2005年12月の地平線通信



■12月の地平線通信・313号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙川に沿ってのんびり左岸のサイクリング・ロードを走ると、彼方に愛宕山の独特な「頭」が見えた。あの盛り上がりは頂上の大きな木立ち部分だ、といまではわかる。

◆京都の山友達の大槻雅弘さん、田中昌二郎さんにつきあってもらって11月22日、愛宕山に登った。標高924m。与謝野晶子の歌で知られる清滝から表参道を行ったのだが、平日のせいもあって静かな実にいい山だった。途中道をはずれて尾根に登り、しばし行くと意外なものに出くわした。深く掘られた側溝が延々と続いている。トンネルも何箇所かあるらしい。これが鋼索式のケーブル電車の遺構です、と愛宕山に詳しい大槻さんが言った。

◆前知識がほとんどなく登ったので、戦争前までここにケーブルが動いていたことなど知らなかった。昭和4年に「東洋一」と宣伝されて開通したが、19年には軍部に鉄を供出するため廃線となったという。大変な工事だったろうに動いたのはわずか15年。戦争とはいえ、なんというもったいないことをやったものだ。山頂駅周辺にはホテル、遊園地まであったとのことで、紅葉した樹林の中にいまなおそれらの建物の残骸がさらされていた。

◆「お伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕さんへは月参り」という古歌があるそうだが愛宕山には「火伏せの神」つまり防火の神様が祀られている。麓に住む人々は山頂の神社で「阿多古祀符 火廼要慎」の護符を頂き、「火の用心」を心がけるという。

◆山頂神社にお参りしてから890mの一等三角点を踏み、竜ケ岳(921m)で昼飯。赤ワインで大槻さん持参のおでんがおいしかった。登山中はアルコールは飲まないのが我ら常識派登山者の原則だが、京都の山好きたちはてっぺんに登るとまずワインかビールで乾杯、というのを当然の如くやる。そして、これが実に楽しい。熟年になって一層山に登り続けた今西錦司さんもそうだった。

◆地平線会議が発足当初から全力で取り組んでいた仕事に探検冒険年報『地平線から』の発行がある。その3冊目『地平線から1981』に「地平線を夢見る若者たちへー今西錦司さんに聞く」という特集記事が出ている。地平線の活動資金として当時最初の「1万円カンパ」をやっていて今西さんにも協力してもらおう、と宮本千晴、初代編集長の森田靖郎、それに私の3人で京都の自宅まで押しかけた。そしてこの機会に今西さんの話を聞こう、と座談会をやらせてもらったのだ。

◆今西さんは快く1万円をカンパしてくれ、ざっくばらんな話をしてくれた。『地平線から1981』には17ページにわたってその時の今西さんの率直な語りが記録されている。見出しだけ拾っておくと「英雄ジュピター」「東京と京都」「ヒマラヤ」「リーダー論」「大学」「自然観の完成」となる。ジュピターとは高崎山のサルのリーダーの名である。3人分の往復の新幹線代を考えても、十分おつりが来る充実した楽しい内容であった。

◆ヒマラヤから離れた今西さんは日本の山々に関心を集中していた。はじめ500山登頂を目標としていたが私たちと会ったこの当時すでに1300以上の山に登っていた。少し長いが、座談の中から山登りの話を引用する。「まあヒマラヤにももう行きとうないしねえ、わしはやっぱり日本という地域で、地域研究の一種かなあ、登ってみたいのや。別に研究してへんのやぜ、山に行っても。山に行って何してんのや、と聞かれると山行って頂上で酒飲むけれど歩いている時は無念無想で歩いているのや、って言うのや。だから酒飲みに行きたくて山登っているって思うてもかまへんぜってな。2時間ぐらい飲んでるぞ、時間さえあったら」

◆愛宕山に案内してくれた京都の山仲間も無論今西さんの薫陶を受けている。コンロで熱くしたおでんを肴にワインはおいしく、私は幸せであった。愛宕山は全国に121もある(東京の愛宕山は標高26mだ)そうだが、総本山ともいうべき京都は熱の入れ方が違う。最近「京都愛宕研究会」というグループが誕生して5月に「あたごさん」という名の会報の創刊号も刊行された。その冒頭で大槻さんが「愛宕山は百名山の魁(さきがけ)」という文章を書き、今西錦司さんが生涯で1552の山を登り、その第1山が愛宕山であったことを紹介している。大正4年5月2日、中学入学間もない13才の遠足だったそうだ。

