2019年10月の地平線報告会レポート


●地平線通信487より
先月の報告会から

“あたりまえ”が奇跡なんだ!!

近藤 瞳

2019年10月25日 新宿区スポーツセンター

━━15年間 126か国の旅

■ひとみ節炸裂の2時間半。いつしかみんなが彼女の虜になっていた。これまで15年間、約126か国を旅してきた生粋の旅人、近藤瞳、35歳。彼女との出会いは昨年の春、当時大分に住んでいたわたしが、熊本で行われる米作りのイベントに参加したのがきっかけだ。イベントの主催者から連絡があり、「ちょうど大分からヒッチハイクで来るって言う旅人さんがいるので、よかったら乗せて来てもらえませんか?」と頼まれ、二つ返事で了承した。最寄りの駅まで迎えに行くと、大きなスーツケース(当時はバックパックではなかった)を抱えたキラキラの笑顔の女性が立っていた。

◆「現地へ向かうまでの2時間半、話題は尽きることがなかった。彼女が15年間一度も就職もせずにずーっと旅をしていること。旅先で起こる数々の奇跡。何にも縛られず、真の意味で自由に生きる彼女に心底憧れた。そしてこの人は流れに乗るのがとても上手なのだなあと思った。「流れに乗る」ためには自分の感覚をとことん研ぎ澄ませていないとできないというのは、わたし自身も旅する中で感じたことだ。

◆いい流れに乗ればぽんぽんと次々いい出会いに導かれるが、悪い流れに乗ってしまうと負の連鎖が起きてしまう。どちらを引き寄せるかはその時の自分の直感や判断に委ねられる。熊本の目的地に着き、わたしはイベントを終えて翌日帰ったが、彼女はすっかりそこを気に入り、その後1か月間そこに住み込んでいた。

◆それからしばらく会うことはなかったけれど、SNSで彼女の旅の行方をずっと追っていて、彼女が発する言葉やストーリーのひとつひとつがとても興味深く、気付けばわたしはすっかりひとみファンの1人となっていた。彼女は誰よりも「今」「ここ」を体現していて、いつも過去への後悔や未来への不安に苛まれているわたしにとっては、一種の嫉妬も混じった憧れの存在となった。世界中を軽やかに飛び回り、どこに行っても誰といても自然体で飾らない人柄に誰もが惹かれ、会うだけで元気になってしまうのだ。

◆そんな彼女の数奇な半生についてぜひ地平線でも話して欲しいとラブコールを送った。だが彼女がこれまでやってきたお話会はいずれも少人数の対話型、かつ参加者の想像力に委ねたいがために映像等はあえて出さない、というものだったから、大人数かつスライドを使うスタイルには抵抗があるようだった。それでも江本さんに彼女の話をすると、忙しい中2度もひとみちゃんのワークショップに駆けつけてくださり、その熱意に打たれて今回の報告会が実現した。

◆今年の8月から「地球に生きるワークショップ」を始めたひとみちゃん。これまでは半年日本にいる間に、ホテルやレストランに住み込みで働き、お金を貯めてまた海外に出るというスタイルだった。しかし30代に入ってから特に自然や循環可能な生き方に興味を持ち、きわめつけは今年の1〜6月に訪れた南太平洋の国々で目の当たりにしたゴミ問題。訪れた島の大きさとほぼ同じくらいの島がゴミで作れるほど、大量のゴミが海辺に流れ着いていた。「今まではお金を簡単に貯められるからという自分本位な理由でホテルやレストランで働いていたけれど、廃棄物をたくさん出すこの業界にまだ加担していていいのかという疑問が生まれました。そして思い切ってやめよう、『自分を生きる』ことでお金を生み出そうと思いました」と話す。

◆そんな時、脳裏に浮かんだのは2016年に訪れたイギリスのシューマッハカレッジという、持続可能な思想をベースに農業や哲学、経済学を学ぶための学校。創業者のサティシュ・クマールさんは核大国の首脳に核兵器の放棄を説いて核保有国(当時4か国)の首都(モスクワ、ロンドン、パリ、ワシントン)を訪ねて14,000kmを歩く「ピース・ウォーク」を実施した方。「ピース・ウォークをするならお金を持って行くな」という師匠の言葉を忠実に守り、世界中の人々にお世話になり、助けてもらいながらひたすらに歩き続けた。

