「その先の地平線」
打ち明け話

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品行方正日記 長野亮之介
そり犬から奇術師へ−−迷走劇団顛末記 大西夏奈子
突然、足になれ、と言われて 尾崎理子
極私的覚え書き −言葉を交わせた人編− 中島菊代
地平線会議記念フォーラム300kmの道 鈴木博子
愛知県蒲郡発
裏方の楽しみ方 ひろべい
久島弘
300回の私的舞台裏 落合大祐
実行委員長
大集会裏方話 武田力



打ち明け話
品行方正日記
ゴンザレス亮之介 

10月6日 箪笥ホール下見。その場で江本さんからオープニングの太鼓演奏を再度依頼される。やばい。引き受けてしまった。前に打診されたときは断ったのだ。でも、今日、あの会場を見たら叩きたくなっちゃったからしょうがない。

◆メンバーは大西夏奈子さんと俺の2人。それぞれ別の和太鼓グループに所属している。共通のレパートリーはない上、練習時間もない。オープニングにふさわしくて、かつ覚えやすい「寄せ太鼓」の演奏を提案した。それにしても太鼓をどこで借りてどう運ぶのか?


10月上旬 寄せ太鼓の楽器構成は、大太鼓、締太鼓、篠笛、鉦の組み合わせが標準的だ。唯一のメロディパートとして笛は欠かせない。ふと、ケーナ奏者の長岡竜介さんの顔が浮かんだ。b和太鼓だからって篠笛じゃなくてもいい。むしろ、他の民族楽器とセッションの方が、地平線っぽくて面白いかも。早速長岡さんに電話。
 長岡「あ、どもどもーー」
 長野「大集会のオープニングで太鼓叩くんだけど、手伝ってくれない?」
 長岡「あ、いいですよー」
 長野「和太鼓でお囃子なんだけどいいですか?」
 長岡「あ、何でもオッケーです。事前に音源を聞かせてね」
快諾。いい人だ。せっかく長岡さんが参加してくれるんだから、フォルクローレもアレンジしたい。


10月某日 鉦は音が高く、とても目立つパート。こうなったらもう1人誰か巻き込む。カーニバル評論家白根全ちゃんの顔がふと浮かぶ。情熱のリズムをシャワーのように浴びている男だ。昔サックスも吹いていたはず。リズム感はあるに違いない。早速電話。
 長野「大集会の日は日本にいるよね」
 全「リレートークに出るからいるよ」
 長野「じゃあ、オープニングの演目で鉦を担当してよ。」
 全「なにそれ?見たこともない楽器で舞台デビューしろって言うの?」
 長野「大丈夫だよ、リズム感あるでしょ」
 全「一日考えさせてよー」
 長野「だめ。じゃあ決まったからね。よろしくね」
長い付き合いなので、実は阿吽の呼吸。これでフルパートのメンバー、ゲット!


10月下旬 演奏チーム名を「品行方正楽団」と独断で決めた。実生活がそうでないので、せめて舞台では‥という洒落のつもり。メンバーを集めたうれしさに、当初「ドリームチーム」などとMLに流したところ、そのままプログラムに記載されそうになり、あわててひねり出した名前だ。丸山純さんにもお伺いを立てたところ、「いいんじゃない」という返事。個人的にはゴロがいいし、文字づらもいいので、案外気に入っている。

◆太鼓は俺の所属している「卑弥鼓」から借りる手はずに。運搬は村田忠彦さんの車でお願いする。江本さん、多胡光純君、新井由巳君からも車のオファーがあった。なんと頼もしき仲間達。ありがたや。

◆それにしても、「大雲海」デザインに続いてカレンダー制作に追われ、演奏の練習どころか曲すら皆に伝えていない。芝居組の手伝いも頼まれているが、余裕がない。


11月3日 長岡スタジオにて、今回の舞台に向け、品行方正楽団最初で最後の練習日。昨日、会場下見の場で楽団メンバー全員が、初めて顔合わせをした。そこで長岡さんから自宅での練習を提案される。当日リハーサル後、ぶっつけ本番のつもりだったから、少しでも練習できるのは夢のよう。長岡邸地下にある約23平米の防音室は24時間音出しOKの、素晴らしい環境だ。

◆今回の演目「寄せ太鼓」はお祭りなどの人寄せ用に叩かれてきた太鼓囃子。8小節のメロディーを繰り返すシンプルな曲。テンポを次第に上げ、クライマックスに持っていく。今回は、その途中に長岡さんの笛アドリブを入れる。邦楽からフォルクローレに曲調が変わり、また邦楽に戻ってフィニッシュという構成だ。異質な二つの曲を繋ぐのは、ベースになる締太鼓のリズムに掛かっている。担当は夏奈子さん。「ダイジョブかなー」と心配そうだけど、小学生の頃から染みついたリズム感は信頼できる。この日は和太鼓の代わりにフォルクローレの「ボンボ」を使用して練習した。夏奈子さんの太鼓は、やっぱりテンポが安定していて安心だ。

◆全ちゃんは始めての楽器に多少戸惑っているが、思った通り音感はいい。長岡さんのアドリブ部分では鉦をパーカッションに持ち変え、とてもいいタイミングでアクセントを付ける。

◆長岡さんはなんと、4種類もの笛でアドリブパートに臨んでくれた。日本のメロディとフォルクローレが予想以上に違和感無く繋がる。

◆まるでフリージャズのように、それぞれが音で互いの気持ちを語り合っている感覚が、むちゃくちゃ気持ちいい。練習を繰り返すこと3時間。合間には音楽談義に花が咲く。当初の思惑以上に良いセッションかもと、早くも脳天気に自画自賛。それにしても、これを当日一発でやろうと思っていたことが恐ろしい。長岡夫人、ノリコさんのチャーハンをご馳走になり、解散。駅までの帰り道、楽団長を夏奈子さんに決定。リーダーにはやはり花が必要だ。


