2002年8月の地平線通信


■8月の地平線通信・273号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙毎月、この地平線通信を発行し、地平線報告会を開くまで、いくつかの段取りがある。まず、報告者を誰にお願いしようか、から始まる。できれば、最近ことをなしとげたフレッシュなテーマを持つ行動者がいい。欲を言えば、時代性に溢れ、感動の深い、聞いておもしろくためになる、映像やスライド、あるいは持ちかえった何かなど「見せる材料」や時には音楽やテープで録った現地の音など「聞かせる材料」も備えた、魅力的な話し手はいないか?と、探す。さらに言えば、地平線会議誕生の当初からの“伝統”で講演料を払わないでお願いするわけである。

●いまどき、こんなにムシのいい話もないかもしれないが、それでも毎回時の風をはらんだ魅力的な報告者があらわれてくれるから、嬉しい。それも、他の場所では話さないような、率直で内容のある報告をしてくれるのである。足かけ10年がかりのグレートジャーニーをなしとげたばかりの関野吉晴氏が、貴重な体験談ばかりで、ついに3ヶ月連続で報告者になってくれたり、チョモランマに登った山田淳青年がチベットの羊皮コートを着て登場して貴重な第1、第2ステップの写真を披露したり、カイラス1日1周の驚くべき巡礼をやってきたばかりの渡辺一枝さんが親のない少女と運命的に出会うエピソードを話してくれたり、目の前で聞いていて、ただただありがたいのである。

●報告者が決まると、イラストレーターの長野亮之介画伯に予告「今月の報告会」を書いてもらい、フロント・ページ(この欄です)の書き手を決め、先月の報告会の原稿と地平線ポスト(時には個人あてのも使わせてもらうが)あてに届いているいくつかの通信を選び、レイアウト担当の武田力氏、あるいは新進の大学生、松尾直樹氏に送る。長野画伯のイラストを待って、多忙な印刷局の三輪大人が最低経費で印刷、それを封筒に入れるかたちに折り、さらに宛名貼りと封入作業、郵便局へ持参するための封筒数え、などなど三輪、江本のベテラン勢を中心に、時間があれば青年たちも駆けつけ一気に、いや、だらだらとやる。

●報告会当日、大事なのは、椅子などの配列準備と受けつけ、だ。アジア会館と違い、新しい会場は、自分たちで椅子の配置と片付けをしなければならない。これは仕事場が近い三輪大人が年長の教え子である関根晧博さんと率先してやってくれることが多い。スライド映写用のプロジェクターの設定もこの時にやる。2次会の設定も手をまわしておく。

●もうひとつ大事なのは、報告会レポートの書き手選びだ。いくら優れた内容といっても、全国の人たちが会場に来られるわけではない。報告をどうとらえ、伝えるか、書き手は結構、レベルを問われることになる。あまり構えてもらってもいけないので、原則として報告会当日、突然指名させてもらうことにしている。毎号、活きのいい文章が登場するのは、地平線報告会の価値をわかっている人間がその都度書き綴っているからだろう。

●できあがった通信は、「地平線ドット・ネット」の生みの親、丸山純氏がホームページにアップしてくれる。ネットの力はすごい。最近ホームページを見て来た、という人が報告会でも増えている。実は、そういう人たちにも、地平線会議がどのような小さな汗によって支えられているか、知ってもらいたくて、この一文を書いている。

●8月は、「伝え手」「語り継ぐ」という言葉が多用される季節だ。勿論、戦争とか原爆以外にも、語り継ぐべきことはある。1979年8月の誕生以来、24年目の活動にはいった地平線会議は、考えてみればそういうことを、淡々とやってきている、と思う。

●で、今月の報告会。「ユーラシア横断15000キロ」をやって8月15日に帰国したばかりの永遠の冒険ライダー、賀曽利隆氏に頼んだ。シベリアを越え、ウラル山脈のとある峠にたどり着くと「ここからヨーロッパ」と書かれた石柱があるんだそうな。今回もすごく面白そう。予告イラストは、前日14日、中国から帰国したばかりの亮之介画伯が必死で描いてくれている。

●皆、走りながらの地平線会議である。[江本嘉伸]



先月の報告会から(報告会レポート・274)
聖山56周行
渡辺一枝
2002.7.26(金) 箪笥町区民センター

◆タンポポの一生をご存じだろうか? あの小さな黄色い花は2〜3日咲き続けると茎ごと倒れてしまうのだが、これは実に栄養をゆき渡らせるためのタンポポの戦略なのである。実が熟すと茎は再びすっくと立ちあがり、晴れて乾燥した日にわた毛を広げてたくさんの種を次の世に送り出す。

