2005年5月の地平線報告会レポート



●地平線通信307より
先月の報告会から
家出の達人
藤原和枝
2005. 5. 27(金) 榎町地域センター

◆大学4年生で目下就職活動中の私は、企業の2次選考会を終え、リクルートスーツ姿のまま会場に駆け付けた。今回の報告者は、地平線受付仲間のおばさんバックパッカー、藤原和枝さん。ちょうど母にあたる年代だが、そのパワーはすごい。2年程前、地平線の2次会で終電ギリギリまで飲んで2人で神楽坂駅までダッシュをした時も、現役ワンゲル部員の私を差し置いて堂々の1位だった。いつも隣の席で明るい笑顔を振りまいている藤原さんが一体どんな報告をするのか興味津々だった。

◆旅の始まりは、70年代。ソ連経由でヨーロッパ西部へ。行く先の美術館、博物館は全てまわった。「とにかく本物を見たかったの。教科書で見た物を、ちゃんと自分の目で確かめたかった」

◆その後商社マンと結婚した藤原さんを待っていたのは、アメリカでのしがらみだらけの駐在日本人社会だった。2年後、長男を出産。アメリカ生活8年間のうちそれからの6年間、子育てを「ほんと、必死でやりました」。その声に、力がこもる。子育てに欠かせなかったのが、英会話の熟練だ。子どもが病院にかかった時、医者に容態をしっかり伝えるために。幼稚園や学校で子どもがケンカをした時、その言い分を学校側に主張するために。「それができないと、『お宅の子は乱暴ね』で終わってしまう。アメリカではお母さんが弱いと子がかわいそう。もちろん差別もありましたし」。まさに、母は強しだ。このアメリカでの体当たりの子育てで養われた叩き上げの英語力は、その後大いに活かされる事になる。

◆日本に帰国した藤原さんは、以前から興味のあった日本語教師となる。ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア…あらゆる国の人を対象とした日本語教師生活16年の始まりだ。普段当たり前のように話している日本語も、教えるとなると難しい。「“しゃべる”と“話す”、どう違うの?って聞かれるんですよ。それをきちんと理論で説明しないといけない」。テキストだけでは、微妙な日本語のニュアンスを伝えることはできない。個人的に調べた資料やお手製のプリントで、ファイルがどんどん増えていった。「音声」についても研究した。日本人の話す日本語と外国人の話す日本語の違いについて、言語学的に分析をしたのだ。それによると、音の長さやイントネーションのちょっとした違いが違和感に繋がるとのこと。その“ちょっと” を、藤原さんは見逃さず(聞き逃さず?)に指摘する。

◆熱心に日本語を教え、そして生徒からも多くのものを教わったという藤原さんだが、2年前にこの仕事を辞めた。ビザの為だけに学校に来る中国人生徒が大半を占めるようになり、クラスが荒れ出してしまったのだ。「今大切なのは、時間だ。残る人生は、旅に捧げたい」

◆1回の旅は約2か月。2人の息子さんを持つ主婦が2か月も家を空けるのはタイヘンでは‥、と思うが「うちのダンナは、やりたい事をやっていいと言ってくれます。それはきっと、私が子育ての殆んどを1人でやった事を感謝してくれているんだと思います」。ちょっと遅れて長めの有給休暇をもらっている、といった感じか。

◆家族の理解の元、格安航空券を手にいれるとひょい、と家を飛び出し、一人旅にでる。「全て自分で決められる一人旅が大好き」。旅先では、自分の感情のおもむくまま、よく動く。土地の人が利用するマーケットに行くし、駐在日本人が危険だというバスにも乗る。旅人がその国の本当の姿に2歩、3歩と歩み寄る時の最大の妨げとなるのは、不安、恐怖といった防衛本能だろう。しかし、藤原さんはいつだってしっかり本物を見つめている。子育ても、日本語教師の時も、そうだった。必要以上に怖がる事はない。あとは、オープンマインドで現地の生活を、多くの出会いを楽しむのだ。

◆突然さっと取り出されたのは、旅先の空気を吸って少しくたびれた、ふかみどり色のリュック。藤原さんの背中にピッタリと納まるサイズだ。2か月に及ぶ旅でも、荷物はこのリュック一つ。たったの8kgだ。本日はその中身を、一挙公開!

◆替えTシャツ1枚、長袖シャツ1枚、下着の替え3組。衣料品は、これでおしまい。「セーターくらい持っていかないの?」江本さんの問いに、「おばさんでも女性なんですね、砂漠で0℃になっても、男性が貸してくれるのよ」。そう答える藤原さん、むしろそういう交流を心待ちにしている余裕が漂う。

◆以下、その他の旅の品の数々。折りたたみ傘、ガイドブック、デジカメ充電用の変圧プラグ、ストッパー(水場の流れ止め。洗濯用)、針金でベルトを補強した肩掛けバッグ。うんうん、旅のプロっぽい。荷紐(新聞をくくるやつ。洗濯物を干す用)、試供品シャンプー、ホテルの歯磨き粉(なくなったら現地調達)。だんだん話が主婦めいてきたぞ。極めつけは、「廃品」だ。夫に捨ててくれと渡された、穴の開いた靴下。でも、一体何に?答えは「フレッシュな鳩の糞だらけの中東のモスクで裸足になる時や、トレッキングで一足しかない靴をドロドロにしないため靴の上からカバーとして、履く。汚れたら捨てる」そうです。ご長男が中学生の時のジーパン(貴重品を入れたサポーターを太腿に巻くので、外からわからないように大きめのズボンを穿く)。旅に出る時に買って持って行く物は1つもない。お金をかけず、荷物は軽く、目の前の環境を楽しむ。さすが主婦、質実剛健。

◆後半は写真を見ながら、やや急ぎ足の解説となった。振袖を着てすました顔のアメリカ人の女の子、運動会で生き生きと走るアフリカの青年。日本語学校での写真では、藤原さんと生徒1人1人とのストーリーが語られた。揺るぎない存在感の歴史的建造物。大胆に切られた赤と白の牛肉(激安)が並ぶ、青い壁の肉屋。薄青色の空に突き刺さりそうな勢いで鋭く尖る、美しいフィッツロイ山。これらは、つい2か月前の南米の旅の写真だ。中でも最も私の印象に残ったのは、南米最南端の町ウィシュアイアでの2枚。カーニバル、闇夜に映える白とブルーの羽のついた衣装を身に付けポーズを決める、黒人の女の子。地の果ての刑務所にちなんでバイクも服も黄と青の縞模様で統一している、がっちりした体のライダー。どちらの写真も、藤原さんの「ねぇ、ちょっと1枚撮らしてよ!」という声や彼らとのやり取りが聞こえてくるようで、なんだかふふっ、と気持ちがほぐれた。これからもきっと、藤原さんは周りの人を巻き込んで賑やかな旅を続けて行くのだろう。

◆地平線会議に参加すると、時々ある詩を思い出す。「大人になることは、すれっからしになることじゃない」と。ゲンキな大人の姿は、見えない未来に不安を抱く青年達を勇気づける。来年の今頃は、きっと私は社会人。また一歩大人に近づくが、やわらかな感受性や純粋な好奇心をずっと、持ち続けていきたい。[まだまだ花のダイガクセー、新垣亜美]


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