2002年11月の地平線報告会レポート



●地平線通信277より
先月の報告会から(報告会レポート・278)
アフガニスタンちゃいはな旅日記
石川直樹
2002.11.29(金) 箪笥町区民センター

◆会場は200人以上の聴衆で埋め尽くされ、そのほとんどが20代から30代の若い客たちだ。報告が始まってもひっきりなしに若者は訪れ、入り口に立つ代表世話人がその整理に追われる。報告終了後には若い女性にサインをせがまれる石川の姿があった。

P2Pやセブンサミッツといった行動の軌跡から、彼を冒険家の範疇で論じがちな大人たちと異なり、若者は石川の中に同時代の個性や気風といったものを認め、それに惹かれる。一体、彼らは石川の何と共鳴するのか、彼の行動や文章だけをなぞるではなく、生きた報告会にこそ、その個性はもっとも現れるのかもしれない。僕は彼の報告を生で聞くのは初めてだった。

◆アフガニスタンに行ったということを聞いた時、正直、なぜいまさらアフガンかと思った。あまりにも多くの意見と解釈が加えられたため、多くの者はアフガンにウンザリしてしまったではないか、と。しかし、時代に敏感に反応する彼の今までの行動を振りかえれば、当然行くべき場所であったのかもしれない。ニューヨークを訪れた時、9・11とそれに続くあの一連の悲惨な出来事の何かを、彼は自分の中に取り込んでしまったのだろう。

◆石川の語るアフガニスタンは、我々の想定していたアフガニスタン報告とはまったく異なる新鮮なものであった。9・11、アルカイダ、米軍進攻、カブール陥落、タリバン政権崩壊、対テロ戦争、有事法制、アフガニスタンとそれに関わる大なり小なりの政治的事項の日常的羅列は、知らず知らずのうちに、我々から正常な感覚でアフガニスタンを見る目を奪っていた。アフガニスタンを語るすべての者は、政治絡みの報告と解釈を加えることを期待された。

しかし、石川は見事にその期待を裏切った。石川の語るアフガニスタンはあくまで、ブルカの女性であり、ジュース屋のオヤジであり、道路事情の悪さであり、肩身の狭いウズベク人のことであった。それは我々、素人にも理解できる程度の日常生活の実際であり、逆に言えば解釈を排した圧倒的な事実の重みでもあった。

◆アフガニスタン報告を終えるにあたり、石川は次のように語った。「世の中の価値は複雑多様であり、自分の価値が正しいとは思われない」と。そこに彼の旅や人に対する姿勢が現れていた。バーミヤンからカブールへ向かう途上、バスの他の客に一緒にお祈りをするよう勧められたとき、形だけ真似をしてもウソになるからと、それを断り横で傍観していたという。そのエピソードがまた、憎らしいほど厭味っぽくないのが不思議だ。

◆あくまで相手に共感しようとする彼の姿勢、その結果のアフガニスタン報告はある種の“暑苦しさ”とは無縁であった。あらゆる視点からの正義が交錯し、その矛盾が悲惨な形となって表出してしまったアフガニスタンを、石川はただのアフガニスタンとして表現する。

我々のまわりでは日常的に、押しつけがましい価値や解釈が飛び交っている。まったくもってウザッたい世の中だ。そのような押しつけがましさやウザさとは対極に位置する石川直樹という行動体に、多くの若者達が共感するのも容易に理解することができる。

◆新しい旅の地平を切り拓いた石川直樹は次に何をするのか、周囲からの期待は行動体としての、ある種の宿命であろう。しかし、そのようなプレッシャーはまったく歯牙にもかけない。「やりたいことが次から次へと出てきて、困ってしまう」発想の柔軟さとスケールの大きさが、自分の価値を絶対視しない姿勢の柔軟さに由来することは疑いあるまい。[角幡唯介 早稲田大探検部OB・来春新聞記者予定]


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