2025年7月の地平線報告会レポート


●地平線通信556より
先月の報告会から

フジフジ大作戦

山田淳

2025年7月26日 榎木町地域センター

■報告会の冒頭、江本さんから7月9日に亡くなった岡村隆さんを追悼するお話があった。私は法政大学の大先輩の岡村さんとは500回記念大集会で少しお話しただけであったが、そのときの岡村さんの穏やかにほほ笑む顔が忘れられない。40秒ほどの黙とうを全員でした後、江本さんは岡村さんの著書『モルディブ漂流』を紹介され、「この名著を文庫本のかたちで再刊できないか」出版元に働きかけていると伝えた。

◆本題の山田淳報告会にはいる。1979年神戸生まれ、地平線会議と同い年。7大陸最高峰登頂を当時の記録最年少の23歳でやり遂げる直前の2001年の7月「7S's トレンド化計画」のタイトルで261回目の地平線報告会を、株式会社フィールド&マウンテンを立ち上げた2010年9月には「Tシャツ、ジーンズ山ノボラーの福音」と銘打って(いずれも長野亮之介さんの命名)、377回の報告者として登壇している。恐れ多くも今回レポートを任された私は山田さんの自信に溢れた話し方とその視野の広い内容に吸い寄せられてしまった。

◆15年ぶり3回目の登場となる山田さん。今回は冒険や何かの成功とは一線を置き、今社会で何が起きていて自分には何ができてそのためにこれから何をしていきたいのか、という社会全体の展望を語る、地平線会議のなかでも画期的な内容であった。それもあって、今回のレポート担当の私がプレッシャーを持ったのはやむをえない……。山田さんのお話は登山をする人だけに限らず、日本の観光業や将来を考える多くの人にとって、刺激を感じる内容だったのではないか。7大陸最高峰、いわゆるセブンサミッツのことや起業にいたるまでの経緯については、過去のレポートを読んでいただきたい。ちなみに過去の報告会に彼は浴衣姿とスーツ姿で登場しているが、今回は普通のアウトドアマン、しいて言えば登山ガイドをやっているように見えなくもない格好で、見た目にとくにこだわりを持っているようには思えなかった。46歳になった彼はただ、圧倒的情熱を携えた語りのそれだけで独特な雰囲気があった。

◆当時最年少23歳でセブンサミッツをやったあと、4、5年間富士山でガイド活動をする。その後大学を卒業し、マッキンゼー社に入り3年働いた。毎日朝9時から翌朝5時まで働き、ものを考える余裕はなかったが仕事は充実して楽しかった。視野を広げたいと思い海外勤務にも出たが、2009年日本に戻ってきたそのころ、北海道のトムラウシ山で大きな遭難が起きる。この事故をきっかけに彼は「違う、自分は今見ているこういう遭難を防ぐために生きるんだ」と我にかえった。そして、ニュースを見た翌日に会社を辞めると伝えた。12月までは辞めさせてもらえなかったが、辞めたその翌年2010年2月にフィールド&マウンテンを起業した。

◆ちなみにその当時は江本さんが『岳人』に連載していたコラムでこの新しい事業のことを紹介し、それをきっかけに、377回目の地平線報告会にも呼ばれたのである。今回の報告会は、実は山田さんにとって富士山が開いている最繁忙期。その中でほんとうに偶然山田さんの予定が空いていた7月26日に、江本さんから頼まれ、引き受けたという。さすが江本さんの嗅覚は鋭い。ドンピシャに山田さんの唯一空いている週末を指定してきたので、これは断れなかったという。オンラインでの打ち合わせも、韓国に飛ぶ直前の羽田空港で対応したという。そんな慌ただしい中であったが、江本さんの方はお構いなしといった風であったとか。

◆トムラウシの事故でガイドと旅行会社の関係や、お客さんとガイドの責任の持ち方とか、構造的な問題があると山田さんは感じた。しかし、具体的に何が自分にできるのか分からない。自分がやりたいことをまず文字にしてみようと思って考えたテーマが、「登山人口の増加」「安全登山の推進」の2つだった。登山人口が増えると事故が増え、事故が増えると登山人口は減る、という波を2000年ごろから繰り返しているこの業界で、安全化を考えながら安定的に登山人口を増やしたいと考えた。

