2004年9月の地平線通信



■9月の地平線通信・298号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙 「半月板損傷です」。え〜、それってプロのサッカー選手かなんかがやる膝の故障じゃないの?

●昨年10月、ほぼ毎年のように通っているボルネオ島サラワク州の熱帯林に行く数週間前、右膝外側にときおりピリと痛みが走り、ついには、長時間歩くと、足を引きずるまでに悪化した。そこで家の近くの整形外科で診断を受けたのだ。

●ジャングル歩きは無理と判断し、出発2週間前に旅行の中止を決めた。ただ、発見が早かったため、超短波を膝に照射する簡単な治療を数ヶ月続ければ治ることは約束された。

●「関節遊離体です」。え〜、それって野球のピッチャーなんかが肘にやるやつじゃないか。

●今年4月、治療の甲斐あってジョギングできるまでに膝は回復した。ところが、入れ替わるように、今度はアグラをかこうとすると右股関節が痛む。なんでも、右股関節の外側に小さな骨片が3個できていて、それがアグラのように関節に角度をつけると関節とぶつかり痛むのだと。ただ、歩く、走るなどの日常的運動には問題ないので、このまま様子をみることにした。

●「椎間板損傷です」。今度は柔道選手だ。同じ4月、ジョギングの準備運動で左足を頭まで振り上げてみたら、左尻の下に痛みが走った。それが何週間も続くので、X線を撮ると、腰椎の一番下の椎間板が少しはみ出ていて、それが神経に触れ痛むとのこと。ということで、一日10分の腰の牽引という理学療法を受けている。

●膝、股関節、腰がほぼ同時にやられたのは、偶然ではなく、体のバランスが崩れていたのだろう。ところで、半月板損傷の最初の2ヶ月は杖をついていた。「にわか老人」の体で横浜から東京に出てくるのはきつかった。まず駅に下りのエスカレーターが少ないこと。老人には、上りよりも体重のかかる下りがきついのじゃ。また、杖をついて優先席近くに立っていても席を譲られたことはたったの一度。日本の人は冷たいのう。せめて寝たふりだけはよしてほしい。

●6月中旬、膝と腰への問題なしとの自己判断で3週間のサラワク行きを決行した。サラワクには1989年から通っている。いろいろな民族を訪ねたが、一つだけ行っていないところがあった。東南アジア最後と言われる、家をもたずに、森の中を狩猟採取しながら移動して生きるプナン人である。人口は1万5000人くらいだが、そのほとんどは政府の定住化政策で移動生活をやめてしまい、今、純粋に移動生活をしているのはわずか約300人しかいない。

●僕がサラワクに行き始めた頃、この移動プナン人と出会うには、運が良くて3日、たいていは1週間かかると言われていた。それだけ森の奥深くに住んでいる。だが、今回、奥地までのチャーター車を降りてその数分後に出会えたのには拍子抜けした。それだけ、商業伐採が奥地にまで入り込み、木材会社の伐採用道路を使えばもはや移動プナン人にもアクセスが容易になったのだ。

●とはいえ、道路から歩いて1分もすればいきなり急勾配の森の道が始まり、5分も歩けば絶対に周りから気づかれない場所に彼らは住んでいた。その生活はいたってシンプル。家は枝を組んで1〜2時間で仕上げ、床は細い丸太を並べるだけ。時間の概念はない。働きたいときに猟や漁に出て、腹がすけば1時間おきに食べ、夜の11時でも料理を始める。寝たい人は一日中寝ている。辺りに食料が少なくなれば移動を始める。そして誰もが穏やかだ。その「自由」は実に鮮明だった。まだ、こういう人々がいるんだ。

●ところで、サラワクに何度行ったのかを数えたら19回だった。きりが悪いのでまた行かなければ。今回は実質10日間もない短い滞在だったので、次回は、移動プナン人とのより長い滞在を目指したい。

●私事で恐縮だが、連れ合いが妊娠した。その出産予定日「10月29日」を聞かされたとき、僕は偶然の一致に驚いた。その日は、サラワクのよく行く村から、商業伐採に反対したがために42人がいっせい逮捕された日であり、同時に、これで負けるかと、その2年後、いろいろな村の有志を集めて政府や企業とどう闘うかを話し合い、飲み合い、踊りあう「勇者の祭典」を開催した特別な日であるからだ。その感激は今も僕の心を離れない。

