松田仁志VS三輪主彦・宿命の対決

1996年10月12日〜13日
第4回・日本山岳耐久レース…長谷川恒男カップ

地平線会議を代表するスピードランナーである松田仁志さん(大阪府枚方市)が、ウルトラランニングでここのところ敵なしの鉄人・三輪主彦さん(東京都板橋区)に挑んだ「第4回・日本山岳耐久レース…長谷川恒男カップ」(距離72km)。10月12日から13日にかけての体験を、松田さんが「地平線HARAPPA」(NIFTY-Serveで活動している地平線会議のホームパーティ)に1ヵ月半にわたって連載してくれました。

昨年に続いて雨が降りしきる最悪のコンディションのなか、両雄の死闘はいかに。走っている最中のランナーの心理を垣間見ることができる、貴重な報告です。



山岳耐久レース対決記
松田仁志

8452 [96/10/16 22:44] QFF01750 松田:山岳耐久レース対決記 その1

 三輪さんに挑戦状を送りつけたのは昨年の初めのことだった。地平線通信183号フロントでの三輪さんの『いつでもかかってきなさい。ハッ、ハッ、ハッ!!』に触発されて挑戦状を送りつけ、その挑戦状が184号に掲載された。対決の舞台にこのレースを選んだのはぼく自身の選択である。平地のフル・マラソンでは絶対に負けないという自信があるが、100kmを越えるような超長距離のレースでは絶対に勝てないので、折衷点として選んだのがこのレースだった。

 ところが昨年はちょうどエントリーの時期に出張になり、帰国後に問い合わせをしたらすでに定員オーバーとのことでぼくの不戦敗というあっけない結末になってしまった。実のところ山岳耐久レース1カ月前の9月に走った野辺山ウルトラ・マラソンの50kmで膝を痛め、もし対決していたらぼくのリタイアは間違いなかったであろう。
【←レース開始直前も余裕しゃくしゃくの王者・三輪】


 満を持して駆けつけた今年の大会。ぼくの山岳レースの経験は六甲全山縦走、比良全山縦走、スイス・アルパイン・マラソンくらいで、決して十分な経験を積んでいるわけではない。六甲はそのコースの大半が住宅街とドライブウェイだし、比良は本格的な山岳コースとはいうものの全コースで30kmあまり。スイスのレースは68kmあって2800mの峠を越えるレースだが、山道はその峠越えくらいで全般的には林道が中心である。

 今年も出場した9月の野辺山ウルトラ・マラソンの50kmの部では8位に入ったものの、これも林道ルートでこの結果が今回に直接結びつくとは思っていなかったし、奥多摩全山の71kmをはたして完走できるかどうかという不安は少なからずあった。


 今年のレースは午後3時のスタートということで、スタート/ゴール地点の武蔵五日市までどうやって行こうかと最後まで悩んだ。実はぼくの住む枚方市から八王子までの夜行バスが運行されている。これは実に便利がいいし、値段も安い。これにはかなり惹かれたが、夜を徹して走るレースに夜行バスで行くというのは疲労が残りそうなので、涙を呑んであきらめた。車は行きはいいけど帰りが心配なのでこれもダメ。ということで結局最も高い新幹線での往復にした。
【出発前、体育館の中で着替えをする出場者たち→】

 12日(土)の朝に京都から新幹線で東京へ行き、それから中央線で立川へ、さらに拝島で乗り換えて昼過ぎに武蔵五日市へ着いた。会場ではほぼ3年ぶりに三輪さんと顔を合わせて握手をした。そして2カ月ぶりの江本さん。その他三輪さんの知り合いの方に紹介していただく。そうこうするうちに丸山さんが応援に来て下さった。その人たちと雑談を重ねるうちにスタートの時刻が迫ってきた。
【←開会式風景・左下に見えるのが男女の優勝者に贈られる長谷川恒男杯】

 ぼくの荷物はゴアテックスの雨具、防寒用のクロロファイバーの長袖シャツ、手拭い、手袋、伸縮するストック1本、ヘッドランプ、ペンライト、予備電池、地図、簡単な救急薬品、水とエネルゲンで計2リットル、食料は大福餅2個、蒸しパン1個、小さいカステラ2個、一口大のおにぎり2個、小さいようかん1本、チョコレート1枚、アメ数個。

 これらをランニング用のデイパックと小さめのウェストバックに入れた。ウェストバックは腰に着けると走りにくいので、最初はデイパックの中に入れておいた。食料と水分は感覚的には十分過ぎるくらいに感じた。ストックは下りのことを考えてあえて持つことにした。ぼくは下りが苦手でおまけに今晩は雨の確率が高いので、多少重くてもこれははずすわけにはいかなかった。
【ウルトラランニングクラブの香川さんと談笑→】

 ウェアは半袖のオーロンのTシャツにランニング用のロングタイツ、それに帽子。帽子も雨を想定してのことである。


 スタートは午後3時。スタートはゼッケン順ということで2桁ゼッケンの三輪さんはかなり前の方。3桁のぼくは意識的に後ろの方へ行った。出だしのオーバー・ペースを避けるためという気持ちがあった。今のところは雨の降りそうな気配は無い。