11月6日 太鼓運搬。太鼓が置いてある西東京市公民館前で、昼12時半に村田さんと待ち合わせ。渋滞で村田さんの到着が遅れるが、俺がケータイを持たないので、連絡が取れない。10分遅れで村田さんと出会うと開口一番「携帯くらい持ってよ」。失礼しました。村田車はホンダシビック。思ったより車内が広く、最大経54センチの太鼓もサイド・ドアからラクに積めた。他に締太鼓、太鼓台を二つ、そして芝居に使う竹竿などを運んでいただく。このあと村田さんは長岡邸に行き、キーボード運搬。

◆この夜、地平線300回記念フォーラム前夜祭。全ちゃんから、「シゲさんがオープニングの太鼓で踊ることになったから、よろしく」と囁かれる。びっくりするが、まあ、なるようになるか。


11月7日 ついに本番当日。芝居組の準備と、シンポジウムの映像や音出しの用意で、思っていた以上に舞台上が混沌としている。PAの兄ちゃんから「先に音楽のリハをやってください」と言われるが、長岡さんと全ちゃんがなかなか到着せず、やきもきする。

◆開場30分前、段取りが良くわからないまま、なし崩し的にリハーサルを決行。舞台上では芝居組が準備しているし、会場には大勢のスタッフ。ちょっと緊張するが、隣では夏奈子さんがもっとこわばった表情で締太鼓を叩いている。このとき彼女は朝から飲まず食わずで芝居の準備をしていたせいで、ちょっとスタミナ切れだったと、あとで知る。

◆舞台中央には、芝居の大道具が据えられているせいで、演奏に使えるスペースがずいぶん狭い。これじゃ、芝居チームも動きにくいだろう。われわれの戸惑った様子を見て、道具担当の久島さんが装置をすこし後に下げてくれた。ようやく適当な空間を確保。

◆和太鼓を使って音を合わせるのはこのときが初めてだ。いざ叩いてみると、やはり太鼓の音量がでかい。マイク無しで、笛の音が太鼓に消されないか、ちょっと心配だ。リハ終了後、全ちゃんから「締太鼓と大太鼓のテンポが合ってない」とダメ出し。指摘通り、俺がすこし走っていた。これはまずい。

◆リハ後、本番まで30分。あわただしく衣装替え。今回用意した衣装は、やはり「卑弥鼓」のもの。今年発表した新曲のために作り、一回使用しただけの新作だ。デザインを担当したので愛着がある。にわかに結成した品行方正楽団だが、こうして衣装を揃えるとチームらしく見える。

◆でも、衣装を付けたイメージは多様だ。サングラスを掛けた全ちゃんは、『謎の大陸浪人』というところ。国籍不明のいかにも怪しいその存在感で、「品行方正」という言葉に託したパロディの意図が強く現れる。その辺のセンスはさすが全ちゃん。長岡さんの醸す雰囲気は、縄文人か、はたまた新興宗教の教祖か。フォルクローレの時とは全然違って、爽やかに怪しい。唯一白い上着の夏奈子さんは、涼しげで、巫女さんのようだ。メンバーの醸すカオス的なイメージが地平線会議らしいなあと俺は思う。

◆いよいよ開演直前。長岡さんの前には、リハの時になかったマイクが。その方が良いと思っていたので、ホッとした。ばちを握って待機していると、幕の向こうの客席が賑やかに聞こえてきた。お客さんはどのくらい入っているんだろう?舞台監督(?)の松尾君と、幕開けのタイミングを確認。メンバーと目で合図。太鼓の前に足を踏ん張って構えると、すぐ後方に控える黒子の和田真貴子さんの足に触れそう。最初のばちを振り下ろした。客席のざわめきがふっと静まる。快感。徐々に幕が開き、客席の上方から向けられた照明が目に飛び込んだ。ホンバン、スタート!




打ち明け話
そり犬から奇術師へ−−迷走劇団顛末記
大西夏奈子 

◆300回フォーラムのオープニング(=学芸会の部)の劇づくり、という大役を仰せ付かることとなったのは、まだ蒸し暑さが残る夏の終わり…の夜でした。

◆8月下旬/地平線報告会二次会。この日の報告者である江本さんの気まぐれな(?)一言、「ねえ、300回フォーラムで、劇、やろう」。ここに迷走劇団が発足。御大より召集されたのは、その日の報告会に参加していた青年団の石川直樹君、鈴木博子さん、大西の3名。ほろ酔い江本さんの独断で、(その時近くにいた)私が無謀にもシナリオを担当し、それをたたき台に皆が意見を交わして練りあげることに。

◆休日、テレビでふと目にしたムツゴロウさん、どこかで見たことある顔だ…それはインスピレーションとなり、遊び気分で第一稿を書く。話の舞台は、地平線通信発送作業の場。突然、江本氏の携帯電話が鳴り、カナダの菊池千恵さんより「犬ぞりレースに出場する犬たちが行方不明で困っているの」との連絡が入る。発送作業中のメンバーは迷わずカナダへ飛び、極北の冬の寒さもなんのその、ヒトであることをひた隠し、犬に成り代わって健気にソリを引き、千恵さんの力になるという感動のドラマ!!でした。

◆後日、江本さんより「犬の着ぐるみは東急ハンズに売ってるみたい」という真面目な報告が来る。御大がこの企画にどうやら本気であるらしいことを悟った青年団、内心慌てる。以降、落合さん作のML上で(時折)活発な意見交換が始まる。アイデア豊富な鈴木さんと石川君の提案も飛び交い、様々なシナリオ案が生まれては消えていく…。

