2026年9月・10月合併号の地平線通信

9月・10月合併号の地平線通信・569号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙

10月 7日。朝、ニュージーランドを旅しているシール・エミコとスティーブからメールが届いた。「お誕生日おめでとうございます。お身体に注意して健康寿命長生きしてくださいね♡」「地平線50周年に向けて、お身体大切になさってください(ナカハタトモコ)」というのも。そうだ。間もなく地平線は半世紀を迎えるのだ。

◆北海道西興部村で9月3、4、5の3日間にわたり開催した「地平線モリズム」、期待通り、あるいはそれ以上の成果で嬉しかった。第一に心がけたのは「若者の参加」だが、酪農学園大学の皆さんはじめ青年たちが参加してくれ生き生きとした場所になった。

◆場所として西興部村を選んだのは村の“色”が強烈に脳裏に刻まれていたからである。2005年6月末、山形県朝日村の湯殿山ホテルで民俗学者、田口洋美さん主宰のマタギサミットが開かれ、私も参加した。この中で当時33歳の伊吾田宏正さん(大学の教員ではなく村の臨時職員だった)が増えすぎたシカへの対策として「ガイド付きハンティングの導入」という報告をした。その内容にひかれ、この後、田口さんと共にはじめて西興部村を訪れたのだ。

◆“西興部オレンジ”(私の造語です)に染まる人口1000人の村のたたずまいは印象に深く残った。伊吾田さんが偶然にも私の中、高校の後輩とわかったことも嬉しかった。あれから21年。仲間たちとこの村で祭りをやることになったのも、巡りあわせであろう。受付表によると前夜祭をやった4日に100人、5日に134人、6日は101人と延べ300人以上が参加してくれた。

◆私はモリズム期間中、キャメル色のカシミアのセーターを着っぱなしだった。右胸に北海道のかたち、しかも西興部村の位置がわかる地図が縫い付けてあり、皆さんから素晴らしい、と言われると脱げなかったのだ。予想はしていたが、盛り上がったのはオークションである。冒頭車谷建太さんと私が巻き紙を読み上げるかたちでセリ人のかけあいを演じたがその巻き紙もセーター同様カミさんの創作だった。

◆私自身はあの三輪主彦の弟子である田中雄次郎との再会がエキサイティングな出来事だった。19歳の時、宗谷岬から佐多岬まで2800キロを歩いた旅の記録「あるくみるきく 138号」(1978年8月号。今でも滅茶苦茶面白い)を用意していたが、それは不要だった。毎日朝から夜まで牛たちの面倒に追われる中、そんな昔のことよりただ日々の生き方が問題なのだ。ただ、地平線通信はしっかり読んでくれている上、しばしば手紙や葉書をくれるので、そしてこちらから時に電話して原稿頼んだりしているので40何年もの距離感はなかった。

◆帰京してまもなく手書きの感想原稿が届いたが、一緒に採れたてのニンニクがごっそり入っていた。ありがとう。きょう印刷作業に来てくれる皆さんと分けます。今回メインの報告者の1人だった関野吉晴は鹿肉パーティーを終えると足早に会場を後にした。初めての村にもっとゆっくりすれば、と思うが事情があった。10月3日に日高山脈西麓の二風谷で「アシリティプノミ」という神の使いである鮭に感謝する儀礼があり、それまでに完成しなければならないものがあったというのである。

◆「鹿角を使ってマレックというアイヌ伝統の銛を石器だけで、切ったり、引っ掻いたり、擦ったりして、作り始めたのです。アイヌはこの儀礼のある日、一日だけ川の鮭をとることを許されている。9月6日のイベント、講演で聞きたいものはたくさんあったのですが、そんなわけで後ろ髪を引かれながら、西興部を後にしました」

◆沙流川の川原で、それ以来4週間、鹿の角製のマレックを作るために、すべての力を注ぎ込んで、なんとか10月3日に間に合わせたそうだ。変わらず恐るべし、関野吉晴。

◆次ページ以下、この3日間がどのように進行したか詳細にレポートしている。80人もが書いてくれたので全体ではなんと32ページもの分厚い通信になってしまった。そういう事情もあり、今号は「地平線通信9、10月合併号」とします。[江本嘉伸]


タイトル-1

■ああ、面白かった。現地での準備期間と終了後のクールダウン旅を含め、7泊8日の北海道合宿生活は盛り沢山でした。

◆地平線モリズム西興部では、オープニングを飾った品行方正楽団の太鼓パート。および、恒例地平線オークションの賑やかし役、そして5、6日の本番では舞台進行役を務めました。北海道は学生時代を過ごした土地。大学は札幌なので、遥か遠い西興部村を当時訪れたことはない。でも農学部の林学科に在籍した僕にとって、北の森は懐かしい思い出がタイムカプセルのように詰まったところ。森林に囲まれた小さな村で開催した地平線モリズムは印象深いイベントになりました。

◆「モリズム」という名称が生まれたのは、関野吉晴さんとの会話がきっかけでした。地平線会議の18年ぶりの「拡大集会」が西興部村に決定したのは昨年の5月頃。それから現地視察や、幾度かの会議。年明けに統一テーマを「森」に決めたものの、今年3月で、まだ呼び名がありません。拡大集会は地平線会議のハレの場。「お祭り」のようなもの。それが実体を持ち、親近感を得るためには名称が大事だと思いました。アイヌ語や、北大の寮歌などにヒントを探り、模索していた時のこと。近年旧石器時代の生活実践をしている関野さんに、要は何をしているんですか?と尋ねる機会がありました。返事はシンプル。「生きてるんだよ」。その時、「森に棲む=もりずむ」という言葉が降りてきました。放っておいても森林が育ってしまう環境の中で、私たち日本人は否応なく森に関わり、独特の文化を育んできた。西興部村はまさに森に囲まれた地域です。「これか〜」と思いました。「モリズム」は「森・リズム」とか「森イズム」などの言葉遊びにも通じます。現地で、地平線会議の仲間たちはもちろん、村の人たちも当たり前のように「モリズム」という言葉を発していました。創作した言葉が魂を持ち、一人歩きをしている気がして密かに嬉しかった。

◆内容がおおよそ決まった時、モリズムのチラシを素早く作ってくれた丸山純さんのデザイン力もさすがでした。遊び心もある紙媒体は、祭りに向けて気持ちを盛り上げる重要なアイテム。地平線に丸山さんありきです。

◆これまで地平線会議が地方で行った大集会では、地域の方々といかに関係を築けるかという視点を大切にしています。地元の方のお話に耳を傾けるのはもちろん、一緒に楽しむ事も。今回もキーパーソンである伊吾田兄弟をはじめ、鹿牧場の中原慎一さん、GA.KOPPERの浅野和さん一家など多くの方と交流できました。個人的には、品行方正楽団の一員として、地元のウェンシリ太鼓やスコップ三味線の高橋啓子さんとの共演が貴重な経験でした。音楽や踊りは右脳で共感できます。我らが楽団としても、初のオリジナル曲「モリズムのテーマ」と「西興部音頭」を演奏して皆で踊ることが、何よりの交流でした。鹿肉祭りに割り込ませていただいたオークションも、同様に五感で感じる体験だったかも。江本さんと車谷建太くんが冒頭に演じたお芝居、目撃しましたか? これも地平線会議の伝統芸。二人の役者ぶり、素晴らしかったです。

◆「モリズム」の実施にあたり、「北海道の若者を巻き込みたい!」という江本さんの強い意向がありました。北大の学生や探検部ちえん荘の面々、酪農学園大学の学生たちが参加してくれたのはその熱意の成果です。皆キラキラして、未来への希望を感じました。西興部在住の移住組若者たちの優秀さにもびっくりしたし、GA.KOPPERの巴ちゃんの肝っ玉の座った開会宣言にはたまげました。もはや伝説とも言うべき田中雄次郎さんの登場をはじめ、モリズムではさまざまな出会いがありましたが、本番初日の午後一番にお話しいただいた、北大雨龍研究林の坂井励さんとの繋がりも奇遇の一つ。今年4月、まったく別件で研究林に連絡。たまたま電話口に出たのが坂井さん。雑談で地平線会議のことを話すと、坂井さんも学生の頃放浪の旅をしたと言う。モリズムの構成が進むにつれ、北海道の森を語れる人として坂井さんに白羽の矢が。おかげさまで「森」と言うテーマに芯が通った気がします。モリズム終了後の7日に、坂井さんに雨龍研究林を案内していただくミニツアーを急遽実施。北海道の森を肌で感じられた良い機会でした。江本さんを核とした地平線会議の人の縁、やっぱり面白い!と実感したモリズムの日々。ありがとうございました〜。[長野亮之介 東京 モリズム実行委員長]

モリズムロゴ

       地図

タイトル-2


■プロローグ 江本嘉伸さんほか6名は2日に現地入りし、機材準備や現地での打ち合わせなどを進めていた。参加証作成、メイン会場「プラムホール」での音響や照明の調整、吊り看板の設置、「めくり」の作成、品行方正楽団のリハーサル、会場の設営、オークションの下準備、鹿肉祭りの会場である「コミュニティ&スポーツホール」でのシート張り、ステージ設営などやることは目白押しだ。

◆私は9月3日の夕方、南富良野町の「ちえん荘」から、パートナーの五十嵐宥樹とともに西興部村に向かった。20時頃にホテル森夢に到着し、レストランにいた江本さんはじめ、みなさんと合流。初めましての方には「Zoom打ち合わせではお会いしましたが……」などとご挨拶した。そう、モリズムは、通信を読むことでふんわりとつながっていた方々と、直接つながれるまたとない場なのだ。

◆ 今回、私は「モリズム幹事団」の中に混ぜていただき、西興部村への2度の下見や、事前の度重なるミーティングにも参加させてもらっていた。にも関わらず、当日になってもなお、「いよいよだ!」という高揚感はあまりなく、「何が始まるんだろう……」という未知の感覚の方が圧倒的に強かった。ホテルに着いた3日の夜、五十嵐が「我々はここでは、探検部に入ったばかりの1年目みたいなものなんだから、何もわからないのは当たり前。この期間は、先輩方が作り上げている雰囲気、熱を浴びよう」と言ってくれ、妙に納得した。新米参加者として、ただこの場を経験するということそのものが、きっとすごく貴重なことだ。熱い空気をただ全身で感じよう。そして、地平線モリズム西興部は始まった。[笠原初菜 北海道 ちえん荘]


森へのトビラ

西興部小学校出張授業

澤柿教伸 

澤柿教伸

■プログラムの最初は、4日の午後一番から。南極観測隊の越冬隊長を務めた経験がある澤柿教伸さんによる、西興部小学校での出前授業だ。一般公開はないため、同じく越冬隊長経験者の樋口和夫さん、南極行きを夢見る北大生の杉田友華さんのほか、江本嘉伸さん、記録担当の落合大祐さん、白根全さんと私が同行した。

◆教室には3〜6年生と、西興部中学校の生徒たち合わせて約40人ほどが待っていた。澤柿さんは子どもたちの前に立つと「今日は、西興部村と南極はつながっている、という話をします」。……ん?どういうことだろう。スライドに映ったのは、雪渓に覆われた沢の写真。夏になっても雪が溶けない、西興部村の「氷のトンネル」という場所らしい。南極も、この場所も、雪が溶けきらないということがポイントなんです、という導入の後、南極観測隊の紹介へと話が移った。

◆ まずは映像を用いて、「昭和基地ってどこにあるの?」「観測隊員の1日ってどんな感じ?」といった説明。続いてブリザードの映像や、白夜と極夜の「沈まない太陽、転がる太陽」、洗濯物を振り回す実験の映像などが流れた。子どもたちは、真剣に映像に集中している。私が個人的に驚いたのは、南極では空気がきれいすぎて、どんなに寒くても吐く息が白くならない話。吐いた息が白く見えるのは、空気中に塵や排気ガスなどの汚れがあるからだそう。「南極には本当にきれいな環境が残っているからこそ、地球全体の変化に敏感なんです」と澤柿さん。

◆ 授業の締め括りでは冒頭の西興部村の話に戻り、「30年後、氷のトンネルは残っているだろうか?」という問いが投げ掛けられた。今後気温が上昇し続けたら、遠い南極の氷の状況は、大きく変化するのだろう。そのとき、村の子どもたちにとって身近な自然環境も、きっと大きく変わっている。澤柿さんはきっと、「我々観測隊員は日々、調べたり、観察したりしながら、地球環境のことを真剣に考えている。けれど、君たち一人一人も、身近な自然を見つめることで同じように、地球の変化に敏感になれるし、環境について考えることができるんだよ」というメッセージを伝えたかったのではないかな、と感じた。

◆授業後に、6年生の稲葉麻友美さんと眞家美織さんに感想を聞いてみた。眞家さんは「南極に人が暮らしていると思っていなかった」、稲葉さんは「昭和基地まで行くのに1か月もかかるなんてびっくり、数日で行けるかと思ってた」と、それぞれ目をキラキラさせて答えてくれた。その場にいた一人一人にとって、きっと何かしらの「知らなかった!」に出会えた時間だったのではないかと思う。[笠原初菜 北海道 ちえん荘]

【前夜祭】賀曽利隆の夕べ

浅野和

賀曽利隆

■前夜祭は、旧上興部中学校の校舎を手作り感覚満載で改装した宿、GA.KOPPERにて開催された。

◆トップバッターはツーリングライダー賀曽利隆さん。狭い日本を飛び出したい!と20歳でアフリカへ旅立ったのを皮切りに、その後世界中を駆け巡るのだが、ふと自分の国、日本を知らないと気づいた。それからは温泉や峠、一宮巡りなどをテーマとした日本一周を30代以降、各年代で決行。来年は80代日本一周だ。

◆そんな人生の中で、大病も経験している。40代で肺に腫瘍が見つかった。しかし手術は後回しにして日本一周へ出発。50代では心臓発作で命の危機。回復後に不整脈が残ったが、日本一周に出発して13日目に奇跡が起こった。1年数か月ぶりに不整脈が治ったのだ。「バイクに乗っていれば健康なんですよ!」。60代は還暦のプレッシャー。でも1年間に3千湯を巡るツーリングで吹き飛ばした。

◆ここで賀曽利さんが会場の旅人にトークを振る。古山隆行さん「今60歳ですが、登山で歩いてるから元気!」、鰐淵渉さん「バイクで日本や世界を走った。日本徒歩縦断の旅も」、稲川啓さん「バイクで世界も日本も走り、日本300名山にもほぼ登頂」、アフロあきらさん「バイクで世界一周。コロナのときはウーバーイーツの仕事をしつつ日本一周」、坪井伸吾さん「昨年、ロカ岬→イスタンブールの歩き旅。今年はその間の抜けた所を歩き、今日はその旅先からこの会場に直接来た」、加藤千晶さん「25年前、別名称で別オーナーだったこの宿に、歩き旅の途中で居候。でも、ここで骨折して歩けなくなり、ママチャリ旅に変わった」、GA.KOPPERのオーナー浅野和さん「海外と日本をツーリング。その後、夏は西興部のキャンプ場管理人、冬は能登杜氏という生活に。今は宿を経営。スーパーカブで熊鹿猟にも出かける」

◆ここからテーマが熊鹿に移り、熊撃ちの中原慎一さんと鹿皮クラフトの伊吾田良子さんが招かれた。トークの終了後は、さすがハンターの宿! GA.KOPPER特製“熊肉のオハウ(汁物)”が提供された♪[古山もんがぁ〜里美 神奈川 ライダー]

【前夜祭】西興部村の森の暮らしから見えるもの

中原慎一・伊吾田良子 

中原慎一

伊吾田良子

■賀曽利隆さんが熊の胆の効能について触れると、浅野さんに促されて50年以上猟を続けている中原慎一さんと、村で獲った鹿の皮で工芸品を制作している伊吾田良子さんが登場した。

