2023年10月の地平線通信

10月の地平線通信・534号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙

10月18日。爽やかな朝だ。新聞を取りに出たついでに金木犀の香に誘われて近くの浅間山(せんげんやま)に登った。午前6時30分。こんな時間は初めてだが、気持ちいい。たまには早起きしなくては。富士見台という場所に立つと目の前に富士山ががっしり全身をあらわしていた。良かった。

◆携帯を覗くと石川直樹君の8000メートルのことが伝えられている。先月号に「いつのまにかもうすぐ14座」という原稿を書いてもらったばかりでその先が気になっていた。ええ? シシャパンマで遭難? 他のパーティーが?

◆もう帰ってきているかも、と本人に慌てて電話してみるがつかまらない。以下、石川君のインスタグラムから引用させてもらう。「10月7日朝、(中略)ぼくたちのイマジンネパール隊とエリートエクスペディションの合同隊が到達した。すると,後ろからテンジェン・ラマ率いるジーナたちがやってきた」。

◆「ラマに率いられたジーナたちは鬼気迫る速さで、ぼくたちを追い抜いていった」。この日、2人のアメリカ人女性、ジーナとアンナが共に「アメリカ女性初の8000メートル峰14座全山登頂」を目指してシシャパンマのてっぺんを目指していた。石川君は信頼するキルーシェルパと共に終始冷静に山に対していたことが伺える。◆

◆「ラマはダブルアックスで先頭を行き、ロープを結んだジーナをガンガン引っ張っていった。その先には、エリートエクスペディション隊から抜け出たアンナたち3人がいた。ここから『アメリカ人女性初14座登頂』というタイトルを賭けた、アンナ(+シェルパ2人)VSジーナ(+シェルパ2人)の仁義なき戦いが始まった(アンナもジーナも、共に13座に登頂、シシャパンマが最後の山だった。この競争の無意味さ、或いは、この競争から引き起こされたといってもいい今回の遭難に関する推察は、またの機会に)」。

◆「そして、その次、3番目に、ぼくとキルーシェルパがいた。キルーはK2を冬季初登頂を果たした10人のネパール人の1人で、ぼくのザイルパートナーとしては、十分すぎるほどの実力者だった。ぼくらを追い抜いたラマたちは左から右へまわりこむルートをとった。対してアンナたちは直登して右へまわりこむルートをとった。これが運命の分かれ道だった」。

◆話を続ける。迫力ある現場報告なので、はじめ予定していたフロント用のほかの原稿(いろいろ考えていた)は今月はカットします。「彼女らを後ろから追う形になった自分は、自信ありげに左にルートをとったラマのほうが正しいだろうと踏み、アンナではなくラマ+ジーナのほうのルートに進んだ」。石川君は冷静に8000メートルでの出来事について語り続ける。「強風が吹き荒ぶなか、左から右へまわりこむと緩斜面となり、(中略)ぼくとキルーは、先行2チームを追う形で、長いトラバースを開始」。

◆先行する2チームの動きを見極めながら石川チームは冷静に行動する。「ぼくとキルーはトラバースを続け、(中略)右にデカいセラック(氷塊)のある地点で、行動食を食べることにした」「すると、その先で、上からチリ雪崩がくるのが見えた。ぼくとキルーはセラックに守られて無傷。が、途端に無線が交錯していった。誰かが流されたらしい? それがアンナたち3人とわかり、ただ事じゃない様子が数分後には伝わってきた」。

◆「流された3人のうち、カルマというシェルパが生きていて」状況がわかってきた。「ラマとジーナたちは登り続けた。3番手にいる自分とキールは、はるか後方にいたミンマGと無線で連絡を取り合い、引き返すことを決めた。『これ以上進むのは危険』と判断したのだ。一息つける緩斜面まで戻りきる直前に振り返るとまた雪煙が上がっている。2度目の雪崩が起こり、ジーナやラマが登頂直前に流されたのだ」。

◆なんと、石川直樹の目の前でアメリカの2人の女性登山家が「14座一番乗り」を競って雪崩に飲まれたのだ。ここまで書いたところで石川直樹本人から電話。いま、フロントを書いているが、君のインスタグラムの内容使いますよ、と伝え、了解を取った。ついでに簡単に様子を聞くと石川君自身も10月2日にチョーオユー(8201メートル)を登り、最後の14座目だったそうだ。帰国してかなりバテてはいるが元気という。近く、地平線で報告してね、とついでにお願いした。

◆石川君がはじめて地平線会議に登場したのは、1999年4月27日の234回の報告会だった。「海を渡る星の唄」というタイトル。その後、TBSの「情熱大陸」で紹介されたあたりからファンが一気に増え、100人がいいところの榎町地域センターで240人が詰めかけ往生したことは忘れられない。とにかくこれまでも何度かの相当な局面でも必ず生きて帰ってきたことは宝だ。直後にこうして私と話すのも何かの縁だ。近くぜひ地平線に来てもらおう。[江本嘉伸


先月の報告会から

よろず冒険あります!

荻田泰永

2023年9月30日 冒険研究所書店

■今月の地平線報告会は、小田急江ノ島線「桜ヶ丘駅」東口から徒歩30秒、街でただ一つの本屋が舞台。その名は「冒険研究所書店」。北極冒険家の荻田泰永さん(47)による書店だ。2階にある店舗へ階段を上がると、壁いっぱいに並ぶ、色とりどりの本たちが私を迎えてくれた。店内には本だけでなく、ソリやダウンジャケットなどの極地冒険で使う装備も置かれている。レジ前に座っていたのは、荻田さんと保育園からの付き合いである栗原慶太郎さん。荻田さんの極地冒険を裏で支えている、40年来の相方だ。

◆開始時刻に合わせて、荻田さんの話を聞こうと書店いっぱいに聴衆が集まってきた。たくさんの本に囲まれ、あれもこれも面白そうだと、皆がきょろきょろと店内を見渡している。地平線会議史上初となる本屋での報告会。極地を歩いてきた北極冒険家が、なぜ本屋を。荻田さんにはこれまでの活動と合わせて、そのわけを語っていただいた。

これまでの極地冒険

◆荻田さんは、カナダ北極圏やグリーンランド、北極海を中心に冒険行を実施してきた北極冒険家。今や通い続けて20年になる。2018年1月5日には、日本人初の南極点無補給単独徒歩到達に成功した。北極海が凍る最も寒い時期に、不安定な海氷の上を歩いてきた荻田さんからすると、「南極は北極より全然簡単」だったそうだ。安全のため夏に限定される南極行は、一日中太陽が沈まない白夜のなか行われる。100kgほどの重量となったソリを引いていれば、気温が氷点下でも暑くてたまらない。そのうえ、危険な動物はおらず、大陸であることから海に落ちる心配もないのだ。

◆2019年には、素人の若者を連れてカナダの北極圏を600km歩いた。募集は行わず、「若者を連れて北極を歩こうと思っている」と言い続けるだけ。自ら荻田さんの手を握りに来た12名の志願者たちが集まり、1か月半にわたる北極行を踏破した。この遠征のある日、同行した写真家の柏倉陽介さんが、テントの中でふと口にした。「荻田さん、日本に帰ったら、冒険研究所を作りましょうよ」。

◆荻田さんは若いころ、少しでも極地の情報を得ようと、数少ない経験者によく話を聞きに行っており、現地では海外の冒険家との対話も重ねてきた。彼らと語り合い、地道に経験値を高めていく一方、自分と彼らが置かれている社会的背景に差異があることに気づき始める。彼らの語りからは、冒険家を支える何らかの相談先や支援者がいることを感じさせられた。対して自分は、アルバイトで資金を貯め、誰かに支えてもらうでもなく、己の力で北極までやってきている。そんな自分は、まるで日本社会から背を向けた「アウトサイダー」としての烙印を押されているような気がした。だからこそ、若いころの自分のような人間が相談に行ける場所、アドバイスをもらえる場所、いわゆる冒険家のための「事務所」のようなものを、日本にも作りたいと考えていた。柏倉さんの言葉を聞いた瞬間、自分のなかで「アリだな」と思った。

子どもたちを連れて

◆小学6年生を対象に100マイル(160km)を踏破する冒険旅、「100miles Adventure」を今年の夏も行った。2012年から始めて今年で12年目。今回の第1ルートは、「福岡タワー〜長崎平和公園」、子どもたちが変わり、第2ルートは「長崎平和公園〜熊本城」。それぞれ11日間かけて全員が歩ききった。やる気に満ちあふれた元気な子どもたちが集まるのかと思いきや、「今年は乗り気じゃないやつが多かった」とのこと。「100miles Adventure」をまず知るのは、たいていの場合親である。なかには「行きたくもないのに行けと言われて来た」という子どもたちもいるようだ。それでも、「これは自慢でもあるんですけど」と、荻田さん。最終日には子どもたちはみんな「楽しい」で帰るのだという。「そこは自信あります」と誇らしげに何度も頷いていた。きっと、子どもたちの楽しそうな笑顔を見ると、荻田さんも嬉しくなるのだろう。

◆実はこの冒険旅、決まっているのは日程と宿泊場所だけで、プログラムはほとんど決められていない。確保している2日間の休養日も、数日前にみんなで話し合って決める。「事前に計画しないっていうことの面白さ」が旅にはあるのだと荻田さんは言う。「予定に従うんじゃなくて、人間としての感情に従って旅をしたい」。北極を旅してきた冒険家としての思いがそこにはある。

◆メンバーの選考方法は、「募集不告知かつ先着順」の形態をとっている。「行きたい」という気持ちに差があるなかで定員を上回ったとき、抽選という形では、本当に行きたい人を選べないからだ。たいてい、フォームを公開して1分後には1人、2分後には2人。5分ほどで7、8人の応募が。その調子で今年は2時間ほどで定員に達したという。これまで、100を超える家庭が荻田さんに憧れ、荻田さんを信じ、集まってきた。「100miles Adventure」に参加した家族のなかに、文句を言ってくるような人は誰もいなかった。

なぜ冒険家が書店を?