◆ことし日本の信仰登山の歴史について書く仕事があって、各地の山の登山史を少しずつ調べている。これがとてもおもしろい。今西錦司さんのレベルはムリとしても、06年以後もあちこちの山に登りたいぞ。(江本嘉伸)



先月の報告会から
北米横断ふたつぶ五千粁
坪井伸吾
2005.11.25(金) 榎町地域センター

  ホットな報告を聞けるのが、地平線のいいところだ。11月の坪井さんもその通りとなった。日焼けした顔に“走リーマン”の旅の余韻をにじませながら、ブルーのナイキのシャツにジーンズ姿で帰国したばかりの思いを、気負うところなくたっぷり語ってくれた。200枚の写真、履きつぶした靴、愛用のザックなど旅を物語る道具類の数々、それと配布された克明な記録が会場を、特に江本さんをうならせた。

◆マラソンといえば、大勢が集団となって決められたコースを、伴走車に従い沿道の声援を受けながら走り抜けていく印象が強いが、坪井さんの旅は自分でコースを調べ、現地で情報を集め、どのように走るのが最良か、すべて自分で考えながらのひとり旅だった。「旅とは選択肢の連続」と誰かが言っていたが、坪井さんの報告の中でもたとえばグーグルの衛星写真地図で道路を見せながら「ここがこうなっているから、僕はこの道を行ってみました」的な選択の過程をつぶさに追っての話が多かった。会場の人たちも坪井さんと同じ目線で考えながら話に聞き入っていたに違いない。まさに体力プラス頭脳のマラソンだったのではなかったろうか。

◆5月9日に西海岸のロスアンゼルスを出発。東海岸のニューヨークまで5,400KMの走り旅。時にはペットボトルの水を何本も持ち、ザックの重量は15Kg以上にも。を背負っての走りは、並大抵の苦労ではなかったと思う。僕も報告会で旅を共にした時と同じ状態のザックを背負わしてもらったが、15Kgというとおよそ幼稚園児1人分の重さ。同じ15kgのMTBを担いでエベレスト街道を歩いたことがあるが、何せキョリが違う。「これを背負ってのマラソン!」と想像しただけでも、底知れぬ体力の持ち主だと脱帽した。彼をかりたてる原動力とは何だろう、坪井さんはこんなふうに答える。

◆「できるとわかっていることをなしとげても僕にはあまり感動がない。はじめて42・195キロのフルマラソンを完走した時はほんとうに感動したけど、次にもっと早く完走できた時には同じ感動はなかった」「うちの5歳の子どもを見ていると、昨日できなかったことが今日できるようになる。育ちながらどんどん新しいことができるようになってそのたびに喜びを感じている子どもを見ていて羨ましいと思う。おとなでもそういう感動を持ちたいんや。昔なら思ってもみなかったアメリカ横断ランを通して自分でもこんなことができるんや…と、今回はほんとうに何もかも新鮮でした」未知の世界に挑んで結果がどうであろうと、そこに感動がなければ旅する意味がない、これぞ坪井流旅の醍醐味と察知した。

◆単独行は自然に体当たりしていくのと同じだ。恐怖が襲いかかる。竜巻に雷、ヒョウ、40℃を越す暑さ。野宿では毒グモに毒ヘビに脅え、真夜中の野犬の声に身を縮ませる。90KM以上道しかない無補給地帯を抜けたり、だんだん体が極限状態になっていく。「おかげで危険予知能力が鋭くなりましたね」

◆極限状態に身をおくと、逆にささいなことで幸せを得ることもできる。何もない風景の中に突然、砂漠のオアシスのように水や食料があるガソリン・スタンドが見えて感動したり、モーテルで思いがけず白飯にありつけたり、車が停まってくれて親切を受けたり…、最高一日に8台の車が停まってくれたそうだ。アメリカ人にもいい人は多いのである。さすがクリスチャン国、隣人愛は本物だ。

◆しかし家のフェンスに近づけば、いつ発砲されるかわからない銃社会アメリカの現実にも苦悩する。不審者と思われたこっちが悪いのだ。緊張は続く。また走っている時はいつも孤独だ。このような精神状態を克服するには、歌をうたったり1人遊びがいかに上手にできるか、「旅を続けるには、そこがキーポイントですね」と坪井さんは語った。

◆イリノイ州スプリングフィールドで時間切れのため一旦帰国。やり残した部分はどうするか。だが心配はいらなかった。「ヨメさんが、やってもいいよと言ってくれました」と笑みを浮かべて話す。家族の「挑戦続行」の許可がおりた。この過酷な旅に覚悟を決めてご主人を送り出した奥さんの愛も本物だ。

