2008年11月の地平線通信

今月の地平線通信は全32ページからなり、p.5〜28までの24ページ分が「特集 ちへいせん・あしびなー “地平線会議 in 浜比嘉島”を巡るあれやこれや」という特集になっています。あまりに膨大になるので、この部分を別のページとして掲載します。ここに目次を掲げておきますので、各コーナーに飛んでください。


中扉

特集 ちへいせん・あしびなー “地平線会議 in 浜比嘉島”を巡るあれやこれや



あしびなーへの多様な思いが地平線会議の無意識な共有土壌として、
また継承されて行くのかもしれない

 「ちへいせん・あしびなー」イベントが無事終わりました。現地での準備からプログラム終了までの一週間の記憶は、しばらくは酒席の話題になるでしょうか。ナンチャッテ実行委員長としては、現地での短い準備期間内でやるだけはやったという達成感と、そもそも企画自体をもっと練る余地があったのでは? と言う煮え切らない気持ちとが相俟って居ます。

 実を言えば、30名くらいの小規模でも良いんじゃない?という話から出発した企画でしたが、結果として延べ500名以上が参加したイベントとなりました。規模が大きくなった分、功罪両面が見えやすい。振り返りが必要なところですね。現在企画中の報告書作成過程で、その作業が行われることになります。前面に掲げなかったけれど、「ちへいせん・あしびなー」のテーマは「継承」でした。二つのアプローチがプログラムの柱になっています。一つはもちろん舞台となった浜比嘉島の「継承」についての関心です。芸能の島として知られる浜比嘉島民の自負心は、離島の一蓮托生的な共同体の中で育まれた文化意識でしょう。それが地平線会議という外からの刺激に反応してどう現れるのか? そして10年前に本島と陸続きになって以来、急激に変化した環境の中で、今後どう受け継がれていくのか? この興味がプログラムを考える原点でした。

 一方、地平線会議自体が30年間の活動の中で受け継いできた「何か」が、島という場でどの様に表出するのか?という発想がもう一つの柱です。その答えの一つは、オークションを含む各パートで披露された多彩な人々の語りに現れているかもしれません。旺盛な好奇心や、常識に捕らわれないものの見方、歴史や地理に対する興味などです。しかしそれら以上に重要な要素は、内地や本島から100名近くの人々が駆けつけたという「行動力」そのものかも、と思います。私自身も「浜比嘉で何が起こるのか見たい!」という好奇心が、実行委員長という役を振られてしんどい気持ちを上回りました。

 今回の催しは、96年の神戸集会以来、気が向くと東京を離れて開催してきた「地平線拡大報告会」の一環ですが、これまでは開催地で結成されるスタッフ集団が基本的には主導してきました。「あしびなー」では、外間夫妻という心強い存在があったものの、地平線会議を知る仲間が島内で緊密に相談し合う環境はなく、お二人は島と内地スタッフの板挟みになって苦労しました。現地での準備は会場の大掃除からスタート。もちろんそれ以前に、歩くコースの草刈りを始め地元の方が汗を流しているのですが、これまで内地スタッフはこうした縁の下の作業を知らずに済ませて来ちゃったんですね。このたびはそういうことも含め、地元での受け入れ経過や進行状況を逐一把握し、お陰様で今までになく人生勉強になり、私も少しは大人になったさー。

 ともあれ終わってみて様々な感慨があります。個人的には、3年程前から折に触れ出向いていた浜比嘉島が、より身近に感じられるようになったことが大きな収穫です。さらに怒濤の準備期間の中で、地平線メンバー達の普段は見えない面がたくさん見えたことも「いとおかし」でした。

 今回参加した方も出来なかった方も、「あしびなー」一連の顛末を経験し、あるいは読んで、いろいろな思いを抱いたと思います。その多様な思いが地平線会議の無意識な共有土壌として、また継承されて行くのかもしれません。(長野亮之介 ちへいせん・あしびなー実行委員長)