◆話は2019年に戻る。若者を連れて北極圏を歩く旅を終え、帰国した荻田さんは、柏倉さんが口にした「冒険研究所」という言葉を胸に早速動き出した。まず、「事務所」のような場を作るのなら、装備も一括で保管しようと考えた。20年もの極地冒険で膨大な装備品が溜まり、保管場所に困っていたからだ。そして装備や道具を軸に、人が集まれる場所を作りたい。不動産情報を細かく調べ、良い物件を見つけた。2019年10月、この桜ヶ丘の地に「冒険研究所」を開設する。

◆とはいえ、名目上は「事務所」。時々知り合いが遊びに来てくれたものの、一般の人が不意に立ち寄れる場所ではなかった。そんな矢先、コロナ感染拡大に伴って全国の学校が一斉休校に。これでは多くの人が困るだろう。行き場のない子どもたちの居場所になればとの思いで事務所を開放した。地域の子どもたちと触れ合うなかで、改めて桜ヶ丘という街を見渡してみた。すると、街に「文化的な香りがない」ということに気づく。特に医療機関が多いと感じた荻田さんは、桜ヶ丘駅から半径200m(徒歩約3分)圏内にどんな医療施設が何軒あるのか数えてみた。結果は、歯医者が9軒、整骨院・接骨院が8軒、他にも内科、整形外科、皮膚科、胃腸科、そして駅の反対側には大きな病院まであった。本屋は1軒もなかった。荻田さんは、年配者向けの施設「しか」ない現実に愕然。一体、地域の子どもたちはどこで本に出会うのだろう、という疑問を抱いた。「じゃあ、自分が何かやるか」。

◆「本屋だな」と思った。桜ヶ丘の街に本屋がないこと。子どもたちに出会いのきっかけを与えたいこと。誰でも自由に出入りできる空間にしたかったこと。そして荻田さん自身、本が好きであったこと。「全部が『本屋』というキーワードでつながった」。といっても、何から始めたらよいのかわからない。ネットで検索するところから始め、SNSで「本屋を始めようと思っている」とつぶやくと、同じ神奈川県内で本屋を開業した方が協力してくれることに。そして2021年5月24日、「冒険研究所書店」はオープンした。本屋をやろうと思い立ってから約4か月という早さで。やると決めたら一直線になるところは、極点を目指してまっすぐ突き進んできた荻田さんの、熱い冒険精神からきているのかもしれない。

冒険と読書の共通性

◆なぜ本屋を始めたのか。荻田さんが最後に語った最も大きな理由は、「冒険することと本を読むことの共通性」にあるという。「冒険家が本屋?」。私を含め、多くの人はその意外な組み合わせを不思議がるだろう。それは、野外で活発に身体を動かす冒険と、ある一か所で静かに頭を働かせる読書とは、まったくかけ離れた行為であるととれるからだ。

◆冒険と読書をつなぐ鍵になるのが、『世界最悪の旅』(アプスレイ・チェリー=ガラード著)に書かれた一節だという。二十世紀初頭に繰り広げられた南極点到達競争において、人類初到達のレースに敗れ、ほぼ全員が死亡した英国のスコット隊。後方支援隊員の一人であった著者・チェリー=ガラードは、スコット隊の壮絶な探検行をありのままに記録した。彼は、この本を次の一文で締めくくる。「探検とは知的情熱の肉体的表現である」。

◆肉体的に行為を表出するのは、野生動物も同じ。生きるために獲物を探し、狩りをすれば、時には痛みや疲れ、暑さ、寒さを感じる。しかし、そんな辛い思いをあえて行うのは人間だけである。なぜか。人間には、知的情熱があるからだ。チェリー=ガラードはそう言いたいのではないか。同時に荻田さんには、この言葉が「人間とは知的情熱を肉体的に表現する生き物である」と読めた。人間は、根源的に持っている情熱を体で表そうと、主体的に動く。それこそが冒険だ。荻田さんが冒険を続けるのは、「人間だから」に他ならないのだ。

主体的な冒険と主体的な読書

◆内側に秘めた情熱を主体的に表現する行為は、本を読むことも同じだという。冒険も読書も、主体性が求められるという点で共通しているのだ。逆説的に言えば、主体性のない読書とは、本のなかに答えを探す読書である。本に書かれた内容は著者の答えであって、読者の答えではない。本は、自分の考えを表現するための道しるべである。それをさも自分の言葉かのように口から発するのは、知的情熱を肉体的に表現することではない。すなわち、「人間であることの否定」に等しい行為だと、荻田さんは考える。

◆「主体性が求められる行為」という点で、冒険と読書には共通性がある。「表面的に表現される行為は全然違うけど、メンタリティはまったく同じ」であると気づいたのだ。であれば、自分は本屋をやるのに整合性がある、と荻田さんは確信する。「本屋には、やってきたことの文脈が乗るんですよね、すべて」。冒険研究所書店を開いた背景には、そんな物語があった。

機能と祈り

◆荻田さんは書店を営むうえで、「機能と祈り」という言葉をキーワードにしている。これは、哲学者の内山節さんの著書にあった言葉だ。例えば、子どもに対してお父さんはどんな存在か尋ねたとき、「お父さんは、外で働いてお金を持ってきてくれる人」と答えたとする。このとき、子どもはお父さんの機能を語っている。一方、「お父さんと日曜日にキャッチボールをするのが楽しみだ」と答えたとすると、それは祈りの話をしている、といった内容だったそう。荻田さんは、この「機能と祈り」を「入れ替えできるか否か」であると解釈した。つまり、代替可能なものが「機能」で、代替不可能なものが「祈り」の側面を持つという考え方だ。

◆この言葉を荻田さんが思い出したのは、冒険研究所書店で定期的に行っているトークイベントでのこと。ゲストに招いたのは、明治時代の実業家・渋沢栄一さんの曾孫にあたる、澁澤寿一さん。日本中で森づくりや地域づくりに関わってきた澁澤さんが、昭和30年代くらいまでの日本の農村では村中総出で田植えを行っていた、という話をしてくれた。農業機械が普及していなかった当時、広い田んぼを管理するには水の上げ下げくらいしかできなかった。何日もかけて田植えをして、稲の生育環境にばらつきが出てしまうことを防ぐため、一気に田植えをする必要があったのだ。

◆荻田さんはこの話を聞いたとき、かつての集落内での人間関係は、「機能」でもあり「祈り」でもあったことに気づいた。田植えをするときは代替可能な「機能」として、一緒にいて楽しい隣人と過ごすときは代替不可能な「祈り」として。村の人々が「機能」と「祈り」の両輪を併せ持って社会が回っていた。

◆ところが、今の社会を見渡してみれば「機能」ばかりではないか。自分がいなくても回る社会で生きているなら、そもそも自分は「機能」でしかないのではないか。「でも本来、人間の社会はそういうものじゃない」と荻田さんは言う。私たちは、入れ替え可能な存在であり、不可能な存在でもあるはずだ、と。

◆荻田さんはこれまで、一人北極圏に出かけ、自分自身の冒険をしてきたつもりだった。つまり代替不可能な「祈り」の冒険だ。しかし、若者を連れて旅に出たとき、自分はこれまで連綿と続いてきた冒険の流れを紡ぐ「機能」でもあるんだ、個人としての冒険は「祈り」かもしれないが、歴史のなかで見たら自分は「機能」でしかないんだ、とはっとした。

冒険研究所書店をどんな本屋にするか

◆では、本屋とは何か? 「本を買う場所」といえばそれは「機能」である。今の時代、ネットで簡単に本が手に入るようになり、より高機能な本屋が世を覆い尽くそうとしている。「機能」として戦おうとすると負けてあたりまえだ。では、代替不可能な「祈り」に徹するべきかというとそれも違う気がした。冒険研究所書店は街で唯一の本屋である。桜ヶ丘の「街の本屋」として利用する人だってもちろんいる。冒険の本ばかりを置いていたら、本屋としての「機能」が不足してしまう。でも、冒険家が営む本屋としての「祈り」も果たしたい。「機能と祈り」のバランスをいかに保ちつつ、街と調和していくか。荻田さんが北極冒険家として、そして本屋として心がけている本質がここにある。

言葉は行為をどこまで表すか

◆「冒険」「探検」とは一体何だろうか。文字を分解してみると、冒険とは「危険を冒すこと」、探検とは「探り検(しら)べること」であることが見えてくる。つまり、リスクがなければ「冒険」にはなり得ない。一方、「探検」はリスクが前提ではなく、探ることが目的だ。しかし、これはあくまで日本語の話である。翻訳された英語の語源を辿ると、「adventure」(〜へ至る)、「explore」(外へ叫ぶ)、「expedition」(外へ歩く)といった意味を持つことがわかった。

