2002年7月の地平線報告会レポート


●地平線通信273より

先月の報告会から(報告会レポート・274)
聖山56周行
渡辺一枝
2002.7.26(金) 箪笥町区民センター

◆タンポポの一生をご存じだろうか? あの小さな黄色い花は2〜3日咲き続けると茎ごと倒れてしまうのだが、これは実に栄養をゆき渡らせるためのタンポポの戦略なのである。実が熟すと茎は再びすっくと立ちあがり、晴れて乾燥した日にわた毛を広げてたくさんの種を次の世に送り出す。

◆一枝さんをタンポポに例えたのは夫君の椎名誠さんである。ヒマラヤで読んだ「パタゴニア〜風とタンポポの物語」はとても素敵なラブストーリーだったと記憶している。偶然にも、報告会の少し前に20年前のパタゴニアの旅を椎名さんが再訪するドキュメンタリーを見たばかりだった。可憐で折れそうな、野の花のような女性を想像せずにはいられない。

◆実際の一枝さんは、色白でたおやかな微笑を始終絶やさない和装の麗人で、想像どおりのたたずまいであった。その上品な口元から、「落し前」とか「売っぱらっちまおう」という言葉が漏れ出てくるまでは!

◆まるで今日あった出来事を話すかのように、1987年のチベット初見参の際の勇ましいエピソードが次からを次へと飛び出してくる。行ったこともないチベットに惹かれる理由が知りたくて、ひょんなことから「近ツー」のラサ寺巡りツアーに参加したという一枝さん。バターランプの臭いに辟易してお寺の外で待っているうちに現地の人々を見ているだけで楽しい自分に気がつき、思わず彼らと笑い合ったり触り合ったりしてしまう。本当は飲めないのに、畑仕事を手伝って仲良くなったチベット人に勧められるままにチャンをしこたま飲んで、炭坑節を歌い踊ったことを話す一技さんは、チベットのことを話せるのが嬉しくて嬉しくてたまらないといった様子。言っておくがラサの標高は富士山の頂上と同じくらいだ。初めての高所でこんなことをして平気だった一枝さんは、すでにカイラスを1日で1周してしまうアスリート的体質の片鱗をのぞかせていた。

◆この5年後に初めて聖山巡礼を果たしたときは、ほとんど手ぶらで2泊3日かけて周るのがやっとだったというが、5度目の今回、なんと現地の人と同じように日帰り巡礼をやってのけ、しかも計4周もしたというのだ。「1周目で、1泊のためにキャンプ用具を持って歩くのも無駄だと気づいて」とこともなげに言うが、1周52km、標高差1,000m以上、最高高度5,668mである。早朝3時に出発して夕方6時〜8時には戻ってきたそうだが、これはほとんどぶっ通しで歩かないと実現できないスピードだ。午年の巡礼は1周が13周分に相当すると言われており、52周したことになるかしら? とはしゃぐ一枝さんはこの先も可能な限り巡礼を続けたいという。さらに、五体投地でヂョカン寺を2時間半かけて1周し、泥だらけになりながらも地面の臭いさえ愛しかったという一枝さんは、もうほとんど思考システムがチベッタンそのものである。

◆最後の、1人の少女との出会いからチベットに孤児院を建てることになったくだりでは、柄にもなくホロッとしてしまった。一枝さんをモモ(おばあちゃん)と呼ぶその子に、この秋椎名さんと一緒に会いに行くそうだ。「偶然よい土地が安く手に入ったのも、18年間保母を務めたのも、なんら不思議もなくつながる。チベット人ならこういうのを『カルマ』って言うんでしょうね」と勇敢な麗人は少し照れたようにはにかんだ。日本で十分に栄養を蓄え宙に舞ったタンポポのわた毛は、海を越え彼の高地に降り立ち、その種の1つが今慄えるような歓びをもって芽を出そうとしている。[大久保由美子]


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