98年10月の地平線報告会レポート



地平線報告会228から
タイガの民
山本千夏
98.10.30(金) アジア会館

●地平線通信228より

報告会風景◆モンゴルといえば草の海、羊、馬、ゲルのイメージである。しかし、ジャーナリスト屈指のモンゴル通である代表世話人の江本嘉伸さんを前にして語られるモンゴルが、それだけのはずがないことは、たやすく想像できていた。しかし、目の前に座っている報告者は、秘境や荒野とは結びつかないふくよかな若き女性。緑色サテンのモンゴル衣装に黒のパンプス、ロングヘアで登場してくれた山本千夏(チカ)さんである。

◆「まっ白な地図」。それが、チカさんのモンゴルとの出会いであった。開いた地図のそこだけ白い部分がモンゴルだったのだ。そして、その地図を埋める「野心」がチカさんの原動力となった。チカさんの言葉には一見とかけ離れた勢いと単語が随所にちりばめられていく。心身に濃縮されていたモンゴルが100%に還元されてほとばしる瞬間のようだ。そして「遊牧民と友達になりたい」と。発言の振幅の広さが、序盤から新鮮な魅力と知識の広さを予感させた。

◆「友達になる」ためには、まず言葉、と考えたチカさん。既に英語は交換留学生としてカンザス州でのホームステイで習得済みであった。選んだ大学が東京外語大、モンゴル語を専攻、ワンダーフォーゲル部に所属。母校を一にする江本さんとの点は、早くも線で結ばれ、チンギス・ハーンの陵墓を探すプロジェクトにも参加した。チカさんの柔軟な知識欲は、アッという間にモンゴル語を吸収し、大使館から通訳を頼まれるほどに。心を伝える「スーパー通訳」を目指した時もあったが、何か物足りない。モンゴルは既に日常であった。通訳としての仕事は多岐に渡り、そのまま社会人にもなれたが、大学院を受験。映像制作との関わりが楽しく思えてきた頃、急接近してきたのが「幻の民・ツァータン」である。

地図で居住地を示す◆「トナカイを持つ人」を意味する「ツァータン」(トゥバ族)。幻の少数民族は、トナカイを放牧し、トナカイに乗って狩りに行き、トナカイの肉、ミルク、チーズを食する遊牧の民である。

◆96年夏、初めてTVクルーと共にツァータンの住むタイガ(永久凍土の針葉樹林)の谷を目指した。ウランバートルから1100キロ、モンゴル最北のツァガンノール村から更に奥地へ。北緯52°、標高2500m。円錐形の小さな白いテント「ウルツ」がポツンポツンと見え、間近に感じたが、遠近感を狂わす程に遠かった。初対面のトナカイは角が切り落とされ間抜けな牛に見えたし、ツァータンの人々は、町の言葉を話すチカさんを警戒した。写真を撮るとお金を要求されたが、「お金は働いて貰うもの、だから渡せない」と涙ながらに訴えたチカさんは、テント布とストーブで手を打ってもらう。今では家族のように待っていてくれるタイガの人々との初めての出会いであった。このTVの仕事は西田敏行さんを起用して、96年冬、ウイスキーも凍る-40℃の厳寒で収録、ようやく今年放映されたが、初期の段階から関わっていたのがチカさんである。

◆社会主義体制下では定住化政策が推進され、90年代に入って民主化の波、市場経済への移行、トナカイの病気の蔓延で、再び森に戻るツァータン。時代に翻弄されてきた民族でもあるのだ。ツァータンの暮らしは、タイガによって守られていると言うチカさん。“雪とぬかるみ”である。ウルツを支える潅木の針葉樹、トナカイが食べる苔、「雄鹿が口をすすぐ雪」と呼ぶ雪が降れば男たちは狩りに出かけ、ヘラジカを一頭狩れば一冬は越せるという生活。シャーマニズムが信仰され、女や家族の夢を見れば、森の恵みがあると信じ、彼らの夢の中にチカさんが登場するようになっていた。子ども達がチカの夢を見た。チカに会いたいと30キロを歩いて村まで下りて待っていてくれる。チカさんのモンゴルは、雪解けの香りだ。

