2008年10月の地平線報告会レポート


●地平線通信348より
先月の報告会から

トラジャで海路の日和待ち

関野吉晴

2008年10月31日 新宿区スポーツセンター

<国内苦労編>

■沖縄・浜比嘉島での大きな集会を終えてわずか4日。10月に2回もの報告会を試みる地平線会議ってすごい。沖縄には行けなかったけれど、関野吉晴さんの話は是非是非聞いてみたいぞ。そんな思いで私は女子寮仲間のうめ(山畑梓)と共に香川県高松市から上京した。

◆この人たち、ここまでやるの!? 2008年7月号の地平線通信、関野吉晴さんと武蔵野美大の学生による「黒潮カヌープロジェクト」の報告を読んだ私の感想である。2004年から「新グレートジャーニー」をスタートさせた関野さん、「北方ルート」「南方ルート」の旅を終え、いま「黒潮カヌープロジェクト」と真っ向から取り組んでいる。インドネシアから沖縄までカヌーで渡る。旅の出発は2009年3月を予定しており、今回の報告はその準備作業についてであった。

◆とにかくすべて「手作り」が原則。カヌーの船体を彫る鉄器も自力製作するので、日本での準備作業が半端ではなかった。理科の先生を目指している私は、断然その過程に興味を持った。5キロの鋼を作るためにはなんと120キロの砂鉄が必要というのだ。どこで集めるんだろう。砂鉄集めの候補として当初江ノ島があがったが、イオウ、ナトリウム、チタン等の不純物が入っているため、たたら製鉄には向かないらしい。

◆千葉の九十九里浜なら純度の高い砂鉄が採れるということで、学生を引き連れて九十九里浜に向かった。スクリーンにうつる、黙々と砂鉄を集める怪しい集団…。画面を見ていると、うーん確かに怪しい。さわやかなサーファーたちとのコントラストに思わず笑ってしまった! 砂鉄120キロともなると1回や2回の採集では足らず、知り合いからニュージーランドの砂鉄を輸入したら? と心が揺れる誘惑もあったようだ。

◆3回目の採集の時、なんとサーファーの方が砂鉄の採れるポイントを教えてくれたそうだ! 真っ黒な砂浜で勢いに乗って砂鉄を集めた結果、目標を大きく超える150キロの砂鉄をゲット!!きっと関野さんや学生達の一生懸命さがサーファーに伝わったのだと思う。話の中で関野さんは、鉄の大切さについても教えてくれた。

◆ガラス、ゴム、プラスチック等には、私たち日本人はかなりお世話になっているが、それらに頼っていない人たちが世界中に多くいるという。しかし、鉄に頼らない人というのはいないのだそうだ。鉄は、ナイフ、武器、農機具に利用されている。さらに、地球内部の構成成分は主に鉄であり、地球の重さの3分の1を占めているそうだ。金よりも鉄のほうがずっと価値があるのだ。私は将来鉄の大切さを生徒達に伝えたいと思った。

◆プロジェクトに参加する学生のガッツには感心した。単位が出ないにも関わらず、全体では約200人の学生が参加しており、中でも元気な女性が多いとのこと! 特にカヌーの船体を彫る鉄器作りは気が遠くなるような作業のオンパレードだ。各工程で学生がチームを組み、黙々と大量の砂鉄を集めたり、火の番をしながら300キロの炭焼きをしたり、24時間耐久たたら製鉄をしたり…。参加したいという友人は私の周りにはまずいないだろう(うめくらいかな?)。

◆多くの学生がこのプロジェクトに参加する理由は何だろうか。まず、関野さんの人間的魅力である、と思う。「グレートジャーニー」という世界中を巡る壮大な旅をやり遂げた関野さんは、そのことを鼻にかけることなく誰に対しても気さくに話をしてくれる方である。実際私も緊張しながら話しかけた時、少年のような笑顔で応じてくれた。