◆中原さんは初めての狩猟で、今は保護動物になっているエゾリスを撃った。それが病みつきとなる。昔は、銃に20発、鞄に10発入れて猟に出た。おにぎりを持ち、半日熊を探し歩くこともあった。山で働く日当が四百円位の時代に、イタチの皮が三百円、テンは三千円位で売れたという。「村田銃(明治期に開発された国産散弾銃)を使って撃った」と何度も話される。猟に向かう姿が見えてくるようだった。

◆前村長の高畑秀美さんも加わり、鹿牧場の話になった。1990年に10人で十万円ずつ出資してスタート。最初は雄と雌のつがい。経費節減や捻出のため、廃止になったJR名寄本線の木製電柱を使い牧場の柵にし、野生の鹿を獲り缶詰を作って売った。村は2004年に猟区の認可を受け、野生鳥獣の処理や特産品開発ができる鳥獣処理加工センター「西興部ワイルドミート」も設立した。人口930人の村に30人ほどの猟師がいるという話に驚く。森の恵みを活かしてきた村の歴史。まるで冒険談のように高畑さんは楽しそうに語った。

◆良子さんは結婚を機に2006年に移住。お連れ合いは猟区管理協会の伊吾田順平さんだ。一緒に猟に行くうちに楽しそうだと思うようになった。ハンターになり、鹿皮の廃棄を目の当りにする。「西興部エゾシカクラフトサークル」「エゾシカ皮なめし工房」を立上げ、ベテランの人たちに尋ねながら工芸品制作に取り組んできた。労力の要るなめし作業は本当に大変で、仕上げられるのは年間30枚程だという(作業工程については地平線通信3月号に詳しい説明がある)。丁寧な作業から生まれる工芸品はコインケースやキーホルダーなど。美しいベージュ色、なめらかで軽い。よい素材だ。今は狩猟よりその後の手仕事に興味があるという。最後まで命を大事にされていることが伝わってくるお話だった。

◆野生の命に向き合って暮らす方々は実に魅力的で、もっと話を聴きたかった。[中畑朋子 神奈川 染色作家]


世界の森と日本の森

地平線品行方正楽団 ウェンシリ太鼓オープニング
開会宣言 西興部村長

品行方正楽団

■「よ!」「……ドン!……ドン!……ドンドンドンドン」。長野亮之介さんの威勢の良い掛け声と、和太鼓の腹に響くリズムで、品行方正楽団のステージが始まった。舞台がライトアップされると、右手側では裸足の長野さん、その隣に大西夏奈子さん、地元の女性和太鼓グループ「西興部ウェンシリ太鼓」の倉島久実さんの3人が和太鼓を叩いている。一方の左手を見ると、長岡ファミリーが勢揃い。左からピアノののり子さん、真っ赤なポンチョを着たケーナの竜介さん、エレキギターの祥太郎君。中央には、アイヌ紋様がほどこされた羽織を着て三味線を弾く車谷建太さん。そして同じく舞台中央、目深に被ったキャップと真っ黒のサングラスで顔を隠し、丈の短い民族衣装風チョッキでキメて、ちょこんと座り楽器を叩いているのは……白根全さん! あやしいー!!!

◆寄せ太鼓の次は、舞台の下に並べられた5つの和太鼓の前に、白を基調にした和風の美しい衣装に身をまとったウェンシリ太鼓の女性たちが揃い、「めざめ」という曲を披露。

◆続いて3曲目は品行方正楽団が作詞作曲した「モリズムのテーマ」。まずは長野さんに導かれ、会場の全員で歌詞を練習する。「♪ さあ〜始まるぞ〜 ちーへーいーせーんー 西興部の〜 モーリーズム〜!」。準備が整ったら、音楽スタート! 草原を駆けるような伸びやかなケーナのメロディーラインで始まったと思うと、エレキギターのパート、三味線のパートが魅せる。背景には太鼓とピアノの音、ときどき全さんがシャララララン!とアクセントを鳴らす。……かっこいい! みんな手拍子で乗ってきたところで、肝心のパートを大合唱。

◆4曲目は同じく楽団がこの日のために作った「西興部音頭」。会場のみんなが立ち上がり輪になって、盆踊りのように踊りながら唄う。歌詞の中の「エゾシカ〜跳ねます〜」のところではエゾシカがぴょんと跳ねる仕草を全員で。2番はクマゲラ、3番はヒグマ。

◆ 体を動かして声も出し、会場が十分に熱気を帯びたところで、地元のゲストハウスGA.KOPPERを営む浅野夫妻の長女、巴さん(10歳)による開会宣言。巴さんが壇上に上がり、「地平線モリズム、始まるぞー!!」と、会場中に響き渡る元気な声(なんと地声)で呼び掛けると、それに呼応するように会場全体から「オー!!」の掛け声が上がった。その後、菊池博村長から「江本さんの熱い思いに動かされた」「猟区のみなさんの活動があったからこそ、この場を開催できた」とお話があり、地平線モリズム西興部は幕を開けた。[笠原初菜 北海道 ちえん荘]

賀曽利隆の「巨木紀行」

賀曽利隆 

賀曽利隆

■開会宣言に続いて、バイクジャーナリストの賀曽利隆さんから「巨木紀行」についてのお話を伺った。賀曽利さんは、これまでバイクで日本各地だけでなく世界各地を旅し、さまざまな場所を訪れてきた。今回のお話では、そうした長年の旅の経験に触れつつ、日本各地の巨木について紹介され、特に北海道各地にある巨木をめぐる旅について詳しくお話しされていた。

◆特に印象に残ったのは、巨木を単に「大きな木」として見るのではなく、その木が存在する地域の歴史や文化、人々との関わりにも目を向けていることである。長い年月を生きてきた巨木には、その地域の自然環境だけでなく、昔からそこに暮らしてきた人々との関係や、その土地ならではの物語がある。そのため、巨木を訪れることは、木そのものを見るだけではなく、その地域について知ることにもつながるのだと感じた。

◆また、賀曽利さんは、その日の早朝に訪れた隣町の下川小学校校庭にある推定樹齢約830年のハルニレについても紹介されていた。長い年月を生きてきた木が、現在も地域の中で大切にされていることが印象に残った。巨木を実際に訪れることで、その大きさだけでなく、そこに積み重ねられてきた長い年月や地域の歴史を感じることができるのだと思った。

◆私もバイクに乗っているため、賀曽利さんがバイクでさまざまな場所を訪れ、自分の目で見て、実際にその場所の空気を感じながら旅をする姿勢に特に興味を持った。バイクは目的地まで移動するための手段だけでなく、走っている途中の景色や道路の雰囲気、風、気温などを直接感じることができる。そうした自由さがバイクならではの旅の魅力だと思う。

◆今回のお話を通して、旅は有名な観光地を訪れるだけではなく、自分なりの目的や興味を持って地域を巡ることで、より深くその土地を知ることができるのだと学んだ。私も今後バイクで出かける際には、景色や道路だけでなく、その土地に残る巨木や自然、地域の歴史などにも目を向け、自分だけの発見を大切にしていきたい。[吉田愛梨 酪農学園大学3年生]

旅の続きを森でみつけた——これからの北海道林業

坂井励 

坂井励

■放浪自転車旅 まずは坂井励(れい)の軌跡の紹介。1977年東京都 小平市生まれ。高校時代、野宿+自転車でどこにでも行けると気づき、友人と自転車旅。中央大理工学部入学後、18歳で北米単独自転車横断(バンクーバー→ニューヨーク)。大学3年(20歳)、南米アンデス(ペルー・クスコ→チリ・アントファガスタ)の単独1,700km。無名だったウユニ塩湖等を高山病・砂漠・悪路に苦しみつつ走破。リャマ放牧、都市の貧困者等の人々の営みを見聞。「食べ、沐浴、風を感じ」、生きる強い実感を得た自身の変化に気づき、林業を志す原点に。

◆林業との出会い 大学4年、就職氷河期。「林業従事者募集パンフ」に心動かされ、専攻分野(応用化学)とまったく異なる林業に身を投じる。UIターン受入に積極的な滝上町(西興部村の南に隣接)の林業会社に、雪がしんしん降る中、道路とトンネルしか人工物が見えない道70kmをバスで揺られ、2000年に赴任。集会所を宿舎に借用し、伐採・造材作業に従事しながら林業用の機器・大型車両・重機の操作・運転を体得。

◆現状の林業への違和感 造林の現場で植林した針葉樹を大切に扱う一方、販売価格が高い自生カンバ類など広葉樹を林道造成や下草刈作業で伐採。自然の森を基本とする「天然林施業」を学び林業を魅力的な仕事にしたいと痛感。東大富良野演習林(「森に聴く」森づくりを実践する高橋延清教授が名物林長。通称「どろ亀さん」は在職中一度も東大本部で講義しなかった伝説の教授)を目指したが募集なく、北大研究林の採用試験に長子誕生直後、背水の陣で臨み2004年採用。

◆北海道の森林と天然林施業 モリズムトークで坂井は北海道の森林の特性、天然林施業と課題・方策をわかり易く解説したが、本稿では書き足りない。また、7日に研究林内見学会を急遽実施。小型バス1台でモリズム参加者を案内して下さった。追って報告したい。北海道の林業・森づくりにおいてササ類の被覆は、次の森の担い手の種子・稚樹の地表への到達と、光合成に必須の日光の確保競争における重大な制約条件のため、「倒木更新」という独特の後継樹育成を生み、ヨーロッパの森林との非常に大きな相違点となっている。坂井は冬期伐採時の除雪作業にササ「掻き起こし」を併せた施業を提案し高く評価されている。さらに森林資源の「生態的健全性」と「経済性」の両立を探究する行為は、「冒険」と同一線上と再認識した。[花岡正明 さいたま市 北大林学科&サイクリングクラブ卒]

アマゾンの森から日本の森へ

関野吉晴 

関野吉晴

■関野吉晴氏の講演は、はるか遠く熱帯の森に住むマチゲンガの話から始まった。氏とは五世代もの長い付き合いになるという彼らの身の回りは、すべて自分たちで作っている、ゆえに素材がわかるものばかりであると語る。焼畑農業ではキャッサバとバナナを混植し、森を真似る。自然の時間に合わせて生きる彼らの姿は、学ぶべき人間と森の繊細な関係性の中にある。

◆同じくアマゾンはベネズエラのヤノマミは独特の小さな社会を形成している。シャボノと呼ばれる円形状の建物に間仕切りさえなく多くの家族が暮らしている。彼らにとっては家の中こそがパブリックスペースである。そんな空間で暮らしていれば勿論諍いもある。しかしまずは公共の場での言い合い、そして胸叩きの決闘と段階を踏み、本格的な争いになる前に解決する策がある。ヤノマミには社会がうまく回るための仕組みが自ずと息づいているのである。

◆我々聴衆は関野氏に導かれ、次は極北の森へと飛んだ。半径200キロ以内に誰も住んでいないアラスカの森に暮らすハイモさん一家は最後の罠猟師だ。彼らは生態系のバランスを考え、必要な分だけ猟をし、質素ながらも充実した生活を営んでいる。アラスカの大地を食べ、大地に生かされていると語る彼らは、他の生命を殺さなければ生きていけない人間の定めに誰よりも真摯に向き合っているように感じられた。

◆アマゾンとアラスカ。まったく異なる森に住まう彼らは、しかし同じように自然と調和しながら、森のリズムに合わせながら暮らしている。彼らの森のリズムを学んだ関野氏は今、日本の森で旧石器時代の森のリズムの中で生きようとしている。古代への旅が始まって4年余り、進捗は芳しくなく鉄の偉大さが身に染みると語る。旧石器探検のテーマは「暗闇の復権」という興味深い言葉も飛び出たが、惜しくもあっという間に2時間は過ぎてしまった。

◆講演を終えた関野氏はマレク(アイヌのサケ漁用の鉄鉤付銛)を鹿の角で作る方法を学びに、足早に西興部を飛び出していった。まだ始まったばかりという氏の旅路が報告会の場で語られる日は案外近いかもしれない。[赤嶺直弥 北大探検部]

鹿肉祭りとオークション

@コミュニティ&スポーツホール 

オークション

■鹿肉祭りは、まず西興部村猟区管理協会の伊吾田順平さんから料理の説明があった。モモ肉の丸焼き、骨付きスペアリブ、ホットドッグとハンバーガー、プルコギ、赤ワイン煮込み。その他、クマ肉の中華煮込みと、地元でとれたキュウリ、ズッキーニの漬け物、とうきびもある。順平さん、伊吾田宏正さんをはじめ、ウェンシリ太鼓のみなさんや酪農学園大学のみなさんが各料理の配膳役としてスタンバイし、ちょうど良い焼け具合のものを提供してくれる。どの料理も最高だったが、目の前で焼けた肉をそぎ落としてもらうモモ肉の丸焼きはとにかくやわらかく、おろしポン酢や山わさびを乗せると絶品。さっぱりした味付けのクマ肉も、プルプル、ホロホロで好みだった。

◆お腹が満たされたころ、車谷建太さんとスコップ三味線弾きのこっぺさん(高橋啓子さん)が登場。せんぬきを曲げて作るという「バチ」でスコップをかき鳴らすこっぺさんと、三味線の車谷さんがコラボして、会場をあたためた。かと思うと、次はマントに鹿角のかぶりものを被った「えもーのふ」こと江本嘉伸さんと、鳥のかぶりもの姿の車谷さんが登場。どちらも今回の競り人である。 えもーのふ:「ここに山のようなガラクタと宝物が集まったが、どのようにしたらよかろう?」車谷:「値をつけて売るのがよかろう、これを『おおくしゃみ』と申す」。ほっこりした寸劇を披露した。

◆そして、オークションは、怒涛の時間だった。トップバッターは、前回の拡大集会が開催された沖縄・浜比嘉島から、バトンを渡す意味も込めての「もずく」の出品。猟師の中原慎一さんが落札し、マイクが向けられ喜びのひと言。2番手は江本さんの秘蔵っ子、「モンゴルの馬の汗ふき棒」。会場からは次々に手が挙がる。800円!1000円!3000円! 車谷さんが、挙手した人を指差してはテンポよく値を叫び、「3500円!これ以上はないか!良いか!決まり!!」のかけ声で勝負は決まり。馬搬修行中で来年から馬を迎え入れる予定の五十嵐宥樹が競り落とした。

◆ジョージア語で書かれた『星の王子さま』、七つの砂漠の砂、聖なる椰子の葉のつるべ……世にも珍しい品々が次々と紹介されては値がついていく。まさに、世界を股にかけて活動する地平線の方々にしかできないオークションだなあ……と、興奮と熱い空気に包まれて、ずっとワクワクして見ていた。私はといえば、絶対に欲しかった山田高司さん出品の「ブルキナファソのタペストリー」を5000円で競り落とすことができた(どんどん値が釣り上がっていくスリルは初めての経験で、心臓がバクバクした)。この夏から住み始めた丸太小屋に、帰宅後すぐに飾りました![笠原初菜 北海道 ちえん荘]


ご参加ありがとうございました

地平線モリズム西興部 出品リスト

■オークション 浜比嘉島太もずく&オリジナル手拭い[外間晴美] モンゴルの馬の汗拭き棒、防寒着、ユーコンクエストジャンパー、長野亮之介の猫リョーシカ、地平線ゾモTシャツ[江本嘉伸] 冬用アウトドアつなぎ&著書『犬と、走る』(署名入り)[本多有香] テンの毛皮の帽子、アナグマの毛皮、クマの小さな毛皮、東松島の小野くん[網谷由美子] 木材フェチのナラ材カッティングボード[多胡歩未] 京都の午年腕輪念珠、屋久島セット[中島ねこ] ブルキナファソのタペストリー[山田高司] 七つの砂漠の砂[賀曽利隆] 鹿角持ち手の靴べらセット[高畑秀美] フィールドワークセット(GPSデータロガー&単眼鏡)、宮本常一文庫本セット[宮本千晴] 聖なる椰子の葉の釣瓶、名石アオトラ石で作った打製石器[関野吉晴] クリノメーター[花田麿公] シンハラ語トートバッグ&岡村隆著『泥河の果てまで』[岡村節子] ハンティング・ホーン(フィンランド狩猟用ホルン)[梶光一] 淡水魚表紙のノート[北川文夫] 著書『シリアの家族』(署名入り)[小松由佳] ジョージア語の『星の王子様』[坪井伸吾] 六分儀[樋口和生] オーロラのタペストリー、ペンギンのタペストリー[澤柿教伸] 海図(スティックチャート)、パキスタン投石器[山田和也] ファルトボート[北村操]

