1998年10月の地平線通信



■10月の地平線通信・227号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信227表紙●昨年末の心臓発作では棺桶に危うく足を突っ込みかけたが、なんとか、かろうじて踏みとどまった。あれから10ヶ月、今では「あれは一体なんだったのか?」と、遠い昔のことのように感じられるほどに回復した。“不死身のカソリ”のなせる技、というよりも、多くの皆さんにご心配をいただいたおかげと厚く感謝している。「西山昭宣さん、妙さん(地平線通信創刊時からの読者&支援者)、ありがとう。もう大丈夫ですよ」

●口の悪い(心は温かい?)江本嘉伸さんには「行き急ぎのカソリにとってはいい教訓だった。心臓をやられてヒイヒイいってた日々の辛さを絶対に忘れてはならない」ときつく言われたが、その辛い日々も、もう既に記憶の外に出かかっている。ゴメンナサイ、江本さん。

●1月、2月、3月ぐらいは静養と称して自宅でおとなしく、神妙にしていたが、4月に入って体が元どおりに動くようになると、さっそくバイクに乗り始めた。バイクで走る距離を増すごとに、手に取るように、自分の体の機能が戻ってくるのが良く分かった。僕にとっては、リハビリにはバイクが一番。雨風をものともせずに日本各地をバイクで走り回っていると、自分の体の細胞一つ一つが活き活きとしてくる、そんな感じなのだ。

●今回、病気について改めて考えさせられた。“病気”とは、なんともうまい言葉ではないか。文字通り、気の病なのだ。僕の心臓発作に当てはめていうと、それまで自分が心臓をやられるなんて夢にも思わなかった。誰よりも自分は心臓が強いとさえ思っていた。ところが心臓発作に見舞われ、命を落としかけた時、実際に体が受けたダメージ以上に、心が受けたダメージの方が大きかった。それは自分のもっていた自分自身の体への過信が打ち砕かれたからに他ならない。

●心臓発作に襲われた後、一ヶ月ぐらいは様々な検査を受けた。その結果、心臓の機能には何ら異常はないと診断され、もう通院しなくてもいいと言われた以降も、僕の体は元どおりには動かなかった。「あー、心臓をやられたんだ。もうダメだ」と思った瞬間から、すっかり気を病んでしまったのだ。

●人間の体を動かす大元は“気”だということを思い知らされたわけだが、その病んだ“気”を癒すのにさらに2ヶ月以上もかかった。冗談抜きでバイクが癒してくれた。4月に入って大好きなバイクにまた乗るようになってからは、まるで夏の日差しを浴びて氷が溶けるかのように、僕の“病んだ気”は一気に治っていった。それとともに、体も元どおりに動くようになったのである。

●体が動くようになると、僕の考えることはただ一つ。「世界を駆けるゾ!」。さっそくうまい話が飛び込んできた。20年以上も前から計画しながら、未だにできないでいる「ロシア横断」である。それを今年の夏に予定した。「ウラジオストック→モスクワ」の1万2300kmをバイクで走ろうというものだ。だがこのうまい話はポシャってしまった。自分で努力をしない“うまい話”の結末はだいたいこんなもの。でもいつか、きっと「ロシア横断」は成し遂げよう。

●「ロシア横断」の代わりに、今年の夏は東北を走った。全行程は「ロシア横断」とほぼ同じの1万2000km。徹底的に林道に照準を合わせ、1万2000kmのうち1割の1200kmがダートだった。もちろん、カソリさんのお得意の峠を越え、温泉にも入りまくった。ということで、今日(10月5日)現在の峠の数は1267峠、温泉の数は1359湯になっている。さー、心臓を病んでいる暇も、気を病んでいる暇もない。生き急いで!?日本を世界を駆け巡るゾ!![賀曽利隆]


編集部より:賀曽利さん復活おめでとうござます。それにしても、これも復活のリバウンドの勢いなのか、賀曽利さんがiMACを買うとは思わなかったゾ! ミミズ字よ、さらば!



先月の報告会から・226
風吹く頂
棚橋靖(35)
98.9.25 アジア会館

◆報告者の棚橋靖さんが、会場のアジア会館に駆けつけたときは、もう午後6時半をまわっていた。カラコルムから帰ってきたばかりなのに、報告会の翌日にはネパールへ行く仕事があって、その準備で大変だったらしい。大急ぎでプロジェクターにスライドをいれる作業をやっつけて、さて、それから始まった。

◆学習院大で山岳部暮しを送った棚橋さんが、8000mの高度を知ったのは、90年のチョー・オユー(8201m)だった。当時27歳、「学習院大学西蔵登山隊」に参加、第1次アタックに選ばれ、見事に登頂を果たしたのである。もともと「登山よりは冒険と旅の世界への関心が高かった」ので、このあとアジアの各国をさまようこと1年半、でも2年後には、ガッシャブルム1峰(8068m)をめざす「早稲田クラブ登山隊」のメンバーとなっていた。7900mで断念したこの登山に続き、K2(8611m、94年)、カンチェンジュンガ(8586m、95年)、ダウラギリ(8167m、97年)と、以後棚橋さんの挑戦は、すべて退けられてしまった。97年6月には北米大陸最高峰のマッキンリーに1週間のうちに別ルートから3度登頂、という離れ業をやってのけたほど、力はつけていたのにだ。

◆そして今年、ナンガ・パルバット(8126m)単独登頂をめざした。単独での登山許可がやっかいだったので、「太陽と風の会」隊という、男女3人の日本隊のメンバーに「独立隊員」としていれてもらっての挑戦だった。7月26日、5600m付近でその大宮秀樹隊長が滑落死する事故が起きた。どうするか。棚橋さんは、撤退することは考えられなかった、という。他のメンバーと相談し、事故の処理を済ませたあと、ひとり、頂きに向かった。ただし、当初の目標だった、メスナー・ルートを変えて、西面一般ルートから。無論酸素の助けなしのアタックだったが、身体は快調だった。そして8月10日、ついに登頂。8年ごしの8000mの風を、感動とともに味わった。