◆アクセルとブレーキのような関係のこの2つのテーマは、創業から15年ずっと変わっていない。現在、社員30人とパート100人の企業になったが、15年経営してきてわかったのは、創業者と会社は別物であり、会社の存在意義を代弁するのが自分の立場だということ。登山人口の増加のため・安全のためどうするかは、山田さん自身が考えるのではなくて、社員みんなが考える、そういう場を作るのが、自身の役目でもある——。地平線という場でまさに経営者だから言えることを述べる山田さんがかっこよかった。

◆「山に人が溢れている、危険な外国人が増えている、初心者ばかりで事故が増えている」とマスコミのネガティブ情報が流れる中、山に行く人は減ってしまう。その中で勘違いしている人が多いと山田さんは指摘した(山好きの私自身もまさにネガティブな思い込みもあったのだからその指摘に少しドキッとした)。しかし、山小屋は詰め込み主義をやめて定員制となったし、寝床も1人ひとり仕切りができて寝る環境は良くなった。そして最近の富士山の登山者数はコロナ前より少ないままだから、環境は明らかによくなっているはずだという。フレキシブルな働き方ができていないおかげで、登山客は土日祝日に集中し、どうしても混んでいるイメージを持ってしまうが、平日は逆にがらんどうなんてこともある。

◆インバウンドについても、日本に近い韓国の人と、遠いヨーロッパの人たちでは、お金の使い方やモチベーションが違う。何度も来ることができる人もいれば、一生に一度だけという人もいる。それを一言インバウンドという言葉でまとめることはできない。そもそも日本国内でもお客さんの考え方は異なって、たとえば、福岡の方は、日本アルプスなどは一生に一度の経験かもしれないが、東京のお客さんからすると何度も行けてレベルアップなども図れる。

◆言ってしまえばお客さんの扱い方が異なり、違う商品・違う売り方・違う請求の仕方があるという。そんな中で、世界中に、この日本の素晴らしい自然をどうやって一番価値高い状態で売ることができるのかを考えたい。受け身になるのではなく、誰かが仕掛けて安定的に増やすことをやらないといけない。みんなが好きな自然や山に行くために、その障壁をなくしたい。安定的な登山人口の増加と、安全のための知識・正しい情報を広げたい。そこで3つのキー、「道具・情報・きっかけ」という要点で、それぞれ事業を展開した。

◆まず、道具は「やまどうぐレンタル屋」というレンタル事業。富士山の去年の登山者数は約20万人だがそのうち4万人が山田さんの会社のお客さんという。ゲートが新たに設置されたことと4千円の入山料が設定されたことで登山者は減ったが、それでも突発的に富士山に来る人はいる(新型コロナ前には歌舞伎町で一晩飲んでその翌朝に富士山に来る人もいたそうだ)。そんな人たちには、例えば新宿で装備がそろえば安全に近づくことになる。

◆危ない人を止めるのは行政の役割であって、山田さんたちがやることは、危ない人を危なくないようにすることだ。学生登山にもレンタル付きでガイドする。中学生に侘び寂びの世界は早く、登山は厳しいと山田さんも感じるようだが、息の長い話、大人になったときに、また山に戻ってきてほしいという考え方で、12歳の子の10年後の登山人口を「買いに行っている気で」やっていると言う。

◆2つ目は、『山歩みち』というハンドサイズのフリーペーパー作り。フリーの小冊子にした理由は、雑誌を買わない時代になったのとハンドバッグに入る小さいサイズだと持っていきやすいから。そこに山の情報、安全の情報・知識を詰め込んでいる。これは富士山でレンタルしたお客さんにも配っていて、そこに載っている情報をもとに、富士山の次の山に行ってほしいと考えているためである。なので、情報の次にきっかけを作る。

