2003年07月の地平線通信



■7月の地平線通信・284号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙“外来”、ギョ!

●「晴釣雨読」は釣りの師匠から戒められた最低限のルールだ。それが「晴釣雨釣」にルール破りが許されるのが6月1日である。アユ解禁。今年も雨の中での“竿おろし”だった。今年はスタートで躓いた。オトリ鮎を一本曳き殺し、一本はタモの手前で逃がした。残り一本となったところで手ごたえがあり、ようやく釣り自慢のネタに間に合った。釣り人は案外せっかちで好色だといわれる。山奥の源流で釣る私らのことを“山師”ともいわれる。世間体が悪い呼び方にも耐え、濡れ衣を着せられても釣りはやめられない。川岸で焼いたアユを冷めずに持って帰るには、エロ雑誌に包むのがいいと、教えてくれたのは釣り師だ。「間違っても、朝日新聞に包んではいかん。たちまち冷凍になるからな」

●川から釣り人が消えた。朝日新聞の小さなコラムがきっかけだった。「ブラックバスがメダカを食っている」。在来魚が激減したのは、外来のバスやブルーギルが稚魚を食うからだと、漁協ではバスの放流を禁止した。同時に、バス釣り人に「キャッチ・アンド・リリース(C&R)」(再放流)を規制した。

●「日本中がブラックバスになってしまう」。まるで黒船来襲のように危機を煽る。だが、在来魚の減少は、バスだけが原因ではない。護岸工事や埋め立てなどの環境悪化により、在来魚は生息しにくくなったほうが大きい。たまたま、フナたちが住みにくい環境がバスに好適だっただけである。外来魚による被害意識は「地球サミット」後、生物多様性に関する条約を金科玉条のように振りかざす原理主義者によって作られた可能性がある。本来、一度、口に針がかかったバスはキャッチ&リリースしたとしてもエサが取れずにすぐに果て、他の魚のエサになる。また、川の支線にすむバスは在来魚と棲み分け、移植されても15、6年で減少に向かう。

●怒りのバンブー竿をたたみ、バンブー・ケーナに持ち替えて夜の街に出た。ケーナはアンデスのフォルクローレのこと、経験やレパートリーは不足だが場数だけは踏んだ。

●昨年秋、国連で人間密輸「蛇頭」の講演を行った。外来の出稼ぎたちに労働許可を与えれば野獣(外国人犯罪者)の人間性は取り戻せると報告に喝采を得たのをいい気になって、外来文化(アメリカ社会から見て)である合気道を移植(?)させるために西海岸で国際有段者資格というのを取った。そして、その夜外来人が溜まり場としているフィシャーマンズワーフでボリビア人たちのフォルクローレ路上演奏に参加した。出稼ぎ(?)ニッポン人労働者へと在住人から得た22ドルのチップにみかじめ料を上乗せして40ドルをコヨーテ(中南米の蛇頭)に奪われた。

●コヨーテ蛇頭がいう。「外来の人間は、一時期増える。在来の労働者たちの仕事も奪うと警戒される。しかし、ある時点から増加に歯止めがかかる。そして、いつしか外来も在来も共存していけるように社会は調整されるものだ」。これが自動調節機能という自然が本来持つ摂理だそうだ。

●誰かが持ち込んだ(戦後米軍がスポーツ釣りのために)ブラックバスが日本の河川で増えると、ブラックバス自体が抑制物質というのを分泌して、産卵を自動的にとめる。やがて、日本の在来のフナや鯉などと共存していける自然界ルールを備えている。ライギョもそうだ。大陸から入って来た肉食魚だが、一時期、はびこったが今は日本の魚と共存している。外来魚、いや外来の人や文化に恐れることはない。自然の原則は人間のちっぽけな憂いを吹き飛ばす。C&Rでもなんでも釣らせればいい。それでなくとも釣り産業は300億円の減収で瀕死の状態だ。小学生で釣りに興味があるのはなんと8%以下である。釣り人悪人説を誰かが仕掛けているとしか思えない。