◆荻田さんは、これらがそのまま「冒険」「探検」と訳されていることに違和感を持った。英語の語義では、リスクの話も検べる話もしていないではないか、と。自分がやっていることは、冒険でも探検でもない。リスクはただの前提条件であり、わざわざ危険を冒しに極地を歩いているわけではないのである。20年もの極地冒険を経てきた荻田さんにとって、危険がなければ行為はありえない。だが、危険だからこそ主体的に考える。冒険は、行為者が主体的に作りだした価値観、心の内にある基準に沿ってするものである。だから、荻田さんにとって「冒険」「探検」では、自己を表すには言葉が足りないのだ。

「冒険」「探検」に替わる言葉を探して

◆そこで荻田さん、「冒険」「探検」に替わる第三の言葉をいろいろ考えてみた。どちらも「ケン」で終わるな。じゃあ、自分のやっている行為により近い「ケン」は、「?(こざとへん)」でもなく「木」でもなく何だろう。「私はね、発見したんです」。荻田さんは、ニヤリと笑みを浮かべて言った。「これね、『馬』なんです」。「経験」や「体験」で使われる「験」。例えば、「実験」は実際に試すこと。「効験」は効き目や効果を表す。「修験道」なら野山を走って修行を納めるということだ。こうした「験」に込められた「試す」「効果」「納める」といった意味を知ったとき、「めちゃくちゃ自分のやっていることに近いな」という思いを直感的に感じた。

◆まだ、何の漢字に「験」を続けるかは決まっていないのだそう。「何がいいと思います?」と、荻田さんは私たちに嬉しそうに尋ねた。翻訳できない言葉も、未知の世界も、何かを探し追い求める荻田さんはとても楽しそうに見えた。

今後の活動

◆いま、荻田さんの内には、ふたたび「大きい遠征をやりたい」という欲求がむくむく湧いてきているとのこと。まだ具体化できてはいないようだが、今後の活動に期待してしまう。本屋はというと、荻田さん自身にもこれからどうなるのか分からないそう。でも、「ちっちゃく終わらせるつもりはまったくないので」と力を込める。本屋としての「機能」に全力を注ぎ、かつ「祈り」としての役割も果たす。「機能と祈り」、それぞれの両輪をバランスよく回転させていきたい。それが、今の荻田さんの決意である。北極冒険家として、そして書店の店主として。人間らしく冒険し続ける、そんな人だった。

報告を聞いて

◆私には最近、夢ができた。南極に行きたいという夢だ。でも、狭き門で将来が心配。大学のキャリアセンターに話してみた。「ふーん、そういう学生と私は会ったことないな」で終わり。相談して後悔。でも、荻田さんの本を読み、話を聞いた。ああ、一人でも冒険ってできるんだ、していいんだと思った。◆私は理系の学生ではないし、医者でも料理人でもない。だが、社会学部の文系学生だからこそ、南極でもできることがあるのではないか。正直、今の私にはそれが何なのか、うまく自分の言葉で表すことができない。ただ、研究者や専門家ではないからこそ、見えてくる問題や発見できる魅力があると思っている。それこそが、私にしかできない「祈り」であろう。

◆では、これからどうやって、南極で活躍するための「機能」を備えていこうか。どんな道を歩んでいけばよいのか。孤独を恐れ、まだ一人悩んでいるところである。でも、私には強い味方がある。「冒険研究所書店」という冒険家のための最高の相談場所がある。一人だったとしても、未知の世界に飛び込んでいける冒険家でありたい。[杉田友華 法政大学3年]


報告者のひとこと

日本の冒険探検の「部室」のような場所として書店を

イラスト

■冒険家が書店を始めると「なぜ書店を始めたのですか?」となぜこうも質問を受けるのだろうか。という一文から始まるのが、私が書いた「書店と冒険」という小さな冊子状の本。散々尋ねられる質問への回答の書として書いたその内容に沿うように、報告会ではお話をした。極地冒険のこと、夏休みの100マイルアドベンチャー、若者たちとの北極行から書店開設に至るまで。

◆書店が開店したのが、2021年5月24日。その直後に江本さんから電話をいただいた。「荻田くん、引っ越すんだけどうちの本を全部引き取れるかい?」そうやって書店に江本さんの書棚の蔵書のすべてがやってきた。モンゴル、チベット、ヒマラヤ関係の書籍から、山岳関係、探検関係、地平線会議の関係者の書籍。そして、膨大な資料の束。それらは、半分ほどは閲覧用として書棚に収めたが、残り半分はいまだに整理されず箱に収められたまま、書店の一角を占有している。

◆報告会のときには、江本蔵書の話をする時間がなかったのだが、これは早いところ整理したいと思っている。が、如何せん一人では手が足りない。地平線会議関係の、大量の在庫書籍(年報「地平線から」、フロント集「風趣狩伝」など)も江本宅より大量に引き上げている。地平線会議のこれまでを振り返る意味でも、みなさんのお力をお借りして整理したいと思っているので、ご協力お願いします。

◆なぜ書店を始めたのか。その大きな理由の一つに、物理的に人が集まれる場を作りたいということがあった。冒険や探検をキーワードに、また本というものを媒介にして、人が不特定に集まれる場。私が若いころ、極地冒険の知識を持つ人も少なく、細い糸を辿るように経験者に話を聞きに行った日々を送っていた。いま、40代も半ばを過ぎて、私が若い人たちから相談を受けることが多くなってくると、若いころの自分が必要としたような場を作ることが、やるべきことの一つなのではないかと思っている。

◆地平線会議は、その場をずっと作ってきたと思っている。私は「冒険研究所」という場を、日本の冒険探検の「部室」のような場所として活用して欲しいと思っている。その部室の運営費用として、書店の売り上げを使っている。ぜひ皆さんも遊びに来てください。そして、本を買ってください。待ってますよ。[荻田泰永](イラスト ねこ)


冒険研究所書店で私が買った3冊

■9月の報告会は冒険家の荻田泰永氏が数年前に開業した冒険研究所書店で行われた。ここは前から気になっていて一度は訪れてみたいと思っていたのでちょうどよい機会になった。書店でトークイベントが開催されることはそれほど珍しいことではないが、地平線報告会がこのような場所で開催されるのは初めてというのは意外だった。

◆これまでの荻田氏の活動や著作物をそれなりにフォローしてきていただけに興味津々で訪れた会場は、予想に違わず、すんなりと入って落ち着けてしまう空間であった。陳列されている書籍は、新刊・古書のいずれも琴線に触れるものばかりで、大学や自宅から近ければかなりの頻度で入り浸って散財してしまうに違いない空間だと思った。講演後に会場がすいてから見渡した先に、売り物とはまったく異なるオーラを発する書棚が目にとまった。長野亮之介さんに聞いてみたら、やっぱり、ここで引き取られた「江本ライブラリ」なのであった。

◆せっかくなので何冊か買って帰ろうと選んだのが、最近出たマロリーとアーヴィンのエベレスト初登頂の謎に迫る「第三の極地」、メートルを定義するためにフランス革命期に実施された子午線の測量記録「万物の尺度を求めて」、そして地図の世界史を読み物としてまとめた「オン・ザ・マップ」の3冊。最初のは新刊でそのうち買うつもりだったが、あとの2冊は地球科学を教えているという商売柄つい手が伸びてしまった古書である。荻田氏の商売に貢献するにはそれなりにプレミア感のある古書のほうがいいだろうな、と思ったのもこの3冊の組み合わせにした理由の一つ。休憩を挟んだ後半の話で「古書の方が商売としての身入りがよいけれど選り好みして買い取ることが難しいだけに新刊のほうがやりやすい」と荻田氏が語っていたことに「あーこれでよかった」と思わず頷いてしまった。

◆さて、冒頭のところで「南極点は超楽勝」という話がでた。ずっと通っていた北極から転じて彼が南極点を目指すと言い出したときに「荻田さんならあっさり達成するだろうな」と予言したのだけれど、実際そのとおりになった。現実問題として、夏季の「南極大陸」は歩いているだけで極点に到達できるくらいの場所である。その意味で「南極点無補給単独徒歩到達」を日本人として初めて達成した、ということ自体が意外でもあった。それでも、荻田氏のこれまでの蓄積と意欲があったからこその偉業であることにかわりはない。

◆しかし、この「楽勝」な状況はあくまで「氷床上」を「夏季」に移動するからのことなのであって、凍結した南極の海を相手に厳冬期に活動するとなると、事態は荻田氏が「断然難しい」という北極の状況とまったく同じ様相を呈することになる。まさにそういう状況に置かれているのが、実は昭和基地なのである。昭和基地は約4〜5kmの幅を持つ海峡に隔てられた島の上にあって南極大陸にはない。どこに行くにも、まずは凍結した海氷の上を移動しなければならないのだ。夏季でさえ、海氷の状況に左右されて、厚い海氷や乱雑に折り重なったパックアイスに阻まれて砕氷船が昭和基地までたどり着けないことすらある。そんな昭和基地を仕切る隊長の重要な役割の一つが、常に海氷の状況を監視して越冬隊の活動に万全を期すという仕事。百戦錬磨の冒険家とうってかわって、極地の経験など素人に近い研究者やエンジニアたちを海氷上の活動へと送り出す、この精神的ストレスは相当のものであった。実のところ、フィールド担当の副官として荻田氏が居てくれたらなぁ、と隊長室で腕を組みながら思うこともしばしばだったことはここだけの秘密。

