2010年1月の地平線報告会レポート


●地平線通信363より
先月の報告会から

タテとヨコのハイブリッド

谷口けい

2010年1月26日 新宿区スポーツセンター

■未知への興味をエネルギーにして、元気いっぱいに世界中をかけまわる! それが今回の報告者、谷口けいさん。いま、世界の第一線で活躍している女性クライマーだ。2008年のインドのカメット峰(7756m)新ルート登はんが認められ、昨年、世界の優れた登山家に贈られるピオレドール(黄金のピッケル)賞をパートナーの平出和也さんと共に受賞した。日本人初、女性では世界初という快挙だ。でも当の本人は、「いただいた黄金のピッケルは、飛行機に乗せるのにもお金かかるし使えないし、役にたたないんです〜」なんてあっけらかんとしている。とにかく底抜けに明るくてよく笑う、ハッピーな空気の持ち主。

◆まずは登山をはじめるきっかけの話から。スクリーンには白い山脈と氷河の写真が映る。「これはアラスカです。私は小学生のころから植村直己さんが好きで…」“冒険”にあこがれる少女だった。大学卒業後に入った社会人山岳会で、先輩から翌年のマッキンリー登山に誘われたときは、運命だと思った。初遠征でまだ新人のけいさんだったが、6000mの高所で高山病に倒れた先輩を逆にサポートしながら、2日連続の登頂に成功(1回目はたった1人で)。「もしかしたら自分ってまだ何かできるんじゃないか?」ゴールだと思っていたマッキンリーで、世界が開けた。

◆その後も冒険がしたくてたまらずに、世界各地のアドベンチャーレースに出場する。「サイコーにアホな遊び!」と言うだけあって、内容はてんこ盛り! 登山、マウンテンバイク、乗馬、シーカヤック…その土地に即した手法で、長いと10日間も自然の中をさまよう。夜じゅう歩き続けたり、他のチームに見つからないよう隠れてチェックポイントを通過したり……聞いているだけでワクワクする。

◆ヒマラヤとの出会いは突然だった。ひょんなことから野口健さんと知り合い、2003年のエベレスト清掃隊に参加することに。翌年にはパートナーの平出さんと共にパキスタンのゴールデン・ピーク(7027m)へ向かう。ここで新ルートを開いた勢いに乗って、ライラ・ピーク(6200m)にも登頂。写真では天に突き刺さる姿が美しい鋭鋒だが、雪崩がひどく、行動できるのは午前中の数時間に限られる。しかしゴールデン・ピークで高所順応ができていたけいさんたちは、スピード登はんに成功した。「難しい山でも、先にちょっと高い山に登ってから行けば、意外に行動できる」。この経験が、次の遠征に繋がっていく。

◆いよいよ今回のテーマ「タテとヨコのハイ・ブリッド」な旅が始まる。2005年、目標とするインドの6000m峰の前に、前年の経験を活かしてムスターグ・アタ(7546m・中国)に登ることに。目指す東稜(バリエーションルート)は一般ルートの西稜とちがって山をぐるっと回り込んで取り付くため、登る前に長い旅が必要だ。でも、そういう時間こそ大切。「その土地の人と旅をして、一緒に山に近づいていくと、その土地も山も自分を受け入れてくれてるなーという感じがします」

◆この頃から平出さんが撮り始めたという映像が流れる。ラクダに荷を積み、砂ぼこりの大地を歩く一行。景色は草原に変わり、川を渡り…。ヤギをひっくりかえした次のシーンは、お皿に山盛りのヤギ料理! ちょっと衝撃的だけど、「おいしそー、いっただきまーす!」と相変わらず元気なけいさん。氷河歩きが始まると、ラクダも役人もみんな帰ってしまう。2人だけで大きな荷物を背負い、ひたすら進む。クレバスにロープを張り、荷物を渡す。ううー、大変そう。次にけいさんが腰にロープをつけて、クレバスをえいやっと飛び越える。まだ登はん前なのに、ヒヤッとする映像だ。