◆棚橋さんのトレーニングに、富士山速攻登山がある。若いヒマラヤニストたちとともに競争して登った時には御殿場口から2時間40数分で登った、というから相当にタフだ。

◆が、ヒマラヤに限らず、アフリカ、南米、と棚橋さんの夢は広がる。報告会でもその一端がスライドとともに披露されたが、テレビ取材斑として異郷に出かけることも多い。

◆8000mのてっぺんと、辺境の旅の両方を体験した、慎ましやかな独身30男は、いい笑顔をしていた。[ホライゾン]



地平線ポストから

■地平線ポストでは地方からの情報も大募集します。「こんなすごい人がいる」「地平線のだれそれと会った」「こんなイベントやります」など大歓迎。

地平線ポスト宛先:
〒173-0023 東京都板橋区大山町33-6 三輪主彦方
E-mail :



●福井慶則さんから…マリ発
拙作のホームページ
http://www02.so-net.ne.jp/~tunghat/
の中に、マリの写真サイトを作りました。

「あいしゃのマリきょうわこくたいざいにっき」
http://www02.so-net.ne.jp/~tunghat/tanfust/album/aicha/aicha.html

◆娘アイシャの2歳の誕生日が近づき、これを祝うのに、安易にプレゼントを(モノ)あげるのでなく、心をこめた記念イベント(行動)をしたいと考えていました。そして日本の子供たちにマリの様子を伝えられるようにとの思いと合わせて、このホームページを作りました。今のところまだ親ばかな写真ばかりですが、娘を主人公に(そのほうが子供たちも感情移入しやすいでしょう?)マリのいろいろなできごとや人々の暮らしを伝えたいと思っています。娘の成長にあわせて作っていくと私のライフワークになるかな…(笑)。暇がある時にご笑覧のほど宜しく。


編集部注:福井さんは第126回報告者。初めは、ラクダによる単独横断を目的にサハラ砂漠に行き出したのに、いつのまにかムスリムになり、現地女性と結婚し、今は日本と西アフリカを振り子のように往復しています



●長澤法隆さんから…98.9.13…カシュガル発

タシュクルガンをへだてた、北のカシュガルに来ています。職人たちの仕事ぶりを写真で記録しようと思っていましたが、今、こちらは観光シーズンのドまんなか。通訳に付いてもらうことが出来ません。来年の10月には鉄道が開通するので、その前に話を聞きたいのですが……。ウイグル語のイロハから始めようと、初心にかえっています。


●中島明夫さんから…98.8.13…タンザニア発

◆ジャンボ!! キリマンジャロ山麓の村からです。現在NGOのTEACAとのカウンターパートにより進めている森林保全活動のためにこちらに入ってから1ヶ月程になります。今日は、今年の大雨季に800本程を植えたという植林地を見に行くことになりました。谷底の平坦地に植えたとのことですが、谷を降りていく途中で視界に入ってきたのは見事なサトウキビ畑でした。そして、植えたという人はそのサトウキビ畑の中で止まり、ここに植えたと。よく見ると、よく成長したサトウキビの中にごくわずかに植林したと思われる苗木が残っていました。どうやらタダで分けてもらった苗木を少しは植えたらしいのですが、あとはサトウキビに切り替えたようです。でも、サトウキビのスワヒリ語名がMiWAというのを聞いて思わず納得してしまいました。MiWAという物体は生命力がすさまじいのでしょうかね

編集部注:中島さんは高校教師三輪主彦さんの教え子で、師の教えを忠実に守り定職に就かず放浪を続けています。



●永友隆哉さんから…98.9.22…所沢発

◆国内でちまちまと遊んでいるだけの私などが地平線通信の紙面にお書きしても良いのだろうか悩みましたが、98年9月9日に「日本滝滑り協会、通称JFSA(Japan Fall Sliders Association)」を発足いたしましたので、あくまでもご連絡という形で投稿いたします。しかし物騒かな、なにも救急の日でなくともよかった……。

◆まず「滝滑りってなに?」の声にお答えします。沢登り愛好者であれば豊富な水でツルツルに磨かれた滝で、いわゆる滑り台遊びというものを楽しんだ経験がおありでしょう。そう、それです。なんだそんなものかと言うなかれ、沢独特の情緒溢れる風景、暗く苔蒸した幽玄の世界を一瞬にして遊園地に変えてしまう、恐るべきパワーのある遊びなのです。さらに言えば厳格な人間さえも砂遊びをしている子供のごとく変えてしまう人格破壊遊戯でもあります。

◆まさにアウトドアスポーツの最終兵器“滝滑り”、我々は日本の沢登りに欧米で人気のキャニオニングのうまみだけを抽出して融合させた形で楽しんでいます。簡単に言えば登りながら滑る滝を見つけて遊んでいます。

◆姿、格好などはハイカーに写真を撮られるぐらい異様です。頭にはカヌー用の耳まで覆われたヘルメットをかぶり、お洒落じゃないウェットスーツとゴツいライフジャケットで身を包み、腰のハーネスには登攀具をガチャガチャ、首からは地形図をブラブラ、天蓋にはロープをはさみ込む。こんな格好のやつらが寒さから鼻汁を垂らし、でも表情だけは子供のように生き生きしている。異様と言うかアホですね。

◆当協会は全国の滝滑り愛好者(滝スベラー)を情報面で支援するとともに、年に数回大会を開催し、滝滑り技術の向上と愛好者の拡充を狙った活動を展開していく予定です。いまのところアナログの会報は考えておらず、ネット上でホームページを公開していくつもりです。