◆3つ目のきっかけは、「Yamakara」という登山ツアー事業。2015年から始めたこの事業は、特に日本人向けだが、今は年間で一万人ぐらいの参加者がいる(今回の報告会の会場にもツアーに参加したお客さんが来ていた。お客さんというか、むしろ彼や彼の会社のファンといってもいいかもしれない)。1人増えたらクチコミでまた1人増える。3回以上山に行ったら、そのあとも続く。ただ安いというだけではなく、レンタルもつけるというようにして、きっかけはうまく作ることが重要だと言う。ツアーにはみんなレンタルを付けることで、ツアーをきっかけに縦走やテント泊、冬山登山を始めましたというお客さんもいる。

◆彼は「ビジネスプレゼンみたいになってますけど」と冗談も言いながら、グラフのついたスライドをいくつか見せて説明してくれた。富士山の登山者数は、2017年は28万人いたが、コロナ禍の2020年にゼロに。その後、回復したが、2024年は20万人。コロナ前にはまったくとどかずにそのまま低空飛行しているなか、インバウンドの登山者は2024年6万人で全体の約3割。コロナ前は1割程度であったのが、今は日本人の割合が減り、つまりコロナ前と比べると富士山に登る日本人は激減した。そんななかで、山田さんの会社のレンタルのお客さんは、2015年に2万8千人ほどだったが2023年は4万人。インバウンドのお客さんが増えてきている今、さらに右肩上がりだ。これをまわすためにレンタル道具も増やす必要がある。現在ザックの在庫が1万個、靴は毎年3千足くらい新たに購入して1万2千足ある。

◆2010年に立ち上げて最初にやったのがレンタル屋さんだったが、当初は短年で見ると利益が減ってしまう販売店からメーカーに「レンタル屋には卸すな」という大号令がかかって、逆風が起きたとか。すると東京中の販売店から吸い上げなくてはいけないという状況になり、2012年からは学生バイトにお金を持たせて神田中からザックや靴を買ってきてもらうということまでした。しかし、コロナ前後からはみんな直接やりとりをしてくれるようになり、今は落ち着いた状況になった。ツアーの現状は、2024年7月で750人だったのが今年は1200人に増えて、ざっくり1.8倍から2倍ぐらいの変化で伸びてきている。売り上げも拡大し、登山ツアー会社の中では2、3番目ぐらいの規模になった。

◆そんな今、彼がやろうとしていることは登山ガイドの正社員化。彼は、経産省が出しているデータをもとにして、人口減、低収入、若者の転職率の低さなど、日本社会の問題にまで話を広げて語ってくれた。ガイドという仕事はフリーランスが多く、収入が安定しないため将来ビジョンが描きにくい。登山ツアーはお客さんの年齢層が高く案内する側の方が若いという中、人口変動をもろにくらう業界になっているので、キーパーソンであるガイドの地位向上・定職化を図り、教育もしてガイド自体のクオリティをあげるという仕組みを作るようにしている。

◆たとえば富士山の仕事は7、8月だけだが、それ以外のシーズンは他の地域(海外も)組み合わせ1年を通じて仕事のある状態に安定させる。日本の若者は、他の国と比べても圧倒的に転職率が低い。最初は新しいことをやろうと意気込んで就職するが、そこで安定してしまって、その先は新しいことに挑戦しようとしない。そのため、登山ガイドも新卒や第二新卒で捕まえに行くしかないと考えている。なので、山田さんの社員は最近30人と増えてきたが、新入社員はほぼ20代だという。自然好きな若い人たちに入ってきてもらってここでガイド業をスタートさせている。

◆山田さんは、アウトドアや会社だけではなく、日本の将来についてもポジティブに考えている。ここで出てくるのがAIやロボット。サービス業や観光業は、AIが出てくれば出てくるほど、人間が勝つからである。レンタルの梱包や登山ツアーの企画はロボットがやってくれる。でも現場は、最後はやはり絶対に人間だ。だから、相対的に言うと、この先とてつもなく強い業界になる。