◆再び太平洋を越え、第2ステージとなったニューヨークまで、残り2,000キロを走破。5月に猛暑でパスしたモハベ砂漠のルートに再挑戦して、11月8日に足跡が太平洋から大西洋まで1本の線としてつながった。

◆最後の野宿では、これでもう旅がおわると思うと寂しさが募ったと言っていたが、旅の終わりは次への始まり。「今度は何をやるんですか!」と聞いてはいないが、配られた記録の1つ行動履歴書(実に面白い!)を見るからには、坪井さんの破天荒な冒険はまだまだ続きそうである。報告会には、その理解ある奥さんも来てくれ、質問タイムは大いに盛り上がった。

◆今回の旅のエピソードは過去の地平線ポスト〈坪井現地報告〉も読むべし。

(瀬口 聡 86年12月「第86回」報告者 「日本大縦断」のテーマで)

■大阪でも坪井伸吾さんの報告会を企画中です。目下のところ、06年2月25日(土)を予定。関西周辺の方は予定しておいてください。会場など詳しくは追ってお知らせします。(E)



■池田拓さんのこと
坪井さんの報告の中で山形県出身の冒険家、池田拓(たく)さんのことが語られた。報告会に山形から駆けつけた飯野昭司さんが、坪井、池田両君について一文を寄せてくれた。(E)

 東京へ出かけたのは昨年の「300か月フォーラム」以来一年ぶり。報告会の冒頭で丸山さんが紹介していましたが、坪井さんと初めて会ったのは96年の神戸集会でした。「11年にわたる世界一周の旅から3日前に帰ってきたばかり」という自己紹介が今も耳に残っています。

◆神戸集会で披露された『地平線データブック・DAS』のコラムに、南米と北米を歩いて旅した池田拓さんのことを書かせていただきました。拓さんの実家は我が家の近くにあり、彼が帰国した新聞記事を読んだ後に会って話を聞きたいと思いました。しかし、帰国の翌年、拓さんは不慮の事故で急逝し、直接話を聞くことは叶いませんでした。

◆昨年久しぶりに坪井さんと会ったときに、彼が南米で拓さんと出会っていることを聞きました(拓さんの旅日記『南北アメリカ徒歩縦横断日記』(無明舎出版)にも載っていました)。坪井さんは、あまり話をしなかったけれど拓さんのことは強く印象に残っていると話してくれました。

◆今春になって、北米大陸横断ランに出かける前に拓さんの実家を訪れたいとの連絡があり、出発直前の4月下旬に坪井さんが酒田へやってきました。酒田にある東北公益文科大学で旅の報告会をしていただき、翌日二人で拓さんの実家にご両親を訪ねました。長居をするつもりはなかったのですが、父親の昭二さんから積もる話を聞き、母親の玲子さん手作りの昼食を御馳走になり、午後からは鳥海山の麓までドライブに出かけ、夕食も御一緒して…とまるで家族のように素敵な一日を過ごしました。

◆拓さんが亡くなって早くも13年になりますが、新聞やテレビで何度も紹介されたせいか、今でも実家を訪れる人が多いそうです。小説(「神、東方より来た る」作:小笠原敏夫)では“神”になったり、今年は歌(「イヌワシになった青年」作詞・作曲・歌:へんり未来)も作られました。時間が経てばだんだん忘れられるのが普通ですが、拓さんは逆に注目を浴びているように思えます。

◆北米大陸を横断しニューヨークに到着した坪井さんは、友人の中村健吾さんの家から無事到着のメールを送ってくれました。中村さんはニューヨークを拠点に活躍するジャズベーシストで、11月の日本公演では酒田でも演奏する予定と聞いて驚きました。報告会のちょうど1週間前にライブを聴きましたが、中村さんのベースはもちろん、サックス、トランペット、ドラム、ピアノ、どれもハイレベルな演奏で、まるでニューヨークのライブハウスにいるような(もちろん行ったことはありませんが^_^;)、そんな気分に浸ることができました。

◆坪井さんを通じてずっと心に残っていた池田拓さんの実家を訪れることができたこと、坪井さんの古くからの友人である中村さんの演奏を酒田で聴けたことに、何だか不思議な縁を感じます。今回の報告会は私にとっても一つのゴールでした。(飯野 昭司 12月4日山形発)


訂 正

▲11月の通信の報告会レポートの中で、一箇所ミスがありました。2ページの最後の部分と3ページの最初の部分が文章としてつながっていません。1行すっぽり抜けてしまっている(『』部分)のです。以下、正しい文章を再録します。書き手の多胡光純さん、報告者の北村昌之さんにお詫びして訂正します。

