2020年1月の地平線報告会レポート


●地平線通信490より
先月の報告会から

ナツとブンショーの長い長いお散歩

服部文祥

2020年1月24日 新宿区スポーツセンター

■仕事帰り本屋さんで立ち読みした『岳人』に和田城志さん(サンナビキ同人・大阪市大山岳部OB)へのインタビューが載っていた。その翌年だったか今度は積雪期黒部横断の和田さんの記録を発見。同行メンバーに件のインタビューを行った『岳人』編集部の若手の名前を見つけた。この渋好みの和田さんに見込まれた若者に俄然興味を持った。その人こそ服部文祥さんなのだった。

◆それから二十数年後の「地平線会議40年祭」でのこと。遅れて会場入りした服部さんを見つけて(失礼ながら)ギョッとした。服部さんが半分野生動物になってしまったと感じた。眼光鋭く髭もじゃで強烈だった。サバイバル登山の話も何度か聞いていて、うっすらぼんやり理解した気でいたことを恥じた。

◆今回の縦断の旅は、人生のターニングポイントで敢行しないではいられないものだった。そのことが痛いほど伝わってきた。服部さんの身体表現の場は山、メシの種も山。そんな人が、膝が痛いと包み隠さず言う。こちらは営業に関わるだろうにとハラハラする。一種の職業病だ。つらいねえと思う。凡人が心配しても余計なお世話だろうか。

◆報告会はイントロダクションから始まった。サバイバル登山とは、フリークライミングの思想を根底に据えている。純粋に美しく登るためにギアや他人の力には頼らない。あるいは残置(岩場に残された、先人の打ったハーケン)は見ないことにする。何かをなし得ようとするとき、ここに行きつくのだとか。置かれた環境の中でやる。そのことを山で実践するとサバイバル登山になるのか?

◆自分だけの力でやることは面白いしプラスのベクトルが出る。K2登頂後、趣向を変えて挑んできた冬の劔、黒部。あと1、2本残している魅惑的ルートに食指が沸かないではないが、記録が増えたとて納得する価値とリスクを天秤にかけるとどうしても怖くて、今更行けないのだ。服部さんの口からこんなことを聞くと寂しくなるが、本音だなと思う。

◆サバイバル登山はといえば、こちらも2、3周目に入っている。ルートを変えても、「あ、ここも知ってる」との感覚が拭えない。2週間もあれば日本の山は、計画したエリアを踏破出来てしまう。ぐるぐると回るのは非効率で美しいラインが引けない。危険も増幅する。コンタクトラインを行くことが服部さんの美学のようだ。

◆何度か話は聞いているのに、ああそうかと思うのが陸上競技の話。36歳で本格的にトレーニングをスタート。42歳で全日本マスターズに出場、800mで堂々の優勝。46歳で1500mに出場、こちらは横浜市の記録で自己ベスト(ちなみに4分26秒)。このことで、僕はボチボチ速い、そこそこまだできる、体力があると自信を持った。短距離も持久力もアウトスタンディング。ああうらやましい。一人で三役をこなす(自身がマシンドライバー・レース監督・食事の自己管理も必要)。全部ドンピシャリとはまった時が面白い。陸上にのめり込み過ぎたきらいはあったかなとのこと。

◆ここで画面は奥利根の「シッケイガマワシ」に。登山体系を引っ張りだして調べたがわからなかった。奥利根1、2を争う難所らしい。関西で山をやってきた私にはチンプンカンプンの名前。2018年に行った南会津と奥利根をつないだサバイバル登山の話にここから移行する。二つの山域をひとつのエリアに見立てての13日間。途中で国道をまたいだのだが、そのことには目を瞑ればよい。周りを見ない、町に下りない、町に出ない。こうすればでかい山域が生まれる。充実した楽しい旅だったようだ。この山域にご縁のない私だが、とても心惹かれた。