◆そこを訪れた初日に、地球46億年の歴史を4.6kmになぞらえて歩く旅の中で体験するワークに出会った。100mで1億年分進むことになるが、最後のわずか数cmで、人類が誕生し、地球に対して「なんてことをしてしまったのだろう…」と衝撃を受けたと同時に、「いつかこれをワークショップでやりたい!」とその時から温めてきた。「自分を生きることを職業にしようと決めた時、真っ先にこれが浮かびました。経済資本主義、お金が社会を悪くしたと思っていたけれどそんなお金の概念も変えたかった。お金を悪者にするのではなくいいエネルギーとして受け取りたいと思いました」と言う。

◆昨年1年間は食のルーツを知りたくてヒッチハイクで日本中を回っていたが、その時お世話になった人たちから声をかけてもらい、当初は8〜10月の3か月の予定が、はじめるや否や次々に依頼が飛び込んできて、来年1月まで全国45箇所で開催することに(ちなみに筆者も一度彼女のワークショップに参加させてもらったけれど、わたしたちがいかに奇跡の連続の上に生きているのか、そしてその奇跡を一瞬にして踏みにじろうとしてしまっているのか、頭ではなく身を以て実感することになった)。

━━ディカブリオとの“出会い”

◆ひとみちゃんは、10代の頃は特に海外に興味はなかったようだ。元々小さい頃から親に「あなたは何もできない」と言われて育ったため、自分でもそう思っていたし、生まれ育った福島から出ることすら考えもしなかった。だが中2の時、友人に半ば無理やり連れて行かれた映画館で「タイタニック」を観てディカプリオに一目惚れ。映画のタイトルも彼の名前も知らなかったが、友達にも恥ずかしくて言えないので雑誌を探しに本屋へ走った。

◆当時部活でバドミントンをしていた。将来は得意だったスポーツ選手になるのでは、と漠然と思っていたが、これを機に英語を使う仕事に就こうと決める。0点だった英語が100点を取るまでに勉強し、大学は英文科に行こう、それまではバドミントンを全力でやろうと決意する。中学では1回戦で負けるような選手だったが、毎朝5時から猛練習し、高校では国体に出るまでになった。

◆そこでスパッとバドミントンはやめて予定通り大学は英文科に。そして20歳の時に初めてアメリカへ。折しもアカデミー賞の授賞式の時期で、友人と5人で見に行ったが、タイミング悪くディカプリオが通る直前に自分の目の前にリヤカーを引いたホームレスが立ちはだかったために、自分だけ見ることができなかった。それが悔しくて半年後に今度は単身アメリカとメキシコへ。「日本とこんなにも違うの!?」と今までの当たり前が通用しないことに衝撃を受け、「たった2か国だけでもこんなに違うのなら、世界は一体どれだけ違うのだろう? 見てみたい!」とそこから旅に目覚める。

◆帰国後は就職活動の壁が立ちはだかる。旅行関係の仕事を目指し、独学で国家資格を取り、旅行会社に内定もしたが、「25歳になった3年後、同じ仕事をしている自分と、世界一周をしている自分、どっちに会いたい?」と問うた時に明らかに後者だったので、就職はやめた。中学のバドミントン時代から、負けず嫌いでプランを立て時間を逆算して考えるくせを身につけていたのだ。

━━月100万円稼ぐ日々

◆ワーキングホリデーでオーストラリアへ1年間。そこで貯めたお金でディカプリオ映画の聖地を4か月間野宿しながら巡り、24歳で帰国。旅をするにもお金を稼がないとやっていけないと身にしみた。どうせ働くのなら行ったことのない場所で、と京都のホテルで働き始める。同じ頃、ネットワークビジネスに出会い、ハマって行く。当時のモットーは「愛よりお金」。見た目や持ち物にこだわり、常に化粧をして金髪にしていないと生きていけないと思っていた。同時にアルバイトや夜の仕事も掛け持ちし、月100万円以上稼ぐ。