◆バンブー筏は全長11m、幅2.7m。筏の操作は湯豆腐スプ『ーンの様な竹製のパドル。以後、』激流の中でラフトを自在に操ってきた川下りのプロ達は川下りというよりも漂流に近い川旅をしいられることになる。この怪しい筏は時に住民との交流を円滑にし、時には麻薬の密売グループと間違えられ拿捕され、日に何度も行き交うタンカーとの衝突を命からがら交わしたり、と波乱続きだった。



地平線ポスト・夏便り
地平線ポストでは、みなさんからのお便りをお待ちしています。旅先からのひとこと、日常でふと感じたこと、知人・友人たちの活躍ぶりの紹介など、何でも結構です。
地平線ポスト宛先
〒173-0023 東京都板橋区大山町33-6 三輪主彦方
〒160-0007 東京都新宿区荒木町3-23-303 江本嘉伸方
E-mail :
Fax: 03-3359-7907(江本)

■〈報告会に行けない!!〉

 江本さん、こんばんは。今私は茗荷谷の会社にて、ゲラの海におぼれ、著作権のハードルに泣き、寝不足でいつでも鼻血が出る準備OKです。今日、坪井さんの報告会、絶対行きたかったのに、ああ、大きなチャンスを逃したなァーと思って、ゲラの海へ戻るわけです。江本さんには、遅刻がわかっていたのでわざわざ坪井さんへの質問までお願いしていたというのに、なんという無礼者でしょうか。

◆なぜ、毎月第4金曜日には何かが起こるのか?!第4金曜日の法則!なぜ?!地平線はヨにもオカシナすごくいいところだから、神様に試されているのかな?なんて考えてしまうくらいです。大トラブルはこの日に起こるのです。

◆うーん、毎月の報告会+通信は、心の栄養分ですネ。いつもありがとうございます。…とのん気にメールを書いていますが、ふと振り向けばゲラたちが私を呼んでいる、「校了」「校了」「校了!」と空耳も…アア!「ゲラを燃やしてしまいたい!」「だ、だめだめ!」とひとり会話をしつつ、…2006年を迎えられるのかな〜??(大西夏奈子 11月25日)


■〈はじめての報告会参加〉

金曜日はありがとうございました。貴会の名前はずいぶん昔から存じていましたが、なんとなく恐れ多くて、足をのばせませんでした。今回、坪井さんのお招きで初めて参加させていただいたのですが、いいですね。とても楽しかったです。

◆何より、会の雰囲気が素敵ですね。想像していたような、マッチョで、排他的な感じはまったくなく、アットホームな雰囲気に充ちていました。江本さんの人徳、心配りによるものが大きいでしょうね。また、ときどき寄らせてもらいたいと思います。まずは御礼まで。 (石田ゆうすけ 7年半がかりで自転車世界一周 著書に『行かずに死ねるか』など。ホームページ http://www2.ocn.ne.jp/~yusuke1/)


〈通信一読者から〉

「毎月の地平線会議を楽しく読ませて頂いています。唯の読者に過ぎませんが、これを読んでいるだけで老いゆく肉体にみずみずしい精神の芽を復活させてくれます。 継続は尊いことです。どうぞ今後ともご自愛のうえ、地平線会議の発展を祈っております」(足立洋太郎 山梨県に移転通知の葉書で)


■〈ユーコンクエストにエントリー〉

 こんにちは!今日は久々のオフなので、メールしました。報告することを書こうかと思ったんですが…大して進展ないんですよ。とりあえず、ユーコンクエストのエントリーにサインアップしました。私がトレーニングしている28匹の犬たちは順調です。でも、昨日20マイル走ったんですが、一匹ストレスで下痢しちゃいました。下痢をしながらも走るので、飛び散ってすごいですよ。雪の上には下痢でできたラインが……

◆って、またこんな話ですみません。これからどんどんマイル数を増やして、もっとタフにしていきます。私自身もどんどん筋肉を取り戻しつつあります…。こっちは先週、−32度でした。この時期にしてはめちゃくちゃ寒いです。でも、今日は−16度と、暖かいので仕事が楽です!!まだ雪が足りないので、4輪バギーでトレーニングしてます。早くもっと積ってほしいです…

◆そちらはどうですか?なんだか片貝の花火を見た日々が遠い昔に感じられます。江本さんもお体に気をつけてがんばってください。(アラスカ発 本多有香 11月12日)