◆雪の急斜面をアイゼンとダブルアックスで登る場面で、「ここからドラゴンリッジ(アップダウンの激しい雪の稜線)が始まります」と平出さん。本当に、こんなところでよく撮ってるなあ! 食事は軽量化のため、1日に1つのアルファ米を2人で分け合う。「シュラフあったかい」と、テントでひとときの休息。再び登りだし、頂上手前の大セラック(氷の塔)を越え、ついに登頂(第2登)! 眼下には歩いてきた氷河が見える。一般ルートをスキーとスノーシューで下降。BC(ベースキャンプ)にはキルギス族の友達が迎えにきてくれていた。「コングラッチレーション!」「ありがとう〜!」下山はなんとバイクで。ちょっとしたドキュメンタリー映画みたいな映像だった。道も時間も経験も、全ては繋がっている……これがタテとヨコのハイ・ブリッドな旅か。すてきな映像で疑似体験させてもらった。

◆さて、次はインドへ移動し、目的のシブリン北壁(6543m)へ。シブリンはヒンズー教の破壊と創造の神、シヴァ神の象徴とも言われる山。あこがれの「神様の山」だったけれど、男の神様なので、女の自分が登っていいのか考えたというけいさん。だがこのときも旅を重ねて行ったので、山に登って帰ってきたときに地元の人たちが「神様と仲良くしたから登れたんだよ、おめでとう!」と言ってくれてすごくうれしかったそう。

◆またまた映像。5000m、6000mという高所の世界で繰り広げられる会話と行動には、1つひとつに命の重みがにじみ出ている。そしてサミット! 山頂でけいさんが語る。「お前なんかに登れるわけがないって、日本で言われてた。でも自分にだからできることがあるって信じてて、絶対登れるラインがあるはずだって思ったんだよね。楽じゃなかったけど、できる限りの力を出したかな。シブリン最高。登らしてくれてありがとう」

◆この後、下降中に食料と燃料がなくなり、2人は足にひどい凍傷を負う。平出さんは足の指4本を失った。しかし彼、今では山岳耐久レースを、足の指が5本あったときよりも早いタイムで走っているという。「何かが無くなったり失敗したりすると、もっとやりたいとか悔しいとかそういうのがきっかけになって、人のモチベーションがあがるのかなと思うんです」

◆2006年はマナスル(8163m)へ。2007年のチョモランマ(8848m)では、なんとけいさん、仲間がBCへ降りて休養している間もシェルパと共に荷揚げ隊となって上を目指した。頭にあったのは“冒険”の文字。危険を冒す、ということではない。ここで自分にできることは何? と考えた結果、せっかくなら行ける所まで無酸素で行ったほうが自然だよな、という答えが出たからだ。一緒に荷揚げをしていたシェルパが、兄弟が遭難した山を振り返って見ながら登っていた話や、公募登山で亡くなった方の写真などが紹介される。7000m以上というデス・ゾーンにいながら、他の人よりも周りの状況がよく見えたという。無酸素で登ろうとして高度順応を頑張った効果だ。好きなことに努力を惜しまない、けいさん。こういう素直さってすごいなあ。

◆2008年、再び平出さんとパートナーを組んで目指すのは、インドのカメット峰(7756m)南東壁新ルート開拓。冒頭のピオレドール賞を受賞した登はんだ。ここでも映像が流れるが、今回はちょっと違う。平出さん、魚眼レンズで自分を入れて撮っているのだ。けいさんが登る姿や景色を撮るときも、いつも画面の半分をどアップの日焼け顔が占めている。あまりのしつこさに、会場から笑いが起こる。でもすごい根性だなあ、とますます感心。今回は、世界中の人に見てもらうための英語字幕つき。

◆ヘルメットにカツカツと氷の破片があたるチリ雪崩れの中を進む。氷を削ってビバークサイトを作る。一歩一歩、氷の壁をよじ登る。こんなに大きな山に、小さな2人だけ。迫力の映像だ。ようやく山頂にたどり着いた2人の口からでた言葉は…「次は? What 's next?」。3泊4日の予定が6泊7日になったが、不思議と悲壮感は無かった。苦しかったけど、楽しかったという。2人は南東壁のど真ん中をまっすぐ空に向かって伸びるこのラインを、サムライダイレクトと名づけた。

◆2人の冒険は続く。ネパールとチベットの国境にあるガウリシャンカール(7135m)、未踏のチベット側からの登頂を目指す。結果的に頂上直下でロックバンドを越えられず敗退するが、「やらないで行けたかもって思うよりは、今の自分の力で行ける所まで行ったってことが大きな結果。で、このままじゃ終わらせないっていうのが、次の挑戦へのエネルギーになるのかな」

