2000年12月の地平線報告会レポート


●地平線通信254より

先月の報告会から(報告会レポート・254)
スコッチの民俗学
土屋守
2000.12.22(金) アジア会館

◆いよいよ世紀末も佳境に入り、地平線報告会も今世紀最後となりました。世界中のあらゆるジャンルとあらゆるシーンを報告し続けてきた地平線の二十世紀を締めくくるのは、世界で五本の指に入るウイスキーライター、スコッチ研究家である土屋守さん。スコットランドの魅力と、そしてチベットのザンスカールの旅の報告です。

◆話しは20年前に遡ります。当時学習院大学の探検部員だった土屋さんは、ラダックのチベットの世界にすっかりはまっていました。地平線会議黎明期の1980年、第7回の報告者でもあるのです。舞台はインダス河の支流ザンスカール川。その川が厳冬期に凍りついた時だけ通れるという、氷の回廊チャダル。完全に凍りきれてないので、薄い氷を踏み抜いたらおしまいです。両岸は絶壁に挟まれ、落石のカーンという音が凍てついた谷間に響き、おおかみの遠吠えが聞こえてきます。

◆何年もそんなラダックの世界に通っていた土屋さんですが、藤原新也さんに出会いその手伝いをしたのがきっかけで日本でフォーカス誌の記者になります。当時、週刊誌は最盛期の時代。事件を追いかけ駆けずり回る日々に、土屋さんは記者の醍醐味を感じ、ここでも夢中で仕事にはまり込みます。

◆そこで再び転機が訪れます。結核に倒れて入院。それは三年も前にチベットでかかった結核菌が、今更ながら活動を始めたのです。チベットにいた頃は金と無縁だった土屋さんも、夢中で働いているうちに大金が溜まっていました。結婚し子供までいた土屋さんに、「では家を買いましょう」という奥さんの悪魔のささやきが。好きな記者の仕事ですが、先が見えてきたのも事実。それを契機に新天地を求めて家族と共にイギリスに渡ります。

◆当初英語の学習に励んでいましたが、思っていたより金の減りが早い。そこで現地の邦人向け情報誌の編集に携わるようになります。政治、社会問題、ジャンルを問わず数々の取材を続けてゆくうちに、出会ったのがスコットランド。そこにはイングランドとは全く異なる文化があることに気付かされます。

◆スコットランドといえばキルトのタータンチェックにバグパイプ。アザミの花が咲き誇り、手つかずの自然が残ります。土屋さんの歴史の話はストーンサークルの時代に始まり、謎の民族ピクト、ケルト人、バイキングとの戦い、映画「ブレイブハート」のウィリアム・ウォレスの世界へ。

◆そして話題はいよいよ皆さんお待ちかねのスコッチウイスキーの世界へ。会場にはスコッチの瓶が並べられていて、そのテイスティングを心待ちにしていた人も数多くいたようです。2種類のスコッチが配られます。なにしろパブで飲んでも一杯1500円はくだらないという最高級レベルのスコッチを、2種類づつでみんなに配られるんだから大奮発ですね。しかも世界を代表するウイスキーライターの土屋さんの講義を受けながらテイストできるなんて滅多にあることではありません。100ヶ所以上あるすべての蒸留所を巡った世界で唯一の土屋さんの言葉には重みがあるというものです。会場にはシングルモルトウイスキーの香りが漂います。

◆ウイスキーの樽は外の空気を呼吸しながら生きているといいます。まずは一杯目、モルトのロールスロイス、マッカランは山の中で育ち、花の香りをその中に封じ込めています。二杯目はその対極をいくスコッチで、大西洋の海岸で潮の香りを吸って育ったラフライド。たっぷりのオゾンと海草の香りが染み付いています。

◆ウイスキーは寝かせているうちに10年で20%のアルコール分が樽の外に逃げてゆきますが、その代償として外の香りを封じ込めます。スコットランドの手つかずの自然が、スコッチの香りを育ててゆくのです。その減ったアルコール分を「天使の分け前」と呼ぶそうです。

◆ザンスカールのチベットの世界と、シングルモルトウイスキーのスコットランドの世界。一見、二つの全く異なるテーマのようであり、それだけで判断すると共通点を見つけるのは難しそうです。だけれど週刊誌というジャンルにとらわれない編集者としてのバイタリティーに溢れた土屋さんには、探検部の世界もウイスキーの世界も同じことだったのかもしれません。

◆今、土屋さんはザンスカールを20年ぶりに訪れる企画をNHKと共に進めています。当時は毎年通って、行く度に写真を撮って翌年にプリントしたものをおみやげに持っていきました。20年前にもまた来ると約束したまま足を運べずにいました。当時16歳だった娘も今や36歳。当時のプリントがまるでタイムカプセルの役割を果たしてくれるに違いありません。20年ぶりの約束を果たす旅、どんな物語が土屋さんを待っているのでしょう。それは20世紀と21世紀の架渡しになる旅でもあり、しいては地平線会議の歴史と重なる旅でもあるかもしれません。さてさて、来たるべき新世紀での地平線諸氏の活躍も楽しみですね。[安東浩正]


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