2015年3月の地平線報告会レポート


●地平線通信432より
先月の報告会から

鳥の眼と森の心

多胡光純 多胡歩未 多胡あまり

2015年3月27日  榎町地域センター

■第431回目の報告会は、のどかな映像で幕をあけた。田んぼのあぜ道に女の子がぴょこぴょこ走ってきて「はじまるよったらはじまるよ、地平線会議はじまるよー!」。手拍子しながら体いっぱいで歌う姿に、思わず会場から拍手! 報告者は、5才になったあまりちゃんのパパとママ、天空の旅人の多胡光純さんと木のおもちゃ作家の歩未さん夫婦。異なるフィールドを舞台に表現活動をする2 人の物語、はじまり、はじまり!

◆2人は活動のベースとなる「そらともり株式会社」を2009年に設立した。「そら」こと多胡さん、「もり」こと歩未さん。横ならびに座り、夫婦漫談さながらに対談形式で報告会は進んだ。歩未さんが「まずは起源をさぐりましょうか?」と切りだせば、「じゃあ学生時代から!」と多胡さん。まだ出会う前、それぞれどこで何をしていたのか?

◆さかのぼること20年。多胡さんは獨協大学探検部に所属しカヌー三昧の日々。大きな空間が好きで、とくに魅了されたのがカナダ北部とアラスカ。「大地を旅し、高台にのぼって被写体が包まれる空間をのぞむ。土地のバックグラウンドがわかる瞬間がたまらない」。卒業後はアルバイトしながら旅をつづけ、さらなる高さを求め28才で空飛ぶ道具モーターパラグライダーの訓練を開始。1年後カナダで「天空の旅人」になった。「飛ぶと枠がなくなる。地球が見えてもっと旅したくなる」。

◆歩未さんは、武蔵野美術大学在学中からおもちゃ作家になりたかった。卒業制作「かせきごっこ」はその年の優秀賞に。卒業後、働いてためたお金でドイツへ。おもちゃ職人ノベルト氏の人柄と工房窓からの眺めに感銘を受け、弟子になりたいと直談判。2年間の修行生活では「技術よりも、生きかたを吸収してきた」。ノベルトさん一家は自らの手で家をリフォームし、夜は庭でワインを飲みのんびり語らう。「好きなことを仕事に、マイペースではたらいて。豊かな生活に驚きだった」。25才で帰国した歩未さんは、京都の加茂町にアトリエarumitoyをオープンした。

◆多胡さんが異国の空を舞い、歩未さんが自身の城を構えた2004年の秋。東京で「地平線会議300回記念集会」が開催された。このとき彗星のごとくあらわれた多胡さんは報告者として、歩未さんは裏方のタイムキーパーとして、報告会中に初対面。修行話であっという間に意気投合し、2006年結婚。結婚1週間後には1ヶ月の海外ロケへ出た多胡さん。マダガスカルでバオバブの木々の上を飛ぶ映像を見つめていると、不思議なくらい心がからっぽになり、意識がぐんぐんすいこまれていく。

◆夫の不在中、歩未さんは制作に没頭。「くしゃっとして、するっともとに戻って、えっ!てなる」。この発想を形にした「クォーター親子」は、ユニークな球型動物。机に置くと一瞬で4分割してぺちゃんこになるが、持ち上げるとまた球体に。ドイツで苦戦した試作品第1号から10年。研究と改良を重ね、赤ちゃんがなめても安全な天然色素で染めた最新版が2014年グッド・トイ賞を受賞した。

◆「人の暮らしは川の周辺に広がる。源流のチベットから下流の上海まで飛べば、今の中国がわかるかも」と、2010年長江に挑んだ多胡さん。「好奇心に導かれて旋回し、感動をそのまますくいとるように飛ぶ」と映像を解説。山を越え、カメラは雲南省イージンカ村の集落をとらえた。「人は初めてモーターパラグライダーを目撃すると棒立ちになる。でも2度目は手をふってくれる」。もっと見たい、知りたい。「目の前で展開される光景に夢中で向かっていった時代」だった。