◆その後沿海州への旅で出会ったミーシャの話に。報告会に行けなかったので詳細を私は知らないが、詳しくは第5回梅棹忠夫山と探検文学賞を受賞した『ツンドラ・サバイバル』(みすず書房)を。画面が切り替わり伝説のデルス・ウザーラの写真が登場。シホテ・アリニ山脈が舞台だ。星野道夫さんが撮影行にいつも携えていたのが東洋文庫の「デルス・ウザーラ」。何かいいですねえ。アルセーニエフが報酬の支払いを申し出ると、金は要らないができれば鉄砲の玉を呉れと言ったとか。服部さんが食料はとミーシャに尋ねると、鉄砲と玉を指さしたとか。こういうシーンに痺れるらしい。

◆ところ変わってインドへトラウトを釣りに行った話。デリーの空港に降り立ったが、空港での両替が法外に高いのに気が付く。今回は3人旅なのに、まいいかで1万円分だけルピーに交換。バスで目指すエリアへ向かう。結果として片田舎には「チェンマネ」屋は一件もなく、帰国するまで1万円で生き延びるはめになった。お米だけは日本から持ち込んだのでそれで食い延ばし。あとは釣果頼み。安宿にも当然泊まれないから、うんちまみれの河原でのテント暮らし。チャイハネでのミルクティーぐらいは何とかなったのだろうか。どうもこの旅は中々に楽しかったらしい。お金のない旅の醍醐味はこの時覚えたようだ。

◆ようやく話は今回の宗谷岬から襟裳岬までの旅の話へ。50歳を前にしていろいろ思うことが増えた。狩猟を始めてからは、死にゆく獲物と自分の生命力とを対比せざるを得なかった。気がついたら膝が痛い初老のオジサンになっていた現実(ご本人の言葉を真に受けてはいけない。私の十倍以上の傑出した身体能力を保持しているに違いない。あくまでも服部さんのつぶやきだ)。40代になってから登りたい山がどんどん減っていた。クライミング能力が伸びない。ゆえに新しいチャレンジができなくなって新鮮な喜びを得られなくなった。

◆登り続けてきた人からの率直な心情の吐露だと思う。若くはないという現実を受け入れる瞬間はだれに取っても残酷な事だ。そろそろ引退の文字が浮かぶなかで、服部さんは集大成の旅を思いついた。角幡唯介さんの『極夜行』の大佛次郎賞受賞が羨ましかったし、彼の行動には覚悟があることも認める。サラリーマンであるかないかの問題はあるにせよ、集大成への意識が足りなかった。敗北宣言などする前に、ここ一丁後悔しないためにもなりふり構わず今旅に出よう。これが今回の北海道旅なのだ。

◆最初は海外も視野にいろいろ検討した。でっかい旅の構想となれば、必然的に海外が頭に浮かぶ。しかし現実は様々な銃規制(当然国によって様々だ)やら、狩猟行為そのものも厄介なことになりそうだ。その他諸々集大成の旅が始まる前に疲弊しそうだ。そんなこんなで自分は今何をしたいのかを今一度自身に問い直して、ようやく犬とのできるだけ分水嶺に沿ってどこまでも行く“一人と一匹旅”が決まった。ダメだったら引退だとの覚悟も胸に秘めて。

◆ここからは会社に3か月の休暇(休職)を申請、無事受理された。休職中の家族の生活費、税金の支払い、食料のデポのための事前北海道入り。飛行機代で、総額100万円とは溜息が出る。こういう数字を包み隠さず教えてくれる服部さんはお育ちの良い好男子だなあと感じた。レンタカーを借りて3か所の予定ルートの小屋に食料をデポ。ヒグマ対策のために必須のこと。本来生米と調味料だけがサバイバル登山ではデポの対象だが、今回は長旅、疲弊しないよう一計を案じて、目先を変えて羊羹などの贅沢品も忍ばせた。