◆書籍コーナー 田部井淳子編『エヴェレストの女たち』&Tシャツ、植村直己冒険館『植村直己さんがイノチかけてつかんだコトバ』、著書『新編 西蔵漂泊』、著書『日本人とエベレスト』[江本嘉伸] 著書『ピッケルと口紅』(署名入り)[北村節子] 著書『ぐうたら原始行』、『熱帯の森の家族』、『インカの村に生きる』、『極北の大地に住む』(いずれも署名入り)[関野吉晴]

◆展示コーナー 造形「うちなるモリズム」11点[緒方敏明] 写真集「能登半島 地震直後からの5日間」[東雅彦]

◆売上金は合計16万7700円となりました。このご厚志は、地平線会議が長年応援している、貞兼綾子さんを通じたネパールの被災者支援に役立てていただくこととし、28日、貞兼さん指定の口座に振り込みました。みなさん、ご協力・ご参加ありがとうございました![E]


森と向き合う、そして未来へ

北海道の森で馬といきる——山仕事と馬仕事

野谷夏海・五十嵐宥樹 

野谷夏海

フーペ

五十嵐宥樹

■まずは二人がどう出会ったのかについて。野谷夏海さんは大学の馬術部に入ったことでさらに馬のことを学びたくなる。おじいさんが残した山のことも思い出す。馬搬してみたいがどうしたらよいのか? 五十嵐宥樹さんは林業の仕事をしていたが、山が好きなのに山で働くことを楽しめなくなる。4年前、そんな二人がたまたま野谷さんが受付をしていたチェーンソー講習会で出会った。

◆山林の管理は一般的には森林組合に全部お任せだというが、野谷さんは五十嵐さんと出会ったことで、自分の理想とする形を相談、自らも作業し、ボランティアの力も借りる等の努力で2年目で黒字にすることができた。五十嵐さんも野谷さんの要望を「むずっ」と思いながらも、手ごたえを感じて山仕事ができているみたい。人手不足や「切っても赤字」という理由から放置される山林が増えているが、工夫次第では収益を出すことができるのだな。

◆馬の訓練はいきなり荷を引くための道具をつけると馬が怖がるので、最初は後ろを少し離れて道具を人が引いて歩くことで(エア馬搬)、背後にその道具があることに慣らす等工夫があることにふむふむ。

◆仕事柄、伐開地に入ることもあるが、植林しないで放置される山や、切った材の一部しか搬出しないで倒したままの山、間伐されずにひょろひょろ密生した山も少なくない。林業界は圧倒的な人手不足。野谷さんや五十嵐さんのような若い力に協力者がつくことで、少しずつでも人工林が人にも野生の生き物にも生きやすい森になっていくとよいなと思う。

◆最後に野谷さんが連れて来ていた小さな馬「フーペ」について。GA.KOPPERの裏庭で一晩過ごしたフーペ。窓辺には野谷さんが書いた「小さな馬のフーペ。さびしがり屋なので、窓をあけて『ここにいるよ!』と声をかけてあげてください(無反応でも聴こえています)。」の看板があったので、早朝窓を開けて呼んでみた。とても寂しかったのか、寄ってきて鼻を触らせてくれた。小さな馬フーペはこれからどんな仕事をするのだろう。[網谷由美子 山形市 いきもの好き]

酪農家として豊富町に移り住んで

田中雄次郎 

田中雄次郎

■地平線通信に度々登場する“田中雄次郎”の名は、「道北で酪農をやっている人」として、仲間内では広く知られている。でも、彼は一度も報告会で話していない。地平線会議の発足から間もない1980年、北海道に渡ったからだ。

◆渡道後、約8年間、計3か所の牧場で働いた彼は、音威子府村で新規就農した。さらに37年前、豊富町豊頃に移住。そして一時は百数十頭の牛と、規模縮小した現在も搾乳牛11頭に子牛など4頭と暮らしている。そのハードな生活ぶりは、高校の恩師で何度も現地を訪ねた三輪主彦さんを通して、私たちも聞いていた。しかしこの日、苦労話を訊き出そうとする江本さんの狙いを、雄次郎さんはおとぼけで躱(かわ)すことにしたらしい。早朝から始まる日課を問われると、「オークションに頼まれたものを出していいですか?」の謎リアクション。その「指時計」なるものを実演指導し、「江本さんに言われてたんで持ってきました」とケムに巻いた。

◆6人の子供たちは、4、5歳の頃から、遊びとして仕事を覚えたという。雪山で伐り倒した薪材を橇で降ろす作業もその一つ。「馬搬ならぬ人搬ですが、重労働で、いま西興部で酪農やっているユウマも高校の卒業まで手伝ってくれました。『雄馬』と書きますが、ま、『人搬』なんですが『馬』搬とも……」。そんな掛け合い漫才のような遣り取りに、会場は繰り返し爆笑と拍手に包まれた。

◆時間になり、「最後に一言」と雄次郎さんが前置きして、ゆっくり力を込めて語った。「ツラい思いは多々ありましたが、そのお蔭で生活できたのは事実です」「自分は農業も一つの自然破壊だと感じるけれど、人の生活・健康・生命を維持するために無くてはならない産業です」「いまは国の大規模農業の方針で、『金が掛かりそう』のイメージを持たれ、若い人たちの(仕事の)選択肢になりにくいですが、農業には色々な方法があり、凄く創造的でやりがいのある産業だと思います」。そして、「いまは気軽に体験できる農場や牧場があるし、自宅のプランターで種を蒔くとか、そういうところから始めてもよい。どうか農業に興味を持つ若者が増えて欲しい。それを一番伝えたいと思って、ここに上がらせてもらいました」の言葉で締め括った。それまでの訥々とした受け答えから一転。力強いメッセージは、謎の指時計とワンセットで、参加者の心にしっかり刻まれたに違いない。[久島弘 北海道・東京・大阪]

*【雄次郎式?指時計】片方の掌(午前は右手・午後は左手)の人差し指付け根付近を鼻に押し当て、太陽の位置から時刻を計る。「慣れれば何時何分までわかる」そうで、誤差は「腹時計で修正する」とのこと。

緊急登壇! 坪井伸吾の「ユーラシア大陸歩き旅」

坪井伸吾

■4月にスタートしたユーラシア大陸歩き旅第2弾を終え、その足で西興部村に現れた坪井伸吾さんが急遽登壇。真っ黒に日焼けした肌に、前日のオークションで入手した蛍光イエローのゾモTシャツが映えすぎる。ほやほやの旅のあらましと、これまでのさまざまな旅について、10分程度のダイジェスト報告がなされた。

◆2005年に北米大陸5400キロを横断走した坪井さんは、2025年の定年退職を機に、「旅の続き」として、地球横断徒歩旅を始めた。4月にユーラシア大陸の西の端ポルトガルのロカ岬から出発し、途中EUビザ3か月期限の関係で出国しながら、9月にトルコのイスタンブールまで4000キロ、そして今年は前回行けなかったイタリア、スロベニア、クロアチア、ボスニアを巡ったところで3か月となり、イスタンブールに飛んで、トルコを横断、ジョージアのトビリシまで4100キロを旅した。この先はどの方向をとっても情勢が厳しいため綿密な計画が必要となり、また、疲労感もあったことから、帰国に至った。■そのあとは、歩き旅の原点ともいえる人力車での東海道五十三次の旅をはじめ、アメリカ大陸横断走り旅やバイクでの世界一周旅、アマゾン川イカダ下りなどのスライドを映しながら、駆け足でエピソードが披露された。

◆私自身、現地からSNSを通して発信を続ける坪井さんの軽妙な文章にも引き込まれながら、旅の様子を楽しませてもらっていた。ポルトガルやジョージアで報告会を行い、手応えを感じたという坪井さん。今後は日本各地で報告の場が設けられるだろう。機会を見つけて参加したい。[中島ねこ 大阪]


ワークショップ・山と森の観天望気術

猪熊隆之 

猪熊隆之

■豊富な登攀歴をベースにした山岳気象予報を通して、山に関わる幅広い分野をサポートする猪熊隆之さんは、山岳気象専門会社ヤマテン代表であり中央大学山岳部の監督でもある。猪熊さんによるプログラムを見つけたときは、楽しみと同時に、少し背筋が伸びた。北大山岳部在籍時、山では16時の気象通報から天気図を書いて翌日以降の行動計画を立てていた。しかし、卒部して咎める人がいないとすぐにスマホ天気予報を見てしまい、「安全」や「計画貫徹」を言い訳にした安易さに罪悪感があったからだ。スマホに頼ってしまうと自然との接続点が薄れていくのでは……。そんな葛藤さえ、爽やかに解決していただいた。

◆現代の天気予報は過去の観測データに基づくスーパーコンピュータ計算に支えられている。しかし、そもそも山やその裾野に広がる森ではデータが少なく、局地的な地形の影響もあって予報の精度がどうしても落ちてしまう。そこで、目に見えない空気の状態を反映する雲や風を五感を駆使して探っていく「観天望気術」の出番だ。特に重要なのは「やる気のある」雲が風上側の空に広がっているかどうか、強風を知らせるレンズ雲や笠雲が行き先にかかっているかどうかを見極める。最後は「人」の判断なのだ。

◆実践編として会場の外に出て、みんなで空を見上げた。ところが、この日の空は不思議と真っ白で雲らしきものが見当たらなかった。これはいったいなんだろう? そう考えていたら、「エアロゾルじゃないか」との声が。なるほど! あまり報道はされないが、シベリア森林火災の影響が偏西風の蛇行によって、ここ西興部村にも及んでいたのだ。

◆最後には自然発生的に、豊富町の酪農家・田中雄次郎さんによる指時計のレクチャーも始まった。するとみんなが顔の前に手をかざして、こうかなぁ?、こうでしょ!とすぐにやってみる。その光景がとても印象的で、ああ、地平線会議っていいな、そう思える時間だった。[竹中源弥 埼玉 北大山岳部OB]

南極人はいるか? ——探検・観測・設営、そして極夜を北の大地から考える

樋口和生 澤柿教伸 杉田友華 

樋口和生

澤柿教伸

杉田友華

ペンギン

■モリズム2日目、午後の部のはじめに登壇したのは、樋口和生さん、澤柿教伸さん、杉田友華さんの3人。北大山岳部出身の樋口さんは、山岳の専門家として4回南極に行き、そのうち2回は越冬隊長を務めている。そんな樋口さんが語ったのは、南極観測隊員のリアルな生活模様。隊員構成、越冬隊心得、観測、設営、食事など、さまざまなリアルを伝えてくれた。

◆越冬隊にとっての最大のイベントは、南極での冬至を祝うミッドウィンター祭だという。同じく北大山岳部出身であり、雪氷学者として越冬隊長も務めた澤柿先生は、「南極人」の精神はミッドウィンター祭に詰まっていると言う。宇宙よりも遠く、氷しかない場所で1年4か月を共に過ごす30人の越冬隊員。その精神は、昔と今では変わりつつある。

◆澤柿先生の教え子である杉田さんは、ミッドウィンター祭から観測隊の社会の変容を捉えたいという、北大低温研で唯一の文系学生である。杉田さんが元越冬隊員に話を聞いて回る中で耳にしたのは、「ポーラーマンシップ」という言葉。樋口さんは、最近の隊員にポーラーマンシップは感じられないと語る。日本とも容易に連絡が取れる今の昭和基地では、仲間意識の醸成のされ方が昔とは違う。澤柿先生は、ポーラーマンこそが南極人であるとし、ミッドウィンター祭を追う杉田さんの研究に期待している。

◆今の越冬隊は、極夜が終わりに向かうことを意味する冬至に何を感じるのか。南極人はいるのか。今回のプログラムから、将来南極に行くことを目指す私が憧れたのはまさに南極人だったのだと感じた。

◆様々な本や映画で描かれてきた、極寒の地で生き抜こうとする隊員の試行錯誤。それは何も基地の設備や隊員間の規則のような、システム的なものにとどまらない。試行錯誤を繰り返し、南極での生活に没頭することで初めて南極人となるのだと思う。ミッドウィンター祭は、そんな南極人にとっては希望そのものなのだろう。[青木銀 北大探検部]

いま、野生動物との共存をどうはかるかる

伊吾田宏正 

伊吾田宏正

■「彼がいるおかげで、西興部に来ようと」。地平線会議代表世話人の江本嘉伸さんがそう紹介したのが、酪農学園大学教授の伊吾田宏正さんだ。エゾシカなどの野生鳥獣の個体数管理から資源利用までを幅広く研究し、今回の「モリズム」開催にも奔走してくれたキーパーソンであり、ハンター・伊吾田順平さんの兄にあたる。

◆いま日本は、国土の約7割を占める豊かな森林と人口減少を背景に、シカが約300万頭まで増えて「シカ天国」と化している。交通事故や農作物被害、感染症など影響は深刻で、全国の鳥獣被害額188億円のうち半分近くをシカが占めている。我々が手に負えないほどの個体数の増加が背景にある。伊吾田さんは今回のモリズムの舞台、西興部村を拠点にして、その先駆的な解決モデルを示してきた。

◆西興部村は道内でも希少な「猟区」を20年前から設定し、安全で効率的な捕獲による個体数調整と被害抑制を実現してきた。シカを地域の資源と捉え、全国からハンターを受け入れることで村に約1000万円の経済効果をもたらしている。

◆「狩猟は一つの産業と呼べるほどの価値を秘めている」。国内外の現場を知り尽くす伊吾田さんだからこそ、その指摘は鋭い。しかし、捕獲鳥獣のほぼ100%を食肉利用する欧州に比べ、日本は廃棄が多くペットフード利用も目立つ。伊吾田さんは「もっと人間が食べるべきで、現状は非常に恥ずかしい」と語る。現在は英国の取り組みをモデルとして、一般社団法人エゾシカ協会で捕獲者の認証制度「DCC(Deer Culling Certificate)」を創設し人材育成を進める。

◆野生動物との共存について、伊吾田さんは「知・調・防・獲・食・伝」の6文字で説く。相手を知り、被害を防ぎ、捕獲した命に責任を持って食し、伝えていく。日本が目指すべき未来は、街のスーパーに鹿肉が日常的に並び、森の恵みを美味しく分かち合える社会だ。それは自然から切り離されつつある人間が、野生動物との循環のなかに再び戻っていくことでもある。[杉田友華 北大環境科学院]

「地平線モリズム西興部」を振り返って

笠原初菜

■あっという間の3日間、閉会の時間が訪れる。閉会挨拶のため壇上に上がった江本嘉伸さんは、穏やかに話し始めた。菊池博村長が最初から最後までずっと会場で参加してくれたことに触れ、「この小さな村、西興部村を選ばせてもらえて、ああ、良かったなあという気持ちです」とほっとした表情。私自身、道民でありながら、一度も訪れたことがなかった西興部村。準備段階から本番の期間を通して私が感じていたのは、この村には「お祭り」に慣れている、かつ、祭りを楽しもうという遊び心いっぱいの方が沢山いるのでは、ということ。だからこそ、参加したみんなが、気持ちよく楽しめたのではないか。