◆話はかわって、トークの後半にあった、荻田氏が理想とする本屋のイメージとして「機能と祈り」という言葉が出たことについても感想を書いておきたい。すでに荻田氏はいくつかの書き物のなかでこの言葉を繰り返されているが、それらを読んできて、そしてまた今回直接本人の口から聞くことができて、冒険家はやっぱりそこにたどり着くんだなぁ、とあらためて思わされるようになった(角幡氏が「社会システムからの逸脱」なんて言っているのも私には同じに聞こえる)。これは、地球温暖化問題の最前線を担う南極観測隊を率いる実戦部隊の責任者として、また、文明圏から遠く隔絶された極限環境下で数十人の集団を統率するという「基地長」を経験した今となって、ますますその思いを強くしていることでもある。

◆最近の社会学的な視点として「グレートアクセラレーション」という言葉が使われる。人類史上最速の変化の真っ只中に現代はあって、その先行きは予想が困難、といわれはじめている。このような時代は「人新世」と呼ぶべきで、地質学の観点からも次の時代区分に地球は突入してしまったのではないかとされている。最近人気の経済学者である斎藤幸平氏がいう「人新世の資本論」などがまさにそれで、そこでいわれているのが「使用価値」への転換だ。これと同様に「交換できるモノ」vs「かけがえのないモノ」、あるいは「商品交換」vs「贈与交換」という考え方もあり、荻田氏がいう「機能と祈り」とはまさにこの対立軸に相当すると思った。この考え方の先には、「市場」にかわる「共同体」という社会のありかたへの回帰が、「人新世」を生き抜くための主張として出てくる。そして私は、昭和基地での越冬生活はその具体的な実践者なのではないか、と思い始めている。現在所属している社会学部という大学での立ち位置や、組織運営論として観測隊を考察してきた最近の体験をした今となっては、自分の専門である地球科学から一歩引いて世の中を眺めてみるのも悪くはない。さらに、社会学者を越冬隊長にしてみるのも人類への貢献としては結構いいんじゃないか、と思ったりもしているところ。[澤柿教伸 法政大教授 前南極越冬隊長]

事前に計画しすぎないこと

■荻田さんの話が進むにつれ、一歩、さらにその先の一歩へと深く分け入っていくような内容にどんどん惹き込まれていった。それは、自分自身がうまく言葉にできなかった抽象的な感覚を明確な言葉として表現されていたからだ。

◆その中でも印象深かったのは、「事前に計画しすぎないことの面白さ」の話だ。一般的には仕事やプライベートで予め計画を立てて計画通りに実行することが良しとされている。でも計画を守ることを優先し予定を終えると、なんだかつまらなかったなと感じてしまう。思わぬ偶然や寄り道にこそ新たな発見や楽しさが含まれていると知っているからだ。荻田さんが子どもたちと行く100マイルアドベンチャーでは、予定に従いすぎずそのときの面白さや気持ちに沿って子どもたちと行動することの大切さ、得られるものへの考察があった。

◆そして、「機能と祈り」の話に深く頷いた。荻田さんが営む書店という“機能”、荻田さんだからこそできる冒険研究所書店という“祈り”の部分。品ぞろえの多い書店という機能だけの勝負ではさらに高機能なライバルへと簡単に入れ替わってしまうこと、入替不可能な独自性の部分(祈り)を全面に出しすぎると敷居が高くなり独り善がりになってしまうこと。この2つのバランスをチューニングし続けて桜ヶ丘という街の書店として果たす役割、地域に根ざす姿勢。私たちの生活や仕事にも通じる普遍性を感じた。

◆今回の荻田さんの報告会からは、いわゆる冒険の話はほとんど出てこなかった。荻田さんがなぜ書店を営むのか、そしてそのきっかけと想い、報告会を桜ヶ丘という場所で開催するに至った意味を考えさせられた報告会だった。荻田さんから発せられる言葉だからこそ深く理解できた。[塚本昌晃  福井から参加]


〜 地平線会議 500回記念報告会 〜

貴重な探検・冒険の記録『地平線から』!

■先月の通信でお知らせしたように、1979年9月、三輪主彦さんの「アナトリア高原から」を第1回として毎月行なってきた地平線報告会は11月で500回を迎えます。当日のプログラムは次号の地平線通信(11月8日発行予定)で発表しますが、この機会に地平線会議の誕生の経緯を知っておいてほしい、と考え、以下足早に。

◆1978年12月2日から4日まで法政大学で「全国学生探検報告会」が開かれた。その準備の中で日大の渡辺久樹らが読売新聞にやって来たのが私が仲間と地平線会議を発起する始まりである。宮本千晴、岡村隆、森田靖郎、それに関野吉晴も報告者、あるいはオブザーバーとして参加した。3日間にわたる探検報告は面白かった。その最終日、宮本が発した「では、皆さんは大学探検部を終えたあとどうされるのか」という問いかけが地平線会議の発足につながったことは何度か書いてきたことである。

◆500回報告会では当時その場に居合せ、今に至るまで現役として行動している関野吉晴、岡村隆のお2人に当時の探検活動について語っていただき、40年以上にわたる報告者、裏方の皆さん、最近登場した若者たちをリレー方式で紹介したい。そして、この機会に伝えたいのが、探検冒険年報『地平線から』のことだ。今回読み直して自分たちでつくった本であることを忘れ心底感動した。地平線会議は誕生直後から2つのことを同時進行させた。1つは現在も続けている地平線報告会の開催、もう一つが探検冒険年報『地平線から』の刊行である。言い出しっぺの中でも森田靖郎と私はどちらかと言えば年報派、賀曽利隆はそもそも報告会をやろうと言い出した張本人である。

◆年報は『地平線から・1979』を1号として『地平線から・第八巻 1986〜88』まで8冊作った。森田靖郎、白根全の2人の編集長が体を張ってつくった本である。どの巻にも行動者の率直な記録とそのときのユニークなテーマが特集されている。たとえば1987年11月1日刊行の『地平線から・7』の「特集・地球トイレ体験」は実に88ページにわたった。また、388ページの大部となった『第八巻』には「被曝最前線キエフ潜入記」(惠谷治)「こげつく青春」(河野兵市)など素晴らしい行動をしたが今は亡き冒険者の貴重な記録が掲載されている。荻田泰永さんの冒険研究所書店には今ではどこへ行っても買えないこれらの年報も売られているのでこの機会に是非!(ネット注文もできます)[江本嘉伸

〈地平線会議 500回記念報告会〉
 2023年11月23日(木・祝)
 新宿歴史博物館 12:30〜16:30(予定)


波間から

岬、恵比寿信仰

和田城志 

■水平線に最初に見える陸影はつまり山である。開聞岳はその最たるシンボルだ。鑑真和上も歓喜したに違いないと言いたいが、彼は盲人になっていたから、その雄姿を見ることはなかった。地平線も水平線も水平の広がりを表す言葉である。垂直方向を象徴する山に、私たちはなぜあこがれるのだろうか。水平は生活に直結するが、垂直は非日常的な何かを感じさせる。山は、背後に水平的な奥行きを感じさせる。カール・ブッセの詠う「山のあなたになほ遠く幸い住むと人のいふ」は、まさに山の神聖を表している。

◆山は農耕、狩猟の民にとっても神の住まうところだった。自然の恩恵は山からもたらされたが、自然の暴力もまた山からあふれた。しかし、大海原の恐怖と不安にさいなまれた海の民にとっては、山の暴力にさらされることは少なかった。海の民にとっては、山は非の打ちどころのない神の領域だったにちがいない。流れ出す川はミネラル豊かな栄養分を海にもたらし、海藻を繁茂させプランクトンや魚貝類を育てた。山の木は造船の材料になった。山は観天望気の重要な情報をもたらす。山の位置や形は航海の目印になる。海の民は、その恩恵を身に染みて知っていた。

◆ヤマアテという言葉がある。海上から山を目標にして船の所在を知ることをいう。タケ(岳)をミルともいう。大海原を移動した海洋民族や大航海時代の征服者は別格として、たいていの漁労の民は沿岸航路が中心だったので、伝統的操船技術も限られていて、ヤマアテが可能な範囲での距離内に漁場は限られていた。つまり陸影海没地点(海から陸が見えなくなる地点)から先の沖合へは出なかった。漁師はそこをヤマナシの海と言って恐れた。

◆漁港に入れば必ず祠があり、神さまが祀られている。強い信仰心を感じる。私の故郷は、土佐湾に面した山と平地と海がコンパクトにまとまった地域で、かつては漁業と農業が中心的ななりわいだった。漁師と農民は、まったく相反する生活環境だったように思う。宵越しの金を持たない生き方を祖父に教わった。祖父は漁師ではなかったが、戦前から漁具を製造していて、「うまいものは宵に食え」が口癖だった。朝まで取っておくことはない、明日があるかないかわかるものか、そう言いたかったのか。漁師はたくわえをしない。漁港の周りには、小さな家がしがみつくように密集している。農家の豪勢なたたずまいとは対照的だ。豊饒の海が家族を支えてくれると信じていたのだろうか。農事には計画性があるが、漁業は博打的要素が強い。命をはった厳しい漁労の日々、神頼みは理解できる。

