奥多摩24時間山岳耐久レース完走報告書1995/10/9


三輪 主彦(みわ かずひこ)

都立竹早高校教諭

日本ウルトラランニングクラブ所属

地平線会議世話人



 世の中にはとんでもないことを考える人がいるもので、24時間以内で奥多摩全山を走り回ろうというレースが一昨年から行われている。主催者は日本山岳協会と東京都山岳連盟で、正式の名称は次のとおりである。

『日本山岳耐久レース(24時間以内)長谷川恒男CUP』

 長谷川さんは世界でも有数のクライマーで、アルプスの三大北壁を冬に単独で登り、さらに困難なヒマラヤの壁に挑んでいるさなか、雪崩で91年に亡くなった。彼の名を冠しているのだから「より困難な」レースになるのは当然なのかもしれない。

 第1回は1993年に行われ、ことしは3回目である。毎年コースはより困難になっており、今年は夕方の5時にスタートし、夜を徹して走ることになっている。よくこんなレースを考えたし、またそれに多くの人が参加したものだと感心しながら、あきれてしまう。
 さて、送られてきた案内書からレースの概要を示しておこう。

1.期日  平成7年10月7・8日(土・日)雨天決行
2.コース 奥多摩全山(71.5km)
       五日市庁舎前〜今熊神社〜市道山(795m)〜醍醐丸
       〜生藤山(990m)〜土俵山(1005m)〜笹尾根〜
       三頭山(1527m)〜大岳山(1266m)〜御岳神社(929m)
       〜今比羅尾根〜五日市庁舎
3.第一関門、第二関門、第三関門に制限時間をもうけ、
  これを越えた選手は、レースを中止し役員の指示にしたがって
  下山して下さい。
   (1)第一関門は浅間峠、制限時間はスタート10時間後、午前3時
   (2)第二関門は月夜見山駐車場、15時間後、午前8時
   (3)第三関門は長尾平、21時間後、午後2時

4.水場は5か所、主催者は月夜見駐車場のみ補給します。あとは自然水
  定められた水場以外で水補給を受けた選手は失格
5.携帯装備(受け付けでチェックがある)
   水2リットル以上
   雨具、行動食、ヘッドランプ(予備電池、電球)
   防寒具
6.夜間走行になるので、コースには赤い点滅灯とテープで表示いたし
   ますので、夜間でも安心して競技が続けられます。テープは手で
   握るなどして切断しないで下さい。

 さらに後から送られてきた注意書きには

「参加者の皆さんは山岳あるいはロードにおいて十分な練習を重ねておられることと存じますが、この耐久レースは距離の長さはもとより、全コースが標高1000m〜1500mの山岳地帯を舞台に昼夜にわたり行われる、他に類を見ない過酷なレースです。いったん事故が発生すると、病院に到着し医師の診断を受けるまでに数時間を要することになります。どうかセイフティランに心がけてください」

そのうえ、さらに念入りに
 <危険と思われる個所>
   (1)鞘口峠から風張峠への途中で巻き道が崩れている。
   (2)御前山から大ダワに下る途中の丸木橋が朽ちている。
   (3)大岳山直下、大岳山荘への下りの岩場

 ここまで読むとたいていの人はおじけづくものだが、だれも参加を取りやめたものはいないようだ。



■「ハッハッハッ、だれでもかかってきなさい」

 昨年の第2回のレースは参加者が1100人で、私は総合63位で完走し、仲間うちでは最高の成績だった。その勢いで、私は友人たちに、
「もう私に勝てる人はいないだろう。ハッハッハッー、だれでもかかってきなさい」
と挑戦的な報告書を送った。
 皆が「ハハーッ]とひれ伏すものだと思っていたのに、すぐさま
「来年のレースで決着をつけよう」
という挑戦状が、松田、中山の両氏から送られてきた。
 そんなはずではなかった。松田氏はフルマラソンを2時間40分で走る本格的なマラソンランナーだし、中山氏は10倍のトライアスロンを完走した日本唯一の鉄人である。これはいくらなんでも無謀だ。
 松田氏からはこの挑戦を受けるか、しっぽを巻いて逃げるかという催促がくる。
一旦口にしたことだから、逃げるわけにはいかない。かなわないかも知れないかもしれないが、やってみよう。7月は富士山や南アルプスで高地トレーニングをしたが、疲労ばかり溜まって、調子がでない。8月に入ったら暑くて何もする気がなくなった。
 それでも9月に入ると、両氏からの無言のプレッシャーが送られてきて、トレ
ーニングをしないわけにはいかなくなった。松田氏は大阪、中山氏は山梨に住んでいる。地の利を生かして私は毎週日曜日奥多摩のコースに通った。しかし調子は今一つで、練習では昨年のタイムで走ることはできなかった。