◆水遊びが好きなかたは是非大会にもご参加ください。今シーズンは終了間近ですが、10月25日(日)に初めての大会を東京の奥多摩で開催する予定でいます。ご連絡いただければ詳細をお送りいたします。


連載・地平線ミラクル
山田式頭蓋殴打的螺旋思考(死行)の遍歴

◆死んだと思った。さよならと思ったのにまた生き延びた。あっさりと死ぬ奴もいるのに、何をしぶとく生きようとするのか、我がことながらわからん。

◆7月19日日曜日午後4時、高知県四万十川中流の大正町一の又渓谷温泉へ、軽トラックを運転して向かう途中、助手席に友人一人を乗せたまま20m下の谷底に転落した。6、7月と山仕事で疲労が溜まっていたとはいえ、不覚にも瞬間的に居眠り運転してしまった。気がついた時は車体が路肩に傾いていた。車は2回転か3回転し、私たちは車内で洗濯機の中のボロ布のように揉みくちゃになった。車はグチャグチャに壊れていた。

◆東京から訪ねてくれた友人は肋骨を2本折っていた。私は左の額と右の目尻を計7針縫った。二人とも全身打撲でどこが痛いかもわからず、あちこち痛いところが分かってきたのは、三日後からだった。青黒く腫れ上がっていた顔も一週間後に抜糸すると何とか見られるようになった。

◆事故現場を見た人たちからは、生きているだけでも不思議なのにそんな軽い怪我で不幸中の幸いだと言われた。本当にそうだと思った。何より友人が大丈夫で安堵した。

◆それにしても、私は若い時から頭を打つ事故には事欠かない。それも左回りの螺旋状に打っている。

◆最初は1974年、16歳、高一の夏。当時高校野球児だった。左投手の、体に当たりそうなカーブをエンドランのサインで打ったら、ボールがまともにこめかみに直撃。見ていた人は鼻血が花火のように飛び散ったと言った。その後、右目の視力は回復せず、元々動体視力に限界を感じ始めていたのに、余計に速い球が見えなくなって翌年の夏に野球部を辞めた。その翌年後輩たちは甲子園で準優勝したが、途中退部の私は先輩面できないでいる。

◆次は1979年、大学2年の冬。その頃、探検部の先輩のボロアパートによく集まった。70年代、学生でもアルバイトして資金を稼ぎ、海外へ行ける時代になっていた。当時、世界中に遠征して帰ってきた先輩たちがおり、その土産話を聞くのが楽しかった。あの型破りで痛快な先輩たちとの邂逅がなければ、その後世界の川をカヌー旅するなんて考えなかっただろう。

◆その夜もこたつを囲んでナベをつつき、酒を飲み、眠くなった私は横になっていた。その時、何が起こったのかわからずに飛び起きた。左のこめかみに激痛が走る。しばらくして事情が分かった。ビデオ撮影の勉強中の先輩が、2階の壊れた天井の隙間から酒盛り風景を撮影中にカメラを落として、それが我が左後頭部を直撃したのだ。昔のカメラはデカかった。痛いなんてもんではなかったけれど、またすぐ寝たふりをするしかなかった。なにしろ、大先輩が落としたのだから。翌日から一週間、メシを食うたびに左のこめかみが痛んだ。

◆3度目は、1980年、大学3年の晩秋。翌年の南米縦断カヌー行の資金稼ぎの土方のアルバイトに明け暮れていた。体力増強とうそぶいて、嫌がる後輩たちに強制参加させて、大学のグランドで毎夕サッカーをしていた。多分、サッカー部より熱心にやっていた。終わった後のビールが旨かった。

◆その日は試合後ビールを飲みながら負けたのが悔しくなってきた。月明りがあるのをいいことに、もう一試合することにした。…らしい。というのは、記憶はその三日後、病院のベッドに飛ぶからだ。友人の話によると、サッカーボールに乗るようにして、よろけて後ろ向けに転び、後頭部をしたたか打ったらしい。それから「今何時、今何時」とサザンオールスターズでもあるまいに5分おきくらいに聞くので、気味悪がった仲間たちが救急車を呼び、脳外科病院に運ばれたのだった。それから三日間は記憶が空白だ。

◆4度目は、1987年、パンアフリカカヌー行の途中。タンザニアのタンガニーカ湖にカヌーを置いて、政情不安なナイル源流の情勢を探るためにケニヤまで出てきていた。ラム島で思う存分泳ぎ、モンバサまで来た時だった。

◆市場で昼飯を食ってホテルに帰る途中、赤信号で待っていた。靴紐がほどけているので、前かがみになって結ぼうとした。気がつくと、さっき靴紐を結ぼうとした場所から5m程移動している。大勢の人だかりとなった。ある人がバスの左フロントを見て何か言っている。フロントがヘコんでいる。心配そうに出てきたバスの運転手が今度は怒り出した。こちらを擁護してくれる人もあれば、「ポリス」という声もする。バスの運転手は急いで発車していったが、こちらはしばらくボーッとしていた。近くにいたおばさんがココヤシの実のジュースを飲ましてくれた。ホテルに帰ってから事情が飲み込めて、危なかったなと思った。けれど、気分が悪くなってそのまま寝てしまった。

◆翌朝までヘンな夢を見続けた。闇の中を上昇していくような落ちていくような、浮いているような沈んでいるような、身体が宇宙より膨らんでいくような、無限小に縮んでいくような夢だった。内出血は数日残ったが、何ともなかった。いや、ますます思考が常人と違ってきた。

◆山、川、海で死にかけたことは多々あれど、頭に限れば、番外編として、97年6月にザイール川で40匹近い蜂に頭と首を刺され死にかけたこともある。マラリアの高熱でうなされたことは数知れず。