◆港近くの山や岬(ヤマダシ)には、例外なく神社がある。ヨットで漁村を巡ってはじめて知ったのだが、鳥居が波打ち際に建ち、海から拝殿するように造られている神社があちこちにあった。祀られている神さまはいろいろあるが、一番多いのは蛭子神社だ。ヒルコ(水蛭子)は、古事記とイザナギ、イザナミの第一子として生まれた。しかし、不具の児として描かれ、3歳のとき葦船に乗せられて海に流された。ヒルコは男の児だったにちがいない。ヒルコは時代が下るに従い、エビス信仰につながっていく。

◆第二子のアハシマも不具だとあり、この二神は子の数に入れない。アハシマ(淡島、粟島)は近畿地方の小島であろう。新潟県村上市の沖合に、絶海の孤島のように粟島という小さな島が浮かんでいる。この原稿は、梅雨前線にたたられて、佐渡島の両津港で足止め食らっている間に書いた。次の寄港地はその粟島の予定だ。去年秋、島根県の浜田港で、粟島明神を祀っている神社に行ったことがある。粟島明神は住吉大神の妃であり、婦人病の神様である。住吉大神は航海の安全をつかさどる神さまだ。イザナギが禊祓いしたときに三柱の神として海中より生まれた。記紀神話の神々は複雑に絡み合って諸説あるから、私のような無学の者が勝手に解釈しても説得力はないけれど。

◆関西にはもう一つ、住吉大社に勝るとも劣らない西宮神社がある。ここも海にまつわる神社で、えびす宮総本社である。祭神えびす大神(恵比寿、戎、夷、蛭子とも書く)は、神戸の沖から現れた神像だと伝えられている。漁師がこれを祀った。エビスは多様な顔を持つ。七福神にも選ばれ、日本由来の唯一の神様である。エビスは平安末期に出てくる民間信仰の神だ。寄り神(漂着神)で豊漁をもたらす漁業神として信仰を集めた。漁村を豊かにし、商売や交易を盛んにしたので、商人にも福神として信仰された。

◆エビスはヒルコに由来するという考えがある。不具者のヒルコが漂着したところは栄えたといわれている。なぜか。そこにマレビト信仰を感じる。新しい血であり、先進的な技術であり、クジラ(勇魚)に代表される漂流物は豊漁の兆しである。夷(エビス、エミシ)はさげすんだ意味を含む漢字だが、畏敬の念も含まれているのかもしれない。海は恐ろしい。しかし、水平線の彼方から、山を目当てに神さまもやってくるのだ。


地平線ポストから

「123・10987・46」

■『地平線通信』の5月号では、みなさんに「123・10987・46」を読んでいただきました。東京から国道1号→国道2号→国道3号で鹿児島へ、鹿児島からは国道10号→国道9号→国道8号→国道7号で青森へ、青森からは国道4号→国道6号で東京へ。連休の10日間を使って、日本列島の幹線、「一桁国道」を総ナメにしたのです。それはそれでよかったのですが、東京に戻ったときは「あ、失敗した!」とカソリ、悔しがるのでした。青森から津軽海峡を渡り、国道5号で「函館〜札幌を走ればよかった……」と悔やんだのです。もう1日あればできました。そうすれば、完璧に「12345678910」ができたのです。

◆あれから5か月、10月8日に開催された北海道の「登別モーターサイクルミーティング」にメインゲストとして招かれたのです。「おー、ラッキー!」。「12345678910」のリベンジには最適だと思いました。10月4日に相棒のスズキVストローム250に乗って東京・日本橋を出発し、国道4号を一路北へ。東北の玄関口の白河に泊り、翌朝は5時30分に出発。大荒れの天気の中を走りつづけ、青森に到着したのは21時30分。すぐさま青森港のフェリー埠頭へ。なんともラッキーなことに、22時25分発の津軽海峡フェリー「ブルールミナス」に乗れたのです。というのは何しろ大荒れの天気でしたので、次の便からまる1日、津軽海峡フェリーは欠航したのです。

◆函館港に到着したのは2時05分。JR函館駅まで行き、駅前から国道5号を走り始めました。いよいよ天気は大荒れで、土砂降りの雨の中、真夜中の国道5号を走りつづけました。長万部、倶知安、小樽を通り、9時20分、札幌に到着。台風並みの荒れた天気で雨のみならず、バイクが吹き飛ばされそうになるほどの猛烈な風。その暴風雨の中を走り続けての札幌なので、国道5号の走破はうれしかったです。「やったね〜!」という気分でした。

◆札幌からは国道12号で旭川へ。その途中の美唄で我がVストローム250は22万キロを達成しました。旭川ではライダーに人気の「HOKKAIDER BASE」でのトークショー、それにつづいての「登別モーターサイクルミーティング」でのカソリの講演会でした。すべてを終え、登別を出発したのは10月6日の22時30分。ナイトランで函館へ。寒さとの戦いでした。3時30分発の津軽海峡フェリーに乗り、カソリの「秒寝」。横になった瞬間、2、3秒で爆睡モードに入るのです。青森到着は7時。青森から国道7号で新潟へ、新潟からは高速道で帰ってきました。全行程3000キロの北海道。嵐との壮絶な戦いだったので、じつにおもしろかったですよ。[賀曽利隆

抱っこしたあの小さかった子が...…

■パレスチナ自治区ガザ地域のハマスとイスラエルの衝突、本当に憂慮すべき状態ですね。レバノンのビズボラ、イラン、シリアなども巻き込んで、中東全体が大きく不安定化する可能性も。

◆2008年にイスラエルへ行った際、南部テルアビブに住んでいた日本人の知人(奥さんがイスラエル人)の家に泊めてもらい、お世話になりました。その家の息子が当時5才くらいで、人懐っこく、腕に抱っこしました。その子が今や立派な青年になって、徴兵されていること、この軍事衝突を受けてガザに向かうかもしれないことを聞きました。この腕に抱っこしたあの小さかった子が今や兵士……。そしてガザに侵攻していく1人かもしれない……。さまざまな思いがこみあげました。

◆ハマスの暴力性、それを支持するしか選択肢が残されていなかったガザの市民たち、そしてさまざまな苦難の末に国を建国したイスラエルの歴史など、どれも複雑に絡み合い、簡単には白黒をつけて語ることのできない事態です。ただ、命を失っていくのは立場の弱い人から。国家の大義、宗教的大義のために、命を落とす人が1人でも出ないよう、ただ祈るばかりです。[小松由佳


通信費をありがとうございました

■先月の通信でお知らせして以降、通信費を払ってくださった方は以下の方々です。カンパとしていつもより多めに支払ってくださった方もいます。カンパは若者たちの購読支援に役立たせています。万一、掲載もれありましたら必ず江本宛にご連絡ください(最終ページにアドレスあり)。送付の際、できれば簡単な近況、最近の通信への感想などひとことお寄せくださると嬉しいです。

谷口靖子(10000円 いつも濃く面白い地平線通信を有難うございます。5年分を送金いたしますが、もしかしたら最近の分は未払いだったかもしれません。その分を送金した10000円から差し引いてくださいましたら幸いです) 宮内純 大嶋亮太 嶋洋太郎 三森茂充 松尾清晴(12000円 いつもありがとうございます。先月の「報告会500回」の記事の中で「水増し号」というのがあったことを知り、吹き出してしまいました) 近藤淳朗


――連   載 ――
充足感と挫折感と

その7 「自分を大きく見せるくん」が多い山の世界

田中幹也 

■高校生のときに一時期所属した山岳会は、期待と失望がセットになっていた。順を追って説明する。なお80年代前半(昭和の後半)、山岳会に所属している高校生はすくないものの、そうめずらしいことではなかった。当時も事故ったときの責任どうこうのはなしはあったものの、いまほどピリピリした空気ではなかった。世の中にゆるさがあった。

◆山岳会の第一印象はよかった。ピッケルを10本ちかく持っている道具マニア、仲間内から慕われている岩登りの神さま、話がおもしろくて面倒見のよい山岳会の代表。メンバーのなかのふたりはアイガー北壁をめざしていると語る。高いテンションは、聞いているだけでワクワクしてくる。まだ高校生だった自分にとって、すごいクライマーと出会ったとそのときはおもった。

◆さて岩登りは登ってなんぼの世界。岩場に行くと、できるできないが明確にわかる。岩場にはほかにもクライマーがいる。自分の属している山岳会で岩登りの神さまといわれている人が、どのくらいなのかすぐにバレる。他人との比較がすべてではないけれど、神と崇められている人が素人のど自慢大会でいうところの鐘がキンッコーンッくらいだと知ったときは裏切られた気分だった。◆岩登りにしても雪山縦走にしても、価値ある記録ならば山岳雑誌のクロニクル欄に載る。もちろん自己完結型クライマーは多くを語らない。でも自分が属していた山岳会の面々は、「俺が俺が」の集合体。活字にもならず登山の世界で風の噂にもならないということは、どういうことか一目瞭然だ。山岳会の代表の話がおもしろくて面倒見がよかったのは、慕っているあいだだけだった。面倒見のいい人って先輩面ができなくなったとたん不機嫌になる。そして攻撃的にすらなる。親分タイプあるある(笑)。