◆だがお金や男女関係にルーズな上司を見て、欲望はとどまることを知らないと気づいた。「自分に集まって来る人たちは自分じゃなくてお金や名声に寄ってきているのではないか?」と不安は募る。旅をすることに対して上司から怒られる。なんで未来のために生きないんだ? 目標を立てて今を犠牲にしろ。「今」じゃなくて「未来」のために我慢しろ、頑張れと言われることに疑問を感じながらも、29歳まで続けた。その最中にいるときはわからなかったが、客観的に見てはじめてヤバイと気づいた。結局そこから脱出するのに6年かかった。

━━東日本大震災の衝撃

◆転機が訪れたのは東日本大震災。福島の実家は無事だったが、友人や知人を亡くし、自分も何かしたいと物資を集めることに。自衛隊の友人から聞いて必要な物資は分かっていたので、携帯電話に入っていた連絡先に片っ端から連絡して1週間で180万円を集め、物資を積んで2週間後に現地へ。引っ越しシーズンだったのでトラックを借りるのも(しかも現地で需要の高いガソリンを使わないディーゼルの2t車を探していた)、高速の通行許可証を取るのも、他人からは無理だと言われていたが、奇跡的にうまく事が運び、無事に物資を届けることができた。

◆被災した現地を訪れて、今まで生きてきた世界が変わり果てた姿を目の当たりにして、すべてが崩れた。これを機に、自分が信じていた物質的なものから、目に見えないもの:生きる力や自分自身の強化(対応力、受容力、体力、コミュニケーション力)へと徐々にシフトしていくことになる。東北ではありえない悲惨な状態になっているのに、京都に戻ると普通の生活が流れている。あまりのギャップに初めて心が壊れ、半ばうつ病のような状態になった。

◆だが精神科に行った時の問診票の設問を見た時にハッとした。30くらいある質問が、その日の機嫌次第で誰でもうつ病と判断されてしまう内容だったからだ。うつ病かどうかは医師ではなく自分で決めるのだと気づいた。薬も渡されたが、一切飲まずに自分で決めよう、自分でちょっとずつ矯正しながら生きていこうと決意した。自分を好きになるため、自分に自信をつけるために、1か月に1回日本のどこかを巡ることにした。

◆毎日小さい何かをはじめる。今まで大きいものばかり見る目標志向型だった。勝ち負けで全てを判断し、できない人を見下すほどに人格も歪んでいたが、震災をきっかけにいかに自分がどうしようもなくて、一人じゃ何もできないのかを思い知らされた。運動は「運が動く」と書くように、止まっていてはダメだと気づいた。また、物事を多角的に見る視点を養わないといけないと思った。地球儀で日本だけ見ていたら反対側にある南米やアフリカが見えないのと同じように、震災を悲しい出来事として捉えるのではなく前向きに捉え、生きる力に変えようと思った。

━━お金を持つ旅はつまらない

◆本当にお金が全てなのか、という疑問も生まれた。引き続き旅もしていたが、お金を持っている旅はつまらないと思うようになった。お金は一番簡単で脳みそを使わない手段で、旅をしている・生きている感覚がしないと感じた。翌年アフリカへ。そこでまた衝撃をうける。想像以上に全く思い通りにいかない。だが生きる力、コミュニケーション力、受容力を身につけるにはうってつけの場所だった。お金があっても役に立たないことも多く、とにかく頭を使わないといけない。

◆雑魚寝しているところに割り込んだり、荷物の中に隠れたりして寝る。現地の生水を飲み、ハエがたかった肉や魚を食べる。周囲を自分に合わせるのではなく、自分が地球に合わせる。カメレオンのように生きていたい。そのためにまずは自分がその土地のものを食べ、流れる水を飲めないといけない。ちょっとずつ身体に投入し、いろんな菌を入れていこうと思った。ここで大事なのは「ちょっとずつ」ということ。一度に入れたら毒になるかもしれないが、一口ずつ、自分にバレないように自分を変えていく。

