2000年7月の地平線通信



■7月の地平線通信・248号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信238表紙奥会津からこんにちは。ここは福島県南会津郡。尾瀬の福島側の玄関口、檜枝岐村のとなり村、伊南村。この村へ移り暮らし始めて、丸8ヶ月が過ぎます。秋も過ぎゆく11月から村での生活が始まり、今年の冬は、ほぼ4ヶ月雪の中での暮らしでした。特に私は、3ヶ月の間、雪にすっぽり覆われました。

◆自転車しかなかったので、冬の移動は基本的には歩き。雪道を避け、近道しようと思ったところが腰まで埋まり、全身雪まみれでラッセルしながら築35年の平屋住宅の我が家にようやくたどり着く。その我が家は雪に覆われ、朝も昼も家に陽が差さず、真っ暗なのです。ストーブに火をつける時、かじかんだ手が動かず意外に苦労したり、家の中の水道が全部凍ってしまった時は、今にも凍りそうな風呂のため水で顔を洗い、笑いながらちょっときつかった。

◆今年は、何十年かぶりの大雪だったらしいのですが、雪国の暮らしを知らない身には雪かきしても何度やっても屋根から落ちてくる雪が口惜しくて悲しくて、ついには何かをする気持ちが起きず、部屋に閉じこもりがちの日も多かった。

◆そして、3ヶ月ぶりに初めて部屋に太陽の光が差しこんだ日! 何と素晴らしい春の訪れ! こんなに光のあることが嬉しいなんて、初めて知りました。厳しい冬から雪解けの春、そして夏へ移り変わる季節の変化は、日々の中で色々な感動を与えてくれました。辺りの風景、山や川から聞こえる音、新緑の香り、とれたての山菜や野菜、旬のものをいただきながら改めて自然の恵に感謝・・。

◆この春は、初めての「山菜採り」を村の人たちから教わりました。笹ヤブや倒れた木々を乗り越えて、山深く入っていくと、そこは一面の山菜。『コゴミ、ウド、ミヤマイラクサ、ウルイ、ワラビ…』ただ採るだけでなく来年も採れるように教わりながら、道のない森、急斜面を歩きながら奥へ奥へと入っていくのです。首都圏で10年生活した私にとって、この村は「身近な山や川の恵みと共に暮らしている」ことを感じせてくれるのです。「この山が健康であれば、自分も健康でいられるんだよなあ」と、一緒に山へ入った村の人からの言葉も心に響くのでした。

◆そんな奥会津の山々と清流伊南川に囲まれたこの村で地平線報告会(250回記念集会)実施に向けての準備が始まっています。実行委員長は、村の青年会会長が引き受けてくれました。委員会のメンバーは、主婦、役場職員や保健婦さん地元の和太鼓保存会のメンバー、婦人会の方たちまで協力していただけることになりそうです。 会場は、前号で江本さんからも紹介があった『大桃の舞台』。ここは、昔歌舞伎の舞台として使われていたという村でも大切な場所。明治28年に再建されてから約100年。大桃地区の人たちの「心と技」によって、大切に守られてきた舞台です。その舞台を、地平線報告会に利用させていただけることになりました。

◆ 報告会の後は、村にこの春オープンしたキャンプ場(小豆温泉せせらぎオートキャンプ場:通称RED BEAN)で『大交流会』。みんなで、田舎料理と地酒を囲んで盛大に交流を深める場になることでしょう。そして、恒例の『地平線オークション』も是非。村の人たちからも面白いグッズを募集してみますね。

◆2日目は、そば粉料理やキノコ料理に挑戦するのも良し、周辺の渓流釣りも良し森へふらりと入るのも良し、村の中心を流れる伊南川沿いでの植樹活動への参加も良し。それに温泉も。

◆日程は9月23(土)〜24(日)です。どうしても伊南村のことを早く知りたい方は私(丸山富美)まで直接ご連絡下さい(7月25日までは不在)。E-mail:。では、みなさま9月23日です。ふみの日です。奥会津でお待ちしています。[丸山富美]



報告会レポート・248
冒険は何時頬を濡らす?
田中幹也
2000.6.27(火) アジア会館

●「田中幹也の主要経歴」というプリントが受付にあった。目を通してみると。「1986年から89年にかけて4年間のうち600日以上をクライミング、冬山に費やす。黒部周辺、甲斐駒ヶ岳、谷川岳一の倉沢、八ヶ岳、吸収、大山、欧州アルプス、ヨセミテなどの岩壁を180ルート以上登り、冬季初登10回。山行回数200回以上」。