 マラソンのスタート前はいつも何とも言えない緊張感があるのだが、こういうレースではなぜかあまり緊張感が無い。このところちょっと不調な右膝も心配だし、71kmという未知の距離に対する不安もかなりあるのだが、なぜか心の底では『まぁ、何とかなるんじゃないか』と思っている。
【←ウルトラランニングクラブの田口さんと】

 靴紐をしっかりと結ぶ直したりしているうちにいよいよスタートの時刻がせまってきた。『10秒前!!』の合図があってから、ピストルの音と共に1100余名がスタートを切った。先頭グループはとんでもないスピードで飛び出して行ったが、ぼくは流れにまかせてのんびりと学校の門を出た。
【校門からどっと飛びだしていくランナーたち→】


8463 [96/10/19 13:43] QFF01750 松田:山岳耐久レース対決記 その2

 学校の門を出ると建物の一段高くなったところに丸山さんがカメラを構えておられるのが目に入った。声をかけるのはなんか照れくさいので手を振ってみたが、どうも気付かれなかったようだ。

 そうしたら突然後ろから肩をたたかれて、『松田さん、こんなところにいちゃぁ、ダメじゃないですかぁ!!』という声が飛んできた。さっき紹介していただいたばかりの10倍トライアスロンの中山さんである。中山さんも昨年、ぼくに引き続いて三輪さんに挑戦状を出されて、本番は第2チェックポイントでリタイアされたという経歴の持ち主。『いやぁ、こんなもんですよ』という言葉を返しながらも実は前が気になっていた。
【10倍トライアスロンを走った中山さんと→】

 少し広い車道を走ってから山の方へ向かって行く。地元の人たちが祭りの太鼓を叩いて応援してくれている。太鼓の応援はありがたいが、その横ではテーブルに酒やビールをならべて宴会気分のようで、これから70kmあまりの山道に向かおうとするものからはいささかうらめしい眺めではある。


 まだまだランナーはごちゃごちゃしていて、女性も周りには見受けられる。路は次第に細くなって傾斜がきつくなってきた。そろそろ歩いている人がいる。ぼくはまだ走っているが、スタート直後のハイペースはエネルギーの消費が激しいので、頑張らずに抑えていくつもりだ。

 今熊山の登りにさしかかって、石段を上るようになった。さすがに走ることをやめて歩きにした。それでもぐんぐんと追い抜いていく。曇っているが登りで身体が暑いので、帽子を脱いでザックのベルトに付けた。かなり汗をかいたが、そのおかげか調子が上がってきた感じがする。『三輪さんはどれくらい前におられるのだろうか?』、と気になってきた。

 下りの苦手なぼくとしては、前半でどれだけ差がつけられるかが勝敗のポイントである。昨年の三輪さんの記録から推測するとおそらく三輪さんは三頭山まで7時間半くらいだろう。ぼくとしてはここで1時間の差をつけておきたい。ということは三頭山まで6時間半ということである。そうすれば後半につめられても、完全につぶれることがなければ何とか逃げ切れるのではないかと考えた。それに前半6時間半でカバーできれば、ゴールは悪くても13時間台。あわよくば12時間台が見えてくる。しかしながらその三輪さんはまだぼくの前である。


 そろそろスタートしてから1時間近くになったころ、ジグザグ路の上の方に三輪さんとおぼしき姿が視野に入った。その瞬間、『どうやって追い抜こうか?』と考えた。つまり『抜きますよー』と言って抜いていくか、黙ってさりげなくかわしていくかということである。はっきりとわかるように抜いていけばアセリを呼ぶかもしれないが、逆にまた頑張られてしまう可能性もある。気付かれなければ安心してリラックスできるだろうが、そのまま油断してゆっくりペースに落ちついてしまう可能性もある。

 どうしようかなぁと考えていたら、ふいに三輪さんの姿が目の前に映った。木にもたれて靴を脱いで靴下をいじられている。マメでもできたのだろうか。あまりの突然のことであせってしまったが、結局黙って横を走り抜けてしまった。『ずるいことをしたかなぁ』という後悔の念も少しはあったが、どちらかと言うと『シメシメ』という気持ちの方が強かった。勝つためには冷酷にならなければならない。別に負傷者を見捨てたわけではないのだ。


 スタートから1時間が過ぎて、少し喉がかわいてきた。三輪さんを抜いて10分ほど走ってから止まって水分を補給して、アメを口に入れた。そうしたら早くも三輪さんに追いつかれて、『あれっ、松田さん?』と声をかけて抜いていかれた。『ええ』なんて生半可な返事をして、『こんなはずではなかったのに・・・』と逆にあせってしまた。小キジをうって(“小便をして”――山ヤの業界用語)、追いかける。

 幸い5分もしないうちに追いついた。後ろから『調子はどうですか?』と声をかける。『まあまあというとこだね』とのお返事。これは本音は『なかなか調子がいいぞ』ということに違いない。『いやぁ、マメができそうでねぇ』という返事を期待していたのに、逆にこっちがあせってきた。

 今回の三輪さんは新しいシューズで、山用の厚い靴下を履いておられる。昨年の雨では足がかなり冷えたそうで、今年も雨になりそうなのでその対策とのことであった。しかし山用の靴下は編み目が粗いし、おまけに厚いと走ると靴の中で足がすれてマメが出来やすく、ランニングには向かないはずだ。でもそんなことはいっこうにお構いなしという雰囲気で、『そうなんだよー』と言いながら快調なリズムで前をいかれる。