●話は違うが、日本では出産低下しているそうだ。女性が子供を産みたがらない。このまま低出産が続けば、1000年後には日本人が100人になると算出し危機意識を高めるバカな専門家がいる。日本人に、いま自動調節機能が働いているのだろうか。なにをそんなに日本人であることを抑制しなければならないのか。「バス害論」の流れに“逆らい”竿をさして見たくなった。[森田靖郎]



先月の報告会から(報告会レポート・286)
荒野の自転車野郎冬季シベリア横断録
安東浩正
2003.6.27(金) 箪笥町区民センター
◆およそ200年前にも、やはりシベリアを横断した男がいた。その男、大黒屋光太夫を描いた小説『おろしや国酔夢譚』は、哀しい物語として私の内に記憶されている。なぜなら、帰りたい一心で生き延び、10年の星霜の後にようやく日本の地を踏んだ光太夫を待っていたのは、故郷のぬくもりでも、かつては共に生きた妻子でもなかった。その稀有な体験ゆえに匿われるようにしてひっそりと後生を送らなくてはならない運命と、経験を誰とも分かち合えない孤独感であったからだ。だから安東さんの口から彼の名が出る度に、その体温の高い生き様こそ重なれど、全く趣を異にする物語のはずだ、と思った。

◆安東さんの物語は95年、チベットにはじまる。やはり冬に寺の宿舎から何気なく見上げたカイラス北壁が、月光をうけて輝く光景に圧倒された。「人生の頂点だった」と語るこの体験は、彼の目をシベリアへと向けさせる。残された挑戦はシベリアしかない、と。自然の厳しさを求めてゆく旅だった。だからこそ冬でなくてはいけない。大地がドロドロになる夏期より、川や湖が凍る冬期の方が旅をしやすいという以上に、「絶対行けるところを行っても仕方ない」のであり、同様に汽車やバイクではダメなのだった。

◆2002年9月1日、サンクトペテルブルクより北、ムールマンスクから「フリーダムマシン・自転車」を漕ぎ出した。途中、雪に埋もれ、冷気にさらされ、1hに500mほどしか進めないこともあった。しかし、結果として、その速度が人と出会わせ、その無防備さが人を近づけることになる。“プレゼント好き”で“冒険物語好き”らしいロシア男の有効なひっかけ方を教えよう。それは、厳冬期のシベリアに「フリーダムマシン」をキコキコ走らせることだ。そんな酔狂な日本人を発見しようものなら、通りかかったトラックの運転手たちはきっと喜んで車内に招き入れること請け合い。

◆ある者は“お金がないに違いない”と憐れんで、またある者は“ただものじゃねぇ!”と知って。実際そのテでロシア男を次々とオトして食べ物を恵まれ、ロシア少年達までメロメロにさせてしまった人を一人、私は知っている。ちなみに、女性でも昼間からビールをラッパ飲みするというスバラシイお国柄のロシアでは、このおっきくてあったかい車を正しくは“移動式Bar”と呼ぶ。8ヶ月に渡る旅で唯一体調を崩したのも、ウォッカという名の洗礼を受けた翌日だったとか…。

◆白銀の世界へ戻ろう。すっかり親しくなって、土地の人が町の境まで送ってあげようという時、安東さんはこっそり後で戻って走り直したのだという。「自力・単独・完全横断」を達成するためには1mmたりとも他者の手を借りてはいけない。そういうストイックな旅が、単なる肉体的挑戦に思えなかったのは、「歴史好き」という側面が垣間見えたり、スライドに切り取られた荘厳な景色にセンスが光っていたからかもしれない。シベリアをただ白一色の単純な世界と思うなかれ。氷の結晶が張り付いたような針葉樹林やなかなか沈まない夕陽、旅のハイライト・バイカル湖の氷は千変万化の表情で見るものを惹きつける。殺伐としているからこそ染み入る美しさというものがある。「キツイからこそ美しいものが見えてくる」と安東さんは言っていたが、その光景にちゃっかりポーズ付きで映りこむ、その余裕がまた憎い。

