2008年9月の地平線報告会レポート


●地平線通信347より
先月の報告会から

地平線の彼方へ

森田靖郎

2008年9月26日(金) 新宿スポーツセンター

◆「地平線会議」という絶妙に魅力的なキーワードを初めて聞いた時、まだ見ぬ世界の広がりに心がふるえた。このネーミングは29年前の真夏、新宿・荒木町で当時20〜30代の若者たちが夜通しアイデアを出し合い、いくつもの案から絞り出されたもの。その若者、つまり地平線会議創設の中核メンバーの1人が、作家の森田靖郎さん。日本人の記録を活字に残そうと、年報『地平線から』初代編集長を5年間務めた人でもある。

◆森田さんの最新刊『悪夢』(光文社/2008年)は、報告会会場であっという間に売り切れた。私は400頁を一気に読んでしまった。すごく面白かった!!! 「地平線会議が歩んできたこの30年間は、世界にとっても激動の時代だった」と語る森田さんは、激しく変貌し続ける中国をずっと追い続けてきた。『悪夢』を読むと、森田さんが常に自分の生身と五感で現場取材を重ねてきたことが、知識のない私でもわかりぞくぞくしっぱなしだった。

◆報告会冒頭、今も未解決とされる餃子事件の舞台裏について突然森田さんが語り始めた。犯人は中国国内の黒孩子(ヘイハイズ。中国の1人っ子政策に反し、2番目以降に生まれた戸籍を与えられていない子供たちのこと)と言い切った森田さんの文章の衝撃は記憶に新しい(地平線通信08年7月号参照)。鍵となったのは毒が混入された餃子の製造日。「07/10/1」と「07/10/20」。前者は国慶節の祝日、後者は土曜日。製造現場に人が少ない日を選んだ計画的犯行かと、現地調査をした日本の警察は考えた。そうして容疑者にあがった55人の工場労働者を聴取し絞り込みが行われた。この時点で犯人が特定されてもよさそうだが、中国政府からの発表はない。

◆1人っ子政策を推進する中国は農村問題を抱える。容疑者とされた55人の多くは農村出身だが、近年、中国では富の格差が大きく開き、人口の5%が富を独占。北京オリンピックが決まった2001年以降、中国政府はオリンピック史上過去最大の総額4兆数千億円という大金を使ってきたが、国が巨大な夢を追い輝きを増す一方で、貧困に陥り転落していく農民の姿が陰にあった。2008年元旦施行の「雇用法」も本来の目的に反し、出稼ぎ労働者たちから仕事を奪う結果に。これが事件の引き金となった。

◆森田さんはある取材で、福建省アモイのそばにある海亀島という小さな島を訪れた。黒孩子のルーツを辿って来たのだ。出稼ぎでの若者の島外流出を防ぐため、労働場所として化学プラント工場がこの島に建てられたのは10数年前。結果的に発生した水質汚染が、島民の愛する海亀の卵に奇形をもたらし、工場への賠償請求運動が起きた。この運動を先導していったのが出稼ぎで島外にいた黒孩子だった。海外にも黒孩子の組織があり、その数3〜5千万人ともいわれる。組織は日本にも存在し、反日運動や一部は犯罪組織化している。中国にもともと戸籍がない彼らのアシは文字通りつかめない。国家プロジェクトの1人っ子政策が生んだひずみ。複雑な事情を含む事件だが、近いうちにある程度の発表はあるだろう、と森田さんは締めくくった。

◆さて今年、アメリカ西海岸での公聴会に出席した時のこと。テーマは“中国のインターネットは自由の道具か、弾圧の武器か?”。懇親会の席で中国と韓国の友人たちと酒を飲むと、竹島や尖閣諸島の話題に。両者から領土や歴史の問題についてクレームが飛ぶと、森田さんは即座にきちんと反論できなかった。この弱さは日本人の多くが共有する部分ではないか、と問う。北京オリンピックも影響し、中国や韓国でナショナリズム熱が高まり日本人だけが「国境なき世界観に浸って」浮いている今の状況を、森田さんは日清戦争前夜に例える。日清戦争での山縣有朋の「主権線を主張し、利益線を守れ」という言葉に出会い、これだなと思ったそう。対中ODA政策に“か・き・く・け・こ”があるとすれば、日本はこれまでカネ、機械、車を援助してきた。しかしこれからはまず大事なのが健康。餃子問題も、国家間の安全もそう。国境意識も含まれる。さらに最重要なのが志(信念)。つまり「身口意(しんくうい)、体と食と心」。“か・き・く”から“け・こ”へ脱さなくては、と話す。

◆ところで、年間平均2冊の刊行が20年間続いているハイペースに編集者も驚くそうだが、集中して仕事をするのは1日に1時間が精一杯。朝の仕事の後は、ぶらぶら。「仕事」と「遊び」のほかに「第三の時間」が森田さんにはある。ぶらぶらしながら原稿のことをぼんや〜り考えたりする。ぶらぶら用の喫茶店や飲み屋が家の周りに20数軒ある。釣りは「第三の時間」を周りの人たちに認めさせる、究極のぶらぶらの境地。