◆その甲斐あってか、インドに行った時に同じものを食べて目の前の人は食中毒になったが、自分は今までお腹を下したことがない。5人乗りの乗用車に9人詰め込まれる。9人集まらないと出発しない。出発までに24時間かかり、荷物を積みすぎてパンク、修理にまた24時間。窓を開けたら悪魔が入ると信じる宗教の人もいて、50度の気温の中をエアコンもかけず窓も開けずに進む。隣の人の汗が染み込み、セクハラを受ける。

◆予定が組めず、未来なんて読めない。おかげでどこでも寝られるようになった。国境越えで賄賂を逃れるため、その場で知らない人に声をかけ夫になりすましてもらい、お礼にごはんをごちそうするなどして切り抜けたこともある。この時もまだネットワークビジネスを続けていたが、徐々に「今を生きる」ことにフォーカスしていく。ツアーに参加した時、「なんで日本人は今日でなくて明日の予定や最終日の予定ばかり聞くんだ?」と聞かれて衝撃だった。

◆アフリカで狂犬病の犬に噛まれた時も、「あ、死んだな」と思ったが、とりあえず気を紛らわすために観光する。夜になって調べてみたら致死率100%だと知る。でもその時、「幸せだ」と気づいた。「もし今日が人生最後の日だったとしても悔いはない。自分がやりたいことを全部できている」と思えたことに幸せを感じた。噛まれてから1か月の間に5回注射を打てば助かる、と言われ注射を打ちに行ったが、40度の熱でフラフラに。5回目の注射は病院が閉まっていてどうしても打てなかった。たまたまゲストハウスで同室の人が看護師で、彼女にもらった解熱剤を飲んだらそれで治った。つまりは狂犬病ではなく、注射の副作用が原因だったのだ。病院の先生とコミュニケーションを取るために死に物狂いでスペイン語を学んだ。ヒッチハイクなども通して3か月でスペイン語を理解できるようになった。

◆30代に入り、自分を客観視した時にようやく今までいた世界が異常だったと気づく。「自分の行動が循環可能か?」が物事を選ぶときの基準になった。氷、お湯、水蒸気……その場その場どこでも生きられる「水」のような、適応力を持った人になること。今、目の前にある小さなものに目を向けること。ネットワークビジネスからは完全に手を引き、その反動か今度は「お金=悪」だと言わんばかりにお金のかからない物々交換や労働交換に目覚める。北欧東欧のエコビレッジを回り、シューマッハカレッジもこの頃訪ねた。ここ数年は衣食住のルーツを知る旅へ。中南米やヨーロッパでカカオやコーヒーの農園で働き、アマゾンでヤシの葉で家を作る方法を学び、日本各地でも農家で羊の毛刈りをし、酪農や養蜂も体験した。

━━降りてきた「自分=地球」という考え

■バックパックを背負って何十キロも歩く。歩いていて瞑想状態になったとき降りてきたのが「自分=地球」という考えだった。人間も地球もどちらも水分が70%で、血管は川、皮下組織・真皮・表皮は内殻・外殻・マントル・地表……同じだった。昔から、なぜ・何のために人は生まれてきたのか?と疑問に思っていたが、この考えが降りてきた時、人間は地球にとって何かと考えたら60兆個の細胞だった。細胞は何のために生きているかなんていちいち考えなくてもしっかり役割を果たしている。だから自分の役割を精一杯果たそうと決めた。そして「自分=地球」だとしたら、循環可能でなければならない。トイレの汚水や洗剤を使った水もまた自分自身に還ってくる。そうしたことを意識しながらワークショップをしている。

◆ヒッチハイクも数え切れないほどした。最初は目的地に着くために始めたが、今は自分にとって儀式のようなもの。イエスかノーの二つの選択肢しかない、ヒッチハイクはまさに人生そのもの。朝起きて気分がいい時にしかやらないし、やりたい場所でないとやらない。まずは場所選びに1時間くらいかける。やりたい時にやりたい場所でやると面白い人に会える。オリンピック選手、社長、アーティストなど面白い出会いがたくさんあった。開始1分で拾えることもあるが、それはやりたい時にやりたい場所でやりたくてやっているからなのだと思う。お金がないから、急ぎたいからと自分のエゴだけで動いている時はものすごいセクハラにあったりする。自分がどんな気持ちでやるか、どういう想いで生きているかというのがいかに大事か、ヒッチハイクを通して学ばせてもらっている。日本にいると動物の勘が鈍るが、自分の勘や人を見る目を養うためのトレーニングでもある。