[零下32度のアラスカから2題]

■〈フランク安田のオーロラ回廊へ〉

 こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。アラスカ、フェアバンクスの河内です。 日本滞在中はおじゃまできずに済みませんでした。ただ今のフェアバンクスの気温は−35℃。いよいよ冬将軍の訪れです。湖の氷の厚さは既に50センチにまで達しておりアイスフィッシングではニジマスやサケ類が釣れています。昨日はスキーを履いて森の中を散策してきました。

◆春にご助言いただきました例の旅につきましてはお手元に企画書が届いていることかと存じます。テーマを「フランク安田のオーロラ回廊をいく〜もうひとつのアラスカ物語〜」として準備を進めております。先ほど外にテントを張ってきました。今宵は寝袋にくるまってみようかと思います。では、またご連絡いたします。(フェアバンクスにて河内牧栄 11月28日)


■「ひたすら犬と出会って111か国!」

 海外旅行の楽しみって、おいしい食べ物とか人との出会いとか、買い物とか、いろいろありますよね? 私の場合はそれが「犬」なのです。犬さえいればハッピー。犬がいなけりゃ旅の楽しみも半減っていう感じです。特に発展途上の国では、今や日本で希少な存在になってしまった野良犬や放し飼いの犬がたくさんいて、みんなとってもフレンドリー。犬好きにはたまりませんよ〜。ヨーロッパの先進国でも人間と一緒に旅する犬たちがいっぱいいるので、イスラム国の一部を除いて犬には不自由しませんでした。

◆そんな私の犬趣味につきあわされたダンナは大変だったようですが、犬のおかげで夫婦ケンカも少なかったわけで大目に見てくれたのでしょう。つまり、犬と触れ合えば優しい気持ちになれて怒りも収まるというわけです。だから世界中の人間が犬好きになれば、喧嘩も起こらず世界も平和になると思うのですが。

◆そんなふうに、これまで111カ国を旅し各地でたくさんの犬たちを観察してきて、それぞれの国によって犬環境はいろいろ違うことがわかりました。たとえばギリシャ。首都アテネにも野良犬がたくさんいましたが、そんな犬たちのために市民がエサや水を用意していて、かわいがっているのにびっくり。オリンピックのときも一時収容したものの、ワクチン注射や避妊手術を施してからもとの場所に戻したそうです。

◆一方、不殺生のはずのチベット仏教徒が暮らすインド・ラダックで、犬が毒殺されていたのは大ショックでした。同じインドでも南インドのケーララ州では共産党政権のためか、犬に対する規制が厳しくて犬の放し飼いは禁止だし、半年ごとに狂犬病の予防注射も義務づけられていました。

◆そんなわけで、「犬」を通して見た世界各地の事情をお伝えしたいと思います。なお、私の独断と偏見もたっぷり入っていますので、ご了承のほどを。(滝野沢優子 12月3日 『犬眼レンズで旅する世界』・情報センター出版局刊・を出版したばかり。今月の報告者)


■〈サウジからご挨拶〉

 こんにちは。サウジアラビアに到着して、5日が経ちました。朝はアザーンの響きで目覚め、日の出から夕暮れまで仕事をしています。サウジアラビアへはバーレーンから陸路入国しました。今はバーレーンから北へ車で2時間くらいの距離にあるジュベールという街で生活しています。こちらは金曜日が休日ということで先週早速街を散策して来ました。沢山のフィリピン人やインド人たちが何をするわけでもなく、お店の前で座って話をしたりしていました。皆そうして久しぶりの休日を楽しんでいるでしょう。そう言えば日用雑貨屋さんにサウジアラビア軍のものと思われる戦車や装甲車のミニカーが売っていました。マニアにはたまらない品なのでしょうか。ちなみに宿舎は街のはずれにあり、近くに機関銃を乗せたジープが常駐しています。

◆まだ入国して一週間も経っていませんが、僕が生活しているこの場所は時が止まっているような印象を受けます。あまりにも静かだからでしょうか。ロンドンの深く冷たい湖の底にいるような静けさとは違った静けさがここにはあります。ここに来て、日本の音の豊かさを再認識しました。この先仕事が忙しくなっていくなかで、どのくらい休日を利用できるか分かりませんが、地の利を活かしてできるだけ隣国にも足を伸ばそうと思います。それでは、また。追伸:11月の地平線通信の発送作業、とても楽しかったです。地平線会議とは違った味があって良いですね。海宝さんの手打ちうどんは本当においしかったです。帰国はまだまだ先の話ですが、その際にはまた参加させてください。(光菅 修 11月22日)