■足の捻挫が直らない

 夏の南アルプスでくじいた左足首の腫れがまだひいていない。ふつうに歩くぶんにはそれほど痛くないのだが、坂の下りでは頭の先まで響く。レースの3週間前奥多摩のコースでウルトラランニングクラブの香川会長と出会った。
「5月に心筋梗塞をやりましてね。登りは走れないんですよ」
と言いながら、下りは飛ぶように走っていった。心臓にバイパスが入っている人が山を走っていいいのか。常識では考えられないような世界だ。
 足首の捻挫で走れないなどと言ったらバカにされる。私なんぞまだまだ甘い。香川さん姿をみてから、トレーニング量が増えた。勤め、会合の行き帰りは、雨でも夜でもすべて走った。お陰で9月には電車賃は一銭も使わなかった。
 青山や四谷での会合が終わって、短パンに着替えて走って家につくと、もう日付が替わっている。これは今回の夜のレースのいいトレーニングになった。

 1週間前の10月1日、都民の日、疲労はピークに達していた。それでもPTAのバス旅行につきあって、話をしなければならない。みんなと一緒に豪華な昼食を食べれそうもないので、昼に皆とわかれて、裏山を駆け登ってきた。
 レースの2週間前から、だれに誘われてもつきあわない。酒の席でもウーロン茶さえ飲まない。レースが終わってからの酒池肉林(?)を思い浮かべながら、これ節制に勤めた。



■ななーんと、不戦勝

 松田氏から、夏の間出張続きで、このレースにエントリーができなかったとの連絡がきた。やったと思う反面、せっかくトレーニングをしてきたのだから戦いをやりたいという気持ちになった。代理で走れることができないかと奔走したが(正式にはそんなことはできない)せっかく手にいれたゼッケンを譲ってくれる人はいなかった。残念ながら松田氏との戦いはなくなった。来年への延期も考えたが、彼はこれから登り調子、私は下る一方なのでとりあえずは私の不戦勝。
 あとの相手は10倍トライアスロンの中山氏と積年のライバル江本氏だ。まあ江本氏に負けることはないだろう。



■さあ スタート

 2時間前に五日市の庁舎につくと、もうすでに大勢の人が集まっている。ゼッケンをもらいリュックのなかの水や懐中電気のチェックをうける。めずらしい人々に出会うたびに、話をしているとすぐにスタート時間になってしまった。
 私の話にのせられて、勤務先の竹早高校の若手の先生も2人参加するのだが、スタート地点に集まるまで確認できなかった。ライバル江本氏もどこにいるのかわからない。
 午後5時、五日市中学校の校庭をスタート。私のゼッケンは36番なので、最前列に並ぶ。 1200人参加というから、列は後ろに長く伸びている。最高尾の辺りに、サハラ砂漠マラソンの完走者、田口さんがいる。彼女はいつも最後まで変わらないペースでやってきて、入賞をさらう。

 今年は自分のペースがわかっているので、出だしのハイペースあおられないでゆっくり走り出す。昨年はしばらく中山氏と走ったが、今年の彼は期するところがあるらしく、私をおいて先にいく。今熊山の登りはきついが、30分で頂上につくことがわかっている。コースを知っているのは有利だ。
 自分で作った最初のチェック地点の入山峠に6時4分に到着。すでに暗くなっているのに、皆かなりの速度で走っている。フカフカした走りやすい道だからスピードが出そうだが、先が長いのでゆるゆると走る。

 市道山の分岐までは小さな上り下りがあり、かなり消耗する。予定の6分遅れ、7時6分につく。ここからUターンするようなかたちで醍醐丸にむかう。上の尾根道に懐中電灯の光が揺れているのがみえる。まだみんな元気で話し声も響いてくる。醍醐峠で陣馬山からくる尾根に合流する。ここは「関東触れ合いの道」の一部で、石の標識がある。
 このあたりから小雨がふってくる。深い杉木立の中なのでほとんど影響がないが、ゴアテックスの雨着をもってこなかったことに不安がつのる。スタート前に倫子が「雨着持ってるの」と言ったのに、「大丈夫だ、今日は雨は降らないから」といって重たい雨着を置いてきた。1グラムでも余計な荷物を持ちたくなかった。しかし判断をあやまった。もう遅い。



