2001年2月の地平線通信



■2月の地平線通信・255号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙 今ぼくはアルゼンチンのメンドーサという町にいる。アコンカグアに独りで登って昨日下山してきたばかりだ。登頂したとのメッセージをヘロヘロの体で日本に送ると、次の日に早速江本さんからメールが届いた。タイトルは「おめでとう、そしてお願い」だった。「おめでとう」より、「お願い」のほうが心なしか大きく見えた。「通信の表紙原稿を書け」という指令だった。新年号の膨大な原稿も力強く添付されていた。これまた読めということなのだろう。昼飯どき、レストランのオープンテラスに座って、チョリソにかぶりつきながら地平線会議の歴史を作った諸先輩方の話に耳を傾けた。

 おじさんなどというとぶっ飛ばされそうなので口には出さないが、すごいおじさん達ばかりである。それぞれの方にぼくは少なくとも一度はお会いし、話したことがあるのだが、先方はきっとぼくのことなど覚えていないだろう。「海外に出ること自体が一大事業だった」1960年代前半に比べると、今という時代は一体何なのだ?

 カナダのマーティン・ウィリアムスの企画にのった形とはいえ、ぼくはこの一年のうちに北極から南極を世界各国の若者と旅し、北磁極と南極点とビンソンマシフとアコンカグアの頂上に立った。40年弱の間に旅をめぐる状況は劇的に変化したのだ。

 Poleto Poleという旅、当初は極点と極点を人力による移動で結ぶという、肉体的なアドベンチャーとしてのイメージが強かったが、実際はそのような要素よりも、行く先々で様々な種類のボランティア活動をしたり、学校や地域のコミュニティーなどでプレゼンテーションを一日に何回もこなしたりと、当初のぼくの予想よりもだいぶ毛色の異なるものだった。参加者もアウトドアのエキスパートというよりは、環境問題や社会にコミットする意欲の強い者が集まるという可能性重視の人選だったように思う。最初はそのギャップに戸惑いもしたが、旅を終えた今、ぼくはそれでよかったと心底思っている。個人の旅なら強いモチベーションと時間、費用さえ工面できればどのような旅も不可能ではない。そのような個人としての旅も面白いが、ぼくが特に興味を持っているのは、自分の経験や気持ちを多くの人とシェアする(わかちあう)ことなのだ。

 だから日々の記録や通信に力を入れ、旅の間はできるだけ多くのことをこちらから発信しようと心がけていた。大陸の最高峰に立つことよりも、自分の中で星の航海術に重きを置いているのはそのためだ。海図もコンパスも使わない伝統航海術は人々とそれを分かちあうことによって多くの魂を揺さぶり、人と人をつなぎ、新しい波を作りだしていく。Pole to Poleは、他人とコミットする旅だったと明言できる。それは7カ国の言葉や文化の違う若者との共同作業に始まり、通過する国々で出来るだけ多くのローカルコミュニティー・NGOなどと連絡をとって社会的な活動に参加させてもらい、人々と意見をシェアして議論を深めていくという旅のスタイルに表れている。当然意見に多少の相違はあるものの、企画者のマーティンやそれぞれのメンバーのPole to Poleに対する意識はそれらのことで概ね一致していた。

「海外に出ること自体が一大事業だった」1960年代から「行こうと思えばどこにでも行ける」世紀末を経て、さらに21世紀は旅への考え方自体に大きな変化が現れるだろう。「?に行った」「?を横断した」だからすごい、という時代は終わったのだ。趣味として個人の旅を楽しむ者はこれからも増えつづけるだろうが、同時に様々なツールを使ってそれらの先を考える者も増えていくに違いない。

 そんなことを考えながら食べているうちに、目の前のアサード(肉料理盛り合わせ)がのった鉄板は空っぽになってしまった。メンドーサの退屈な昼下がり、温かい太陽の陽射しをTシャツ姿で浴びていると、何とも幸福な気持ちになる。そろそろ日本に帰ろうかなあ・・。(早大4年・石川直樹)


*(石川は1月31日に日本に帰国しました。今月の地平線報告会に続き、3月17日には大阪の吹田メイシアターにて報告会が行われます。詳しくは石川のウエブサイトhttp://p2pnaoki.com/をご覧下さい)