「サッカー!
   サッカー!
     サッカー!」

 11月18日から1週間マドリードとバルセロナへ実千代と二人で行って来ました。この2つの町の名でサッカーのスペインリーグ、それもクラシコを連想される方も随分多いのではないかと思います。まさにそのスペイン・ダービーと称せられるサッカーの試合を見るために片道15時間をかけて行って来ました。

◆アムステルダムで乗り換えたマドリード行きの飛行機は1年で最も日本人の若い男性が多く乗っていたと言えます。パリからもロンドンからも日本から飛行機を乗り継いでクラシコ観戦のためにこの日の午後の便で日本人がやって来ます。個人でチケットを入手するのはとても困難なためサッカー観戦専門の旅行代理店のツアーに参加し、マドリードの空港ででその参加者総勢9名が揃いました。実千代は紅一点と言うことでなぜか満足げです。

◆翌日の最初の観光先はサンチャゴ・ベルナベウ スタジアム。スタジアム・ツアー参加と博物館の見学、そしてレアル・マドリードのグッズの購入です。夜にはベッカムやロナウジーニョがプレイするピッチを間近に見、彼らが座るであろうベンチに腰掛けて記念撮影をし、午前中から気分は盛り上がっていきます。

◆当日の試合は興味のある方はご存じのように、ロナウジーニョの大活躍でアウェイのバルセロナが3対0で勝利を収めました。レアル・サポーターがロナウジーニョに対して立ち上がって拍手をしていたのが印象的でした。翌日は1日フリーなので午前中はプラド美術館へ行き、午後からはトレド見物のツアーに南米からの旅行者たちと参加してきました。

◆3日目はバルセロナへ。昼食後はツアー参加者みんなを誘ってカンプ・ノウ スタジアムへ。夕方遅くなったため締め切り時間を過ぎてしまったが、実千代が愛想と根性でチケット売場の人をくどき、無事スタジアムを見学できました。選手がピッチに出る少し手前の通路脇に噂に聞いていた小さな礼拝堂があることを確認できたし、グッズもレアルよりも小物が充実していて思わずあれもこれも買ってしまいました。大満足です。

◆中心地のホテルの戻ると、広場では明日対戦するブレーメンのサポーターがビールを飲んで気勢をあげているのに遭遇、チャンピョンズ・リーグの試合はこれでなくては。町中にまでサッカーが溢れている、スタジアム以外でもこうした気分を味わいたくて来たのですからね。4日目は夜の試合が始まるまで市内観光に費やしました。有名なサグラダ・ファミリア教会もグエル公園もブレーメンのシャツとマフラーをまとったドイツ人がそこかしこにいます。試合が始まるまでは彼らもバルセロナ観光を楽しんでいるのです。たぶん3000人以上来ていたしょう。帰りの飛行機でも一緒になりました。試合はバルセロナの圧勝。密かにブレーメンを応援していた私ですが、それでもピッチの近くでロナウジーニョやデコを間近に見られて大満足でした。翌朝にはまっすぐ空港へ行き、また15時間かけて日本へ。あっという間の1週間だけれど充実した毎日でした。スペインは食事もおいしいですしね。と言うことで来年はドイツへ!!! (岸本佳則 12月2日大阪発 3日は夫婦で川崎に遠征「ガンバ大阪」優勝の劇的な一瞬に立ち会った地平線きってのサッカー・フリーク)


<速 報>
〈沖縄戦南部戦跡を巡って完走!〉

 ■江本さん、こんにちは。ご無沙汰してます。12月4日に那覇マラソン、走ってきました。3月に江本さんと走った荒川マラソン以来、2度目のフルマラソンです。当日は、未明からずっと暴風、ときどき雨、たまに日照りという最悪のコンディション。でも、2万2千人が走る国内でも最大級の市民マラソン、やっぱり、実際走ってみると熱気はすごいものがあります。私のエントリーナンバーは17777番、最初の人がスタートしてから20分以上経過してやっと、計測板を踏めました。人の波がぎっしりと1キロくらい先まで、うねうねと続いてる光景は壮観でしたよ。

◆那覇マラソンは、沖縄戦の南部戦跡を巡る感じになっていて、沖縄戦最大の被害があった南風原を中心に最高90mの高低差がある結構きついコースです。(ここを走ることにも意味があるのかも)さらに21.8キロと31.8キロ地点の2箇所で足切りの関門があって、それぞれ制限時間内に入らないとその時点でレース終了というルールがあって、これがほんとにきつかった。