◆コミュニティとはちょこちょこっと努力して内輪で認められたら、あとはふんぞり返って安住してしまうところなのかもしれない。井の中の蛙、裸の王さま。自分を大きく見せようとすると欠点まで大きく見えてしまう。50代後半のいまならそういう人たちと出会ったところで、大言壮語でもまわりに迷惑かけなければかまわないじゃないか、と解釈できる。でも高校生だった自分にとっては、言っていることとやっていることの凄まじいギャップは大きな失望となったのはたしかだ。

◆山の世界で自分を大きく見せるくんは多い。昔もいまも。登山も登攀も、コンペのクライミングみたいに厳然たる順位はつかない。最近はツアー登山に携わるガイドさんに、自分を大きく見せるくんを頻繁に見かける。嘘が見抜きにくいのは登山歴がまったくのゼロではないところ。でも見る人が見れば詐欺同然だったりする。

◆ところで自分を大きく見せるくん、じつはいいところがたくさんある。まず話がわかりやすい。踏み込みが浅いぶん専門的になりすぎない。初心者にとって取っつきやすい。つぎに夢を与える。話を聞いていると、俺もやればできるとポジティブになれる。先鋭クライマーだと得てして難し過ぎる課題に挑み挫折したりして、どうしても夢よりもシビアな現実を突きつけてしまう。そしてしばしば場を盛りあげることの天才だったりもする。難しいルートに登るだけが登山の価値でもあるまい。多様な楽しみかたがある。自分を大きく見せるくん、バックパッカーや自転車旅の世界、そしてワーキングホリデー組ではさらにたくさん見かけた。

◆さて高校生のときに所属した山岳会だが、2年弱で見切りをつけた。見切りというとどこかネガティブなイメージだけれど、自分の理想としていたものとはちがうことに気づき、あらたなる出発のきっかけになった。飲んだ席で「やるぞ〜! やるぞ〜!!」と豪語しつつさしたる成果もなく青春を終えた人のほうが社会に適応している、ということに気づいたのは最近である。ダメダメくんが底辺を支えているから、先鋭は成り立つ。あらゆる分野のピラミッド構造も、底辺(底)が抜けてしまったらもともこもない。

◆日本の若者みなが、独創的な冒険家や先鋭クライマーをめざしたら我が国は滅びる。もしかしたら表舞台に立つ人というのは、やらずに終えた後悔をかかえながら暮らしている人たちによって支えられているのではないだろうか。小学生のときにサッカーで勝った負けたと口論していた児童に、担任の先生はやさしくこう諭した。相手(負けた)チームがいたから君たちは勝てたんだよ。


好きな林業を休んで初めての海外へ

■この冬は一度離職して、来年の2月3月に初めての海外に行くことにした。24才となった現在、まだまだいろんな場所を訪れ多くのことを経験したい気持ちがある。山にいたいために始めた林業ではあるけれど、林業や会社で働くという今の生活のあり方、住んでいる場所に囚われず、方法はどうであれまだまだもっと広く世界を感じたくて、一歩を踏み出すことにした。というか、そうせざるをえなかった。

◆悔しいけれど初海外を一人でいきなり挑戦する勇気がなく、「タビイク」という海外一人旅育成企画に参加することにした。海外一人旅の心得や気をつけることなどを現地でサポートを受けながら学び、最終的には一人のバックパッカーとして旅ができるようになるのが目的だ。私としては、ゆくゆくは一人で世界のロングトレイルをたくさん歩けるようになりたいと思っている。

◆自分の内側から自然と湧き出る探究心が冒険や旅となる……という認識が私にはあって、旅は人から教えてもらうようなものではなく「がむしゃらに夢中になって動いていたらいつのまにか一人で海外に飛び出していた」という形が理想的だと思っていた。当然のことのように初めての海外に一人で行けてしまう人はたくさんいるし、地平線にも出てくる偉大な先輩方は、一つ夢中になっていることを追っていたらいつのまにか海外に出ていた、という方々は多いように思う。

◆勇気がどうこうというのは別次元の話ではないか……。しかし、自分の中で夢中になる何かや勇気が現れるのを、いつまでも待ってもいられない。とにかく20代前半までには一度は海外に行っておきたかった。もともと中高生のころはかなりの人見知りで、人間嫌い。人の目ばかり気になってビクビクして生きていた。それが(人生の大きな転換が大学生のころにあり)今や一人で山に行くし、いずれ一人で海外の山を歩き回りたいと思っている。人と比べても仕方がないことなのだがなんとしても海外に行ってみたいと踏み出したのは昔の自分と比べたら大きな進化なのだ。

◆初海外は、南米。タビイクという企画では、世界を旅する人たちとの出会いも楽しみだ。今から数か月後は、日本の真反対にある南米のどこか山を、楽しんで歩けていますように。

追記:先月、とうとう狩猟免許を取得しました。今年5月に同じ長野県内で悲惨な発砲事件があったというのに簡単に取れてしまい、私としてはありがたいですがかえって心配になりました。今度の冬から獲物を捕まえられるようになるかはわかりませんが、とりあえず狩猟ができる資格が持てただけでも一歩前進です。山をかけまわり、山にもっと深く入っていきたいです。[小口寿子

マナスルに登ってきました

■毎月13日を過ぎると、地平線通信が届かないかソワソワしている猪熊です。特に、神津島の長岡祥太郎君と西穂山荘で奮闘する安平ゆうさんの記事を毎回、楽しみにしています。先月27日に、ヒマラヤ山脈のマナスル(8,163m)に登頂しました。ご存じの通り、マナスルは1956年5月に、槇有恒隊長率いる日本隊によって初登頂された日本人になじみの深い山です。それ以来67年を経て酸素を使用し、公募登山隊に参加しての登頂ということで、登山的な価値はまったくありません。むしろ、隊長を務めた2002年のチョ・オユー登山隊や、ヴァリエーションルートから挑戦した2003年エベレスト西稜登山隊の方が登頂はできなかったものの、登山の内容としては評価できると思っています。

◆しかしながら、今回の挑戦は、気象予報士として初の8,000m峰登頂ということ(エベレストに登頂した上村博道さんがその後気象予報士を取得していますが)や、アドベンチャーガイズの公募登山隊に予報を提供し、自らも予報しながら山頂に到達するというスタイルが独自のものだと思っています。今後もこのスタイルの登山を続けていきます。[猪熊隆之 山岳気象予報士]


先月号の発送請負人

■地平線通信533号(2023年9月号)は9月13日に印刷、封入作業をし、発送しました。夏だよりその後を特集したのと報告会レポートが多めの字数(その分、丁寧にしっかり書いてくれました)になったこともあり、結局は20ページに。報告会レポートには山田高司さんの玄人レベルの絶妙なカットが入り、夏だよりの合間合間に中島ねこさんの楽しいカットがおかれ、山岳気象予報士の猪熊隆之さんの「異常気象」原稿にはしっかり酷暑の原因となったことしの夏の気圧配置図が添えられている。レイアウト一手引き受けの新垣亜美さんには感謝しかない。

◆毎月600部を印刷するので紙の量はかなりになる。その手配、運搬は車を運転する車谷建太さんに頼りきっていた。彼のアイデアで今月、通信を印刷する榎町地域センターの近くにレンタルボックスを借りた。見に行ってみると半年分の紙は保管できそう。20ページ、600部の印刷、封入はこうして完了しました。汗をかいてくれたのは、以下の皆さんです。ありがとうございました。

 車谷建太 中畑朋子 加藤秀宣(京都から友人の個展を見に来たついでに顔を出して、熱心に作業してくれた) 中嶋敦子 高世泉 伊藤里香 秋葉純子 江本嘉伸 松澤亮


「月風かおり『風書展』〜オーストラリアアウトバックの風〜」を終えて

アウトバックの感動を

◆2002年からの旅と作品発表の活動は広大なオーストラリア大陸を残していました。2019年ウルル(エアーズロック)登山がこの年の10月で終了になることを知った同年9月に内陸のウルル・カタジュタ国立公園を訪れました。地球上で最古の大陸、角の取れた岩の塊。文字を持たず神話や独自の哲学で生きている先住民。長いコロナ禍の影響でオーストラリアは線の旅にはなりませんでしたが、彼らの聖地である内陸のアウトバックは大きな感動を残しました。そこは私の創作原点である『風景』『風土』『風習』『風貌』がありました。こうして最後の大陸の風書展はアウトバックに焦点を当てることに決めました。

テーマは『風』

◆創作で大切にしているのは『風』=空気です。そのために現場へ行きます。書の仕事では字の観念に触れます。漢文学者の白川静先生の「風」の解説では『(前略)その地域に吹く風により風土風俗が既定され、これによって風光風物が生まれ、そこに住む人に作用し、風格風骨を形成する、そのような営みを風化という』とあります。風は目に見えません。しかし日本人はそれを「ようす」とし言葉にしてきました。今回の報告ではアウトバックを含む7大陸感動創作を通してテーマにしてきた「風」の言葉を使って旅や創作姿勢、展示内容をお伝えします。