◆そんな彼も凍りついた−42℃の寒さを、いや痛さを想像できるだろうか。それは「目を閉じると瞼がひっつく」温度であり、「自分の(体が発する)湿気でジャケットの内側が凍る」温度だそうだ。ストーブの燃料が切れて、氷の塊と化したシュラフに包まらなければならない夜もあった。そんな夜をどうやり過ごしたのだろう。最後まで決して崩れなかったポーカフェイスからは苦労や弱さの片鱗をも窺わせてくれない。

◆2003年5月6日、14924kmを走り終え、ゴールのマガダンに着いた。シベリアの春がすぐそこに迫っていた。このextreme cyclistにとっては、春の訪れはしばしば旅の終わりを意味する。6月5日、日本に帰国した。

◆厳しい旅の経験は、どんな局面にも耐え得る強さを与えてくれる。その一方で、個人的には刺激に麻痺しているような怖れを抱くことがある。こんな大遠征を遂げた安東さんを惹きつけ、満足させる旅が果たして残っているのだろうか? それは一体どんなextremeな旅なのだろう?そう、思わずおせっかいに訊ねると、「次は(娘のねだっている)東京ディズニーランドへ!」という軽快な答えが返ってきた。[菊池由美子]

地平線ポストから
地平線ポストではみなさんからのお便りをお待ちしています。旅先でみたこと聞いたこと、最近感じたこと…、何でも結構です。Fax、E-mailでも受け付けています。
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●菅原強さんから…埼玉県蓮田市発

菅原さん「トランスヨーロッパ・フットレース2003」5054kmを完走! 4月19日、44人のランナーがポルトガルのリスボンを出発。64日間かけてスペイン・フランス・ベルギー・ドイツ・ポーランド・ベラルーシ・ロシアの8ケ国を移動して6月21日にモスクワに到着した。日本人は5人が完走。地平線仲間の武石雄二さん、菅原強さんも完走した。菅原さんからの報告です。

◆毎日午前4時30分に起床し5時頃から朝食をとり、6時スタートと7時スタートの2グループに分かれて走る。私はもちろん全ステージとも遅い方の6時スタート組であった。64ステージの1日平均距離は79kmだが90km以上の日が10日、80km以上の日が20日もあり最長は99.6kmもあった(最短は45.1km)。時速6.0kmの制限は私が走ったステージレースの最速値である。約10km毎にエイドがあり携帯する荷物は雨具や小さなボトル1本と僅かな非常食程度で良いが、あまり遅くなると夕食にあり付けないことや万一のトラブル発生の恐れもあり、エイド以外は平均時速7.0km以上で走り続ける毎日であった。

◆コースは道路上にチョークで矢印が表示され、さらには交通標識のポール等にオレンジ色に黒で矢印が書いてあるステッカーが貼られている。これを見逃さず正しいルートを走らないといけないが、場所によってはかなり長い区間表示が無かったりして不安になることがしばしばであった。他に困ったのは食事が思うように食べられなかったことで、毎朝堅いパンにサラミとチーズでは日本人はパワーが発揮出来ず、後半は日本食が恋しくて恋しくてー。

◆泊まりは体育館が殆どでマットを敷いた上に寝袋泊まりで、シャワーもない施設が多かったので温水が出れば大喜び、旧共産圏ではトイレを含めかなり不便な思いをした。当日に宿泊場所が変更になったり走行キロ数が数キロ増減するなど、予想を越える出来事も多く戸惑いも多かったが総じて主催者側は良くやってくれたと感謝している。走力では上回る方が中途リタイアし、私が全ステージ完走出来たのはユックリしか走れないので、疲労が出てない前半からスロ−ペースで行ったこと。中盤に幾つか故障が発生して最下位が続いたが、結果的にこれが後半に気持ち良く走れることに繋がったような気がしている。超ロングステージレースはユックリ走るにこしたことはないことを身にしみてわかったのが、今回の収穫でした。


