2001年12月の地平線報告会レポート


●地平線通信266より

最前線の
メカニズム
ありがとう22年間
さよならアジア会館報告会
恵谷治 他
2001.12.28
アジア会館

前線より
アフガニスタンと
戦場のこれから

28日、地平線報告会の開会より90分も早くアジア会館に到着した。長野画伯と丸山純氏が製作した地平線特製カレンダーを即売可能な状態にするためだ。そのカレンダーの梱包作業をしている所へ、今回の報告者、恵谷治氏がやってきた。帽子を取ったその顔に、まず圧倒される。報告を聴く前に、顔に刻まれた深い皺が、時間と共に降り積もった経験と魅力を訴えかけてくるのだ。思わず「veteran」という単語を想起する。英語の「veteran」の第一義は「古参兵」であって、単なる経験者というよりは戦士のイメージが強い。その意味でも実際に世界の戦場を追いかけてきた氏にこそ、「veteran」という言葉は似つかわしいように思われる。

◆マイクをとった氏は、まず報道者として現地入りする際の手順を語り始める。ラフな口調で気負いもないが、語られているのが氏の実際の経験だからか、「地名は把握せよ」「ゲリラの足手まといになってはならない」といった個々の言葉に、戦場の緊迫が重量感を伴って滲み出す。それに比べ、世に氾濫する戦場を仰々しく書き立てた描写の何と空虚なことか。

◆続いてアフガンに関する現地での経験と軍事に関する該博な知識が披露されるが、一つの事を語り終える先から別の事が溢れ出てくる。氏の裡にある語るべき事が多すぎるのだ。アフガンの現状についての分析も、アメリカを中心とする今後のハイテク戦争の行方も、兵器一つ一つについての知識とタリバンをめぐるエピソードに裏付けられて生々しく説得力がある。

◆その様な氏の言葉であればこそ、「報道を鵜呑みにするな」という言葉も重々しく響く。前線の様子や戦闘の状況、あるいはイスラム原理主義やタリバンの行動についての予想に至るまで報道は間違いだらけであり、米軍がトラボラで使用した気化爆弾の恐ろしさや、その爆風の下に存在したはずの犠牲者、アフガンをめぐり今もうごめく大国の利害、華々しく宣伝される援助の実態など、報道されてすらいない事もあると氏は指摘する。

◆報告の内容は氏の姿をそのまま写したような圧倒的な迫力に満ち溢れていた。その迫力は、一つには戦場というものを直接知っているところから来るのであろう。地平線に旅人多しとはいえ、近代兵器が猛威をふるう前線に自ら飛びこむというタイプの人は、そう多くはない。
そしてもう一つには、その経験の中で積み上げられた氏の人間性そのものによるのだと私は思う。人間40を過ぎたら自分の顔にも責任を持たねばならぬというが、氏の容貌ならば責任も恐れる必要はない。

◆若いうちは誰でも美しい。その美しさを失った時に、別の魅力を身につけているかどうか、それがその人の生きてきた道を明白に照らしだしているのだ。恵谷氏の場合、行動者として戦場という対象を追い続けるなかでいつの間にか醸成された魅力が、外面に滲み出ている。このveteranの言葉をもっと聴くために、書店へ行って、再版されたという氏の本を探してみようか。

地平線に
刻まれた
足跡

◆前半の興奮さめやらぬままに突入した後半は、地平線会議草創期以来のメンバーが次々とマイクをにぎり、会場を埋める人の多さもあって大変な熱気だった。録音テープや二十数年前の地平線運営をめぐる議事録など、中心メンバーさえどこにあったかと驚く品が続々登場し、当時と今で声を比べられて照れる鉄人ランナー三輪氏の姿がある。

かと思うと、シルクロードを東から西へランニングで走破するという大偉業を成し遂げた中村嘉太郎氏(12/30日に帰国。一月の報告会にて報告予定)をはじめ、現在の活躍がいくつも語られ、ますます盛んな行動者達の姿が浮かび上がる。恵谷氏はせがまれて東シナ海の不審船事件をめぐる詳細な解説を披露し、釣り師の森田靖郎氏はみずから釣った堂々たる尺アユを披露する。地方からの人も顔を覗かせ、伊南村の丸山富美氏からは村の米で作った自慢の酒が届く。会場は和やかな空気でいっぱいだ。

◆人も物も集まった。『地平線から』全巻と『地平線データブック・DAS』が勢揃いし、地平線放送のテープが披露される。地平線会議発足に際して様々な哲学を語った宮本千晴氏や、地平線報告会の発起人である賀曽利隆氏、地平線放送を提案した伊藤幸司氏、さらには地平線放送第一回で愛らしい声を聞かせてくれた菅井玲子氏まで登場した。