◆9月末/相変わらずマイペースな意見交換が続く。この日は還暦を迎えた三輪氏の報告会。二次会会場では江本さんの取り計らいにより、なんと恵谷さん岡村さん両氏に劇の相談に乗っていただくという事態に。お二人に「で、どんな劇を考えてるの」と声をかけていただくも、「地平線の皆さんが犬に…」などと口にする勇気は到底なく、そのド迫力と魅力にただおののくのみでした。

◆翌日、四谷にて劇会議、のはずが前夜祭を含む「300回」プログラムの打ち合わせであった。「その先の地平線」というタイトルが石川君発案で誕生。

◆9月中旬/山岳耐久レースを終えたばかりの江本さん・鈴木さんと会合。鈴木さんは女子の部で2位とのこと、凄い! このくたくたな状態で、シナリオ会議。劇中で古株組と若手組が自己責任論をめぐり喧嘩をする、宇宙に何を持っていくか喧嘩をする、納豆の食べ方でもめて喧嘩をする(喧嘩ばかり…)など、いつものようにそれぞれ好き勝手言い放題、ここで初めて手品案が飛び出す。江本さんの「劇中で登山用ザイルを出したい」という強い要望から連想されたものだが、旅や出会いの類とは関連性が薄く、これだけはないだろうなあと誰もが思う。

◆10月上旬/会場下見。長野さんより「オープニングで太鼓を演奏することになったよー」と聞かされ、びっくり。こちらの準備に関しては最後まで長野さんにお任せしっぱなしでした。

◆さて、気がつけばすでに本番1ヶ月前。「その先の地平線」というテーマとどうコネクトするのか(?!)誰にも分からぬ手品劇が勝ち残る。

◆10月下旬/この日の報告者は丸山夫妻。二次会会場の中華料理屋「北京」にて、尾崎理子さんと松尾君と藤岡君のアスリート組を巻き込むことに成功。本番まで2週間をきり、明日には初顔合わせを予定している。その下打ち合わせのため、江本さん鈴木さんとあれこれ話しているうちにまたもや新案が。手品劇の目玉として、胴体切断をやろう、ということに!ますます旅から離れていく劇、どこへ行く…。

◆10月30日/榎町区民センターにて。ただでさえお忙しいにも関らず劇のフォローまでして下さった落合さん、照明担当のはずが大道具隊長になってしまった久島さん、以後ご自宅を荒らし多大なるご迷惑をかけることとなる関根さんを迎え、役者の江本・三輪両氏、看板女優の鈴木博子、胴体切断の足役を快諾して下さった影の主役・理子さん、黒子の藤岡君たち(石川君はニュージーランドの森の中)劇団員の初顔合わせ・初読み合わせ・初練習。のはずが、途中まで読み合わせたところで胴体切断の仕組み論議に一同夢中になり、ああだこうだと白熱するうちに時間切れ。予想以上に大道具が大変だ!ということで、閉店間際の東急ハンズに繰り出す。その後は関根邸のガレージになだれ込み、衣装合わせ、大道具と小道具作製、(江本さんのみ踊りの練習)が深夜まで延々と続く。…本番まで残り1週間!

◆10月31日/助っ人の横内さんにも来ていただき、関根邸にて残りの大道具作り。ダンボールを扱う手さばきは天下一品の久島さん、秘密の四次元ウエストポーチからは工作道具やゴミ袋、なぜかチーズ燻製用器具まで何でも出てくる、不思議。さて、江本さんが画用紙を探しているが、何を企んでいらっしゃるのか。30分後、気がつくと周りには犬の絵が大量にあふれ…。大小のサイズに富んだ躍動感溢れるわんこのイラストは、胴体切断の箱を華々しく(?)飾ることに。

◆11月2日/鈴木博子さんは愛知から東京までの300キロマラソンをスタート。静岡から、三輪さんも伴走。主役と看板女優が東京へ向かって確実に距離を縮めている間、本番会場にて最終打ち合わせ。その後そばの公園の砂場にて、落合さんを囲み打ち合わせの続き。よく晴れた気持ちのいい日であった。

◆11月3日/黒子役の超多忙な松尾君と大手町で会い、彼の役どころを説明する。黒子を演じるために生まれてきたのかと思うほど、普段から黒尽くめの松尾君。彼の友人達も同じく。衣装要らず。

◆11月5日/仕事から帰宅後、シナリオの最終案が完成したのは深夜3:00、本番31時間前にしてやっとMLに流す。

◆11月6日/前夜祭当日の朝。午後からは「大雲海」のシール貼りやカレンダー封詰め作業を控える関根邸の2階で、どたんばたん大騒動の初練習。関根ご夫妻という協力なアドバイザーのもと、未だ形になっていなかった寸劇もどきに息が吹き込まれる。名役者たちの演技に唖然、としている間に昼になり、地方組の皆さんが続々と到着。関根家秘伝のおでんとおにぎり、焼酎をご馳走になる。腹ごしらえをしたら、階下のガレージへ移動。おもちゃ作家のあるみさんに、小道具の救急箱を制作していただくという幸せな場面もありました。そしてうわさの「大雲海」が到着、初披露!! 至福のとき…も束の間、大道具部隊には最後の大仕事が残っていた。胴体切断奇術の箱(同じ大きさのダンボールを二つつなげてあるだけです)の上部に、入り口となる蓋を作らねばならない。これが終われば、大道具も完成! めでたし、のはずがここで大ハプニング。メスを入れたと同時に、勇ましく四角を保っていた青い箱は、構造のバランスを失いみるみるへちゃげてしまったのである。あーあ。

◆箱の救護を急ぐ久島大道具隊長をガレージに残し、私は関根さんの自転車で繁華街へとおつかいに。箱を補強するための木材の調達が目的。ところが、新宿大都心を自転車で快走するという体験に胸躍らせているうち道に迷い、帰り着いた時には、さっきまでの賑やかさはどこへやら、静けさが広がる関根邸。午後4時。半開きになったガレージの扉をくぐると、奥で久島さんと長野さんと関根さんが大道具と真剣格闘中。こんな土壇場で巻き込みお手伝いいただいて申し訳ないという気持ち、この箱無くして劇はきっとできないなという焦りの気持ち、いよいよ前夜祭が始まるという高揚感、が一気に渦巻く。もう時間がない(というより始動するのが遅い)。これまで何があってもどうにかなる気がしてきたが、さすがに不安になる。うーん、どうなるんだろう??