●新井由己さんから…2003.6.24…新潟県松之山町発…3度目の日本一周スタート!!《E-mail》

◆今月26日から、日本一周の取材旅行に出かけます。おでん紀行、レシピ取材に続き、これで3度目の一筆書き行脚になります。移動手段はもちろん原付きのプレスカブ。以前、雑誌の連載時にホンダから新車のプレスカブを提供してもらったので、夏場の峠道もちょっと安心です。

◆今回のテーマは、耕さず、草や虫を敵とせず、肥料や農薬も使わない「自然農」です。中心人物である奈良の川口由一さんのほかに、各地で実践している人たちを訪ね、学びの場に集まる若者たちの声を聞いてきます。旅のルートは天気とスケジュールを考えながらになりそうですが、おおざっぱなものとして、奈良をスタートして、四国→九州→中国→近畿→北陸→中部→東海→関東→東北→北海道という感じです。最後は小樽から新潟までフェリーを使う予定。旅の期間は9月下旬までを予定しています。

◆いったん帰宅して自宅の稲刈りを済ませ、天日乾燥させたあとに脱穀して、10月下旬にまた旅に出て、関西方面を少し回り、奈良の川口さんの稲刈りを旅のゴールにするつもりです。はたして、その間、どんな人に出会い、どんな思いをめぐらせられるのか、今から楽しみです。


●新井由己さんから…2003.7.1…三重県名張市発…日本一周の第2報《E-mail》

◆1泊2日の強行軍で松之山から天理に移動して、先週末をそこで過ごし、今は三重県の名張市にいます。赤目四十八滝の近くにある学びの場の小屋に連泊し、ファミレスで仕事をひとつ片づけたところです。今回は大雑把なルートと期間だけ決めて、いろんな出会いに身を任せてみようと思っています。さっそく数年ぶりに再会できた偶然もありました。

◆今日は雨なので、公園の屋根付きベンチ下で寝る予定。テントのグランドシートが水浸しになってしまって困ってます。寝袋も夏用のぺらぺらのやつなので、ちょっと肌寒い。準備不足がこういうところで響いてます。雨続きだと撮影が難しいので、早く梅雨明けしてくれないかなと思う今日このごろです。明日、和歌山から徳島へフェリーで渡る予定です。天気待ちで数日滞在することになるかも。


【地平線新刊情報】 『グレートジャニー 「原住民」の知恵』関野吉晴 光文社(知恵の森文庫)800円

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●古山里美さんから…2003.6.3…神奈川県厚木市発
 
…今年の夏場だけ、という「電気予報」に関して、夫婦で世界を走り回っているライダーから、貴重な体験報告が届きました。

◆電気予報なんかまったく気にしてません。いや、気にしていない、というより、“今日は電気消費量を控えてください”と言われても、これ以上節電する箇所って、どこ? という状態です。冷蔵庫や電話の電源は抜けないし、家事の最中の唯一(?)の楽しみである音楽CDを流すのをやめるってのも、イヤだし…。

◆3月、四万十川で行われた「地平線会議イン四万十」で、地元テレビ局から節約についてインタビューされた時には「風呂の水を使って洗濯をし、その排水をトイレで使っています」と答えましたが、実はもっともっと色々なことをやっているのです。ということで、まずは、ウチで実行している水道、電気、ガスの節約術を紹介します。

《水道》1. 風呂の残り湯がある場合は、それを使って洗濯/2. 洗濯の排水は風呂場に置いたプラスチックの衣装ケースに溜め、その容量を越えさらに最後の方のすすぎで割と水がきれいな場合は、浴槽にも溜める。その水は、バケツで汲んでトイレ使用ごとトイレのタンクに注ぐ。トイレ掃除にも使用。トイレの水の元栓は閉めておくのが前提/3. 台所で使った割ときれいな水(野菜を洗った水、油分のない皿など洗った水など)は流しに置いたたらいに溜め、それがいっぱいになるとベランダに置いたバケツ(プランターの植物へ水やり)へ、または風呂場の衣装ケースか浴槽(トイレ用)へ移す。もちろんリサイクルゴミに出す食品トレーや牛乳パックなどの洗浄は、たらい水を利用する/4. 節水コマを台所と洗面所で使用/5. 毎朝の朝食では野菜スープを出すが、その水分は米のとぎ汁、野菜のゆで汁、スパゲティのゆで汁などを利用/6. 大雨の時は、外にバケツを出して雨水を溜め、トイレやプランターへの水やりに使用/*ウチの場合、トイレ、風呂場、洗濯機が隣接し、台所の外はすぐベランダという恵まれた間取りである。狭いアパートなので、台所と風呂場の距離も近い。