聞くところでは、地平線会議の趣意書に「呼びかけ世話人」として名を記した伊藤、江本、賀曽利、宮本、森田、そして岡村隆の各氏が一堂に会したのは、恐らく初めてのことだという。司会を務める丸山氏の声にも深い感慨がにじむ。二次会は席に座りきれないという人数もさることながら、盛り上がった勢いで大変賑やかな宴となった。食べ納めのアジア会館名物バングラカレーがアッという間に売り切れたのは、言うまでもない。

知的安定性
Intellectual Stability

今回の報告会はアジア会館にしばし別れを告げるという事で地平線の過去を顧みる事になったのだが、私のように通い始めて一年にならない者にとっても貴重な場となったと思う。地平線に関して不思議に思っていたことが、少し腑に落ちたような気がするのだ。その辺に触れつつ、地平線について私の思うところを書いてみたい。

◆会の中で第一回報告会後なされた討議の記録が読み上げられたのだが、それを聞いて少なからず驚いた。私が新人として何となく持っていたイメージと比べ、相当に激しい印象を持ったのだ。早口で読み上げられる議事録の中では鋭い意見が飛び交い、互いにぶつかり合い、理想を求める真摯な姿勢が伝わってくる。

趣意書にはその理想が盛り込まれているわけだが、当時の生の記録には、体裁良くまとまった書面には無い鮮やかさがある。さきに「地平線会議発足に際して様々な哲学を語った宮本千晴氏」と書いたが、地平線の目指す姿については、誰もが強い意見を持っていたのだ。否、持っていると言うべきだろう。今でも地平線には各々の信条を持った人々がいる。中心メンバーでさえ、その信条・考えは各様なのだ。

◆私は前々から「知の安定性」という事を考えてきた。「知」などと言うと難しく思う方もおられるかも知れないが、何のことはない。人間誰でも、毎日頭を使って何事か考えている。民族問題云々から、隣の奥さんがドウシタとかまで、誰だって何かを考え、判断を下して生きている。その知の働き・ものの考え方が、不安定な人というのが存在するのだ。物事を型にはめて考えようとする傾向・何でも対立構図で理解したがる傾向は、他人に対する極端な態度や、無理解・即断・偏見につながっていく。私はいま大学生だが、残念ながら大学のお勉強では、知の安定性は向上しない。

◆それに引き替え不思議なのは地平線だ。私は常々、地平線のおおらかさを不思議に思ってきた。根幹には強い思想がありながら、同時に様々なスタンスで活動する人々を包含する広さがある。冒険家から学者まで、思想家肌から感動派まで、これが本当に多様なのだ。思想が開放的で、多様なものを認めあえる安定性をもっている。安定した知には、形ばかり整った屁理屈にはない、人としての魅力がある。

◆この知的安定性は、例の議事録の激論を聴くに、どうやら発足以来のものらしい。マスコミでは不十分な、地平線の彼方にあるものについての充分な認識を確立するための「パイプのジョイント役(第1回報告会での宮本氏挨拶より・地平線放送収録)」たることを一つの目標として発足した地平線会議の、それが心なのだと思う。そもそも安定した知性を指向する人々が集まって発足したプロジェクトが「地平線会議」であり、宮本氏がパイプをつないで世界を身近に体験しようと述べたのも、結局は知の安定性を高める試みであったと私には思われる。

地平線と
私の
これから

今回の報告会で生身の三輪氏とテープ中の22年前の三輪氏が比較され、氏がかつて自ら語った通り、22年間地平線にどっかと腰を据えて少しも変わっていない事が証明された。(地平線通信237号トップ参照)それと比べて私は、なんと三輪氏が初めて伝説の「1万円(地平線放送収録)」を語った時、この地上のどこにも、片鱗すら存在しなかったのだ。少なくとも遺伝情報から私であると同定できるモノがこの世に発生したのは、1981年7月1日の前後1ヶ月ほどのことである。それが、三輪氏が22年目に同じ「1万円」を語った時には、こんな堅苦しい文章を書いて読者の方々を苦しめるようになっていた。そんな新人の視点から、いまと今後の地平線を考えてみたい。

◆まず、今のところ私は探検も冒険もせず、民族学に進むでもなければNGO活動を展開する予定もない。にも関わらず、私は地平線に通い続けるだろう。私は地平線が確かに当初の目的を果たしていると思うし、そうであれば自分が山に登るかどうかは関係ないはずだ。また先述の通りここには魅力のある多様な人が集まっており、それらの話を聞くだけでも意味があると思う。人と人が出会うとき、そこには変化が起き、可能性が生じる。地平線は我々若い世代にとって、有意義であり続けている。

◆ひとつ、地平線の今後について提案をしてみたい。江本氏が口にした事を拾ってきて勝手に発表してしまうだけなのだが、地平線も先進国のこと、都市のことを採り上げても良いと思う。確かに我々はアメリカ型の消費生活を受け入れているが、ではニューヨーカーの心が分かるかと言えば疑問だ。アメリカについて、またロシアについて、安定した思考を積み上げられるようにする。それは地平線の目指すものに合致すると思うのだが。[マックをモバイルする東大生 松尾直樹]


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