◆江本さんは「北大や酪農学園大の学生たちがずっといてくれたのが嬉しかった。地平線会議の真髄を、若者なりに感じ取ってくれたのでは」と続ける。モリズムに北海道の若者を引っ張り込みたかった、という当初からの思いを口にした。私はもう大学生ではないのだが、若者枠として、「地平線会議の醍醐味を肌で感じました」と言いたいです。

◆前夜祭の会場であるGA.KOPPERに続々と参加者が集まった4日(金)の夕暮れ時、そこかしこで「わあー!久しぶり!」と近づき、手を合わせ合う地平線の人たちを前に、なんだか温かい気持ちでいっぱいになった。この日のために海外から直接西興部村に駆けつけた坪井伸吾さんが、プログラムには入っていないのに急遽登壇、抜群の存在感を放っていたのは、きっと「今まさに活動から帰国した人」だからだ。会場に満ちていたのは、できたての、生の話を聞ける、というワクワクの気持ちだったと思う。そして、木訥ながらも誰よりも会場に笑いを巻き起こしていた田中雄次郎さん。私は雄次郎さんと地平線の皆さんがつながってきた年月を知らない。けれど、その数十分の中に、数十年会えなくても心はつながっている、という太くてあたたかい人間どうしの結び付きを見た気がした。これらを目の当たりにするたび、これが、地平線会議か……と圧倒された。

◆江本さんは最後に、「今の日本、いいものはいい、と言える大人が沢山いた方がいい」と言って、「3日間ありがとうございました」と閉会の挨拶を締め括った。確かに、SNSやらマッチングアプリやら、画面上で人とつながろうとする今の世の中。「現場で出会う、生身で感じる」ことができる地平線会議の集まりには、人の体温がある。モリズムの会場を後にしてから、身体中にエネルギーが満ちている感じがした。素敵な人たちに出会いすぎて、自分も人間として魅力的になりたいと思った。ここからどう生きるのかと、問われているような気持ちにもなった。

◆最後に、モリズムを終えて、自分でも驚いたことに、ハンターになってみたいという気持ちが出てきている。今まで、鹿肉は大好きだったが、自分が銃を持つこと、鹿を撃つということは現実的なことには思えなかった。けれど、西興部村のみなさんの話を聞いていて、気持ちが変わってきた。GA.KOPPERの浅野さんの話(当たり前のように鹿を撃って家庭で食卓に出していたら、小さかった娘の巴ちゃんが「お父さん、豚さんはいつ獲ってくるの?」と聞いたという。肉は親父が獲ってくるもの、だと思うくらいに狩猟が日常になっている)や、伊吾田宏正さんの話(宏正さんの弟の順平さんの娘、鈴さんは、中学を卒業して西興部を出るまで、家庭ではほとんど鹿肉だけ食べて育った。順平さんの妻良子さんは、娘が産まれた時に鹿革でファーストシューズを作った)が、妙に印象に残った。必要な食べ物を、自分で獲るということ、革を加工して日常道具を自作するということ。それを、当たり前の日常として日々、行っている人たちの話を聞いて、なんだか現実味のある話として考えられる気がしてきたのだ。いつか、自分で食べる肉を獲り、自分で使うバッグを鹿革で自作できたらな……と、今は妄想段階だが、夢見ている。[笠原初菜 北海道 インドに行ってきます]


北の大地で 見た 聞いた 出会った
~ 地平線モリズム西興部に参加して ~

報告者・登壇者の声

濃く、楽しく、素晴らしい3日間

■北海道には長く暮らしていたつもりだが、西興部がこれほどの実力とポテンシャルを秘めていた地だったとは、不覚にも知らなかった。野生動物を管理しながら自然との共生の道を探り、かつての開拓の遺産も、ただ保存するのではなくいまの地域の資源として巧みに生かしている。人口規模だけでは測れない土地の厚みのようなものを感じた。

◆そんな西興部の力を掘り起こし、つなぎ合わせ、「モリズム」という一つの場に仕立てた地平線企画者たちの力量にも驚かされた。私はその「モリズム」にふさわしい何かを返せたのか、いささか心もとないけれど、毎年北海道で続けてきたゼミ合宿が、昨年からゼミ生不足で途切れていたところに、元ゼミ生との対談という思いがけない形で、その穴を埋めてもらった気もする。

◆学生時代から縁のあった土地に、南極帰りの研究者として再び立つ。その巡り合わせまで含めて、とにかく濃く、楽しく、素晴らしい3日間だった。西興部、恐るべし。[澤柿教伸 東京 第63次南極地域観測隊越冬隊長]

73本の巨木と会ってきました

■西興部で開催された地平線会議の拡大集会「地平線モリズム」は大盛況でしたね。うれしかったのはここで鰐淵渉さんやアフロあきらさん、斎藤孝昭さん、稲川啓さん、戸川謙一さんらのバイクで世界を旅したライダーのみなさん方と再会できたことです。ユーラシア大陸徒歩旅の途中で帰国した坪井伸吾さんの話は驚きでした。

◆ぼくはこれに合わせて8月28日に神奈川県伊勢原市の自宅を出発。「巨木めぐり」の始まりです。相棒のスズキVストローム250SXを走らせ、白河関跡の「従二位の杉」を皮切りに、東北の11本の巨木をめぐりました。

◆函館に渡ると時計回りでの「北海道一周」の開始。西興部までの前半戦では知内町の姥杉を皮切りに全部で37本の巨木をめぐりました。後半戦の西興部から函館までの間では19本、青森から伊勢原の間では岩手県内の6本と、全部で25本の巨木をめぐりました。

◆9月11日までの15日間で合計73本の巨木と出会い、まるで神が宿っているかのような巨木からはパワーをもらい、生きる強さのようなものを教えられた気がします。

◆熊に怯えながら山道を歩きましたが、四国八十八ヵ所めぐりで使った弘法鈴を鳴らしながら歩いたおかげで、熊に遭遇することもありませんでした。感謝、感謝です。[賀曽利隆 神奈川 冒険ライダー]

バイクで世界を走り続けてきた導き

■娘の浅野巴(ともえ)が「モリズム」の開会を宣言するという大役をいただきました。大きな掛け声に続いて参加者さんの拍手と笑顔に会場が包まれた瞬間、「地平線会議 in 北海道」の開幕を生で実感。たくさんの出会いと夢が実現しました。特に地平線会議が村内の小学校と新しい繋がりができたことで今後の子どもたちの将来への期待が高まったと感じています。

◆モリズムで語られたのは、地球のこと、未来のこと。それは、すべての命に関わる問いでした。この縁は、私がバイクで地球を走り続けてきた導きかもしれません。

◆ご参加いただいた皆様、ご登壇いただいた皆様、そして当日の運営を支えてくださったスタッフの皆様、本当にありがとうございました。西興部村での再会を願っています![浅野和 GA.KOPPER]

鹿皮と向き合いながら

■地平線モリズム、熱い熱い3日間お疲れ様でした。こちらはいつもの静かな村に戻り、山の木々が色づき始め本格的な秋に向かっています。

◆今回、私は前夜祭のリレートークに少しだけ出演させていただきました。会場のGA.KOPPERは参加者の熱気で外の冷気も忘れるくらいでしたね! 賀曽利隆さんをはじめトークに登場する方々のお話はどれも楽しくて刺激的でした。終了後に鹿革クラフトを手にしていただいた方と直にお話しして鹿革の良さを伝えることができたことは大きな喜びでした。

◆地平線モリズムを終えた今、絶賛皮なめし中です。今日は鹿皮の脱毛をしました。脱毛を終えた皮は真っ白でツルツルしていますが1枚1枚表情が異なります。ある1枚はダニに咬まれた痕、ある1枚はお尻に傷の痕、ある1枚は全体にニキビのようなできもの……。そんな皮と向き合いながら、この鹿は西興部の森の中でどんな暮らしを送っていたのだろう、と思いを馳せるのでした。

◆皆さん、機会があればまた西興部にお越しください。お待ちしています。[伊吾田良子 北海道西興部村]

歌って踊って気持ちが一つに

■「地平線モリズム西興部」オープニングアクトは地平線品行方正楽団の寄席太鼓〜西興部ウェンシリ太鼓による「目覚め」、楽団結成23年目の初オリジナル「モリズムのテーマ」「西興部音頭」の4曲を演奏しました。

◆大集会ってお祭りだよね。祭りといえば音頭でしょう。会場のお客さん全員を巻き込んで、歌って踊って気持ちが一つになるようなオープニングにしたいよね。そんな想いから作曲されたモリズムのテーマと西興部音頭。南米フォルクローレベースのリズムに融合していく和太鼓と、ケーナのメロディーにジャンル不問のパーカッションが絶妙なスパイス感をプラスする。津軽三味線とエレキギターのアドリブ合戦。露天風呂で降ってきたという西興部の自然をイメージした歌詞がみごとにはまった音頭。何故かピアニストは先頭で音頭を踊ることに。

◆本番では会場全体に響く歌声、大きな輪を作り楽しげに踊る参加者皆さんの笑顔が素敵でした。さすが地球規模の行動者が集う地平線会議!畏るべし。一緒に演奏してくださったウェンシリ太鼓の皆さん、長い時間リハーサルにお付き合いくださった音響担当の亀津鴻さん、ありがとうございました。20年以上宴会ばっかり続けてきた品行方正楽団の仲間たち、最高のステージをありがとう。[長岡のり子 東京 地平線品行方正楽団ピアノ担当]

ただものでない人々

■モンゴル専門家の大西夏奈子団長の率いる『地平線品行方正楽団』は、地平線酔いどれ寄せ集め集団。編成は、和太鼓二台、チャンチキ、津軽三味線、エレキギター、アンデスの笛ケーナ、ピアノという普通ではありえない変なもの。現地音響スタッフの皆様には、さぞご苦労をおかけしたことと思います。西興部ウェンシリ太鼓の皆様と演奏できたことも楽しかった。「地平線モリズムバージョン・西興部音頭」では、ウェンシリの皆さんには歌でも参加いただき、喉も素晴らしく感動しました。

◆GA.KOPPERの浅野和様には無理にお願いし、「オホーツク楽器」に問い合わせていただき、エレキギター工場の隅々までも特別に見学することができました。ギター担当・長岡祥太郎も感激していました。とにもかくにも「鹿肉まつり」、最高でした。

◆西興部の皆さんの団結力、実行力、人間力おそるべし。ただものでない人々はここにもいた。[長岡竜介 東京 地平線品行方正楽団ケーナ奏者]

神津島での生活を重ねて

■西興部村に滞在する中で、高校生まで離島留学をしていた神津島での生活を思い返した。神津島のとある商店では、常にシャッターが半分ほど降りており、初めて訪れた人には営業しているのか閉まっているのか分かりにくかった。一方、西興部村の某コンビニでは、夜になると蛾を寄せ付けないために店内の照明を消すそうで、こちらも初めて見ると営業しているのか分からないという点に、どこか共通するものを感じた。

◆また、滞在中にはギター工房「オホーツク楽器工業」にもお邪魔し、製造工程や塗装の様子を実際に見学することができた。普段なかなか見ることのできない職人の作業を間近で見ることができ、とても貴重な体験となった。[長岡祥太郎 東京 地平線品行方正楽団エレキギター担当]

現場はスゴい!

■北海道遠い〜! モリズムどこ〜?と騒ぎながら、カヌーイスト河村安彦さんと線状降水帯の東北を一路北上。3日目にようやくたどり着いた西興部は、通り抜けてきた蝦夷地の村々に較べるとそのおしゃれな佇まいが際立つ。さっそく品行方正楽団の音合わせに突入したとたんに、こりゃカーニバルだろってな声が天から降りてきた。オープニングの演奏は、長々と宴会を繰り返してきた我が楽団史上、最高の出来映えだったかも。次々に逸品が登場したオークションも、絶妙な掛け合いの寸劇と競りが劇的効果をもたらした感あり。やはり、現場はスゴい!

◆多忙を極めた撮影記録は3日間で2000点超、てなわけで、あたたかく迎えてくださった地元の方々に多謝大謝![Zzz-カーニバル評論家 東京 地平線品行方正楽団パーカッション担当]

あの光景を一生忘れることはないでしょう

■“皆で輪になり火を囲んで話に耳を傾ける”。当初から地平線会議に抱いていた原風景的イメージが、本物の森に囲まれた西興部村で「遂に本当に実現したんだ!」という感動が今も胸に広がっています。皆それぞれがそれぞれの呼吸で参加し、本番では自然と足並みが揃ってゆくのが実に人間らしいというか、これぞまさしく「地平線会議」でした。西興部の森に生きる人や動物たち。そして地平線で繋がる「どこの世界であってもローカルな視点で共有し得る、人と自然にまつわる様々な知恵」を登壇者それぞれの感性を通じて分かち合った濃密な3日間。

◆お祭りを意識したオープニングでは地平線品行方正楽団初のオリジナル曲を携えて、地元ウェンシリ太鼓と共に皆の輪の中心に “火を焚き上げる”という大役を果たせたと感じています。皆さんが(森の動物たちも)一緒に輪になって踊っていたあの光景を僕は一生忘れることはないでしょう。オークションではスコップ三味線の高橋啓子さんとのコラボ演奏や江本さんと競り人をやらせてもらえたことも素敵な思い出になりました。

◆ご縁にご縁が重なって、振り返ってみれば見事に地平線会議らしいお祭りになりましたね! ご協力くださった西興部の方々、共に汗をかいたスタッフの皆さん、本当にありがとうございました〜!![車谷建太 東京 モリズム芸能委員長 地平線品行方正楽団津軽三味線担]

◆追記 9月27日。ウェンシリ太鼓の皆さんが村の敬老会で「西興部音頭」を披露し、拍手喝采で盛り上がったとの知らせがありました。音頭が村に響き続けていることがめちゃくちゃ嬉しいです! いつかまた西興部の皆さんと一緒に踊れる日を夢見ております……♪

すっかり西興部ファンになりました

■西興部の第一印象は、建物が夕張メロン色で美味しそう! 現地でみなさんとお話し、報告を聞き、素晴らしく調理された鹿肉に感動。すっかり西興部ファンになりました。今モンゴルに来ていますが、こちらのハンターや遊牧民にも西興部の話をしたいです。

◆オープニングでは、ウェンシリ太鼓のみなさん、音響や舞台設置でプロ技を発揮してくださった移住組の亀津鴻さんと倉島久実さん、前日から歌を練習してくださった酪農学園大学のみなさんと伊吾田宏正先生、歌って踊ってくださったみなさん、ずいぶん前から準備してくださった西興部のみなさんと地平線会議のみなさん……楽しい祭りをありがとうございました! 楽団のみなさん〜宴会しましょう![大西夏奈子 東京 地平線品行方正楽団和太鼓担当]

恵みいっぱい 北の大地でお待ちしております!

藤田麻美

■カバンの中をゴソゴソしていた母が何やら見つけた模様。クスっと笑いながら「こんなとこにあった」と差し出してきたのはハマナスの実。

◆ハマナスは初夏に濃いピンクの花が咲く。今の時季は実が真っ赤。見た目ミニトマトに似ているが皮は分厚くオホーツクの海岸沿いでよく見かける。彼女は道すがらその光景を目にし、愛おしさで思わず一粒をもぎ取った後、その辺にポイと捨てるのも忍びなくカバンの中に入れたっきりだったのだ。「昔食べるものがなかった時代、熟す前のハマナスの実を針糸でたくさん通して軒下に吊るして食べたもんだ」。彼女は器用に皮を剥き、ちょっとだけかじり、捨てた。

◆そして「こないだ300円詰め放題があってジャガイモと玉ねぎ15個ずつ袋に詰めて重いけど持って帰ってきた。あれは楽しかった」と嬉しそうに話す彼女は80歳。この恵みいっぱい北の大地で皆様のまたのお越しを心よりお待ちしております![藤田麻美 西興部ウェンシリ太鼓]

楽しく演奏! 刺激的な3日間!

