2019年4月の地平線報告会レポート


●地平線通信481より
先月の報告会から

うたかたのゆくえ

中畑朋子 加藤千晶 滝野沢優子

2019年4月26日 新宿区スポーツセンター

■2019年4月26日の夜。平成最後の地平線報告会は、3人の女性旅人の目を通してこの30年を振り返るという試みだ。報告会の前半では3人がそれぞれどんな旅をしてきたのかを語り、後半で鼎談をする。進行役の長野亮之介さんが「平成元年(1989年)は天安門事件やベルリンの壁崩壊など世界が変わった時期。インターネットが登場したのもこの時代」と話すように、激しい変化に満ちていた平成。そんな時代に国内外を旅してきた3人から、どんな話が飛び出すのか?

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◆1人目の報告者は染織家の中畑朋子さん。艶やかな着物姿で、うす緑色の江戸小紋にエスニック柄の帯、イチイの木で自ら染めたというオレンジ色の帯揚げが映える。飛騨高山に暮らす中畑さんは、染織の仕事にもっとエネルギーを注ぐため、長年勤めた特別支援学校の常勤講師を今年3月に辞めたばかり。日本大学探検部出身の中畑さんが初めて長期の国外旅に出たのは、大学卒業後の1987年。「最初に訪れた天安門広場では自由な雰囲気が印象的でした」。チベットのラサで人々が歌ったり巡礼したりする光景を目にした後、ネパールへ渡り、さらにヨーロッパへ。三つ編み姿で子供のようにも見えた中畑さんは、「ネパールではシェルパに間違えられ、ヨーロッパへ行くとペルーの子だと思われて隠し撮りされたりもしました」。

◆その2年後、天安門事件が起きた。それと対照的に、ドイツではベルリンの壁が壊された。「こんなふうに国が変わり、世の中が変わるのだなと実感した初めての出来事。それまでの自分は何となく生きていましたが、人生について深く考えるようになりました」。何か自分の専門分野を持ちたいと思い、東京でテキスタイル専門学校の夜間クラスに2年通って染織を学んだ。卒業制作は草木染めの絣(かすり)。見た人からアジアの雰囲気がすると言われ、「旅の影響が出ているのかなと思うとすごく嬉しかった」。布のことを学んで以降に出かけた旅では、「自分の立ち位置が定まって旅の楽しさが増し、民族衣装や織りの光景の写真を撮ることが増えました」。

◆その頃朝日新聞に掲載された広告に、中畑さんが執筆した旅に関する文章が使われた。それが縁で、世界的なテキスタイルデザイナーの新井淳一さんから群馬県桐生市の工房に招かれ、約1年勉強する機会を得た。その後もっと染織を深めたくなり、故郷の高山へ戻ることを決断。地元で生活しながら、ラオスのビエンチャンにある染織工房を訪れるスタディツアーのスタッフに5年間選ばれ続けたり、JICAの短期専門家としてネパールへ8か月間派遣されたりと、布を通じて国内外を行き来するようになった。

◆ネパール産の物品を売るフェアトレード会社からの依頼により、現地で新しい布地を作るプロジェクトにも参加。誕生した布で作られた服は現在も売られているという。そんな中畑さんが近年関心を持っているのが「裂き織り」。古い布を5ミリくらいに裂いて緯糸に使う手法で、貧しい暮らしの中で最後まで布を利用するために生まれた知恵だ。「新しいものを生み出すよりも、古いものを利用しながら新しいものになっていくのが面白い」。

◆1995年の阪神大震災やサリン事件、2011年の東北大震災を経て、「いつどうなるかわからないのだから自分が向きたい方向を向いていたい」と、地元高山で市民活動にも積極的に関わっている。作品を三越デパートに出品したり、今年2月には飛騨の仲間と京橋でグループ展も行った。報告会会場には中畑さんの作品が飾られ、震災の年に虹をイメージして織った「オーバーザレインボー」や夜明けをイメージした「サンライズ」、また裂き織りの新作など、大判の布が色鮮やかだった。