◆箱の補強作業が終わらぬまま、アジア会館へ。前夜祭では眠気で頭が朦朧。。

◆本番当日。公園にて朝練習、という悪あがきをする。参加者は黒子軍団+前日夜半にスカウトされた松尾君の友人中檜君。今日も大変な晴天。通りがかった武田さんに「もう9時だよ。会場開いてるよ」と教えていただく。

◆午前9時、会場入り。舞台周りでは独特の緊張感が走る。壮大な一日の幕開け。本番直前の午前10時半、千夏さんのありがたいご協力のもと久島大道具隊長は危ぶまれた箱を見事に完成させる! すごい。舞台袖では黒子組がハサミ片手に紙ふぶきをせっせと増産中。素晴らしいチームワーク。箱の中で10分間も待機する足役の理子さん、数時間前に巻き込まれたばかりの黒子の和田真貴子さんも到着。

◆全劇団員が揃ってのリハーサル…は、時間の都合で断念。あとは、ええいままよ、のぶっつけ本番となり、隣でドン、と音がしたら、もう、お祭りの始まりです。




打ち明け話
突然、足になれ、と言われて
尾崎理子 

◆1週間前に突然お誘いの話がきました。最初は「足だけだし、まっいっか」くらいの軽い気持ちだったのですがなんせ私は当日のみの参加しか出来なかったのでほぼぶっつけ本番! 幕が開く前から箱の中に入り、体を丸めダンボール越しに外の空気に耳をすましながら出番を待ちました。皆のトタバタ動きまわる音、息遣いが聞こえ観客も笑っている様子。そうしているうちに私の入っている箱の蓋が開いて博子嬢が中へ入ってきた。とうとう「足」デビューの時がきた! 箱の外に出すため、今まで三角座りの状態ですぼめていた足をパッと前に伸ばしてみた。現在身体計測で前屈はマイナスの私ちょっぴり辛い…でも「あ、足も出てきた」とつぶやく観客の声を聞いてしまった私はすっかり調子に乗り、鋸の音に合わせて思いきり足をばたつかせました(とは言っても硬い体の稼動範囲は限られていましたが)。後は、観客の声とバックの音にかき消されて様子がわからず結果がどうなったのか未だに全く知りません。他のスタッフに比べれば何もせず唯小さくうずくまっていただけなのに箱の中が熱かった為に汗だけは皆と同じ様にかいてとても働いた気分! 無事?デビューを果たせました。




打ち明け話
極私的覚え書き −言葉を交わせた人編−
中島菊代 

◆朝7時半新大阪発新幹線で東京着。乗り継ぐ地下鉄がわからずいきなり交番へ。用事を一件済ませ、大久保駅着。地図を忘れ迷うも、lunaさんとバッタリ会い、関根さん宅に到着。江本さんが紹介してくれ、丸山さんから大雲海を受け取る。誌中の武田さんモデル4コママンガに笑う。岸本さん、実千代さん、あるみさんは2週間ぶり。藤原さん、横内さん、山本さん、石川さんたちと作業をしていると、山形から飯野さん、網谷さん、池田さんが登場。作業後は、気になっていた雪丸、くるみに会える。前夜祭。坪井さんモデルのマンガの話。笑みこさんの言葉に、じーん。kacoさん、ayaさんとおしゃべり。多胡さんに復刻牽引のお礼。松尾さんの学科名など聞き、大久保さんにお祝いを言う。岡村さんにサインをもらい、河田さん&夏帆ちゃんと記念撮影。和田さんとちょこっと話。翌朝川本さん、北川さん、西澤さんたちと会場へ。きよさん、りこさん、nabeさんに再会。怪物君の三輪さんと記念撮影。お昼休みは鈴木さん、後田さんとちらりやりとり。菊地さんに挨拶し、ラフカイ・ウルフィーに触れる。午後7時40分、落合さんたちに見送られて会場を後にし、新幹線で大阪に戻った。余韻冷めやらず、撮った写真をウェブに載せてから寝たら、大西さんがメールをくれた。…はぁ〜、濃かった。感謝!(モレがあったらごめんなさい!)




打ち明け話
地平線会議記念フォーラム300kmの道
鈴木博子 愛知県蒲郡発 

◆話の発端は地平線会議300回記念フォーラムの打ち合わせの時だった。以前、江本さんから「若手を中心に寸劇はどうか?」との案を頂き、その打ち合わせということで9月も後半、落合さんを含めた若手が集っていた。劇の話をするはずだったのではあるが、その時点ではフォーラムの型が決まっておらず、フォーラム全体の話になっていた。落合さん中心にいくつかの案が飛び交い、消え去っていた。その中に、シールエミコさんの“私の300”という企画があった。長谷川恒夫カップを走るためにトレーニングをしていた私は、突発的に「そうだ!300km走ろう」と江本さんに言ってしまった。勢いで言ってしまったものの、今思えばその時が“300km走ろう”という企画の思いつきだったのではないかと思う。