《電気》1. なくても済む電気製品は買わない。クーラー、電気ポット(保温ポットは所持)、電気カーペットなどは所持せず。夏の暑さには扇風機と窓全開で対応し、冬は石油ストーブで対応/2. 使用しない電気製品はこまめにコンセントを抜く。TVや電子レンジなどは使う時だけコンセントを差す/3. ろうそくを活用。5年前に結婚した時から、夕食時は電気を消し、ろうそくの明かりだけで食べる(今年はちょっと中止中)。入浴時に使うことも(年に数回、気が向いた時だけだが)/4. 電気が切れたら、電球型蛍光灯に変えたり、ワット数を落としたりする。つい昨日も風呂場の電球が切れたので、60Wだったものを20Wに変えた/*余談だが、カメラやヘッドランプなどで使う単3、単4電池は充電式を使用。太陽光で充電(急ぐ場合は普通の充電器を使用)。

《ガス》1. 台所に瞬間湯沸かし器がない。結婚して今のアパートに入居した時、ガス屋に付けるかと問われ、なしでやれるだけやってみようと思ったので、いらないと答え、結局今もなしのまま/2. 長時間の煮物は、途中で鍋をガス台から降ろし、新聞紙、手ぬぐい2枚、バスタオルで包み、余熱で仕上げる/3. 冬期、湯を湧かしたり、鍋を使った調理といったものは、ストーブの上ですべて行なう。という具合です。たいてい言い出しっぺはダンナですが、後を引き継ぎ、発展させて行くのは私、というパターンが多いようです。

◆洗濯排水を衣装ケースに溜め始めたのはダンナですが、それだけでは容量が少なく、溢れた水を捨てることになってもったいな〜い!と思った私が浴槽にも溜め始めたのです。でも、お風呂に入るには、その水を使い切らないとならないので、風呂好きのダンナは、時々せっかく溜めた水を捨ててしまいます。

◆大雨の時にバケツに水を溜めるのは、先月から始めてまだ2回しかやっていませんが、これもダンナが始めました。私は、こんなんで溜まるんかいな、と半信半疑に思っていたら、意外に溜まるんですね、これが。面白いほどに。で、気が向いたらやる、ということになりました。

◆電気製品のコンセントを抜くのもダンナが始め、最初はめんどくさいと思っていた私。でも、慣れればむしろ抜かない方が、まるで外出中に家の電気が付きっぱなしになっているのと同じ感覚で落ち着かない、という体質になってしまいました。

◆さて、これでどのぐらいの節約かというと、まめにやっている水道代は、2か月分で500円ほど(2、3月は330円の快挙!)です。ウチのアパートでは水道代の集金を回覧で廻して行なっているため、全世帯の各水道代がわかるのですが、だいたい平均は5000円ほどで、一万円を越す家庭もあります。もちろん、家族構成が夫婦二人というウチとは違うのでしょうけど。ただし、4月より下水道代をも含む計算となったので、4、5月分の上下水道代は870円。きっともう500円を切ることはないでしょう。

◆電気代は前に一度、電気使用量の資料を電力会社から取り寄せたことがありましたが、年間を通して各月の使用量が平均家庭の半分ぐらい、となっていました。

◆ガス代は他の家庭と比べてどうなのか、確認したことがないのでわかりません。平均して月に8立方メートルぐらいの使用量で、約2300円ほどですが。

◆なんでこんなことをやっているかというと、別に環境問題を意識しているわけではありません。 単に家計の出費を抑え、その分二人の趣味である旅にお金をかけたいからです。でも、水の大事さはオーストラリアの砂漠をバイクで走った時に痛感してるし、食事時にろうそくの光りでもいいや、という考え方はグアテマラのレストランで慣れているから(ロマンティックでもあるし…)です。ちなみに、ボックスティッシュを使う時は、よく半分にして使います。これは、サハリンに行った時、レストランにてペーパーナフキンが半分にちぎられて置いてあったことにヒントを得てます。半分で事足りる時はそうやって使っています。まあ、元々、物の無駄使いは好きじゃない、という性格もあるようです。

