平凡で幸せな生活を夢見て

樫田秀樹

1987年にオーストラリアの徒歩横断を終えた樫田秀樹さんは、その後マレーシアのボルネオ島に通うことになる。サラワク州のカヤン族の村に住み込みながら、足かけ5年に及ぶ滞在となった。そして先日、築地書館から『9つの森の教え』(峠隆一・筆名)を上梓した。サラワクで教えられた生活の知恵をまとめたものである。

だれもが平等に安心して生活できるサラワクの生活に触れ、同じような場を日本で作れないかと考えながら、現在は国内の環境問題やハンセン(ライ)病の患者への聞き取り、エイズ問題、戦犯が歩んできた戦後のことなど、積極的な行動を展開している。インドの火力発電所やネパールの草の根援助の問題を取材したばかりの樫田さんに、今までの旅を振り返ってもらった。



……浪人時代に生きがいのある人生を送ろうと思って冒険に出るわけですが、サハラに行ったのが最初ですか?

樫田●そうだね。賀曽利さんの『アフリカよ』という本の影響があったね。あの人があれをやったのは二十歳のころで、当時、たった2歳しか違わなかったから、すごいって思ったよね。

……浪人時代に海外を渡り歩く夢があったのは、やっぱりこんな場所でちょこちょこやっているより、外に出たいということでしたか?

樫田●暇だったんですね。近くの図書館で旅行記をよく借りたんですよ。あれからだね、ぼんやりとしたあこがれを持ったのは。

……サハラとオーストラリアに行って、印象に残っていることは何がありますか?

樫田●サハラのほうは、強烈だったね。イスラム教徒で、アラブ人のわけがわからない文化と習慣とかさ、ああいうものを全然知らなかったから、とにかくカルチャーショックだったよね。オーストラリアでは、砂漠のなかで居留区に押し込められているアボリジニの生活を見てちょっと考えが変わったかな。バイクとかだとその土地の問題があってもちらっと見るだけで通り過ぎちゃうんだよね。その問題にかかわる人たちを見て、これもいいなと思ったね。そのときからだね、世界一周もしたいし、こういうかかわり方の活動もしたいと思ったのは。

……あるていど資金をためた後で、仕事をやめて突然ソマリアに行ったのはどういう理由だったんですか?

樫田●ほんとうは世界一周をするつもりだったんです。でもただの一周じゃなくて、南米のどこかのスラムに住み込んで3か月くらいそこにいて、違う所に移って、アフリカの難民キャンプに入るとか、そういう点と線を繰り返す旅を考えていたんですよ。それで3か月単位で活動できる場所の情報を集めるために日本国際ボランティアセンター(JVC)に行ったんですけど、たまたまソマリアの代表が帰国していたんです。それで、じゃあ行かないかってことになって。

……ソマリアに特別な思い入れがあったわけではないんですね。

樫田●そうだね。ソマリアというよりは、アフリカ、そして砂漠。こういった場所にもう一回行きたかった。最初は1年終わったらまた旅をしようと思っていたんだけど、文化や習慣を覚えるのに1年かかるんだよね。それでけっきょく2年間の滞在になった。そのうちに、世界一周というより、一か所に住み着くことのおもしろさ、こっちをやっぱり感じたよね。

……ソマリアの経験から、「なぜ飢えた後でしか援助の手を差し延べないのか」という疑問を抱くわけですが、そのきっかけになったのはどういう理由なんでしょう。

樫田●当時、アフリカ報道部門というのがあって、お腹の出た子どもがテレビや新聞で連日報道されていたんだよね。それでJVCの募金も1か月で 100万円は集まったんだけど、報道が終わったとたん月額1万円ちょっとに減っちゃうんだよ。センセーショナルな報道をしているときはみんなで盛り上がるけど、報道しなくなると一般の人もさっといなくなっちゃう。あのへん、やっぱりおかしいなと思ったよ。それとそういう部分って、病気で言えば治療の部分なんだよね。予防する保健所の役目がないんですよ。この貧しさの根本は何だろうかとか、それをなくすためには何をしたらいいのかとか、それがまったくないんだよね、当時の日本人の意識は。

……そのことを訴えるためにオーストラリアの徒歩横断に出るわけですが、その後長期にわたってかかわるサラワクとの出会いはどこでありましたか?