◆一枝さんをタンポポに例えたのは夫君の椎名誠さんである。ヒマラヤで読んだ「パタゴニア〜風とタンポポの物語」はとても素敵なラブストーリーだったと記憶している。偶然にも、報告会の少し前に20年前のパタゴニアの旅を椎名さんが再訪するドキュメンタリーを見たばかりだった。可憐で折れそうな、野の花のような女性を想像せずにはいられない。

◆実際の一枝さんは、色白でたおやかな微笑を始終絶やさない和装の麗人で、想像どおりのたたずまいであった。その上品な口元から、「落し前」とか「売っぱらっちまおう」という言葉が漏れ出てくるまでは!

◆まるで今日あった出来事を話すかのように、1987年のチベット初見参の際の勇ましいエピソードが次からを次へと飛び出してくる。行ったこともないチベットに惹かれる理由が知りたくて、ひょんなことから「近ツー」のラサ寺巡りツアーに参加したという一枝さん。バターランプの臭いに辟易してお寺の外で待っているうちに現地の人々を見ているだけで楽しい自分に気がつき、思わず彼らと笑い合ったり触り合ったりしてしまう。本当は飲めないのに、畑仕事を手伝って仲良くなったチベット人に勧められるままにチャンをしこたま飲んで、炭坑節を歌い踊ったことを話す一技さんは、チベットのことを話せるのが嬉しくて嬉しくてたまらないといった様子。言っておくがラサの標高は富士山の頂上と同じくらいだ。初めての高所でこんなことをして平気だった一枝さんは、すでにカイラスを1日で1周してしまうアスリート的体質の片鱗をのぞかせていた。

◆この5年後に初めて聖山巡礼を果たしたときは、ほとんど手ぶらで2泊3日かけて周るのがやっとだったというが、5度目の今回、なんと現地の人と同じように日帰り巡礼をやってのけ、しかも計4周もしたというのだ。「1周目で、1泊のためにキャンプ用具を持って歩くのも無駄だと気づいて」とこともなげに言うが、1周52km、標高差1,000m以上、最高高度5,668mである。早朝3時に出発して夕方6時〜8時には戻ってきたそうだが、これはほとんどぶっ通しで歩かないと実現できないスピードだ。午年の巡礼は1周が13周分に相当すると言われており、52周したことになるかしら? とはしゃぐ一枝さんはこの先も可能な限り巡礼を続けたいという。さらに、五体投地でヂョカン寺を2時間半かけて1周し、泥だらけになりながらも地面の臭いさえ愛しかったという一枝さんは、もうほとんど思考システムがチベッタンそのものである。

◆最後の、1人の少女との出会いからチベットに孤児院を建てることになったくだりでは、柄にもなくホロッとしてしまった。一枝さんをモモ(おばあちゃん)と呼ぶその子に、この秋椎名さんと一緒に会いに行くそうだ。「偶然よい土地が安く手に入ったのも、18年間保母を務めたのも、なんら不思議もなくつながる。チベット人ならこういうのを『カルマ』って言うんでしょうね」と勇敢な麗人は少し照れたようにはにかんだ。日本で十分に栄養を蓄え宙に舞ったタンポポのわた毛は、海を越え彼の高地に降り立ち、その種の1つが今慄えるような歓びをもって芽を出そうとしている。[大久保由美子]



先月の報告会から・その2(特別報告会レポート)
河野兵市を思い出し、
互いに叱咤激励する会
河野兵市・順子
2002.7.30(火) 箪笥町区民センター

◆7月の報告会特別番外編は、北極から河野兵市さんに語っていただきました。もっとも一年程前に遭難して亡くなっているので、今回は特別にビデオメールという形で登場。先日「絆(きずな)、河野兵市の終わらない夢と旅」を河出書房新社から出版された順子夫人も同伴です。毎年地平線会議恒例の夏の納涼祭りの企画にぴったり、なんて書くと不謹慎だといわれそうですが、今回の報告会の趣旨は一周忌を悼もうというよりは、河野さんの偉業を讃えながらその意志に激励されよう、そして参加者達の酒の肴になってもらおうという魂胆であるので許してください、河野さん。