━━そして、15年の学び ひとみ語録から

生きること=死ぬこと:アフリカに行って生と死が混在している世界を見て、今日生きていられること自体が奇跡だと気付かされた。今日が最後かもしれないと思ったらとても尊いものに思えるし、目の前の人にも優しくなれる。自分が死んだとしても土に戻って行くのなら生きていることと同じ。それが循環の思想へとつながっていく。

増やすよりも減らす:今回台風19号の被災地にボランティアに行って気づいたのは物が多すぎるということ。物が多いと手放す時の悲しみも大きい。自分はすでに十分持っている。使えるものを使えるうちに少しずつ手放していけば、物も生かされるし悲しみも小さくなる。

夢も未来もない、あるのは今だけ:不安の9割は起きてないこと。もしこうなったら、と今不安な人はその未来の段階になってもさらにその未来を不安に思ってしまうのでずっと不安のまま。今を楽しむことができればきっと未来も楽しめる。

すべてない=すべてある:家も仕事も車もないけれど、そこら中の家が自分の家も同然だし、車も同じ方向に行く人に乗せてもらえばいいと思う。全部自分のものだと思っている。自分がきれいでなくてもきれいな人が他にいるならそれでOK。その人はその役割を果たしているので自分は自分の役割を果たせばいい。だから全部持っていないけれど全部持っているのと同じこと。

ひとりでは生きられない:台風や震災で感じたこと。衣食住のルーツ、今自分が存在している場所も絶対に一人では成り立たなくて、全てのことにあらゆる人が関わっている。お金持ちよりも「人持ち」でありたい。そのためにもとにかく人と出会うこと。人がいれば大丈夫。

言葉より行動:考えるより先に動く。「脳みそ捨てた」。でも、と言う前に心で思ったらやってしまう。それで違うならやめればいい。失敗などはなく経験でしかない。

すべて自分次第:言い訳したくない。答えなんて結局誰にもわからないのだから、自分で選ぶしかない。

決めないことを決める:前日に予定を立てたとしても自分が違うと思えばそっちに従う。「今を生きる」というのはそういうこと。過去の自分が決めたことではなく今の自分の気持ちを大事にしたい。もちろん100%そんな風には生きられないけれどできる限りそうしたい。

期待しない・決めつけない・否定しない:特に近しい人や物事に対してこれを大事にしている。人は毎日変わるのでこの人はこうだと決めつけない。嫌いな人や嫌いなものも特にない。昔しいたけとグリーンピースが嫌いだったが「今日のしいたけは大丈夫」と思い続けていたら食べられるようになった。お金がいい・お金がだめと両極端に走っていたけれど、否定しまくっていたときはすごく疲れた。間をとるのはとても心地いい。

━━ディカブリオとのその後

◆最後に、ディカプリオとのその後について。20歳の時に会えなかったが、30歳までに会うと考えていたら30歳になる半年前にディカプリオが来日し、100名だけの映画プレミアに当選して会えたのだ。現在35歳。次の目標は40歳までに友達になること。今年南太平洋を旅していた時にバヌアツでプラスチック袋を廃止した方の家でお世話になり、彼がディカプリオの友人だったと知る。でもここでエゴを働かせてはいけない。自分が地球の循環に沿って生きて行く中で、ディカプリオもまた今、環境問題に対してアクションを起こしているので、自然の流れでいつかきっと会えると信じている。でもたとえ会えなかったとしてもすでに満足している。この生き方に導いてくれたのは彼なのでそれだけでも十分感謝。

◆ひとみちゃんとわたしは全く違う人生を歩んできたけれど、不思議と同じところにたどり着いた。彼女が今のように生きるようになったのは意外と最近で、そんな時期に彼女と出会ったのもまた必然だった。江本さんが言うように今の彼女があるのも、「金の亡者」と化していたあの頃があるからこそなのだと思う。お金に走り、お金から離れ、振り子のように揺れながらもその真ん中に落ち着いて行く彼女は、まさに地球の真ん中で生きているのだ。これから彼女がどんな旅をしていくのか、ますます楽しみだ。(青木麻耶