●子どもが歩けるくらいにまでなったなら、是非、サラワクには連れて行きたいと思っている。[樫田秀樹 ついに父に]



先月の報告会から(報告会レポート・301)
地平線大秘宝物語!!
江本嘉伸
2004.8.27(金) 新宿区榎町地域センター

◆冒頭、江本さんがこれまで25回も通い詰め、そこで常に着用していたというモンゴルの民族衣装を着だした。長いあわせのような上着“デール”に細長い帯“ブス”を巻く。そして頭には毛皮の帽子。「あちらではこれを着てるほうが自然な感じ」という江本さんの姿は、確かにやけに似合っていた。

◆早速その恰好で、取り出したのがガラン、ガランと鳴るカウベル。そこからチベットで大活躍の動物、ヤクの話に入った。場内は暗くなり、高原のヤクの群れが映し出される。荷物運びだけでなく、万能な動物という。まずは、もちろん乳。そしてヤクの毛。これはなんと編んでテントに使われる。次に糞。乾燥させるとそれはそれはよく燃える。そう、燃料となるのだ。日本では糞を見つけると、ウベッ!と思う人が多いと思うが、モンゴルではまさしくウホッ!なのだそうだ。

◆そしてヤクの役割をもう一つ。大麦の脱穀である。チベットで欠かせない主食ツァンパをつくるための最初の作業、脱穀をヤクがするのだ。その後女性が大きな篩(ふるい)でより分け、鉄鍋で炒り、石臼で引く。コワという珍しい皮舟もスライドに登場した。ヤク5、6頭の皮でつくるそうだ。何ともヤクは役に立つ(笑)

◆東チベットのスライドの中に、日本の農村に似た家が現れた。いろりがあって、薪を使う。炭焼き釜もある。チベットはどうも遊牧民だけのように見られがちではあるが、実際は農業経済が主力、という話に意表をつかれた。

◆小さな石が持ち出された。エベレスト頂上の石。ここで、話はヒマラヤに展開した。「今年エベレストに登った人は何人か知ってる?」と質問。「今年は330人くらい、累計で2300人以上になる」と江本さんが話すと会場がどよめいた。そのことが少なからず山にも影響しているそうだ。「地球温暖化のせいで、氷河も付近のセラック(氷の塔)も小さくなっていっている」

◆アムド(中国では青海省)と呼ばれる地にある黄河源流で採取した源泉の水が披露され、話はモンゴルへと移る。取り出した秘蔵品は、競馬の時、膨大な汗をかく馬の汗取り棒、そしてモンゴル人が旅人を見送る時に乳をふり撒くへら。見ただけでは用途のわからない品々だ。両方とも、いただきモノであるそうだが、だからこそ沢山の思いが詰まっているのだろう。旅人を見送る道具には馬、らくだ、羊、ヤギ…日本の十二支と動物は多少違えど、ちゃんと12の動物が描かれていた。

◆モンゴルといえば、“ナーダム”。家族上げての戦いで、競馬、相撲、弓と三種類ある。競馬に関しては、600〜800頭くらいの馬が、長いのは30kmレースから短いのは18kmレースで戦うという。6歳〜12歳くらいまでの子供が騎手だ。

◆最後に出てきたのは数々のナイフだった。国々によって、大きさも形も違う。日本では、ナイフは危険なものとして扱われているのだが、本来は「とっても大事なもの」であるという。食べるためにも生きるためにもなくてはならないもの。だからこそ、その地域、その時代に応じて、いろいろな形に形成されるのだ。

◆「品物からどれだけ文化を語れるか」をテーマに次々に出てくる秘蔵品とスライド。考えさせられる「自慢」であった。

◆後半は意外な形でスターと。それは地平線では有名な賀曽利氏の一言から始まった。「実は数日前まで青森にいたのだけど、地平線でオークションをやるということで、私もそれは出品しなくては、と思い、バイクで駆けつけた。」なんと今日の日をオークションと思い込んで、せっせと品を探し出し、持ち込んでくれていたのだった。