◆外へ出る多胡さんとは対照的に、歩未さんはアトリエにこもる。初の動くおもちゃ「知りたがりやのzappie(つぁっぴぃ)」は、「あほっぽさがarumitoyらしい」と商品化。ネーミングの由来は「落ち着きなくそわそわする」という意味のドイツ語。家の前を通る幼稚園バスの窓にならぶ、外の景色をのぞこうとする園児たちの表情から思いついた。頭に浮かぶイメージをスケッチブックに描き、どうすれば実現できるかいつも試行錯誤。

◆「こんなのも作ってます」と歩未さん。「あ、これ、しゃべるやつじゃん」と多胡さん。「成長もするしね」。「よく食べる」。スライドに写ったのは、生まれたての人間の赤ちゃん。「来てくださーい」と呼ばれ、元気なあまりちゃんが登場。一番好きなママのおもちゃは「zappie!」。

◆ここで休憩時間に。お子さんの参加が多いはずと、原典子さんが焼いてくださった美味しいクッキーがふるまわれた。会場のうしろには、眺めているだけで心温まるarumitoyのおもちゃがずらり。その横ではモーターパラグライダーのエンジンがぴかぴか赤く輝く。多胡さんと歩未さんが来場者の質問に丁寧に答える間、子どもたちはにぎやかに会場を駆けまわっていた。

◆後半はスランプの話。海外を中心に飛んでいた多胡さんは、やがて行きづまりを感じるように。「海外の被写体には力があり、すぐ感動してそれなりに撮れてしまう。だがわからない、自分はいったい何に感動してカメラワークをしているのか」。自問自答するうち、自然を撮りたいのだと自覚。よりよく撮るためには?とまた悩み、日本人として日本の自然を知り、自分の「尺」をもつ必要性を強く感じた。

◆日本の里山を知ろうと、多胡さんは新潟県山古志村へ。村では棚田の最上段で養鯉を、2段目より下で稲作をする。タンパク源に乏しい山奥で継承されてきた知恵だが、山古志ブランドの錦鯉は今や世界で大人気。多胡さんは村に寝泊まりし、親しくなった村人になぜ鯉を養殖するのかと疑問をぶつけた。期待していた答えは「芸術性の追求」。しかし実際の返答は「錦鯉は金になる」。雪深い傾斜地で生業を営む人のリアルな声だった。

◆福島の四季を撮るプロジェクトでは会津地方只見川を飛んだ。「白神山地の4倍ある日本一広いブナ原生林が今なお残るのは、28個ものダムが存在するおかげ」と地元の人。多胡さんが見とれた浅瀬もダムが作りだしたもの。周辺には電力を関東へ送るための電線。美しい風景を空から眺め、足で歩いてそこにまつわる情報を聞き知るたび考えさせられる。「きれいな部分だけ出すやりかたもあるが、安直にそこに行きたくない」。日本を旅した多胡さんは、結局また自分の目線を問われた。

◆2012年改装オープンした阪急うめだ本店おもちゃ売り場には、歩未さんが仲間と共作した高さ1メートル半のおもちゃが飾られた。これまで手がけたなかで一番大きい作品だ。一番ちいさいのは、新作「うとぴれすと」。大人の指先ほどの動物、家、木、かきねなど約40種類のパーツを、好みに配置して箱庭のように遊べる。制作中に出る木の端材で作ったおもちゃで、「うとぴれすと」の語源は「ユートピア」+「レスト(余り)」。「空間を自分の世界観で演出し、広がっていくユートピアをずっと表現してみたかった」。

◆歩未さんは5年前に出産。育児に追われ、いざ仕事に復帰したときは制作ペースが大幅に乱れて戸惑ったという。「日々仕事をこなすことで精一杯。エネルギーをクリエイティブに注げなくなった」。やっとの思いでzappieを生みだしたが、「はたと気づいた。このまま思ったことを形にするだけでいいのかな」。ものづくりの根本的な疑問を感じるように。