◆アマゴという川魚はとても繊細な性格。“渓流の貴婦人”と呼ばれ、淡白で美味だそう。そのアマゴを釣りに奥越へ行った時のこと。アマゴは自力で滝を上り上流へ行けないので、村人は柳で編んだ籠に稚魚を入れて上流まで運び放流する。そこで成長したアマゴを釣って食べる村人を見て「村の人とアマゴは共生しているんだなあ」と森田さんは思った。「自然界の生命体は自分1人では完結しない。誰かの助けとか、誰かと関連しながら完結するんだろう」。森田さんは釣った魚は必ず食べる。放さない。「僕らに食べられることで、魚は生命を完結する」。一度釣り針を飲み込んだ魚は、自分の力で生きていけないからだ。

◆再び本の話。40冊近くある自著の中で最も刺激的な作品はと聞かれたら、森田さんが選ぶのは処女作『上海は赤いバイクに乗って』(草風館/1987年)。当時は人民の中へ入ることも、彼らについて書くこともタブー。禁断の域へ足を踏み入れた森田さんは「もう後には戻れない」と思った。刊行時、読売新聞の最前線記者だった江本嘉伸さんが書評を書いている。「安下宿にころがりこみ、中国のナマの社会にだけ身をさらして、無頼の人たちと接してきた森田のレポートは、これからの私たちと中国大陸の関わりに大きな意味を持つ。複眼で捉えた中国、草の根の上海。そこには、この大陸がもっともっとどえらく面白い存在になるという予感がある」。自分がやっていることをここまで見てくれている人がいる。森田さんは嬉しかった。「僕は中国を書いたつもりはないし、専門家でもない。中国をフレームにして自分の生きている今の時代を書いてきた」。こうして森田さんの創作スタイルの原型が誕生した。

◆『悪夢』は、“人間の本性は善か、悪か? もし悪ならば、正義で征することができるのか?”という問いかけが最大テーマ。中国の古い哲学書によると、善悪の両方を繰り返し、成長する。「これからの時代もそういうものがあるんだろう」。欲望の世紀だった20世紀は、例えるならエネルギーを貪った動脈の世紀。欲があるから成長もある。一方、21世紀を例えるなら静脈の世紀。使い古した血液をサラサラにして地球に戻さねばならない。「その激動の時代の狭間を生きてきた地平線会議は時代の目撃者であり、新しい時代の立会人でもある」。これからの課題は、欲からどれだけ離れられるか。新しい時代の産みの苦しみだ〜、と笑う森田さんが、欲から離れる時自分なりに意識することが“タメ”だ。野生動物が、獲物目がけて飛びかかる直前に腰を屈め、獲物と自分のスピードの距離感を測る、あの姿勢。ゴルフや釣りやフォルクローレの師たちからも、上達へ一皮剥ける時に“タメ”を教えられた。「新しい時代の産みの苦しみには“タメ”が必要では? 何か新しいことをやる前には、時代の流れの距離感を測るために“タメ”がいる。少しばかり立ち止まり、そこへ乗り移る時代のスピードの変わり目を見極めるのもいい」。

◆四十九日の法要を人生にあてはめたら、区切りを迎える良いきっかけになるのかもしれない」と話す森田さんの人生には、7年毎に大きな節目があった(地平線通信2006年10月号参照)。そう考えると、還暦を過ぎた森田さん(見えません!)はもうすぐ四十九日、つまりエンマ様の公開裁判の時。ここを越えると無罪放免の域に突入することに。本物の行動を重ねてきた人の人生の区切りという言葉に、深い重みを感じた。

◆同様に地平線会議を誕生から5年区切りで考えると、来年の30周年が四十九日だ。そこを越えると自由奔放の域に入るのかも、と森田さん。バンザーイ! 森田さんは最後にこう話した。「地平線会議は都会の隅でアスファルトを突き破って咲く花のようだ。けなげで、強くて、可愛いもの。その花が育つには土と水と光が必要。土は裏方として報告会や通信を支える人たち。水は報告会へ行って話したり聞く人たち。光は時代やメディア。土と水がしっかりしているから、それほどメディアに脚光を浴びなくてもいいと思う。都会の隅っこでこれからも花が咲き続けていられるように、水を遣りに地平線に足を運んで欲しい」。

◆質問コーナーでは天安門事件と香港の九龍城の話題に。人生の半ばにさしかかる時期に立ち会った天安門事件は、歴史の裂け目としての強烈な印象を森田さんに与え、書く意識を一転させ、大きな転機となったほど。また、テレビの報道番組で取材した九龍城は、生きて帰れないと当時誰もが恐れたアンタッチャブルゾーン。潜入成功のニュースは香港の新聞で一面記事に。人間離れしたアヘン窟で森田さんが学んだのは、こっそり取材せず堂々と正面からぶつかること。九龍城で、4×5(シノゴ)の大型カメラを持ったカメラマンを見たやくざが、そのカメラマンに対して「こいつは真剣勝負の仕事をしている」と尊敬の態度で接したそう。それを見て以来、森田さんは相手がやくざでも大物でも、真正面から名乗り取材するようになった。