◆「冒険の前に、なぜそれをやりたいのか考える事が大切」と、けいさんは言う。それは自分と向き合うこと。生死に関わるギリギリの判断を経験することは、自分の限界に向き合うことであり、同時に可能性を見つけることでもある。強さとは、自分の弱さを認めながら前に進むことかもしれない。人生も人それぞれの「新しいライン」を引くようなもの、「楽しい」とか「好き」という好奇心を大切に、色んなことに挑戦しなきゃもったいないですね!それにしてもけいさん、ほんと、すごい元気印でした。二次会でどんぶり飯食べてる報告者、初めて見ましたよーっ(笑)!(新垣亜美


報告者のひとこと

少しでも新しい風を吹き込むことが出来たなら、とても嬉しい!

■2時間半は、あっという間だった。結局、伝えたいことっていくら時間があっても足りないってことだ。冒頭でも触れたのだけど、山ヤの中で積極的に「伝える」を実践している人は少ないと思う。言葉で伝えるのが苦手だから、山というキャンバスを相手に自己表現をしているのだと思うのだ。それは、描いたり、造り出したり、奏でたりする表現者達と同じことなのではないかなと最近感じている。

◆有形の物は人に伝わりやすいけれど、自然を相手に描いている無形のアートは、もしかしたら誰にも知られないまま。素晴らしい感動との出会いを、私は多くの人と共有してみたいと思ったのが「伝える」ことを始めたきっかけかな。あの場にいた皆さんの其々に、少しでも新しい風を吹き込むことが出来たなら、とても嬉しい。それは、疑問・同感・反感・驚きetc.どんな形でもいい。

◆「ケイさんは落ち込むことってないんですか」と聞かれた。何言ってんのー、しょっちゅう壁にぶつかっては落ち込んでるよ。「例えば何に?」色々あるけど、自分の存在意義って何だろ、とかさ。って言った瞬間、そこにいた人達の疑わしげな表情が崩れて、嬉しそうにウェルカムされたと感じてしまった。

◆つまり、地平線会議には自分の存在意義を探し求めて旅を続けている輩が多いってこと? う〜ん、同じ匂いを感じるわけだ。それから貧乏って言葉使ったけれど、風呂無し共同トイレの四畳半に住んで低収入だからって=貧しい、じゃないよね。誰よりも贅沢に生きているんじゃないかと思うのだけど。(谷口けい


報告会の周辺から

あんなところを登りつづけていける解放感と自由さ。なんていい山。なんていいルート

■けいさん、すばらしい登攀の話をありがとう。核心部だけでも一週間もかけて、あるいは一月以上もかけて、考えついてからの時間でいえば何年もかけて登った行為を、わずかな時間の中で語るのだから、けいさん自身があまりにも語れないことにがっかりしていたでしょう。でも、あのたった二人の自分たち自身を写しつづけた平出さんの映像と、いつも冷静な彼のナレーションの助けもあって、はしょりにはしょったことばのひとつひとつが素直に、その場の感覚のままに伝わってきてました。そう、あの平静さで淡々とこなしていけなければ、あんな大きな登攀はできない。

◆だから、話を聞く間ずっと背筋がぞくぞくしてた。自分では12本爪だの14本爪だのというアイゼンは履いたこともなく、終日その前歯だけで登るような登攀もしたことがないのに、けいさんがアックスにつかまって立っている感覚や、ふくらはぎのこわばりが感じられて、自分の足の裏もむずむずしていた。けいさんてすばらしいバランスと身のこなしの持ち主ですね。

◆聞きながら、見ながら、半世紀近くも前の感覚がいくつかよみがえっていました。けいさんたちの山のように氷の粒ではなかったけれども、落ちてくるスノーシャワーを浴びながら一人登っていく壁の印象。ホールドも見当たらず、ピッケルも支えてくれないベルグラに覆われた壁を8本爪アイゼンの前歯だけで立ち、氷ごと外傾ホールドをつまんでずり上がっていく体重移動の感覚。不思議に恐怖はありませんでした。そして墜落しはじめたときに見下ろした雪の降りしきる静かで美しい壁。

◆いやあ、すごいクライマーたちが育っているんですね。何よりああいう途方もない壁たちを前にしての勇気に感嘆しました。けいさんは「登れるって感じたから取りついた」とおっしゃった。それは分かる。でも相手は誰も触れていない未知の山だし、第一途方もなくでかい。しかも天気が崩れなくても、たとえば4日の予定が7日かかってしまうほど悪い。