ちへいせん・あしびなーの3日間

醒めやらぬ場内の熱気に一陣の風が吹いた。
ヒガンチュによる『比嘉バーランクー』が凛として始まった」

■最高気温30度。まだまだ日差しの強い浜比嘉島は比嘉区公民館。受付で渡された木製パスポートに名前を書き込み、席に着く。10月25日(土)午後1時30分、島人による『かぎやでふう節』で寿がれ、ちへいせん・あしびなーが開幕した。祝宴の座開きとしてのおめでたい踊りは、清々しさとともにどこか懐かしさも感じさせる。

◆長野亮之介実行委員長、平識勇比嘉区長の挨拶のあと、『地平線モノ語り』がスタート。「今までの地平線報告会で一番豪華」と進行の江本嘉伸さんが表する。まずはゆかりの「モノ」が登場。スクリーンで大きく映し出され、報告者の話が始まる。トップは生化学の研究者兼ウルトラランナーの原健次さん。モノは「恐竜のうんこの化石」! 予定時間の10分が経つとアシスタントの大西夏奈子さんが無情のドラを鳴らし、次なるモノへ。冒険家の坪井伸吾さんは「ニカラグアの1000万コルドバ」から、南極観測隊員の永島祥子さんは「ライギョだましの魚拓」から、ホールアース自然学校代表の広瀬敏通さんは「インド服・糸紡ぎ・毛刈鋏」から、カーニバル評論家の白根全さんは「カーニバル報道関係者用コスチューム」から語り始めた。鷹匠の松原英俊さんの「シェパードの敷き皮」や沖縄国際大学教授の江上幹幸さんと作家の小島曠太郎さんの「大鯨の歯」は会場を巡り、来場者もその手触りを楽しんだ。どの話ももっと聞きたいと思わせる、確かに贅沢な時間だった。

◆報告会の後半は『一枚の写真から』。進行は第1回地平線報告会報告者であり、元地学教師でランナーの三輪主彦さん。本土返還の少し前、浜比嘉島にも立ち寄った、歩く民俗学者、故宮本常一先生と、当時宮本先生が撮影した浜比嘉島のモノクロ写真の紹介から始まった。冒険ライダー賀曽利隆さん(この報告会に合わせ、125ccのスクーターで6回目の日本一周中!)、宮本先生が所長だった日本観光文化研究所から派生した「あむかす探検学校」で活躍した「ACTMANG(マングローブ植林行動計画)」代表の向後元彦さん、宮本先生の著書がきっかけで民俗学に興味を持った、沖縄民俗学会会長の上江洲均さん、81歳のスーパー旅人、かつての沖縄も垣間見た金井シゲさんが壇上に上がり、「一枚の写真」と、テーマである「継承」を軸に、ヒマラヤ、泡盛、かつての白いパスポート、沖縄のマングローブなど、多岐に渡る話を繰り広げた。

◆車谷建太さんの津軽三味線が溢れ出そうな話の渦を一旦ならしてくれた後は、『浜比嘉島に生きる』。うるま市立海の文化資料館学芸員の前田一舟さん進行のもと、沖縄国際大学学生たちによる調査報告が、写真や映像とともに、リレー形式で行われた。比嘉集落・浜集落各々についての丹念な報告は、初めてこの島を訪れた顔ぶれにとっても、大変ありがたいものであった。続いて前田さんと学生、そして島人の海勢頭功さん、玉城正治さんも舞台に上がり、計5人でのトークタイム。今よりももっと貴重だった農業用水や飲み水のこと、芸能のこと、未だ見られぬ由緒ある洞窟のことなど、島人の話をじかに聞ける貴重な機会であった。最後に、2年間に渡る調査協力への感謝をこめ、浜比嘉島のみなさんへと、学生たちが練習した3演目の琉球芸能が披露された。はつらつとした踊り、力強い三線、のびやかな歌声に、会場から惜しみない拍手が送られた。