◆一度芽生えてしまった気持ちは萎えることなく温まっていくもので、山岳レースを終えるとその気持ちは固まりになっていた。そして、10月後半に江本さんが島根県で100kmレースを完走したという知らせを受け、これは“私もやらなくてはいけない”“今の私には走ることしかできない”完走できるかの自信はなかったし、不安や恐さはあったものの、挑戦しようという決心をしたのだった。

◆さて、10月の地平線会議の後はフォーラムに向けて寸劇急展開で大忙しになっていた。“こんなときに申しわけないな〜”と思いながらも走ることを皆に伝えた。すると、走りつづけて数十年、ウルトラマラソン大先輩の三輪さんが食いついてきた。最初は「どこ走るの?」などと道情報の話だっただのだが、話が進むと「いいね〜それ」と三輪さん。私はいつの間にか「一緒に走りませんか?」と誘っていた。三輪さんは11月2日に用事があり、全部参加することは無理。しかし、3日からは可能ということで、3日目に静岡県の興津から合流することに決まった。それが10月30日。出発する2日前の話だったのだから、いきなり即決できた三輪さんのフットワークの良さはさすがだと思った。

◆11月1日、出発の日の朝。準備、心構えはそんなになかった。レースではなかったので、緊張もそれほどなかった。前の晩から雨が降っていたが、天気予報では午後から晴天ということ。食料を大量に持ち、国道1号線300km地点まで車で送ってもらうと、準備体操をし、午前7時、300km先に向けて出発した。走り始めから、食料を持ちすぎたせいか、肩がズキズキ痛み出した。一時間は我慢をしたのだが、早速へたれ、荷物を少しでも減らそうと朝食をとった。そのあとは、ひたすら一号線のトラックのけたたましい音と息が詰まるくらいの匂いの中を駆け抜けるしかなかった。平坦な道が続いていたのだが、気持ちは“これなら出来る”と思ったり、“もうこれ以上走りたくない”と思ったり二転三転した。1日の最低走行距離60kmである、袋井に着いた時は、4時半になるところで、最後は走るなんて精神力はなく、歩いてでのゴールだった。

◆2日目。朝起きるのが恐かった。体が動かないんじゃないか、足が上がらないんじゃないか、走れるのか? その不安が頭を占領していたからだった。しかし、嘘みたいに体が軽かった。嘘じゃないかと思った。健康ランドの湯に目いっぱい浸かり、柔軟を念入りにし、しっかり眠ったせいだろうか? 人間の回復力に驚かされるばかりであった。暑すぎる太陽の日差しの中、“どこまでも走れるんじゃないか?”という自惚れが頭を巡るのだからほんと身のほど知らずなのである。初日とはうって変わって山、峠が多く、坂道が続いていたが、それと同時に景色の良さ、自然の素晴らしさに助けられ、楽しいと思える時間を過ごした。そう、私は良い道を通ろうなどというところまで頭が行かず、わかりやすい国道をひたすら突っ走っていたのだ。午後になると、午前中の気持ちはもう完全に消えうせ、ただただ“どうしても今日は静岡まで行かなくてはいけない”という気持ちだけが、足を前に進めてくれていたような気がする。体は棒のようになり、全身が痛む。食べることだけを楽しみに、どれくらい進んだだろうかと、時間が過ぎていくのを考えるのみになっていた。日本橋から181km地点。だいたい出発してから120km地点、静岡駅で2日目を終えた。三輪さんとの約束を守れそうだという安心感と、明日から三輪さんと一緒に走れるという喜びで足が痛いながらも嬉しかった。“これは辛い…”それを癒してくれるのはいつでも、目標と希望と風呂と睡眠であった。

◆3日目。静岡駅を出発したのは6時15分。17km先の興津に8時半までに着かなくてはいけない。三輪さんと待ち合わせているからだ。疲れはあるものの、昨晩のような体の痛みはない。体が走ることに慣れていっているのを感じた。順応している。天気もいい。もちろん軽快とまではいかないにしても、順調に興津に着き、三輪さんと合流した。“嬉しい”機関銃のように言葉が飛び出し、話をした。聞きたいことがたくさんあったし、辛いことを愚痴りたかった、そして何より、誰かと話をしたかったのだろう。この2日間、ほとんど人と話しておらず、言葉が埋もれていたことに気付いたのだった。そして足が軽くなるのを感じた。

◆煙まみれの国道から旧道に入り、高い峠から海を望み、みかんを摘んだ。地元の人たちに声を掛け、楽しい話をして、時に走り、時に歩き、景色を楽しんだ。一人で過ごしていた2日間とはまるで違う時間が流れた。なんだこれは? すごく楽しかった。

◆走っていて辛いと思うことはあったものの、三輪さんが前を走っていることで弱音ははけなかったし、逆にそれが励みになり、体を楽にしていた。見るもの見るものが新鮮に感じ、そこから力をもらうことができた。

◆後から地平線会議300回フォーラム前夜祭で三輪さんの弟子という中山嘉太郎さんに言われた言葉がある。「三輪先生と走れたから楽しかったんだよ」と。あの中山さんを感嘆させる三輪さんの力に改めて驚かされたのだった。

◆最後はやはり辛かったのだが、前日までの怠惰感はなく、予定通り沼津に着き、気持ちよく一日を終えることができた。体は心と繋がっていると実感した。心が満たされれば体も楽になる。

◆4日目。富士山に近いこともあってか、朝外に出ると冷たい空気が体を包んだ。空の向こうには雲一つなく山々が連なっていた。今日は今回のメイン、箱根越えがある。気合は入っているものの、ここまで来れば三輪さんも一緒だし、完走できる自信が生まれるまでになっていた。順調に午前中には箱根を越えることができた。空は一日中快晴で、富士山は陰ることなく私達の目の前に聳え立っており、緑は新鮮に輝いていた。最高の日に最高の道を通れた。今回の旅、一番楽しく、忘れられない日となった。

