2000年11月の地平線通信



■11月の地平線通信・252号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙●人けのない雪山で死の不安につつまれたことが一度だけある。ちょうど3年前の冬のこと。期間2カ月、500キロにおよぶ積雪期カナディアン・ロッキー単独縦走という、少々背伸びした計画を立てた。おまけにスキーを履いたのはこのときが生まれて初めてだった。

●カナディアン・ロッキーで人に会うのは希である。内陸にもかかわらず積雪量は多い。ワカンでは対処できないくらいの深雪だから、足回りは必然的に山スキーとなった。スキーに関する知識はまったくなかった。途中2カ所のデポを予定したが、それでもデポ地からデポ地まで2、3週間の行程。予備日を含めた食糧、燃料、冬山装備一式をザックにつめると50キログラムは超える。山と○○社から出ている山スキーに関する入門書を立ち読みしてみたが、基礎フォームや反復練習をくり返したところで、果たして長期縦走で生かされるのだろうか、という疑問はぬぐえなかった。実践で使えるかどうかわからない技術の習得に時間を費やすくらいなら、ぶっつけ本番でやってしまえ……。

●「スキー経験なしでいきなり、無線器もなし? 無謀すぎませんか」。周囲の目は予想どおり冷ややかだった。でも経験っていったい何だろう、と思えたのはこれまたひとつの経験からだった。以前、登山歴20年を誇る自称山のベテランと山行を共にしたことがあった。「山は突っこむだけが能じゃない」が口癖の彼だったが、歩き初めてすぐにバテてしまった。それ以外にもささいなミスが連続した。彼には技術、体力、精神力、知識、状況判断力といったものが身についていなかった。反復練習をくり返していた彼にマニュアルの限界を見た気がした。なにも山にかぎったことではあるまい。それはまた立場が変われば自分にもあてはまることでもある。

●背負うだけでひと苦労する重いザックを担ぎ、とにかく冬のカナディアン・ロッキーを歩きはじめた。例年にない好天でチャンスだとも言われたが、暖冬が逆に雪を緩め雪質は最悪だった。1時間以上もがいても300メートル足らずしか進まない。スキーをつけても太ももくらいまで潜ってしまう。ワカンなしで日本の雪山を歩くのとさして変らないペースだ。「いったい何のためのスキーなんだ!」とも思ったが、スキーをはずすとお腹くらいまで潜った。10日ほどこんなことをくり返しているうちに、荷物も徐々に軽くなり、スキーにも慣れてきた。が、こんどは別のトラブルが起きた。気がついたら肋骨が折れていた(後のドクターの診断によると疲労骨折とのことだった)。

●とにかく痛みは激しくなる一方。雪まみれのままシュラフに入った。寝返りをうつだけで激痛が走り、冷や汗が出る。外は小雪がちらついているのが、テントのうすい布地をとおして伝わってくる。大粒の雪が落ちる音が、自分の生命をおびやかしているようだった。「人がいるところまであとどのくらい歩けばいいのだろうか。それよりも明日さらに悪化していたら……」。結局、当初の計画の 3分の1にも満たないところで断念した。

●あれから3年経った今、ふと思う。もし、自分が妥協を許さずに山と取り組んでいたならば、すでにこの世にはいない気がする。たかだか肋骨の1本ごときで、なぜあれほどまで負けてしまったのかとも思う。結果的に、その場はなんとか切り抜け、ハイウエイまでたどり着くことができた。その翌々日には町にもどり、知り合いのバースディ・パーティとかでちゃっかり飲みに出かけた。さすがにアルコールはひかえていたが、若い女の子相手に楽しく話していた。こんな軟弱な旅でも、苦労話だけで塗り固め雄弁に語れば、立派な冒険談になってしまうのだろうか……。

●11月からまた、冬のカナダを歩きに行く予定である。[田中幹也]