◆そういうことで、オークション会場に早代わりした。賀曽利さんのユーラシア横断の際の記念のヘルメットを自転車野郎の安東さんが5000円で落札すると、安東さんシベリア横断の時の唯一のムダであった(安東さんはチャリ旅の時、紙一枚たりともムダどう思うモノを持っていかない)、ハーモニカを江本さんが1500円でゲット。

◆次に出てきたのは三輪さんがエクアドルの海岸で拾ってきたという、恐竜らしき大動物の大たい骨。これはオークション?いやいや、これはさすがに違った。ズシンと重いお土産をリュックに背負ってきた三輪さんは博物館に持っていき、聞いてみると「こんなもの持ってきちゃだめ」と言われたそうだ。さて、インドのサリーを持ってきて、サリー着方講座をしたのは今日の司会の藤原和枝さんだ。どんなに太っていても痩せていても誰でも着られるサリーの、インドでの使い方を紹介し、ついでにインド人にとっての楽しみであるアクセサリー、おでこにつけるビンディーや天然染料で作られているへナを紹介した。

◆長野亮之介画伯は、20年くらい前にアラスカで川下りをした時に拾った「西部開拓時代のものかも?」という蹄鉄を持ってきていた。形の「U」の上から幸せが入ってくるということで、自宅の玄関に守り神として飾っていたという。

◆坪井伸吾さんは19年前始めてバイクでアメリカを横断した時に着ていた自分の決意入りのジャケットを紹介し、石川直樹さんはグリーンランドに住んでいる女性の方にいただいたという白熊の人形を紹介し、白根全さんは南極大陸から持ってきた「1500年くらい前のコケ」を保存していると自慢をし、江本さんは東京五輪の際の1000円メダルを自慢した。とってもいい自慢大会だった。

◆そして、香川澄雄さんは今年のトランスアメリカのサポートをつとめた際の帽子と、なんと200回記念で作った地平線会議のオリジナルTシャツをオークションに出してくれ、極めつけは北朝鮮に詳しいナゾめいた魅惑の人物、満州氏がテポドン1号を打ち上げたときの記念切手と、ソウルオリンピックで柔道田村亮子に決勝戦で朝鮮の選手ケー・スンヒが勝ったときの記念切手と、イギリスのチャールズ皇太子が生まれた時に記念で作られた切手をオークションに出してくれた。

◆あっという間に時間が過ぎ、最後に、地平線初期に報告されたという北海道在住の西川栄明さんが、当時の思いを語ってくれた。何年たっても帰ってくればすぐ仲間になれる場所があるというのはなんとも素晴らしい。

◆ワイワイいろんな人が交代で主役になった今回の地平線。300回記念を目前にして、みんなの気持ちが歴史の振り返りと共に盛り上がっていっているのだろう。さて、11月7日が楽しみだ。[鈴木博子 愛知県から地平線に通勤中の健脚娘]



地平線ポストから
地平線ポストではみなさんからのお便りをお待ちしています。旅先でみたこと聞いたこと、最近感じたこと…、何でも結構です。Fax、E-mailでも受け付けています。
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●関野吉晴さんから…2004.9.9…プージェの死!!《E-mail》


◆9月5日、予定通り極東シベリアから戻りました。7月上旬、モンゴルに向かい、プージェの49日に参りました。彼女は12歳、5年前に出会ったとても印象的な少女でした。悲しい旅の始まりでしたが、その後ブリャートの村を訪れた後、列車でロシアに入りました。

◆ロシアでは極東シベリアをおよそ2100キロをほぼアムール川沿いに自転車で移動しました。8月中旬、間宮海峡に到達、対岸にサハリンを見ました。来年1〜2月に凍った海を徒歩横断し、サハリン西海岸を南下する予定です。今回カャックでアムール川下流を下り、漁猟・狩猟を中心にして暮らしているウリチの村に滞在しました。

◆次の予定は10〜11月にシベリアサハ共和国の北極圏で、シベリアビッグホーンや野生トナカイを日本のマタギのように巻狩りで行っているエベンの村に行く予定です。

◆ハバロフスクから青森に飛行機で戻ってくる時、青い穏やかな宗谷海峡が見えました。空から見る限りはとても近いという印象を受けました。来年の夏、ここをシーカヤックで渡る予定です。関野吉晴(#旅人) #最近気に入ってよく使っている肩書きです。