◆最終日。空はまだ暗く、星さえも瞬く5時半に出発。心がはやる。予想外に時間がかかってしまった午前中であるが、日本橋に近づくにつれて足が軽くなるのを感じ、ゴールまで10kmとなった品川あたりからは体が辛かろうと、足が痛かろうとスピードが自然に速くなっていくのを感じた。“あと少し”と思うことが体をも軽くしていたのだ。山手線内に入ると、興奮は益々増していき、最後は三輪さんと共に人を掻き分け、ダッシュをしてしまった。16時15分。感動のゴールをした時は今までの辛さは全くチャラになっており、不思議な力を感じざるを得なかった。早速江本さんに電話をすると、「明日は9時半に集合ね。」と現実に戻され(笑)、二人で苦笑いをしたのだった。ほんと素晴らしい300kmであった。

◆次の日、劇のリハーサルで朝早くから関根さんの自宅に集った時に、三輪さんの元気な顔を見て、“一緒にゴール出来てよかった”と充実感に満たされた。人と一緒に走ることで辛さは半減し、楽しみが倍増する。三輪さんと走れたことにより、それは何倍にもなったのは間違いない。到底敵わないけど、少しでも三輪さんに近づけるようにジョギングを愛し、いつでも挑戦し、素敵に歳を重ねていきたいと思いました。そして、これでようやく地平線300回が迎えられると自分の中で納得したのでした。




打ち明け話
裏方の楽しみ方
ひろべい 久島弘 

◆今回は、準備の終盤からチョコッとだけ係わりつつも、しっかり裏方を楽しみました。頼まれた作業−−アスリート一座が演じるマジックショウの仕掛け作りのお手伝い−−は、元来が内気でシャイで引っ込み思案なワタシのような人間にはピッタシの仕事でした。江本大人から、「要る物は何でも買え。金は湯水のごとく使ってよし!」という太っ腹な通達(多分、買出し部隊の遠慮がちで倹しいショッピングに気を揉んでの檄ですね)が出ていましたが、「やっぱり地平線は、あるもの流用の安上がり路線の方が似合うもんネ」とムネの内で独り呟き、ミワ翁も加わって「本格的なマジックやるぞー!」と御二人が意気込んでいるのを見て、「200回大集会以来、地平線寸劇の伝統はおちゃらけだぁ!」と密かにギャグ化修正をココロに決めました。でも、案ずるより産むが易し。ワタシなどが小細工を弄さずとも、メンバー各人の持ち味が、本人の意図する・せざるに関係なく存分に発揮され、それはそれは絶妙な舞台となったのであります。そして何より、そんな一座のドタバタ劇と危なっかしい仕掛けにはらはらしながらも、温かい声援を送ってくださった客席の皆さんに、ワタシは深く頭を下げたいと思います。




打ち明け話
300回の私的舞台裏
落合大祐 実行委員長 

●フォーラム3日後の11月10日、実行委員長の落合大祐さんから、長いメールが今回のスタッフ一同に届いた。11・6、7に向けた実行委員長の奮闘の日々。ご本人の了解を得て概要を転載する。


◆6年半住んでいた住まいを、きょう引き払いました。先週の引越しでだいたいの荷物は片付いていたので、本当にそこに住んでいたのかなと思ってしまうほど、無味乾燥な空間になっていました。なにしろ段ボール箱70個分あったのです。引越し屋に持って行ってもらった荷物が。

◆800メートルしか離れていない新居に荷物を運び入れて、まっさきに開封したのは大集会関連でコツコツ作ってきた資料、武田さんからお借りした200回大集会の進行台本、江本さんからの“KAZAMA AID”の立派なマニュアル、『地平線の旅人たち』、安東さんの『チベットの白き道』でした。これらは新しい本棚に並べ、11/7に向けて何度も読み返しました。そしていまはその隣に白い背表紙の『大雲海』が並んでいます。


◆いつだったか久しぶりに顔を出した地平線通信の発送で、丸山さんがこの復刻プロジェクトや「地平線大年表」の構想を話題にした時に、それも大事だけれど300回大集会をどうしようか、というようなことを江本さんが言い出したのです。感じた予感はその後的中し、実行委員長の役は私に回ってくることに。仕事で行けなかった4/24の報告会の夜、江本さんから電話がかかってきたのです。もう決まったような口ぶりだったので、最初は固辞したのですが、その後、丸山さんからの(例によって)長い長いメイルに説得されました。

◆地平線は直前にならないと何事も動かないよ、と古参メンバーに言われながら夏も過ぎ、9月に入るとさすがにあせり始めて、プログラムめいたものを「復刻」の参加者に提案し始めました。9/24に行われた三輪さん還暦お祝いの報告会が、ターニングポイント。あまりいいアイデアもないまま、こんないいかげんなプログラムでいいのか、と思いつつ翌日の四谷「タイム」になだれ込む形で江本さん、石川くん、鈴木さん、大西さんと打合せ。私はいつものようにリヒトと一緒で、名目は寸劇のシナリオ作りだったのが、ほとんど大集会全体の話をしていました。「その先の地平線」はその時の石川くんのアイデア。

◆案の定、このプログラムはちょっと危ないのではないか、間に合わないのではないかというような意見が「復刻」の参加者から出たのがその数日後。地平線にしては珍しく早めに、順調に準備が進んできたと思っていた自分にとって、これはかなりのパンチになりました。始めはのんびり、直前にならないと動き始めない伝統の地平線ペースと、それに慣れていない若い人たち。どちらかというと伝統を打破するつもりでいたのが、いつのまにかずるずると地平線ペースに引き込まれていた。