◆それをまるで縦走でもするかのように、すべての重量を身につけて、シュラフもないビバークを重ねて体力を失いながら、ただ上へ上へと登り続ける。なんという心身の強靱さ。しかも登攀中ずっと楽しかったと。それは分かる。そうだったに違いないと思う。あんなところを登りつづけていけてる解放感と自由さ。なんていい山。なんていいルート。それが何日も続いていてなお生きているという実感。表現のしようもないものだったでしょうね。それでも……。

◆実は話が最後のガウリサンカール東壁上部の悪場で退却を決めたところまで進んで、ほっとしたのです。ああ、この人たちは登れるところだけを登っているんだ、自分たちが登れるところと登るべきでないところの境がちゃんと見える人たちなんだ、と。なんというか動物としての確かさを発揮できる自由をちゃんと保持している人たちなんだ、と。そうか、それならいい。どうかその基準を外さないでほしい、と。そういう思いの一方で、あの場所からあれだけのスケールの氷壁を、身につけただけの装備で下るという凄さに慄然としていたのです。その話も聞きたいという思いでも一杯でした。

◆ごめんなさい。こんなことを言って。いや、しっかり年寄りですからね。話が進むにつれて、そのクライミングのすばらしさや凄さ、それを創り出しているクライマーそのもののかけがえのなさが胸の中に重くなっていったのです。この人たちは宝だな。われわれの宝。この人たちのこれからの登攀はどういう風に展開していくのだろう。すばらしい登攀を重ねては欲しいが、それにも増して生きつづけていて欲しい。この人たちは絶対に生きつづけていてほしい。植村さんのようなことにはならないで欲しい、と。

◆昔、植村さんがグリーンランドからアラスカに抜ける犬ぞりで横断する前、たまたまその途中のある地域について多少経験があったので訪ねていらした。ちょうど私のいた観文研の引っ越しの最中だったので、荷物を運びながら、知っているだけの情報を伝え助言をして、「植村さんはこれまでの歩みを見ていると、すべて自分の足元から発想して、丁寧に積み重ねてきている。だからいま話した危険も植村さんなら克服できますよ。大丈夫ですよ」と自信を持って言った。しかし冬のマッキンレーのときは植村さんの足元からの発想だけとは見えない不安、植村さんの自由を奪ってしまっているかもしれないものへの不安があった。

◆山ってやっかいですよね。深田久弥さんが遭難に対する新聞の論調の的外れさを笑いながら話しておられたことを思い出します。初心者ならめったなことで遭難はしない。山はベテランになるほど危険になるんだと。そもそもその危険や未知を抜きにしてはそこで生き、思うように行動している喜びが半減するのだから。

◆でも、けいさんたちにはそんな矛盾を無意味にしてしまうような健康さと純粋さがある。未知や困難の誘惑には弱そうだけれども、それに劣らぬ自分に対する忠実さというか正直さがある。そういうクライマーが日本に育ちつづけていてくれるんだなあ。死ぬなよ。(都立大山岳部OB 宮本千晴

「行動者は同時に表現者でもあり、行動者にとって報告の場はひとつの見せ場なのですね」

■昨年の通信3月号にカラファテのことを書いた。ブルーベリーのような実がなるパタゴニア特有の木だ。風の大地の味がするこの実を食べた旅人は、再びここに帰ってくると言われている。その伝説は本当のようで、安東は再び地球の裏側にやってきた。南極を除けば日本から最も遠い土地だろう。できればパタゴンを見つけたいと思っている。マゼランがこの地を初めて訪れた時に目撃したという、人間の2倍の身長の巨人であるというが、マゼラン以来目撃した者はいない。巨大な足跡よりパタゴン(でっかい足)と呼ばれたが、それがパタゴニアの語源になっている。

◆でも本当は山の撮影が目的であり、パタゴンはついでなのだ。見つかるとも思ってないけど、もしかしたらまだいるかもしれないと思うと、わくわくしてくるじゃないか! かなりいいかげんな探検だけど、好奇心さえあれば、地球はまだまだ未知に溢れている!