 そんな話をしながら5分ほど並走しただろうか。『ぼくは前半にリードしておかないと勝てませんから』と言って、前を行かせてもらうことにした。『どうぞ、どうぞ』という声に送られて前に出る。そろそろ薄暗くなってきた。雨はまだ降っていない。フラットな路で快適に走れたのであっと言う間に差が広がり、三輪さんの姿はぼくの視界から消えて行った。

 いよいよこれからが勝負である。まだレースは始まって1時間あまりしかたっていない。このあと一度でも三輪さんに抜かれたら、それはぼくの敗北を意味する。後ろの気配を気にしながら走るというのはあまり得意ではないのだが、今度ばかりはそうは言っていられない。東海道53次遠足ではスタート直後のほんのわずかな間しか先行できなかったが、同じ轍を踏むことはできないのだ。


8469 [96/10/22 21:51] QFF01750 松田:山岳耐久レース対決記 その3

 5時を過ぎると急に暗くなってきた。左手に街の明かりが見えるが、あれはどこだろうか。あそこではこれから土曜日の夜の団らんが始まるのだろう。今晩は雨模様だし、こんな夜は家族とともに家でのんびりと過ごすのがもっともふさわしい。それなのにぼくはこんな時に山の中を夜通しで走ろうとしている。『なんてバカなことを・・・』と思うと同時に、そんなバカなことをいつまでもやっている自分をちょっと誇りたい気持ちが錯綜している。


 これ以上暗くなると手元もあやしくなりそうになってからヘッドランプをつけた。今回のために新調したリチウム電池の軽量ヘッドランプである。もう一つペンライトも持ってきているが、しばらくはヘッドランプだけで行くことにする。

 スタートから2時間が過ぎて醍醐丸の登りにさしかかるころ、初めての給食にした。これからはもうあまりまともに走れないだろうと思って、少量の食料とエネルゲンを500cc入れたウェストバックを腰に着けて、大福餅を手に持った。上り坂を息を上げながら、大福餅をほうばる。おいしい!!。

 しかしそんな幸せな気分はぽつりぽつりと降り出した雨に一瞬にしてかき消された。しばらく雨のことはすっかり忘れていた。夜になって空模様もわかないし、調子も良かったのでそんなことはもう意識外だった。まあでも今回は覚悟だけは十分にしてきているので、それ以上のショックはなかった。


 しばらくは小降りのままだったが、いよいよ本降りになってきた。そろそろ雨具を着た方が良さそうだ。と思ったらちょうど醍醐丸のピークに到着した。都岳連のサポートの人たちがおられる。何人かが雨具を着けようとしており、ぼくもここで雨具を着ることにした。スタートしてから2時間31分がたっていた。

 今回ぼくが持ってきた雨具は山用のゴアテックス。ただしもう10年以上使っていてゴアの機能はほとんど消滅しており、何かの折に捨ててしまおうと思っていたシロモノである。山用はサイズに余裕があるので、デイパックを背負った上から着ることができる。そうすれば荷物も濡れないし、蒸れも少なくなる。

 問題はデイパックにくくりつけていたストックがじゃまになって、手で持たなければならなくなったことだ。でも仕方ない。雨で足元は滑りやすくなるので、覚悟を決めてストックを手に持った。


 醍醐丸の下りに入った瞬間、ストックを持ったことが大正解だとよろこんだ。とにかくぼくは下りがヘタである。バランスが悪いし、腰が引けてすぐに滑ってしまう。本当は上体を前屈みにしてリズミカルに下りれば濡れた斜面でもそれほど滑らないのだが、頭で理屈はわかっても身体は思い通りには動いてくれない。こういう場面に出会うたびに、『ぼくは山のセンスが無いなぁ』とつくづく感じてしまうのだ。

 案の定、下り出して5分もたたないころ、足を滑らせて草の路肩に大きく滑り落ちた。左手の甲を擦りむいた。ヒリヒリして血が流れているが、まあ大したことはない。どうせ雨で濡れて洗われるだろうと思って、そのまま走り続けた。


 20km地点を3時間16分で通過した。10km地点の通過が1時間16分だったので、この10kmに2時間かかっている。ちょっとかかり過ぎと思うが、これ以上のハイペースは自滅を呼ぶだけである。

 幸い雨はさほど強くはなっていないが、足元はずるずるになってきた。平坦な路では水たまりができているところもある。しばしば路肩を踏み外しそうになって、大きくバランスを崩す。小さなヘッドランプでは走るにはいささか心もとないが、右手はストックを持っているのでペンライトを持つわけにはいかない。

 すでに何度も足を滑らせて転倒も平気になった頃、第1チェックポイントの浅間峠に到着した。3時間45分(55分?)。86位だった。雨具のチャックの具合がおかしくなって参加証をピンでとめているウェストバックが開けられなくなってしまったが、都岳連の人が力ずくではずしてくれた。意外にも女性はまだ誰もここを通過していないようである。ちょっと立ち止まって給水してアメを口に入れただけで、早々に走り出した。


8477 [96/10/26 22:40] QFF01750 松田:山岳耐久レース対決記 その4

 地形を十分に把握してきていないのだが、もうあとは三頭山までほとんど登りが続くはずだ。雨はさほど強くはなってはいないが、足元はとても滑りやすい。少し急な斜面になると登りでも滑るくらいで、木の根や草をたよりに登らなければならないところもある。『アイゼンがいるなぁ』なんて言いながら登っている人がいたが、まったくその通りである。