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◆2人目の報告者は、「今日は緊張すると思い、ドーピング(ビール)を飲みすぎたかも……」と、ほろ酔い気味の野宿愛好家かとうちあきさん。「私、幼稚園を3か月で辞めてしまったんです。けれど小学校はどうやら辞められないらしくて」。それまでは呑気に好きなように生きてきたのに、幼稚園や学校に入ると集団で皆一緒のことをさせられる。そして先生が権力を持っている。クラスの中で何も言えなくなってしまったかとうさんは、戦争ものの童話を読むのが好きだった。「自分は疎開したらやっていけないだろうし、赤紙が来たら戦争からは逃げられない。やばいぞ!と思った」。ちょうどその時期、天皇が崩御された。日本中が自粛ムードに包まれる様子に衝撃を受けた8歳のかとうさんは、「ものが言えるような人になりたい」と思った。その体験が自身の原点になったという。

◆「父親は熱血サラリーマン、母親は専業主婦でうっ屈している。私はなるべく働かず結婚もせず、1人で楽しく生きていきたいものだと、うつうつしていました」。高校生になると、ちょうど世間に女子高生ブームが到来。しかしかとうさんは制服も着たくなかった。「自分たちで価値を見出していないのに。おっさんが、お前ら価値があるって言ってるようなものなのに」と反発を覚え、対極にある(と感じた)野宿旅を高校1年生の夏に決行。

◆映画「イージーライダー」や「スタンドバイミー」に憧れ、道路の側溝で野宿しながら、横浜から熱海までをクラスメイトの女の子と2人旅。その後は1人でも野宿するようになり、「暇なので色々な人に話しかけることになるし、野宿場所もなんとか見つける。野宿旅の面白さに目覚めた」。それから入学した法政大学は野宿同好会まであって、わりと誰も彼もが野宿していた。ところが卒業したとたん皆が野宿をしなくなり、「学生のうちだから」「いい経験になるから」と聞くたびに疑問を感じた。

◆卒業後、かとうさんはミニコミ誌「野宿野郎」を創刊。5号目でインタビューした坪井伸吾さんから地平線会議の存在を聞き、初参加したのが2006年の報告会。「報告者の賀曽利隆さんがハイテンションでニコニコしゃべっていて、聞いている人もおじさんがたくさん。えらいところに来てしまった」と思ったが、二次会で面白い人たちと出会える場だとわかった。「戦前を生きて旅を続けてこられた金井重さん、野宿仲間の熊沢正子さんなど、旅する女性たちと出会えたのも嬉しかった」。そして好きなことをやっていけばいい。いけると思えるようになったが、なぜか遠出の旅をだんだんしなくなった。

◆地平線会議では冒険家の安東浩正さんたちと「野宿党」を結成し、三次会野宿が恒例に。「皆で野宿するのは楽しいし、やると見えてくるものがある」。たとえば野宿会場の鶴巻南公園では毎朝4時半に掃除の人が来て、6時にラジオ体操が行われるが、それは野宿しているからわかったこと。「とにかく路上が好き。路上に出ると面白いことが起きる」。というわけで最近は新橋駅前で「24時間野宿」をしたり、近所の商店街公認で「チャリティー野宿」を始めていたり(8年も前から!)、「新元号を勝手に決めちゃおう野宿」もしたりしている(野宿野郎的新元号は「底迷」に決定!)。

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◆3人目は生きる旅人、ライダーでライターの滝野沢優子さん。「中畑さんが着物を着ると聞いたので対抗しようと思って」、信州大学農学部園芸農学科と書かれた黒色の半纏を着て登場。これまで訪れた国は119か国、バイクで走った総距離は26万km。「バイク旅が素晴らしいのは好きな時に好きなところへ自由に行けるところ。旅行者と客引きが群れるバスターミナルに立ち寄る必要がなく、田舎町を通ることになるので素朴な普通の人たちと知り合えるのが魅力」だと熱弁。

