2011年12月の地平線報告会レポート


●地平線通信388より
先月の報告会から

80,700キロの助走

伊東心

2011年12月23日 17:30〜20:00 新宿区スポーツセンター

■通信の裏表紙に描かれた画伯のイラストを見たとき「ん?」と思った。伊東心さんを女性だと勝手に思いこんでいたからだ。そして会場に着いて、また「ん?」となった。癖のありそうな顔に描かれたイラストとは別人の、真面目でおとなしそうな伊東さんがそこにいた。力の抜けた様子に、自信があるんだな、という印象を受けた。

◆伊東さんの自転車世界一周は2回に分かれている。前半は2005年12月に地元福岡からスタート。まずは日本の国土から外国を見るというセレモニーをしてからの出発にしよう、と対馬に渡り縦断。そこから韓国プサンへ。中国、アジア、中東、ヨーロッパ、ユーラシア大陸西端であるポルトガルのロカ岬を経て、西アフリカ。その後、北米をNYからロスまでトータル45533キロを3年2か月かけて走破。日本に一時帰国した後、2009年7月より後半スタート。アラスカから北米、中米、南米を縦断。2011年6月に帰国して最後に日本を縦断。計80700キロ。ちょうど2000日の旅だった。

◆伊東さんの自転車世界一周の旅は、面白い経験を積み、外国を紹介できる先生になる。という目的のための手段に過ぎない、と言う。過去の地平線報告者で報告内容が手段であったという話は聞いたことがない。いったいこの人は何を話すのか、嫌でも興味をそそられる。

◆伊東さんは中学生ぐらいから先生になりたいという憧れを持っていた。16歳のとき高校のサマースクールでイギリスに語学留学。外国って面白い。異文化って楽しい。と思うようになった。大学の国際文化学部に進学後、19歳から念願の中学高校の英語教師の資格取得を始める。それと同時にバックパッカーとしての旅も始めた。大学の休みを使って2か月。1年に計4か月旅しても「こんなことで先生になったときに生徒に何か伝えられるのか」という思いが募る。もっと旅を深めようと大学3、4年は休学して、ユーゴ、スーダン、アフガニスタン、と戦場ジャーナリストのようにきな臭い場所に足を運ぶ。しかしそこから何を得ているのかが分からない。ますます先生になる理想から遠ざかっていく、気がした。

◆22歳のときに世界一周中だったサイクリスト、シールエミコさんとスティーブさんにパキスタンで出会い、自転車世界一周こそが自分にゆらぎない自信が持てる方法ではないか、と思い旅に出ようと決めた。先生になる前に社会人として組織で働く経験を積もう、と卒業後は旅行会社に就 職。サハラ・中近東の担当になり、アラブ世界にいるか日本にいるかの生活が始まる。旅行会社での3年間はお金はもちろん、旅に必要な多くのことも学んだ。

◆その間に旅立ちのためのスポンサーを見 つけ、新聞、雑誌の連載記事の契約も取り、自転車を200ピースの部品に分解しても組み立てられる知識も身につけて、27歳でついに旅立つ。

◆世界をどんな風に回ろうかと考えたときに気になったのがチベット。2008年に中国でオリンピックがあるときに何か関係がこじれれば行けなくなる可能性があるかも、との読みから、ユーラシアを先に回るべきだと判断する。その世界を視野に入れた驚くべき未来予測は当たり、歴史は伊東さんの読みのとおりに……。中国とチベットの関係については知っている人は知っている。だからといって中国のオリンピック開催後何が起こるかを、自分に引き寄せてここまで予想した日本人がどれほどいただろう。話を聞いて正直驚いた。

◆中国人に化け、冬の崑崙、天山山脈を越える。気温はマイナス20度。過酷な環境であるはずなのに伊東さんは「寒いほうが走りやすい」とどこまでもクール。冷静な分析に誇張はない。高地を走るうちに体は鍛えられ、平地に降りてくると随分ラクに走れるようになったそうだ。続くイスラムの国々は旅行会社の仕事で通った大好きな落ち着く土地。イランでは家族同様に18日間居候させてもらったことも。

◆ヨーロッパを経て、アフリカを西アフリカのマリからスタート。熱帯性のマラリアにかかり砂漠で昏睡。もう少し病院に着くのが遅ければ命の危険もある状態に追い込まれる。サハラでは砂漠に突っ込むも自転車が重すぎて挫折。自転車の重量は荷物もあわせると65キロ。砂漠地帯で水を大量に持つと80キロにもなる。

◆アフリカ走行後に走った北米では、NYのハーレムに潜入し、オバマ大統領誕生の瞬間のハーレムの熱気を味わう。かつて戦場にもぐりこんでいた経験がここで生きている。そのまま北米横断するも前半終了の間際に相棒の自転車をロスで盗まれてしまうトラブルに遭う。