◆山小屋ではちょっぴり長逗留の予定だ。デポを守りたいがためにタッパーの蓋に「ノーマネー/オンリーフード/モンベル 服部文祥」と書いた貼り紙を。僕お汁粉が好きなので、小豆も用意すればよかったなあと言う。ああそれは残念。やたらポリンキーとジャンクフードの名前が出てくる。何だか憎めない。そうやって10月1日愛犬ナツと横浜を後にした。北海道は10月1日が狩猟解禁日。そういうことだったのか(ちなみに本州は11月15日から)。

◆今回のサバイバル登山に加味された約束事は一銭のお金も持たないで旅を完遂させること。自宅から約17km先に羽田空港はある。5時に自宅を出発、11時の飛行機に乗り無事稚内到着。午後1時には早くも旅をスタートさせた。そういえばナツの搭乗はどうしたのと江本さんから質問。現金は禁止なので、ANAの商品券を事前に購入。飛行機代プラスわんこは6000円とのこと。ナツは北海道へは何回か行っているし、飛行機も慣れたもの。心配ご無用らしい。

◆そうして順調にすべり出した集大成の旅だったが、どっこい規制にがんじがらめのいやはやな旅となってしまった。でも終わってみれば今まで培ってきた登山のあらゆる技術・能力を動員しての充実したでっかい旅(完全踏破)だった。松浦武四郎にシンパシーを感じたり(奴なんて呼んでいた)、カボチャをまるまる一個拾ったり(あれは夢のように美味しい栗かぼちゃだ)、排泄困難となったお尻の治療に鹿の油を溶かして、ポイズンリムーバーで逆噴射。ナツの行方不明に殊の外狼狽する服部さん。こういう話は自然と頭に残る。

◆集大成、最後の旅を私たちに匂わせていたが、やっぱりね、次の旅のイメージを語ってくれた服部さんであった。何か歯切れが悪いレポートねえとか、消化不良を感じられたあなた、ここから先は大人の事情があるのです。今後服部さんが『岳人』誌上に連載される記事にどうぞ目をとおして下さい。最後に言いにくいことを。今後の狩猟旅、殺しはせめて現在の半分にできませんか。正直画面を直視するのはきつかったです。

◆昨年の服部小雪さんの報告会(第483回)。文祥さんは所用で来られないと聞いていた。私はいや絶対来ると思っていた。思ったとおり、汗まみれで会場に駆け込んできた。と次の瞬間速攻でお財布をザックから取りだしゾモトートバックをお買い上げ。こういうことはカンパですからねとか言いながら。部屋に入ってくるまでの一瞬の間に会場を俯瞰していたのだろうか。妙にこのことに感じ入ってしまった。

◆小雪さんが本を出版されたこと、地平線で報告者となったことを素直に嬉しく思っていることが伝わってきた。お子さんたちも成長されて、僕たち夫婦も新たなステージを踏み出しましたというような感慨を語っていたように記憶している。小雪さんのご両親もお揃いでいらしてて、なにか良い時間が流れた報告会だった。服部さんは、心意気のある良い具合に仕上がった本物の山男だ。私はそう確信した。(中嶋敦子


報告者のひとこと

「ニッポン原人」になることを夢見ている

 2月某日早朝、昨夏、手に入れた山村の古民家から猟銃を肩に散歩に出る。裏の植林を登って、かつて集落だった石垣のある斜面をぐるりとまわると、ナツが新しい臭いをとって、地を這うように綱を引きはじめた。ところどころ残る雪の上にはイノシシと鹿の群れの新しいアシがついている。

 ナツに引かれるままに1キロほど歩いたが、ケモノの気配はない。どうやら山奥に帰ってしまったようだ。遠出の用意はしていないので、奥に見える草原を確認したら戻ろうと思った、そのときに鹿が鳴いた。顔を上げると奥の草原を群れが駆け上がっていく。