樫田●向こうで勉強になったのは、環境問題専門の本屋があったことですね。そこで初めてサラワクの事を知ったんです。日本では89年から報道されるようになりましたが、その2年前にはオーストラリアで報道されていたんですよ。あの辺りからボルネオに行きたいという意識が出てきたね。

……そうすると、オーストラリアから帰ってくるころには、次はサラワクだと決めていたんですか?

樫田●具体的に言えば、サラワクじゃなくてもよかったけど、とにかくアジアだと思ってた。アフリカの問題はやっぱり内部にあるような気がするんだよね。日本人の日常生活にはあまり関係ない。関係なくても、マスコミが騒げば、みんな関係を持ちたがるでしょう?

 ところが、アジアのほうはマスコミが報道しようとしまいと、日本人の日常生活につながっている部分ってけっこうあるんですよ。森林伐採もそうだし、エビとかバナナとかもそうだし、石油とかいろんな資源とか全部関係あるしね、やっぱりアジアとかかわりたいというのはあったよね。

……サラワクに通って今回の本を出したわけですが、このなかでサラワクのような社会が作れないかというのが今の夢だと書いてありますね。赤ん坊はみんなで育て、障害を持った人や老人が安心して生き、安心して死んでいける土地。こういう考え方でいくと、共同体という方向に進むような気もしますが、それについて何か……。

樫田●田舎が必ずしもいいかというとそうでもないんですよ。日本の田舎の場合はちょっとした事がうわさになるし、排他性もあるからね。もちろん共同体は共同体でいい面がありますよ。ただ、街の中にも“森”はあるんですよ。それはみんなで作っていくものだと思います。

……どちらかと言えば、平凡な日本社会を嫌って海外に出たのに、いつの間にか日本社会に戻ってきたような動きになっていますね。最近では国内のさまざまな問題に取り組んでいるようですが……。

樫田●半年間バイトをやって半年間外に出る人を知ってるけど、ある時期から見ててむなしくなるんだよね。外国を旅することは悪いとは思わないけど、むなしいのは何かというと、外国を旅している充実感とか満足感とかが日本ではないわけ。住む場所は日本なのに、その日本にいるときは満足感なく暮らしている。で、外国に行くためだけにバイト生活をしている。

 サハラ砂漠をラクダで横断した紺野さんが言ったことがあるんですよ。けっきょくね、こういう旅もいいけど、旅で得たものを次の日常に生かしていかなければ、旅っていうのは本物にならないなって。彼は今医者になったんだけど、紺野さんは旅で得たものを日常に生かすという点で医者を選んだんだよね。今思えばすごくいい事を言ったなと思うよ。オーストラリアからソマリアに行くときとか、ソマリアからアジアに移るときに、いつも頭の中にこの言葉があったね。

……日本でどうやって暮らしていくのかというのは共通した問題だと言えますね。

樫田●例えば、賀曽利さんの行動自体、まだこんなことやってるのかと思うよ。ただそれでも偉いなと思うのは、日本の生活をきちっと守っているよね。それで、日本のなかでも満足して行動してるでしょう? 要は、日本のなかでもちゃんと家族で支えあっているかとか、地域の人と仲よくやっているかとか、自分が根ざす所があるかという、そのへんだと思うよね。

……海外移住を考えたことはありませんか?

樫田●サラワクでだれかと結婚すれば幸せになれると確信できるんです。本気でほれた人がいなかったというのもあるけど、結婚するしないにかかわらずあそこに住もうかって、真剣に考えたよ。あそこに住めば自分は確実に幸せになれる。その世界に入っていける。でも、向こうの世界が問いかけるんですよ。お前、向こうでもできるんじゃないのって。

 自分の生きている間は無理としても、次の世代が安心して生きていける場所を作り上げる土台だけでも作っておけないかというのが、新しい夢なんだよね。向こうに住んじゃうのはほんとに簡単だよ。何も準備はいらない。ただ行けばいいんだから。

……普通は自分がどこかに定着できればいいと思うんですが、樫田さんの場合は後に続く人が同じように幸せに暮らせるような場所を作りたいという感覚になってますよね? どうしてなんでしょう?

樫田●やっぱりサラワク住んでみて、向こうから教わったことですね。自分が幸せになるためには、まずそういう地域なり場があるからこそなんだよね。もちろん相乗効果なんだけどね。個人だけが地域を作るわけじゃなくて、地域が個人に依存していることもあるから。だから、自分が居心地のいい場所を見つけるだけでは、ちょっと違うかなという気がしているね。

1994年12月23日 杉田晴美嬢宅にて
取材・文:新井由己/イラスト:リヨノフスキイ/Thanks to 杉田晴美



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