2001年10月の地平線報告会レポート


●地平線通信264より

先月の報告会から(報告会レポート・264)
パキスタンの子供の庭
丸山純・令子
2001.10.26(金) アジア会館

●おそろいの黒の衣装に現地で作った羊の毛のベスト(材料・刺繍込みで850Rs―約1700円!)を着た丸山純・令子夫妻。23年間の積み重ねが報告された。北西辺境州の説明、ドローシュ町のプレイグラウンドプロジェクトの背景報告、援助がもたらす弊害―なぜ23年通っているカラーシャ村ではなく、違う地域でこのプロジェクトをすすめたのか、と3部に構成され、より分かりやすく考慮されていた。

●江本氏に水を向けられ、お二人がパキスタンを通して出会った歴史から淡々と始まる。「通いつづけてやっと録音できた」という鷹匠の朗々とした貴重な唄が披露される。160枚のスライドが繰り広げられる。熱を帯びてくる。休憩の合間もマイクを離すことはない。「堰を切ったよう」とはこのことである。

●スライドを拝見している最中、唐突に私(片山)は87年に訪れたオシビエンチム(アウシュビッツ)収容所博物館が眼前に浮かんだ。報告と共通するのは「膨大な事実の惜しげもない開陳」だ。ちょうど今ごろの季節、シベリア経由でまだ壁のあった「東欧」を3ヶ月歩いていた。博物館の通路になだれ落ちるかのように陳列された髪の毛の束、眼鏡の山、義足の山。寒さと孤独とあまりの衝撃にしばらくひとりふさぎこんでいたことを思い出す。しかし今、報告されているのはもっと明るい話のはず。なのになぜ?

●綿密に構成された報告が同じ「気づき」をくれたのだ。粗雑な援助がいかに現地を破壊するか。カラーシャ族の村の古色蒼然とした木造建築物の写真がある。その直後に「これはギリシャのNGOが作りました」と見せるなんとも無機質な集会広場。「83年に出会ったジョシの祭りです」と舞い上がる埃も躍動する青空の下の踊りの輪に見惚れる。対比して「暑いと踊らない、といって、これが作られました」。無粋な四角い柱の屋根の下に集まる人々の写真。珊瑚色のネックレスも綺麗な衣装も巨大な屋根の影に押しつぶされている。

●以前の「ヤギか羊か」報告会で「これが僕のヤギです」とカラーシャ村にいる4頭を顔をほころばせて話されていたことを思い出す。思い入れのある土地と長年お付き合いできる人徳は羨ましい。がさつな旅人には決してできないことだ。

●しかしそこを援助が蝕んでいる現実も冷徹に見ている。数年の準備期間を置き、ふさわしい候補地を別に選び出した。寂しい選択だったろう。「NYテロ事件の影響で3時間しかカラーシャを訪れることはできなかったが、かえってほっとした」という言葉にそれはほろりと漏れる。退避勧告が出、責任がある立場、帰らねばならない。そんな状況下だろうがたとえ数分でも訪れたい、というほど愛惜のある場所、にもかかわらず……というジリジリとした想いが伝わってくる。

●2次会で令子さんからJamal校長の素晴らしさを聞いた。女史の存在がなかったら、また関わった方の一人欠けても、7日間・10人の職人・7つの遊具を完成させる、という奇跡にもちかい仕事はできなかったであろう、という。令子さんが長年培っていらした人の輪、その中で見据えてきた人々。イスラム社会の中でしっかりと場を与えられている女性たちの姿や、貴重な音楽の話など令子さんのモノガタリも尽きることがない。令子さんと純さんの複眼の報告、これも今回の報告会の宝だった。パートナーっていいなあ……。

●さらにこの報告会では江本氏のはからいで石川直樹氏がテロ直後のNYで撮影したスライドを上映。安物のウェディングシューズのように白く埃で変貌した店頭の靴を接写するカメラマンの横顔。射光の町の中を不気味に進む軍隊。「もっと根本的なことは何なのか、を知らなくてはいけない」と石川氏は言う。現場に行く、という行動をした人の言葉は「聞ける」。

●報告会の場にいることができた51人の方も2次会でもっと詳しく話が聞けた方も、ともにラッキーである。「場」には力がある。

●新参者の私だが、地平線報告会ってやっぱりスゴイ!と確信した夜だった。[長距離馬ライダー・片山忍]


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