先月の報告会から(報告会レポート・255)
グレートジャーニー
・ユーラシア蹄道行
関野吉晴
2001.1.26(金) アジア会館

「あれ?まだ6時40分?!やっぱりちがうなぁ」21世紀最初の地平線会議、あの関野吉晴さんがやってくるということで会場はすでに超満員。それでもまだやってくる人が絶えない。よくみるとイスを並べているのは賀曽利さん。「来る人もちがうよねぇ」とりあえずの目標にしていた21世紀の報告会ができたことを祝うかのように前回の通信に原稿を書いてくれた人達がほとんどやってきたところで報告会が始まった。

◆関野さんのグレートジャーニーの報告は3回目。前回の報告から今回までの2年間は動物を連れたユーラシアの旅だった。トナカイぞりでスタートした旅はまず極東シベリアを駆け抜けた。トナカイぞりは犬ぞりよりも扱いやすく、革のベルトのようなもののさきにとがったものの付いたムチでトナカイのおしりをたたいて進んで行く。おしりの決まったところをたたくのだが、言うことを聞かないトナカイだとあっちこっちにあたってしまうのでおしりの跡をみれば性格がわかるという。また、えさを持って行動しなくてはいけない犬ぞりに比べ、トナカイは自分でえさをとることができることや乗りごごちもよく、100キロほどのトナカイぞりの旅は「このままずっと乗っていたい」ほど快適な旅だったようだ。

◆トナカイを犬ぞりに乗り換えて旅は進む。犬ぞりの話しをしながらもついトナカイぞりと比べてしまうほどトナカイがお気に入りだったようだが、何度も乗っている犬ぞりの旅は手馴れたもの。途中、「お医者サンですよね」と言われ、凍傷になった犬の診療もしたらしい。しかしそこはドクトル関野。「人間も犬も凍傷につける薬はほとんどおんなじですよぉ。」

◆モンゴル入ると今度は自転車での旅。少し遠回りになる複線のほうのシベリア鉄道沿いに進む予定にしていたが、地元の人の話しを聞くうちにどうやら単線のほうが整備された道があるということがわかってきた。それでも川を越えるのには橋が無く、線路に自転車を担ぎ上げ電車が来ないことを確認しながら線路を走っていった。途中、タイヤがパンクするアクシデントがあり、結局自転車を押して行くことになった。「グレートジャーニーなら歩いたっていい」でしょう。その後も子供用の自転車を買って自転車を改造したり、古タイヤを切ってブレーキを直したりありとあらゆるもので「まるでシベリア人」のように修理をしながら進んで行った。

◆モンゴルの砂漠でのパートナーはラクダ。この地域では子供たちもランドセルを背負ってラクダに乗って通学している。しかし、最近では長いラクダの旅をするような人達は少なくなり6つの家族に付き合ってもらって少しずつ乗り換えて行くという方法でキャラバンを組んだ。ラクダというのは思った以上に賢く、写真を撮っていれば待っていてくれるし、待っている間に回りに遅れをとってしまうとハラハラして遅れないようにがんばるのだそうだ。

◆チベットへ入り、巡礼の人々に出会い、グレートジャーニーの一行はドルポで12年に一度の巡礼祭に出会った。外国人がこの祭りに参加できるようになったのはほんの数年前のこと。おそらく外国人でははじめてであろう。スライドに映る人達の髪は黒く、三つ編みで、着ている服もさらに信仰に生きているという点でも南米の人達によく似ている。それにしても関野さんの撮る写真は本当に美しい。映っているものだけでなくそのまわりのにおい、音、風、空気までも写し撮り、私達の目の前に届けてくれる。

◆ここドルポには4ヶ月滞在し、テントを張ってドクトル関野病院を開院。ここの人々は病気の治療に関してもいいと思うことは何でもやろうとする。だから民間療法にかかったその足で関野病院にもやってくる。この地域で多い病気は皮膚病と胃潰瘍。胃潰瘍の原因のほとんどはストレスによるもの。「こんなのんびりしたところだからストレスなんて無いと思うかもしれませんが狭い地域で濃い人間関係の中で生活しているから思った以上にストレスをかかえているんですよ。」