 立ち止まった鹿に照準を合わせて引き金を引く。150メートルはあったが、斜面を転げ落ちて来た。ナツを放す。落ちてきた鹿をナツが噛んでいる。少し前は、吠えることで獲物の倒れている場所を教えてくれたが、北海道の旅で変な自信を付けてしまったのか、最近は黙ってただ鹿を噛むようになってしまった。

 我が家では大晦日に家族が集まって、それぞれ、その年の個人的三大ニュースを発表し、そのあと、翌年の目標を述べる。2018年の大晦日に私は、2019年は北海道に長期徒歩旅行に行って、人生の第二章をはじめる(準備をする)と家族の前で宣言していた(ことがノートに残っている)。北海道の旅はかなり前から温めていたものである。

 実際、19年の3月には、地形図を買い集めながら、3ヶ月の休暇をとる活動を開始し、6月には休暇が確定した。旅の開始は北海道で狩猟が解禁される10月1日と決めていた。関東近郊の山村に古民家付きの3000坪を(ただ同然で)所有することになったのは、北海道の旅がいよいよ具体的になり出した8月のことである。

 山村の古民家は、目標のふたつ目である「人生の第二章」の現実的なイメージにとても近いものだった。ここ数年、何かを消費するためにお金を稼ぎ、またそのお金を稼ぐために何かを消費するという生活にばっさりと区切りを付けたいと思い続けてきた。効率よく働くために都市で生活して、ライフライン(エネルギー・上水・下水)と食料にお金を使い、またそのために働くという悪循環。食とライフラインを間接的に手に入れる「お金」を獲得する仕事ではなく、生活そのものを直接手に入れる仕事をすれば、消費の循環から抜け出せる。山村の生活には反消費生活のほとんどが揃っているように見えた。

 8月、北海道旅行のためのデポ行が迫る中、手に入れた廃屋同然の古民家で数日間の田舎暮らしをした。大掃除し、ゴミを捨て、水を引き、抜けている床と破れている障子と崩れている屋根と雨樋を補修する。夜明けとともに起き、湧水と薪で煮炊きして、裏の山で排便し、いつ終わるともしれない棲家の修繕を続け、また湧水と薪で煮炊きして、日暮れとともに眠るという生活である。古い家は木と土と紙でできているので、障子紙や水道パイプ以外の補修材は裏の山や庭、もしくは周辺の廃屋から調達できた。

 モノをほとんど買わない濃厚な時間がそこにはあった。「北海道で長旅などしている場合ではない。人生の第二章をとっととはじめるべきだ」と私は思った。

 だが、休暇をとってしまっていた。休暇内容を、山村生活の準備に変更しようかと本気で検討した。ただ、北海道の長旅もずっと考えていたことであり、今やらなかったらもう死ぬまでやらないだろうこともわかっていた。

 今しかできないと考えたのは、加齢により体力と気力が徐々に低下しているためである。そのことを私が強調するので、江本サンと亮之介さんから、年齢と体力のことはあまり言うなと薦められた。もちろん、お二人とも私より年上であり、若い頃に比べて自分のできることが私以上に割引になっていることを実感していて、わかりきった現実を耳に入れたくなかったのだろう。

 結局、今後、山村で反消費生活をはじめるにしろ、北海道の無銭徒歩旅行はのちの人生に必要な「なにか」である予感が勝った。いい意味でも悪い意味でもたぶん今の私にしかできないと、自分に言い聞かせ、北海道に出発した。

 山旅も反消費生活だと私は思っている。山の中で経済活動に参加したらそれは登山ではない(営業小屋利用などもってのほか)。無銭旅行は経済活動に参加できない。経済活動に参加できなければ、文明社会は(見かけ上)消え去り、世界は荒野に変わる。それが私の予想だった。実際には言葉で意思疎通ができ、人情というものが存在し、日本国民は希望すれば日本国の保護も受けられる。本当の僻地で感じる孤立した切迫感は北海道にはなく、その意味では荒野とは言いがたかった。