◆そろそろ小腹が空いてきた頃合で、軽食タイム。てびちやラフティ入りのオードブル、浜比嘉島特産もずくスープのほか、何より島の有志による心尽しのジューシー(沖縄風炊き込みご飯)とあぶらみそのおにぎりに、お腹も気持ちも満たされた。使った食器の後片付けにはヘラを用い、使う水や洗剤を少なくした。

◆そして南島詩人、平田大一さんの『島から世界へ』。子どもたちの現代版組踊「肝高の阿麻和利」の演出を10年にかけて手がける小浜島出身の平田さんが、どのように今に至ったのか。子どもたちと、それを取り巻く大人たちがどう変わってきたのか。平田さん自身による演奏や歌を随所にまじえながらの熱い語り口に引きこまれる。一筋縄ではいかなかった子どもたちが舞台で感動体験を得るまでの話を聞き、中高生たちが今度は演出側となり試みた小学生の舞台のビデオを見、その小学生たちが高校生となって現われて目の前の舞台で踊る! さすがの演出! 高校生たちの圧倒的な組踊は、平田さんの「地域に根ざすことが海を越え、一流の国際人になるということ」という言葉を裏付けるものでもあった。思わず涙する来場者も多く、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。最後は平田さんの「出発の朝(たびだちのあした)」という歌で締めくくられた。

◆盛りだくさんだったプログラムもそろそろ大詰め。醒めやらぬ場内の熱気に一陣の風が吹いた。ヒガンチュによる『比嘉パーランクー』が凛として始まった。お盆にご先祖様を見送る「比嘉エイサー」を元にした芸能の風は、かけ声、太鼓、歌声、三線、鳴り物の音が重なってゆき、だんだんと熱を帯びながら迫りくる。空手の構えが取り入れられているという所作に、見入ってしまう。やがて熱風はうねり、大きな拍手とともに終了した。かと思いきや、また鳴り物が響き始める。ある者は舞台に上り、ある者はその場で、しばし踊って、本当に幕が下りたのだった。かぎやでふう節から比嘉パーランクーまで、約8時間のてんこもりな時間があれよあれよという間に過ぎ去っていった。

◆その後の、競り人丸山純さんのパキスタンはカラーシャ語と、アシスタント山本千夏さんのモンゴル語の挨拶で始まった『地平線オークション』は、まったりとした雰囲気と、いざオークションに入ったときのぴりぴりした空気が入り混じる独特の時間となった。バラエティに富む数々の出品物を、のべ56名の人たちが落札。集まった187,700円は、11月23日に初の海外・ハワイ公演を予定している「肝高の阿麻和利」のメンバーに贈られた。

◆この日、比嘉公民館にはざっと235名の人々が集った。外に出ると、漆黒の空に星々が輝いていた。

◆翌26日(日)、『浜比嘉たんけん隊』に嬉しい快晴の空! 午前9時30分すぎ、前田一舟さんと沖縄国際大学学生たちの案内で、比嘉港の前から出発。かつては島の玄関口であり、宮本常一さんもここから浜比嘉島に踏み入った。境目の川、肥料になる海草の芽、旅立ちのときに挨拶に来るアマミチューのお墓、家々の貯水タンク、砂浜・石垣・村を守る山が連なる原風景、琉球石灰岩、水をたたえた拝所ハマガー、かつては国から任命されていた高名なノロ(祝女)が祀られているお墓と洞窟、見晴らしの良い比嘉公園、ハブに優しいサンゴの道、神様が馬のたずなを結んだ石、シーサーや石敢當のほかシャコ貝やサン(ススキを結んだもの)などの魔よけ、清ら海ファームにも続くかつての小学生の登下校道、井戸に棲むうなぎ、子宝を授かるシルミチュー拝所…ゴールのシルミチュー公園まで、総勢55名が浜比嘉島をゆったりと歩く・見る・聞く幸せを感じたひとときだった。