◆瞬間的には、太めの私でさえ飛ばされそうになる風がどんどん体力を奪っていく中で、最後はほとんど「走れメロス」になりきって、とにかく前に進むんだ、走り続けるんだと言い聞かせて走っていました。結果は5時間48分で制限時間6時間をクリアー。荒川の時より15分ほど短縮できました。ちなみに亮之介(注:地平線画伯のこと)は、途中で寒さのために右足ケイレンをおこしながらも、3時間45分で走りきりました。ほんと辛かったので、何度も歩こうかなと思ったけれど完走できてよかったです。那覇の完走者に授与される琉球ガラスのメダルは結構かっこいいんですよ。江本さんもきっと欲しくなるかも!ではではまた。取り急ぎご報告まで。(長野淳子 200回記念大会の時のシナリオ担当 12月6日)


■〈家族登山の1日〉

 こんにちは。昨日は一家5人(私、父ちゃん、高2長女、中2長男、小3二男)で奥武蔵の天覚山、大高山へ山登りに出かけてきました。5人揃うのは珍しく「ヤレ仕事だ、学校行事だ、バイトだ、部活だと様々に用事が飛び交い、こんなことはめったにないことです。

◆朝長女が何を着ていくか迷っていたため、「ジャージーにトレーナーでいいじゃない」と言ったら「ヤダー、山登っていったってオシャレに行きたいもん!!」と。コギャル化している娘には何を言ってもムダか…。上っている最中も「マジ、ありえない」というような発言がポソッと聞かれる。だけど歩くペースは速い。長男は陸上部で長距離をがんばっている。この前に駅伝選手に選ばれ、自信もつき、少したくましくなってきた。5人分の荷物の入ったリュックを前と後ろに下げて登ってくれた。息切れ一つせず、一番後ろをマイペースで登っている。二男は急な登りになるとガックリし、「新しい足に取り替えたい」とおもしろいことを言ってくれる。下りになるとメチャクチャに走って下りてしまう。三人三様の姿をみて、私も父ちゃんも「しめた」とばかりニヤニヤ…。

◆最近の通信を見ると、何日で何々を制覇した、何キロ走った、単独で何々したという数値や記録ばかりのことが多く、読んでいてつまらない。もっと他にも目を向けたいと思うのは私だけの思いでしょうか? 渡辺家は、あまり自慢をできるものはないが、家族単位の行動は大切にしたいと思っている。下山してから「もう二度と山登りはイヤダ!」と言わない子どもたちに感謝。次はいつ何を家族単位でできるかわからないが、やれるだけの道すじは、親としてつけたい。今の私は四十肩の痛みと老眼鏡の世話になり始め、ちょっと湿っぽい。だけどまだまだ子どもたちには負けられない。渡辺家のパワーは全開中です。(11月20日 渡辺京子


地平線新刊情報

■中村吉広さん(05年1月の報告者)のデビュー作「チベット語になった『坊っちゃん』」山と渓谷社より発売。(定価:1600円)

◆どうしてチベット人学生達は日本語を学習して半年で『坊っちゃん』を翻訳できるようになったのか??チベット文化圏の青海省の山奥で起こった「奇跡」の物語!(11月の通信で中村さんを「いわて在住の」としてしまいましたが「いわき在住の」の間違いです。お詫びして訂正します)


■山西哲郎編の季刊の「ランニングの世界」が発刊されました。第1号の特集は「楽しく走る」で、わが地平線から江本嘉伸、海宝道義、三輪主彦が執筆。中山嘉太郎のシルクロード9400km走り旅の書評もあります。明和出版(03-5921-0557)から。1600円。(M輪)


■関野吉晴写真展
『インカの末裔と暮らす─アンデス・ケロ村物語─』

 関野さんというと、マチゲンガ族やヤノマミ族といった、アマゾン源流域の先住民との交流が目に浮かびますが、アンデスの山深いケロ村とも、深い付き合いを続けています。標高差3000メートルを利用した独特の農耕・牧畜をはじめ、インカ帝国時代さながらの暮らしぶりから氷河まで十字架をかつぎあげる「星と雪の巡礼祭」まで、貴重な写真が満載の写真展です。

日 時:2005年12月10日(土)〜12月21日(水)
      10:30a.m.〜6:30p.m.