報告者のひとこと

「水のように生きる」

どんな場面にも場所にも状況にも対応して生きていくこと。
私はそれを水のように生きる、と表現しています。
水は氷にもなり、お湯にもなり、水蒸気にもなり、
どんな状態でも変幻自在に生き抜く最強な存在だからです。

どこまでも憧れ、水のようになりたい!
と念じていたのですが、
どうやら私は人間。
体内水分量は70%。
もうすでに水でもあったという事実。
水は人間でも在り、地球でも在る。

私も水のように、
どんな地球にも自分を合わせて生きていくということ。
15年間様々な体験をする中で、
この感覚がしっくりと自分の中におさまってきました。

特に2019年1月から6月の南太平洋の島々を訪れる旅で、水のように生きることを更に体感して帰国。

そんなときに、地平線会議で話さないかと、青木麻耶ちゃんからの依頼を受けるのです。

南太平洋での旅を得ていなければ、断っていただろうな。
じっくり振り返れば、全ての出来事がタイミングよく訪れていることを感じずにはいられません。

それほど、南太平洋での体験は、私に自分を生きるということを全力で後押ししてくれました。

「あなたはあなたを生きていいのよ。」
「あなたは世界で一人しかいないのよ」
そんな透けて見えちゃいそうなくらいオープンに自分を生きる人達と生活していた毎日。
その毎日が当たり前になったら、
自分を生きることだけをしていいんだ、という許可が自然と降りてきた。

今まで1年のうち、
半年間は海外をぶらぶらと旅をする、
残りの半年間は日本を旅する&働く、というような生活を15年間続けてきました。

日本にいる間はホテルやレストランで手っ取り早く働く。
時給はいいし、すぐ仕事は見つかるし、生活費がかからないし。

世界を旅して、戦争やゴミ、様々な問題を目の当たりにして心を痛める。
それなのに、私のしている行動は廃棄を一番出す業界で働くこと。

自分の損得勘定だけでこのまま選び続けていいのだろうか。
世界で一体私は何を見てきたんだろう。

旅する時のように、
まずは自分を生きよう。

グルグルと自問自答しながら、
旅の資金を貯めるために何か仕事をしようと探していたけれど、

そこから変えるべきだ。
今自分が出来るなにかを仕事にして生きてみる。
生きるという事はきっとただそれだけなんだ。
世界中に私は一人しか居ないのだから。
私は私をする。
その中でちゃんと地球の循環に沿った生き方をしていたら、
お金がなくても、仕事がなくても、車がなくても、家がなくても、何がなくても、地球はきっとここに居させてくれる。

この気持ちを持って動き出す中の一つに地平線会議がありました。
自分の中に流れるように入り込んでくるものをただただ受け入れて生きていく。
できるできないではなく、
選択肢は、「やる」

麻耶ちゃんに声をかけて頂いたことを、「やる」という判断のみで受け入れることができたのは、水のように生きることを更に極めたい、目の前に起きる一つ一つを大事に生きていきたいという実践のタイミングがぴったり合ったから。
そして、麻耶ちゃんがすぐに行動を移し、江本さんがすぐに逢いに来てくださったから。
直接自分の目で私を確かめに来る。
忙しい中でも現場を大切にする。
しかも2回も逢いに来てくれた。
その心と行動が決め手になったのは言うまでもありません。

やはり“すべては言葉より行動から生まれる”地平線会議がどんなものなのか。全くよくわからないのに、やりますと即答したのは、彼らの行動がしっかりと伝わってきたからに他なりません。

日本中どこにいても、携帯電話があればコミュニケーションが取れ、人と人とが繋がれるし、連絡し合える。
しかし、こうした行動や想いをもった直接の対話や人と人との直接の繋がりこそが、“人間で在ること”、人の間で起こるモノだということを改めて感じさせて頂きました。

地平線会議が40年も続く所以は此処にあるのだろうなと、
アットホームに迎えて下さった会場の空気感を想い出しながら今この文章を書いています。
たくさんのバックグラウンドをお持ちの方々が集まるとても稀有な集まり。
>そのような場でお話しできたことに感謝の気持ちを込めて。
今日も全力で水のように生きる。

ありがとうございました。

近藤瞳


恐るべし35歳!