■第一関門 浅間峠まで

 醍醐丸から浅間峠までは何回も通っているので、コースを熟知していると思っていたが夜の景色はまったく違っていた。霧で周りの景色はみえないし、木立の中はみんな同じに見える。浅間峠に9時半までにつかなければ、14時間以内での完走は難しい。今回は夜なので昨年より1時間余計にかかると計算していた。
 その9時半ちょうどに浅間峠についた。ここが最初のチェックポイント。せっかくバーコードをつけているのに、マジックで印をつけただけだった。雨の山の中までコンピュータを持ってくるわけにはいかなかったのだろう。
 ここはリタイアするのに好都合なところだが、車道に出るまでには30分はかかる。浅間峠をでて5分ほどいくと上から降りてくる人がいる。律儀に一人一人に「足が痛いのでリタイアします」と説明している。
 浅間峠までなんとか予定の時間で来たので、ほっとしたら、急に左の足首の捻挫の跡が痛み出した。しかしこれは予定していた痛みなのであせりはない。雨がだんだんひどくなってきたのが心配だ。



■前半最大の難関、三頭山への登り

 浅間峠から小綱峠まで一時間、西原峠までさらに一時間、そこから三頭山まで一時間というのが試走の時の時間だ。そのときは快適に走れたのだが、今日は暗い上に雨まで降っている。しかし道は整備されているので、試走と同じ時間で西原峠についた。西原は「さいはら」と読む。
 ここから三頭山の登りが前半の山場である。昨年もこの急な登りで、足がつって動けなくなった人がたくさんいた。登山のときなら一応「大丈夫ですか」くらい声をかけるのだが、今日の私は夜の雨のように冷たい人間になっている。今回も途中でうずくまっている人を何人も追い越した。ここまであまり走っていないので、私の体力にはまだ余力がある。
 0時33分、予定の3分遅れで三頭山の頂上につく。前半の難関をクリアしたおおぜいの人が休んでいる。ここでみんなと同じように休んだら上位は目指せない。ウインドブレーカーを上に着てただけですぐに下りにかかる。雨着ではないので、防風だけで、雨は完全に通すし、すぐにびしょ濡れにる。それまで半袖でいたのだから、それでも少しはましになった。

 ここまでに食べた食料は、おにぎり2個、ようかん一つ、バナナ味のゼリー1個、カロリーメイト1個、水1.5リットルだった。出発前に餅を4個食べていたので空腹感はなかったが、あとで考えるといつもながら貧しい食料だったと思う。



■月夜見山第二駐車場まで

 三頭山をすぎると折り返しをすぎたような気がして、気分は軽くなる。しかし鞘口峠までの急な下りと、風張峠までの登りが疲れた体にはこたえるはずだ。
 今回の私の靴は裏にかなり大きな凸凹のあるナイキのジョギングシューズを使った。最初は軽登山靴にしようかと考えたが、やはり軽いシューズを使った。結果はほとんど差がなかったように思う。雨では登山靴でも運動靴でも滑ることに変わりはない。三頭山の急な下りでは、左足の膝と足首が痛くて、支えがきかず、路肩を3回滑り落ちた。つづら折れの道なので、5mほどずり落ちると、下の道にでる。落ちたために距離を少し
かせいだ。
 雨は一段とひどくなり、霧もでてきて先がみえない。新しい電池に変えようとしたが眼鏡が曇り、疲労で焦点が合わないこともあって、電池の+−がわからない。2 個の電灯を持ってきたのでなんとかことなきをえたが、暗闇の中での電池交換は難しい。
 奥多摩周遊道路は夜間自動車通行止めなので静かだ。車が通らないなら車道を行った方がはるかに速いのだが、コースロープは山道に入っていく。なまじっか道を知っているので、月夜見山の道は長く感じた。2時ぴったりに月夜見の第二チェックポイントについた。ここで水を1リットル補給し、おにぎりを1個、食べるというより流し込む。腹は減っているのだろうが、あまり食欲はない。
 寒いのと足の痛さで一瞬だけリタイアを考えたが、ここまで来たのにやめるわけにはいかない。それにまもなく中山氏に追いつくはずだ。彼だってこの雨の中そんなに先に行っているはずはない。