■ウェンシリ太鼓の織田です。ある日、リーダーの藤田麻美さんからコラボの話を聞き、地平線会議……とは?と思う間にアレよアレよと当日を迎えたスピード感でした。無事に楽しく演奏させていただきました!

◆本番前に江本さんが「今日のために妻が刺繍してくれたんだよ」と見せてくれた胸元の小さな北海道。注目すると西興部村の位置に小さな星も丁寧に刺繍されており、それをみたときに村への期待や意気込みを強く感じたのをなぜか覚えています。すべては見られませんでしたが、普段聞けない話が聞けたこと、沢山の方々が来村し西興部音頭で輪になり踊ったりと刺激的な3日間でした![織田美里 西興部ウェンシリ太鼓]

エネルギーを身体いっぱいに浴びた3日間

■リハーサルから何度も聴いていたからだろうか。モリズムのテーマソングがしばらく頭から離れなかった。品行方正楽団の生演奏を聴けたこと、演奏に合わせて会場に集まった人が輪をつくったり、共に歌ったりできたこと。長年、和太鼓の演奏をしてきたという大西夏奈子さん、長野亮之介さんの演奏を間近で体感できたこと……。嬉しかったことを挙げればきりがない。

◆モリズムの会場では「地平線通信」やこれまでの報告会で知り合った誰かとの再会、新たな出会いを皆が大切にしているのが伝わってきた。これだけ大きな規模の集会が人口千人に満たない小さな村で開かれ、そこに自分が村民として立ち会えたふしぎ。地平線会議にかかわる人びとのエネルギーを身体いっぱいに浴びた3日間だった。[倉島久実 ポム/西興部ウェンシリ太鼓]

地平線会議にとけ込んでしまいました

■初めて聞く「地平線会議」に理解できぬまま開催する運びとなり、北海道でも人口が930人と少ない村へ、世界に名だたる探検家・冒険家たちが一堂に会し、体験談を「生の声」で報告する、それは珍しい報告会だった。

◆オープニングには様々な楽器で奏でる音、ノリの良い「西興部音頭」で輪になって踊るなど、のっけから感銘した私は、もう地平線会議にとけ込んでしまいました。過去に現在にと世界を旅した行動者の体験を、思い思いに話していることが私の心に深く刺さりました。

◆夜の「鹿肉まつり」では大勢の方がエゾシカやクマの焼き肉を堪能され、珍品、秘蔵品のオークションでは楽しく、祭りの宴を盛り上げていました。道内外から100名近くの来村者で賑わいを見せた地平線会議は、初秋の小さな村に活気が漲り、明るい未来の光が差したかのようでした。地平線会議の皆様方には、自然の豊かさと村民の温かさを感じたことと思われ、再度訪れていただければこの上ない喜びであり、心から感謝とお礼を申し上げます。[菊池博 西興部村長]

何が起きるかわからない「旅のような発表」

■地平線会議には、長野亮之介さんから「モリズムというテーマなので森の話をしてほしい」と声をかけられたことがきっかけで参加した。登山はしているが、旅や冒険の文化?からは長く離れており、地平線会議の存在も今回初めて知った。モリズム当日、多種多様な発表と先が予想できない進行。こんなに何が起きるかわからない「旅のような発表」は他にないんじゃない?

◆品行方正楽団のオープニングは衝撃。そして、みんな冒険心を行動の原点としていて、かれらが語る言葉からは、本当にその人唯一無二の人生が感じられる。なんていう素晴らしい会。自分自身も忘れかけていた原点を確かめ直す時間でした。

◆地平線会議に集う人々は、日々の生活を送りながらも、自分の核を確かめるためにここへ戻ってくるのでしょう。そこには帰ってくる場所のような安心感があって、そして再び一歩を踏み出す力になるのだと思う。このような機会を得られたことに深く感謝しています。[坂井励 北大雨龍研究林技術職員]

先住民の焼畑はもっとも持続的な農法

■森が今回のメインテーマだというので、「アマゾンの森、アラスカの森、日本の森」について話すことにした。日本の森については、いま、夢中になっている旧石器時代にタイムスリップする旅で、東京郊外、新潟のマタギの村、北海道の二風谷、そして沖縄八重山と、四つの違った植生の様々な森を比較でき、まとまった話ができると思っていた。

◆森といっても、私の場合はその森を各々の土地で人々がどのように利用し、どのような文化を生み、どのような社会をつくり、その森の住民の暮らし、考え方にどんな影響を与えているかに興味があるので、それに沿って話した。その中で、アマゾンの先住民が森の生態系をいかに知り尽くして、活用しているか。徹底利用しながら生態系を5千万年も壊さずにきたのかを話した。

◆その中で、言い忘れていたことがある。アマゾンの森を先住民が焼畑をしている。先住民だけでなく、外部の人間も森を焼いてプランテーションや牧場を作っている。同じ焼畑でも先住民とよそ者とのやり方がまるで違う結果を生んでいる。先住民たちは森を焼くが、森の植生に倣って混植をする。焼いた森の灰が唯一の肥料で農薬も使わない。そこの作物を彼らがすべて消費する。食べた後で出る排泄物も近くの森でする。それらは分解生物や菌類によって、やがて土になる。

◆一方で、プランテーションでは、カカオ、コーヒー、バナナなどを、一種だけ植えていく。なおかつ収穫物を売るために栽培しているので、作物を外部にもっていってしまう。ということはその土地の養分も水分も他所に持っていってしまうということだ。焼畑の地味は2年で衰える。先住民はそのため別のところに新しい畑を作る。その畑は数十年するともとの森にもどっている。

◆しかしプランテーションでは地味がおとろえると、化学肥料を使って同じ土地を使う。アマゾンの土地は見た目と違って貧しい。様々な木々が植わるが、根の張り方、必要な養分が違うので貧しい土地に共生できる。また、大木が茂ることによって地面に強い雨足が当たって表土を流してしまうとか、強い日射が届かず、大切な養分が昇華してしまうのを防いでいる。

◆プランテーションでは、自然の植生に学ぶことなく、やがて土壌はラテライト(鉄やアルミニウムの水酸化物を多く含む赤褐色の貧しい土壌)になり、農業には適さない土地になってしまう。日本では野蛮な農法だと思われている焼畑だが、先住民の焼畑は、植物生態学を熟知しているのではないかと思うほどで、もっとも持続可能な農法だと評価されている。

◆モリズムで100分間話をしたが、時間配分が上手くいかず、日本の森=旧石器時代にタイムスリップする旅については、ほとんど触れることができなかった。来年の春、狩猟期間が終わるころに江本さんからお呼びが掛かれば、東京の地平線報告会で話したいと思っている。[関野吉晴 東京 探検家・医師]

発信していきたい野生動物の魅力

伊吾田順平

■まずは3日間無事に終わることができてほっとしています。スタッフの方々本当にお疲れ様でした。村で生活していてはなかなかお目にかかれない方々に来ていただき、村民も貴重な経験ができたと思います。今回は主に鹿肉祭りでのかかわりとなりましたが、これからもこの村からシカやクマなどの野生動物の魅力を発信していきたいと思います。

◆人間と野生動物との本当の意味での共生は今までにないほどの困難な状況を迎えています。我々は野生動物、自然に改めて敬意を表し、根本から野生動物との対峙の方法を早急に解決しなければならないと思います。今回は鹿肉のおいしさをきっかけに野生動物と皆様の接点ができたことに感謝しています。[伊吾田順平 西興部村猟区管理協会]

心地よかった旅人の「ふわふわ感」

■深川市より、愛馬フーペを連れての初参加。どんなイベントに行ってきたの?という質問に毎回「ええと……」と考え込んでしまうような、何物とも表現しがたいこの催しに、こんなにたくさんの人が全国から集まるのが驚きだった。

◆その場も人も新鮮であるはずだったが、不思議とアウェー感は覚えなかった。それはきっと、参加者がみな大なり小なり旅人あるいは探検家であり、そういった人特有の「ふわふわ感」をお互いに許容しているせいだろうと思う。私自身、旅をした時期もあり(偉大な旅人を前にしてあれが「旅」だったとは言いづらいのだが)、そのような雰囲気は心地よかった。

◆フーペは会場建物の角の草地にひっそりと放牧させてもらった。みなさんの癒しや楽しみになっていれば幸いである。今回は、フーペの安全・快適確保のため、すべての報告をゆっくりと聞けなかったのが心残りだ。次はフーペを留守番させ、私だけで参加するのも楽しみである。[野谷夏海 北海道深川市 働く馬のコンサルタント]

ヤノマミの円形家屋のように

■壇上で報告をしてみて驚く。今自分が馬搬を学んでいるのは、和田城志さんの話を聞き、三宅岳さんの本に出会い、野谷夏海に会ったから。思わず口にしたのは、偶然の出会いに受けた影響や恩。他にも語りつくせない無数、偶然の出会いがある。

◆地平線会議300回記念の分厚い通信を開く。見慣れた名前があちこちに。ほとんどの顔ぶれに変わりがない。ホテルでの宴会にて「品行方正楽団」結成秘話を長野亮之介さんに聞く。大西夏奈子さんも加わり懐かしい話に花が咲く。当時は未加入だった車谷建太さんが、当時の記録を読んで「いまと変わんないじゃん!」と爆笑。昔の話をしっている人が、すぐそばにいて、少し前を知っている人が目の前にいる。自分も「今」を体験している。

◆会場は、それぞれの地球体験から、我々の来し方を辿れる生き字引たちであふれていた。西興部で立ち上がった3日間の地平線会議は、森に囲まれるようにして脈々と受け継がれてきた村のように見えた。まるでヤノマミの円形家屋のように。[五十嵐宥樹 北海道 ちえん荘]

指時計試してください

■江本さんはじめ地平線会議運営スタッフの皆さん、このたびの地平線モリズム西興部の大盛会大成功おめでとうございました。また事前準備等ご苦労様でした。あらためて今回この地平線の人の集まりのとんでもない幅の広がり、思いも寄らぬところでのつながりに驚きの連続でした。このつながりは私にとっては江本さんとの46年ぶりの再会や、さかのぼってサル年生まれのサルのようにタフな三輪主彦先生との54年前の出会いに始まっているんだなあ、と帰途しみじみ感じていました。

◆超非日常の2日間を終え、牛飼い、野良仕事に追われる毎日が続いています。今回出会えた多くの皆さん、楽しい時間をありがとうございました。ヒマがあったら指時計試してください。そして皆さん、国産農産物、海産物を食べて元気にお過ごしください。[田中雄次郎 北海道天塩郡豊富町 封書にて、採れたてのたくさんのニンニクを添えて]

トビリシから間に合った地平線モリズム

■去年ユーラシア大陸の西の果て、ポルトガルのロカ岬から歩き始めた。今年、その続きをフランスから始め、ジョージアまでたどり着いた。8月半ば、トルコの黒海沿いで野宿していたころ「地平線モリズム」に間に合うと感じた。目標だったトビリシ到着が8月27日。すぐに江本さんから「オークションの品を持参して。話もしてもらうよ」と指令が届く。ジョージアからカザフスタン、韓国を経由して新千歳へ。

◆北海道に来るのは28年ぶり。海外より遠い場所に感じる。4日、キャンプ場にテントを張り会場へ。懐かしい顔があちこちに見えてホッとする。賀曽利隆さんのトークが始まる。

◆西興部村……。その名を知ったのはいつか? 調べると伊吾田宏正さんが報告者となったのは2008年3月。そんなに昔と驚いてしまった。会場で打合せ10分、準備10分でのトーク。あれでよかったのかは不明ですが、仲間の一人として仕事をさせてもらえたことに感謝します。[坪井伸吾 東京 歩き旅人]

道北に集う地平線民

■自分にとってのモリズムは出会いの場でした。西興部の雄大な自然との出会い、村の人たちとの出会い、ご登壇者との出会い、長岡さんご家族との出会い、学生との出会い、江本さんとの再会。化石燃料を燃やし続ける生活や消費しては捨てるというライフワークがおかしいと感じる、共通の価値観の皆様と同じ時間を過ごすことがなんと楽しく、なんと心強いことか。そして、森のこと、林業のこと、馬搬のこと、知らなかったことが沢山あった。

◆皆様の日頃の行ないが良すぎたせいか、観天望気講座では雲はたったひとつ! 気象予報士泣かせの好天でした(笑)。それでも気象に興味を持っていらっしゃる方が多かったのは、とても嬉しいことだった。

◆モリズムの後、ちえん荘にお邪魔させていただきました。今回、どうしても行きたかった場所。右近、左近(双子の猫)ともども温かく迎えていただき、ありがとうございました。しばらく“モリズムロス”になりそうな予感がします(笑)。[猪熊隆之 長野県茅野市 山岳気象予報士]

人とのつながりが地平線の果てまで

■16年の単身赴任生活に終止符を打ち、札幌に戻って2年。最後の南極越冬に出かける前に報告会に参加したのはいつのことか、随分とご無沙汰してしまった地平線会議が北海道で開催されると聞いて、万難を排して駆けつけなければと思い参加しました。

◆用意周到ながら臨機応変に見事なチームワークで現場を仕切っていたスタッフの皆さん、西興部村の人たちの温かさ、酪農学園大学の学生たちの献身的な活躍、全国から集まった参加者、多種多彩な報告者、地平線と地元がみごとに融け合い、地平線会議らしい充実した時間と空間でした。

◆個人的にも新たなつながりが生まれ、こうやって人とのつながりが地平線の果てまで繋がっていくのだと改めて感じました。参加してよかったと心から思います。

◆江本さんをはじめとするスタッフの皆さん、西興部の皆さん、モリズムに集ったすべての皆さんに感謝します。ありがとう![樋口和生 北海道札幌市 第57次・第64次南極地域観測隊越冬隊長]

モリズム経験 若者たちの手掛かりに

■西興部村での集会が成功裡に閉幕した。1年以上前から、現地の関係者と地平線会議の間の橋渡し役としてお手伝いさせていただいた甲斐があった。巨木、馬搬、林業、狩猟・採集、天気などなど、人と森林の関わりについて多種多様な報告があった。地球温暖化を通して、森林と繋がっている極地の話題にも視野を拡げられた。西興部村は森林面積が9割を占め、林業が営まれているとともに、そこに生息するエゾシカは林産物資源に位置付けられている。鳥獣保護管理法に基づいて、地域主体の猟区管理が行われているのだ。シカ捕獲認証という衛生的な鹿肉生産のための国際基準の資格制度の実習地にもなっている。また、豊かな森林は、水や栄養の供給源となって、酪農業や周辺の漁業も支えている。このように、森林の恵みを活かす西興部村で集い、人、野生動物、森林の現在、過去、未来について語り合った3日間だった。

◆若い参加者たちは、国内外でユニークな活動する方たちや、地域に根ざして自然と共生して暮らす方たちの話を聞いて、きっとたくさんの刺激をもらったことだろう。今後日本では、人口減少と都市集中化が進行し、人と野生動物との軋轢はさらに深刻化していくに違いない。一方で、インターネットやAIがさらに普及し、人と人との直接の繋がりが益々希薄になってしまうかもしれない。そのような未曾有の時代に人生を歩んでいく上で、今回の経験が、若者たちにとって何かの手掛かりになってくれたらと思う。[伊吾田宏正 酪農学園大学狩猟管理学研究室教授]

Polarmanshipが宿ったモリズム

■報告で触れたPolarmanship(ポーラーマンシップ)とは、極地で活動する人に求められる精神性を表し、探検技術や観測能力だけでなく、自然への謙虚さ、仲間や他国との協力、未知に挑む探求心までを含む言葉です。

◆私が極地研究に強い低温科学研究所に身を置いたのは、私自身が北極域で現地調査をしたいという思いがあったからです。しかし経験やスキルの不足を指摘され、学士課程から続けてきたミッドウィンター研究へ戻りました。人文社会系への疑いの目を受け、自分の存在意義を見失っていたように思います。