◆まずは秘蔵のビデオの数々が順子夫人のコメントを交えながら上映された。地元愛媛で放映された内容が多く、東京では見ることの出来なかった報道の数々が。次の北極ベースキャンプでスタッフによって撮影されたビデオは、多分本邦初公開。仲間内に気軽に話している雰囲気なので、カメラを意識してない自然な姿。尽きる事のない話題が実に内容が濃い。たとえばロウソクについて語りだすと、「電気と違って温かい」から始まり、最後には「そこには日本的なわび、さびがあるのだ」と物事を深くとらえる河野さん独自の世界が現れる。北極からの臨場感のある報告。本当に本人がそこにいて直接話しているかのようだ。

◆遭難前最後の補給フライトの際の映像で見える元気な河野さんには悲壮感のかけらも感じられない。補給中の機内でガツガツと飯をむさぼり食い、コーラをうまそうに飲みながら旅の報告をし、持ち前のサービス精神を発揮する姿には余裕すら感じられる。本当にこの数日後に亡くなってしまうのだろうか? 会場のみんなもそう感じたに違いない。

◆話変わって、順子夫人が本を出版した話。実は原稿持ち込みの企画であったという。これはすごい。いろいろな出版社に持ち込み、大手の河出書房新社で決まり、それを一周忌に間に合わせたというのだから、そのパワーは旦那を上回るものかもしれない。遭難時のマスコミ達の興味本位的取材では本当に伝えたい言葉を扱ってもらえなかった。その思いをこの本で達成したという。ルビつきで小学生でも読めるようにしてあるところに順子夫人のこの本へ託した思いを感じる。ちなみにおとうさん瓜二つだという息子の遼兵君は、この夏休み、サッカーでフランスに行っているそうです。

◆この報告会は、河野さんゆかりの人たち、その偉業に続こうという若者達まで様々な人たちに参加してもらう趣旨。後段では今までのことも今からのことも、全部ごちゃ混ぜにして話してもらった。まずはペルーから白根全さんのメールが読み上げられる。生命力が服を着て歩いていたという河野さんの地球というキャンパスでの活動に思いをよせる。埜口保男さんからは十数年前に一緒に登ったアンデスでのムボー的挑戦の登山の様子が暴露された。北磁極まで歩いた荻田泰永氏、チョモランマ登頂の後、北極点を視野にいれている上村博道氏。その他チベットのヤルツァンポー屈曲部探検にいれこむ早大OBの角幡唯介氏、中国の歴史的探検家、張騫(ちょうけん)に魅せられ、この夏ホータン川をカヤックで下るという都立大生、阿部朋恒氏など様々な事柄に挑戦中の若手のホープ達もその思いを熱く語った。

◆順子夫人は、家族に残してくれたもの、それは自分に正直に生きてきた事だといったが、それは、地平線のみんなにも残してくれたものだろう。[近日中に自転車でシベリア横断に向かう、安東浩正]



地平線ポストから
地平線ポスト宛先
〒173-0023 東京都板橋区大山町33-6 三輪主彦方
〒160-0007 東京都新宿区荒木町3-23-303 江本嘉伸方
E-mail :
Fax: 03-3359-7907(江本)

●藤原和枝さんから…2002.8.1…ボリビア発
 
……最近、報告会の受けつけをやってくれている元バックパッカーからローマ字メール
◆きのうからラパスに来ています。すり鉢状の町は、夜景がきれいです。町は民族衣装の人であふれて、なんとも南米を楽しんでいます。3800メートルはなかなかきつく、階段が苦しいです。物価はとても安く、20ドルを取りかえると、しばらく使えます。私はポテトが好きなのでここのポテトづくめは、満足しています。路上のインディオの食べ物もなかなかおいしそうですよ。あしたは、チチカカ湖に行きます。


●山浦正昭さんから…ヨーロッパを縦断中
◆8月15日、ニース(地中海)へゴールイン。早いもので10年前の夏にデンマークの北海をスタートした私たちの「ヨーロッパ縦断スケッチウォーク」もいよいよファイナルを迎えることになりました。今回はフランスアルプスの山麓を歩くコースで、かなりのアップダウンのある道を、重いリュックを背負い、YHやキャンプ利用のハードなウォークになります。7月の20日から8月の21日までの1ケ月の長旅です。帰国後10月17日〜30日まで東京築地の朝日新聞本社で旅の展示を行います。17 日は報告会とパーティも計画されています。お楽しみに!


