2009年2月の地平線報告会レポート


●地平線通信352より
先月の報告会から

密林の風に吹かれて

岡村隆

2009年2月26日 新宿区スポーツセンター

■2008年2月26日に、岡村さんはNPO団体「南アジア遺跡探検調査会」に法人登録を済ませた。報告会当日はちょうど1年目の誕生日だ。宮崎県出身。受験誌に法政の探検部がインド洋のモルディブ諸島に遠征隊を出す、と書いてあったことから法政大学の探検部に入部。が、モルディブ探検の話は新入生を呼び込むためのいわば誇大広告だった。しかも1965年にイギリスから独立したモルディブは、独立間もない状態で民間人は誰も入れない。ならば行くべし。

◆現場に押しかければなんとかなるんじゃないか、と大学3年生の時、仲間3人とスリランカへ。そこにあるモルディブの大使館との交渉は難航したが、日本大使館の後押しを受けつつ3か月大使館へ通った結果、特例として入国許可がでた。

◆モルディブでは半年間過ごした。活動内容は、民族調査のまねごとだった。たいした成果は出せなかったが、3か月間入国交渉をしていたスリランカのほうで大きな収穫があった。スリランカ政府の観光局を訪ねたところ、スリランカでも探検の地はある、スリランカで一番大きなマハウェリ川を下るのはどうか、ジャングルのなかに、未発見の仏教遺跡がある、と提案されたのだ。

◆ゴムボートで川を下ったが、転覆などで計画は失敗した。帰国すると部員の遭難事故があり、探検部は一時休部に。部の再建にはきちんとした活動で成果を残そう、と考えた。スリランカのジャングルの遺跡というのは目的もはっきりしているし、調査隊をつくろう、と決意。モルディブから帰ってきて4年後、1973年にスリランカの仏教遺跡の調査隊を組織。7人の隊員で出かけた。

◆外務省や、現地の新聞社の協力もあり、現地の人たちが、猟や蜂蜜を採りに行った時の遺跡の目撃情報を基に、安全のため鉄砲撃ちを雇い、勘を頼りにジャングルに入った。遺跡を見つけ、地表に現れている建造物を測量。(発掘の許可はなかったため測量のみ)。その時は30数か所を測量し、形状を記録した。その時岡村さんは、このスリランカの仏教遺跡の調査を一回で終わらせる予定だった。

◆しかしその時出入りをしていた日本観光文化研究所にデータを持っていったところ、そこで先輩の探検家の方々から、「これは一回で終わるものではない」と言われる。ともかく報告書を出そう、ということで1975年に2回目の調査。76年には後輩たちが調査に行き、その2回分も報告書になった。このようにかたちになり始めたことでスリランカのジャングルの仏教遺跡からだんだん離れられなくなってきた。

◆1983年以降、スリランカは内戦状態になり、入国できなくなるが、その間も仲間うちでの研究は続けた。そして間はあいたものの、4次隊。驚いたことに調査地域が、開発のためジャングルもろとも消えてしまっていた。その後、ヤラ国立公園の近くにフィールドを移し、そこで遺跡を次々見つけ、測量調査をした。

◆1985年から島の南東部の調査。しかし再び内戦になり中断。その時釈迦三尊像を発見した。この発見の意味は大きかった。その遺跡のデータと場所の情報をスリランカ政府に渡し、帰国。内戦後、スリランカ政府から遺跡の再調査に取り組むため、日本の法政大学に一緒にやってくれないか、という要請が来る。遺跡の場所を掴んでいるOB中心の調査隊が現地に入った。しかし遺跡は破壊されていた。

◆1982年の朝日新聞にヘイエルダールが、無人島の密林に古代の太陽神殿を発見、という記事が載った。岡村さんは直感的に、違う、これは仏教遺跡に違いないと確信、それからすぐモルディブへ入り、遺跡の現物を見た。ヘイエルダールの発見は大々的に報道されていたので、毎日放送が植村直己さんを探検隊長として現地に入った。岡村さんはデータを持って帰る途中に、植村さんたちと会ったという。日本で立教大学教授の小西正捷さんにデータを鑑定してもらい、これはピラミッドではなく、仏舎利塔の遺跡だということが判明する。こうしてヘイエルダールの論が荒唐無稽だと、証明できた。その時のいきさつは筑摩書房『モルディブ漂流』に詳しい。

◆一方ヘイエルダールの『モルディブの謎』の訳本も同年出版された。見解が全く違う本が同時期に出たわけだが、ヘイエルダールの本の解説の部分で、訳者が「異論がある」と岡村さんの仕事を評価しつつ紹介、「ヘイエルダールを論破」と書かれた。気になっているのは、ヘイエルダールの本に日本人が下手な発掘をして遺跡を荒らした、という記述があり、(これは毎日放送のチームの仕業であった)これが自分と誤解されていないか、ということだ。どこかではっきりさせたい、と岡村さんは言った。