◆現在は福島県在住の滝野沢さんだが、生まれ育ったのは東京の下町。「信州大学に入ったのは、旅先として魅力的だったから。旅する感覚で大学を選んだ」。大学時代は125ccでオフロードを駆けまくり、当時まだ珍しい女性ライダーの走りだった。卒業後は21日連続休暇という触れ込みに惹かれて就職するも、実際は思うように休みがとれず退社。一大決心し、ワーキングホリデーでオーストラリア1周旅へ出たのが1987年のこと。現地ではバイトしたお金で中古バイクを購入し、最後の4か月間をツーリングに費やした。そうして得た情報を日本のガイド本に書いたところ、2年後にオーストラリアツーリングが大ブームに。当時はバブル全盛期で、仕事を辞めて旅に出ても再就職しやすかった。

◆帰国後は親から「どこでもいいから会社に入って」と懇願されたが、滝野沢さんはライター業をしながら旅を続ける生き方を選んだ。「平成になった日の夜、次の時代はもっと旅しよう! と心に決めながら都内をバイクで走ったことが忘れられません」。その年に起きた東欧革命にショックを受けた滝野沢さんは、今のうちに社会主義国を見ておきたいと東欧を巡る旅に出る。まず先進国ドイツでバイクを購入し、東ドイツ(当時は統合前)、チェコスロバキア(当時はひとつの国)、ルーマニア、ユーゴスラビア(分裂前)などを周ると、一時帰国を挟んでサハラへ移動。「東欧でもアラブ世界でも女1人旅は珍しがられ、旅先ではいつも現地の人から親切にしてもらえました」。旅の終着点コートジボワールでバイクを売って帰国した。

◆ロサンゼルスからブラジルまでのバイク旅では4万6000kmを走破。帰国後35歳になっていた滝野沢さんは、南米旅行中に知り合った今の旦那様と結婚。結婚後は2人(ときどき1人)でツーリング旅を続けている。2001年からは夫婦一緒に4年かけ、シベリアルートでユーラシアを横断して中央アフリカへ。ほぼ陸路で移動しインドで旅を終え、帰国した2005年に福島県中通りへ移住した。そして2011年の大震災が。「自宅は大規模半壊でした。放射能汚染も少なくなく最初は逃げようかとも思ったのですが、ここに留まろうと決めました」。

◆原発事故後、動物が大好きな滝野沢さんが始めたのがペットレスキュー活動。「福島に住んでいて、動物たちのために私が動かなかったら後悔しちゃうんじゃないかと思って。活動を通じて福島がどう変わっていくのかを見届けようという気持ちです」。余談だが、奈良で仏師をしている私の友人は、偶然にも滝野沢さんに救われた犬を引きとって可愛がっている1人。ペットレスキュー活動のおかげで元気を取り戻した犬たちは、彼のような全国各地の新しい飼い主のもとできっと大事にされているのだろう。

◆大震災をきっかけに滝野沢さん夫婦は、「終わりを意識するようになった」。今好きなことをやらなくちゃと、旦那様は仕事を辞めてまた旅へ出た。「“いつか旅をしてみたい”と言う人がいます。でも人はいつ死ぬかわからないし、そのいつかは来ないかもしれない」と滝野沢さん。自身は思いきり旅して生きてきたので、親の介護がスタートした時も辛さを感じなかったという。「だからもし皆さんが家族から旅に出たいと言われたら、反対しないで行かせてあげてください」と締めくくった。報告会会場には、滝野沢さんが撮りためた世界各国の街中に暮らす犬の写真が30枚も貼られ、犬たちの表情が凛々しかったりのびのびしていたりして、つい見入ってしまうのだった。

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■後半は報告者3人の鼎談。「平成はコミュニケーションツールが大きく変わった時代。電子メールが日本で可能になったのは1985年、日本で最初のホームページが発信されたのは1992年、Amazon設立が1994年、Google設立が1998年。その結果、旅のかたちは変わったのでしょうか?」と長野さんが問いかける。

◆「ベルリンの壁崩壊直後に東欧を旅した時は、情報なんて何もなかった」という滝野沢さんが最近旅先で感じるのは、「皆ネットで地元の友達とつながっているので、旅先で新しく友達を作らない。ブログやSNSをやるのに必死で今その場にいる人と話さないし、絵葉書を出さなくなったような気がします。安宿の評判も予約もネットで完結できる現代は、リアルな人と話す必要性が減り、もったいないと感じます」。