 ヘッドランプだけでは十分な明かりが得られないので、平坦なところで走っているとしばしば路を踏み外して路肩にずり落ちたりしてしまう。


 前後に人がいなくなってたった一人になってきた。夜の8時である。下界ではまだ夕食後のひとときという時間だろう。なんか無性に腹立たしくなってきた。どうしてこんな気持ちになるのか考えてみたら、その答えはすぐにわかった。要するに今日のレースはまったく楽しくないのである。せめてこれが昼間なら、たとえ雨であったとしてもコースの状況はわかるし、山を走る価値も見出せるに違いない。

 しかしあたりは真っ暗。景色を楽しむどころか足元すらおぼつかない。『こんなことにいったい何の意味があるのだろうか?』という疑問が大きくふくらんできた。山道を夜を徹して71kmも走ったというのはちょっとした自慢話くらいにはなるかも知れない。しかしぼくは人に自慢するために走っているのではないし、たとえ自己満足のためだけだったとしても、それにしてもレースが楽しめなければ走る意味は無い。

 ふと比叡山の延暦寺の僧が行う千日回峰行のことが頭に浮かんだ。『そうか、これは修行なんだ!』という考えが頭に浮かんだ。彼らが山を走るのはそれ自体が目的なのではなく、悟りを開くための手段に過ぎない。一人で山を駈けるというのは一種のサバイバルである。大自然で生き延びる術− 精神的にも肉体的にも−を学ぶにはこんなに適した方法は他にはあまりないだろう。そういう一種の生死の境界を駈けることによって彼らは悟りを開いていくのに違いない。

 しかしぼくは僧侶ではない。ぼくは走ることが楽しいから走っているのであって、単に偉業を達成したという満足感を得ることが目的なのではない。やはりその行為の最中に楽しみがなければ、それはぼくにとっては単なる苦行でしかない。


 昔、中学から高校にかけて、体力が無かった頃の山は苦行でしかなかった。終わってからの達成感はあっても、楽しかったという思い出はほとんど無い。山の楽しみが味わえるようになったのはマラソンを始めて体力がついてからのことだ。

 ただ不思議なのは、そんな苦行でしかなかった山をどうしてやめなかったのかということだ。これは今もって自分でもわからない。いつも山へいくたびに、『もうこれで最後にしよう』と心に決めながら歩いていた。それでも家に帰って2、3日もすれば次の計画のために地図を開いていた。本当にぼくは山が好きなのだろうかと思うことが今でも時々はあるが。

 そんなことを頭に浮かべながらとにかく足を前に進めた。何と言っても今日は三輪さんとの勝負がある。どんなことがあってもやめるわけにはいかないのだ。


 西原峠の救護ポイントに到着した。5時間49分。三頭山まであと1時間はかかるだろう。予定よりも遅れて気持ちははやるが、ここでちょっと小休止にする。ザックを下ろして小さなおにぎりをほうばる。甘いものばかりでは飽きがくるので口直しに持ってきたものだ。期待通り気分転換になったが、ザックを下ろすのに雨具を脱いで半袖のTシャツだけになっていたらすぐに寒くなってきた。雨具を着て走るのにちょうどいいくらいの気温なので、Tシャツだけで止まっているとすぐに寒くなる。

 おにぎりを食べ終わるとウエストバックのボトルにエネルゲンを補給して再出発した。いよいよ三頭山の急な登りが始まる。


8503 [96/11/02 14:32] QFF01750 松田:山岳耐久レース対決記 その5

 三頭山の登りはもうとても走れない。膝に手をあてて足元だけを見つめてただ黙々と前へ進むだけだ。予想以上に時間がかかっているので多少不安な気持ちになるが、とは言っても走るわけにもいかないし、ただ耐えるしかない。

 ひとりぽっちになってしまうこともあるが、だいたいは誰かが前後にいる。前に人がいるときは気が楽だが、すぐ後ろにつかれるのはあまり気持ちのいいものではない。すぐ前に人がいるとその人の動きで路の様子がある程度わかるのだが、前になるとルート・ファインディングをしなければならない。結局は前になったり後ろになったりしながらおおむね同じようなペースで何人かがグループのようになって登って行った。


 少し下りになって前の方に明かりが見えた。避難小屋があって、サポートの人がおられる。ぼくの前を走っていた何人かは吸い込まれるように小屋に入って行った。ぼくも気持ちは強くひかれたが、まだ登りが残っている時に小屋で休んでは緊張感が切れてしまうと思って、そのまま階段の登りに取りかかった。

 この登りは本当につらかったが、これを登り切ればこのコースの最高点、距離でほぼ中間地点ということで、気持ちを集中させて足を運んだ。

 サポートの人がいる三頭山の頂上に着いたのはスタートしてから6時間52分経ってからだった。雨は小降り状態である。『やっと半分来た』という気持ちと、『実質的には半分以上だ』という安心感と、『まだまだ先は長いぞ』という不安感が交錯した。でもなにがしかの安堵感があったことは間違い無い。スタートしてから初めて腰を下ろして、ようかんをかじった。疲労感はあるが足に痛みなどはまったく無いので、そのことが心を落ちつかせてくれたに違いない。