◆そんな中で開催されたモリズム。一人一人が純粋な探求心を携え、違いを楽しみ、森の未来を語り合う。集った皆さんの中にこそPolarmanshipは宿るのではないかと思いました。ここは私にとっての居場所なのかもしれない——そんな心強さを覚えています。

◆いつもそばで支えてくれる樋口和生さん、澤柿教伸先生には感謝が尽きません。西興部村での3日間、夢のように不思議な体験でした。関わっていただいたすべての皆さまに心より感謝申し上げます。[杉田友華 北大環境科学院修士課程]

クマゲラ

北海道の学生たちより

やりたいことを積み重ねていきたい

■刺激的な3日間だった。世界を駆け巡る先人の話に胸を弾ませ、深い森の知識に深呼吸し、そしてまだ自分は語る言葉を持たないと思い知った。たまたまだが地平線会議は今の自分の年齢の倍も時を重ねている。その重みを一身に浴び、たったそれだけ生きたくらいで何をとも思う。

◆焦らずに、されど着実に自分のやりたいことを積み重ねていきたいと思う。ちょうど今日からやりたいことを試すために、熊野の森へ行って参ります。[赤嶺直弥 北海道大学探検部]

正解がない自然との向き合い方

■自然と共生した村づくりを進める西興部村に、世界中を旅し、各地の自然や文化を楽しみ、愛してきた旅人たちが集まった。

◆私は普段から西興部村を訪れ、研究室活動の一環としてシカ管理について学んでいる。地平線会議を知ったのは、モリズム開催に向けて、江本さんが西興部村へ視察に来られた1年前である。それをきっかけに毎月地平線通信を読ませていただき、今回、実際に参加することができた。

◆参加者の皆さんのお話を伺い、旅や人、地域とのつながりの中で、それぞれが自然や文化と向き合ってきたことを知った。特に心に残ったのは、自然への愛し方が、旅、農業、林業、食など、人によってさまざまであることだった。私は現在、博士課程2年生で、野生動物の研究を始めて6年目になる。卒業後に自分はどのような形で自然や野生動物と向き合うべきか、日々悩んでいた。しかし今回、自然との向き合い方に正解はなく、一人ひとりにそれぞれの形があることに気づいた。その気づきは、これからの私に大きな勇気を与えてくれるものであった。皆さんとの出会いを通して、私も私なりの形で自然と向き合っていきたいと強く感じた[上原佐登 酪農学園大学狩猟管理学研究室 博士課程2年]

中原慎一さんの背中を追いたい

■今回初めて参加した地平線会議で、現役ハンター・中原慎一さんのお話が最も心に深く残りました。9月4日にGA.KOPPERで開催された前夜祭でのお話でした。私の目を引いたのは、中原さんの名札に書かれた「クマ撃ち」という自己紹介の文字でした。将来クマ撃ちを目指す私にとって、それは強い憧れを抱かせる一言でした。

◆中原さんの実体験に基づくお話は非常に刺激的で、「チャンスと運が重ならなければクマは撃てない」という現場の厳しさや、「40年前はクマの胆が金と同等で取引されていた」という歴史的なエピソードなど、どれも書籍や動画では決して手に入らない生きた知識ばかりであり、私の中で狩猟への熱意がより一層高まりました。

◆私自身もこの夏、猟銃の狩猟免許を取得し、あとは銃を購入すれば狩猟をスタートできる段階にいます。しかし、高価な猟銃を手にする壁は高く、気軽に購入できないのが現状です。それでも、21歳である今年のうちに銃を所持できれば、ライフルの所持が可能になる10年後には31歳という若さでライフル持ちのハンターになれます。高齢化が進み、50代でも若手と呼ばれる狩猟の世界において、31歳でライフルを持つ存在は破格の若手と言えると思います(笑)。

◆この課題を乗り越えて一刻も早くフィールドに立ち、先輩方の背中を追いながら、真のハンターとして歩んでいきたいと思います。[伊藤渓一 酪農学園大学環境共生学類狩猟管理学研究室3年]

南極観測隊の話、貴重な学びに

■今回の地平線会議では、多くの方々からさまざまなお話を聞くことができました。たくさんの国を旅した経験や、民族についての知識など、普段の生活では知ることのできない分野について、自分自身では体験し得ない貴重な学びを得られたことがとても印象に残っています。

◆特に、澤柿教伸さん、樋口和生さん、杉田友華さんによる南極観測隊のお話では、厳しい環境の中で氷床や海洋生物、宇宙などの研究を行い、気象観測やブリザード後の除雪、火災に対する意識の違いなど、生活そのものにも多くの苦労や工夫があることを知りました。また、「越冬の成功とは、笑顔で家族のもとに帰ること」という言葉から、安全に帰ることの大切さを強く感じました。

◆さらに、西興部村では鹿肉祭りの準備のお手伝いをしている中で、お客様や関係者の方々から「おつかれさま」「おかげで盛り上がりました」と声をかけていただきました。自分たちの活動が誰かの役に立っていることを実感し、少しでも力になれたことに大きな喜びを感じました。さまざまな方の経験を聞き、実際に人の役に立てた、非常に充実した3日間でした。[當麻咲香 酪農学園大学環境共生学類3年]

馬搬やササに考えさせられる

■今回の地平線会議に参加してみて一番印象に残ったのは、馬搬について話していた野谷夏海さん・五十嵐宥樹さんと、北大雨龍研究林でお仕事をされている坂井励さんのお話だった。私の身の回りの環境を振り返ると、兄が林業に就いていることも含め、自然とかかわる機会が多くあったが、馬搬という言葉自体を聞いたことがなかった。作業的に林業をするのではなく、理想的な森林管理を目指して丁寧に作業を行う馬搬の魅力的な部分と、馬のトレーニングやアニマルウェルフェアやそのコストについて考えさせられる時間だったと思う。

◆また、私は今年から卒業研究で西興部のササやその他の植性の変化について調べるため、坂井さんのお話の中に上がっていたササについて興味を持った。ササを周りの植生に影響を与えないように重機で行う「かき起こし」や「表土戻し」については言葉だけ知っていたが、表土戻しはかき起こしの150倍も森の成長速度が速くなることに驚き、勉強になった。これから調査を進めていくにあたってササの調査の結果はもちろん技術の習得や、今回の地平線会議のように多くの人と関わってコミュニケーション能力を向上させ、たくさん知識も付けていきたい。[岡本ひより 酪農学園大学環境共生学類3年]

アラスカ原野ハイモさんの言葉に感銘

■今回の地平線会議では、バイク、自転車、徒歩で世界や日本を旅した方々の話をはじめ、北海道の森での暮らしや林業、山岳気象、南極越冬隊など、さまざまなお話を聞きました。普段なら聞くことのないような話ばかりで、次は何の話が聞けるのだろうと楽しみながら聞いていました。中でも印象に残ったのは、関野吉晴さんが紹介してくださった、アラスカ原野に暮らすハイモさんの「私は大地を食べている。大地が私の一部になる。大地に生かされている」という言葉です。

◆また、今回印象に残ったのは、話の内容だけではありませんでした。西興部で過ごす中で、いろいろなところで参加者の方々と会い、そのたびに少しずつ言葉を交わしました。鹿肉祭りでは「ちゃんと食べられてる?」と声をかけてくださったり、そのほかにも「学生さんたちがいてくれてよかった」「おかげで盛り上がったよ」と言っていただいたりしました。こちらこそ参加させていただいているのに、たくさん「ありがとう」と言ってもらえたことが嬉しかったです。そんな嬉しいこともありながら、楽しくあっという間に3日間を過ごしていました。[河内花奈 酪農学園大学環境共生学類狩猟管理学研究室3年]

「さあ、始まるぞ」と歌い、共に踊った

■昨年の10月に行われた視察から同行させていただいた地平線モリズム西興部が、ついに開催されました。西興部村に日本、ひいては世界を沢山体験した方が集まるという大変貴重な機会に立ち会えて本当に光栄でした。

◆初日は地平線品行方正楽団と西興部ウェンシリ太鼓のオープニングから始まり、私たち学生も「さあ、始まるぞ」と歌い、そして音頭を共に踊りました。以下に特に印象に残ったことを綴ります。以前の視察でお会いしていた杉田友華さん、そして南極越冬隊長であった澤柿教伸さん、樋口和生さんのお話についてです。一度も国外に出たことのない私にとって南極ははっきりとしない、存在さえ朧気な場所でした。お聞きしたことで南極の輪郭が浮かび上がって見えてきました。3つの「けん」険、検、験を軸としたお話はフィールドワーカーにも、そうでない人にも響く内容でした。

◆プログラムすべてを通して、日本、世界を広く見る手がかりを得られた瞬間が多く、将来が暗く見通せない私の将来像に多くの光が射しました。今回得られた繋がりや気づきを大切に今後もたくさん進んでいけそうです。[樋口小巻 酪農学園大学環境共生学類狩猟管理学研究室4年]

ハイモさんの言葉、生き方の参考に

■今回私は初めて地平線会議に参加しました。その中で、たくさんの方のお話を伺いました。内容は様々で、自身が経験した冒険や旅、実際に行っている調査や研究についてなどでした。どの方のお話も特別な経験をされていて、ここ以外の場ではなかなか聞くことができない貴重な体験を聞くことができました。

◆その中で特に印象に残っているのは、関野吉晴さんが紹介してくださった、アラスカ原野に住む、ハイモさん一家のお話です。人のいない広い原野でトラッパー(罠猟師)として生計を立てながら暮らしているハイモさんの、「野生動物を食べることは、大地を食べることであり、大地が自身の体の一部になることです。私たちは大地に生かされているのです」という考え方が自身の将来の生き方の一つの参考になるなと感じました。

◆鹿肉祭では、会場の外で作業を行っていましたが、その中で参加者の方や、スタッフの方などと交流することができ、色々なお話を聞くことができました。また、終わった後たくさんの方から「ありがとう」と感謝の言葉をいただき、とても達成感がありました。開催地となった西興部村では3泊4日の滞在でしたが、とても短く感じてしまうほど、濃密な4日間でした。[鷲尾玄斗 酪農学園大学環境共生学類3年]


関係者のみなさまより

子どもたちの探究心を原動力に未来へ

■「地平線モリズム西興部」の前日、西興部小学校に澤柿教伸先生をお招きし、小3から中3を対象とした講演会を開催。はるか遠くの「南極の氷」と村が誇る「氷のトンネル」は、ともに地球環境を物語るバロメーターであるという話に子どもたちは驚嘆。幻想的なオーロラや白夜の情景、南極での暮らしに思いを馳せ、「南極へ行きたい」と、子どもたちは胸を高鳴らせていました。

◆南極と西興部村をつなぐ氷のトンネルを通り抜ける鍵は、村の豊かな森から環境問題を考えること。目の前の自然を守り育む原動力となるのは、子どもたちの探究心。この村から世界へ、そして未来へと力強く羽ばたいていける子どもを育てたい。そんな思いを強く抱いた講演でした。[濱哲哉 西興部小学校校長]

「西興部が好きになった」が嬉しい

■西興部村は、北海道内で3番目に人口が少ない過疎の村で、特別な名勝があるわけではない。しかし、森に溶け込むよう統一された公共施設のデザインや、猟区の取り組みに象徴されるように、自然との共生を実現している。江本さんから「地平線会議を北海道で開催したい」と相談を受けたとき、私はこの場所が最適だと確信していた。

◆実現後、多くの方から「西興部が好きになった」と聞けたことをとてもうれしく思う。オープニングでの、地元の方々とのコラボレーションは圧巻だった。若者たちが林業に取り組む姿もすばらしい。さらに、西興部の旧知の方々や、地平線通信で名前だけ知っていた方々とも会うことができたことに感謝したい。[梶光一 知床自然アカデミー代表理事]

またのご来村をお待ちしております

■私には正確な参加人数はわかりませんが、100人を優に超える方々が、交通の便もよくない、小さな山村にご来村いただきまして大変ありがとうございました。

◆男女を問わず年齢も様々でしたが、前夜祭から4歳の男の子と本州から参加された若いお母さんもおられ驚きました。夢を追い、時には世界を股にかけ挑戦する人、応援する人のエネルギーを強烈に感じられました。

◆濃密な日程の中、特定の方としかお話しする機会がありませんでしたが、森の村「にしおこっぺ」はいかがでしたか? これをご縁にまたのご来村をお待ちしております。不慣れな土地、慣れない設備の中、万事スムーズな流れで進行された主催者の皆さんに、心から拍手を送ります。[高畑秀美 西興部村前村長]


🎵 西興部音頭(歌い手用)

  にしおこっぺ音頭は ウェンシリ太鼓〜すっと手をとり 輪になれば〜
  すると たちまち おこっぺの〜〜村のみんなが 踊り出す〜

  にしおこっぺ音頭は 手の鳴るほうへ〜
  森の仲間も 踊り出す〜

  すっと手をとり 輪になれば〜
  すると たちまち おこっぺの〜〜

  エ〜ゾシ〜カ〜 跳〜ねま〜す〜 (※)

  やってまいてよって にしおこっぺよ〜〜

2番 ※ク〜マゲ〜ラ〜 鳴〜きま〜す〜
3番 ※ヒ〜〜グ〜マ〜 吠〜えま〜す〜

作:地平線品行方正楽団
「地平線モリズム西興部」のオープニングにて披露され、参加者は輪になって盆踊りをした。


参加者の声

親父の新たな一面も見ることができた

■親父から幼いときからたまに聞いていた地平線会議、何でまたここ西興部村で開かれるんだろうとまず驚きでした。何なら今もまだあの「地平線モリズム」を反芻中、どんな経緯でこうなったかはさておき、最初に知らされたのは親父からの電話で「地平線が西興部村でサミットをやることになった、行こうと思うから泊めてくれ」との連絡、詳細を見てみると私の幼いころよく突然家に現れる三輪主彦先生や賀曽利隆さんも来るらしいと知り嬉しかった。さらに驚いたことに親父が講演者の一人に名前が挙がっていた。あの名だたる学者、冒険家の中に親父が?!って妙な驚き、親父のまた新たな一面も見ることができた。息子の私から見てもやはり変わり者だ。

◆そもそもその著名人たちの生の講演をこんな田舎で聞けるなんてしかも村民は無料で、こんな貴重な経験は二度とないであろう、改めてここ西興部村に地平線会議を繋いでいただいた方々に感謝しかありません。何か協力すらできなかった自分に終わってから後悔しています。

◆地平線会議というものに今回初めて触れましたが、本当にいろいろ考えさせられました。分野や理念は様々でも地平線通信や報告会にアウトプットすることにより自ずとお互いを高め合い尊敬し合える関係、“仲間”の本物を見た気持ち、それが47年間続いてるモチベーションには本当に感銘を受けます、きっと親父も地平線通信からそういったエネルギーを糧にしてるのんだなぁと感じます。

◆私も21歳のころから放浪旅を5年程していました、後に自然の中での暮らしをしたいと決め、今はここ西興部村で酪農業をやっているため旅とは無縁の暮らしですが、今回のような刺激は必要だと痛感しました。本当にいい刺激を受けた! 今後ともよろしくお願い致します![南雄馬 西興部村 田中雄次郎長男]

久々の地平線 準備からとにかく楽しい

■地平線報告会も、北海道にも(仕事のトンボ帰り除くと)10年行けていなかったこともあり、がっつりお手伝いもする気まんまんで先発隊と同じく2日から西興部入り(その前にしっかり霧多布でラッコや海鳥見てから)。打ち合わせや口上の練習が白熱している傍らでひたすら参加証のスタンプを押しまくったり、送迎したり、前夜祭の受付やオークションのお手伝い等、とにかく楽しかった。作り上げられていく過程や熱量に接することができたことも得難い経験だった。[網谷由美子 山形市]