◆スマホを持たない中畑さんは一昨年にタイのチェンマイを旅し、現地で地図が入手しにくかったことに驚いた。「ある本屋でやっと見つけた地図は埃をかぶっていて。現代の旅人はスマホで地図を見ますが、私は大きな地図を広げて自分のいる位置を確かめるのが好きなんです」。さらに「衣食住のことだけ考えていれば良いのが旅の面白さでもある。だけど食も住もすぐにネットで調べられる今は、失敗しないというつまらなさはあるかなと思います」と中畑さん。

◆続けてかとうさんは、「私が遠出の旅行をしなくなったのは、そういうこともあるのかもしれません」。高校生の時の日本縦断旅では重いものを持って歩くのがきついので、持参した日本地図を使い終わったページから破って捨てていた。「でも今はGoogleマップさえあればいい。それはすごいことで。Wikipediaで調べれば無人駅かどうかなどの駅舎情報もだいたいわかる」。でもそこで予定調和にならないのが野宿の良さだといい、「野宿は外でするものだから、やっていると警察が来たり酔っ払いが乱入してきたり、イレギュラーなことが常に起こる。それが面白くなって、旅行ではなく野宿が特化してきたのが今の私だと思う。むしろ野宿が面白い!」。

◆「情報のアウトプットについてはどうですか?」と長野さんに尋ねられた滝野沢さんは、「ネットのおかげで、私は旅先で原稿を書いて仕事が成り立ちます。アフリカ旅の最中も1か月で10万円ほど稼いでいたので、4年も旅を続けられました」。中畑さんは今回の報告会の告知をFacebookに載せたところ、友人たちから「昔の旅は面白かったよね」というコメントが寄せられたといい、「30年前の旅の不便さを懐かしがる人が多いんだなあと知りました」。

◆今と昔を比べることがこの報告会のテーマではないが、情報が手に入りにくかった時代は、他の人が知らないことを足を使って先に知り得たというのも確かに事実。20年前から『ツーリングマップル関西版』の地図作成を担当してきた滝野沢さんによれば、「昔は旅先で暇だったし情報がなかったから、とにかく人に話しかけた。でも今は怪しがられたりします(笑)。デジタルなナビが存在しなかった頃は紙の地図を見て自分で探し歩くしかないし、道中で予想外の出来事もたくさん起きた。そうして旅がふくらんでいく面白さがありました」。

◆「ネットというフィールドで、偶発性のような旅っぽいことができれば面白いのではないかなあ」と、かとうさんは話す。野宿イベントをSNSで告知すると知らない人も集まってきたり、「何かください、何かあげます」とTwitterで発信するとブツブツ交換が成り立つ。「ご近所でやっていた貸し借りが今はネットでできる。そういうことをやっていかないとネットは面白くないんじゃないかな。それにプラスして、本当にその場所に行くという行動をバランスよくやっていくのがいいのではないでしょうか」。

◆会場で話を聞いていた江本嘉伸さんからは、「世界中にデジタルなナビが張り巡らされていて、チョモランマから連絡が来たりもする。結論はわかりませんが、紙媒体の世界で生きてきた我々は今どエライところにいるのですね」と感想をのべた。誰かが作ってくれた便利なナビをどう利用するのか、しないのか? 旅の本質が問われる時代なのだろう。

◆とはいえ、時代が変わっても紙媒体は生き残るはず。鼎談の最後、平成時代に影響を受けた本を1人ずつ紹介することに。中畑さんがまず挙げたのは、戦後28年間グアムに潜んで生きのびていた横井庄一さんの本。「横井さんは木の繊維をとって手作りの織り機で布を織っていた。戦争終結を知らされ日本に帰国した時には、自分で織った服を着ていたんです」。さらに今年閉館した浅草のBOROアミューズミュージアム名誉館長・田中忠三郎さんの『物には心がある』や、民族文化映像研究所名誉所長・姫田忠義さんの『ほんとうの自分を求めて』からも感化されたという。