 すぐに身体が冷えてきたので、あわただしく用意をして先を急いだ。下り始めは急だったので注意して下った。しばらくするとジグザグの緩い下りになって、快調に飛ばせるようになってきた。数人の塊ができてちょうど真ん中あたりの位置で行けたので、気分的にも楽だった。

 まだまだ先が長いのに、なぜかもうゴールが見えてきたような気持ちになってきた。『うまくいけば12時間台でゴールできるかも知れない。前半と同じだけかかったとしても13時間半くらいなので、悪くても14時間そこそこではゴールできるだろう。12時間台なら完勝だ。HARAPPAの報告はどんな文章にしようか・・・・』。おそらくこのレースでもっとも幸せなひとときだったに違いない。まだ50km以上もあるというのに、その事実を直視することもできずに夢心地で走っていた。


 コースにはチェックポイント意外にも随所にテントを張ってサポートしてくれる人たちがいる。本当にご苦労様なことである。京都岳連でこんなことができるだろうか? まず無理だろう。都岳連は色々な意味で先進的な組織だ。かつて遭難対策委員の全国大会に参加したことがあったが、そこでの話を聞いても都岳連の取り組みは突出していた。ある意味ではその先進性ゆえに上部組織とあつれきを生むこともあったようだが、少なくとも彼らの目指す方向が間違っていないということだけははっきりしていた。

 『都会の人間は弱い』というような意見がそれらしく語られることがしばしばあるが、少なくとも山の世界では東京の山岳団体の活動がもっともレベルが高い。もちろん地方でもそれぞれ味のある活動をしている会があるが、おしなべて言えばやはり東京が最もハイ・レベルと言えよう。ただしその個人がもともと都会出身なのか地方出身なのか、そこまで詳しく調べたことはないのだが。


8517 [96/11/09 15:18] QFF01750 松田:山岳耐久レース対決記 その6

 こまかいアップダウンを繰り返していたら、前方に車道が見えてきた。サポートの女性が『あと5分でチェックポイントです!!』と教えてくれた。少しだけ車道を走ってまたすぐ山道へ入る。そうかと思うとまた車道に出る。もう5分以上たってから、またサポートの人に『もう少しでチェックポイントです!!』と声をかけられた。『もう少し』と言われながらなかなか着かないというのは気分的に非常に疲れる。励ますつもりで言ってくれているのだろうが、それならもう少し正確に言ってほしいとぼやきたい気分になってきた。

 『あと5分』と言われてから10分以上かかって、ようやく月夜見の第2チェックポイントに到着した。8時間20分。順位は56位まで上がっていた。テントの下で雨をしのいで、シートに腰を下ろして蒸しパンを食べた。カメラを持って走っている人がいて、写真を撮ってもらっていた。大したものだ。そうこうするうちに女性のトップがやってきた。別に女性と競うつもりはないのだが、何とか女性のトップよりは早くゴールしたいという気持ちは持っていたので、ちょっとあせりを感じた。

 ここでは水とエネルゲンの供給があるので、エネルゲンを薄めて水筒一杯にした。スタート時は2リットルも持てばゴールまで十分じゃないかと思っていたのだが、予想以上にのどがかわいて一息つくたびにたっぷり飲んでいた。とは言ってもまだ500cc以上は残っていたのだが。


 10分ほど休憩して再出発した。チェックポイント直後は雨でぬかるんだずるずるの斜面の下りである。下り始めにまずはひと滑りして、そのあともストックをささえにしながらもずるずると滑りながら下った。こんなところを支えも無しに下っていく人は信じられない。ひとたび滑れば斜面の下まで行ってしまいそうだ。斜面の長さはたぶん100mくらいだったと思うが、下まで下りたときはもうぐったり疲れていた。その後の平坦な路で非常に疲れが出ているのを感じた。


 このコースはそのほとんどにテープが張られている。したがって路を間違える危険性は非常に少ない。しかし路の片側が急に落ち込んでいたりしても、これはまったくわからない。足を滑らせたら多分そのまま落ちてしまうだろう。こんなペラペラのテープなんかまったく支えにはならない。しかも前後に人がいない時に落ちたら、まず誰も気付かないだろう。よく事故が起きないものだ。万が一死亡事故でも起きたら、遺族が訴訟を起こしても不思議ではない。京都岳連ならこんな危険なレースを主催することはまずないだろう。

 疲れてくるとまた『おもしろくない』という気持ちが頭をもたげてきた。そして御前山の急な登りにさしかかってきた。このあたりから次第に追い抜かれるようになってきた。地形を十分に把握していないので、どれくらい登りが続くのかわからない。立ち止まって地図を確認すればいいのだが、そんなことをしても距離が短くなるわけでもないし、かえってがっかりしたりしても困るので、あえて見ることもしなかった。と言うよりは、そんなことをするのがもう面倒なくらい疲れてきていた。

 こんな登りでは走ることなど到底不可能で、そのペースたるや歩きの山行のときとまったく変わらない。違いと言えば荷物が軽いことくらいだが、その軽い荷物でさえ気になるようになってきた。ジグザグを何度も繰り返して、ようやく頂上と思われるところにたどり着いた。やれやれと思ったが実はそこは頂上ではなく、本当の頂上はそこからさらに10分ほど登ってからだった。サポートの人が『御前山の頂上です』と教えてくれた。ほっとしたが、立ち止まることもせずに下りにかかっていった。