関野さんは、娘、知恵さんと同じ年令のプージェのことがいつもいつも頭にあった。母親がまた素晴らしかった。なのにその母は、落馬事故が原因で亡くなった。父はいない。今回のモンゴル入りの最大の目的はプージェとの再会だった。日本を出る前、どこにいるのか夏営地を探してもらうようにモンゴルの友人に手配して、衝撃の訃報を知った。母親と同じく49日の弔問となってしまった。現地で聞いた話では、プージェは学校の成績が抜群で「通訳になりたい」との夢をずっと持ちつづけていたという。その日は寄宿舎から車をヒッチして、国道沿いの自分の住む親戚のゲルに帰ってきたところだった。3台の車をやり過ごしてもう車は来ないと思い、ゲルに向かって横断しかけたところ、4台目の車にはねられたという。「日本のおじさんがまた来る」と楽しみにしていたプージェ。母子2代、素晴らしい出会いと、あまりにも痛恨・衝撃の別れだった。[Emo]


●丸山純さん・令子さんから…2004.9.5…パキスタン・チトラル発《E-mail》


◆昨日(土曜日)、カラーシャ谷滞在を終えて、またチトラルに出てきました。ルクムー谷で1泊、いつものムンムレット谷にも3泊しか滞在できず、旧知の人たちに挨拶に回っているうちにもう帰る日になってしまったようなものでしたが、デジタルカメラのワークショップを開催することができて、短いながらもなかなか充実した滞在となりました。デジカメやコンピューターを見るのも触るのも初めてというカラーシャの子どもたちが、最初はとまどいながらもしだいにカメラを使いこなし、イスラーム教徒とは違った写真を撮ってきてくれたのには、深い感動を覚えました。

◆カラーシャ谷に向かう前にドローシュの学校で、音楽の授業と絵本の読み聞かせもやりました。また、昨日はチトラルに出てきたその足で、チトラルの町からジープで45分ほど離れた村にプレイグラウンド建設の下見にも行ってきました。やりたいと思っていたことをすべて片づけることができ、満足しています。

◆ここのところ、午前中は快晴が続いて、飛行機も毎日来ているので、明日ペシャワールに飛ぶことができそうです。ペシャワールで1泊したのち、イスラマバードに向かい、10日に帰国します。

《速報》丸山ご夫妻は10日に無事帰国されました。


イラクで12人の人質が殺されたネパールでは、政府に批判の矛先が向けられた。JICAの短期専門家として滞在している中畑朋子さんから…2004.9.2…カトマンズ発…《E-mail》


ナマステナマステ。外出禁止令の出ているカトマンズからです。ヘリコプターが昨日から飛んで市内の様子を見ています。軍のヘリコプターだと思われます。

◆昨日は大変でした。出勤後すぐJICA事務所から各所で暴動が起きてるから、外出しないようにとの連絡がありました。そしてお昼前に、自宅へ戻るようにとの指示。歩いて戻る途中にも、タイヤを燃やした後が何箇所も。その時点では、誰に対して暴動を起こしているのか知らなかったのですが、きょろきょろしていたら教えてくれるネパール人がいました。

◆事件の犠牲者のように、出稼ぎに出るネパール人の派遣手配をするマンパワーの会社がやられていたのです。今回の犠牲者もヨルダンからイラクへだまされて連れて行かれたということでした。まずやられたのが、犠牲者たちを手配した会社、そして、その後は今回の事件とは関係のない派遣会社。多分、カトマンズ盆地にある派遣会社は全て焼き討ちにあったでしょう。

◆オフィスからアパートに戻るほん15分くらいの距離で3社がやられていました。会社の窓ガラスは割られ、コンピュータ・机・椅子・書類等々、全部を通りに投げ出して燃やしてしまうのです。モノが投げ出されるたびに、喚声があがっていました。

◆3階の窓から、それらのモノが落ちていく様子には心が痛みました。悪い派遣会社もあるだろうけど、同じ市民なのに。出稼ぎに行かなくちゃならない経済状態をつくっている政府に訴えるべきだろうと思いました。