◆後半の北中南米は北の果て北極海のプルドーベイまで走り、南下。北米、中米を抜け、パナマからコロンビア間はヨットに自転車を乗せて渡り、2011年5月に南米最南端を目指す。旅行会社の仕事や海外に憧れてテレビや図鑑などで調べていたので、おおよその世界遺産は頭に入っている。それでもペルーのマチュピチュを見たときは「百聞は一見にしかず」と改めて思った。

◆旅行業界のアンケート調査で20代の若者が旅行に行かなくなっている理由は、テレビやインターネットで見てしっている、からだと言う。しかし実際に見ないと分からないものはある。世界一周海外編の最後は冬のパタゴニア。ここでちょっと気になる写真が……。「同行していた恋人です」。とのこと。え、どこから? ともう少し聞いてみたいが、さらりと話は変わり、南米最南端のフエゴ島の途中、アイスバーンで走行不能となった時点で旅は終わった。

◆その後、伊東さんは日本を縦断、ついに地元福岡への帰還。2000日の長い旅だった。伊東さんの「先生になりたい」という夢はそれを心に描いた中学生の頃から一度もぶれない。すべてがその基本の上にあり、自転車世界一周というスケールの大きな冒険も、ただ回るだけなら自己満足のきわみで、それをどう次の世代に伝えていくのかが大事である、という。

◆先生になるためには、たとえ日常からかけ離れた旅をしようとも、感覚まで日常から離れてしまってはいけない。だからスポンサーは社会と自分をつなぐ糸であり、感情をコントロールするアンカーだ。プロの旅行業者として、海外にいても動じない普通の感覚で、無茶はしないし、無理も、あんまり我慢もしない。それが安全な旅につながる。プロのサイクリストとしては完璧な服装。ヘルメットはかならず着用。サイドミラーもつける。

◆話の中に何度も出てくる「プロ」という言葉。それはゴールである「先生になる」から逆算して、そのために必要なものを割り出して確実に解決していく伊東さんにふさわしいものかもしれない。世界を回るのなら文章を書きたい。その思いを2004年に地平線会議でたまたま隣り合わせたシェルパ斉藤さんに熱く語ると「君は書かなくていいよ」とサラリといわれてしまう。

◆理由は「書きたいから書くのならブログでも日記でもいい、私たち書き手は読み手がいるから書く。伝えたいことがあるから書くんだ」ということで24歳だった伊東さんは衝撃を受けた。この話には好きなことしか書いていない48歳のこちらもドキドキする。

◆以後、伊東さんは文章の勉強を始め、新聞、フリーペーパーに連載記事を書く。84回も続いた西日本新聞の記事はブログでも読める。人の出会いを中心にまとめたいい話が満載なので、ぜひごらんあれ。そのブログでは、旅のきっかけを作ってくれた師匠であるシールエミコさんとスティーブさんとの再会も綴られている。

◆しかしこれだけの内容がありながら、話を聞き終えたときにどうしようもない違和感が残った。僕が感じた違和感は感情をまったく出さない冷静な語り口で、最後まで伊東心さんの「心」が見えないからだった。そう、聞きたかったのはデーターや事実の分析ではなく、気持ちの部分だ。ロスで自転車が盗まれてしまった、という話も、マラリアで倒れて後一日病院に来るのが遅れていたら生存率は50%だと宣告されたことも、過ぎ去った一事件としてサラリと流されてしまうと共感するのが難しい。

◆もっと心から驚いたことはなかったのか? 心から怒ったことは、笑ったことは、泣いたことは、感動したことはなかったのか。納得できずに2次会で「すべては想定内だったのか」と聞くと、「マラリアの蚊を防ぎきれなかったこと以外は想定内でした」と神のような返事。世界のすべてが想定内であるはずがない。もしそう感じるなら、それは自分の価値観の中に力ずくで世界を押し込めたのだと僕は思う。

◆本当に面白いのは想像を超えたものであり、自分の小さな価値観など何度でもズタズタになったほうがいいし、そうならないと新しいものが取り込めないのでは。経験が大事、と言いながら、学歴と知識しか持ち合わせていない先生はいる。でも伊東さんは未来の生徒たちに伝えるべき稀有な体験をすでに得ている。ただ気持ちが届かないと、それは情報にすぎない。ネット世代に育った生徒は「そんなのテレビで見て知ってるよ」と容赦なく言うだろう……。残す試練は教員試験。あと一息で夢はかなう。ガンバレ、未来の先生「伊東心」。(体験で語れる先生が増えればいいな、と思っている坪井伸吾


報告者のひとこと

心の熱を言葉に乗せて、教師の道を歩みます!!