8524 [96/11/10 22:38] QFF01750 松田:山岳耐久レース対決記 その7

 御前山の下りはかなり急で、着地のたびに大腿四頭筋に鈍痛を覚える。故障の痛みではなく、筋肉疲労の痛みだ。前途に不安を感じた。ちょうど5月の比良全山縦走会と同じような感じだ。あの時はわずか15kmあたり、スタートして3時間もたたないうちにそんな状態になってしまったが、今回はすでに50kmほどは走っている。『ついにきたか・・
・』という落胆が心を襲った。御前山の登りではバテながらもまだタイムを意識していたが、いよいよそういう状態ではなくなってきた。はたして完走できるだろうか・・
・、そんな不安が頭をよぎった。

 そんなぼくの落ち込んだ気持ちに追い打ちをかけるかのように、後ろから女性の声が聞こえてきた。男性ランナーと一緒に走っているようだ。『このペースなら14時間を切れますよ』という男性の声が近づいたので、ぼくは躊躇せずに路をゆずった。追いかける気力も体力ももう喪失していた。


 滑りやすい下りはまだまだ続き、身体を支えるのに木をつかむたびに腕時計のストップウォッチのボタンが木に当たってピッという音を立てて止まってしまう。うっとうしいがそのまま放っておくわけにはいかないので、不安定な姿勢で始動のボタンを押す。そうするとまた足元が滑ってバランスを崩し、足に急な衝撃がかかって疲労が倍増する。

 もう泣きたい気分だ。三輪さんははたしてぼくの前におられるのか後ろから追っておられるのか。ここでひと思いに抜かれてしまえば気分も楽になるに違いない。後ろから足音が近づくたびに三輪さんじゃないかと思い、抜かれたあと三輪さんではなかったことが判るとほっとしたようなしないような、何とも言えない複雑な心境になる。

 突然車道が現れ、『大ダワです』というサポートの人の声に励まされてまたすぐに山道に入る。大ダワという地名は何となく記憶にあるが、どのあたりなのかまでは記憶していない。たしかまだ一つ大きなピークがあったはずだ。その登りがどんなものかもまったくわからないまま、疲れ切った足を前に進めた。もう平坦な路ですらも満足に走れないほど脚筋が疲労していた。


 大岳山の登りではたまらず立ち止まって気持ちを立て直さなければ前に進めないくらいで、こんなことは数年前の富士登山競争以来のことだ。『もうリタイアする?』、そんな悪魔のささやきが脳裏をよぎった。『バカな! リタイアする口実が無いじゃないか。故障したわけじゃない。ここまでくれば後はずうっと歩いても制限時間内にはゴールできるだろう。せっかくここまで来たんだから完走を目指せ!』と、もう一人の自分が叱咤している。

 三輪さんとの勝負がかかっていなければ本気でリタイアを考えたかも知れない。故障でもないのにリタイアするなんて三輪さんに失礼だと思って、たとえどんなタイムになるにしてもとにかく歩ける限りはゴールを目指そうと決心した。


 大岳山の頂上にも女性のサポートの方がおられた。サポート要員に女性が多いのも特徴的だ。こんな真夜中の雨の山中でのサポートなんて、よほどの義務でもなければやりたくない仕事に違いないはずだが、都岳連のサポートの人たちはそんなそぶりはまったくなく、かと言って大げさに励ますわけでもなく、淡々と任務を遂行されている。『滑りやすいので気を付けて下さい』という声に送られて、ここでも休まずに下りにかかって行った。


8534 [96/11/17 11:31] QFF01750 松田:山岳耐久レース対決記 その8

 大岳山の下りは難渋をきわめた。滑りやすい岩場で鎖場などもあり、ここでは手に持ったストックが邪魔になったが手放すわけにもいかず、慎重に慎重に下った。そろそろヘッドランプの電池が弱ってきているんじゃないかと思って、急な下りが一段落してから電池を取り替えたが、残念ながら何の変わりもなかった。

 誰かに抜かれるたびに『三輪さんじゃないか』と確認しているが、今のところ抜かれた気配は無い。ただし第2チェックポイントの直後の滑りやすい斜面は幅が広かったので、ひょっとしたらそこで抜かれているかも知れない。そうでなかったとしてももうすぐ後ろまで迫られているはずだ。

 ずいぶんと路がおだやかになってきたので気合いを入れ直して走ってみたが、そのとたん右足の爪先で切り株か岩かを蹴飛ばしてしまい、激痛が足に走った。しかしあえて止まらず、びっこを引きながらゆっくりと歩き続けた。痛みは次第におさまってきたので、爪が割れるほどはひどくないはずだ。なまじ見て血まみれだったりしたらかえって気力が萎えてしまいそうなので、そのまま歩き続けた。


 少し急な下りで、あっと言う間もなく滑ってお尻からどーんと着地した。幸い下が土だったので痛みはまったくなかったが、着地の衝撃でヘッドランプがすっ飛んでしまった。真っ暗なままあたりをごそごそと手探りしてみたが、それらしきものは見当たらない。ザックの中にはペンライトがあるので、いざとなればこれを出せばいいのだが、それが面倒なのだ。