◆午後二時から外出禁止令。5階にある私の部屋からはまだ、あちこちから上がっている炎と煙が見えました。車やバイクの音がまったくしなかったので、夜はいつもより静かでした。NHKワールドが映らなくなってます。韓国のテレビもフランスのテレビも。ネパールとインドの放送を観てます。

◆今朝は人通りがあったので、あれっと思ったのですが、一時解除という状態でした。食料の買出しに走りました。八百屋の野菜はほとんど売り切れていましたが、私の分くらいはありました。スーパーでは缶詰やビスケットを購入。これで10日間くらいは篭城できそうです。

◆再び外出禁止令が始まった9時半にはぴたっと人がいなくなりました。私は事務所からの情報で知ったのだけど、皆どうやって情報を得ているのでしょう?でも、屋上に洗濯物を干す人影や、子どもの声といった、生活の様子は感じられ、町の中の時間が止まってしまっているような風ではありません。

◆今日は12人の犠牲者の冥福を祈るためのナショナルホリデーになりました。今回、あの焼き討ちの様子を見て、テンションの上がった人たちを制することは誰にもできないなぁ、怖いなぁと感じました。普段の生活で鬱積しているストレスをぶつけられる相手が見つかったとたんに、ああやって発散しているという風にも思えました。いつもは日本人だからといってやさしくしてもらっていますが、何かの理由で目をつけれれたら、逃げようがないなぁと。

◆アパートだって危ない。お金持ちのネパール人も狙われる確立が高いですから。とりあえず、今は安定しています。私の住まいは、多分ネパールで一番(といってもいい)閑静な住宅地にあるので、カトマンズ市内の様子は見えてはこないのですが。カトマンズからの実況中継でした。ではまた[ナカハタトモコ]


●中畑朋子さんから…2004.9.10…カトマンズ発《E-mail》 〜第2報〜


◆ナマステナマステ。先日はお騒がせのメールで失礼しました。その後、外出禁止令は6日の午前3時まで続き、解除されました。6日がクリシュナ神のお誕生日の祝日だから、解除しないわけにはいけなかったのでしょう。6日は、何事も無かったように、皆着飾って王宮の周りに集っていました。その後、何もできなかった(しなかった?)政府に対して、批判がいろいろ出ているようですが。

◆テレビの国際放送が入らなくなっていたのは中継しているテレビ局が襲撃にあったからでした。数日後元に戻りました。

◆たぶん、これから二ヶ月ほどはお祭りが続くので、ひどい騒ぎは起きないと思います。お祭りは、この国の人の暮らしに重要な位置を占めているから。というのは楽観しすぎかな?というわけで、ひとまず安定しています。

◆同志社探検部で長倉洋海さんの後輩だったという人や、建設省で花岡正明さんの先輩という人がいて、やっぱり世界は狭いです。皆JICAで働いてます。




そういえば、こんなことも…。地平線会議1/4世紀こぼれ話

久しぶりの地平線会議

◆「江本さん、昔と全然変わってないなあ。会場の雰囲気もおんなじだ」8月27日、地平線会議報告会へ久しぶりに出かけてみた。ちょうど北海道から東京に出て来た日に会が開かれるという。最近の『地平線通信』で賀曽利隆さんたちが書いている「そういえば、こんなことも…。」を読んで、20数年前のことを思い出していた。つい懐かしくなって、榎町地域センターに足を向けたのだ。場所がアジア会館から移っても、会全体を包む空気は以前のままだった。

◆江本さんに初めて会ったのは、1978年の秋。当時、私は関西大学探検部に所属し、北米大陸1万キロをカヌーで縦断する計画を立てていた。その情報収集のため、一つ後輩の安川晶浩(第11回報告会の報告者)と東京へ出かけた。どういう経緯があったのかは覚えていないが、土曜日の午後、たしか「あむかす」の事務所で江本さんたちに相談に乗ってもらったと思う。

◆確かな記憶ではないが、宮本千晴さん、賀曽利隆さん、東海大学の街道憲久さんたちがいらっしゃって、法政の探検部の連中も何人かいたような気がする。その時、えもいわれぬ熱気を感じた。「やっぱり東京は違う。関西にはない雰囲気だな」と。地平線会議発足のちょうど1年前。「あむかす」の事務所で感じた熱いものが、その後の地平線会議へとつながっているのだろう。