◆ところで、水道代に関しては、いつもアパートの平均金額をしっかりチェックし、その差額を“へそくり”にしてます。あっ、でも今まで(今のところ?)このへそくりを自分のために使ったことはないですよ。



●笑みこ & スティーブ・シールさんから…2003.7.6
 
…100キロレース直後の6月10日、梅田にシール・エミコさん夫妻ら大阪近郊の仲間が集まったことをにふれて《E-mail》

◆江本さん、先日は「しまなみ海道100キロ遠足」お疲れさまでした。その足で大阪によって下さり久々の再会が実現となったわけですが、それにしても100キロを完走したとは驚きでした。自転車でも力まなくてはならない距離なのに…。まさにガッツ。それによって私は勇気づけられました!!。

というのは、癌は思ってた以上にやっかいな病気で、闘病生活も2年半がたち、生きてるだけでありがたいのですが副作用の体の痛みや日常生活での支障だけではなく、次から次へと亡くなっていく癌仲間の悲運に精神的に押しつぶされそうになります。「次は自分の番かな?」不安と恐怖で眠れない日もあります。今年は体調が思ったよりよくない上に寝込んだり、(こんな私でさえ)誰とも会いたくない日があり、まるで長い長い体調低気圧の中にいるようです。

しかし、走り続けることによって100キロ先のゴールを迎えられた江本さん。マイペースで、最後まであきらめないのがポイントですね。いまはのんびり、そして確実に回復を目指していこうと思っています。スティーブが言うようにいつもどんな経験も楽しんで生きていきたいと思っています。この経験はこれからの自分の人生をより豊かにしてくれるものだから。気分転換に湯治治寮に出かけます。帰途、東京にも寄りたいと思います。とりあえず、ご報告まで。

追伸 大阪の集いでは岸本佳則・実千代ご夫妻との5年ぶりの再会、井倉りえさん、中島菊代さんとの再会、松田仁志さん、丸山富美さんとのやっとの出会い、和歌山の山本カヨさんも初参加され、アットホームで盛り上がりましたねー。そして二次会のカラオケは、これまた愉快!! 免疫力UP×UPでした。「人生一度きり。おもいきり楽しみましょう〜!」ではでは近々。

笑みこ(←字画悪いので漢字にしました)& スティーブ・シール


●今野明美さんから
 
…劇団コズミックシアターの「フリーランサー〜地雷を踏んだらサヨウナラ〜」(in大阪市立芸術創造館)を観て《E-mail》

◆劇を観に行って、銃を向けられてドキッとした。散歩に行って、走っている辰吉丈一郎氏を見て美しいと思った。私が住んでいるのは、スリルいっぱいのビバ!大阪である。

◆ふとしたきっかけで地平線会議と出会い、この公演のチケットを買おうと思ったその時チケットを譲り受けた。このタイミングの良さに自分でも驚いてしまった。一ノ瀬泰造氏に親近感を抱いたのは、彼が私と同じ「ボクサー好き」だったからだと思う。彼はただ『ヒト』の持つ強さに憧れ、そしてそれに圧倒され続け押し出されてしまっただけなのではないか、と感じている。アンコールワットの裾野にいたヴェトナムやカンボジアの人々と一ノ瀬氏の一片が劇の中にあった。壁に飾られている写真もパズルのように一つ一つ継ぎ合わせれば、彼と彼らを蘇らせてしまう。そこに、ここに共に生きた証が散らばって息をしているかのようだった。