 うろうろしていたら後ろから誰かやってきて、『どうされましたか?』と声をかけてくれた。少し一緒に探してくれたのだが見つからず、いよいよペンライトを出すしかないとあきらめてザックを下ろしたところ、肩のあたりからヘッドランプがぽろっと落ちてきた。一緒に探してくれた人にお礼を言って、泥まみれのヘッドランプをまた頭に着けた。そこを下りきったら第3チェックポイントだった。


 12時間40分で御岳山のチェックポイントに到着した。順位は70位くらいのようだ。思ったよりは抜かれていない。サポートの女性が『もう2時間はかかりませんよ。登りもほとんどありません』と言ってくれた。距離的にはまだ14kmくらいあるのでこれまでのような山道ならとても2時間ではいけないはずだ。あとはゆっくりした林道のような路が続くのだろうか。さっきの『あと5分』が実は10分以上だったこともあって、あまり安心しないようにした。

 5分ほど腰を下ろして水を飲んだりようかんをかじったりしてから再出発した。ぼくが出るやいなや直後に付いてきた人が、『ヘッドランプの電池が乏しいので後ろに付かせてほしい』と言ってきた。こちらはもうくたびれ果てているので内心はうっとうしいが、『いいけれど、ぼくはもうまともに走れませんよ』と返事しておいた。


 路は整備された山の観光地の感を呈してきた。みやげ物屋が並んだ車道まで現れて、後ろの人が『もうあとは車道なんですか?』と尋ねてきた。『ぼくも初めてなんでよくわからないんですけれど、なんかそうみたいですねぇ』。さっきの『あと2時間もかからない』という言葉がにわかに現実味をおびてきた。これなら確かにその通りだ。

 しかしそんな期待はすぐに打ち消され、また山道になった。日の出山の登りは短いが苦しかった。そしてその登りよりももっとつらかったのが急な階段の下りだった。一歩着地するごとに疲労した大腿筋に痛みが走る。階段とは言っても不安定な石や木で作ってあるので、リズミカルに下りるというわけにはいかないので、一歩一歩慎重に下る。後ろの人はイライラしてるだろうが、そんなことに気を使ってケガでもしたらばかばかしいだけだ。

 そんな不安定な路が穏やかになったころ、後ろの人がしびれを切らせたのか『もうすぐ明るくなってくると思うので先に行っていいかな』と言って抜いて行った。やれやれとほっとした。


 第3チェックポイントを過ぎてからもかなり抜かれたが、まだ三輪さんには出会っていない。この調子ならゴールは15時間を過ぎそうだし、三輪さんならアクシデントが無ければいくらなんでも15時間もかからないはずだ。何かあったんだろうかとちょっと心配になってきた。それともずっと前におられるのだろうか。

 そろそろ薄明るくなってきた。いくらなんでも暗いうちにはゴールできると思っていたのに、なんということだ。でもあたりが明るくなると気持ちにも余裕が出てくる。徐々に下界の気配が出てきて、あと5kmが看板が現れた。あと20分で15時間なので、どうがんばっても14時間台は不可能だ。

 山道から舗装道路になって、足への衝撃が一段と激しくなった。しかしここまでくるとゴールが見えた感じで、完走は確信した。『あと2時間もかかない』はずが2時間半くらいになりそうだ。しかしここを2時間かからずに行ける人はトップのほんの一握りではないだろうか。あそこがスタートなら話もわかるが。

 サポートの人の指示で2〜3回角を曲がったら、前方にゴールの幕が見えてきた。足の痛みも忘れていつの間にか走っていた。


8546 [96/11/29 23:00] QFF01750 松田:山岳耐久レース対決記 最終回

 ゴール・テープの向こう側からカメラを向けられていたので、両手を上げてそれらしいポーズでゴールインした。ついに三輪さんとは出会わなかった。『ひょっとしたら勝ったかも??』という期待が心に広がった。

 すぐに完走証をもらえるそうで、そばの椅子で待っていてくれと言われた。その椅子に腰掛けようとしたちょうどその時、すぐそばに三輪さんと良く似たタイツの人がいることに気付いた。足元に目をやってみたが、その人はすでにスリッパに履き替えていた。三輪さんは登山用の厚い靴下をはかれていたので、それを目印にチェックしてきたのだ。

 『まさか!!』という気持ちと共に、その事実を認めたくないという気持ちがむらむらと湧いてきた。しかしまだ本当に三輪さんなのかどうかは確認できていない。おそるおそる顔を確認してみたら、やはりそれは三輪さんだった。すぐに声をかけることができず、一息ついて気持ちを落ちつかせてから『三輪さん』と声をかけた。

 『あれっ、松田さん!?、いつゴールしたの?』
 『たった今です』
 『オレも今ゴールしたばっかりだよ』
 『たった今ですよ。完走証を待っているんです』
 『オレはほんの数分前だよ』

 三輪さんは14時間59分、ぼくは15時間8分。わずか9分差の敗北であった。第3チェックポイントはぼくの方が先に通過しているし、タイム差から考えると抜かれたのはもう明るくなってからだ。抜かれるたびにその人の足元をチェックしていたのだが、どこで見落としたのだろう。まあでもそんなことはどうでもいいことだ。とにかくこれで2年越しの勝負に決着がついた。これで通算対戦成績は3戦2敗1不戦敗となった。