先月の報告会から(報告会レポート・252)
画伯!!!  森を語る
長野亮之介
2000.10.26(木) アジア会館

◆10月はいろいろと記念すべき事が目白押しの報告会であった。まず、9月の報告会in伊南村での地平線オークションの収益によって購入された世界一のプロジェクターの初お目見えであったこと。一流企業の会議や学会などでも活躍している、暗闇でも赤い点でスライドを説明できる優れ物レーザーポインター付きなのだ。報告の最中も、江本さんは「俺もアレ使ってみたい…」と何度となくつぶやいていた。報告者江本嘉伸氏のポインターを駆使したスライド報告会近日中に公開予定?。と、まずはオークションの成果を、ご協力いただいた皆様へご報告。

◆さて、報告者は、20年間、地平線通信の次回報告者の似顔絵を独特のタッチで描き続ける長野亮之介画伯。北海道大学で林学専攻。画伯の瞳には原生林の神秘が秘められている。普段は報告会の前説係のあごひげ渋いハンサム兄さん。多分、本人は自分がどんなにハンサムで、女性のあこがれの的であるか! なんてことは全然気にしていないだろう。彼の興味は、木炭の活用法であったり、山林の間伐であったり、自然食だったり、ひたすらナチュラルで自分の気持ちいいことは何か? ということにあるのだから。学生時代のアラスカ・ユーコン川イカダ下り、モンゴルでのゴルバンゴル計画の料理人など僻地キャンプ生活での活躍、東南アジアや南米でのマングローブ植林活動etc.。イラストだけでなく、肉体を駆使して大自然相手の活動に関わっている。といっても本人いたってのんびり屋さん。大手新聞での連載、本の挿絵など活躍の場がメジャーになる一方、「やってて楽しいから」とお米や野菜、お酒の現物支給でも仕事を引き受ける。そんな画伯の関心はやっぱり樹木。林業雑誌の表紙をイラストで飾り、林業家を取材した本文も好評連載中。長野画伯は、私にとって環境関係の取材の知恵袋。とっても頼りになる兄貴分。林業を生業にしてなくても、画伯のライフスタイルはいつも「林業がんばれ!」というエールを感じる。

◆報告の舞台は、ヨーロッパ。森林を愛す男4人、2週間レンタカーで4千kmのバイオマス実地視察の旅。バイオマスとは「太陽の熱を植物で固定したもの」を利用すること。朝から晩まで、車窓を眺め、目に付いたバイオマスを追いかけての飛び込み視察。ウェールズの田園にひろがる生垣・ヘッジ、イタリアの薪ストーブ、スイスの山小屋を飾る薪、ドイツの森林墓地。画伯にとって初めてのヨーロッパ体験は、森林と人間の関わり方に「デザインや生き方の面白さ」を見出す旅だった。観光客なら気がつかない緑の山肌の細い鉄線。その正体を確かめに山に分け入り、木材を搬送するためのヨーロッパ式の野猿(とんねるずのグループではない)を発見。山の上から延々と経由し、ローテーションで薪を切って搬送していることを突き止めた。煙突を見れば、家のドアを迷わずノック。暖かい歓迎を受けて入った家の中には、伝統的なピザ窯、パン焼き窯、おしゃれな薪ストーブ。燃料効率を考えたペレット製造。日本では、まだまだ需要は低いそうだけれど、地方産業としての可能性を秘めている。日本では使わないような廃材もイギリスではおしゃれな壁になる。子供の頃、「日本などアジアの国は自然との共生を考え、欧米は自然を支配することを考えて街を作った。」と習ったけれど、現在の状況からするとどうだろう。

◆東南アジアでは原生林がどんどん伐採され、モノプランテーションにとって変わられ、自然との共生生活は追いやられている。日本でも林業は斜陽なのだ。 21世紀を目前にヨーロッパ諸国は積極的に自然との共生の可能性を模索している。瞳に森をもつ男・長野亮之介が見たヨーロッパは、画伯の創作に今後どんな影響を与えるのだろう。まずは今回の視察をまとめ、バイオマスをわかりやすく説明した画伯の絵本の出版に乞うご期待。会場で公開した旅のスケッチブックもいつか出版されるといいなぁ。

◆林業への思い入れがスパークし、緊張しまくりだったという画伯の報告は、「画伯の旅人生と森との関わり」トークを期待していたファンにはご不満の声もあったみたい。でも、私は、普段の温厚で多趣味の亮さんは、毎月のイラストからも感じられるから、バイオマスをなんとか皆に伝えようとがんばる姿のほうがカッコ良くて、森へのこだわりがにじみ出ていて良かったと思いました。可愛かった頃の自分の写真をスライドに入れてくれたから誉めてるんじゃないんだけどね。[狩猟シーズンの11月、タイガが恋しい山本千夏]