■いったい何者なんだ、この人は。そのナゾは、話が進めば解けるのか。そんな思いにも背中を押され、最後まで身を乗り出すようにして耳傾けた2時間半だった。傍目には、あちこちで瞳さんの人生はブレている。彼女がこれまでの節目節目での思いや戒めを箇条書きにした、「15年の生活での学び」「大切にしていること」の中にも、「決めないことを決める」「夢も未来もない、在るのは今」といった、ジョン・レノンみたいな言葉が並んでいる。

◆軸がブレないこと。高い目標に向かって、一歩ずつ前進を続けること。この2つは、推奨される生きざまの双璧だ。また私たちは、異文化や異なる宗教に触れ、外側から日本を眺める旅の体験で、自分のアイデンティティを見直し、自意識を強く持つ。でも瞳さんは、そんな一切合切を捨て、最終的には自我からも自由になろうとしている。それが、彼女の言う『自分を生きる』なのだろう。

◆それにしても、旅をツールに自分をどんどん変えてゆく能力を、瞳さんはいつ、どこで身につけたのか。あるいは、御両親が最高にブッ飛んだ人物だったのか? 報告会前夜、西のねぐらから戻ってきた私は、駅の改札を出るなり職質警官に捕まった。議論を避けるよう訓練された彼らは、こちらの質問には答えず、ただただ、叩き込まれた御題目を繰り返すばかり。オマケに現場判断の権限も能力もないから、すべての指示を無線で上司に仰ぐ。その姿はカルト信者と大差なく、正直、哀れですらあった。この場に連行してきて、彼らにも瞳さんの話を聴かせてやれたらなぁ。両者のあまりの対極ぶりに、報告会の間もずっと、そんな思いが去来した。

◆二次会の席で、瞳さんにさりげなく先の疑問をブツけてみた。返ってきたのは、「ごく普通のサラリーマン家庭でした」の驚きの事実。う〜む、恐るべし35歳! ますますナゾだ、この人は。[久島弘

自分の心に正直に、動いて旅して恋する瞳さんの人生!

■最前列かぶりつき!で瞳さんの笑顔を堪能しました。自分の心に正直に、動いて旅して恋する瞳さんの人生。おとなりに座っていらしたZzz-ZENさんと笑い転げながら、なんだかゴージャスな喜劇を鑑賞しているようでした。巷にはネットワークビジネスが上手くいかなくて泣いている人が山ほどいるというのに、あっさりとバリバリ稼げてしまった瞳さん! 人を惹きつける魅力が深いからこそだと思います。

◆さて、私が個人的に一番印象的だったのは恋愛事情のお話です(レオさま以外の)。日本でもモンゴルでも「早く結婚しなさい」と人々から嗜められまくっている私としては、自分の心に正直に進む彼女の事情が大変に興味深かったのでした。いひひひ。(Ooo-大西夏奈子

ハイブリッドなプロトタイプ出現を目撃した

■長きに渡る地平線会議との付き合いだが、報告会を最前列で聴いたのはなんと今回が初めて! 通常はふてくされ気味に受付の端に居座り、南極くっだっらね〜とか、もうチベット聞き飽きた〜、などなどと不届き千万なことを斜め後方45度ぐらい斜に構えては口走っている。が、8月の三宅修氏の山に対する純粋にして変わらぬ思いには、心底打たれるものがあった。らしくない、などとけなされながらも、そんな内容のベネズエラ報告3回目を締め切り前日に送付。しばらく通信お原稿はパス、と思っていたら、またまた某・荒木町方面から執筆指令が飛んできた。「継続は力なり」というテーマだそうな。

◆が、それより何より、最前列に座る姿に驚きの声が多々あり、どーしたのか皆さま興味深々のご様子だ。当日は報告会の前に、E本氏と大西かなこんだ楽壇団長とで、企画進行中の本多有香の犬ぞり本の打ち合わせをという段取りだった。開始直前にさわりだけ済ませたが、後方に退去する間もなくしゃべくりが始まって移動不能、という流れだっただけ。取り立てて深い意味もなかったが、今回はそれがリアルに面白かった。