◆同時期に壁にぶつかった2人、「ひょんなことから農業はじめました」。家庭菜園をやりたくて近所の人から借りた休耕田が1反半もあり、畑と田んぼにした。「やると言ったからには引き返せない」と膨大な雑草抜きに向き合うが、終わりのない単調作業で多胡さんは心が折れそうに。横にいる歩未さんに聞くと「草抜きのときに草抜きのことなんて考えてないよ、私」と涼しい顔。

◆感化された多胡さんは、農作業中さまざまな思考をめぐらすようになった。土地で暮らす人の話を聞き、彼らを包む空間を撮る自身のスタイルについて、「日本でこれを繰り返せば今後も表現はできる。しかし自分がもっと地に足をつけるべきだ。人様の生きざまを撮るだけでは空間の傍観者」と考え、自分の世界観を提示する作品を作ろうと決めた。その第一弾が国内外で撮りためた映像をおさめる全3巻のDVDだ。

◆「自分の世界観の提示に全力を捧げ、作品のもとで人生を動かすもりさんのスタンスに魅せられた」と多胡さん。作品制作には5年前から思いがあったが、当時は自分の軸がわからず動けなかった。「今もこれが自分の目線だとは言いきれない。でも少なからず発信していかなければ」。完璧なんてない。この波のなかで活動し、自分の世界観で日本を撮る。「派手さはないが着実にこの活動を積みあげていきたい。なぜなら母国だから」。これが、多胡さんの「やっぱり日本プロジェクト」。

◆歩未さんは考えていた。「いったい何がやりたいのか?」。充実感が大きかった阪急の仕事を思い返し、「自分だけでなく社会的に意味がある仕事をしたい」という気持ちが高まった。ふと隣を見ると、「そらさんはカメラをかつぎ上がって下りてくるだけ(笑)。でもその映像を見た人が、感動したとか、泣けたと言う」。映像の情景とそれを見る人の間に何らかの接点があり、心を動かされるのではないか。多胡さんの映像には公益性があるのだ、と自分なりの答えを出した。

◆その視点を自身の活動に転換し、行き着いたのが「環境問題に関わりたい」。以前から、間伐材のことが気になっていた。間伐材とは、戦後の植林政策により密生しすぎた森で、太陽光が地面まで届くよう間引かれる栄養不足の細い木。柔らかすぎて加工しにくく耐久性もないため、おもちゃには適さない。チップにしてプレスする利用方法が常識範囲だが、そこに正面からおもちゃ作家として関わってみよう。歩未さんの新たな挑戦だった。

◆コマ撮りした「うとぴれすと」の楽しい映像が流れ、1コマごとにパーツが増えて最後は京都府木津川市の風景に。奥には山、山、山。山の上に重要文化財指定の海住山寺。手前には浄瑠璃寺、蟹満寺。右奥に大仏鉄道。ところどころに柿の木、たけのこ。畑にやってきたサルやイノシシ。家や軽トラなど人の暮らしも。「材料は木津川市の間伐材。私がやりたいのはその土地で出た間伐材の地産地消、それを日本全国で展開できたら」。

◆アトリエの端材を再利用するアイデアは、社会のもったいないを活かす夢へと広がった。「こんないいものがあるんだと、その土地について発見してもらえたら嬉しい」と歩未さん。「自分の世界観を表現する活動を、公益性をもちながら全国で拡大していきたい」。これが、歩未さんの「やっぱり日本プロジェクト」。

◆「振り返ると2人の活動が意外なところでリンクしていた」と歩未さん。「意外なところで嫉妬して、魅せられて」と多胡さん。それぞれの取り組みを通じ、「母国への理解を深め、日本人としてものづくりの道を深めたい」。その延長線上には「世界もいいねプロジェクト」の展開も見すえる。人生のバイオリズムが似ていると話す2人は今、「さあ、また山をのぼっていこう」という地点。ここから、これから、どんなものが生まれていくのだろう? 家族の物語はつづく、つづく!(大西夏奈子