明けましておめでとうございます。先の報告会では、一年の締めの壇上に立つ機会を頂きましたこと、また多くのご来場を頂けましたこと、心より御礼申し上げます。旅行家としての根を地平線会議に持つ私にとって、この上なく光栄な時間でした。

◆報告会を前に、江本さんから大切なアドバイスを頂いていました。「地平線会議は講演会ではなく報告会。上手に話そうとはせず、自分らしさを伝えろ」と。壇上では、旅のエピソードを紹介しつつ、旅の真の目的である『教師になるための修行』その取り組みについて語らせて頂きました。緊張は少なく、いつものトーンで話ができたのですが、返って、燃やし続けてきた『心の熱』を表に出すことができなかった気がします。あの話をしておくべきだった! もっと情熱的に伝えられたはずだ! そんな思いをいくつも残しました。発信者としての未熟さを痛感すると共に、そのような気付きを得られた有り難い舞台であったことに感謝しております。

◆ここでは、壇上で紹介できなかった話題をひとつ取り上げたいと思います。インターネット時代の旅について。何を今さら?という声も聞こえてきそうですが、インターネット(以降、ネットと略)の黎明期から旅を重ねてきた私なりの考察です。私が初めて海外を訪れた1995年夏、すでにネットは存在していましたが、まだ大多数にとってそれは未知なる物でした。大学に入学した97年には、windows95が普及しており、ネットは一般的なものに。

◆大学入学後すぐにバックパッカー旅を始めた私は、旅先でEmailを活用し始めました。99?2001年の長旅では、MSN等のポータルサイトで日本のニュースを読み漁り、浦島太郎になることなく帰国しました。2005年以降の自転車世界一周旅では、ブログで旅の記録を発信しつつ、mixiやFacebook等(SNS)で友人知人とコンタクトを取り、Skypeを利用して無料で国際電話。

◆2007年頃からは、Youtube等の動画サイトでニュースやテレビ番組を視るようになり、いよいよ日本と旅先のタイムラグは無くなりました。海外に居ても、自転車冒険旅行の路上にあっても、日本社会や家族・友人と繋がっている。「今どこ?元気にしてる?」「今、サハラ砂漠南縁のトンブクトゥ。最近、砂嵐が続いてて喉が痛いのよ」なんて会話が成り立ってしまう現実に違和感を覚えつつも、いつしかそれが当たり前になっていました。

◆旅先でネットを使うには? 当初はネットカフェのパソコンを使うのが普通でしたが、2008年頃からは、安価なノートパソコンやiPhoneなどの携帯端末も普及し始め、同時に無線ラン(wifi)が使える宿や施設も一般的になりました。今では旅行者の大半がネット端末を持ち運び、wifiでネットを利用しています。私も2006年からノートパソコンを携行しており、旅先でのライター活動に活用してきました。パソコンで旅行記の原稿を描き、デジカメの写真を添えてメールで日本の新聞社に送り、掲載された記事はネットから確認する。旅行家としての発信活動は、同時にライターとしての仕事でもありました。月数万円程度の収入でしたが、旅行中の身には大きな助けとなりました。

◆ネットにより、日本から遠く離れた旅先でも日本にいる時と大差ない情報を得られる今日。然したる苦労もなく渡航先の情報が得られる。最新のニュースを知ることができる。離れた家族や友人と頻繁に連絡が取れる。旅の時間は、ネット化以前のそれと大きく様変わりしました。より海外が身近な場所となり、より安全に旅をできるようになったとも言えます。

◆しかし、見方によっては、旅が形骸化しているとも言えないでしょうか? 旅先では、『自分探しの旅』をしているという若者に多く出会います。10代後半の私もそうでした。異国での様々な体験を通して、自分自身を見つめ、自分の道を探す。そういう旅を求めて海外に飛び出したものの、旅先での行動のほとんどが受動的で、自分で方法を考え・探し・求める姿勢に乏しい人が増えている印象を受けます。

◆ペルーで実際に交わした会話。「ワスカラン国立公園行きました?」「はい、自転車でですけど」「行く価値ありますか?」情報や感想ならまだしも、判断まで求めるのは如何なものか……。ネットに頼ることに慣れ、自分で考える力、判断する力が乏しい若者が多く見受けられます。もちろん、ネットに溢れる情報と適度な距離を保ち、真剣に自分探しに挑んでいる若者にも出会いますが、多いという印象は受けません……。

◆とはいえ、嘆いてみせた私もネット時代の旅人です。ネット化は世の中全体の変化。旅に大きな変化をもたらしたのも当然です。問題は、それとどう付き合うか。幸い、私の旅はネット化の恩恵を受けつつ、悪い影響はあまり受けなかったと感じています。溢れる情報を比較検証して知識を準備したつもりになっても、いつもそれを超える感動や衝撃がありました。知る→考える→行動する→驚く→考える→知る。これは、ネット化以前に身につけた旅の楽しみ方だと思います。或いは、敬愛する冒険家・旅行家の先輩方から受け継いだ、『旅の哲学』『実践の喜び』なのかも知れません。

◆私の自転車世界一周・2千日間・8万kmの旅は、夢と掲げた教師になる前の長い長い助走でした。ここからが本当の勝負! インターネット時代の生徒たちに、実践の喜びを伝えてゆきたい! 心に宿す熱意をしっかり言葉に乗せて、近い将来、必ずや教壇に立ちたいと思います。(伊東心


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