追記:10月報告会の記念すべき事

その1:地平線会議代表世話人・永遠の青年江本嘉伸氏読売新聞社を定年退職!
10月に読売新聞を晴れて定年退職した江本さん。相変わらず原稿の締め切りに追われている様ですが、熱血ジャーナリスト魂は永遠に不滅なのだと思います。地平線の美人クライマー大久保由美子さんからお祝いのブーケを贈呈され、すっかり照れていたお顔はまるで高校生のようでしたよ!これからも、お元気でばりばり走り続けて下さいませ。不肖の後輩もなんとか追いかけます。

その2:ご結婚おめでとうございます!!
地平線会議もう一人の世話人三輪主彦先生の教え子・小松賢志さんが、なんと結婚式を翌日に控えた身で15年ぶりに報告会(2次会まで!!)に参加してくれました。小松さんは、シアトルのコンピューター会社勤務を経て1年前に帰国。最近注目のIT産業の将来有望なベンチャー企業の若きITディレクター。世界遺産ファンで、全米の世界遺産はほとんど全て訪れたことがあるとのこと。いつか業界最先端のベンチャー精神と全米世界遺産の旅について報告していただきたいものです。新婚ほやほやの奥様もつれて今後ともご参加ください。お二人の末永いご多幸を地平線会議一同、お祈りします!

◆2次会の参加がいつも固定メンバーになりつつあるのですが、初めてのご参加の方でも、たま〜にしか顔を出さない、という方でも遠慮なさらずにご参加いただきたいと思っているのは若輩山本千夏だけではないと思います。報告会の質疑応答の時間はいつも短いけれど、2次会ではもっと気軽に情報交換できますよ。ということで、11月は、なべのシーズンでしょうかね、江本さん?



見えない地平線
続・のぐちやすおの刑務所レポート
その3 1病棟

◆私が配属されたのは、刑務所のわりには病院らしき1病棟でした。構成するのは看護学校同期の看護士と、中年のおばさん看護婦との3人で、そこに病棟付看守が2名加わります。

◆病棟はほかにも2病棟、3病棟があり、対象患者は、1病棟が疾病者、2病棟は高齢者と重労働に耐えられない慢性疾患者、3病棟が結核などの伝性病患者でした。ただ3病棟は3床しかないので、2病棟の一部といった感じでの存在です。

◆2病棟の対象者をもう少し詳しく解説すると、高齢ゆえに懲役刑に服せない老人と、刑務所が対象とする懲役刑には耐えられないが、軽作業なら可能な人たちということです。前者はおおむね65歳以上が対象となりますが、中には2年半の刑でやってきた84歳なんてのまでいました。生きて出所できるのか危ぶまれましたが、2病棟で86歳の誕生日を迎えて堂々と雪の残る正門から立ち去りました。後者の代表的なケースは、糖尿病によるインシュリン注射が必要な人とか、心臓にペースメーカーが植えられた人たちで、彼らはせっせと袋貼りに精を出していました。

◆さて1病棟で私の手に委ねられる患者のことは来月にして、もうひとつの仕事である移送についてを先に説明します。

◆お世辞にも十分な設備とは言い兼ねるとはいえ、東北でまともな医療施設を抱える刑務所はここしかありません。ですから青森刑務所や秋田刑務所でちょっとした疾病者が発見されると、宮城刑務所に移送されることになります。地獄の宮城と異名をとるだけに、それだけは止めてほしいと叫んでも、本人の希望など無視されます。しかしその宮城刑務所でも対応できるのは、下半身麻酔の手術と、一般的な病気まで。聞いたことのないような病気や、全身麻酔が要求されると、東日本医療刑務所の中枢である八王子刑務所へと、救急車で移送することになります。このとき車中で急変されたら大変、サイレン鳴らして突っ走るしかありません。だけど首都高でサイレン鳴らす宮城ナンバーの救急車には、周囲のみなさん、さぞかしとまどわれたことでしょう。[埜口保男]


