自然と人間の自由を求めて

山田高司

1981年に南米大陸の3大河川をカヌーで縦断した山田高司さんは、それをきっかけにして「青い地球一周河川行」という計画をスタートさせた。85年にアフリカに渡り、セネガル川からカヌーをこぎだす。以降、パリやロンドンの滞在を含めながら、ニジェール川・ベヌエ川・シャリ川・ウバンギ川・ザイール川と川旅を続けてきた。

しかし、政情不安のために、87年のザイール川を最後に計画は中断している。その後、「緑のサヘル」代表の高橋一馬氏と出会い、91年からチャドの植林プロジェクトに参加することになる。最近、ベトナムの環境教育林の計画を発表した「マングローブ植林行動計画(ACTMANG)」の発起人の一人でもある山田さんに、現在の行動に至るまでの経過を尋ねてみた。



……海外に行ったのは南米の川下りが最初だったんですか?

山田●そう。これは川下りをやるつもりだった。南米縦断の予定で計画をして、3年くらい準備していたかな。

……川を下ろうと思うのと、それを最初に選んだというのはなぜなんでしょうか?

山田●自然がすごく変わったよね、小さいときから大人になるまでの間に。特に、初めて泳ぎを覚えたのが5〜6歳のときなんだけど、台風の後の川で泳ぎを覚えたんだよね。そのときに見た川底って、タニシがいっぱいいたんだよね。それこそ川の石と同じくらい。で、小学校高学年くらいになるとね、タニシがまったくいなくなったよね。農薬が入ってきたんだよ、昭和30年代後半から40年代にかけて。蛍もいなくなったよね。

 もう一つは、おれらが生まれ育ったころは、豆腐屋の車が1台しかなかったの。あとはバスが走っているだけ。やっぱり昭和40年代からかな。みんなすごい勢いで車を持つようになったよね。同じころだよね、石油があと数十年でなくなるとか言っていたのは。でも車がどんどん増えていって、逆に車がないと、あるいはガソリンがないと生活できないような状況にどんどんなってきた。なんかおかしいんじゃないかというのはずっとあったよね。

……それは小学校を卒業するころですよね。

山田●そうだね。そのころから中学にかけてすごいね。そういうのがあって、自然と人間のかかわりというのにすごい興味があったよね。そういう意味で農大だった。食料って自然から取ってくることだから、農業をやるとそういうところが見えるんじゃないかと思って。

 もう一つは、いつも海が前で、山が後ろで、その後ろに日本があるわけだから。なんでこの山の奥にしばられているのかって感じだよね。あと、外国へ行きたい、海の向こうに行きたいというのがあったからね。大学行くときに調べて、農大で拓殖だったら、もろ農業で外国じゃない。それで選んだんだけどね。

……最初に農大に入って、探検部に入って、川下りだったんですか?

山田●川下りを始めたのは農大に入ってからだね。ただ川遊び・海遊び・山遊びは常にやってたからね。やっぱりそのあたりからかな。更に日本の川がどんどん人の都合のいいように変えられているというのがわかったのは。そういうのをずっと見てたから、ますます小さいころの思いが募ったというのがあるなあ。それを徹底的にしたのが南米だね。

……最初から大学に入って南米に行こうと決めてたんですか?

山田●いや、それもたまたま。当時探検部が20周年だったんだよね。で、農大は南米がまだだから南米へ行こうと。だったら川下りを盛んにやっているから、川でやろうと。で、先輩たちが縦断しようって。

……南米を回ったときのいちばん印象に残っていることは何ですか? 以前の話だと先住民族が奥に追いやられているとか、森がなくなっているとかありましたけど。

山田●もともと田舎で育ったせいかもしれないけど、少数民族とか、少数派とかに対する共感というか、ああいう人たちが痛めつけられているのが、人ごとじゃなく思えるんだよね。あるときインディオの村に泊まったんだけど、子どもたちといっしょにサッカーしたんだよね。みんな裸足じゃない。おれも悪いと思って裸足でやったら、始終すり傷だらけになってね。翌日、すまんけど今日はおれ靴履くわって言って靴履いてやってたらね、子どもたちがみんな靴履いて来たんだよね。街に行くときだけ靴履いて行くんだろうね。みんな新しい靴を履いてきてサッカーしたんだけど、ああいう経験するとそういう人たちが痛い目に遇っているのは人ごとではないよね。

……南米から帰ってきて、次に世界一周だと思ったんですか? こう、地図を見てて……。

山田●南米に行く前に地図に線を引いてたんだけどね、これはおもしろいなと。地図見ていろいろ考えるのは大好きだったからね。けど、卒業するまではずっと迷ってたね。あと川でやるかどうかも迷ったね。山も好きだったからね。アンデスもいろいろ登って、山もやってみたいなと思ったよね。

……アフリカをスタートとして選んだのはどういう理由なんですか?