この病院にはだいぶ悪く、布団をかぶって座っているしかなかいような高僧もやってきていた。そこで見つめる人間の死。ふとこんな疑問が浮かんできた。「人の死はだれがどんな時に決めるのだろうか」この地域では死ぬ人自身が旅立つ時を決め、周りの人に最期の言葉を告げるのだそうだ。そうすると魂は光のように飛んで行くので体を瞑想の形にし、3日後に火葬にする。火葬にし、骨にすると徳のある僧の骨には模様が浮かび、本当にその僧には徳があったということが証明されるのだそうだ。

◆ドルポを離れヤクの旅。何よりも子供が印象的だったという関野さんのいうとおりスライドには子供がたくさん登場する。7歳の子供は今回がはじめてのヤクの旅だが10歳にもなると経験も豊かになりヤクを5頭も任されるようになるらしい。ここのこどもたちは好奇心にあふれ、新しいものには興味を持って寄ってくるが、かといってオトナに媚びず、まわりの評価など気にすることも無く、自立して活き活きと暮らしている。その様子がスライドからも溢れ出し、すっかり関野さんもパパの顔になっていた。

◆あっという間に9時になり、報告会も時間切れ。しかし今世紀の地平線会議はおまけがあった。場所を1階の食堂に移し、懇親会。この先も地平線会議が続くことを願って乾杯した。

◆最後に貴重な関野さんの名刺にサインをしてもらった。関野さんが書いた日付は2000年13月26日。「グレートジャーニーは2000年中にゴールしますよ」グレートジャーニーも地平線会議もまだまだ続きそうです。(三輪涼子)



南米をランニング旅している
中山嘉太郎さんからの手紙。

(彼の予定は、アルゼンチンのブエノスアイレスからメンドーサ、アンデス山脈で国境を越え、チリのサンチャゴで南米大陸横断。そこからアタカマ砂漠を北上してコピアポへ。ここまでが予定の半分。アントファガスタからカラマを通りボリビアへ。3500メートル以上の高地を走り首都のラパスへ。チチカカ湖をとおりインカの都クスコまで4433キロのウルトラジャーニーランを実行中です。)

南米地図◆[1]第1信は、12月14日、ブエノスアイレスから、メンドーサにむけて走り出しました。

◆[2]第2信では26日、643km走ったところからの手紙、パンパはハンパな広さではありません。毎日宿探しに苦労しています。どこにも食堂などなく、自炊しています。スペイン語も徐々にわかるようになりました。しかし脳は筋肉でできているのであまり効率よく覚えられません。道路には歩道はなく、草地が広がっているので、そこを走っています。おかげで靴の減りは少ないようです。草の丈が長くなるとモモ上げの要領で労力をくいます。明日の宿は80q先で、嫌気がさしています。

◆[3]第3信、出発22日でメンドーサにつきました。1021qです。ここ1週間で3回野宿でした。南半球の星は北半球の星と違います。もっと覚えてくればよかった。体に疲労感はありますが、痛みはありません。あと200qでアルゼンチンとは別れ、チリに入ります。アンデスの峠を越えられるか試したいところです。昨日アコンカグアがちょっと見えました。直線距離で100qあるはずです。

◆[4]第4信、4200mの峠を登り2時間、下りは1.5時間でした。「アタカマ砂漠は車で行け」と言われています。昨日からアタカマの熱い風が吹いています。今日はラセレナの北で野宿をしています。まだ砂漠の入り口だというのに頭がクラクラして、ボーットなっています。今日で2001qになりました。この先はどうなるのだろう。食料と水をリュックに詰め込むと10sにもなり、疲れがどっとでます。毎日12〜14時間の行動で、睡眠時間も削っています。あと4日でコピアポの町です。それまでに砂漠で生きる術を身につけたいと思っています。(予定、ボリビア国境2:18、オルロ3:1、ラパス3.5、クスコ3:15。3月22日日本へ帰国)