◆それ以降、モルディブの遺跡とも関わることに。そして30年もなぜこのように活動を長くやってこれたのか、という話に。まず初めに、現地の人と自然に惹かれたということ。「風が吹くとな、遺跡の赤い石が少しずつ削られて、密林の上を舞っていくんだ。かつて栄えた人々の暮らし。その証しがだんだんと空にね」。朽ち果てた遺跡を見て、無常というものを感じたという岡村さん。40度を超える、温度計が振り切れてしまうところでの作業は辛いが、瞬間、瞬間の楽しみがあったという。やはり現場それ自体が魅力的であったことは大きいと思う。

◆次に、自分を炊きつけてくれた周りの人々、若い芽を応援してくれる人の存在。先に述べた先輩冒険家たちの存在だ。一度行って、戻ってきた時に2回目が出るかどうか。2次隊、というものが非常に重要だという。最後に仲間の存在だ。自分の意識がそちらに向かないときでも、仲間たちは集まって研究会をやり続けたりした。

◆「仲間ってすごい大事。学生時代に遠征隊として行ったがそれっきりな人、フィールドをその他の地域に変えた人、それでも、残って、こだわってやっている人たちがいて、関係をずっと保ってきた。そういうことで繋がってきたから、たとえ10年くらい間があいてもまだ続けている、やっているよ、ということが言える。」

◆10年前だからといって、過去のことにはならない。それはむしろ過去のことにはしない、という意識のほうが大きく作用するのかもしれない。岡村さんが紹介してくれたスライドの中で、20才、35才、50才のそれぞれの岡村さんが現地で活動している様子が紹介された。なるほど、この3枚のスライドだけで説得力抜群だ。

◆岡村さんたちは今まで自分たちがやってきたことを考える。発展性がない。永遠同じことを繰り返している。マングローブをテーマに環境問題に転じた向後元彦さんのように、別の形で展開したり、ステージを変える、ということをやっているわけではない。これでいいのか? 果たしてこれはパイオニアワークなのか? 出口を求めよう、着地点を決めよう、という話になり、出た結論がNPOのかたちをつくる事だった。

◆我々だけでやっていては、先細りだし、我々も年をとるし、後継者が育ってきているわけでもない。これからはやることの対象も、もっと派生させ、やる人も限定しない一般の人たちの力もいれて、もっといろいろなことをしよう。そういう思いでなんとか去年の発足にこじつけた。現在の活動の内容としては、南アジアの未調査の遺跡の調査活動、研究活動、住民のために井戸を掘る、遠征のたびに学用品を寄付、古着を配る、など。

◆地域自体をもっと広げていくことや、スリランカ仏教遺跡の調査研究センターみたいなものが建てられないか、などいろいろ模索している。遺物の保管もしたいし、文化財の保管、陳列もある。やることは多いが、動きはなかなか遅いらしい。「だれかこの、私たちのグループを乗っ取ってくれる人はいませんか。乗っ取って、私たちの手から奪い取って、別の動きにしてくれませんか?」 発足1年にして乗っ取って発言の真意は何?

◆話は岡村さんの探検論へ。これは会場にいた人誰しもが聞きたかったことと思う。地理的空白がない時代になった今、その雰囲気を味わうことはスリランカではできるが、そんなものは非常にちっぽけであるという。探検というものは、ひとつのテーマを持って、テーマを追いかけることではないか、テーマの企画力がパイオニアワークと関わってくるのではないか…。

◆探検と冒険の違いとは何かについては、「探検というものは、100%安全でないといけない。探検とは、行為だけで完結するものではなくて、目的をどれだけ達成できるか、そしてそれは「報告」に表れると思う。現場に行って調べて、もって帰って、みんなに分かる形で説明する、という作業」。

◆2次会で岡村さんに聞いてみた。日常と冒険の折り合いみたいなものをどこでつけたのですか。岡村さんは、「それは僕も考えているところで、凡人にとっても探検・冒険とは何か、ていうもう一つのテーマみたいなものだよね。それも考えている一つのことなんだけど」と言った。岡村さんは決して凡人側の人ではない。そしてこの言葉の意味を考えてしまう私こそが凡人であり…。ああ、こういう話になると頭がぐるぐるしてくる。それとも意識的に自分で答えを出すことを先延ばしにしているのかも。地平線に来ている方々に聞きたい。あなたは24歳の時、何を考えて、何をやっていましたか?、と。(橋本恵


報告者のひとこと

16年ぶりの「地平線報告」をさせてもらって
岡村隆

■調べてみたら、地平線報告会で報告をさせてもらうのは1993年の第164回報告会以来、実に16年ぶりのことだった。しかも前回の報告テーマは「スリランカの遺跡探検・研究25年」。なあんだ、その25年が40年になっただけで、ほぼ同じことを、年の功で少し整理された頭と、少し巧くなった口でしゃべり直しただけじゃないかと自嘲の思いもないではない。いや、むしろ語りたい「探検」の中身への純真で率直な思いと、それを誇って他者に伝えたい思いとは、己の生きる世界が狭かった分だけ前回のほうが強かった気もする。