入場無料 日曜・祝日もOPEN
     [12月17日(土)3:00p.m.、最終日4:00p.m.終了]

会 場:ペンタックスフォーラム
     東京都新宿区西新宿2-1-1 新宿三井ビル1F
     03-3348-2941
     http://www.pentax.co.jp/forum/

◆PENTAX OPEN STUDIO(関野吉晴スライド&トーク) 12月17日(土)3:30p.m.〜6:00p.m.〈会費制・要予約〉

◆ギャラリートーク 2005年12月10(土)・12月11日(日)・12月18日(日)2:00pm〜4:00pm〜/参加無料


〈arumitoy のクリスマスフェスタ〉

 京都郊外で手作りのアトリエで木のおもちゃ作りに励んでいる前田歩未さんから、「今年もアトリエで、クリスマスフェスタを開催します」と、メールが。

■日々進化し続けるアトリエでいつもとはちょっと違ったクリスマスな雰囲気を楽しんでいただければと思います。arumitoyの新作(注:くねくねしたへんてこオモチャ)はもちろんのこと、おもちゃ達が勢ぞろいでお待ちしています。おもちゃで遊んでいただいて、制作現場を見ていただいて、制作の事、ドイツの事、おもちゃの事、たくさんのお話を皆様とできるのを楽しみにしています。

◆今年の夏にドイツで仕入れてきた、ドイツのクリスマスには定番の温かい「グリューワイン」も用意する予定です。グリューワインを飲みながら薪ストーブで暖を取り、たくさんの人達と楽しいお話が出来ればと思っています。

◆もともと倉庫だった建物を、自分で改装しながらの活動です。今年初めには、アトリエの一角にミニギャラリーとして、いつでも人が訪れ、制作現場を見学でき、尚かつおもちゃにも実際触れて購入していただけるスペースを作りました。ことしは外壁一枚しかなかったところに断熱材を入れ内側からヒノキ板を張って山小屋風の「保温性のあるアトリエ」に進化しました。いつでもいらしてください。

●期間 12月15日(木)〜25日(日)11時〜18時 最終日は16時まで 

●場所 京都府相楽郡加茂町岡崎下八反田1アトリエarumitoy(加茂駅から徒歩15分)詳しいことは、http://www.arumitoy.netで。(11月25日)


『地平線カレンダー2006』、12月下旬完成!!
アジア各地の音の風景を訪ねて??全7枚組で頒布価格500円

●おなじみの長野亮之介“画伯”による「地平線カレンダー」、その2006年度版が制作中です。今年のテーマは、アジア各地の楽器と音の風景。その脇で戯れるワンちゃんが、干支を感じさせてくれます。

●2005年版と同じA5判(横21cm・縦14.8cm)。2ヵ月が1枚のカレンダーになっていて、それに表紙を付けた全7枚組です。頒布価格は、1部あたり500円。送料は2部まで140円、3部まで200円、7部まで290円(それ以上はご相談ください)。

●お申し込みは葉書などに氏名(ふりがな)、送付先住所、郵便番号、電話番号、申し込み部数を明記のうえ、「地平線カレンダー2006係:〒167-0052 東京都杉並区南荻窪2-22-14-201 丸山純方」へ。地平線のホームページにも申し込み用紙を準備しています。

●お支払いは郵便振替で。「00120-1-730508」/「地平線会議・プロダクトハウス」。混乱を避けるため、まず葉書やメールで申し込んでください。代金のお支払いは、カレンダー到着後でけっこうです。

●12月の地平線報告会でも販売します。お楽しみに!(丸山純)




■今月の地平線報告会の案内(絵と文:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

犬を見れば世界が見える

12月22日(木曜日) 18:30〜21:00
 ¥500
 於:新宿区榎町地域センター(03-3202-8585)

「社会で犬がどんなふうに扱われているかみれば、お国柄がわかりますね」というのは、さすらいのライダーにして「地平線犬クラブ」の会長、滝野沢優子さん。'01年夏から'05年春、3年9ヶ月に渡り、パートナーの荒木健一郎さんと共に、ロシア、ヨーロッパ、中央アジア、アフリカ、アジアを走り回りました。

その間、大好きな犬を各国で愛(め)で、観察し、国際的なイヌ・コミュニケーションを実践してきました。「のら犬に優しいギリシャは、アテネ五輪の時も彼等を邪魔にしなかった。一方でインドじゃのら牛は多いけど、のら犬は駆除されてたの」。

犬をきっかけに民家に泊めてもらうことも。21ヶ国で出会った犬のエピソードをまとめた「犬眼レンズで旅する世界」を最近上梓した滝野沢さんに、犬を通してみた世界を語っていただきます。(下の絵は彼女の愛犬。左からポコ、シロ、クロ)


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付で!
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)


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