◆そして今度は、また前頭部をしたたか打った。螺旋状に頭を一周して殴打されている。

◆いつも人生の変わり目だ。地球の川(線)を旅して、木(点)を植えてきて、今度は四万十川とナイル川の流域(面)作りを始めた矢先だった。(※)

◆だいたい二十歳前で運動的にも頭脳的にも芸術的にも、自分の才能はたいしたことはないと諦めていた。せめていい観客になれるように、感動と好奇心と洞察力だけは磨こうと考えていただけなのに、頭を螺旋状に打つたびに私の人生は思わぬ方に展開してきた。

◆ビッグバン以降、素粒子も銀河系も太陽系もDNAも螺旋構造運動を続けているようだ。もしかすると、そんな宇宙生命潮流の天蓋から我が頭蓋はむち打たれ続けているのか? 痛いじゃないか? ともあれ、私自身は抗しがたい何か巨大な力に生死をもてあそばれ、熱に侵されている気がしてならない。

◆アンデスやチベットやサハラで、月や星を飽かずに見過ぎたせいだろうか。海や空の青さに見とれすぎたせいだろうか。川を旅し、川面と雲を太陽が染めるのを見ほれ過ぎたせいだろうか。

◆うーん、だいぶうさんくさくなってきた。宇宙、地球、環境、本物、木、癒し、覚醒、世紀末、ネットワーク、オカルト、超なんとかetc。時代の行き詰まりには、うさんくさい物が増える。ただし、うさんくさいところのちょっと横にずれたあたり、金や名や権威になびかず、つるんで個人崇拝、集団化しないあたりが面白い。遊べる。

◆どうでもいいが、私個人としては、メシ食ってクソして寝て、野の花や虫や雲や星やきれーなネーチャンを見て「ええなあ、ええなあ」と言って日々を過ごし、ある日ポックリ死ねたらそれでいいと思っているのだが…。

◆頭を打ちすぎたせいか、生死に関わる目に遭いすぎたせいか、その緊張、夢中、集中弛緩の中で見てきた変な夢や幻視経験は数限りない。スターウォーズ、スペクタクル、サスペンス、マンダラコスモス、ギャグ、大河ドラマ、なんでもありだ。

◆今回も、車が落ち始める瞬間、丸い青い女の顔が現れた。毛をむしられたような苦痛と憤怒に目を吊り上げて、メデューサのように緑の髪を振り乱して「死ね」と言った。確かに。

◆谷底の水に洗われている車から這い出してきた時、黄金色の目のような女の顔が現れて、赤味のさした顔をゆるませて、モナリザのように静かに微笑んで「生きなさい」と言った。同じ女のようでも違うようでもあった。

◆世界中でいい風景といい音楽といい酒といい女たちと出会い情を交わしてきた。生命を産むという小宇宙を有する女性からは、半端物である男は教えられることが多い。喜ばせたこともある。怒りをかったこともある。哀しみも見せられた。楽しさをわかち合った。しかし、想いに応えられなかったことが多すぎて悔悟ばかりが残っている。感謝は言葉で尽くせない。

◆そんな記憶が無意識に懺悔と思慕の二面性となって現れたのか、無数の彼女たちの憤慨と慈悲の深層意識の両面だったのか、はたまた何か巨大な力と熱か(そういや、あれらも何かと女神が多い)わからない。ただ怒りがむごく、微笑みが優しいとは限らない。これでまたしばらく生き恥をさらしていかなくてはならない。

◆四万十川下流の中村市の実家で一週間の治療を終えて、現在、炭焼き、山仕事修行中の十和村(四万十川中流)の借家に帰ってくると、短い手紙が届いていた。私のささやかなloveにis over が告げられていた。事故よりつらかった。無数のささやかな想いを無礙にしてきた報いなのだ。

◆谷底で大破したホンダ軽トラを引き上げ廃車にしてくれた業者からの請求書の金額が44,494円だった。九死(94)の前に死(4)が3つ。車を身代わりにして、十二死に一生を得たというわけだ。事実はオカルトより奇なり。なんとしぶとい。これでいいのか。まるで「天災バカボン」だ。誰や、単なる不注意と自業自得の積み重ねやというのは。いやそうなんです。ほんまに。以後気をつけます。[山田高司]


(※)山田さんは昨年「四万十・ナイルの会」というNGOを設立。日本人指導型ではなく、あくまでも現地の人の自主性に任せる方針をとっている。目的は植林と農業。年に1〜2ヶ月現地に通い、プロジェクトの進捗チェックと川下りをするそうです。



不定期破天荒連載「生田目が行く!」
第一発 生田目の屈辱!

◆8月の報告会で、中国のカシュガルからウズベキスタンのサマルカンドまでのシルクロード・バイクツーリングのことを報告させて頂いた生田目明美でございます。何を思ったのか、編集長より今までの破天荒な人生をさらけ出せという勅命を頂き、「そっ、そんな恥の上塗り‥まだ一応嫁入り前の大事な身体なのに‥」と思いつつ、それに天下の?!地平線通信に、地球のためにもならない、世界のおもしろこぼれ話の類でもない一介の小娘の戯れ事を載せたりして、地平線の輝かしき歴史やら著名な御歴々の偉業に泥を塗るんじゃなかろうかと冷や汗ものの、かなり気後れ後ずさり状況ではありますが、元来の気弱さも手伝って「はい、わかりました」と口が勝手に・・。一事が万事に私って後の祭りなんです。トホホ、どーしたものやら。

◆ってなわけで、不定期長期連載!(世のひんしゅくを買いまくり、あっという間に終わってしまうかもしれないが)平成の借金女王、人生の並木道シリーズ第一弾「思春期における反抗と自立」、始まり始まり!!。