>>> Pole to Pole 2000 >>>
石川直樹 現地報告 《11月1日 風神は北を目指す》

◆今日は一人42キロこぐ。ピギーから飛び降りる際に足首をひねってしまい、軽い痛みを覚えながら自転車をこいだ。風が猛烈に強い。ペルーからチリにかけての砂漠地帯も激しい強風が吹き荒れていたが、アルゼンチンの平原を吹き抜ける風もまた恐ろしいほど強い。パタゴニア地方の強風は皆が知るところだが、メルセデスによると、パタゴニアだけでなくアルゼンチンは概して南から北に向かう風が強く、これからも強風に悩まされるかもしれないとのこと。

◆風は自転車の大敵だ。正直なところ、自転車に乗っているときは風より雨のほうがまだましだと思う。下り坂でもこぎつづけなくてはならないし、横風に煽られトラックに煽られ休む暇がない。後ろに車一台を引っ張っているような感覚さえある。アルゼンチンの風神はぼくらと反対方向に旅を続けているようだ。

◆トゥクマン郊外の芝生のある道端で野宿となった。今日からぼくは食料係となった。毎日、十分な食料があるかチェックして、必要とあれば店に買い物に行かなくてはならない。自分の好みの食材を買えるという特権もあるが、色々と気を配らねばならず楽なタスクではない。

◆近くにキオスクがあり、電話場があって簡単にパソコンをつなぐことができた。アルゼンチンはインターネット接続ができる電話場に事欠かないが、電話代が高いのだけが気になる。

◆深夜、ピギーのドライバーシートで就寝。

http://p2pnaoki.com/ (ナオキドットコム)


野々山富雄の「明日できるコトは今日やらない」
ノノの奇妙な冒険
番外編

◆いつもご愛読ありがとうございます。今回はちょっと番外編。実は10月にアフリカに行くことになりました。写真家の水越武氏の手伝いで、ウガンダのルウェンゾリ山へ! ナイル河の源泉と言われ、月の山脈の異名を持つ、憧憬の地です。まあ、2週間ほどの短いものですが、6年ぶりのアフリカ、燃えますぜ!

◆屋久島に来てもう5年。ここを一生の地と定め、腰を落ち着けて 5年10年がんばろうと、思いました。電気、電話、パソコンも入り、ガイドの仕事もまず順調。そうなるとどうもまた、虫が騒いできます。そんな時降ってわいたようなアフリカ行。行くっきゃありませんぜ。

◆しかし、ルウェンゾリ。結構ヤバそうです。かなりゲリラが出没していて、一時閉鎖状態。GOサインは出たものの、ウガンダに行った知人からは、こないだも何人殺された、危ないとのメールがしきり。むろん、気をつけて場合によっては変更もしますが、それでも、楽しみです。

◆屋久島を出るつもりは、毛頭ありませんが、ここでの生活を地盤としながら、外の世界とも、かかわっていきたいものです。いずれにしても、来年ガイドがオフの冬場、また、チャドに行くつもりです。改良カマドの追跡調査はぜひやりたいし。その耐久性とか、普及状況、問題点など、今後のためにも、きちんと見ておきたいです。それと、アフリカの子供達への、環境教育を考えてみたいのです。沙漠化を防止するためには、アフリカの未来を担う子供達にこそ、いろいろな事を考えてもらわなきゃならない。でも、学校は閉鎖されてたり、あっても貧しくて行けなかったり。

◆で、何をしようかというと、紙芝居屋のオッサンになろうと思います。むこうの子らは、日本の子に比べて、外で元気よく遊べるけど、映像による刺激は少ない。田舎にはテレビも、映画もない。そりゃ電気がないもん。本すらもあまりない。昔は村の年寄り達が、物語を語って聞かせていたけど、そういう伝承も途絶えがちと、いう。そこで、いろんな話を紙芝居にして、村々を回ろうか、と考えています。映画やビデオでは、興行が去ったあとには、何も残らない。便利な生活への憧れがつのるだけです。紙芝居なら残していったら、自分達でも他の人にやってあげることが、できる。