●渡辺久樹・京子 一家から…デリー発
 
地平線会議きっての子沢山子煩悩
◆暑中お見舞い申し上げます。一家5人でインドに来ています。車をチャーターしてアグラ、ジャプール、プシュカール、ジョドープルとまわり、夜行列車でデリーに戻ってきたところです。10日間しかいられないかあちゃんを明日空港で見送ったあと、3人の子供(13、10、6才)とネパールに行くつもりです。もう3週間ほど旅を続けます。連日40度を越す暑さですが、エアコン付ホテルに泊まり、ミネラルウォーターをがぶ呑みして、優雅に、元気に過ごしています。これからは「金に糸目をつけない渡辺家」と呼んでください。


●武石雄二さんから…アメリカ大陸横断ラン(RUN ACROSS AMERICA)を走る
◆7月4日 ユタ州Castle Daleにて、ロスをスタートして今日で20日を終えました。最初の2週間は40℃以上の暑さの中、水を被りながらサバクを走ってきました。今、ユタ州の1500mくらいの山岳地帯のまっすぐな道を、モクモクと走り続けています。身体が走りに慣れてきて毎日70km以上走っても、そんなに苦にならなくなりました。もう少しでデンバーです。

◆7月20日(36日目)カンザス州St.Francisにて、ロッキー山脈を越えて5日目、コロラド州からカンザス州に入りました。…といっても一面360°麦畑は今日で3日目。この変わらぬ景色がこれから一週間も続きます。走っても、走っても麦畑。無!! 唯一この道がNYにつながっている事が救いです。

◆8月6日(49日目)イリノイ川にて、ミシシッピー川を渡り、ミズーリ州からイリノイ州に入りました。距離も2000マイル(3200km)を通過。やっと2/3を終えました。6kgも体重がへり、骨と皮だけで走っています。毎日痛み止めの薬を飲みながらの苦しい走りが続いています。

※現在8人がニューヨークへ向けて走っています。武石さんは第3位、下島伸介さんは第4位につけています。それにしても人間はこんなにも走れるものなのだ! ニューヨークのゴールは8月24日予定。[三輪主彦]


●白根全さんから…2002.7.27
 
30日の河野兵市集会に間に合わなかった白根氏から。
  「帰国拒否症候群」に罹患したらしく、8月10日には「まだ居座っています」と再メール
カピタン江本賛江 全略、もしもし、かめよ。

◆ご、ご、ごめんなさーい。諸般の事情により30日までに帰国は不可能となってしまいました。伏してお詫び申しあげますが、この機会を逃すとまた近々に出直さなくてはならないため、大変申し訳ありませんが何とぞご了解ください。(中略)

◆ちなみに田部井・北村組は、当方の20年来の居候先に明日帰着予定です。偶然ですが、まさかペルーですれ違うとは思ってもいませんでした。なお、当方の帰国は8月9日ごろの予定です。

◆てなわけで、すべからくよしなに…。再見!


埜口保男氏、小学館ノンフィクション大賞受賞!

8月3日、読売、毎日など新聞紙上で発表されたが、アドベンチャー・サイクリストとして知られる埜口保男氏がなんと、小学館ノンフィクション賞を授賞決定。「みかん畑に帰りたかった―極北に逝った友、河野兵市へ」というタイトルの通り、河野兵市との日々を追憶したドキュメント。賞金は‥1000万円です。むむむ‥。




■今月の地平線報告会の案内(絵と文:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

路地裏からユーラシア

8/28(金) 18:30〜21:00
 Aug. 2002
 ¥500
 牛込箪笥区民センター(03-3260-3677)
 都営地下鉄大江戸線牛込神楽坂駅真上


冒険王・賀曽利隆さんが、この夏、20代前半からの夢だったシベリア経由ユーラシア横断を実現させました。愛車スズキDR400が走破した距離1万5000キロ。富山県伏木港から船でザルビノ着。6月30日にスタートし、スペインのロカ岬に8月12日着。

「シベリアルートは、家の前から、空を飛ばずにヨーロッパまでいけるんだよ。日本は孤立してないし、ヨーロッパはユーラシアの半島にすぎないのが実感できる」と賀曽利さん。

ウラル山脈の峠に建てられた石碑には、アジアとヨーロッパの分水嶺がはっきりと刻まれていたそうです。自分の地図の空白地帯を埋め、ますますパワーアップした賀曽利さんに、ユーラシア横断ルートの魅力を語りまくって頂きます。帰国したばかりのHOTな話を聞きのがすな!!


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)


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