■小河内峠から御前山

 月夜見のチェックポイントを2時に通過したことで、あと5時間、朝の7時ごろまでにはゴールできと考えた。しかしそれはこの雨の中では甘かった。駐車場の下は赤土がたっぷり雨を吸い込んで、つるつる状態だった。膝の神経に一番響くいやな下りだ。昨年は小河内峠まではほとんど走ったのだが、今回は一歩一歩歩かなければならなかった。
 前後にはだれもいなくなった。暗闇の中自分の電灯だけが「ぼーっ」と霧の中に円を描いているのは不気味な風景だ。このころから幻聴が聞こえてきた。人がいるわけはないのだから、人間の声のはずはないと自分ではわかっているのだが、本当の声のように聞こえてくる。昨年もこの辺りで暗くなり、幻聴を聞いた覚えがある。この声は御前山の下までずーと聞こえていた。
 小河内峠から再び急な登りになる。登りのときには足の痛みは和らぐ。惣岳山までが急であとは、600mほどの快適な登りになる。頂上はに3時10分着。

 御前山の頂上にも係員の人がテントをはっている。コースの各所にボランティアの人たちがいて、一晩中ランナーを見守ってくれている。寒いのにえらいことだ。こういうレースは相当の力を持った裏方がいなければ成り立たない。今回全部で何人のボランティアが山の中で過ごしていたのだろう。頭が下がる思いだ。
ありがとう。



■最後の登り、大岳山

 事前には御前山からの下りのことは眼中になかった。昨年もすでに暗かったが快適に走り下った記憶があるからだ。しかし今回は地獄の下りになった。えぐれて溝状になった道は足首に負担がかかる。一歩足を下ろすたびに膝と足首に激痛が走る。かなり弱気になる。速度が遅い分だけ体は冷えてくる。こんな冷たい雨の中、濡れるに任せているのだからしかたがない。
「私の言うことを聞かないからよ」と言う倫子の声が聞こえてくるような気がした。木の枝を杖にしてしばらく下るが体を預けるとすぐ折れる。どんなことをしても痛いことには変わりはない。痛さと冷たさで眠気が覚めていると思えばいいや、と気をとりなおす。
 大ダワというのは御前山と大岳山の鞍部。林道が通過しているので大きなテントと発電機があり、都会のように明るい。リタイアするならここだというような気配がある。しかしその誘惑にはのらない。私もだんだん人間ができてきた。
 ここでまた電池を変える。寒いせいでいつもより電池の消耗がはやい。予備電池をたくさん持ってきてよかった。ここは明るいので何とかスムーズに交換ができた。ここで4時ちょうど。
 いよいよ最後の大きな登りにとりかかる。登りでは足の痛みは和らぎ、体も暖かい。このままゴールに着けばいいのにと思うが、最後には金比羅尾根の長い急な下りが待っている。
 大岳山の直下の岩場が危険とかいてあったが、少々滑りやすいがなんてことはない。頂上には5時3分に着いたが止まりもせずに下りにかかる。



■金比羅尾根からゴールまで

 大岳山荘に近い岩場の下で、うずくまっている人がいる。少し余裕があったので「どうしました」とたずねると、「電池が切れて、歩けない」という。私のを貸してやるわけにはいかない。「もうすぐ明るくなるよ」と言い残して、置き去りにする。
 声をかけてくれたからには何か手助けをしてくれるのではないか、と期待したようだ。「一緒に行きましょう」と言ってやればよかったかなと思いながらも、サバイバルレースだからしかたがないと自分を納得させた。なまじっか親切を装おうとかえって悪い結果になる。
 水場でたっぷり飲んだ頃から夜が明ける。さっきの彼も歩き始めたろう。少し気が楽になる。
 御岳山への道は四輪駆動車が通れるくらいの広い道になる。昨年は走って下れたのだが、足を引きずりながらやっと降りている。情けない。
 長尾平が最後のチェックポイント。係の人が「88番だよ」と順位を教えてくれる。昨年より1時間以上も遅いのに、まだ100番以内にいることがわかったら、このままゴールしたいと欲がでてきた。

 足が痛いといったって、この先何日も続くわけではない。あと数時間で終わるんだから、痛さを楽しめ。東海道の時だって、足にひびが入っていたって半日は歩けたじゃないか。あれに比べればたいしたことはない。
 ズッキン、ズッキン、頭のてっぺんまで痛みを感じながら御岳神社を過ぎ、最後の日の出山に登る。登りは天国。女性のトップを追い越す。
 日の出山までに3人追い越し、金比羅尾根の下りで5人追い越した。 これで70番台だ。尾根道はえぐれて水が川のように流れている。最初はためらったが、水の中を走ると滑らない。あとはドロドロになりながら、足の痛さを楽しみながら走る。今回のレースで一番長く連続的に走れた。
 あと5kmの表示が出てくると、元気を回復した若者が急に走り出し、あっと言う間に見えなくなってしまう。せっかく70番台になったのに、と思っていると前に2人の姿が見える。あれを追い越せばまた70番台になる。
 この後に及んでまだ勝負にこだわっているのは大人げないが、これがなくなってはおもしろくない。