報告者のひとこと

新たな10年が始まろうとしている

■「ドローンは脅威ではないですか?」。報告会の最後に当てられた質問が、この会をいっそう引き締めた気がしている。ドローンとは無人航空機を指しマルチコプターの名で知られる。このツールの登場で小学生でも空撮ができるようになった。質問は、ドローンがあるのに、わざわざリスクを冒してなぜ飛ぶの? 意味あるの? この先空撮で喰っていけるの? と言うことだと理解している。

◆ドローンの登場で空撮業界の勢力図は変わった。お陰さまで「そら」の仕事は減った。正直、ドローンを研究し、購入寸前までいき、そして気がついた。地上で想定した予定調和を撮るために飛ぶのではない。空を自由に舞い、被写体を包み込むその先の世界を知りたいのだと。簡単にいうと、自分で飛び、自分の目玉で見たいということだった。

◆商業路線でいくならば、ドローンに分がある。けれど、それに沿いたいとは思わなかった。そうと決めたらあとは作品勝負の世界である。一枚の空撮写真から、一本のフライトラインからどこまで魅せることができ、語れるか。自分自身、活動の真を問い、見る側も当たり前に問うてくる時代になった。

◆新たな10年が始まろうとしている。一方、「もり」の間伐材うとぴれすと。これもまた材料を間伐材に変えただけで済まされる生優しいものでは無いと見ている。間伐材で作られたオモチャは世の中に何となくあるが、アートになっていないと「そら」は思う。間伐材をネタに売れれば良いというレベルで収まっている。そこに「もり」のアート性と間伐材との融合であるみワールドの展開を狙う。しかも間伐材の地産地消が構想に練り込まれている。

◆これまた、新たな10年が始まろうとしている。どちらかの活動が安パイに寄り、片方がトライアルなら家計も助かろうものの。どうやら「そら」と「もり」のバイオリズムはそうでは無いようだ。一緒に活動の失速を味わったことはあったけれど、一緒に上昇したことってあったっけ? 双方勝負にでちゃうので、共倒れにならぬよう、今後とも「そらともり」見守ってやって下さい!(「そら」こと天空の旅人 多胡光純

二人が目指す方向性こそが話したかったので、その部分が語れた事は私達にとって大きな収穫でした

■一人での報告会ならまだしも、二人でしかも夫婦でなんてもちろん初めての事で、打合せが討論になり口論になったりして、なんとか「対談」の形にまとまりました。何度もネタ合わせを繰り返しおおかた骨組みができた頃、江本さんから「出だしが大事だからっ!」とクギをさされたので、大慌てで例のオープニングVTRを作ったのでした。

◆今回の報告ではラストの「やっぱり日本プロジェクト」まで持って行く為に本来なら話すべき部分をバッサバッサと削りました。ドイツへ行くまでの話もしていないし、ドイツでの話、人生観の話、制作自体の話、紹介した以外のおもちゃ達の説明もしませんでした。それでも、今の段階で二人が目指す方向性こそが話したかったので、ちゃんとそこの部分が語れた事は私達にとって大きな収穫であります。

◆自分たちの活動の過去と未来を整理する非常に有意義な経験でした。自分の事は全く客観的に理解できないので、どのようなポイントを話せばいいのか、どこら辺に面白みがあるのか、どこら辺は理解されないのか等、本人には当然すぎて通り過ぎてしまう部分を二人で夜な夜な洗い出す作業は新鮮な驚きすらあり、一人では成し得なかったとつくづく思っております。

◆そらさんにぐぅの音も出ないほど突っ込まれて答えに窮し、腹も立てつつ答えを探る。なんでこうも私は「説明」する内容を持ち合わせていないのだろう……と。「こう思ったから」「こうしたかったから」と小学生みたいな理由ばかりが出て来るのです。それがそらさん曰く、直感と勢いでだけで生きてきたという事らしいのです。そんな私を深く掘り下げる作業にお付き合いくださったそらさんには感謝です。

◆それから、大変な言い忘れがあったのを帰宅してから気がつきました。言い忘れというよりは、すべてが終わってようやく思い出したというべきか……。先にも書いたように、江本さんからありがたいアドバイスをいただいた際、「結婚式の写真を入れるべし!」との命が下り、拒否すると「オレが勝手に出すぞ!」との脅しまで入り、泣く泣くその写真を入れる事になったのです。

◆ですから結婚のくだりはなんとかすっ飛ばしたい一心であっという間に通り過ぎたのですが、実は江本さんは我が家の「顧問」だったという事を二人して急に思い出したのです。顧問とは辞書に「相談を受けて意見を述べる役」とあります。と言うことは、江本さんは我が家の重役という事なのです。Oh! 薄情者でごめんなさ〜い!