●それが、91年から岩壁登はんの経歴が消えてなくなり、今度は一転して「中国放浪」「オーストラリア自転車横断」「カナダユーコン河カヌー徒歩1000km」。特に95年から99年にかけて4回にわたり「カナダ縦断1万4000kmー北極海沿岸イヌビック〜カナディアンロッキー縦走〜ウォータートン・レイク国立公園」を完成。踏破距離の内訳は自転車10000km、徒歩2000km、山スキー1000km、カヤック1400km」とある。

●とんでもない人だ。典型的なB型人間では?と思った(あとの飲み会で聞いたら違うと言われた)。

●さて、話は「今回の旅を終えて、達成感、充実感、満足感がなく、いったい何のためにやったのかわからなかった」という言葉で始まった。そう、今日の報告会のタイトルは「冒険家はいつ涙を流す」だ。田中さんは旅を終えてのインタビューでそう言った時に、インタビューアから「達成感がないのになぜやったのか?」と言われて悔しかったという。そして田中さんは、なぜ自己満足できなかったのか考えてみた。旅の中で一番印象に残っていることを思い返してみたら、それは意外にも「1日の行動を終えて焚き火をしながら夕陽を眺めるのが実に心地よかったということだった」という。

●「自分はなにを求めてやったのか」「何気ないひとこまの中にこそなぜ旅をするかという意味があるのであり、何かをやり遂げる、などということは無意味である」これが、この1年、自問自答して出た結論だった。

●スライドが始まった。カナディアンロッキー単独冬季縦走の写真だ。単独だから、自分を撮るのも大変な苦労だ。「これはセルフタイマーのやらせです」「初めて山スキーをはいたんです」「荷物が重すぎて肋骨が折れました」「-30℃〜-40℃くらいならたいしたことはないです」「みなさんが思うほど大変じゃあないです」「着るものがなくて除雪車のおじさんに服をもらいました」「泊まりたそうな顔をしてると言葉が通じなくても泊めてくれるんですよね」「金がないから町の中で雪洞掘って寝ました」。

●過酷の中の滑稽さ。感嘆のため息と笑いが会場から交互に起きる。すごいことをやっているのに、穏やかで訥々とした話しぶりが「すごいことなんかやってないです」というかんじである。超越している。私が高校生の時、うちの学校に講演に来た植村直己さんに話し方が似ているな、と思った。

●こんなエピソードを話してくれた。安宿で知り合った女の子が、山に登ってみたいという。「どうせ途中で引き返すさ」と、全く軽装、ふつうのスニーカーでカナダの冬季3000m峰に一緒に登り始めた。ところがどんどん順調に登っていってしまい結局頂上まで行ってしまった。冒険とは、そういうものではないか、どれだけ未知の世界に踏み込んだかということではないか、彼女のおかげでなんとなくわかった気がする、と。(・・・しかしこれはさすがに、臆病者の私にはただ無謀としか思えなかったのですがね。)

●旅とは、冒険とは何だろう。それは他人にわかるものではないのかもしれない。他人にわかってもらおうとして冒険をするのではないのかもしれない。あんなにすごい冒険野郎の田中さんは、精神安定剤としての焚き火の暖かさ、あの心地よさがたまらないからまた旅に出るのだという。そういった田中さんは少年のような顔をしていた。

●これからの田中さんの旅を期待したい。でも決して無理はしないでね。[うさぎ菊]


野々山富雄の「明日できるコトは今日やらない」
ノノの奇妙な冒険―第6回
緑のサヘル 着任と闘病

◆山田兄の誘いは、NGO「緑のサヘル」を手伝わないか、という事だった。そこはアフリカのチャドで沙漠化防止のプロジェクトをしており、その立ち上げだったのだ。それでアフリカに慣れていて、ヒマなヤツという訳で話がきたらしい。代表である高橋一馬氏とは、以前、中央アフリカで会ったこともあり、浅からぬ縁がある。フランス語の語学研修もそこそこに出発した私であったが、現地に着いてから、高橋さんにこう言われた。「君は適正技術の改良カマド担当ね」「え、それ何スか?」

