95年9月の地平線報告会レポート



●地平線通信に掲載された報告から(by 新井由己)

旅に理由はいらない/滝野沢優子
1995.09.26/アジア会館

 滝野沢優子さんは、1987年から88年にかけて、オーストラリアのワーキングホリデーを利用してオーストラリアをバイクで1周。それ以降、海外ツーリングに目覚め、90年には社会主義の崩壊を見るために東欧へ向かう。90年から91年にかけてサハラ砂漠の縦断を果たした後は、旅行者の受け入れが始まったサハリンへツーリングに出かける。

 旅行ガイドブック制作の仕事のかたわら旅を重ねてきたが、中南米に行く機会はなかなか得られなかった。1度だけメキシコのユカタン半島に仕事で出かけたことがあり、次はバイクで来たいという思いを強くする。
 94年2月、LAでバイクを購入し、ついに中南米へ向けて出発することになった。過去のツーリングはほとんど現地でバイクを購入している。日本からの輸送費の高さ、カルネ(税関関係の書類)の手続きなどの問題がわずらわしいからである。北米でバイクを購入すれば、南米に入るのも簡単だという理由もあった。

 メキシコは通り過ぎるだけの予定だったが、最初にラテン民族に接したこともあり、数多く点在するマヤやアステカの遺跡、先住民の生活などに触れながら、1か月半に及ぶ滞在となった。
 ベリーズからグアテマラへ向かったが、仮登録でLAを出発したせいか、バイクでの入国許可が下りない。バイク屋に連絡をして書類を送ってもらうように頼んだものの、郵便局のストのせいでけっきょく書類は届かなかった。しかたなく一時帰国することを決め、キューバ観光を楽しんで5月上旬に日本へ戻る。

 6月30日に再度出発し、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、パナマと順調に走る。オンボロバスに乗って膝をけがしたり、国境で貴重品を落とすなどのハプニングがあったが、途中で出会った人たちのおかげで大きなトラブルにならずに済んだ。
 パナマから南米へ渡る方法は飛行機を使うかヤミの船を使うしかなく、どの方法を選択するか悩んでいた。このとき、実家の引っ越しが重なったため、今までに増えた荷物の整理と南米の準備を兼ねて、9月30日に再度帰国することになる。

 12月10日にパナマに戻ってみると、いいタイミングで中南米間のフェリーが就航したばかりだった。船でチリに渡る予定を変更してそのフェリーを使うと、予想以上に簡単に南米に上陸することができた。税関を通過するのに2週間かかった話を聞いていたので、10分で通過できたのは幸運というほかない。後に出会ったライダーがこのフェリーを使おうとチャレンジしたが、北上する場合はだめだったという。
 コロンビアやエクアドルで新年のお祭りを体験し、ペルーではプレインカの遺跡を訪ねる。途中で出会った日本人2人とアンデスを越えると、ボリビアではカーニバルが待ち受けていた。さっそく水入り風船をぶつけ合って、南米のカーニバルの雰囲気を楽しむ。チリに入ってパタゴニアを通過し、アルゼンチンに入国。警察にからまれて裁判ざたになってしまうが、なんとか無実が証明された。
 ブラジルまで北上すると、帰国前の1か月間、弓場農場という日系人の共同農場に滞在する。グアバの収穫を手伝いながら、地球の反対側で祖国に思いを寄せている人たちの心に触れ、7月29日に静かに旅を終えた。

 計3回、延べ14か月にわたる旅の走行距離は4万4000Kmに及び、今までのツーリングで最も長期間・長距離となった。

 「普通の人からみれば気楽すぎるんじゃないかと思われるんですけど、バイクの改造はまったく必要ないと思ってます。今回もガソリンフィルター1個だけで、ビックタンクもキャリアも付けませんでした。実際にそれでトラブルがありませんでしたし……」
 自然体で気負いのない旅を続ける滝野沢さんは、次は中東や、インドネシアをはじめとするアジアに行ってみたいと考えている。「旅がライフワーク」という彼女は、旅の途中で出会った犬の写真を撮り続けている。今まで各地で撮りためたカットは300枚ちかくあると聞く。案外、大好きな犬との出会いを求めて、世界へ、そして見知らぬ場所へ出かけていくのかもしれない。(新井由己)


●地平線HARAPPAに書き込まれた感想

地平線HARAPPA#6126・楠藤和正さん [95/09/28 01:34] GHE00056

  (略)……さて、昨夜の報告会は滝野沢さんの発表でした。私も5年前にあのルートをバイクで走ったことがあるので、懐かしく拝聴しました。同じようなところを見てるはずなのですが、視点の違いというか、切り口の違いとでもいうものがあり、改めて旅というのは千差万別だな、と実感しました。

 ただ、残念だったのは質疑応答の時間が短かったことです。非常にたくさんの人が集まっていたし、女性も結構多かったので、聞きたいことがもっとあったのではないだろうか……、という印象を受けました。

 ともあれ、彼女のバイタリティには感心します。その割には厄年を気にして、明治神宮と新井薬師で二度、お祓いを受けたという下りには、なんだかホッとしたりもしましたが……。



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