『あいらんだあ』が通巻100号に
1978年の10月から25年がかり。7/6に八丈島で記念パーティも

1978年の10月に創刊されたぐるーぷ・あいらんだあの機関誌『あいらんだあ』が、このほど(6月刊行分)通巻100号を迎えました。おめでとうございます! 7月6日には八丈島で100号記念パーティも開かれました。
http://homepage2.nifty.com/shimatabi/islander/



“リヤカーマン”永瀬忠志さん 南米縦断へ出発

神戸集会にも登場したあの“リヤカーマン”の永瀬忠志さんが、6月10日、大阪空港から出発しました。1年がかりでリヤカーを引いて南米縦断10000キロを歩きます。



「2003岩波ジュニア選書セミナー〈読む力・学ぶ力〉」
賀曽利隆さんが講師に...

テーマ 世界を駆けるゾ!――バイクでめぐった国、出会ったひと/講師:賀曽利隆/日時:8月7日(木)14時から16時/場所:岩波アネックスビル3階 都営地下鉄神保町下車すぐ/参加費:1000円/対象:中高生(たぶん若者気分なら大丈夫だと思いますが、問い合わせてください)/定員:40名(先着順・定員になりしだい締切り)/問い合わせ先:「岩波ジュニア新書セミナー」係 電話03-5210-4215またはentry1@iwanami.co.jp/http://www.iwanami.co.jp/hensyu/jr/event/index.html


【地平線新刊情報】 写真集『パキスタンの少数民族 カラーシャ―その生活と伝統―』わだ晶子 パキスタンの大手出版社、サンゲミール出版(Sang-e-Meel Publications)英文テキスト/英文キャプション(日本語訳冊子付き) 4800円(送料込み・限定300部)http://kalasha.fc2web.com/



渡辺一枝対談シリーズ“境界線を越えて”1
渡辺一枝+タシナ・ワンブリ

◆1987年以来、チベットヘの旅を重ね多くの著作と写真を発表している作家の渡辺一枝さんが、「いまこの人の話を聞いてみたい、多くの人に聞いてほしい」と思う人と語り合うシリーズが始まります。その第1回目のゲストはタシナ・ワンブリさん。中央アジア騎馬民族の血を引く一人としてアメリカに生まれ、北米先住民族シャイアン族の養子となり、その自由と独立のための連動に参加してきた方です。マイノリティの立場から、渡辺さんと国や自然との関わり方などをめぐって語り合います。

日時:7月21日午後3時から(開場30分前)/場所:セッションハウス地下スタジオ(東京都新宿区矢来町158 地下鉄東西線神楽坂駅 神楽坂方面出口より徒歩1分)/参加資:1200円/申込み受付開始:7/7より・電話にて 03-3266-0461(10:00am〜7:00pm)
地図:http://www.interq.or.jp/tokyo/session/webRoom/waytoS.html




■今月の地平線報告会の案内(絵と文:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

荒野の自転車野郎・冬期シベリア横断録

7/29(火) 18:30〜21:00
 Jyl. 2003
 ¥500
 新宿榎町地域センター(03-3202-8585)

 西牟田靖さん(33)がサハリンに渡ったのは、たまたま訪れた宗谷岬から島影を望んだのがきっかけ。恋に破れ、センチメンタルな旅の途中でした。気のむくままにサハリンの客となった西牟田さんは、とある山の中腹に一基の鳥居を訪ねます。日本領土時代の名残りであるその鳥居に「“国破れて山河あり”みたいな感じを受けたんです」と西牟田さん。

じゃあ他の旧領土はどうなっているんだろう? その興味は、彼のモノ書き魂を刺激しました。時に2000年の夏でした。もともとは自分を見つめ直すためにその1月にスタートした旅。あらたに「日本の旧植民地を訪ねる」というテーマを加え、以後今年3月まで続けてきました。台湾、韓国、北朝鮮、満州、ミクロネシアと訪ね歩き、古老の話に耳を傾ける。

旅はまだまだ途上ですが、ひとまずまとめて報告して頂きます。帝国日本のあり余るような無茶なパワーを感じる旅を語ってくれるでしょう。お楽しみに!


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)


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