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◆まずは我が家の家族紹介から入らねばなりません。平成に入って間もなく打ち上げ花火のようにパッとこの世を去っていきましたが、22歳でシングルマザーとなり、「昭和版、生きていく私」的バリバリのいろいろな意味でやり手の母。父は、母より10も年下で戦中は戦地に行ってしまった兄たちの代わりに甥姪を子守りしながら田畑仕事をし、戦後は口減らし(父は末っ子)のために奉公に出され、ろくな教育も受けられないまま兄を頼って上京。ズーズー弁丸出しの田舎者の青年はいともあっさりと年増女の手練手管にはまったのでした(笑)。

◆その頃の母は新宿でバーをやっていて、父は登山靴等の結構腕の立つ職人だったので、すぐにスポーツ用品店を開業させたり、自宅でラーメン店をやったりと、ちょっとした女実業家気取りだったに違いありません。田舎者で職人気質の父は酒に逃げることとなり、あちこちで(家でも)暴れるようになりました。

◆私が物心ついた頃には、母の連れ子の異父兄ももう独立し、父母と三人の生活でした。といっても、両親は共働きだったので、ほとんど私はいつも一人で、お金だけは沢山あったようで、私立のお嬢さん学校に突っ込まれていたせいもあって、近所に友だちもできずに、毎日お稽古事三昧(ピアノだ琴だ英語だと)でした。

◆そんな私も16歳。いつまでもおとなしく父の日常的星一徹症候群に耐えられないお年頃となりました。「家出したい!」。父の暴力と母の過干渉の狭間で家出の2文字が頭から離れなくなりました。そうだ! バイクがあればどこにでも行ける!(結局、免許を取ってバイクが手元に来た時には20歳になってしまっていて、バイクがあろうがなかろうが家出なんてことが成立しない年齢になっていましたが)

◆今思えば、バイク熱の始まりは家出願望だったんです。子どもの頃の体験というのは恐ろしいもので、実際、私の旅のほとんどは逃避行です。砂漠でも安宿でもいい、誰も私のことを知らない所で生きるという、最低限のことだけを考えればいい所で一人になりたくなるのです。

◆話を戻しますが、私の家出は結局、父母の別居という結果を生みました。一億総中流意識で、何となくクリスタルなんていう時代でした。初めての母とのアパート暮らし。朝シャンも出来ない銭湯通い、部屋の窓には路地裏のスナックの悪趣味な電飾が夜中まで反射していました。屈辱的でした。どうして私が? と親を怨んで世間を怨んで根性悪い娘でしたね(笑)。絶対這い上がってやるって思ってました。今なんて旅先で何日も風呂に入れなくてもヘッチャラですし、川での行水や野糞の方が安心できるくらいだし、香港やバンコクの安宿でネオンチカチカで隣室から色っぽい声なんか聞こえちゃっても爆睡しちゃうんだから。当時は何だかんだ言っても、甘ちゃんのお嬢さんだったんだなぁ。西武新宿線沼袋のアパートからの自立への道・・這い上がる所がどんどん迷走しちゃうんだな・・
これが・・。

◆今月の教訓「三つ子の魂 100まで」って感じ。以下次号。[生田目明美]


地平線特派員報告

【地平線通信ロンドン支局=神谷夏実特派員】

◆B&Bに泊りながらアイルランドを家族旅行。ダブリンから車で走り出すと、「左を走れ!」のサインが、仏独語でかかれている。外国人旅行者が多いのだろう。北アイルランドにちょっと入って、マーブルアーチという観光洞窟を訪ねた。国境には何のサインもなく、道路標識や電話ボックスが変わることで国境の通過がわかる。洞窟の中で3歳の娘は「洞窟嫌い!」と言い出し、泣きじゃくる1歳の息子を飴でなだめながらの地底の旅となった。今日、宿のテレビで、オマーの爆弾テロを知る。警察の指示する方に逃げたらその先でドカーン。まったくやりきれない歴史的対立。ロンドンの支局近くでも7月に爆弾が発見され、一時騒然となる。(98.8.15 ウイックローのはずれの町にて)



◆ケルンから旧東独を走り、まだ分裂の跡が残るベルリンの町に着いた。中央駅付近にいまだ残る「壁」、そして、その他の場所でも目をこらすと40年近い分断の後が残る。今日初めて、ブランデンブルク門を歩いて抜けた。折しも、周辺はホコテンとなり、原宿のような、ロックと若者達のすえた喧騒がただよっていた。屋台では中国人が6マルクの焼そばを売っている。歴史に押しつぶされた人間のパワーが、依然として爆発しているようだ。(98.8.29 ベルリンにて)



◆バルト海に浮かぶこの島は、スウェーデンきっての観光地であるが、9月にはいると訪問者がほとんどいなくなる。今年のスウェーデンの夏は雨ばかりだったというが、この1週間、暖かな穏やかな日が続き、昼は半袖でも汗ばむ。今日も抜けるような秋空である。ハンザ同盟の貿易港として栄えたこの島は、中世の教会の廃虚が数多く残る。教会の横で、一人ビールを飲む失業青年と話す。スウェーデンはいいかと聞くから「クリーンでいいじゃない」と答えたら、「とんでもネー国だぞー」と説教された。高収入、高福祉、森と湖のこの国も、経済的にまいっているらしい。(98.9.6 ゴットランド島にて)



アンケートはがきから 5

◆昨年12月に同封したアンケートはがきのコーナー、3ヶ月で終わる予定だったのに…。いつも字が小さくてごめんなさい。  ◆掲載した項目は次のとおりです。
●「何か手伝ってくれますか? 近況」/「何者?」/「すまい」 「お名前」(敬称略)