◆それだけいい加減な知識で、現場に行っちまったNGO職員もめずらしい。その仕事内容については、あとで細かく説明するが、とにかく事務所や宿舎、育苗センターの建設などから私の仕事は始まった。土方仕事で建築関係に慣れているとはいえ、設計からすべてやるのは初めてだし、だいたい日本とアフリカでは家の造りも何も勝手が違う。高橋さんや山田兄は政府や関係機関との打ち合わせも多くて、いつも現場にはいられない。言葉もロクにできない私は途惑うことばかりだ。さらにその時期のチャドは乾期の終わり、最も暑い季節であった。日陰でも50度以上あるのだ。

◆精神的、肉体的疲労はたまり、丈夫さダケがウリの私も、ついにブッ倒れてしまった。マラリアに肝炎が併発したのである。マラリアの薬は副作用が強くて、肝臓をやられることがよくある。それでだと思うが、真相はハリネズミの生焼けを喰ったからかもしれない。(そーゆーモンを喰うからだ!)

◆町に戻り検査を受け、その結果を聞きにいくと、そこにいたイタリア人女性医師は嫌な顔して「バンディ!」と、言った。‘バンディ’とはフランス語で、‘悪者’みたいな意味である。彼女が言うには、‘これはB型肝炎である’‘B型肝炎はエイズと同じ体液感染だ’‘おまえは田舎でそーゆー悪い事しただろう’とのことである。もちろん、まったく身に覚えのない話だ。が、仮にそうだとしても、医者が苦しんでいる患者にむかって、そんな事を言うだろうか。とにかく、しばらく療養してからフランスに戻りパリの病院で検査を受けた。そしてそこの医師は、「もう肝炎は治っている。オメデトウ、免疫ができたから、君は二度ととA型肝炎にかかることはないよ。」「??? おれはB型じゃなかったの?」

◆誤診だったのである。A型は経口感染。濡れ衣着せやがって、イタリアンドクター許すまじ! まあ、B型だったらシャレにならないので、後になってみれば話のタネになっていいけど。マラリアの方は何度も再発して、体はボロボロになり、半年で10キロ痩せた。行くだけでムリして痩せる「チャド減量法」である。

◆初年度はそんな悲惨な状態だったが、2年目は体も慣れ、余裕もできて、体力はバッチリであった。それでも一応検査してもらったら、住血吸虫と赤痢アメーバがいた。感染はしたけど発病はしなかったのである。病気は疲れるとテキメンに出る。アフリカで健康に過ごすには、心も体もリラックスさせることのようである。[野々山富雄]


地平線ポスト
地平線ポスト宛先:〒173-0023
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東京都新宿区荒木町3-23-303 江本嘉伸方
E-mail :
Fax: 03-3359-7907(江本)
地平線ポストでは、みなさんからのお便りをお待ちしています。旅先からのひとこと、日常でふと感じたこと、知人・友人たちの活躍ぶりの紹介など、何でも結構です。E-mailでも受け付けています。

◆皆さん、お元気ですか。一昨年ベトナムへ行ったきり行方不明になっていた中畑朋子です。群馬での約1年の生活を経て、現在は実家のある飛騨高山で、養護学校講師をしています(取っててよかった教員免許…)。

◆日赤病院の隣にあるその学校では、病弱・身体障害及び知的障害・心身症といった十数人の小中学生が学んでいます。4月から私の所属は身体障害と知的障害を合わせ持った重複障害児クラス。児童生徒6人、教師6人というメンバーです。いままで、決して障害者に無関心だったわけではないけれど、こんなに障害児が個性的だとは思っていませんでした。いわゆる健常児よりも差異がはっきりしています。打楽器が好き・ミラーボールが好き・民謡が好き・ゆっくり食べる子・たくさん食べる子・和食が好きな子・風が好きな子・水が好きな子・音で感じる子・触れて感じる子・光にびっくりする子…6者6様で、毎日私の笑い皺は増えていっています。

◆以前は、障害を持った人がおもしろい仕種をしても、なんだか笑えませんでした。笑っている自分が相手を馬鹿にしているようにまわりに思われるのが嫌だったんですね。でも、おかしいんだもの。自然に笑えるようになりました。お笑い系と、シリアス系がいるんですよ、当たり前だけど。この仕種をして、苦手だった子供や障害者に対しての構えが少しはなくなったかも。相手が誰であろうと、基本的にはいつもの自分で接していればいいんですよね。育児休暇の代用教員なので11月までの契約ですが、声が掛かれば、またやりたいと思っています。本当にいい経験になりました。

