2005年7月の地平線報告会レポート



●地平線通信309より
先月の報告会から
犬に引かれて北極圏
本多有香
2005. 7. 22(金) 榎町地域センター

 若い女性といえば、1kg痩せた太ったで一喜一憂する昨今の風潮ではある。ところが、冬のアラスカ、マイナス20〜30度の世界。鼻水で両頬を凍傷にしながらも、一心に熱き魂を「マッシャー」と呼ばれる犬橇使いに賭ける青春がある。本多有香32歳、新潟出身。この地平線会議発足と同じ8月17日が誕生日だ。

◆身を小さくしながら会場に現れた有香さん。アイドル系の目鼻立ちが愛らしく、一見未だ学生かと思わせる初々しさだ。人前で話をするのは初めてだという緊張感からか、会場作りにテキパキ動くメンバー達に気後れしたように挨拶して回る。しかし、その遠慮がちなまなざしとは不釣合いに盛り上がった肩の筋肉、惚れ惚れするような逞しい腕っ節。これらが、お嬢さんの道楽なんかではない真剣さをしっかりと見せつけた。

◆この春、朝日新聞(3/11夕刊)の一面を飾ったアラスカの犬橇ビッグイベント、セーラムラン。19日間1200kmに日本人として初参加し、完走した。セーラムランとは血清(セーラム)を犬たちが運んだ故事に由来する。1925年冬、ベーリング海に臨む街ノーム(Nome)は、ジフテリア蔓延に街全滅の脅威にさらされながら、悪天候ゆえ陸の孤島と化してしまっていた。残された唯一の到達手段が犬橇。見事、血清を運び人々を救った。セーラムランは、これを記念して毎年行われるようになった催しで、レースではない。列車で届いた血清を犬橇に託すセレモニーからスタートするこのイベントには厳粛な雰囲気が漂う。

◆犬たちは縦長に2列、合計12頭でネナナ、ノーム間を走る。種類はアラスカンハスキー。シベリアンハスキーより一回り小型だが、人1人なら1頭でも軽々と引く。有香さんの場合、時速約10〜15km、小休止を挟みながら5時間半程走り一日50〜70kmというペースで進んで行くという。中継地では学校などがマッシャー達の宿泊スペースとして用意されたりもする。

◆しかし、どんなに疲れていても犬の世話は各マッシャーが全て一人ですることになる。サポーターにより予め中継地点に運ばれた餌用鮭の生肉は、さすがの犬でも歯が立たないカチンコチンの氷塊状態だ。雪を鍋で煮溶かし、そこへ凍った肉塊を入れ水分補給も兼ね温めてやる。いくら極地犬とは云え、せめて温かいものを食べさせてやりたいからだ。一定の間隔でつないだ一頭一頭には軽く穴を掘り、これも前以って運ばれたワラを敷いて寝床を作ってやる。特に風が強い場合には、ブロックに切った雪を休む犬の周りに積んでやったりもする。勿論、出発の際は犬の糞、寝床に使ったワラなどの後始末もマッシャーの役割だ。

◆中継地点から毎出発時、ブーティーズと呼ばれる犬の足を保護する靴下を付けてやることも欠かせない。前の晩、外して手入れして置いたものを、かじかむ指で一つ一つ48の足につけてやるのは時間がかかる作業になる。

◆スノーモービルで橇と併走し、犬達とマッシャー有香さんの連係プレイを取材という立場で追っていったのが冒険家であり、大学助教授の九里徳康(くのりのりやす)氏。報告会後半は九里氏の写真を見ながら、別の視点からレースの解説がされていった。氏によれば、有香さんは横に並んで走っても、あまり会話もせず実に淡々と橇を走らせていたらしい。雪原では犬達の事しか見えていなかったのかもしれない。その都度走行を中断するわけにもいかず、犬達は走りながら用便するようしつけられている。九里氏曰く「最後尾で舵を操るマッシャーって、飛んでくる犬の糞尿を浴びちゃうんですよ!」「どっちみち凍ってますから!」と返す有香さん。豪快で爽快だ。

◆ガソリン臭さや大雪原にはミスマッチな騒音ゆえ不自然に浮き上がるスノーモービルに比べ、犬橇はマッシャーの掛け声と雪を踏みしめる犬達の足音だけだ。極地極寒の大自然にしっくり合い、思った以上に清々しい乗り物かもしれないと九里氏は言う。果てしなく広大な白の世界、カメラ目線の愛くるしい犬達と後方に小さく写る有香さんの姿は、凍て付く気温をついつい忘れさせ、まるで電車ごっこでもしているかのように微笑ましく見えてくる。今回27チームが応募した中、選考された13チームに入り見事な完走を果たした。カナダ、アラスカでは日本のプロ野球並み人気だという犬橇レース、次は更に距離を伸ばして1600kmのユーコンクエストを目指すという。

◆実を言えば、写真を見せながら前半に行われた有香さんの報告は、海苔も乗ってない盛りそばのようにあっさりと終わってしまった。しかし、そこは地平線会議、慌てる事なく、急遽代表世話人のE本さんがあれこれとポイントを聴きだすトークショウに早変わり。なぜ犬橇レースなのか?この根本的な疑問にも、答えはあっけなかった。十年程前の学生時代、航空券が安かったからと出かけたカナダ、イエローナイフで見た犬橇レースがむちゃくちゃ格好良かったから、と。

◆卒業後一旦は就職するが、イエローナイフ観光局に手紙を送り、マッシャーになる道を模索する。数ヵ月後、数々の優勝経験を持つグラント・ベック氏の下でハンドラーとして働く機会を掴む事に。ハンドラーとは、子犬から世話をし、かつレースでの何から何までを教え込んでいく仕事だ。カナダでこの契約が終わってしまった時、無給ででもハンドラーをする以外、居残るすべは思い浮かばなかったという。求め求めて、ついには1000kmの道のりを自転車でアラスカへと移動する。そしてこれも過去にいくつもの好成績を残すマッシャー、レイミー・ブルックス氏に出会うことになる。

◆彼の下では無給でハンドラーをしてもう3年になる。当初40頭ほど預かったが、今では80頭をもこなすばかりか各々の性格、癖など全てを把握しているという。1頭1頭をレース犬に育ててあげていく事は、1日も休めない上随分と体力の要る仕事だ。しかし幼い時から動物好きだった彼女にとって、お互いを信頼で結んでいく代えがたいプロセスでもあるのだろう。いくら最低限の食住込みとはいえ無給では?という疑問が当然湧いてくる。100万200万円とかかるレース資金を貯める目的もあり、夏の間は新潟に戻ってアルバイトをしているという。会場及び恒例となった2次会の中華料理「北京」では、今一借りてきた有香だった彼女。その夜、地方からの参加者と共に華やかに3女で泊まっていただいた我が家では調子はすっかり全開モードにリセットされた。やっと、前評判通りのビールグイグイを見て満足満足。「犬達とは日本語でやってますよ!でもどうしても云う事聞かない時はグーで!」と拳を上げる。また、これも大好きだという花火は、眺めるのが第一の目的ではなく揚げる側での話。3尺玉4尺玉(直径90、120センチ)と、世界最大を製造する片貝煙火工業に掛け合い、打ち上げ職人のすぐ横で手伝っているとか。「真下からだと音が全然違いますよ!!」と。男のくせにとか女のくせにとか、彼女にかかっては初めから死語であって痛快極まりない。それにしても、今日はいったい何度目を丸くしたことだろう…。(藤原 和枝)


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