●仕事の休みが不規則なため、毎月報告会には参加できません。まだ2回しか行ったことないけど、地平線会議を知ったのがNIFTYで山上修さんと知り合えたことが切っ掛けなのでパソ通に関してのお手伝いなら少しは役に立てるかも‥。ぜんぜん詳しくないんですけど。12/28よりネパールに行きます。初海外一人旅。サランコットの丘で初日の出!です。/技術系派遣会社社員(本社はアジア会館のすぐ側だったりします)。バイクと北海道が好きな夢ばかり見ているしょーもない奴です。/埼玉県深谷市 八幡宏

●シゲさんの紹介で今年から参加させてもらっています(出席率30%くらい)。いつも面白いです。時間があいましたら「通信」の封入、発送などお手伝いできると思います。/会社員時々自転車のり。/東京都新宿区 山内智志

●お手伝いできることがあればとは思っています!! 今は、子どもの件(96年9月に交通事故死。享年18歳)がまだ片付いていません。プラス仏教塾の塾生として勉強中のため、時間がなかなか難しいという点はありますが・・。それが済めば少しは時間が作れるのでは?/夢多きおばさんで〜す。埜口さんと同じ職場で働いています。/千葉県千葉市 和田美津子

●出来ることがあれば・・。再就職活動中。/ただの旅好き、外遊び好き、冒険好き。/神奈川県横浜市 和栗克一

●いつもお疲れ様です。山上修君の友人で、何度が地平線会議に行き、何かお手伝いしたいという気はあるのですが定期的なことは難しいです。コンピューター関係のことなら得意ですが。12月、ネパールでポカラから五日間歩いてきました。初めて見るヒマラヤは素晴らしかったです。/職業は二人ともフリーのプログラマー。上にも書いたように山上修(よんきち)くんの友人です。主人はバイクも好きで山歩きが好きな主婦です。/東京都大田区 山崎和夫、山崎郁子

●97年の夏頃から地平線会議報告会に参加させて頂いています。青山一丁目の山王病院前の「ドトール」でバイトをしております(父が経営してます)ので、アジア会館の会場の椅子ならべ程度のことでしたら、何かしたお手伝いさせて頂きたいと思っています。私に何かお手伝いできることがあれば嬉しいと考えています。/東京都豊島区 横田明子

●ン年ぶりに学生に戻って勉学に励んでいます。最近になってようやく、自分の専攻しているものが何をしている学問なのか分かってきたとこです。こんなことで卒業できるのかちょっと不安です。97年は地平線会議の発送を手伝えませんでした。授業と重なっていたので、お力になれずごめんなさい。来年は今年ほど授業数はないと思うので、お声をかけて頂ければ喜んで駆けつけます!(日本にいる時ならば)。今後とも宜しくお願いします!/モンゴルが大好きな女の子です。東海大の大学院でモンゴルにいるトナカイ飼育民の生活について研究しています。通訳とか翻訳とか、イベントアシスタントとか、モンゴルに関わる仕事には積極的に首を突っ込みます。/東京都杉並区 山本千夏

●手伝うことがあれば暇なので言ってください。/主婦/東京都杉並区 白川未央

●何か手伝えると思います(手伝いたいと思います)。例えば、毎月\500の会計とか。近況は、アルバイト、国試におわれています。今まで参加してこなかった分、会に何か手伝いたいです。/大学生/東京都大田区 鈴木祐美子

●お手伝いさせてもらう気持ちは間違いなくあります。あとは、何を要求されそれに対しどこまで応えられるのだろうかという感じです。何か山口県という地方で出来ることはありませんか? 遠慮なく言ってください。できることは、精一杯協力させてもらいます。いや、させてください! 1月末〜2月にネパールトレッキングに行ってきます。またレポート送りたいと思います。これからも宜しくお願いします。/そんな質問になんと答えてよいか困ってるんです。まぁ、世界の山や河、自然を愛する自由人ですね(孝司)。ある時は登山家、ある時はライダー、ある時はスキーヤー、ある時は看護婦(典子)/山口県下関市 河野孝司、河野典子

●電子メールなどでデータの入力や管理、WEBのページ作りなどは手伝えます。HARAPPAに参加してます。岡山の環境対策があまりにもメチャクチャなので怒ってます。もちろん、諌早なども同じですが。こういう問題を広く知ってもらう地道な活動をしています。/大学教員。環境問題で怒ってる者/岡山県岡山市 北川文夫

●名簿の整理とか、何か離れていても出来ることがありましたら、何でもさせて頂きます(但し難しい知識を要することは無理かも)。昼間、暇でテレビの前でボーッとしている主婦が一人います。最近、おでんの新井さんが我が家に来ました。もっともっとたくさんの方々とお会いできるといいのにな! 三輪さん、また広島でウナギ食べましょうね。/地平線の旅人たちの広島での宿主。気ままな旅に憧れを持っているサラリーマン。時間がないのにパソコンの周辺機器を買いあさっている広島の田舎者。/広島県広島市 岸本佳則、実千代

●28年間続けた都立高校の教員を退職し、本格的に世界を回る人生のスタートを切りました。98年8月、アフリカより帰国しましたら、是非手伝わせてください。発送、紙面作りなど。/今まで50カ国近くを勤めの合間に回っていました。イスラム地域が中心でした。/東京都八王子市 山田太枝


●/自分でも分からない/京都府京都市 渡辺まちこ

●いつもありがとうございます。何かお手伝いできることがあるのでしょうか? できることがあれば‥是非! PS:神戸でも是非写真展を!とは思ってみても・・。写真集は見ました。見るたびに旅行に行きたくなります。/OL。平本さんに誘われて神戸で地平線会議をした時に初めて出ました。/兵庫県加古川市 吉岡和枝