◆助けを求めた先が、カラーシャから帰国して、「復刻」に喝を入れねばならない丸山さん。日本橋まで来ていただいて、仕事の合間に数時間の打合せ。なんとか考えを整理して、おまけに丸山さんにもプログラムの約半分を引き受けていただいて、これで最終的なプログラムがほぼ固まりました。以前から石川くんを交えて打合せしている寸劇で、地平線会議の過去・現在・未来を表現する。石川くんにはこの他、熱気球で太平洋を横断しようとしたビデオを見せてもらう。丸山さんは「復刻」でも精力的に活躍している多胡さんにステージをお願いする。ウルフィーが会場に入れない(と思っていた)ので非常に難しいが、もし可能であれば田中・菊地夫妻にも登場をお願いする。チベット、自転車と共通の話題がある安東さんのパートは、落合が聞き役になる。これがプログラムの骨格となりました。

◆カナダに滞在されていた田中・菊地夫妻には、私がフライングして大集会への登場をお願いしてしまいました。実はこの時、まだ11/7までに帰国するかどうか未定で、本当はそのあたりの予定を聞いてからということだったのに。ほとんど無理矢理大集会に合わせて帰国していただくことになってしまい、申し訳ないことをしてしまいました。

◆この話はやはりラフカイとウルフィーの2頭をなしに語れない。あとでわかったことですが、大集会前日の11/6から新しい検疫制度が始まり、生後10ヶ月未満の子犬は空港検疫所で半年間の「係留」が義務づけられることになりました。狂犬病を避けるためとは言え、狭い施設で幼年期の半年間を過ごすというのは子犬の成育によいわけがない。まだ幼いウルフィーは、大集会に合わせて日本に来たので幸運にもその隔離収容を免れることができた。これは田中・菊地夫妻にも、大集会に来られたみなさんにも嬉しい誤算になりました。

◆会場の牛込箪笥区民ホールのような公共施設は通常「ペット立入禁止」です。正面切っていきなり言っても断られたらおしまいになってしまう。犬好き久島さんにお願いして理論武装していただき、「介助犬2頭」の入場を切り込み隊長の関根さんから会場に伝えていただいて、無事OKを取ることができました。こうした幸運と努力が重なって、2頭はステージに上がることができたのです。

◆私は一応会社勤めなので、平日は勤務があります。ケータイに江本さんから電話が入るたびに仕事そっちのけで、十数分は話し込み、その後だいたいは「ちょっと闘ってきます」と言い残して職場を離れ、地平線のあちこちに電話をかけたり、喫茶店に立てこもったり。よくぞ仕事場の仲間が許してくれたものだと思います。

◆さらには、2年越しで探していた新しい住まいが見つかり、急遽引越しを決めました。移転は大集会の直前。大集会だけでもタイヘンなのだから、もうひとつタイヘンなことが増えてもタイヘンなこことには変わらない。スノボで言えば、FS180ができたんだから、ついでにもうひとひねり、ちょっと無理してでもフェイキーでキッカーに飛び込んじゃえ、みたいな。

◆「プログラム」を通信300号に掲載するために、さらにきちんとした文章に仕上げないとならない。一方、「復刻」のほうは、まさにこの頃が追い込み。大集会のほうは準備を少し遅らせて、通信の発送に間に合うようにぎりぎりのスケジュールで、丸山さんと長野さんに恐る恐る原稿をお願い。多胡さんを中心に「復刻」が締切ぎりぎりの大勝負になる中、大集会の準備はあまり進まず、かなり焦りました。が、この白熱感がそのまま11/7につながり、たくさんの有志の活躍で急ピッチで大集会の準備が進行。これが地平線ペースだったのか、と実感。

◆そして忘れもしない10/23の夕方。西新井のホームセンターの屋上駐車場から、長岡さんに電話をしようとケータイを持ったところで、ゆさゆさと建物が揺れ始めました。カーラジオのニュースでは、新潟で震度5強の地震。新幹線が脱線しているらしい。3週間前に小学5年のカナトと一緒に、自転車で走り回ったばかりの野山が、まさに震災に見舞われている。やらねばならないことは山ほどあるのに、私の心はもう新潟に行っていました。関越道は前橋より先通行止め。三国峠はまだ越えられるらしい。水とガソリンを積んで、行けるところまでクルマで行って、そこから先を自転車なら被災地まで何か手伝いに行けるだろう。が、その夜は落合“Neko”美穂が遅番の日。リヒトを置いては東京を離れることができず、悲しい思いで目の前の課題をまず片付けることにしました。

◆11/2に再度の下見。この時は当日の進行に合わせて、設備に不足はないか、操作は大丈夫かという確認がメイン。狭い事務室での会場係との打ち合わせは1時間に及びました。

◆この夜(というか翌朝未明)、地平線関連の資料を最後の段ボール箱に梱包して自宅の引越しを運送業者に託しました。近所の新居に移ったとは言っても、段ボール箱の開梱よりも大集会の準備が最優先。メイルでの連絡用にADSLを開通させるため、電話とモデムのセットはしたものの、食事はコンビニ弁当か外食、寝るのはシュラフの日々。刻一刻と大集会が近づいてくる。

◆木曜日には夜遅くに進行係をお願いした松尾くんと白山のハンバーガー屋で待ち合わせして、舞台監督の役割をみっちりお願いしました。当日のステージは彼が頼り。太鼓のリハーサル、寸劇の小道具作り、多胡さん、田中・菊地夫妻のパートの準備は着々と進み、夕方からの江本さん司会による「前代未聞大リレートーク」もあれよあれよという間に、進行役の服部さん、菊地由美子さんの名前が挙がり、ステージに上がっていただく方々が決まっていく。