 三輪さんと話をしていたら江本さんが現れた。『あれっ?』と言ったら『雨だから西原峠でリタイアしたよ。もともと雨だったらやめるつもりだったんだから』とおっしゃった。そして、『松田君、初めてでこのタイムは立派なもんだよ。三輪さんはこういうレースは百戦錬磨なんだから』と言っていただいた。このレースのことについて江本さんとしばらくお話ししていたが、江本さんの『夜の山道を雨の中で走ってもぜんぜんおもしろくないよ』という意見にはまったく同感である。ぼく自身も走りながらそう感じていたし、こういうことをやることの意味に大きな疑問も感じていた。
【←出発前の江本さんと三輪さん】

 ただし負けたものがこんなことを言っても始まらない。夜中の山道を走ることは最初からわかっていたことだし、雨にしたってそうなる可能性はあったわけである。それを承知の上で走ったのだから、こんなことは負けた言い訳にはならない。この結果には満足はしていないが、納得できるものではあった。


 どろどろになったタイツや靴を脱いだ。靴を履いていたにもかかわらず足先はどろどろで、爪の間に入り込んだ泥は1カ月以上も取れなかった。切り株か何かを蹴飛ばした右足は、人差し指の爪に内出血があったが、幸い割れてはいなかった。風呂もないので着替えたら早々に帰ることにした。

 三輪さんは50歳代の部で入賞されたそうだが、あまりうれしそうな感じではない。三輪さんとしてもこのタイムには満足されていないのだろう。今年は故障はなかったようだが、膝の故障をかかえて走られた昨年よりもタイムが悪い。雨も昨年ほどはひどくなかったので、内心はあまりうれしくないということは容易に想像できる。歳をとれば否応なしに肉体が衰えていくのはいたしかたのないことだが、ランニングのように記録のはっきり出るスポーツをやっているとそれが数字として現れてくる。完走したという満足感はあっても、自分がかつての力がなくなっていることを認めなければならないのは我々のような市民ランナーのレベルでもやはりつらいことだ。


 ちょうど三輪さんの知り合いの方が来られたので、挨拶をして駅に向かった。すでに雨は上がっている。まだ朝の8時前である。こんな時間にレースを終えて帰るなんて前代未聞だ。東京駅へ向かいながら、『ぼくは10年後もこんなレースを走っているだろうか?』と自問してみた。三輪さんはぼくより11歳年上である。ぼくが三輪さんの歳になってもおそらくランニングは続けていると思うが、こんなレースを続けているかどうかははなはだ疑問である。

 もちろんハードなレースを続けることが立派というわけではないが、やはり走り続ける限りは何らかの目標を持っていたいし、目標が無ければ走り続けられないのではないかと思う。ぼくは健康のために走っているのではないし、健康だけが目的では多分続かないだろう。やはり目標は『新しい自分の創造』であるはずだ。自己記録がもう目標となり得なくなってしまった今、ぼくにとっての『新しい自分』というのが何なのかはまだつかみきれてはいないが、例え自己記録には届かなくなっても、それでもレースになると全力を出さないと満足できないという自分を発見したのは近年のうれしい収穫ではある。


 新幹線でビールを呑んだらあっと言う間に寝入ってしまった。三輪さんと別れた時の挨拶は『こんなレースはもう出ません!!』だったが、ほろ酔いかげんにまどろみながら『ひょっとしたら来年も走るんじゃないか・・・』、そんなことを考えていた。



以下は、帰宅直後に書かれた松田さんの敗戦の弁です。地平線通信10月号にも掲載されました。

8444 [96/10/13 21:41] QFF01750 松田:ついに決着なる!!

☆☆ついに決着なる!!☆☆


 三輪さんに挑戦状を送りつけたのは昨年のこと。その舞台にこのレースを選んだのはぼくの選択だった。平地のフル・マラソンや超長距離のレースでは勝負にならないので、折衷点として選んだのがこのレースだった。ところが昨年はちょうどエントリーの時期に出張になって、帰国後に問い合わせをしたらすでに定員オーバーとのことでぼくの不戦敗と相成った。

 満を持して駆けつけた今年の大会。ぼくの山岳レースの経験は決して十分ではないし、はたして完走できるかどうかという不安も少なからずあったが、1カ月前の野辺山ウルトラ・マラソンの50kmの部で8位に入った勢いで果敢に挑戦した。

 いよいよスタートである。今回のぼくの作戦は、『前半の三頭山で三輪さんに1時間の差をつけること』である。三輪さんは下りが得意で、ぼくは下りが大嫌いである。おまけに今回も雨が予想されるのでその下りはかなり悲惨になることが予想される。スタート直後は三輪さんに先行されたものの1時間くらいで追い抜いて、目標の前半6時間半には及ばなかったが6時間50分で三頭山に到着した。このあたりは快調で、約42kmの月夜見山チェック・ポイントでは56位まで上がった。

 しかしながらぼくの勢いはここまでだった。チェック・ポイント直後のズルズルの斜面で何度もころび、御前山の登りにたっぷりしごかれ、もうあとは平坦な道すらも走れずにどんどん追い抜かれるだけだった。三輪さんに抜かれたことは気がつかなかったが、ゴールしたらあの笑顔が待ちうけていた。三輪さんに9分遅れの15時間8分、89位のゴールだった。江本さんは『予定通り』の西原峠でのリタイア。何とか三輪さんの目の黒いうちに一矢を報いたいものだが、こんなレースはもうたくさんである。雨の山道を夜中に走るなんて、延暦寺の坊主にまかせておけばいいのだ!!



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