 だがその状況が逆に自分が何を望んでいるのかを明確にしてくれた。イタチやネズミは廃屋に入り込んでぬくぬくしているのに、私が入り込んだら犯罪になる。鹿やキツネを撃ってよい場所と撃ってはいけない場所が(国によって)定められている。だが、命のやり取りは煮詰めていくと私とケモノとの純粋な問題であり、第三者にとやかく言われる筋合いのものではない。人はどうすればケモノのように自由になるのだろうか。

 ちょっと考えたら、答えはすぐに出た。人間だからダメなのである。司法国家の構成員だからいけないのだ。ならば日本国民をやめたい。戸籍を捨てて野生動物として生きてみたい。

 今の自分が、保健衛生や治安、義務教育など、国の保護をたっぷり享受して成り立っているのは承知している。反消費生活とは言いながら、飢えて苦しまない程度の蓄えがあるのも事実である。だがそれでも、人とヒトの狭間で北海道を長く旅し(それを地平線会議で発表して)、自分の想いが自分の中で明確になった。

 獲物からナツを引き離し、鹿を運ぶ。獲物は重い。だが、カバーをかけない猟銃を肩に家を出て、散歩がてら獲物を獲る。それは山村の生活で夢見ていた瞬間だった。重い鹿を引きながら私はたぶんニヤけていた。

 ナツは私の気も知らず、群れから離れて別の方向に逃げた鹿を追って、森の中に消えた。アイツは猟犬としてもう一段階、覚醒するのではないかという予感がある。だが、そのきっかけがどこに隠れているのかはわからない。鹿を家まで運んで内臓を出したら、今日は畑に影を落とす樹の枝を切る予定である。(服部文祥


超久しぶりの地平線会議、行ってよかった!

■江本さん、すっかりご無沙汰しております。服部文祥さんのお話が聞きたく、超久しぶりに地平線会議に参加しました。以前の報告会(サバイバル登山のとき)に参加し、初めて文祥さんを知りました。その後、本や日経新聞(夕刊)の連載も読んでいたこともあり、今回もまた楽しみにしておりました。

◆そう思っているのは私だけではなく、満席で大盛況でしたね。お金を持たずにナツ同伴の自給の旅。いやっ、「旅」ではなく「長〜いお散歩!?」その「お散歩」の行程やナツとのやりとりなど話に引き込まれました。おもしろかったです。そんな方の奥様や生活にも興味があって、奥様の小雪さんの報告会も行きたかったのですが、なかなか時間が取れずに行けませんでした。

◆でも、今回、念願の小雪さんにも直接お会いし、小雪さんの本『はっとりさんちの狩猟な毎日』を購入しました。ご家族の日常の生活や家族、動物、ご近所との関係などユニークで、イラストもかわいらしく、時にいろいろと考えさせられることもあり、文祥さんの巻末エッセイも面白く、とにかく最後まで楽しく読ませていただきました。

◆江本さんには、ご挨拶せずに帰ってしまい失礼しました。2月にまたエミに会いにオーストラリアへ行ってきます。山火事が気になるところですが、今は、豪雨により沈静化してきたようです。火事は、エミたちの住むエリアは被害はないとのこと。だとしても、山火事の被害は計り知れず、豪雨の影響も心配。そして、さらに世界的に深刻な新型コロナウィルスもあり。私自身、渡航を自粛するより、大好きなオーストラリアに行って少しでも「お金を落としてくる」ことのほうがいいかなと思い、行ってきます。では、またご連絡いたします。(藤木安子

服部さんは動物として清い!