◆さて、先月の谷口けいさんの報告会、久々のクライミングシーンでした。ヒマラヤのクリアな映像にめちゃくちゃ迫力があった。今まで見た中で、一番臨場感のある報告だったと思う。行動者は同時に表現者でもあり、行動者にとって報告の場はひとつの見せ場なのですね。行動したことをどう表現できるかが、行動そのものを評価する手段となるのでしょう。いくら新聞やテレビで報道されたって、本人自らの言葉や文章で表現されなければ面白くない。今の時代は行動だけではちやほやされないのだ。斬新な映像とともに自分の冒険を伝えようとする谷口さんは、これまでのクライマーにない新しい手段を持った表現者なのだなあ、と思ったのでした。

◆報告者だけでなく、聞きに来る人も面白い人ばかりだ。1次会は報告者の発信の場であるが、いつもの中華料理屋での2次会は、地平線にやってきた連中のネットワークの場なのでしょう。先月の2次会で安東が初めて話をした人だけでも、徒歩でユーラシアを横断したり、探検のNPOを立ち上げようとしてる者がいたりと、普通だったらその辺にいないような若者が、何気にぞろぞろといたりする。クラブ組織でない地平線会議にとって、2次会こそは本来のネットワーク作りの舞台かもしれない。

◆だが行動者というのは貧乏であることが多い。好きなこと優先で生きているので貧乏があたりまえなのだ。悲しいのは2次会に行きたいけど、次の行動のためにお金を節約しなければいけないとか、冒険から帰ってきたばかりで本当に金欠だからやめておこうという場合。そういう人こそきっと本物だ。そういう人が参加できない2次会なんて、たんなる烏合の酒飲みだ。そういう人は某代表世話人にご相談ください。ビールを控えれば料理代だけで参加できますよね?

◆地平線というネットワークから、どんどん新しい表現者が出てくるといいですね。さて、次は何をどう表現していこうか? 迷ったら地平線会議の2次会へ! (2月8日 人類の最南端パタゴニアより 安東浩正

けいさんの大らかさに、また一層惚れ込んだ報告会だった

■息子を青空保育に送る車中で、「ママ、今日お友達のお話会に行きたいんだけど、静かに座ってられないよね〜」と諦め口調で相談してみると、「いいよ。でも、ばあばに預ければいいじゃん」と珍しくききわけのよいことを言う。あまり体調のよくない義母に頼ることは遠慮してきたが、ダメ元で電話してみると、なんとOKの返事。かくして、子供が大きくなるまで行けないと思っていた平日夜の地平線報告会に、産後初めて出席することができた。

◆けいさんとは、2006年の夏にDVD撮影の仕事で北鎌尾根を一緒に登ったのだが、その人となりに一発で惚れ込んでしまった。きっと野口健さんもそうだったに違いない。その強さと明るさ、思慮深さ、しかも美しさと女性らしさも兼ね備えていて、今まで出会った中では、一番理想に近い女性かもしれない。

◆印象に残っているのは、見晴らしのいいところに来ると、湧きあがる気持ちを抑えられないといった様子で、「ヤッホー!! 次はどの山が私を呼んでいるのかなー!?」と、心から楽しそうに雄叫びを上げている姿だ。かと思えば、「家に帰ったら、デッキに水色(だったっけ)のペンキを塗ろーっと!」なんて言い出したりして、生活もちゃんと楽しんでいる。素敵だ。

◆だからどうしても彼女の話を聞いてみたいと思ったのだが、期待どおり報告会は無理をしてでも行った甲斐のあるものだった。海外登山歴の順を追って話す中で、2003年のエベレストと2004年の2つの登攀に大きなギャップを感じたので、その辺を聞きたいと休憩時間に言うと、特別なトレーニングを積んだわけではなく、ただ、行きたい、やりたい、自分ならきっと楽しめるという自信がある、その気持ちに従っただけ、というのが答えだった。前例や慎重論にとらわれない、でも無謀ではない、それはキタカマを登っていた時にもよくわかった。彼女は慎重だけど、恐がりじゃない。なぜなら、ただやりたいことをやっているだけだから。

◆平出君とも、2002年に鹿屋体育大学の山本正嘉先生の実験でご一緒したことがあるのだが(今思えばすごいメンバーだった。他は天野和明君、花谷泰広君、松原尚之さん、奥田仁一さん)、彼とコンビを組んでいるというのがまたギャップがあって面白いというか、彼女らしいというか。撮影魔の平出君がビレイ(注:ロープでの安全確保)をしていない事実がバッチリ映っていることを笑い飛ばせるけいさんの大らかさに、また一層惚れ込んだ報告会だった。(大久保由美子


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