◆さらに関野さんは、学生にチャンスを与えるということを意識しているそうだ。学びのチャンスである。例えば「鉄を作るためにどれだけの砂鉄が要るか、どれだけの木を切るか」を、考えるチャンスを与える。いままでは、学生が「旅に連れて行ってください」と言えば「若いときには一人で旅をするものだよ」とつっぱねていた。それが最近は次の世代に伝えなくてはいけないと思うようになったそうだ。関野さんの旅の壮大さ、人柄の良さ、学生にチャンスをという思いはしっかり学生に伝わっていることだろう。

◆関野さんによると、学生は「自分で何かを表現したい」「認めて欲しい」という気持ちが強いそうだ。確かに7月号の通信には、そういう学生たちの感動の心が溢れていた。当たり前のように存在する「生」の実感、「物」への感謝、「仲間」との絆。関野さんの大きなプロジェクトに巻き込まれながら、それぞれが違った視点で新たな発見をしているようだった。違った視点であるからこそ、個性が出てくる。「自分はどんな人間か」ということを表現し、評価されたいのである。私も学生のひとりとしてそう感じている。今書いているこの報告会レポートも自分を表現することのひとつであり、私には大きすぎるくらいのチャンスをいただいていると思う。講義だけでは学べないことを、私たちは求めているのだ。

◆準備から様々な困難にぶつかりつつも、決してあきらめない関野さんとそれに応える学生たちに励まされた気がした。ちょうど私は今年の教員採用試験に落ち、自信を無くしているところだった…。よしっ! あきらめないかぎり何でもできるぞ!! (クエこと 水口郁枝 香川大学4年)


<インドネシア苦労編>

■困難にぶつかった時、物事が上手くいかない時、皆さんはどう感じられますか? 先が見えない時、どのように消化しますか? 関野さんの報告はまさにそのようなことを考えさせられるお話でした。ここから報告会レポート、海外編です!

◆未だかつて誰も成し遂げたことのないインドネシアから沖縄までの帆船による航海。しかも道具、舟全て手作りで。関野さんの話は一言で言うと、「Clear」、明確だった。しかし、自然の中から素材をとって来て、自分たちでカヌーを作るというコンセプトの実現は容易ではない。便利なものは、どんどん浸透していく。一人がエンジンつきの船を使い始めるとそれは次第に普及し、帆で走る舟は消えてゆく。そんな中、帆船を、しかも沖縄までの航海に耐えるものを探すのだ。たどり着いたのが「パク−ル」である。

◆インドネシアで唯一10mを越える帆船を用いている民族がいた。スラウェシ島のマンダール地方に住むマンダール人で、「サンデック」という帆船のレースで知られる。関野さんは、この人々にひかれ、彼らの伝統的な舟である「パクール」を今回の航海のモデルとし、マンダール人たちと一緒に航海することにした。マンダール人を選んだ理由は「マンダール人を好きになったから」とはにかみ笑顔で言う。インドネシア側のリーダー役、29才のマンダール人ジャーナリストとの出会いが大きかったようだ。

◆船作りに重要なのは、第一に大木探しだ。丸太舟を作れるだけの木をあちこち探しまわる。やっと見つけた大木には大きな穴があったり、根の部分が四つ股だったりで難航した。さらにマンダール人グループと日本人グループのモチベーションは全く同じではない。大木を切り倒すのに、チェーンソーを使わないことを納得してもらうのには苦労した。この問題は熱意を持って接することで理解が得られたが、問題は今回の企画でのモチベーションである。

◆マンダール人にとって航海の目的は船乗りとしてのアイデンティティを守ることであり、「俺らがやらなきゃ誰が出来るんだよ」という感じ。一方関野さんとしては、この企画は日本とインドネシアの祖先を繋ぐことがメイン。「民族意識が高すぎるのにはちょっと引きを感じる」と話された。

◆船大工との間に生じた微妙なギャップ。さらに船大工の親方が給料をピンはねしたり、マンダール人同士意見が合わなくなったり、純粋に舟を作る問題だけではなく、人間模様もスムーズにいかない。解けないパズルを解いている状態に陥ってしまう。普段温和なマンダール人といえども、生活がかかると何でもOKでは行かないのだろう。