■江本さん、こんにちは。北大探検部、五十嵐宥樹の後輩に当たる岩瀬龍之介です。先日の地平線会議ではご挨拶が遅れたことをお許しください。地平線会議のことは2年前から知っていましたが、なかなか都合が合わず、足を運べずにいました。今回初めて参加できましたが、報告者が僕が子供の頃から憧れの念を抱いていた服部文祥さんだと知り、勝手に運命的なものを感じました。少し緊張しながら会場に着くと、そこには想像と違い穏やかな目をした服部さんの姿がありました、その穏やかな目に反し彼の口からは、鹿の脂で浣腸をしたり、クマに対峙したときのことなどが語られ彼の生き抜く力強さをひしひしと感じました。

◆しかし、僕が彼に憧れる本当の理由は、己の感覚と力だけで自然と対峙することが、“動物”として清く、そして根源的に重要な行為であると感じるからです。ところがこの行為は、服部さんが「日本人やめたい」とおっしゃってたように、日本では環境破壊的で反社会的な行為であると捉えられがちです。いいえ、僕が農業を通じて多くのヴィーガンやベジタリアンと出会ったことからも、世界的にそう捉えられているように感じます。服部さんの行為をみんなが実践するのは難しいかもしれませんが、服部さんが発信し続けることで、その行為の重要性が社会的に受け入れられる日が来ることを密かに願っています。

◆しかし実際には、日頃から自然と対峙し狩猟を行う先住民の多くが何らかの自然崇拝を有しているように、この行為が自然、さらには命に対する感謝の念を生むのではないかと思えてなりません。そして、これは人間が地球で生きる限り、いつの社会にとっても大事な概念であることは言うまでもありません。その意味において服部さんの行為は“動物”として清く、そして根源的に重要な行為だと思います。服部さんの行為をみんなが実践するのは難しいかもしれませんが、服部さんが発信し続けることで、その行為の重要性が社会的に受け入れられる日が来ることを密かに願っています。

◆さて、五十嵐からも紹介があったかと思いますが、せっかくの機会ですので僭越ながら改めて自己紹介させてください。自然への憧れから2年前に北海道に移ると同時に念願だった探検部に入部しました(五十嵐とはそれ以来のつきあいです)。部に限らず大学で様々な人と出会ったことで、自分の知っている世界を広げたいと強く感じるようになり、2年生になると同時に大学を休学し、例えば次のようなことに取り組みました。

◆フランス、ブルガリア、アラスカ、日本で農業ボランティアとして働き、自転車でスペイン横断、日本縦断、台湾一周などを行いました。特にブルガリアでは、ロマの人々が暮らす村で伝統的に行われるバラの収穫を手伝うなど他の人があまり経験したことがないようなこともやりました。この休学期間の経験は、自分の世界を広げるという当初の目的はもちろん、出会いの素晴らしさに対する気付きや自信をもたらし、更には自分が本当に好きなことを指南してくれたように感じます。

◆これらの経験を活かし、今後当面は、農業用ロボットの開発、そしてブルガリアが有したトラキア文明に関連した探検に精進してまいります。その中で、地平線の仲間と相互に刺激を与えることができればと思います。僕の農業の旅はWWOOF(World-Wide Opportunities on Organic Farmsの略称)という世界的なつながりで支えられています。このことについては近く詳しく話を聞いて頂ければ、と考えています。有機農業を実践する農家のお手伝いをする代わりに、お金ではなく食事と寝床を提供して頂く取り組みです。インターネット上でメンバー登録をすると、日本では400軒ほどの農家と連絡が取れます。ではまた。(岩瀬龍之介 北大2年)

狩られる側の目線

■1月の服部文祥さんの報告会。ナツとブンショーの長い長いお散歩。通信の予告文を読んでから楽しみにしていたし、実際面白かった。改めて服部さんはいつも今を全力で生きているんだな、と、思った。

◆2018年、地平線40周年の舞台で服部さんと対談させてもらった。話はまるでかみ合わず、小心者の僕は途中から客席の反応の方に意識が向いていた。広い会場は暗く、舞台から見えるのは最前列のお客さんだけ。その顔に浮かぶうっすらとした笑いは、表情をそのまま信じても大丈夫という感触があり、まあいいか、と、開き直ることにした。