●大阪にいて手伝えることがあれば時間の許す範囲で手伝います。今年の正月もゆったりと過ごしています。3年連続でこういった正月です。/大阪府吹田市 山本将

●八重山で出来ることがありましたら、是非リクエストしてください。出来ることは手伝わせて頂きます。東京青梅から移住して3ヶ月が過ぎました。お正月まであと10日というのに25度という気候。天気予報で東京が10度以下と聞くと、それだけで嬉しくなる今日この頃です。まさに天国の気分です。私の選択は間違っていなかった。/ワクワク星人/遊友裕

●大阪で手伝えることありますか?/軟弱山歩きの好きな自称絵描きです/大阪府大阪市 遊上陽子

●もう5、6年通信費を払っていません。すみません・・。現在「地平線会議・熊本」の河本さんと一緒に川野辺ダム建設反対の活動をやっております。バイトの身なので思うようにいきませんが、年が明けたら一万円ほどカンパしたいと考えています。「旅する写真展」どうにか熊本でもやりたいです。/「地平線会議・熊本」のものです。東京にいたときには「地平線通信」の発送の手伝いなどしておりました。また、武田さんたちとビール飲みたいですね。/熊本県熊本市 矢次智浩

●もし関西方面でイベントがある時はお手伝いします。/旅するサラリーマン/滋賀県栗太郡 佐野由典

●今年、本を読んで初めて地平線の存在を知り、J-CITY(練馬)での写真展で感動(このビルで働いています)し、先日、自転車お姉さんの話を聞きに行き、またまた感動。地平線初心者です。/ただのサラリーマン。会社の休みにオーストラリア、ニュージーランドにソロでバイクツーリング。/千葉県船橋市 安間由倫

●休みには山小屋作りをしています。すべて人力で電気を使わずにやろうと思ってます(ブロックで)。今はまだ床の高さですけど、いつも楽しく読ませて頂いています。/ペンキ屋です(塗装)/埼玉県新座市 山中孝

●アジア会館へ行きたくても行けないことが多いので、通信はいただきたい。1万円カンパは出来ないけれども、自分の通信費くらいは負担します。/??/千葉県成田市 吉野幸一

●GREAT JOURNEY/東京都世田谷区 吉田正

●東京の家は留守にしたままです。目下は何もお手伝いで来ませんが、こちらで地平線の仲間作りが出来るようになれるとよいのですが。通信費のお支払いなどご指示ください。毎号楽しみに読んでおります。皆々様に宜しく。/(有)ラ・スカラインターナショナル代表。イタリアに関する衣食住旅など相談に乗れると思います。/北海道札幌市 山田まり子

●現職のサラリーマンで、超多忙中のため、何もお手伝いできなくて申し訳なし!/Business Traveler/東京都大田区 山本和也

●築地の果物の仲卸で働く私は勤め始めて丸4年。この季節は毎朝突き刺すような寒さの中、自転車を駅まで飛ばすのが好きだったのに、最近はそれほど寒くもなく拍子抜けしてます。10キロのみかん箱も2箱持ち運ぶのも普通になり、そのへんの街を歩く男の子よりも男の子らしくなり、朝6時から夕方4時まで働く私は、報告会にもあまり行かれません。遊んでません。でも通信は送ってください。/東京都江戸川区 渡辺理恵

●現在、土木業の監督をしていまして、勤務時間も長く、冬場は何もお手伝いは出来ませんが、春から夏にかけては少しはお手伝いが出来ると思います。/土木施工管理技師/栃木県下都賀郡 吉田修子

●何が出来るでしょうか? 自営業のため、サラリーマンの奥様方のような勝手な外出が出来ないのです。平成8.7.10の読売新聞で200回目の報告を知り、初めて地平線会議なるもの知ることとなる。常々未知の世界の話(報告)、映像と人に興味があり、月末の報告会にうかがわせて頂きたく思い、8.10.29、高世仁さんの時は行けましたが、あと月末ということもあり伺えておりませんが、通信は楽しみにしております。/現在54歳の自営業の主婦。趣味も多々ありますが、月1〜2度(ほとんど日帰りですが)時間を割いて山歩きをしています。/東京都目黒区 横山喜久

●午後6時まで、または自宅で出来ることがありましたらお手伝いできます。今夏は富良野の玉ねぎ、人参、ビートなど畑の中で約1ヶ月キャロットルという農業機械のネーミングを笑いながら作業に見とれたり、豊作すぎて畑でトラクターに潰される人参、収穫後、畑にいくつか残されたキャベツを見て、貧乏根性からモッタイナイ!などと思ったりして過ごしました。/世間で言われているところの主婦ではない。いつもお世話になっております。/東京都品川区 若木美枝

●実費をお支払いするのと、僕は‥どうしたらいいものか。旅に出る時は報告しますね。/ただの会社勤めです/広島県廿日市市 山田大悟

●役立たずですみません。/まだしばらく会社勤めです。/神奈川県鎌倉市 吉岡嶺二

●今、私の旅人活動35年をまとめる作業にかかっています。写真、記事、原稿などを整理中です。来年には何とか印刷へ。/カントリーウォーカー。のみちネットワーク代表(歩く旅の普及と指導を細々とやっています)/東京都葛飾区 山浦正昭

●地方にほぼ定住しているため、お手伝いというほどのことはなかなかできそうもありません。20年前、中南米を少し放浪し、地平線の香りをかいだために、皆さんの活動に今でも興味を持ち続けております。いつの日かまた旅立ちたいものだと思っております。/会社員/静岡県清水市 山本昌弘

●「宇宙樹の森」(現代書館)−−北ビルマの自然と人間、その生と死−−を出版しました。/ジャーナリスト/神奈川県横浜市 吉田敏浩

●いつも楽しく読ませて頂いています。物やお金だけを求めやすい現代で、こんな素晴らしいことを求めている方々がいるということにいつも感心してしまいます。また立川村から走って地平線会議聞かせて頂きます。地平線通信のさらなる発展を!/走るフロウシャ/東京都立川市 下島伸介

