2005年7月の地平線報告会レポート




●地平線通信310より

先月の報告会から

ブルーポピーの彼方に

神尾重則

2005.8.22 榎町地域センター

 報告会の告知欄に絵を描いて久しいが、神尾さんの似顔絵は難しかった。面識がないので、著書に掲載されたスナップだけが参考資料。ところが、写っている写真ごとに顔が随分違う。ヒゲだらけのいかにも山男然とした顔、いたずらっ子のような顔、年寄りじみた顔も。どれが本当の顔なんだろう。

◆イメージを掴めないまま電話取材へ。受話器から聞こえる声は若々しく、謙虚で丁寧な応対に恐縮するほど。肺ガンの専門医であり、現役のヒマラヤ登山家というプロフィールにちょっと構えたが、お堅い空気は全然ない。青いケシに寄せる思いを語る言葉に、ロマンチストの側面を感じた。

◆当日報告会場に現れた神尾さんは、白いカッターシャツにライトグレーのジャケット姿。軽くウエーブした髪がお茶目な感じを醸している。私の描いた似顔絵よりもずっと上品な紳士だ。三輪先生によるオープニングで報告会の幕が開く。

◆タイトルに忠実に、青いケシの花からスライド(パワーポイント)スタート。4200メートルのチベット高原に咲く花は紙細工のようにカサカサして見える。ヒマラヤ登山家の憧れの花。その小さな生命が装う青は、神尾さんの想像力を喚起する象徴的な色だ。まず、ヒマラヤの蒼天の色。その彼方、宇宙を説くチベット仏教へと思いは拡がり、花をとりまく厳しい環境に、宿命の生老病死を思う。けなげに咲く花は命そのもののシンボルとも映る。さらに、青いケシをはじめ高地の植物は、薬草としてチベット医学を支えてきた。また青は、童話「幸せの青い鳥」に描かれたように「夢」を表す色でも。「ちなみに、サッカー日本代表のチームカラーでもありますよね」と神尾さん。

◆神尾さんが初めてヒマラヤを訪れたのは、母校宮崎大学登山隊でツクチェ・ピークに登頂した1980年。山頂から北西遥かに、当時まだ外国人入境禁止区だったネパール・ドルポ地方を望み、100年前に河口慧海師が通った道をいつか辿りたいと願った。それから四半世紀。神尾さんは今、NGO「ドルポ基金」の医師メンバーとしてドルポに深く関わっている。車道が無く、インフラ整備が立ち遅れたドルポ地域を支援する草の根活動だ。将来の地域を背負っていく子供達を街の学校に通わせる等の人材育成を軸に、医療センターや公民館の建設なども手がける。

◆スクリーンには、神尾さんの思い出の山々が。ツクチェ、ブロードピーク、バルトロ氷河…写真がとても美しい上、解説が詳しい。主観的な風景写真の後には、鳥瞰図や、グラフ、航空写真など、客観的な解説図が挿入される。まるでNHKスペシャルを見ているようだ。エベレストに特徴的なイエローバンドという地層の話から、5500万年前の起源まで話が及ぶ。ここまでは神尾さんのフィールド概説。山を解剖して見せてくれる辺り、外科医の面目躍如。

◆…と思うのはちょっと早かった。メインテーマ「生老病死」のくだりでは、医師の視点を前面に据えた曼陀羅スライドが展開される。ネパールの医療環境の説明では、医学書でしか見られないサンプルの数々が。狂犬病ウイルスの顕微鏡写真や、コレラの水様便、アメーバ赤痢に罹患した肝臓…気味が悪いものなのに、写真は奇妙に美しい。科学者の目はこんな風に世界を見るのかと思う。

◆現代人は死を忌むべきものと捉え、できれば回避したいと願うが、チベットでは「死」を前提に「生」を考える。「死」をローソクに喩えれば、「生」は、はかない炎なのだ。 しかも常に「老」「病」という風に翻弄されてちらちらと揺れている。「生」のイメージに提示された、受精の瞬間の顕微鏡写真が強烈だった。大きな卵子に群がる精子。生命はいつ魂を授かるのか。生と死の境界を考えさせる。「老」ではアルツハイマー脳の断面図が。一方、100歳でなおスキーを続ける三浦敬三さんの例に、ヒトの命の強靱さと可能性を示唆する。神尾さんは三浦さんのサポート・スタッフとしても実績があるから、語り口に説得力がある。健康長寿の秘訣は、「心楽しむべし、身は労すべし(養生訓)」だそうだ。心しよう。そのためにも、体力維持のための「ルート工作」が必要だと神尾さんは説く。

◆「病」では高山病について詳しい解説が。チベットのような高地に住む住民は、低地の人々に比べ冠動脈が太い。こうした適応は遺伝的に継承される。高山病になりやすいかどうかは、遺伝子を調べることによって見当がつく時代になった。

◆西洋医学は生命を精巧な機械に喩える。その視点に立って開発された医療技術に、現代人は様々な恩恵を受けてきた。神尾さんが紹介する最前線の医学情報はその豊かな実りだ。でも一方で、失われた視点もあるのではないかと神尾さんは自問する。チベット医学では、臓器が健全に働く事以上に、「生命力」をいかに強く保つかが肝要だ。「西洋医学徒としては、チベット医学を全面的に受け入れるわけには行かない」と神尾さんは言う。「でも、圧倒的な臨床例の蓄積の上に継承されている伝統医療には、学ぶべきものが多い」とも。

◆最後に、この五月に駆け足で登ったクン・ラ(5411m)のエピソードが紹介された。昨年秋に発見された河口慧海の日記から、師の越境ルートとほぼ特定された峠だ。ドルポ基金活動の合間に計画された登山だったので、3800メートルまでいきなりヘリで飛ぶ強行軍だった。最初のヒマラヤ訪問から25年。夢の第一歩を踏み出した神尾さんの頭上には青い空が広がっていただろうか。

◆医師の顔と山屋の顔が絶妙のバランスで配されたスライド、総数約200点。てんこ盛りの報告会の締めには、やはりロマンチストの山男の顔が現れていたように思う。(長野亮之介)


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