◆スライドが一枚もない。でもとても鮮やかでずっしり心に残る報告会。会場からのリクエストでフォルクローレの演奏も! 温かいメロディを奏でる森田さんは、5分前のハードボイルドな表情が嘘のように、おだやかに音楽の世界を歩いていた。私が報告会の間ずっと感じていたこと。森田さんが好奇心で手を伸ばしたものへの徹底した愛情だ。

◆2次会も大盛り上がり! 30年間、地平線会議とつかず離れず歩んできた森田さんは、老いと若さが同居し交互に顔を出してしのぎを削る世代の中で、さらに先の夢を語っていた。30年前生まれていなかった私はそれを見ながら、1979年8月17日の夜に若者たちが汗かき議論の限りを尽くして、この世に地平線会議を誕生させた瞬間を想像した。今から30年後、この都会の花はどんな咲き方をしているんだろう。何をしても自分が問われるんだと森田さんは話していたが、30年後の私たち若者も自分を問われているんじゃないかなと、気が引き締まる夜だった!(森田さんの作品を全部読みたい大西夏奈子

「好都合な真実」とは、地球のご利益(りやく)。〜報告会を終えて〜

 生来苦手としてきたのは、人前で話すこと、文章を書くことでした。もう一つ苦手がありました。音楽です。報告会後のフォルクローレは、恥の上塗りでした。ウオームアップ不足の盛り上がらないケーナは冷や汗ものでした。ともかく報告会では、ありがとうございました。久しぶりにわが家に帰ったように、寛いで話せました。 「アマゴを渓流の貴婦人と付け加えればよかったのに」と、二次会で江本さんに指摘され、アマゴの枕詞を忘れていたことに気づきました。忘れていたというと、キッシンジャーがニクソンを伴って訪中し、米中接近(この直後に私は初めて中国を訪れた)した時の話です。キッシンジャーの土産が「アメックス」でした。その後、中国はカネの亡者となったことを言いたかったのですが……。事件などを通して社会を見るには、表面の事実だけでなく、隠された真実をどれだけ自分で引き出すかが肝心で、決して「暴(あば)く」「抉(えぐ)る」ことではないと思っています。「引き出す」は、自分の「引き出し」だと、肝に銘じております。

 地球は温暖化を騒いでいますが、じつは過冷化社会です。熱力学に「相転移」という言葉があります。水が氷になったり、水蒸気になる時に、分子はひとつも変わらないのに体の「相」が変わります。零度の水は液体にも固体にもなり、水を零度にゆっくりと冷やすと液体のまま、これが「過冷却状態」です。そこでコップを叩くと、一気に凍ります。

 いまの時代、一夜にしてヒーローがバッシングされて、悪役になる「過冷却状態」です。朝青龍、亀田親子などがそうです。メールなどで、隠れた「イジメ」が蔓延(はびこ)るいやな世の中は、「過冷却状態」です。

 二次会では「好都合な真実」が再び話題になりました。ゴア元米副大統領らが書いた『不都合な真実』に納得がいかない、と私が話したことの第二幕です。二酸化炭素は地球上の悪者あつかいです。石油が燃料として発見されたのは一八五〇年代、そして二〇五〇年にピークアウトするといわれています。およそ四〇億年かけて変性されてつくられた化石燃料を、わずか二〇〇年で使い切ってしまうなんて、人間は身勝手すぎると思いませんか。地球に「不都合」があるわけがない、地球は悪くないのです。二酸化炭素と水蒸気に包まれた地球は常に十五度前後の温度に保つ「温室効果」があるのです。海水の「温まりにくく冷めにくい性質」が昼夜の温度差から私たちを守ってくれている。じつは、地球には素晴らしい「好都合な真実」があるのです。私は、これを「地球の力」「地球のご利益(りやく)」だと思っています。地平線会議の皆さんは、旅しながら数多くの「好都合な真実」を地球体験してきたと思うのですが……。風土性や時代性を感受するには間接的な情報も必要ですが、それ以上に直接的な体験、自然を直視する姿勢や感性が大切であることを旅人は誰も体で知っています。皆さんが得てきた「地球の力、地球のご利益」は、脱石油時代への産みの苦しみの「カーボン・オフセット」以上に値すると思いますが……。

 「いつ、どこで生まれるかで運命が決まる」とは、天安門事件の民主化運動のリーダーの言葉ですが、僕たちも、自分が生まれてくる時代を選べるわけではないのです。自分が選んだり、造ったりしたわけでもない時代と世界に投げ込まれた以上、「どうして自分がここに存在するのか」を意識して生きていくしかないのではと、つくづく思うのです。でも、いい時代に生まれてきた。石油のありがたさを十分に味わい、そして石油から脱する新しい時代を迎えようとしている。これほど、生きている証が残せる時代はこれまでも、これからもありえないだろうと思います。同時代に生きている運命的な出会いを感じながら、ありがとうございました。(森田靖郎


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