◆旅や探検で、それを実行する主体、すなわち行動者が、エネルギー源となる「ある感覚」を持つのは当然であろう。サバンナや砂漠を吹き渡る風、木漏れ日の揺らぎ、雪原の静寂、朝の目覚めごとに聞く鳥の声、触れ合う人々の心と、曰く言い難い現場の匂い……。そこになにがしか「発見」の喜びや充足感が加われば、旅や探検は確かにその人のものとなり、行動を続けさせる熱源とはなるのだろう。

◆しかし、話を聞く側、あるいは行動者を送り出して迎える側から見たときに、こと「探検」に限って厳しく言えば、それら個人の「感覚」や「主観」などはどうでもよいのだ。探検は主体的行為ではあっても決して「主観的」な行為ではなく、あくまでも社会や歴史に作用する営みである。プロセスではなく結果が第一で、その「結果」も、自ら客観化できて「新たな価値の付加や創造」が伴わなければ、大した意味は持ち得ない。

◆そう信じているからだろうか、今回の報告会での私の話は、自己満足的な「感覚」の「喜び」などは極力語らず、行為そのものと「結果とその先の可能性」だけを、己もろとも客観視して語ろうとしたあまり、潤いもワクワク感もない半端なものになった感じが否めない。そんな話を、(かつて「旅と探検」の講義を受け持っていた大学の学生たちよりはるかに熱心に)聞いてくださった皆さん、本当にありがとうございました。ついでに、お話しした新NPO「南アジア遺跡探検調査会」へのご参加、よろしくお願いいたします。いえ、こちらではもう「探検とは何ぞや」などと固いことばかりは言いませんから。その先にある多様な可能性を、新メンバーとともに目指して動きますから――。


アジア遺跡探検調査会はスリランカの密林地帯に遠征隊を出します!!

■今回の会終了後、何人かの方に岡村さんの発表の感想を尋ねてみたのだが、おおむね好評だった。さすがに話のうまい岡村さんだけのことはある。ひとつだけ岡村さんの話に不満がある。謙遜を込めての話だとは思うが、30年以上にもわたって遺跡探査活動を続けてきたことを、「マンネリである」、「発展性がない」と決めつけていたことである。たしかにひとつのことを延々と30年も続けてくれば、マンネリになることもあるだろう。しかし、スリランカの遺跡探査に関しては事情が異なると思う。

◆ゾウやクマ、コブラやインドオオトカゲなどの野生動物がウヨウヨしているジャングル、小高いところへ登って下を見下ろすと、はるか地平線まで広がっているうっそうとした広大なジャングル。そしてその下には、まだ「未発見」の遺跡が人知れず眠っているジャングル。南米のアマゾン川流域とは比較にならないかもしれないが、それでもこのような地域が、日本の北海道よりも小さな島国(総面積65,610平方キロ)に残っているというのは、一種の奇跡であるかもしれない。そしてこのフィールドに出会ったことは、とても幸せなことだと思う。

◆私たちは過去7回、スリランカの密林地帯に遺跡探査隊を派遣したが、それでもまだまだ密林の中には「未発見」の遺跡が残されたままだ。ガラ(岩丘)の上で風化した仏塔跡、20メートル先も見えないような密林の中に打ち捨てられた石柱群、足の部分が土中に深くうずもれた仏像や菩薩像、こうした遺物が人知れず、今もジャングルの中に打ち捨てられた状態で残っているのである。これはある意味で、古典的な意味での「地理的探検」のフィールドではないだろうか。地図の空白がなくなり、人工衛星から地球の隅々まで見渡せる今の時代に、ワクワク・ドキドキさせてくれる場所、それがスリランカのジャングルではないかと思う。そして、こうした場所が残っているからこそ、私たちは30年以上にわたって密林遺跡探査隊を派遣し続けてきたのであり、またこの活動をより発展させるために、一般市民に広く開かれたNPO法人を設立した所以でもある。

◆さて、ここからは少し宣伝になるのですが、私たちのNPO法人は今年と来年の夏にスリランカへ「密林遺跡探査隊」を派遣する予定です。北東部のマハウェリ川中流域、ワスゴムワ国立公園が対象地域で、スリランカ政府考古局との合同調査を予定しています。関心のある方は、ぜひ以下のホームページにアクセスしてください。なお私事ですが、私は明日(3月7日)からスリランカへ行きます。農村調査が主目的ですが、今夏の探査予定地の偵察や現地諸機関への根回しなどもかねています。4月11日には、今回の偵察報告をNPO法人主催で行う予定です。詳しくはこれもホームページをご覧ください。南アジア遺跡探検調査会: http://sarers.web.fc2.com/index.html執行一利


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