◆染織ものろりのろりと続けています。実は、群馬ではデザインスクールで織りを教えていたのですが、その時の講師仲間と昨年、高崎で2人展を開きました。今年も秋に展示会を前橋で予定しています。東京でもまたいつか見てもらおう!っと。

◆学校の授業でも染色をしました。植物を煮出した甘い香りの中、子供たちはぺちゃぺちゃと染液に布を浸して染めました。6枚をつなぎあわせて、のれんを作りました。

◆また、昨年今年とラオスの染織工房へのスタディーツアーにアシスタントとして参加し、私自身もラオス式染織を体験してきました。野外での染め、織りはとても気持ちのいいものです。これについては、また地平線通信でも報告したいです。

◆地平線会議の報告会にはこの2年間で1回しか出席していません。淋しい。でも、東京を離れたことで、行動範囲が広がったように思います。高山・群馬・東京・ラオス…。しばらくは、高山を拠点に活動します。また会いましょう![中畑朋子]

【ラオス染色報告会】中畑朋子による、ラオス式の染織についての出張報告会です。糸や布もあります。少し専門的な部分もありますが、物作りの工程は地平線のメンバーにとってもきっとおもしろいはず。◆日時:7月20日14:00から15:30頃まで◆場所:中央区立銀座区民会館(歌舞伎座右の通りを入ったところ右手)◆要予約:[ミアザ]木村まで(Tel 03-5550-1033)


地平線特番情報

関野吉晴さんのグレートジャーニーのモンゴル版特別番組が7月30日(日)午後2時〜3時、フジテレビ「ザ・ノンフィクション」で放映される。市場経済に移行しつつあるモンゴルで関野さんが出会ったひとりの少女、プージェとその母親との出会い。200数十万の家畜が死んだ雪害「ゾド」の現場を行く辛い旅の模様など。なお、関野さんは目下チベットのカイラス巡礼を終えたところ。今後ネパールに出てヒマラヤ山地に向かう予定。

地平線イベント情報

出羽庄内集会で裏方として活躍してくださった網谷由美子さんのご夫君基徳さんが、東京で写真展を開催する。「森の鼓動――蔵王の森に生きる」。富士フォトサロン(中央区銀座5-1 スキヤ橋センター2F 03-3571-9411/会場03-9571-0309)にて。7月21日(金)〜27日(木)、10時〜20時(最終日は14時まで)。

地平線新刊情報

『地平線の旅人たち――201年目のチャレンジャーへ』(地平線会議編)の版元としておなじみの窓社から、“時代との対峙”をコンセプトとしたモノクロームの写真雑誌『TIDE(季刊タイド)』(1800円)が創刊された。7月末日まで定期購読を申し込むと、年間購読料+消費税+送料=8920円のところ、特別割引価格7000円で購読が可能。定期購読者は、投稿もできるという。問い合わせは、株式会社 窓社(〒169-0073東京都新宿区百人町4-7-2/TEL 03-3362-8641/FAX 03-3362-8642/E-mail

地平線ナオキ情報

Pole to Poleの石川直樹君は、いよいよカナダ自転車横断を終えてアメリカ入りし、7/9にNYに到着。大学でプレゼンテーションをしたり、国連にメッセージを届けたり、ボランティア活動を手伝ったりと、多忙な毎日を送っている。生の声の魅力たっぷりの石川君の日記はナオキ・ドットコム(http://p2pnaoki.com/)で。



今月の地平線報告会の案内(絵:長野亮之介/文:白根全)

地平線通信裏表紙 7/28(金)
Friday
6:30〜9:00 P.M.
アジア会館(03-3402-6111)
\500

 

カーニバルの異境空間へ
ついに登場、あの白根全(カーニバル評論家)
ゲーテの「イタリア紀行」やブリューゲルの「カルナヴァルと四旬節の闘い」に描かれた中世ヨーロッパのカーニバルは、新大陸に移入されアフリカや南米先住民の文化を合体して異様な発展を遂げてきました。その狂乱と興奮、熱狂と陶酔はまさに濃厚なラテンの神髄であり、同時に政治や経済までに大きな影響を及ぼすビッグイベントになっています。めくるめく移動祝祭日カーニバルの構造論的解析と記号論的分析を、ブラジルからキューバ、コロンビア、メキシコ、ボリビアまで、ギトギト・ライブミュージック付きで試みます。(本人談)


通信費カンパ(2000円)などのお支払いは郵便振替または報告会の受付でお願いします
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)



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