◆結局、2隻の舟を作ることで双方のギャップを回避することにした。日本側のコンセプトを守った丸木舟とマンダール人の伝統舟「パクール」を造ることで双方の言い分を盛り込むことにしたのだ。コストや航海のスピードが違うことのデメリットよりも、双方の納得行く形で航海できること、また海の状況で意見が分かれた時に二手に分かれられるなど、メリットの方が大きい。さらには、「ケンカしたら別れられる」ことも大きな要因だ。

◆「譲れない。意見があわない場面では、徹底的に喧嘩します。現場(海上)で喧嘩するよりは、陸上で相手のことを分かってから海に出たほうがいい」と関野さん。命がけの旅に「お友達クルー」では危険だ、というのだ。

◆そんなこんなで現在舟造りが進行している。マンダール人棟梁のすごいところは、舟造りに図面を引かない事。造りたい舟を要求すると、頭で図面を作って丸太にソレをそのまま写すように木の形を造り上げる。こうして何とか1月までには舟を完成させ、来年3月から8月の間航海を終えてしまう予定らしい。

◆前途多難のように見える新グレートジャーニーだが、関野さんに迷いはない。「先の見えることよりも、先の見えないことをしてみたい」。そして、上手くいかないことでいらいらしたりするよりも、むしろ「楽しんじゃう」「そもそも上手くいかない事が当たり前。いくら想定しても予想外の事が生じるのが普通」。私は思わず「なるほど!」と、うなった。世界を見てきた関野さんの懐の深さをこれらの言葉にうかがうことが出来る。一言一言が、何故こんなにも哲学的なのか。

◆関野さんの力強い歩みに気になったことがひとつあった。「判断を下すときに一番重要視する事は何か」ということである。この質問に関野さんは、「人を死なせたくないし、自分も死にたくない。だから判断は安全な方を選ぶ」とのこと。命が一番大事。関野さんの一言は本当に直球というか、一番大切なことを自然体で捉えていると感じた。

◆私は2年前、えも〜ん(江本)と四万十川で出会い、今回このようなレポートを書く大役を頂いた。「チャンスを逃さないことが大切」と、いつもえも〜んに教えて頂く。これから先、人生の迷路に入り込んでいくだろう。いかに自分が大切なものを明確に持って迷路を楽しむか。2時間30分の報告会で多くのことを知り、学び、考えることが出来た。私も地平線会議の方々のような素敵な笑顔が出来るようになりたいです! 「人生の大学」地平線会議との出会いに感謝! (うめこと 山畑梓 香川大学4年)


地平線報告会を終えて

《日本まではまだまだ遠い道のりだが、久しぶりにワクワクする高揚感もある》

 地平線報告会での報告が終わった後、再びインドネシアに戻って来た。カヌー造りを続行するためだ。クルーであるムサビの卒業生二人は舟大工や土地の人々に助けられながら丸木舟の粗削りとマンダールの伝統船パクールのための板作りを終えた。今月と来月は、日本までの航海に耐えられるように精巧な造りにするとともに、マスト、帆、アウトリガを取り付けなければならない。

 来年4月からの航海は最低3カ月はかかる。インドネシア人との協働作業だ。文化も宗教も違う人間が狭いカヌーの中で、危険と隣り合わせの活動をする。本音の出し合いの中で、トラブルも多発するだろう。見方を変えれば、日本でも日増しにその傾向が強くなる、多民族共生社会の大きな実験場になるような気がする。

 シーカヤックでベーリング海峡をはじめいくつかの海峡を越えた。しかし基本的には海に関しては素人だ。トレーニングも強化していかなければならない。インドネシア、フィリピンの国境近くではイスラム過激派や海賊の動きも活発だ。安全対策も検討しなければならない。日本まではまだまだ遠い道のりだが、久しぶりにワクワクする高揚感もある。(スラウェシ島にて 11月15日 関野吉晴


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