山田●アフリカが人類発祥の地じゃない。厳密には人類が歩いていったわけじゃないから、足跡じゃないけどね。川を通じて人類が広がっていった足跡というか、跡。で、文明ってだいたい川で生まれているじゃない。だからおもしろいものが見えるんじゃないかな。人間の歴史ね。あるいは人間と自然のかかわり。人間と人間の関係。これを川という自然の位置から見るのはおもしろいと思ったんだよね。

 で、当時いちばん問題だったのは東西冷戦だよね。そのルートで行くと、たぶんソ連からアメリカには抜けられないと思う。ごくごく自然の地図を見て思えばなんでもないことが、そこにいったん国境とか人間の欲望の線を引いちゃうと、すごい。もっともっと自由に人間いろんなことをできるはずなんだけども、できないのは、要するにそういう国境があったり、戦争があったり、あるいは治安が今にも悪くなったり、文化が違うというだけでそこに行くだけで危険に遇ったり、いろんなことがあるわけじゃない。それこそ飢えていたり、公害があったり。それを見ることは新しい冒険というか、探検じゃないかというのはあったよね。で、やりながらその場その場で問題があったらその場でかかわっていこうのはあったけど、それをやったらエライなと思ってなかなか決心しなかったんだけどね。

……最終的に止まるまで、環境とか生活で引っ掛かるような所は特になかったんですか?

山田●もともとは川沿いの豊かだったところが砂丘に埋まっているところがあってね。ずいぶんいろんな村人から言われたよね。近くの町まで行って、食料持って帰ってきてくれってね。でもね、行かなかったんだよな。おれは自分で恐かったんだよ。自分たちも食料抜いてどんどん分けながら行ってたからね、もう一回あそこに帰りたくないというのが正直言ってあったよね。あれは一つの、いまだにアフリカにいるきっかけなのかもしれないね。今でも思い出すと自己嫌悪に陥るときがあるけどね。

……実際にアフリカに行ったときに飢えるアフリカを見たときに、自分が川をやっていることと、できることは植林というのはパッとつながりますか?

山田●やっぱり、川と森って切って切り離せないんだよね。例えばゲリラになるという手もあったんだよ。でもそういうのはおれは向いてないと思ったからね。やっぱり川の水林源、あるいは水を守る森かな、川も守る森がなくなっているのは川に身を置いていると身を切られることだからね。

……じゃあ、高橋さんと実際に会って話が進むというのはどういう経過だったんですか?

山田●たまたま長江に行くので日本に帰ってきたんだよね。当時アフリカ関係のNGOをいろいろ当たっているときの一つだったよね。おれがやりたいと思っていることにいちばん近いのは高橋さんのやっていることだった。長江に呼ばれなかったら、たぶんイギリスのNGOでスーダンに入ってたよね。

……現在止まっている先の情勢というのはどうなんですか?

山田●更に悪いね。それこそユーゴだとかチェチェンだとか騒いでいるけど、たぶんスーダン南部の状況はその比じゃない。100万単位で人が死んでんじゃないかな。今の世界の闇の奥だと思うね、スーダン南部というのは。

……アフリカを飛ばして次に行くという気はないんですか?

山田●最初から飛ばすつもりはないね。これ抜かしたら意味ないと思ったんだよね。昔のことだったら世界中でできるんだよね。でも初め言ったように、川をはさんで、あるいは川の上下流である問題に対面しながら行きたかったから。そういう問題をすり抜けていくか、あるいは解決していくか、そういうかかわりしながら行こうというのがあったからね。

……もし、突然そこが開いたら、チャドは切り上げてスタートしますか?

山田●ああ行くだろうね。あそこにいるということは常にここで待っているという気もあるかな。ただ戦争やってて命の危ないのがはっきりわかってて、そこまでは行きたくないからね。それだったら、森を守ろうとか森を育てるほうがおれは性分に合ってるような気がするよね。

1995年2月20日 山田氏宅にて/取材・文:新井由己/イラスト:リヨノフスキイ



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