◆翌月報告会レポートを読んでみて痛かったのがこの一文だ。

《三輪さんが「江本さんも速くて5000mを17分台で走るんです」というと、服部さんはここでも間髪入れず、「『走った』んですね、そこ重要ですからね」と。》(編注:登壇者は坪井伸吾さん、服部文祥さん、三輪主彦さんの3人。田中幹也さんが途中から飛び入り参加)つまり対談で服部さんは「今」を語り、語るべき「今」を持っていなかった僕は過去しか語れなかった。

◆もうひとつ根本的に違うのは、服部さんは常に戦う「狩る」側の目線だが、15年前に北米をランニングで横断していた僕は「狩られる」側だったことだ。銃が日常にある社会では、銃を手にした人間が目の前に現れる可能性を排除できない。その社会での野宿は自ら銃を持つ人間を呼び寄せてしまう。だから野宿はしたくないのだが、次の町までたどり着けないのだから仕方ない。太平洋から走り出して2日目。ロスの住宅街で野宿に追い込まれた。

◆幸い建設中の広い公園があり、その中央部に川になると思われる細長い空き地があった。こっそりそこに忍び込みテントを張った。誰にも見つからなかったはずだし、窪みの底は深く、テントはどこからも見えないはずだった。でもバレているのだ。人間にではなく、犬に。

◆一番近い西側の家まで数百メートルはある。北側はそれよりも遠い。見えるはずがない。でも犬は気づいている。犬に騒がれると飼い主が銃を手に異変の確認にきてしまうかもしれない。真っ暗闇の中、テントの中で半身を起こす。犬がその動きに反応して、さらに吠える。見えるはずがない。犬の持つセンサーがここまで届いているとしか思えない。その能力がどこまでなのか、動きを少しづつ小さくして探る。せいいっぱい気配を消していくとやがて気づかれなくなる点がある。この日、犬は敵に回すととんでもなくやっかいな生き物だと分かった。

◆町を出てしまえば野宿は平気かというとそうでもない。道路沿いの無人地帯に延々と続く柵は、そこが誰かの所有地であることを示している。柵の中に入れば不法侵入で、やはりリスクが発生する。予想外だったのは広大な農場。隅っこのほうなら誰にも見つからない、と、思ったら、やっぱり見つかる。牛や馬などの家畜、そこに住んでいる鳥、周辺にいる生き物すべての怯えがセンサーになり番犬に届いてしまう。すると農場とその周辺すべてが人間を頂点とする巨大な装置として機能する。

◆イリノイ州、ベンブリッジで野宿に追い込まれた時だった。日没後、背後の森で突然、犬の激しい声が上がり、ほぼ同時に銃声が響いた。マズイ。動きを止めて気配を探る。もう一度銃声が鳴る。最初の音より遠い。犬は2匹。ロスの町中に飼われている犬などではない。猟犬が全力で生き物の気配を探っている状態。その網がここまで届いてしまったら見つかる。

◆こんなところで野宿している人間がいるとハンターは思っていない。殺気立った猟犬に噛まれても旅は終わりだ。これは考えることも止めて石になるしかない。「狩る」側は失敗しても腹が減ったで済む。が「狩られる」側は一度のミスも命とりだ。北米を走り終えてロスの宿に着いたとき、リトル東京で働いているコックさんから恐ろしい話を聞いた。「俺のおじさん、テキサスに住んでるんです。で、家の中と外に犬を飼っている。外の犬が吠えると、それに中の犬が反応する。そしたらおじさん散弾銃持っていって犬が吠えている場所めがけてぶっ放す。そこに何がいるか確認なんて全然しないですよ。この国で野宿なんかしたらダメですよ、坪井さん」。ああ、ヤダヤダ。旅を始める前に聞かなくて本当よかった。

◆今回の報告会で服部さんは垂直から半水平の旅へと移行した。その長い旅のどこかには狩られる側目線になる瞬間もあるのかな、と、思ったが、服部さんはどこまでいっても強い服部さんで、やっぱり僕とは目線が違う、と思った。(坪井伸吾

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