◆このプロジェクトなら、日本にいても様々な形で、参加できます。お話を作ったり、絵を描いたり、翻訳したり、むろん現地に行くことができるなら、さらにいい。むこうの事を知らなけりゃ、お話も絵もできないから、アフリカへの理解も深まります。なによりも、もし誰の賛同を得られなくても、オレひとりでもできる、というのが良い。興味のある方、ご連絡下さい。[野々山富雄]

※この原稿は9月末に書いてもらったものです。帰国の連絡が11月8日付のE-mailで届きました。

   とにかく、かえってきました。
   「エボラ出血熱」
   まだ、でるかも しんないけど。


武者震い
田中幹也
積雪期カナディアン・ロッキー
単独踏破計画
フロントで最後にふれている目前の計画について
編集長権限で真相を聞き出した!!

◆カナダの大陸分水嶺を成すカナディアン・ロッキーはアメリカとの国境よりはじまり、カナダ北部のユーコン準州ちかくまでのびている。山脈の長さは直線距離で1400キロ、ちょうど本州の長さと同じくらいの距離である。

◆今回の計画は積雪期カナディアン・ロッキーを端から端まで、山スキーおよび徒歩によって、半年がかり(2001年1月〜6月)で単独踏破しようというもの。踏破距離は約2000キロ。厳冬期には麓の町でもマイナス40度Cを下まわる。こう書くとなんだか大冒険旅行に出かけるように聞こえてしまう。しかし、大きなタイトルほど内容がそぐわないのが世のつねだ。わたしの今回の計画もまた例外ではない。ここだけの話、その一部打ち明けてしまおう。

◆まず、半年間ひたすら歩きつづけるわけでは、もちろんない。基本的には細切れ縦走である。2〜3週間分の食糧・燃料、冬山用具一式、スキーなどを担いで入山、食糧がなくなる都度町に降りて調達、再び入山、をくり返す。食糧調達のために町に降りる、と言いたいところだが、これも補足したい。後になって数えてみると町で滞在している方が行動日よりはるかに多い、というのが、いつものわたしの長期縦走パターンである。大それた計画でもなんでもない。人並みの体力さえあれば誰でもできる。

◆全行程単独である。誰にも束縛されない気ままな一人旅というわけだ。1日の行動時間や、どこで泊るかは、その日の気分で決める。カナダの国立公園は概して規制が多いが、積雪期はどこでキャンプしてもいいことになっている。焚き火の規制が緩む、というよりも曖昧になるのは、積雪期ならではの利点だ。思いのままに歩きつづけ、疲れたらそこにテントを張る。陽が西に傾くころ、枯れ枝を集めて盛大に焚き火をはじめる。パチパチと燃える火をボーッと見つめているだけでこのうえない幸福感がひろがる。「こんな旅がしたかったんだ」と思える瞬間。星野道雄のような世界。

◆考えただけでワクワクする光景を今、無理やり作り上げている。「そう、楽しい旅に出かけるのだ。厳しい旅ではない…。危険な旅でもない…。」と何度も何度もくり返しながら、旅立ち前の不安な気持を必死にかきけそうとしている。それが今の心境だ。[田中幹也]



今月の地平線報告会の案内(絵:長野亮之介/文:白根全)

地平線通信裏表紙 絹之路走旅異聞

11/24(金) 18:30〜21:00
 November 2000
 ¥500


「毎日、午後4時過ぎるとパニックですよ。食いものはどうしよう。水は? 宿はあるのか、とか……」というのは、この夏シルクロード2700キロ単独ランニング旅を決行した中山嘉太郎さん(43)。6月2日に西安をスタート。ゴールのウルムチまで1日も休まず、53日間の旅でした。行程の3分の2は砂漠。時に7リットルもの水を背負い、時には車を止めて水をもらうというサバイバルなランニングで体重の9kg減とか。

ゴール直前は点滴を打ちながらというハードさを乗り越えると、続けて昆明〜ラオカイ500キロラン。さらに人民自転車を駆使してラオス〜タイ2800キロ。さらにさらに(!)チェンマイ〜バンコク500キロを再び足で激走という超人的な旅を「楽しんで」きました。

今月は会社をやめて夢にのぞんだウルトラランナー中山さんをお迎えし、走り旅への熱き思いを語って頂きます!


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)



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