◆『風景』(自然) 地球のどこでもその土地に吹く『風』は時間をかけて違った景色を創ります。現地に入らないとわからない距離感、茫漠感、荒涼感などがあります。ウルルの頂上からカタジュタを望むと、息をのむ広大さに圧倒されます。このような迫力を墨で作品に転化するときは、残された「白の」部分に現地の風を感じてもらえるよう「黒」を置きます。先住民の神聖な空気を感じる『静寂の聖山』【*作品a】は陰影の狭間に光と風を見つけました。

◆『風土』(土地) 風が創り出した風景の中に風土が生まれます。主に地理的気候的な環境です。チベット高地やサハラ砂漠、南極などは特に過酷な環境です。高山病、灼熱と渇き、凍傷などを経験するとき生きることの大変さが身に沁みます。アウトバックでは台地上の乾燥地帯でありながら時に降る雨が水場を作り生き物の命が続きます。大作【*作品b】では、洞窟で子孫を残す姿やそれを守る男性の足、狩りに役立ったディンゴ、猛禽類、仮死状態で身を守る松など乾燥地で暮らす生き物の逞しさを表現しました。

◆『風習』(文化) 風土の上に独自の文化が生まれます。辺境では特に精神的な営みや伝承のことだと思います。チベット高原では何か月もかけてラサやカイラス山に巡礼する五体投地を目撃しました。ウルルでは文字を持たなかったアナング族が水場や精霊を描いた壁画を残しています。詩文【*作品c】では現地レンジャーの説明からインスパイアされた先住民のメッセージを毛筆の抑揚という特徴を活かして描きました。

◆『風貌』(ひと) 風土の営みの中で独特の風貌と風格が作られます。旅の最後は人に行き着きます。自然条件が厳しい旅ほどそこで生きる人の逞しさに心を打たれます。地平線の彼方から来るトラックを見つけられるサハラの民トゥアレグ族の鋭い目。薄い空気と強い紫外線の中でチベット人の顔に深く刻まれた皺と白い歯。ウルルの麓で出会った無口だけど目で話すアナング族の女性。このような出会いと感動が、私の作品の最後のエッセンスになります。

まだ知らないことがいっぱい

◆まだ地球の一部に足を踏み入れたに過ぎませんが、20年余りで海を越え各大陸に出向き、現地の感動を『墨』と『筆』で表現するという目的はひとまず果たすことができました。今後は新しい目標を探しつつ前進してゆければと思います。今回報告の機会をいただき感謝いたします。ご来場下さった皆さまありがとうございました。[月風かおり

『静寂の聖山』

*作品a 『静寂の聖山』40cm×49cm

『アウトバックの風』

*作品b  『アウトバックの風』―オーストラリア―234cm×1032cm

『巨大な石』&『地面からコブ』

*作品c 『巨大な石』&『地面からコブ』58cm×240cm×4

 作品は月風かおりさんの ウェブサイト でご覧いただけます。

豊かな薬草の里、森野旧薬園でお会いしたおふたり

■「トリカブトの花が咲き始めよって、また撮影に来られますか?」。番組を放送した翌朝、主人公の原野悦郎さんから電話がかかってきた。何か問題でもあっただろうかと不安げなわたしをよそに、原野さんはいつもと変わらずに薬草とただただ向き合っていた。

◆奈良県宇陀市。推古天皇が薬猟(くすりがり)をしたという記録が残るほど、古くから薬草が豊かに茂る場所だ。ここに、現存する私設の薬園では日本最古といわれる森野旧薬園がある。およそ300年前、吉野葛の製造をしていた森野賽郭(サイカク)が自宅の裏山にひらき、いまも250種以上の薬草が根を下ろしている。研究者からは“300年前の自然環境のタイムカプセル”と評されるほど、希少な薬草木たちが色とりどりに花を咲かせる。この薬園と、薬園の管理を任されている老夫婦の姿を追ったドキュメンタリー番組を制作し、9月末にNHK BS1で放送した。

◆この薬園とわたしが出会ったのは、ひょんなことからだった。去年、家人の仕事の関係で長野県から大阪へ引っ越し、旅人のような関西生活を楽しんでいる。昨春、奈良へ出かけてみようと目に止まったのが宇陀市だった。地名からして引き寄せられ、牧場があるというので3才の娘を連れて出かけた。大阪から奈良までの道すがら、まず地名に心が躍った。太子、高取、明日香……歴史で学んだ固有名詞が出てくる、出てくる。

◆まるでタイムスリップしたような心持ちでいると、目に飛び込んできたのは美しい山並みと、緑が輝く棚田だった。もうひとめぼれだった。帰宅後に調べてみると、「薬草のまち」なのだという。薬園の存在も知り、さっそくひとりで出かけてみた。薬園の入り口は、吉野葛の製造・販売を生業にしている森野家にあった。入り口を入ると、つづら折りの石段が続く。ようやく薬園に着くと、そこはひっそりと、さわやかな風に葉擦れと鳥のさえずりだけが響いていた。

◆時空が歪み、異世界に迷い込んだようだった。ひとり見学していると、木陰で休憩をしている老夫婦に出会った。話を聞くと、薬園の管理を任され、毎日通っているという。原野悦郎さん91才と、妻のヒデ子さん85才だった。素朴で、味わい深い佇まいに、ふたりを主人公に薬園の四季を撮りたいと思った。

◆そうはいっても、ひと筋縄ではいかなかった。前例のない薬草をテーマにした企画はなかなか通らず、原野さん夫婦からはあくまで薬園が主役であり、自分たちを主人公にしてほしくないと言われた。自宅の撮影もNGだった。撮影を強制はしたくなかったので、カメラクルーを連れて自宅に訪ねることはやめ、最初はひとりで原野さん宅に通った。ときどきスマートフォンで撮影させてもらいながら。いつのまにか、ふたりの映像が増えていった。

◆こうして番組は無事に完成し、「薬草歳時記」というタイトルで放送した。撮影の最後の日、原野さんから「最初はどこの馬の骨かわからんし、撮影は嫌だったんよって。けども小川さんがあまりにも熱心やったから、ついこちらも熱くなってしまった」と声をかけてもらい、胸が熱くなった。さて、放送翌日から咲き始めたというトリカブト。わたしはまたクルーを連れて、妖艶な青い花を撮影しに行ってきた。この映像がどうなるか。また報告できるときがきたら、ご報告したい。番組「薬草歳時記」は、NHKオンデマンドで視聴可能です(有料ですが)。英語版「Herbal Symphony」はNHKワールドにて無料でご覧いただけます。[小川真利枝 映像ディレクター]

〈インド通信 10月12日〉 4000人分の食事

■ナガランド州はその人口のほぼ9割がキリスト教徒(この事実だけでもナガランドがインドにあってかなりユニークな土地だといえるでしょう)。北東部ではプロテスタントがカトリックより80年も早く伝導され、信者の数もプロテスタントがはるかに多いのですが、わたしは修道女なのでお伝えすることはほとんどカトリック教会のことです。ちなみに、ミサとか、修道女や神父、司教というのはカトリックの話です。

◆インドは一年を通じて祝日がとても多い国。10月はというと、2日が「インド独立の父」ガンディーの誕生日。そして中旬にはドゥルガ・プージャに続くダサラというヒンズー教の大きな祝日(今年は24日)があって3日間くらいの連休になります。それと関係があるわけではないのでしょうが、今月はカトリック教会でも行事が目白押しです。8日の日曜日にはディマプールにある男子サレジオ会の「聖十字架教会」(Holy Cross Church)で、盛大なお祝いのミサがありました。ちなみに私たちキリスト教徒にとって、十字架はイエス・キリストの愛の証です。この地の信者の多くは民族に関わらず首から小さな十字架をかけていますし、修道女も神父も必ず十字架を身につけています。

◆さて。この日も朝から雨が降っていましたが、ミサが始まる前には陽が差してきてかなり蒸し暑くなってきました。教会の敷地に続々と人や車が集まってきます。参列者は4000人だったそう。これは「インド式見積もり」なんじゃないかと思いますが、まあとにかく、すごい人だったことは間違いなしです。会場となる大きな講堂にはもちろん冷房がないので熱気と湿気でムンムン。日本だったら熱中症になる人が続出していたかも。式全体は素晴らしくオーガナイズされていて、参列者はちゃんと指示に従って行動します。インドには軍隊や学校以外で「きちんと列になって並ぶ」という習慣はほとんど皆無だという認識は間違っていました。式も歌も司教のお説教(仏教でいう説法)もすべて英語。歌のチューンも、うまく説明できないのですが、インドの英語の歌というよりアメリカの聖歌のようでした。

◆式の途中で、外の通りに出て行進する「聖体行列」(Eucharistic Procession)という儀式がありました。京都の祇園祭を超小型にしたみたいな感じ?? あるいはヒンズー教のお祭りでよくみる行列をずっとおとなしくした感じといえばなんとなく想像していただけるかもしれません。近所に住むヒンズー教徒やイスラム教徒たちが神妙にじーっと見るなかを、私たちは聖歌を歌ったり祈りを唱えたりしながら練り歩きます。モディ政権はヒンズー教以外の宗教にはかなり不寛容ですから、これもナガランドだから可能なのかも知れません。