◆それにしても、“25年”である。「西川、25年間、毎月開いてきたんだぞ」と、江本さんが報告会の二次会で話しかけてきた。これは、すごい。自分自身のこの25年間を振り返ってみると、就職もしたし、結婚もしたし、脱サラもしたし、震災で神戸の実家は全壊したし…、様々な出来事が起こったが、その間、ずうーーーと報告会は毎月開かれてきたわけだ。

◆今回、地平線会議を支える若いメンバーともお話できた。これからどういう形になっていくかはわからないが、まだまだ地平線会議は進化していく予感がした。

◆〈追記1〉冒頭に書いた、江本さんが変わっていないというのは、「入れ歯の具合を試してでもいるかのようにモゴモゴ喋るおじさん(292号参照)」のイメージが変わっていないということではありません。元々、そのようなイメージは持っていませんでしたから(少しはあったかな)。60歳を過ぎても30代のころと変わらず若々しいということです。〈追記2〉9月15日発売の雑誌『ダカーポ』に「ゲストの日記」を書きました。8月27日(金)の項で、地平線会議へ出かけたことについて触れています。[西川栄明 北海道弟子屈町在住]

〈編集長から〉西川君は、もの書き。それも木の世界のことを書いています。最新刊は、6月に上梓した『手づくりの木の道具 木のおもちゃ』(岩波アクティブ新書)。その他に、『北の木と語る』、『北の木仕事 20人の工房』(ともに、北海道新聞社)『40歳からの都会2田舎8の生活術』(講談社+α新書)『結婚の新しいかたち』(妻との共著、宝島社新書)などがあります。現在、読売新聞都内版「とうきょう異聞」(隔週木曜日掲載)東京新聞・中日新聞サンデー版「サンデークラフト」隔週日曜日掲載などだそうです。


 
1万円カンパ開始! 皆さんの心に感謝!!

◆地平線報告会300回と地平線会議発足25周年を記念して進めているいくつかのプロジェクトのための1万円カンパ、先月の通信でお知らせすると同時に(いや、中にはそれ以前から)、貴重な志が寄せられ、感激しています。

◆会員制度ではなく、ちゃんとした会則も持たず(一応原案はずっとある)、会費もなく、報告会の参加費も25年ずっと500円というのが地平線会議。これだけの実績があるのならNPO法人にしたらどうか、と熱心に勧めてくれる人もいますが、そういうのはなじめないと思う。少しいい加減に、少し名もなく、貧しく、美しく、というほうが、なんとなく合っている気がします。きちんとする、というのがNPO法人の要諦でしょうが、地平線会議はかなりいい加減、しかも「お金と名声」に関して誰も得しないからこそやってこれたんです。

◆今月発売の「岳人」10月号の「岳人時評」というコラムで地平線会議のことにふれ、その中で「地平線会議がここまでやってきた理由のひとつは、『市場経済』という魔物と一線を画して活動を続けてきたことにある、と思う」と書きました。僭越、ととらえる向きもあるかもしれませんが、本心です。

◆今回のカンパで嬉しかったことのひとつは、今春社会人になったばかりの若手から早々に1万円を頂いたことです。地平線会議と出会って、どんなに元気づけられたか、わずかでもお返ししたいです、と言われて、私はほとんど泣きたかったね。

◆もうひとつ。10万円を下さった人もいます。ただし、匿名を条件だったので、名は書きません。みんな、ほんとにありがとう。

◆カンパに協力してくれた人の名前、少しずつ増えるでしょうが、当分の間、毎号掲載して受領の証しとさせてもらいます。[地平線会議代表世話人・江本嘉伸]

[1万円カンパ実行人リスト](2004年9月9日現在)金井重 丸山富美 埜口保男 北川文夫 飯野昭司 青木(生田目)明美 横山喜久 野々山富雄 西澤栄里子 中島菊代 岩淵清 森井祐介 花崎洋 坂下哲之 関根皓博 村田忠彦 賀曽利隆 大西夏奈子 松田仁志 岸本実千代 河田真智子 江本嘉伸 海宝道義 海宝静恵 遊上陽子 斎藤豊