 最後の石畳はまた足の痛さが快楽からまた苦痛に変わった。しかしあと少しの辛抱だ。商店を左に曲がり、すぐに右に曲がるとゴールがみえる。まだ朝はやいので観客は少ないなと思いながらゴール。朝7時40分。



■戦い終わって

 ゴールの向こうに、倫子と中山氏が待っている。
「チキショー、やはり中山氏に負けたか」
と思ったが、しかし、しかしかの鉄人中山は、何と月夜見の第二チェックポイントでリタイアして、車で帰ってきていたのだ。さらにライバル江本氏も、第一チェックポイントであえなくリタイアしていたのだ。

「どうだ。私の実力を思い知ったか!」

 リタイアしてショックを受けている2人にこの言葉を投げつけた。「溺れている犬は叩け」という諺のとおり、弱っているライバルは徹底的に叩きのめしておかねばならない。

 送迎バスで風呂に送ってもらい、もどって体育館で仮眠をとって、起き出してくると、竹早高校の応援団がやって来ていた。高木さんと工藤さんだ。
「山田さんは10時ごろに、ゴールするって言ってたけど、まだ?」
「今日は雨がひどいから、1時間以上遅れると思うよ」
 私は余裕を持って答える。
 しかし10時になっても、11時になっても2人の姿は見えない。
「どうなってるの、山のなかで遭難してるんじゃないでしょうね。雨具持ってるの?」
と心配そうな工藤さん。
「大塚さんはゴアテックスの雨着を持ってるが、山田さんは三輪さんに言われたとおりビニールのごみ袋しか持ってないはずだよ」
 クールな高木さん、冷静に現状分析。
「そんな無責任なこと言ったの? ひどいじゃない」と工藤さん。
「おれだって雨具なんてなしだったよ」
「三輪さんと比べないでよ。ふつうじゃないんだから」

 12時すぎたころ、ごみ袋を着た山田さんが帰ってきた。フルマラソン程度の時間ならゴミ袋雨着も役に立つのだが、こんな長時間ではほとんど役に立たない。ゴールした山田さんは寒さに震えている。高木さんが熱燗をつける。アルコール燃料で山田さんは生き返えった。

 大塚さんは1時になっても2時になっても帰ってこない。しかし山田さんが帰ってきているので、だれも心配していない。
「先週も下見しているし、食料も雨具も持っているし。きっと膝の痛みが爆発したから、ゆっくり歩いているんだよ」
 大塚さん毎週のように山登りをしている本格的な山やだ。まったく心配無用だ。

 表彰式も終わり、役員たちも机をかたづけはじめた。周りにはほとんど人がいなくなった。しかし雨の中まだ山の中を走って(歩いて)いる選手が数十人いるはずだ。
「竹早高校の先生ってまじめすぎるのよね。こんな雨んなか走ることないのよ。はやくリタイアすればいいのに」
とふてくされ気味の工藤さん。
「こんな雨の中走ったって体にいいわけはない。止めたってだれも何とも言わないよ。こんなことやって体を壊せばかえってみんなの迷惑になる。まともな神経を持っているなら、止めるのが当然だ」
 数少なくなった他の選手の応援の人々も、疲れ切っている。
「でも何のためにもならないことを、懸命にやるというのもいいんじゃない。要領の悪い生き方も、それはそれで貴重だよ」
そんな話も聞こえてくる。

 いくら議論を交わしていても、我が律義な竹早高校の大塚さんは帰ってこない。そして3時すぎ、22時間ぶりにやっと大塚さんがもどってきた。いつものようにニコニコしながら、
「第一チェックポイントの浅間峠で膝に痛みを感じ、あと全部歩いてきたんですよ。疲れたー」
 それでもリタイアは考えもしなかったという。偉いというか、アホというか。577位。あとまだ30人くらいが山の中でもがいている。
 スタート時には約1200人いたというから、ほぼ半数がリタイアしたことになる。

 リタイアしてもしなくても、それぞれ一人づつ「メイク、ドラマ」を演出したのだ。長い長い一日が終わった。




to Home to Member
Jump to Home
Top of this Section