◆聞くところによると、この「聖体行列」は同じキリスト教徒でもプロテスタントにとっては珍しいことなのだそう。というのは、カトリック教会にはさまざまな部族が混じっている一方で、プロテスタントの場合はそれぞれの部族に、例えばアンガミ・バプティスト教会とかロタ・バプティスト教会というふうに自分たちの教会があり、カトリックのようにこうして一緒になって盛大にお祝いすることがないのです。近年、部族に関わらずに参加できるプロテスタントのナガミーズ・キリスト教会がつくられたのは、カトリック教会の影響を受けてのことらしいです。

◆ミサの後にはお昼ご飯が参加者全員にしっかりと振る舞われました。4000人分を超える食事を教会の信者さんたちが教会の敷地内で用意したのです。あっぱれと言わざるを得ません。そういえば、北東部においては教会の記念式にしろ、誓願式(シスターになる儀式)や叙階式(神父になる儀式)にしろ、宗教行事であると同時に重要な社交行事だと聞いたことがありました。さもありなんと納得した次第です。[延江由美子


歯車のみるユメ

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今月の窓

フロー合成について

日置梓 

■今年の猛暑、豪雨、旱魃で環境問題に無関心な人であっても世界中の気候がおかしくなっていることを実感したと思います。毎日のように体温を超える気温に道路が川になる映像は2才の我が子にも印象深かったようで、「あめがたくさんはだめだ」と豪雨のニュースを見るたび言うようになりました。

◆勤めている化学品業界もようやく本腰を入れて対策を行うようになり、大手顧客からはCO2削減の取り組み確認を強化され、排出量の開示や削減に向けた協力を求められています。私の勤めるグループ会社では2030年までにCO2排出を50%削減、2040年までに自社が使用するエネルギー起因のCO2排出をゼロにすることを公表しています。その方策として3つの戦略があります。(1)再生エネルギーへの転換 (2)社外の製品も再生エネルギー転換した工場で製造受託する (3)フロー合成法の開発(CO2削減効果の大きなプロセス開発)。今回、皆さんに生産現場を知って頂くため、(3)のフロー合成について少し書かせていただきます。

◆一般的なイメージとして「化学=環境破壊」のイメージが強く私も温暖化を防ぐには工業生産の活動をもっと少なくすべきと考えていました。就職時に化学品メーカーを選んだのは、消費者としてではなく生産者として工業を知ることのできる機会になるのでは、という興味があったからです。実際、化学品は世の中に浸透しすぎていてなくすことが難しいこと、資本主義の世の中で必要最小限の生産活動というのは難しいことを感じています。1社だけではもうどうにもならない、全体が変わらなければいけません。一方で化学品製造の技術力や世の中の科学の進歩に感動させられることも多いです。

◆これまで長く環境負荷の少ない技術開発は続けられてきました。企業なので、ただ環境負荷をなくすだけでなくメリットもある手法です。化学品を製造するためには莫大なエネルギーが必要です。大きな金属の釜や乾燥機、粉砕機等多種多様な設備を使い加熱や冷却、乾燥等機器を動かすために多くのエネルギーを消費します。廃棄物は規制に基づいて適切に廃棄していますが、地球にとっては優しくありません。

◆今回紹介するフロー合成(flow synthesis)とは原料液体を連続的に細い管に流し、化学反応させる手法で、省エネ、省スペース、省廃棄物などのメリットがあります。もともとの英語(flow)は「(液体が)流れる」という意味ですが、科学実験や心理学、経済現象などについて広く使われている言葉です。

◆これまで大きな釜に原料を入れてお料理のように温度を上げたり下げたりし、中で攪拌して化学反応させていました。しかしフロー合成はもっと効率的に反応ができます。細いY字のチューブをイメージしてください。二又側から原料A、原料Bをそれぞれ流して二又が交わるところで反応させるという手法です。これを細い管で流量流圧をコントロールしながら流すと、すぐには大量に反応は起きませんが、流し続けることで数百キログラムからトンレベルの製造もできます。そして、反応ポイントの面積が小さいので、冷却・加熱が効率よく行えます。さらに、反応面積が小さいことで危険な反応の制御がしやすく作業面でもとても安全です。

◆大仏のように巨大なステンレス釜の温度を−50℃や120℃に変えるよりもはるかに低エネルギーで実現でき、さらに反応効率が良いためたいていは釜ほど大幅な温度変化をさせなくても反応ができるのです。さらに廃棄物も大幅に減ります。実際にある生産の環境へ与える影響評価をしたところ、一般設備を使用した場合に比べてフロー合成を実施した場合、廃棄物54%削減、冷却エネルギー96%削減、資源量40%削減が実現しました。

◆ただ、すぐにすべてを切り替えられるわけではなく、研究途上です。一部製造できていますが、複雑な構造の化合物は工程が長くなるため装置の組み合わせが複雑になり、その化合物だけの専用設備になりますし、その他配管の詰まり問題、適正な条件設定等課題はたくさんです。複雑な化合物へ同じ設備を汎用的に使えるようになるにはまだ時間を要しそうです。10年前はフロー合成を大量生産できる化合物、生産できる企業は少なく、簡単な構造物しか製造されていませんでした。この10年での開発活動は素晴らしい進歩だったと思います。

◆今、医薬品業界でも注目されており、薬のような複雑な構造のものをフロー合成で作る開発が進んでいます。工程の一部はフロー合成ができても、すべてフロー合成でできる医薬品はまだありません。環境破壊を止めるという意味で、化学品の製造も止める、減らすべきですが、一方で科学の進歩に純粋に感動しますし、製造の先端技術に触れられる仕事に就けていることは幸せなことだと思います。


あとがき

■最初に、長野亮之介画伯の個展の案内です。

tembea(テンベア)〜タンザニア叢幻紀行〜
日時:11月11日(土)〜19日(日)<11月15日(水)は定休日>
時間:12時〜19時(日曜は17時まで)
場所:Gallery Hippo(東京都渋谷区神宮前 2-21-15)

◆テンベアはスワヒリ語で「歩く」の意味です。この夏訪れたタンザニアのミクミ国立公園とザンジバル島でのスケッチをもとに描いた絵を展示します。期間中在廊予定。今回発表する絵を地平線カレンダーにも使う予定です。よろしくお願いします。

◆最新の東京外国語大学のメルマガに、外語山岳会の先輩であり、国際モンゴル学会会長をつとめた小澤重男さんが2023年8月9日(水)〜14日(月)にモンゴルの首都ウランバートルで開催された「第12回国際モンゴル学者会議」の期間中に発行された記念切手シートになっていることが伝えられたそうです。

◆記念切手シートに掲載されている6名の人物はいずれも世界的に有名なモンゴル学者(物故者)です。左上の生誕年の早い順からツェウェーン・ジャムスラン(モンゴル)、ボリス・ヤコヴレヴィッチ・ウラジーミルツォフ(ロシア)、オーウェン・ラティモア(アメリカ)、ワルター・ハイシッヒ(ドイツ)、小澤重男(日本)、イゴール・デ・ラッケウィルズ(イタリア)だそうです。学会にはいろいろ意見があるようですが、よかったですね、小澤さん。[江本嘉伸


■今月の地平線報告会の案内(絵と文:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

スマホとシャーマン

  • 10月27日(金) 18:30〜21:00 500円
  • 於:新宿区榎町地域センター 4F多目的ホール

「モンゴル人はラテン系!」と言い切るのはフリーランス編集者・ライターの大西夏奈子さん。「血が熱くて、会ってると細胞が吸い込まれそうになるんです」。東京外大モンゴル語科卒業後、小学一年生からの夢だった出版業界へ。離れていたモンゴルに、あるきっかけで再びハマったのは2011年のことでした。

以来、足繁くモンゴル国に毎年のように通い続けています。さらに日本の街角でモンゴル人らしき人には片っ端から声を掛け、友達になるのが趣味に。その数は1000人に達し、ヒップホップ好きの若者から相撲取り、国務大臣など幅広い友達の輪になっています。

中国の内モンゴル自治区の友人も増えました。陽気でおしゃべりで情報交換が大好きなモンゴル人は、子どもから老人まで、スマホ等のデジタル機器を使いこなす一方、伝統的なシャーマンに悩み事を相談する文化が当たりまえのように息づいてもいます。中・ロの大国の隣人という共通点もあり、歴史的関係も深い日本人とモンゴル人は「もっと知り合うべき」と大西さん。

今月は大西さんに、モンゴル民族の魅力と、モンゴルの今について、「情報」というキーワードを交えお話しして頂きます!!


地平線通信 534号
制作:地平線通信制作室/編集長:江本嘉伸/レイアウト:新垣亜美/イラスト:長野亮之介/編集制作スタッフ:丸山純 武田力 中島ねこ 大西夏奈子 落合大祐 加藤千晶
印刷:地平線印刷局榎町分室
地平線Webサイト:http://www.chiheisen.net/


発行:2023年10月18日 地平線会議
〒183-0001 東京都府中市浅間町3-18-1-843 江本嘉伸 方


地平線ポスト宛先(江本嘉伸)
pea03131@nifty.ne.jp
Fax 042-316-3149


◆通信費(2000円)払い込みは郵便振替、または報告会の受付でどうぞ。
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議


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