◆インターネットが出てきたときと同じようにAIやロボットの登場で世の中は、ぐるっと変わる業界とそうでない業界があり、そのどっちかになるという。Yamakaraではツアーをエンジニアでもある山田さんが作った自社のシステムで作成している。たとえば、ツアーで一人キャンセルが出たとき、その埋め合わせはシステムが自動でやりくりしてくれる。そうやって、人の手をかけるべきところとそうでないところできれいに切り分けた上で、生身の人間であるガイドが、企画担当が、旅行屋さんが、本当に専念すべきところに専念する。

◆言葉の壁もシステムがやってくれるからそれほど大きくはない。そうは言ってもスペイン語ができるようになった山田さんは今、韓国語と中国語を勉強している。最後共感することはやはり人間にしかできないから。日本の登山人口は600万人。人口の5%ほどだ。韓国10%、アメリカ18%に比べて低い。山田さんが今やりたいことは、日本の津々浦々の人たちが山に行ける状態を作りたいということだ。そのためのアイデアが実践されている。たとえばYamakaraの福岡の方たち向けの名古屋発着ツアーでは名古屋までの飛行機は指定したものを「自分で」取ってもらう。名古屋発着にすると新幹線でも帰りやすいからだ。遠かったイメージが、飛行機を使うと近くなる。同じようなことを韓国、香港、台湾の人たちにもやりたい、と話す。

◆アジア全体までは、自分の代で行けるかな、できれば東南アジアまで伸ばしたいが、ヨーロッパまではちょっと自分の人生的に、次の代に任せることになるかな、なんて、山田さんの夢は先を見据えてどこまでも大きい。そして、彼は「富士山」のクォリティを上げる必要があると強調した。富士山の次の山にも行ってもらうためにも、世界を相手にしているという意識を持ってしかるべきだと。民間企業のトップとしてやれることは、できるだけお客さんの方を向いた仕事をして、それでしっかり利益が上がる形を取って、社員に還元していくことであるという。

◆山好きを増やすことをしたいという思いは中学生のころから夢にあったといい、それを今かなえている事実が本当に凄い。安曇野に住む私が今回報告会レポートを依頼され、東京行きを決断したのは、山田さんがやっていることは私にとても大事なことだと考えたからだ。私は大学を出て4年間やってきた林業をこの冬に一度辞めてもっと広く山の世界に関わっていくために動こうと思っている。その私に山田さんの話は本当に刺激的だった。何よりもその視野の広さ! 彼が社会に働きかけようとしていることは、山に関わらない人間にとっても、大きな希望になるのではないか。彼の動向をこれからも追っていきたい[長野県安曇野市 林業4年目 小口寿子

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 イラスト 長野亮之介


報告者のひとこと

貴重な機会をありがとうございました

■江本さん、地平線の皆様、先日はホントにありがとうございました! 「この日しかない」ってドンピシャで僕の唯一空いてた週末を引き当てる江本さんの嗅覚、マジで凄すぎです!

◆10年以上ぶりだったけど、地平線会議の温かい雰囲気に包まれて、昔を思い出して懐かしかったし楽しかった。地平線のコミュニティの変わらない魅力に触れることができて、本当に嬉しかったです。あの場にまた立てたことに心から感謝しています。

◆今回、これまで社内だけで話してきた事業の展望や、社会に対する想いを改めて皆さんの前で話す機会をいただいて、自分の中でも頭の中がすごく整理できた気がします。今の日本の観光業って、インバウンドで活況を呈しているように見えるけど、まさに岐路に立っていると思うんです。だからこそ、浮足立たずに、落ち着いて本質的な価値を提供することが大事だと思っています。

◆結局のところ、事業を動かすのは人だから、関わってくれる人を増やして、みんなが一緒に成長できる環境を作っていくのが一番重要なんだと再確認しました。特に、ガイドは現場の要だと思うし、思いたい。彼らが誇りを持って働けるようにしていくことが、日本の山やアウトドア観光業の未来を作っていくことにつながると信じています。

◆世界に誇れる日本の山、そしてアウトドア観光業を、僕も少しでも関わって作っていきたい。そんな想いを強く抱くことができた、本当に貴重な機会でした。

◆ちなみにこの感想文、全部AIに書かせました(笑)。すごい時代になりましたね。[山田淳


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