◆それにしても夫婦でトークして、ムスメまで出動させるなんて、こんなのは地平線だけのバージョンです。他では考えられません。そんなある意味ホームのような会なのに地平線報告会は緊張しました。魔物がチラ見してたかも。(あるみ

ちへいせんかいぎたのしかったね〜

みんなのまえでちゃんとおはなしできてよかった。ゆずちゃんといっぱいあそべてたのしかった。ちへいせんかいぎたのしかったね〜。(らいよんぐみ(進級しました!) たごあまり


空と森の創造者

 青山のアジア会館で開かれていた報告会以来の久しぶりの参加となり、会場の新宿スポーツセンターは想像していた以上に立派で、なにやら昭和が懐かしく1997年(平成9年ですが)に企画開催した写真展「地平線発」が遠く昔のように思えた瞬間、見知った顔・顔・顔、江本さんの後ろ姿を目にしたとたん、あの頃の苦しくもピュアな感性が甦ってきた。多胡さんご夫妻の「鳥の眼と森の心」は何を見ているのか? 私たち二人の眼と心の原点も“地平線”にあったような気がしている。

 「空」を舞台に映像制作する多胡さんと、「森」の木を素材として自己表現する歩未さん。多胡さんと歩未さんの報告は「創造者とは何か」に集約されていた、と思えた。多胡さんは社会から作り手へ、歩未さんは作り手から社会へと視点が広がり表現者から創造者へと目覚めた。もの作りに美意識は必須だろう。しかし何をもって美とするか。多胡さんのように、自分の「尺」を持つために、地元の人と話をし、地に足を着ける必要がある。そして風を待つ。

 中国の六朝時代に「風(かぜ)と景(ひかり)」の意味から「風景」が成立したと言われ、1894年志賀重昂(しげたか)の『日本風景論』によって「風景」という言葉が一般に広まったとされる。山を撮影し、木を加工する多胡家にとって木のある風景はなくてはならないもの。美術批評家の中村敬治が述べている。「木を気にし木の気に触れてきがふれて、それを機に人は芸術家となる」。

 「日本プロジェクト」を立ち上げた二人。日本の素顔を求めて上空から母国の四季の姿を撮る多胡さん。歩未さんは日本の森と間伐材に着目し、公益性を深める。美の基準をもつため行動を起こした。福島県の只見川河畔林には、世界遺産である白神山地の4倍のブナの森が広がるが、28のダムもあり電線だらけ。真実を求める多胡さん、すべてが美しく撮れてしまう自然の風景に潜む理不尽な現実をいかに映像に反映させていくか、今のところ明快な回答はないと言うが「淡々と撮影を続けて行く」と、創造者としての宣言に聞こえた。

 自然を深く見詰めた画家セザンヌの言葉とされる「感覚の実現」をすでに多胡さんは達成されているだろうが、一流が一流を超えていくように良質の映像作品を鑑賞することが大事な気がする。表面的な美しい映像だけでは終わらないビル・ビオラの高速度撮影による超高精細映像をスローモーションで映し出すビデオ作品《グリーティング/あいさつ》(1995)や、フレデリック・ワイズマンの善悪が反転してくる映像ドキュメンタリー映画《法と秩序》など、心打つ映像作品にヒントがありそう。

 聞く力を伴った誠実な話しぶりだった多胡さん。きっと人間を撮ってもよい映像を撮れる。ドローン映像とは異なる人間空撮の魅力発揮はこれからだと期待している。(アートプランナー・影山幸一/編集・本吉宣子


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