◆滝野沢さんにとっては、バイクに乗り始めた頃に憧れていた伝説の女性ライダー、堀ひろこさんの本たちが宝物。当時、堀さんの本を持ってご本人の店に行き、ドキドキしながらサインをもらったのだとか。かとうさんが選んだのは、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』。「自分が体験できない感覚を持っている人たちがいて、生まれ持ってそこに生きていない限り、旅をしてもわからないことがあるのだということを教えてくれた本」。上野千鶴子さんにも影響を受けたそうで、「とくに『女嫌い ニッポンのミソジニー』はぜひ男性にも読んでほしいです」。

◆通常の2時間半コースでもっと聞いていたいと思わせられた3人それぞれのお話だった。そして報告会の5日後、時代は令和に突入。平成の始まり方とは対照的で、お祝いムードいっぱいの幕開けに。さて新時代、令和の旅はどうなるのだろう? それはもちろん、やってみないとわからない!(大西夏奈子


報告者のひとこと

もっと自由になっていいはず?!

■この30年(長い!)を振り返るという御題。旅の話をしながら、まるで自分の人生を披露するみたい? ちょっと恥ずかしい。設けられた時間はひとり30分。短くて、緊張する余裕もありません。叔母の形見のお気に入りのキモノを着て、非日常感をもって、ちょっと高揚して愉しく話せました。

◆旅の始まりは、日大探検部入部に遡ります。入部理由は「ひとりで旅ができる人になりたかった」(by18歳の私)。報告会の後、共感のメールをくださった方もいらっしゃいましたが、聴きに来ていた友人の言葉にはハッとしました。「当たり前のことなのに、なにを言ってるんだろうと思ったよ」。そういえば、大阪や京都へは中学生の頃からひとりで行っていた。海外ひとり旅だって、力まなくてもできたかな……。

◆経験の少ない若い女子には難しいことと思い込まされていたように思えてくる。これって、正に女子が旅をしづらかったあの頃の、報告会200回記念の大集会でもテーマになった「女の行動学」の話再びという感じ? 敵は外じゃなく、私の中にいた! 今更な話ですけどね……。でも、もしかしたら今も、「無理〜」と思い込んでいる何かがあるかも。この春、「やりたいことに時間を使おう!」と、働き方を変えたところなので、ちょいと確認が必要ですね。もっと自由になっていいはず!

◆「中畑朋子」を継続しているうちに、上書きしたのか別ファイルにしていたのか、すっかり忘れていた何年間かがありました。報告会のために古い写真を掘り起こして、30年間をしみじみ懐かしんだり少し悔やんだり。思い出せてよかった。当時、ただ旅をしたかったのだけれど、人の暮らしや文化に興味があったのだと写真を見て実感。過去を振り返ることが未来を考えるきっかけになる。私の中の旅とモノづくりは並行して必要なのだと思いました。横井庄一氏、田中忠三郎氏、姫田忠義氏から影響を受けたことにも表れていますよね。

◆染織の専門学校を卒業した後の旅は、学ぶこと知ることが重要でした。今、あと何回旅に出られるかな、なんていう年齢になって、布は大好きだけれど、それだけを旅の目的にしなくてもいいなぁって思っています。根が真面目なので、有言実行しなくちゃと(ねばならぬ的に)、行動を考えてしまいがち。思いつきや直感を大切に、ちょっといい加減にね。準備不足や話の展開等、反省は諸々ありましたが、あららっと気づく、いいきっかけをいただきました。今年は転換期になりそうです。さて、これからの30年? 自分でも楽しみです。(飛騨高山在住 中畑朋子

