地平線報告会200回記念大集会・二次会

親睦パーティ「地平線番外地」

96年7月13日・青山「子どもの城」



大成功のうちに終わった「ウィメンズプラザ」をあとにして、すぐ隣りの「子どもの城」の会場を移しての二次会「地平線番外地」。わざわざ遠方から来てくれたなつかしい顔に、話が弾んだ。参加者の声は、地平線通信201号で読めます。

乾杯[今回のイベントの企画をすべて統括し、当日は進行役で大活躍した長野亮之介実行委員長の音頭で、乾杯]

【地平線通信201号より】7月13日の大集会、350人を越す人が集まり、大いに盛り上がった。駆けつけてくれた人、縁の下で頑張ってくれた人、みんなに大大感謝です。長野亮之介・実行委員長、中畑朋子、武田力・両副委員長以下「実行委員会」が何度も打合せを重ねた成果と言えるが、早くも「このように立派にやってしまうと、次が困る。」「寸劇(午後の「女の行動学」のなかで披露された)まで見事に演じて、地平線会議らしくない」との批判も出ている。まあ、何をどうやっても意見はいろいろある。ともかくも大成功でした。[江本嘉伸]

【地平線通信201号より】 「地平線会議に来たのははじめてなんですけど、本当に面白かった。なんだか目から鱗が落ちたみたい。こういう世界があるんですねえ。今日は興奮でねむれそうにないわ」。イベントの二次会でこんな言葉を掛けられました。報告会の常連Mさんの、奥方でした。御主人のMさんも北アメリカをバイクで横断した経験のある方です。(以下は私の勝手な解釈ですが)変わりものの夫の関わっていた世界に目を開いてみたら、想像以上に新鮮な地平が広がっていた。視野が開けた、その感動が伝わってくるように感じました。「このイベントやって良かったな」と思いました。マンネリという声も聞かれる地平線会議ですが、人を感動させる本質的なパワーは18年前と変わらずに秘めているんだと、改めて確認した思いでした。

 当日小生は現場監督として舞台裏を、文字どうり走り回っていたので、各プログラムは断片的にしか見られませんでした。それでもときどき会場にはいると、なにやら怪しげな熱気を感じました。舞台上の人間だけでなく、会場にいる人たち全体で醸し出すオーラのようなものがあったと思います。地平線会議のコンセプトは、オリジナルな旅をする人間達が交差し、情報を交換し、刺激しあう場だと小生は理解してますが、そんな場が現出した瞬間が何度かあったように思います。ともあれ、イベントに関わった全ての人達、本当にお疲れさまでした。さーて、シドニーオリンピックの時は地平線報告会、順調に行けば248回を迎えているはず。走れば走るほど、地平線は遠い。(長野亮之介)


スタッフ[裏方でがんばってくれたスタッフをねぎらう江本さん。右から、ビデオとテープで記録を担当した新井由己君。打ち合わせのたびにメモを作ってみんなに配布し、当日も横断幕などを用意した武田力副実行委員長。連絡役として、とくに第3部の企画で活躍した中畑朋子副委員長、そして長野実行委員長]

【地平線通信201号より】★中畑朋子(実行副委員長、夢見る染織家)…場外で起こったサイン集め現象…いつのまにか、それは始まっていました。口火を切ったのは、あの恵谷氏だという噂です。“地平線の旅人たち”が『地平線の旅人たち』の各々の登場ページに互いにサインをしている光景を想像してみて下さい。いやはや、お茶目とも異様とも思えるものでした(もちろん苦笑いの御仁もいましたが)。“旅人たち”の姿を人ごとのように横目で見ながら、あたふたとホール内を駆け回っていた私も、プログラムが順調に進み、時が過ぎるにつれ、多少気持ちに余裕ができ、あせってきました。「“旅人たち”が一同に揃うのはめったにあることじゃない。今日しかない。今だ!今だ!」

 遅ればせながら、サイン会に加わってしまったのでした。出遅れたので、全員にしてもらえず、残念、無念。そんな、うわずったままの一日でした。プログラムの進行は、今でも頭にしっかり入っているのに、当日の内容はよく覚えていません。けれど、終盤にさしかかる頃には、心地の良い感覚が頭と身体に満ちていました。会場に溢れる熱気に酔ったのか、それともアルファ波が出ていたのでしょうか。暖かい光に包まれたような気持ち良さ。もう少しの間、あの光の中にいたかった…。

 「しまった!」 自転車旅行や山登り、そして一枚の布を織りあげた時のあの感覚によく似ています。客席に座って舞台を見ているよりも刺激的な裏方仕事。あと2年で20周年という声も聞こえてきました。新たに知ったこの快楽に、またおぼれてしまいそうです。

【地平線通信201号より】★新井 由己(大集会公式記録担当)…二つの調整室からの眺め…大集会の準備は最初から顔を出していたが、6月からは『DAS』の作業にかかりきりになり、まったく準備を手伝えなかった。そんなわけで、当日になっても何をするかわからなかったものの、けっきょくビデオ記録とテープ録音を担当することになった。ビデオ録画を行なう調整室にあるモニターを眺めながら、カメラのレンズで報告者の表情を追った。アップで見ることができるので役得かと思ったが、午後になると約3畳ほどの空間は蒸し風呂のようになり、汗が止まらなかった。