◆あの日のシルミチュー公園は、とにかく気持ちのよい場所だった。青空、緑の芝生、穏やかな海、そよ風、そしておいしそうなごちそう! そんな場所で、子どもたちのパーランクーが披露された。それはまるで、1枚の美しい絵のようだった。その後、お目当てのジュースめがけてテントにかけよる子どもたちもまた、まぶしかった。おとなたちも嬉しそう。生ビール、ジーマミ豆腐、ドラゴンフルーツ、もずくの天ぷら、海宝うどん、ベーコンスープ、スモークサーモン、ナントゥー餅、豚の丸焼き、そして、外間さんから提供されたヒージャー汁(前日に牧場のヤギの命をいただいた)が並ぶ。シルミチュー公園のすぐ横からは、沖縄カヤックセンターの協力を得て、サバニの試乗会も開催された。白い帆を張る船に乗り込み、凪の海で櫂をこぎ、あるいはひと休みしながら、それぞれがいろいろな思いを抱いたことだろう。いつしか子どもたちは海に飛び込み、接岸する船を迎えては遊んでいた。 お開きになるのが名残惜しい、『ガチマヤー交流会』であった。

◆27日(月)も、よく晴れた。午後2時過ぎ、体育館には比嘉小学校のほか、島内の浜中学の先生と生徒たち、うるま市与那城の桃原小学校の先生と児童たち、区長、それに地平線会議関係者ら100名が集まった。講師は現在高知県の四万十川流域で地域おこしに関わっている山田高司さん。『青い地球の川をカヌーで旅して木を植えて』と題して、小中学生たちに話しかける兄貴のような口調で講演が始まった。山田さんは、全員に配った「質問集」を手にスクリーンの写真を紹介。「この動物は何の仲間でしょう? シカ? ヤギ? ウシ?(チベット高原のウシ科の動物であるヤクの写真を見せて)」などと問いかけながら楽しく話を展開してゆく。大学探検部時代の南米大陸の川下り、アフリカ、中国大陸での川下りの体験談から、各大陸の緑の後退の現状、そしてチャドでの植林活動など地球が抱える厳しい問題などについて話した。

◆この後、丸山純さんが開催した『デジカメ教室』の成果が発表された。3日前の24日午後、比嘉小学校高学年の12名の子どもたちは、丸山さんから手ほどきを受け、6台のカメラを渡された。週末、浜比嘉島のあちこちでカメラを構える姿が見られた。この日は3台のカードフォトプリンターを使ってダイレクトプリントし、撮影者としてひとりひとりが「自分の1枚」を選び、スクリーンに大きく映しながら発表した。思いがけない傑作の数々に、会場は大いに沸いた。

◆こうして、お天気に恵まれた3日間にわたる『ちへいせん・あしびなー』は幕を下ろした。ざっと概要の紹介にとどまったが、詳細については、次頁以降の感想集で触れられているので、そちらをぜひ読んでいただきたい。集った人たちの表情の集積が、ちへいせん・あしびなーに他ならないのだから。(中島菊代)


[写真展無事終了]

「ちへいせん・あしびなー」の開催にあわせ、10月1日から31日までうるま市の海の文化資料館(海の駅「あやはし館2階」)で開催された写真展『地平線発 in 浜比嘉島−新しい時代の旅人たちへ』は、好評のうちに無事終了した。うるま市内外の小中学校がグループで鑑賞してくれるなど会期中は多くの人が詰めかけ、ちへいせん・あしびなーに参加した全国各地からの参加者たちもほとんどが訪れ、盛況だった。1か月の長期にわたって素晴らしい会場を提供してくれた海の文化資料館に心からお礼を申し上げます。また長期にわたり写真を保管してくれている植村直己冒険館にも感謝します。(地平線会議)


[おことわり]

■連絡の手違いなどで今回の地平線通信には原稿を頂くことができなかった方もおられると思います。来月の通信でも続報をしますので、よろしくお願いします。スペースの都合でオークションの詳しい結果は、来月とします。(地平線会議)


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