会場でチーズを試食◆報告会の前半はツァータンの一年の暮らしぶりが紹介され、後半スライド上映に入った。ウルツの設営、遊び感覚で革をなめす子供たち、子供用のトナカイの鞍、突然死んだトナカイ、解体された肺、貴重な現金収入源のジャコウジカ、健康なトナカイの糞のアップ、キノコを食べるトナカイ、タイガの木の実、去勢のシーンなどなど盛り沢山。そして会場にはトナカイのチーズ。乳脂肪分22%のミルクから、自然に浮いたクリームを取り除いて作ったチーズは高級パルメザンをかじった感じ。話題はその後モンゴル民主化の政治不安、ゾリグ暗殺にも及んだ。モンゴル滞在延べ5年。チカさんは、「寒さに強く、扁桃腺の弱くない方、一緒に行きませんか」と、10月上旬に戻ってきたばかりのタイガの森へまた里帰りするように言った。[本吉宣子]



●地平線HARAPPAのログより

01412/01412 PEG00430 丸山 純 すごく興味深い報告会でした
( 1) 98/11/20 18:57 01332へのコメント


山本千夏さん●先月の報告会は、山本千夏さんによる、モンゴル北部のツンドラに住むトナカイ遊牧民、ツァータンの話でした。「地平線通信」228ですでにノヴリカの本吉宣子さんが報告してくれているので、報告会そのものの内容紹介はそちらに任せるとして、個人的に強く印象に残った点を2つだけ書いておきます。

●まず感心したのは、やはり90年以降トータルで5年間モンゴルに滞在しているという、地に足が着いた体験の迫力です。モンゴルで暮らすことが、もはや彼女にとってごく当たり前のことになっているんですね。外語大でモンゴル語を専攻したこともあって、言葉にも不自由しない。だから、いくらでも物怖じしないで、相手のふところに飛び込んでいけるようです。もっとも、“街の言葉”を話す彼女は、最初のうち、ツァータンの人たちにずいぶん警戒されたようですが。

それに、ひじょうにタフなんでしょうね、千夏さんは。狩猟などの男の仕事の現場にも平気でついていけるし、テント村の長距離にわたる移動なども苦にしません。家畜の解体などもへっちゃら。

おそらく村に入ってしまうと、プライバシーなどほとんどなくなってしまい、精神的にひじょうに疲れると思うのですが、ツァータンの人たちとべったりと密着して過ごしている。きちんと、記録もとる。これだけの体力と気力は、ふつうの人は持ち合わせていないはず。文化人類学的にも貴重な生活文化を記録していますが、こうした成果を持ち帰ることができたのも、千夏さんならではのものだと思います。

トナカイのチーズ●また、千夏さんはすごくいい時期に、ツァータンの人たちとの付き合いを始めているんだということを、つくづくと感じました。ちょうど社会主義体制が消滅し、伝統的な生活文化への回帰と、資本主義的な自由競争のもとでの近代化が並行して進む時代。世界の少数民族が軒並み立ち向かっている困難な状況には、まだ少し間があるようです。

民族性ということもあるんでしょうが、ツァータンの人たちはとにかく情が深くて、現在もなお人間臭い触れ合いをごくごく当たり前のこととして暮らしているのが、ほとんに印象的でした。千夏さんが春に「今年の8月頃にくるからね」と別れると、もう8月の初旬からもう村を出て何日も歩いて迎えに出向き、下旬にようやく到着してもまだ待っていてくれる。「チカの夢を見た」というだけで、遠いみちのりをものともせずに、迎えに来てくれるのです。

世界の果てとも言えるタイガの森に住む遊牧民と、日本の若い女性がこういう濃密な関係をずっと築いてきたことに、深く感動させられました。

●これから千夏さんは、映像制作会社に就職して、ドキュメンタリー制作の仕事をしていくそうです。そこでも、これまでツァータンの人たちと過ごしてきた体験は生きるでしょうが、ぜひ、仕事を持ってからも彼らのもとへとかよい続け、大きな変革を乗り切っていくことになる彼らの心と暮らしの変化をずっと見届けてもらいたいものだと思います。

報告会が終わって一卵性母子とも称されるお母さん……じゃない、お姉さんと(^^;、報告会の後で。



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