KAZAMA AID
風間深志半復活激励ライブ・逆風満帆

◆風間深志さん、左足の治療が難航し、8月11日退院後も長い治療の日々が始まっています。おそらく治療の過程で判断に問題があったのでは‥とかなり気の毒な状態です。彼の再出発を励ますべく、音楽とトークの集いを企画しました。カンパが目的ですので、実は飲食はあまり出ません。かわりに心のこもったプログラムがいろいろ展開する予定です。飯なしにしては少し高いのですが、どうかご理解の上、参加頂ける方は、江本あてご連絡を(チケットを持っています)。ファクス(03-3359-7907)。

[日時]9月20日(月・祝)開場16:00 開演17:00 終演19:30 [会場]アルカディア市ヶ谷(私学会館)千代田区九段北4-2-25/JR、地下鉄市ヶ谷駅より徒歩2分 [会費]8,000円 [主催]『風間深志応援団』[出演者(予定)]宇崎竜童(音楽家)賀曽利隆(ライター)片山右京(レーサー・登山家)佐藤秀明(写真家)辰野勇(カヌーイスト・登山家)長岡竜介(ケーナ奏者)西澤ヨシノリ(プロボクサー)ハーフムーン〈琢磨仁・啓子〉(音楽家)山村レイコ(エッセイスト)他

◆同じ9月20日、『鉄馬のドンキホーテ』(インフォレスト社)を刊行、発売の予定。価格・1300円(税込)。売上は、すべて風間深志さんへ。[制作スタッフ]著者:阿木燿子、宇崎竜童、賀曽利隆、片山右京、小室等、佐藤秀明、沢野ひとし、辰野勇、野田知佑、三浦雄一郎、山村レイコ、夢枕獏ほか/装丁:日比野克彦/企画/編集:江本嘉伸



地平線新刊情報

「『見えない隣人』〜小説・中国人犯罪〜」森田靖郎著 小学館 1,575円 9月10日発刊

「正体は海亀(ハイコイ)だ」「出稼ぎ密航者にしろ犯罪者にしろ、“俺”に言わせれば故郷で卵を生むために命がけで海を越えてカネ稼ぎにやってくる海亀だ……」「黄金を夢見た海亀が、ここで見るのは地獄だ。“俺”はそれを教えてやりたいまでさ」

…森田さんより「久々に充実した仕事でした。是非読んで感想を聞かせてください。アンデスでフォルクローレを演奏し、尺アユを上げ、初めての小説も出せました」 home.catv.ne.jp/kk/ymorita/



大集会情報

9月10日O合実行委員長とT田が前夜祭の会場となる予定の新アジア会館のレストランを下見に。すでにE本氏が仮予約を入れていることが判明。

前夜祭でも盛り上がる予定です。是非前夜祭にもみなさんの参加をお持ちしています。詳しくは次号で。




■今月の地平線報告会の案内(絵と文:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

チヘイセン学のススメ

9月24日(金曜日) 18:30〜21:00
¥500
 新宿区榎町地域センター(03-3202-8585)

「地平線ってのは目に見えるし、そこに行ける。でも行くとそこには無い。有限だけど無限。行き着けないとわかっていても行きたくなる。行きつかないから、新しい何かを発見する。そもそも空と大地の境目ってのは、つまり無と有の境界。そこに魅かれるのは知的生きものとしての性(さが)かも…」と話すのは三輪主彦さん。

 地平線報告会の第一回報告者であり、25年間地平線会議を支えてきた大黒柱的存在です。マラソンではサブスリーランナーで、ジャーニー・ラン(走り旅)の提唱者でも。

 その三輪さんが今回満を持して提唱するのが「地平線学」。その深い哲学的思索を分かり易く解き、次いで実例として“地平線学徒”列伝を披露して頂きます。必聴!!

 なお当日は三輪さんの60才の誕生日! 縁起物の申年の赤いパンツをはいて登場します。有難さ倍増の報告会です!





先月号の発送請負人 三輪主彦 関根皓博 森井祐介 藤原和枝 坪井伸吾 江本嘉伸 菊地由美子


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)


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