◆ディカプリオさまさまだのネズミ講ビジネスだの夜のお水商売だの、通常ならば「あっそ」以外に反応しようもない個人史が次々に披露される。何こいつと思う暇もない高速度な展開だ。しかも、この断言と思い切りの良さはどこから来るのか。何となく得した気分で聴いているうちに、軽々と世界を流れていくその速度と密度に、こちらの感覚が揺らぎ出したのを実感してしまったのである。こんなの初めて! 最前列で細かい表情まで目にして、ハイブリッドなプロトタイプ出現の瞬間を目撃した気分が、というと大げさに過ぎるだろうか(個人の感想です)。

◆実際に地球上のあらゆる現実は、もはや予測不能状態に突入している。その昔、これで確実に人類は亡びるとされたオゾンホールにダイオキシンと環境ホルモンだかの三題噺はどこへやら。いまや温暖化問題で怒りまくった16歳のグレタちゃんが、トラ珍に一撃を加えようと国連本部に殴り込んでくる時代だ。核廃棄物から海洋汚染まで、環境問題だけではなく政治も経済も社会も文化も、人類がひねり出したあらゆるお約束事が、人間の生身の身体まで含めた機能不全に陥り、もはや行き着く先は暗黒のディストピアしかなさそうな今日この頃。香港の状況を見るまでもなく、旅することに今日的意味をどう変換していけばよいのだろうか。思いもかけず、もう旅なんかヤメだと思わせられてしまう夜となった(個人の感想です)。

◆が、世界の現実は個人的ルサンチマンをはるかに超えて高速展開していく。ベネズエラが滑った転んだと言っている間に、ラテンアメリカでは大陸全体が地獄の大鍋と化してきた。権力を巨大資本に集中させようとする新自由主義勢力の最前線で、ブラジルやエクアドルでは親米右派勢力が政権を握る一方、他の国では揺れ戻しが勢いづいている。チリでは地下鉄料金を5円ほど値上げしたとたんに大噴火、暴動略奪が頻発し夜間外出禁止令まで発令された。死者十数人、逮捕者は1500人超で、11月に予定されていたAPECも12月開催のCOP25もついにドタキャンせざるを得なくなった。エクアドルもガソリン料金値上げに端を発するデモが暴動に拡大、国会議事堂占拠など収まる気配は見えず。アルゼンチンでは野党の左派フェルナンデス大統領が返り咲き、この先の政権運営が注目される。一方、ボリビアでは先住民出身のエボ・モラレス大統領がほぼ憲法違反の4選を果たしたが、今回ばかりは非難轟々でついには自ら辞任、メキシコ亡命を表明する展開となった。

◆ペルーでもフジモリ元大統領は恩赦を認められずムショ暮らしだし、娘のケイコ氏も収監されたまま、結局は次期大統領選挙からの撤退を表明。さすがのラテン系もびっくりなのは、フジモリ氏の前と後の2回大統領職にあったアラン・ガルシア氏が、汚職容疑で検察から出頭命令が出されたその前夜、ピストル自殺を遂げたとされる事件だろう。ペルー全国民が誰一人として信じていないケースで、ありえない現実が渦巻く魔術的リアリズムそのものの展開だ。もっと気になるのは、来年のカーニバルに写真家の長倉洋海氏とご一緒する予定だったハイチ。ガソリン不足から暴動騒ぎが発火拡大し、先が見えない状況となっている。

◆てなわけで、ラテン系が気になってお題の「継続は力なり」をすっかり忘れていた。次の機会にというところで、大好評のカーニバル・トーク第2弾は11月20日@代官山の「晴れたら空に豆まいて」にて。ゲストにブロードキャスターのピーター・バラカン氏をお迎えして、トリニダード・トバゴからカリブ海の島々、さらにラテン系移民がもたらしたニューヨークやロンドンほか、北半球の大都市のカーニバルを語る。御用とお急ぎでない方のご参加をお待ちしております。

http://haremame.com/schedule/67482/(Zzz-ばろん・しらね

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