 また、会場の真後ろにある別の調整室でテープ録音をしていたので、テープの反転と入れ替えをするために、ビデオ調整室との間を往復しなければいけなかった。録画されたビデオで、内容と関係ない人物をアップにしていたり、壁だけ写っていたりするのは、テープを反転するために裏側の通路を走っているときである。大集会のビデオを見る機会があったら、そんなことを想像していただければと思う。

二次会風景
[日頃あまり会えないなつかしい顔も。左から、英国通の物書きとして、ウィスキー評論家として知られるようになった学習院大学探検部OBの土屋守さん。仙台から駆けつけてくれた砂漠に緑を代表の向後元彦さんと、民族装身具研究家の向後紀代美さん。スーパードライの広告ですっかり有名になってしまった桃井和馬君。第3部で貫禄を見せて会場を爆笑の渦に巻き込んだ金井シゲさん。ロス・ビエントスの演奏で盛り上げてくれた長岡竜介さん]

【地平線通信201号より】●向後元彦さん(第35、92、159回報告者、地平線会議の発起人、東京農大探検部創設者の一人、「砂漠に緑を」代表)…やっぱり5部が面白かったね。3部の劇もなかなか良かった。200回というのは大変なことでね。最初に(地平線会議を)作るときに、今世紀の間は続けましょうと話したんです。旅をする人たちが、縄張り意識などなく集まれる場所がこれまで続いてきたことは意味があるし、そのことに対するうれしさを感じます。

【地平線通信201号より】●向後紀代美さん(第43回報告者…装身具研究家)…今までの地平線会議のイベントの中では一番面白かったです。午前中しか聞けなかったんですけど、夫から良かったと聞いているのでビデオを借りて全部見たいと思っています。


二次会風景
[左から、第3部の女性たちの発言に、娘を持つ親としてショックを受けたという惠谷治さん。一人おいて、ここから先は、地平線HARAPPAのメンバー。インドネシアから帰国したばかりの、地平線マラソン常勝者・花岡正明君(右)。岡山から駆けつけてくれた北川文夫さんと、広島から来てくれた岸本佳則さん。落合大祐さんと話し込む、山形の飯野昭司さん。いつもネットで話をしているが、実際に顔を合わせるのは初めて]

【地平線通信201号より】●恵谷治さん(第2、17、81、129回報告者、早大探検部OB、ジャーナリスト)…男尊女卑が身にしみている私は、第3部の「女の行動学」を大いに期待していた。女性の行動者たちの本音ではなく、公の席での発言を聞いてみたかったからである。パネラーたちの話を総合すると、周囲の理解を得られないまま、大事な部分を切り捨てたまま行動しているのではないかという印象を受けた。タイム・アップのため質疑応答がなかったので、ここで改めて質問させてもらうことにする。「親を納得させるほどの情熱や緻密な計画を持たないまま、先走っていることはありませんか?」私も23歳と18歳の娘を持つ親であり、他人事ではないのである。進行についていえば、玄人はだしの司会に加え、予期せぬファッション・ショーや赤面するような寸劇があって、楽しいひとときだった。スタッフの皆さん、お疲れさん。


二次会風景
[観文研の人脈を語り合う小川久美子さんと三輪主彦さん。三輪さんの清瀬高校時代の教え子の張替純二君と井口宣君。カヌーを教えてくれた若き師匠・河村安彦君(右)と談笑する、カヌー膝栗毛で日本一周をめざす吉岡嶺二さん(左)。そして、ついに大成功に気をよくして、江本さんの歌が始まってしまった……]

【地平線通信201号より】●河村安彦さん(第46回報告者、獨協大学探検部OB、会社員)…女性の部から見ました。学生探検会議が1978年だったから、あれから約20年、いろんな人が関わってきたんだなあと感慨もひとしおだったね。学習院探検部OBの土屋守さんに会えたのも久しぶりでしたね。ちょうど学習院がファルトボートはじめた頃に、学習院の部員を連れて川に行ったりしたんだよ。懐かしかったね。ああいう雰囲気に浸れただけでも幸せでした。ま、でも、ああいう大きなイベントは何年かにいっぺんで十分なんじゃない?


締め
[第5部に登場したときは、司会を務めた三輪さん、江本さんの活躍ぶりを見て、若い奴らがだらしないと喝を入れた岡村さんも、けっきょくは若手がすっかり裏で準備して、年寄りたちをノセてくれたわけだ、とナットクして最後を締めてくれた。

【地平線通信201号より】●岡村隆さん(第48、132、164回報告者、法政大探検部OB、作家)…地平線も高齢化して若い人が育たないとかいう声もあったが、やっぱり確実に若い奴が出てこれるような場所になってると思うよ。江本・三輪の二本柱があって、若い世代とギャップもなくつながってると感じたな。裏方の皆さん、ご苦労さん。 

【地平線通信201号より】★清水康二(地平線番外地担当)…先日の大集会はほんとうに感動的でした。振り返れば12年間、当時学生だった僕も社会人となり、またこの間に報告者の行動様式もずいぶんと変わったなと思います。当初僕も2次会の酒宴で耳を傾けているだけだったのが、いつしかお酌に回り、時に会計を済ませ、気が付けば地平線酒宴幹事となっているではありませんか!? 今回の集会では報告者と実行委員の方々に敬意を表しまして、2次会『地平線番外地』の仕切りを務めさせて頂きました。これからもグラスあるところに清水アリ! 地平線の一層の発展を願っております。(二次会のセッティングをすべてやってくれた清水君に感謝。走りまわっていたので、写真がありません……)  

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