◆残るは私が担当する安東さんのパート。ところが肝心の彼は、9月下旬から雲南に「国外逃亡」。何度か交換していたメイルでの連絡が、この1週間ぱたりと途絶えてしまっていることに気付き、急に不安が募ります。「連絡乞う」のメイルを送った翌金曜日未明、「1時間ほど前に帰宅しました。いつ打ち合わせしましょうか」と、心待ちの返信。これですべてのパートが揃いました。

◆そして、前夜祭の行われる11/6土曜日。愛知から300キロを走ってきのう日本橋にゴールしたばかり(時間を知っていれば、出迎えに行けたのに!)の鈴木博子さん、太鼓の準備も忙しい大西さんを中心とした寸劇班は、主演の江本・三輪コンビと石川くん、長野さん、久島さん、尾崎さん、松尾くん、関根さんを次々と巻き込み、最後には関根さんが一同を指揮していたほど。このリハーサルが行われる関根邸へ午前中、向かいました。大久保の駅を降り、職安通りの交差点を曲がると、聞こえてくるマンボのメロディ、三輪さんの笑い声。ああ、この日が来てしまった。

◆失敗も後悔も、あとは皆さんご存知のとおりです




打ち明け話
大集会裏方話
武田力 

◆大集会が終わって一週間は興奮さめやらず、会社へ行ってもほとんど仕事が手につきませんでした。大集会は予想以上の“大成功”だったと思います。でも、私はイベントの中身をあまり見ていませんでした。ほとんど名前だけの副実行委員長を仰せつかって、本番中は忙しそうなふりをしてあちこち走りまわっていたからです。それでも十分に熱気が伝わってきたし、初めて会う人、久しぶりに会う人たちと言葉を交わすうちにあっという間に時間は過ぎていきました。

◆落合実行委員長からは、突発的な事態に対応するために特定の役割を与えられず、フリーにしておいていただきました。しかし、プログラムの進行については各担当者と実行委員長との間で綿密な打ち合わせをしていたこともあり、あまり心配はしていませんでした。仮に画像や映像が無かったとしても、トークだけで十分に間を持たせるだけのものを、報告者も司会者も皆さん持っているからです。実際、音が出ないというトラブルがありましたが、そんなことはものともせずにプログラムが進行していったことは、参加された皆さんがご存知の通りです。

◆それより私は「後方支援」ともいえる受付が手薄になったり、販売でトラブルが起こったりということの方が心配でした。が、心強いことに受付責任者として藤原和枝さん、会計責任者として横内宏美さんが担当してくれました。藤原さんはいつも報告会で受付をしてくれるし、横内さんも日本山岳会で事務をとっていて、M本氏から「最近どこの集まりにいってもこの人が受付にいるんだよなぁ」と言われるほど。ふたりともベテランです。

◆開演までは6月の大阪報告会で活躍してくれて、この日のために関西から来てくれた岸本実千代さん、中島菊代さん、村松直美さん、前田歩未さんが、受付で今回も大活躍してくれました(村松さん、前田さんは前夜祭でも受付を担当してくれた)。せっかく遠くから来たのにイベントを見られなくては気の毒なので、開演後は会場に入ってもらいました。開場直後には村田忠彦さんも受付周辺で来場者の案内をしてくださいました。村田さんはさすがに元銀行マンだけあって人当たりも良く、来場者をうまくさばいてくれました。

◆開演後は、会場内で何が行われているかほとんどわからないまま、受付は後田聡子さん、橋本記代さん、新垣亜美さん、宮本容林さん、『大雲海』の販売は西澤栄里子さん、年報などの販売は阿佐昭子さん、久芳陽子さん、200回記念の時に作ったレアアイテム「地平線Tシャツ」の販売は森井祐介さん(28枚完売しました)が、付きっきりで働いてくれました。まだまだ手伝っていただいた方がいたかもしれません。漏れていたらゴメンナサイ。大集会終了後、ゴミを持ち帰ってくれたのは森井さん、『大雲海』やカレンダーなどの残りを搬出してくれた関根晧博さんと三輪主彦さんは、遅くまでゴミの仕分けや片づけをしてくれました。

◆受付・販売など裏方にこれだけのメンバーが揃い、しかも藤原さん、横内さんが上手くまとめてくれたおかげでチームワークもよく、私の心配は杞憂となりました。私は受付と、スタッフの控え室として使っていた楽屋を行ったり来たり、その合間に会場を覗いたりしていただけで、何も仕事をしないうちに大集会は終わってしまいました。

◆いつもは協調性がないとか、団体行動ができないとかいわれる地平線も、こういうときには一致団結してものすごいパワーを発揮するんですね。私は十分にそのパワーを受けた(そのおかげで一週間仕事ができなかった)し、会場にいた方もそうだったしょう。しかし、そのパワーの影で地味な仕事をして支えてくれた人たちがいることも忘れてはいけないと思います。みなさん、ほんとうにご苦労様でした。

◆おまけ 今月の地平線通信を大々増ページして発行することは、前々から江本編集長が考えていたようです。当初、江本さんは「40ページくらいになるから」と言っていましたが、私はそんなに多くはならないだろうと高を括っていました。ところが、いざふたを開けてみると、編集長から来るわ来るわ、怒濤のように原稿が送られてきました。「原稿はちゃん整理して渡すから、レイアウト頼むぞ」と言われていたので安心していたのですが、だまされた〜。送られてきた原稿を見ると、編集長一人では直しきれなかった誤植(変換ミス)や人名の間違いがまだ残っていました。でも、そのおかげで、全部の原稿に目を通すことができ、頷いたり感心したり喜んだりしながら、丸一週間かけてできあがりました(まだ誤植があったら、それは私のチェックミスです)。みなさんよりひとあし早く、貴重な記録を読むことができて、得した気分です。昼間は会社で原稿チェック、夜は自宅でレイアウトの二重生活、また仕事ができなかった...。




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