素晴らしい西興部の狩猟に対する取り組み

■地平線モリズムは、森と人とのつながりを感じさせるものだった。特に西興部の狩猟に対する取り組みのすばらしさが印象に残った。村内は猟区に指定され年中狩猟ができる上に鳥獣処理加工センターがあり、獲った動物の肉や毛皮を有効利用するシステムが整っている。宿泊施設GA.KOPPERのオーナーはハンターで鉄砲担いでスーパーカブに乗って出かけるという。今回参加させていただいた「鹿肉祭」も毎年行われる行事という。鹿肉の様々な部位を堪能させていただいた。猟師を目指している酪農学園大学の学生さんたちも良く手伝ってくれたことも印象深い。[北川文夫 岡山市]

スタッフの学生さん 本当にありがとう

■地平線モリズム、凄く良かった。私が今回一番凄いと思ったのは、スタッフとして働いてくれた学生さんたち。会場設営とか、受付とか、鹿肉祭りとか、裏方さんの仕事を頑張ってくれた。しかも、頭と身体を使って、皆で考えて、より良いパフォーマンスをしてくれる。それはこちらがお願いした仕事の2段階くらい上の最高の仕上がり。本当に今回のイベントの中の一番の功績ではなかったかな。オークションで欲しい物をゲットできたときの笑顔もとても素敵で、こちらまで嬉しくなった。学生さんたち、本当にありがとうございました。[岸本実千代 大阪市]

豊かな自然と音楽と人が重なった

■西興部村、すっかり気に入ってしまいました。また行きたいです。狩猟から楽器製造まで、村の持つ多彩な顔に触れ、その魅力をたっぷり味わうことができました。そして、今回の「地平線モリズム」が西興部村で開催されたことで、豊かな自然と音楽と人が重なり、大きな相乗効果を生んだように感じました。参加してくれた学生たちがモリズムの運営に一生懸命関わり、講演者の話にも真剣に耳を傾けていた姿も印象的でした。西興部村と若い人たち、そこに地平線会議が重なって本当に濃密な5日間でした![岸本佳則 大阪市]

オーラを発していた田中雄次郎さん

■モリズムってタイトルが、とても好き。参加を即決したのは、田中雄次郎さんがお話されると聞いたから。お会いするのは初めてだったが、雄次郎さんはオーラを発していたので、すぐにわかった。文章から想像していたとおりの芯の強さと優しさを感じた。そして想像していたよりもフランクでチャーミングだった。

◆西興部の方たちの懐の深さ、逞しさ、いい感じの力の抜け方にも刺激を受けた。みんなで輪になって踊った盆踊り、楽しかったなあ。久しぶりの人、憧れの人たちにたくさん会えてうれしかったなあ。スタッフの皆さんの準備、お働きにただただ感謝です。[日野和子 栃木]

隣町に生まれた縁から

■西興部は幼少期を過ごした地の隣村、地名を見てすぐ、縁に違いないと参加を決めました。これまで山形県にみえた地平線関係者にお会いした縁から、通信を読み、チラッと報告会へ行った程度の新参者ですが、居心地よく刺激をもらえる人々と過ごした西興部での時間は、新たな縁を得た思いです。

◆突発で拝命したオークション品出しのお手伝いは、地平線会議ならではの品々とそのストーリーに間近に触れられる、とってもお得な体験でした。報告者のお話はもとより、期間中のさりげない出来事も格別で、モリズムは直で脳の長期保存領域に格納されています。[大嶋聡子 山形県 北海道下川町生まれ]

北海道の新たな魅力に触れられた

■久しぶりに開催された大集会「地平線モリズム西興部」は、盛りだくさんの内容が詰まった豊かで心地よい場でした。準備を進めてきた皆さま、そして何よりも地平線会議を受け入れてくれた西興部村の方々に感謝します。

◆北海道はあちこち行ったつもりですが、西興部は初めて。人口930人の村の独自性とあたたかさに魅せられました。ジョージアから西興部に直行する坪井伸吾さんと新千歳空港で合流し、いち早く旅の話を聞けたのは役得でした。西興部へ行く途中で寄ったアルテピアッツァ美唄と下川町のハルニレの巨木、集会後に登ったウエンシリ岳や富良野周辺に広がる黄金色の稲穂など、知らなかった北海道の新たな魅力に触れられた楽しい旅でした。[飯野昭司 山形県酒田市]

静かで熱い、真っ直ぐな目

■西興部村で出会った方たちの真っ直ぐな目、みなさん静かで熱くて、かっこよかった! 「なんで馬は人のために働いてくれるのか不思議」「人が植えた木を残すために、自然に育とうとしている木を切る矛盾」といった報告者の言葉にあるように、自らの内面に素直に生きている姿が印象的でした。屋久島で素潜りをする人が「悩みとかぜんぶ海に溶けていく」と言っていたけれど、同じように広大な北海道に住んでいると、体の中に大切なものが凝縮されていくのかなあと思ったり。

◆鹿肉祭りで振る舞われた鹿肉のロースト&山わさびソースの味は一生忘れません![新垣亜美 埼玉]

短い滞在が名残惜しい

■今回は参加者証の用意と受付を担当。長野亮之介さんに「モリズム」と「クマゲラの絵」のスタンプを作っていただく。受付は一人一人にお会いできるのが嬉しい。隙間時間にギター工場や鹿牧場見学、コンビニでの会話も愉しかった。Qマートの高橋啓子さんがオークション前座演奏のスコップ三味線奏者だったのには驚いた。村の方々とその暮らしぶりが興味深く、短い滞在が名残惜しい。

◆エゾシカエゾリスタンチョウヅルウシウマ。遠出して見たオホーツクの海は毎日表情が変わった。濃すぎる3日間は夢の中の出来事のようでした。[ナカハタトモコ 神奈川]

もっと知りたかった西興部

■モリズムの数日後、受け付け人数の集計結果を目にして、ちょっとガッカリした。村の人たちの参加が期待ほどじゃない。「告知係り」の私は、地平線会議を知ってもらうため、もっと何かすべきだったのでは?

◆そんなことをツラツラ考えているうちに、ハッとした。知ろうとしなかったのは我々の方だ。せっかく森林の専門家がいながら、西興部の森について何も訊かなかった。高台から集落を眺めて、村の成り立ちや周囲の山との関わりを学ぶこともしなかった。なんて勿体ないことを……。宮本常一先生がご覧になったら、一喝されたな。そんな気がした。[久島弘 北海道・東京・大阪]

モリズムの真髄

■ここ1年半ほどの地平線通信では、北海道や西興部にゆかりのある方たちの投稿も増え、その都度興味深く読ませてもらってはいた。しかし、じかにお会いした後で読み返すとその味わいは格段に深まる。会うは大事。

◆「地平線モリズム西興部」が終了したあとは、いつにも増して近所の緑が目に映り、「身近な自然」に思い馳せる。それは、自らが生き、あるいは想う場所のための行動について、西興部でたくさん示してもらえたからではないか。モリズムの真髄ここにあり。……などと、うろこ雲仰ぎながら反芻しております。みなさんありがとうございました。[中島菊代 大阪 受付+オークション担当]

ふわふわドームを独り占め!

■建物の壁色が気になっていた西興部村。事前準備で初訪問が叶いました。到着は日没直後。芝が美しく設備が充実したキャンプ場には4〜5張の先客が。天の川の下、テント泊は快適でした。夜が明けるとふわふわドームが出現、誰もおらず独り占め! 神社の参道は雰囲気があり、max32.5℃の日に森夢の「胡麻だれ冷やし中華」は染みました♪

◆コンパクトで静かな時間と、濃密な本番3日間を体験できたのは役得でした。発案から2年半、ありがとうございました。[掛須美奈子 千歳市 告知+めくり担当]

水平線も大切 オホーツク海で泳ぐ

■前夜祭前日、GA.KOPPERで参加者証作りを終えた。今夜は西興部キャンプ場で車中泊。明日は朝から興部町の沙留海水浴場でボディボードだ。だが、夕飯を買いに行ったセイコーマートは、体長10cmのクスサン(蛾)の吹雪であった。無理だ。私にとってはホラー映画。逃げるしかない。海だ。真っ暗な道を興部へ車を走らせた。いない。道の駅で車中泊。その後も2日間、早朝沙留に通い水平線を見ながら禊の入水。冷たい。でも最高。

◆西興部音頭に浮かれ、鹿肉祭りに酔いしれ、オークションも楽しんだ。地平線はもちろんいい。だが水平線も大切と思った旅だった。その後は宿に泊まったので無事だった。[役田建也 神奈川県茅ヶ崎市]

予想外の革新性に出会った西興部

■オークションでは、一緒にきた小学生の菊池碧(あお)君が、恐る恐る手を上げて、賀曽利隆さんの出品物をゲット。手渡された箱には色のちがう砂漠の砂が5種ほど小瓶に入り、それぞれに写真がついていました。この砂が、彼の未知の世界への好奇心を広げるスタートになるかもしれない。

◆会場の一つとなったGA.KOPPERは、実に遊び心あふれる施設で、施設内のあちこちがいちいち興味深かったです。ギターの端切れで作った椅子、跳び箱のテーブル、酒の仕込み桶ベッド……どれもこれもがみごとなアップサイクル。ダイニングにある大きなヒグマの毛皮の上に横たわると、ヒグマに抱かれているような気分で快眠できました。静かな田舎町かとおもいきや、予想外の革新性に出会いました。[三好直子 神奈川]

モリズムの夢にうなされる日々

■東京に戻ってから1週間になるというのに、まだ夢の中で「モリズム」にうなされる夜が続いている。賀曽利さんの急なアドリブに対応できなかった自分、肝心なところでフォーカスが狂って撮影できなかったカット、不十分な音質の録音など。自分のことだけではない。毎晩遅くまで盛り上がってホテルのスタッフに迷惑をかけてしまったこと、路線バスで来た参加者に十分な案内ができず乗り遅れが生じたことなど、悔やまれることばかりが繰り返し夢に出てくる。どうするのが正解だったのか。

◆そんなわけで「大成功だった」「いい祭りだった」などの感想を聞くと、複雑な気分になる。経費の集計はやっと終わったばかりだし、報告書など何らかの形でアウトプットする大仕事が残っている。まもなく50年になる地平線会議の名前を冠した集会として十分だったかどうかはまだわからない。

◆2024年4月3日、千歳市のジンギスカン「やまじん」で、光菅修くん、掛須美奈子さんと落合の3人で煙にまみれながら話した。「田中雄次郎さんとか、樋口和生さんとか、五十嵐宥樹くんとか呼んで『北海道地平線』をやろう」と。8月には豊富に田中さんを訪ねた。それから北海道各地を周り、2年かけて、まさかの西興部村でそれが実現した。あの時やまじんで考えていたのは、本州人のわれわれが北海道に暮らす人たちの話を聞いて、山々や森、川や湖から学ぶことであり、田中さんだけでなく、坂井励さん、野谷夏海さんほか皆さんのおかげで非常に満足のいくものになった。道内各地から集まってくれた参加者の姿も嬉しかった。

◆私は「地平線」の名前を借りて、不純な野望を叶えたわけだ。その小さな作戦はうまくいって、ひとまず安堵している。きょうもニヤニヤしながら録画を編集しようか。[落合大祐 東京]

モリズムキャラ


ねこまんが

《画像をクリックすると拡大表示します》


「地平線モリズム西興部」1万円カンパへの協力、深く感謝いたします

■地平線会議では北海道西興部村での「地平線モリズム西興部」のため「1万円カンパ」を進めてきました。皆さんの支援のおかげで、目標の100万円をかなり超えました。ご協力いただいた方々は下記の通りです。この中には西興部村の方たちからのご厚志も含まれています。◆1万円カンパは「地平線モリズム西興部」が盛況の中、終了したことで閉めさせていただきます。ほんとうにありがとうございました。◆なお、カンパで集まったお金の使途については未精算分があり、カンパ総額と合わせて、来月の通信で報告させていただきます。。[2026年10月7日 地平線会議代表世話人 江本嘉伸]

1万円カンパ協力者

(2026年10月7日現在)

賀曽利隆 梶光一 内山邦昭 新垣亜美 高世泉 横山喜久 藤木安子 市岡康子 佐藤安紀子 本所稚佳江 山川陽一 野地耕治 澤柿教伸(2口) 神尾眞智子 村上あつし 櫻井悦子 長谷川昌美 豊田和司 江本嘉伸 新堂睦子 落合大祐 池田祐司 北川文夫 石井洋子 三好直子 瀧本千穂子・豊岡裕 石原卓也 広田凱子 神谷夏実 宮本千晴 渡辺哲 水嶋由里江 松尾清晴 埜口保男(5口) 田中雄次郎 岸本佳則 ささきようこ 三井ひろたか 山本牧 岡村まこと 金子浩 平本達彦・規子 渡辺やすえ 久保田賢次 滝村英之 長塚進吉 長野めぐみ 北村節子 森美南子 飯野昭司 猪熊隆之 岡村節子 加藤秀宣 斉藤孝昭 網谷由美子 阿部幹雄 高橋千鶴子 岡貴章 森本真由美 山本豊人 小林由美子 斉藤宏子 渡辺三知子 小林進一 岩渕清(3口) 那須美智 森国興 丸山純 関根皓博 三輪主彦 中山綾子 小村寿子 大嶋聡子 中島菊代 酒井富美 平靖夫 下川知恵 江口浩寿・由利子 河野典子 古山里美 河田真智子 野元啓一 野元伊津子 成川隆顕 神長幹雄 中嶋敦子 桃井和馬 光菅修(2口) 田島裕志 河村安彦  五十嵐宥樹 笠原初菜 恩田真砂美 滝野沢優子 西牧結華 谷口尚武  花岡正明 北村カズヒコ 吉野透 山田まり子 中村保 日野和子 松尾清晴 清登緑郎 木下聡 外間晴美 久島弘 掛須美奈子 北村昌之 濱哲哉 松尾清晴 和田美津子 北村操 山田高司 タダチヤスヒコ


地平線ポストから

8月の福井豪雨について思う

■8月30日未明、深夜3時ごろだったろうか。就寝中にスマホのアラーム音がけたたましく鳴り響く。大地震の際に鳴っているのを聞いたことがあるだろうあの不吉なアラーム音だ。福井県でレベル5大雨特別警報。窓の外からは聞いたことのないような凄まじい雨音が聞こえてくる。正確に表現すると、この雨音は「聞こえて」くるのではなく、地鳴りのように「鳴り響いて」くる。外の様子を見ようとするもあまりの雨量に視界はゼロに近く、街灯がぼんやりと光っているのをなんとか認識できるだけだった。経験上、猛烈な雨は瞬間風速的なもので、長くは続かず緩急があるものだが、前夜から続いたこの雨は大きな音を立て延々と朝まで降り続いた。

◆自宅はマンションの7階に位置し、万が一の心配はない。しかしマンションの駐車場のすぐ横に用水路が流れている。用水路の水が溢れ出て車が水に浸かってしまわないか、車を移動させたほうが良いかと一抹の不安を感じる。しかし経験したことのないあまりの雨量で外に出る気にもなれない。うっすらと明るくなってきた4時ごろには、地域の防災無線から避難と警戒を促すアナウンスが流れる(気象庁によると8月30日午前4時までの24時間雨量は、福井市で235mm、隣の坂井市で279mm等と、福井県の嶺北エリアの主要地点がいずれも観測史上最大値を更新した)。

◆6時過ぎ、ようやく雨が落ち着いてきた。7階にある自宅ベランダからは周囲が一望できる。すぐ横を流れる用水路からは水が溢れ出て、200mほど先の道路一帯が15cmほど冠水している。そしてその1時間後、雨が止んでいるにもかかわらず、冠水しているエリアが徐々に拡がってきた。山からの水が時間差で押し寄せているのであろう。このままいくとどうなってしまうのか。10時過ぎには周辺の道路の冠水はピークが終わり、落ち着いてきた。幸いにも我がマンションの敷地や駐車場は周囲よりも30cmほど高く位置しており、冠水を免れなんとか持ちこたえた。

