまで、パートナーのスティーブ氏との自転車での2人旅である。

◆私が初めてエミコさんのことを知ったのは数年前のこと。山形に住む友人が、月山の山頂神社でエミコさんの快復を祈っているという話を聞いたのだ。そのことは印象に残っていたが、正直に申し上げると旅の途中で病気になられた方であること以外、よくわかっていなかった。エミコさんのことを身近に感じるようになったのは、昨年の「地平線会議300か月記念フォーラム」がきっかけだ。リレートークで賀曽利隆さんによる愛にあふれた紹介(オーストラリアでスティーブさんに出会い自転車に転向する前、オートバイで旅していたエミコさんが、いかに多くのライダーの憧れの的だったかとか、厳しい闘病生活を経て快復したことをどれほど多くの人が祝福しているのかなど)を聞き、続いて登場したキュートなエミコさんに魅了された。もっとこの人の話を聞いてみたいと、今回の報告会に参加したので、その時点では、エミコさんの旅が1987年から始まっていて、これまでにオーストラリア、東南アジア、北中南米、アフリカ、ヨーロッパ、ロシア、中国など77カ国もまわり、走行距離が10万8618キロにも及ぶことなど存じ上げず。そんな私にリポートを依頼する(それも会が始まってから!)江本さんはすごいなあ。

◆話を報告会に戻そう。70人近くが集まった会場で、エミコさんは今回旅した2つの国の印象から話を始めた。旅人に友好的なパキスタンは、走っても走っても人々の服装や風景に大きな変化がなく、全体がグレートーンの国。一方、1本の道でさまざまなことが起こるインドでは、美しい風景にひかれた次の瞬間、子どもに自転車を引っ張られたり、石を投げられて嫌な思いをすることもあったという。「インドを好きになろうと意識するほど、好きになれない日が続いた」というエミコさんの気持ちを変えるきっかけとなった、心優しい少年との出会いについても、ユーモアを交えながら語られた。

◆続いて、先日テレビで放映された今回の旅のドキュメンタリー2本が上映され、アボタバードで友人家族と再会し「I‘m still alive」と喜び抱き合うエミコさんの姿や、キャリアに荷物をいっぱい積んで走る様子などが紹介された。このドキュメンタリーは、入院中からエミコさんを追っている榛葉健さんが、旅の始めと終わりにひとり同行して撮影、それ以外の映像はスティーブさんの撮影とのこと。

◆衝撃的だったのは、体調を崩して寝こんだエミコさんが「日本に帰りたい。旅の意味を失いかけている自分を助けてって感じです」と語る映像。日頃、「口にすると言霊がその状態にしてしまうから、痛かったりつらかったりしても口には出しません」というエミコさんをもってしても抑えることのできない「ガン」が顔をのぞかせたのだろうか。手術した足の付け根の痛みが激しく、体力、免疫力の衰えは予想以上。90日間の旅の44日は体調を崩し、とてもつらかったそうだ。「でも(体調を崩したのが)半分以下でよかった」と微笑むエミコさんに、雪山のブナの木が重なった。冬の間、雪の重さでしなだれていても、春になると元気に伸び上がってくる、しなやかで生命力にあふれたブナの枝のような人。

◆ゴール地点のタージ・マハルにやっとのことで到着したエミコさんが旅を振り返り、「雨に濡れても、かんかん照りでまいっても、すべてが生きている証拠。もっと感じたい!」と語っていたのも印象的だった。光や風を敏感に意識できること、道端の草花や昆虫に目を留め、人の呼びかけに答えられるスピード。それは自転車ならではの旅の魅力。エミコさんとスティーブさんの話を聞きながら、大学時代、「輪行が苦手なチャリダー」だった私は久しぶりにその感覚を思い出した。

◆後半は江本さんの進行で、旅先での食事情、2人旅の難しさや利点などについて質疑応答。「小さな女の子」と旅しているのではないのだから、走るペースも持参する荷物も別々、自立した者同士として楽しもうという考えのスティーブ氏に、厳しく鍛えられたというエミコさん。一緒に旅を始めて15年以上経っても、クリクリした目で見つめ合いながら話をするアツアツで魅力的なご両人。かけがいのないパートナーであることは傍目からもよくわかる。

◆スケジュールを細かく決めず、土地の人とのふれあいを楽しむのが2人の旅のスタイル。文化や宗教、習慣の違う人たちと知り合う中で教わったのは、感謝する心。「当たり前」と思いがちなことが、「当たり前」でないと気づくことで、小さなことへの感謝の心が育まれたという。そして、人としての豊かさは、土とともに生きることに関係していると思うというエミコさん。現在は、最寄り駅から峠を越えて12キロ(歩くと3時間半!)という奈良の地で、築120年の民家に住み、60種類の野菜やハーブ栽培にいそしむ日々。その住まいの裏山で掘ってきたというおみやげのタケノコが次々に披露されると、会場はざわめき、オークション会場に早変わり。江本さんが「アク抜きができる人……」と呼びかける横で、エミコさんが「飾っておいてもいいですし」とささやいていたのには、笑ってしまった。タケノコを部屋に飾る!? ほかにもパキスタンの帽子に自転車旅の本、ヘルメットなどが次々に競り落とされ、売上合計18,250円が2人に手渡された。パチパチ。

◆「ガンに勝とうとは思っていない。ガンに負けないように、一日一日を大切に、持っている力を生かしていきたい」と語るエミコさん。まわりの人をあたたかな空気で包み、初めて会う人の心をも自然に開かせてしまう、そんな魅力をもったエミコさんは、これまで旅した土地で、きっとたくさんの友人をつくってきたのだろう。大阪の病院でエミコさんと一緒だったという看護師さんは、入院当時を振り返り、「世界のあちこちからお見舞いの人がやって来て、世界中から小包が届いて。エミちゃんがいると病室が明るくて楽しかった」と語っていた。「世界一周旅行」。その言葉から広がるイメージは人それぞれだが、具体的に思い浮かべることのできるたくさんの風景や人、それがエミコさんたちの内なる宝となって輝き、そしてまわりの人にもパワーを与えているように思う。

◆体の状態が悪くならなければ、1年後にインドに戻り、4年後のゴールを目指す予定。笑顔で出発できるように、祈り応援したい。(妹尾和子 沖縄上陸61回の旅好き編集者)


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