旅する年上の女性たちの存在を知った地平線

■報告会では酔っ払いで、申し訳ありませんでした。全然喋れないし、後半は関係ないこと喋っちゃうし。って、お酒のせいではなくて、全部おのれが悪いです。ちょっとだけと思っていたら、中畑さんのお話を間近に聴いていて、最初どきどきしたり、力のこもったところにぐっときたり、自分が報告者って忘れる瞬間があったりで呑みすぎちゃって、気づいたらすごく酔っぱらっていて自分でもびっくりした、というのが正直なところです。お酒を必要としたのは、緊張しいなので、少し勢いを借りたかったからです。本当にすみませんでした。自分は卑近なことばかりに興味があって、なんなんだろう、とか、考えています。20代までは旅の中でする野宿、一夜の宿を探していく行為が面白いと思っていたのだけれど、30代になって「公共」ってことを考える上でも(というか、考えざるをえなくなる感じで)、日本で野宿するのは面白い行為だなって思うようになりました。ゲリラ的に場が立ち現れる感じとか、あちこちで野宿するのは面白いなーって思っています。一方で、いつもある場のようなものも欲しいと「お店のようなもの」というスペースを始めたりしました。路上で寝たり物を売ったりするとすぐ警察が来るけど、建物の中に入ってしまうと意外と無法地帯ですごいとか、いらないけどまだ使えるものを意外と多くの人は贈与したいんだとか、気づいたことがあります。「地平線会議」はすごい能力のある人たちの集まりで、なんなんだろう、とずっと眩しく眺めているのですが、わたしが喋っていた時は「報告会のようなもの」になっていたと思う。それについては非常に反省しているのですが、普段は「のようなもの」って概念が好きなので、能力がないのはどうしようもないし、低クオリティでも気にせず、好きなことや面白いと思うこと、生きやすくなるようなことをやっていきたいです。中畑さん、滝野沢さんの、真摯でアクティブなお話を聞けたのが、嬉しかったです。地平線で、旅する年上の女性たちの存在を知れたことは、わたしにとってとても大きいことでした。あと、4年くらい前に悩みが多かった時、長野淳子さんとお話ししていて、「とはいえ20代より30代のほうが楽しいです」と言ったら、「40代、50代ってもっと楽しくなってくるよ」って、淳子さんは実感として言ってくださった。その言葉も、いまのわたしを明るく照らしてくれています。(加藤千晶

ぞんぶんに旅ができたので母の介護も前向きに

■こんにちは。先月の報告会、3者3様でどういう感じになるんだろう、と報告者の一人である私も心配でしたが、いつもと趣が違ってそれなりに楽しんでいただけたかな、と思っています。ただ、それぞれ30分ずつの自己紹介では足りなかったですね。もっと深く知りたい点も多く、もったいなかったと思います。同じ報告者の中畑さんやかとうちあきちゃんのこと、何度も顔を合わせていて何をしている人かは知っていたものの、今回初めて具体的な行動歴や考え方を教えてもらい、改めて人となりを知った次第です。

◆私自身に関しても、報告会の前々日に別件で坪井伸吾さんと話したとき、「最近、地平線会議に出入りしている人は入れ替わりもあるし、その多くは滝野沢優子のこと、まして海外をバイクで旅したことを知らないかも」って言われました。たしかに、ここ最近はあまり報告会にも顔を出していないし、福島のことばかり話したり通信にも書いたりしているから、旅人と思われていないかも。私としては、平成時代は旅に明け暮れていたので、やはり私の旅のことを知ってもらいたいと、急きょ、プロフィール&旅歴に加え、福島のペットレスキュー関連のことを書いた記事のコピーを配布させていただきました。

◆中畑さん、ちあきちゃんに関しても、簡単な資料を皆さんにお渡ししておいたほうがよかったのではないか、と思います。また、私は「好きな旅を思う存分やってきたからこそ今までの人生に後悔はないし、母の介護も前向きにできた。だから、旅に限らずやりたいことは後回しにせず、やれるときにやるべきだ」、というようなことを伝えたかったのに、なんだかうまくまとめられなかったのが残念です。

◆後半の対談(?)は司会の長野さん、助っ人の江本さん、丸山さんのアイデアでなんとかなった(?)ようで、ありがとうございました。それにしても、私を含め、地平線会議に関係している女子メンバー、それぞれに個性的で興味深い面々ですね。

★追記 勝手に私が近年撮影した、アジアのワンコの写真を展示しましたが、楽しんでいただけたでしょうか? 実をいうと、私が江本さんにそそのかされて作った「地平線犬倶楽部」なる幻のグループもありまして、ひそかにブログもやっていました(ずいぶん更新はしてませんが「地平線犬倶楽部」で検索すると見られますので、よろしくお願いします)。(滝野沢優子 福島県天栄村)


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