◆テレビに目を移すと、隣接する坂井市では道路が川のようになり、家々が陸の孤島のようになった映像が流れる。自宅周辺では、昼過ぎには水が引き、周囲の状況を妻と車で見て回る。近くの高校のテニスコートは完全に水没しまるでプールのようになっている。主要道路沿いにある店の半分は休業状態でライトもついていない。そして警察官がカラーコーンを配置し、通ろうとする車を迂回させている封鎖中の冠水エリア。比較的被害の少なかった福井市平野部でさえ、我が家から数百メートル先の区画では床下浸水が相次いだ。自転車に乗っていても普段意識しないであろうちょっとした高低差が地域内の明暗を分けたのだ。

◆先日の千葉豪雨、今回の数日前に発生したお隣の石川の豪雨、甚大な被害をもたらしたネパールの土石流と洪水。そして近年、異常なペースで猛暑日・酷暑日が増えている地球沸騰化。繊細なバランスのうえで成り立つ自然界。人間の小さな対策などあざ笑うかのような異常気象が続く。今後、地球はどうなってしまうのだろうか。[塚本昌晃 福井市]

熊本地震の現場に飛んで

■7月28日夕方に発生した「令和8年熊本地震」。写真部の宿直番だった私はNHK速報を見てすぐに機材を詰めて福岡に飛び、借りた車で深夜に熊本までたどり着いた。1時間ほど仮眠して、道路のひび割れと倒壊家屋に苦戦しながら被害が特に大きかった宇城市に向かった。余震が続く中、夕刊帯までの間に何人かの遺族や被災者から話を聞き、カメラを向けた。

◆家と倉庫が倒壊したイグサ農家の男性がいた。この辺りは畳の材料になるイグサの産地。7月下旬は今シーズンのほとんどを刈り終えるころで、収穫したほぼすべてが倒れた屋根の下敷きになった。「皆無事だったけど、おうちが壊れちゃった」と涙を流す娘さんの横で、男性はじっと倉庫をにらみつけていた。

◆初動からしばらくは夢中だった。数日後に男性の写真を見返して、ふと昨年7月に亡くなり最近一周忌を迎えた法政大探検部の先輩・岡村隆さんを思い出した。岡村さんは2011年の東日本大震災の発生から約1か月後、「自分の目で東北を見たい」と、ノンフィクションライターの山川徹さんらと車1台で気仙沼や石巻を訪ねていた。大学1年生だった自分は歯がゆい思いをしたのを覚えている。

◆翌年に山川さんが東海教育研究所から「東北魂 ぼくの震災救援取材日記」を出版する少し前。岡村さんが編集者として担当した東北魂の表紙案を見せてくれた。山川さんと取材にあたった写真家の亀山亮さんが撮った写真だった。「魂」と書かれたバーの看板の隣で、被災者の男性が真っすぐにカメラを見つめていた。「この兄ちゃんのまなざし。諦観、とも少し違う。何だろう」。岡村さんはいつもの焼酎を飲みながら目の前の私というよりも自分に問いかけるようにつぶやき、しばらく写真を見つめていた。この日、確か表情の答えは出なかった。すぐ怒鳴り散らす普段のイメージと裏腹に、物事を丁寧に言葉にしていく人だった。

◆報道カメラマンになり、ファインダー越しに見えるこの人は何を考えているのだろうと想像する。そういうときにあの岡村さんが頭をよぎる。被災地でカメラを向けること自体、被災者に大きなストレスをかける。せめてしっかりと苦境を伝え、思いがにじみでるような1枚を目指したい。

◆5日間の熊本滞在中は水の出ない宿に置いてもらい、ペットボトルの水で行水して乗り切った。酷暑と断水の被災地が本当に苦しいのはこれからだ。通い続けたい。[滝川大貴]

熊本でのボランティア活動再び

■2026年7月28日に最大震度7を観測した熊本県へボランティア活動のために、バイクにキャンプ道具を積み込んで行ってきました。2016年5月に訪れて以来10年ぶりとなる熊本。まさか10年後に再び大地震に見舞われることになるとは、そんな気持ちで熊本を目指しました。

◆現地では宇城市のボランティアセンターで2日間活動し、当日は受付から作業の割振りまでとても速やかで、ボランティアを受け入れる側もこれまでの経験が生かされていることを実感しました。拠点としていた多目的広場には全国から多くの人が集まり、初日の日曜日は100人を超えていました。初日は傾いたブロック壁を細かくハンマーで砕き集積所へ運搬する作業、2日目は在宅避難されている方々への食料品の配布をお手伝いしました。

◆ボランティア活動後は熊本城と阿蘇大橋を見て回りました。2016年の被災箇所修復作業中の熊本城ですが、更に石垣が崩落する被害を受けていました。阿蘇大橋は2019年に開通しておりますが、崩落した旧橋の一部が峡谷に引っかかる形で残っており、当時の被害の凄まじさを感じます。

◆2011年の東日本大震災で私の住む福島県は多くの方々にご支援をいただきました。地震や豪雨による水害等の自然災害が頻発しておりますので、いただいた支援を少しでもお返しする気持ちで今後も微力ながら活動を続けて行きたく思っております。[渡辺哲 福島県いわき市]


追悼・岡村隆

『泥河の果てまで』の現場に立って父を偲ぶ

■父の遺灰と綺麗な花が濁流にのまれていく。数日前の豪雨でぬかるんだ赤土に足を取られながら、慎重に崖の際の岩まで進む。高齢の母や叔母たちが滑り落ちるのではないかと背後を気にしつつ、マハウェリ河を見下ろす。やはり茶色い。泥河である。目を瞑り、手を合わせると涙が出てきた。久しぶりに父を想って泣いた。

◆父、岡村隆が亡くなり、7月で1年が過ぎた。宮崎にある父の実家で一周忌法要を済ませ、8月のお盆休みを利用して親族総勢10名で父の遺言を叶えるためにスリランカへと散骨旅行に向かった。もうこの先このような大人数での海外家族旅行はないだろうと思うので、良い遺言を残してくれたなと感謝している。

◆散骨のため適当な場所を調べ、わざわざ予定を合わせ現地に集合してくれたNPO法人南アジア遺跡探検調査会理事長の松山弥生さん、副理事長の武内勲さん、鈴木慎也さんには改めてお礼申し上げたい。お陰様で、父の大切な地で、家族皆で追悼することができた。

◆キャンディという都市で散骨後に、私と夫は二人だけで、父の小説『泥河の果てまで』に登場する舞台を巡る計画を立てていた。夫は私を通じて岡村隆を知り、小説を何度も読み込み、スリランカという国に強い興味を持ってしまった。父が亡くなる前年に一緒に行った最後の家族旅行を経て、スリランカの歴史や地理に関して今や家族の誰よりも知識を付けている。夫が立てた計画通りポロンナルワに1泊して古代遺跡を巡り、その後小説の最終舞台であるトリンコマリーへと向かった。

◆計画段階で私は1週間という短い日程の中で、移動に半日以上かかるような場所まで行くことに難色を示したが、夫の熱意に負けて結局計画は実行された。トリンコマリーはコロンボや古都キャンディとは異なり、昔ながらのスリランカの生活を色濃く残す田舎町であった。都市部では遭遇しなかった上半身裸の年配男性とすれ違い、犬と牛が連れ立ち、ゆっくりと道を歩いている。海辺の町特有の匂いがして、日が沈むと町全体が真っ暗になる。若かりしころの父が見た景色とそう違わぬスリランカを見ることができたのかもしれない。キャンディでマハウェリ河に身を任せた父の一部は、トリンコマリーからインド洋へと泳ぎ出ていくのだろうか。

◆ここで少し家族の話をしたい。私が父の長女として産声をあげて早43年。九州男児の父ではあったが、昨今巷で聞くような「さす九」男ではなかった。家事育児に対して主体性を持つ積極的な父親であったと思う。会社勤めではなかった時期だったので、毎日の食事や保育園の送迎や入浴は当たり前に父の役割で、子どもと接する時間が多い分、躾に厳しいのも父であった。

◆こんな風に書くとまるで母が何もしていないように見えてしまうが、母は教育出版の会社に勤め、当時の男性と同等に忙しく、そして同等に稼いでくる一家の大黒柱であった。我が家が一般的な生活水準で暮らせていたのは間違いなく母のお陰である。習い事のお迎えや学校行事は必ず母が参加してくれたし、子どもには見えていない地味な家事や家計管理をしっかりやってくれていたので、私と弟は本当に何の心配事もなく、すくすくと育っていった。実際には色々あったと思うが、両親の言い争いなどもめったに目にすることなく、恵まれた家庭環境であった。

◆ただ、父との関係においては、前述の通りとても厳しい父親だったため、物心ついてからの私は父に対して決して懐いてはいなかった。声が大きく、礼儀や言葉遣いにうるさく、倫理観を説き、テレビはニュースしか見ず、難しい話をしてくる。「こんな事も知らんのか! 辞書で調べろ!」と言われ続け、褒められた記憶もあまりない。小学校に入学して友人の家に遊びに行った際に、友人のお父さんがものすごく優しく面白い人物で「え? 怖くないお父さんってこの世に存在するの?」と本当に心の底から衝撃を受けた。

◆そんな訳で父が長期で海外に行っている間は、のびのびと緊張感なく過ごせていたのだが、帰国した父は大体いつも変わり果てた風貌でボロボロになって帰ってくるのだ。死んでいたかもしれないという不安と無事に帰ってきてくれた安心とが後追いで一気にやってきて、私の情緒はしばらく不安定になったりした。不安と安心で言えば子ども2人を抱えた母の方がよほどだったと思うが、よく毎度毎度許して送り出していたなと自身が大人になってみて改めて思う。岡村隆の生き方を尊重し、自立し、協力してきた母に尊敬の念を抱かずにはいられない。

◆父が亡くなってこの1年、実は一周忌法要の直前までかなり頻繁に父が夢に現れていた。毎日夢を見ていたが、体感2日に1回くらいのペースで出てくるので、離れて暮らしていた生前より何倍も顔を合わせていた。このしつこさも父っぽいなと苦笑いをしていたが、私自身が父との別れを受け入れるのにかかった時間なのだと理解している。夢の中の父の姿は様々だった。時には笑顔で、時には激しく苦悩しており、私に背を向け遠く置いて行かれることもあったし、私が父を守るシーンもあった。

◆父が亡くなるまで、父はただ私の父であった。しかし、亡くなった後、世間においての岡村隆としての姿を、お通夜やお葬式、偲ぶ会、そしてこの地平線通信で知ることができた。この1年、夢で過ごした時間は、家庭内で正面から向き合っていた父という存在に、外で知った新たなエピソードが次々と肉付けされていき、360度立体的に新たに形作られた『岡村隆』という人物との別れに必要な時間だったのだろう。

◆最後になりますが、父が亡くなってから何か月も沢山の追悼文をご寄稿いただき、皆様本当にありがとうございました。家族として、ありがたく、嬉しく、懐かしく、楽しく、読ませていただいておりました。この度一周忌を終えて、江本さんから、ご家族にも是非1度原稿を書いてほしいとご依頼いただき、このような機会をいただけたこと、心より感謝申し上げます。これからも、ほんの時折で構いませんので、岡村隆のことを思い出していただけますと幸いです。[三井環 岡村隆長女]

★「さす九」は、さすが九州の略で、九州に多い男尊女卑感に溢れる男をさす。

通信費をありがとうございました

■8月の通信でお知らせして以降、通信費(1年2000円です)を払ってくださったのは以下の方々です。万一記載漏れがありましたら必ず江本宛メールください。通信費を振り込む際、通信のどの原稿が面白かったかや、ご自身の近況などを添えてくださると嬉しいです(メールアドレス、住所は最終ページにあります)。

田中明美(5000円) 永田真知子 勝見洋一 長塚進吉 鰐淵渉 坂井励 嶋陽太郎 森美南子 近藤淳郎 (他に名前掲載はしないで、という方からも1人)


8月号の発送請負人

■地平線通信568号の発送作業は、8月19日の水曜日、いつもの榎町地域センターで行いました。発送作業終了後は、近くの西洋料理「ブラスリー・ベール」で印刷局長車谷くんの誕生祝いパーティーをしました。みなさんおつかれさまでした。作業に汗をかいてくれた人、誕生祝いに参じた人は、以下の通りです。

 車谷建太 伊藤里香 高世泉 高世仁 長岡のりこ 落合大祐 八木和美 白根全 新垣亜美 武田力 大西夏奈子 高尾ふく(車谷母) 坂井真紀子 長野亮之介 江本嘉伸


あとがき

■北極の犬ぞり猟師として半世紀余りをグリーンランドの“地球最北の村”シオラパルクで暮らした、大島育雄さんの訃報が9月8日、届いた。79歳だった。大島さんは1978年11月17日、日大隊のメンバーとしてが植村直己さんより2日早く北極点に達した。つまり北極点に到達した最初の日本人ということになる。

◆日大隊を後援した新聞社の仕事で私は北緯83度のへクラ岬ベースに滞在したことがある。極点に向かっている最中の大島さんと会えず、大島さんとゆっくり話ができたのは、北極点遠征を終えて日本に一時帰国した時だった。ご夫妻と皇居周辺を散歩しながらの会話が懐かしい。

◆日大隊では空輸中の犬たちを100頭以上酸欠で死なせる痛恨の事故が起きた。大島さんは「私はこれでエスキモーの人たちは隊から離れると思った」と当時書いているが、そうはならなかった。この話、今でも思い返して辛い。詳しくは大島さんの著書『エスキモーになった日本人』(ヤマケイ文庫)を。合掌。[江本嘉伸]


■今月の地平線報告会の案内(絵と文:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

ぼんやりと東へ

  • 2026年10月23日(金) 18:30〜21:00 500円
  • 於:新宿区榎町地域センター 4F多目的ホール

「目的地を目指すことより、夢中になってるその時間が好き」と言うのは坪井伸吾さん(63)。歩き旅にハマリ、昨年に続いて今年は4月にルピュイ(仏)を出発し、8月末にバニャルカ(ボスニア)まで約4000kmを歩き通しました。学生時代に人力車を引いての東海道踏破を皮切りに、バイク、筏、ランニングと世界中に足跡を残してきた坪井さん。ふと気づくと世界の半分を旅していました。

40才から20年間郵便局に勤めたあとで「じゃあ残り半分も」と再開した旅では、歩きのスピードが自分に合っていると感じています。「歩き旅は一番自由。どこでも通れるし、いつでも立ち止まれる。1日40kmくらいしか歩けない『しばり』も楽しんでます」。

今回通ったトルコでは1日に10回お茶に誘われたことも。今後は簡単には通過できない国もありますが、陸路日本に向かってゆる〜く東を目指し、今できる旅を続けていく坪井さん。9月初頭に帰国し、モリズムにも飛び入り参加した坪井さんに、旅の魅力を語って頂きます!


地平線通信 569号
制作:地平線通信制作室/編集長:江本嘉伸/レイアウト:新垣亜美/イラスト:長野亮之介/編集制作スタッフ:丸山純 武田力 中島ねこ 大西夏奈子 落合大祐 加藤千晶
印刷:地平線印刷局榎町分室
地平線Webサイト:http://www.chiheisen.net/


発行:2026年10月7日 地平線会議
〒183-0001 東京都府中市浅間町3-18-1-843 江本嘉伸 方


地平線ポスト宛先(江本嘉伸)
emoto@chiheisen.net


◆通信費(2000円)払い込みは郵便振替、または報告会の受付でどうぞ。
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議


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