●8・19に子どもが産まれました。地平線会議には、御無沙汰しっぱなしです。三輪先生には、年賀状でまたご披露します。今は家で毎日曜日、マダガスカルの牧師さんがやってきて、礼拝を行ってます。/東京都町田市 瀬口聡

●86〜87に4回くらい月例会に出席しました。地平線通信だけは毎回楽しんでいます。通信費+αは支払いたいし、お手数ですが、事務の方で基準を明示してください。事務局の方、いつもご苦労様です。/1970年代〜85年にかけて、台湾、韓国、マレーシア、スコットランドや中国大陸をサイクリングをしました。いずれも1週間から10日の休みを利用して東京発着のパートタイム放浪者でした。今は家庭一筋ですが、将来また放浪したい。/東京都調布市 佐鳥和郎

●年に数回は上京するが、日程が合わなくて会議の集いにはずーっと顔を出していない。手伝うことが出来るとすれば、病気や怪我で動けなくなった人の治療をすることか。他で治らなくても、私が治せるかもしれない。/53回報告者/福島県いわき市 坂本勉

●ごめん、手伝えないけれど12月26日には伺いたいと思う。楽しく読んだり、涙したり。だいたい第4金曜日ならどうも出席できず、口だけどガンバーレ!/ラ・テール出版局。自費出版をやってるもの。一人で役員から人足まで/東京都町田市 佐藤康博

●目の前の仕事にとらわれ、何のお手伝いも出来ず申し訳なく思っております。97年は珍しく2回も報告会に出られました。恵谷治にも久しぶりに会えました。中村保さんのレポートは大変面白く、その後文通させてもらってます。19〜20世紀初頭の四川、雲南、そしてカム地方の旅行者のことをずっと調べており、中村さんの行動力に驚きました。/現在、双葉社という版元で「Jour」という女性コミックを作ってます。/東京都渋谷区 鈴木明大

●遠くて手伝いたくてもままなりません。まだ一度も月例の報告会に参加したことがなく肩身の狭い思いをしています・・。12月24日から仲間とインド、ネパールに行きます。帰国は1月10日です。東京の娘のところに泊まりますので、もしかしたら会えるかも・・?!/中学校の技術科の教師。昭和16年生まれ。世界遺産「ブナ原生林の白神山地」の白神岳(1231.9m)のある村に住んでいます。海、山、川、湖が村にあるので、いつも楽しんでいます。/青森県西津軽郡 鹿内善三 (つづく)



みわかずひこの
宣伝コーナー
地平線営業部長丸山純の
宣伝コーナー
◆学研発行の「シティランナー」という月刊誌に「街道を走る旅」というのを連載しています。これまでみちのく一人旅と称して、奥の細道から青森の野辺地にある「日本中央の碑」を目指して走った旅を書きました。しかしちょっと高尚?すぎたようで連載中止になりそうだったのですが、長野亮之介画伯のイラストでテコ入れしてもらって、なんとか存続しています。「ランニングにも文化を!」という提案を込めたつもりなので、東海道、山陽道も伝えたいので、みなさん一度立ち読みでもして、もしできたら編集部にハガキでも出してください。

◆ところでこれまで「かかってきなさい」と豪語していた「奥多摩耐久レース」、今年は途中リタイヤしてしまいました。どこに故障があったわけではないのですが、中山嘉太郎さんに置いていかれたとたんに、気力がまったく失せ、走る気がなくなりました。偉そうにランニングの話などできる立場ではなくなったのですが…。しばらくは人目を避けて静かにしていよう。[三輪主彦]

◆『地平線データブック・DAS』、刊行2周年を記念して“1780円”の特別価格でお頒けしています。地平線エンサイクロペディアとでも言うべき632ページの大冊、いまがゲットのチャンスです。お申し込みは「郵便振替00120-1-730508加入者名:地平線会議・プロダクトハウス」まで(通信欄に必ず内訳をご記入下さい)。

◆それから、『DAS』に掲載された地平線メンバーの全著作リスト「地平線HONDANAデータベース」が、インターネットから検索できるようになりました。著者名・書名・出版社名・発行年月日などを入れると、該当するデータがずらりと表示されます。うろ覚えの単語を入れてもかなりの確率でヒットしますので、便利に使えます。今後、最新データを入れて改訂をしていきたいと思いますので、『DAS』刊行後に本を上梓されたみなさん、ぜひぜひご協力をお願いします。URLなどを含めて、詳しくは地平線会議のWebページ(ホームページ)まで。[丸山純](http://www.bekkoame.ne.jp/~jun-mar/)



地平線新刊情報

◆「アジアてくてく記」永瀬忠志 山と溪谷社[1500円+税]



今月の地平線報告会の案内(絵と文:長野亮之介)

地平線通信226裏表紙 10/30
FRIDAY
6:30〜9:00 P.M.
アジア会館(03-3402-6111)
\500



タイガの民
モンゴルの最北端、シベリアに接するタイガ地帯に、トナカイ遊牧と狩猟を営む少数民族、トゥバ族が暮らしています。

モンゴルの社会主義時代には定住化政策で「文明生活」を強いられましたが、民主化後は山に還りました。失われた文化伝承も少なくありませんが、標高1600〜3000mという生活圏で、伝統的な暮らしを維持しています。

このタイガの民を2年間、6回にわたって訪問し続けているのが、山本千夏さん。「タイガに行くのは家族に会いにいくようなもの」という山本さんに、トゥバ族のNOW & THENを話して頂きます。


通信費(2000円)払い込みは、郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議/料金70円


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