大沢茂男さん
22回目のヒマラヤ氷河湖初泳ぎ

氷河湖にて地平線会議発足の年からエベレストを望むゴラクシェブ湖(5250m)で、氷を割って初泳ぎを続けている大沢さん(76歳)が今年も元旦初泳ぎに挑戦をした。12月30日、厚い氷をピッケルで割って穴を空けて、元旦の初泳ぎに備えたが、その晩から膝までもぐる大雪のため、穴もふさがり、天候悪化の兆しもあったため、元旦遊泳はあきらめ、撤退。

◆21世紀初泳ぎは来年に延びたが、毎年続けているエベレスト街道のリンゴとサクラの植樹を今年も果たした。今回持参した25本の苗木で、「報恩の植樹」ついに千本になった。(右の漢詩) 一口に千本というが、個人がこれだけの植樹をすることは大変なことだ。さらに毎年手入れをしているのだからすごい。こういうことが本当のボランティアなのだろう。日本の自宅のリンゴ園は、長野県でも有数の立派なものだったが、ある日突然全部切り倒して「珠峯公園」にしてしまった。

詩 ◆「なぜ」の答えは、公園に行って、直接大沢さんに聞いてみてほしい。現代社会でこれだけ根性が座って、持続させている人は少ない。長野県伊那谷、松川の「珠峯公園」の手伝いをし、足腰を鍛える背負子(100kg)を背負って、大沢語録を拝聴してみると「答え」がわかるかもしれない。ただの物好きおじさんではない。今の時代こそ、こんな人が貴重なのだ。(miwa)



「グレートジャーニー7」
3月2日放映決まる。

一時帰国していた、グレートジャーニーの関野吉晴さんは、2月10日、カザフスタンに向けて飛び立った。自転車で西に向かい、6月にはトルコに達する予定。一方、注目のドキュメンタリー、「グレートジャーニー7」は、3月2日21時から、フジテレビで2時間番組で放映される。今回はモンゴル・ゴビ沙漠のラクダ越えを手始めに、中国を突っ切って、ネパールの奥地ドルポに「寄り道」し、カザフスタンのアルマトィまでの行程を追ったもの。



地平線新刊情報

「CHUA LAM アジア美食査定[香港編]『辛口チャイランのほんとうの美食ガイド』」
食文化評論家 蔡瀾(チャイラン)著[幻冬舎 定価1000円]◆香港人の食通しか知らない店や、美味しくて値段の安い店の評価。アジアの食器レンゲの数でランキング表示。5レンゲが最高。

「インドな日々」
流水(ながみ)りんこ著[朝日ソノラマ 定価710円]◆15年にわたるインド通いが高じてインド人と結婚したマンガ家が綴るエッセイ・コミック。この本には桑木さんと私(武田)も登場します。



■1995年10月にスタートした地平線会議のWebサイト(ホームページ)が、ついに1月の報告会当日(26日)に引っ越しました。新しいアドレスは、http://www.chiheisen.net/。「チヘイセンドットネット」と呼んでください。春になったら、いろいろ新しい企画を盛り込んでリニューアルしていきたいと思います。よろしく。




今月の地平線報告会の案内(絵:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

求(究)極の人力旅団

2/23(金) 18:30〜21:00
 February 2001
 ¥500

 アジア会館(3402-6111)

20世紀最後の1年をかけ、北磁極から南極点まで人力で踏破する大プロジェクト、「Pole to Pole」は昨年12月30日、無事南極点に到達し、注目を浴びました。米・加・仏・韓・日・南ア・アルゼンチンの7ヶ国からの8人によるチームに日本代表で参加したのが、石川直樹さん(23)。

極点を結ぶ北・南米大陸自転車縦断の旅では、のべ9000人に、旅のテーマ“Small step make a big different”をアピール。肉体的な冒険以上に、各地の人々との交流に重点を置いたプロジェクトでした。さらに、見知らぬ異国の若者が1年に渡って共同生活をすること自体が刺激的な試みでした。

チームの中では一歩引いて、客観的な目を保とうと意識してたという石川さんに、1年に渡る旅のホンネを話していただきます。なぜプロジェクト終了後、単独でビンソンマシフとアコンカグアに登ったのか? 答えは会場で!


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)


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