The Chiheisen News 96-3



■007 南米旅行中の金井シゲさんから、地平線ポストへ
チリから3月23日消印のアエログラムが到着。シゲ節も健在。

シゲ著書 4年に1回、うるう年の2月29日に長期の旅に出ることにしている元気おばさんの金井シゲさんが、今年もたしか3月1日から南米に出かけています。
 シゲさんといえば、旅の途中で「SHIGE通信」を何度も送ってくることで有名(そして指定された現地の大使館に返事を出さないと次から送ってくれなくなる^_^;)ですが、これは、アエログラムに書かれた普通の手紙です。どうやら、住所録に三輪さんの名前が見つからなくて、私気付で「地平線ポスト」宛に送られてきたもののようですから、地平線通信への転載など、新井君、よろしくお願いします。
 一部、句読点なども補いましたが、やっぱり“シゲ節”は健在ですね。元気に旅を続けていらっしゃるようです。消印は、どうやら3月23日、と読めます。(丸山純)

『シゲさんの地球ほいほい見聞録』山と渓谷社 1200円
(編集・熊沢正子/表紙・イラスト:長野亮之介)



アエログラム シゲさんから届いたアエログラムと、裏面に印刷されていた写真

 たくましい(汚れた?)山男たちに囲まれ、可憐な東洋の中ばあさん(若くない、ヨボヨボでない)、はい、それがシゲさんです。

 昨日、モレノ大氷河とじっくり対面。今日は源流のフィッツロイ河、フィッツロイを目ざしています。でもこのバス、終点に着く頃は全員ほこりだらけ。未舗装道路をドアがよく閉まらないバスで走って、“あっ、旅してる”。そして、雪山連峯の主峯、フィッツロイが現れ、その雄姿に心を躍させます。

 夜中の1:00〜朝の8:00まで電気がとまる小さな村落で三日滞在、トレッキングです。と、言うといかにもさっそうと歩いているようでしょう。ところが登りが続くと、風の音も雲の動きも鳥の声も聞いた、もう帰ろうと、戻りたがります。

 目的地Lag Capalは、すぐそこだ、なんてどこにも書いてないし、人っ子ひとりいません。でも、さすがにガメツく、もう少しもう少しと歩いていたら、突然あのフィッツロイが現れました。ウァー、嬉しい。しかも、こんなところで突然。もうすぐよとかなんとか、教えてくれたらいいのに。踊り上っておしゃべりすると、彼は悠然と「そうか、そうか」とうなづきました。

 宿で「行ってきたのよ。Lag Capalは水がなかった」と言ったら、笑われました。「大きな湖だ。水は満々だ。それはずっと手前だ」。

 翌日も途中のドス・コンドルスで御帰還です。これは、山が二羽のコンドルに見えると教えてくれたけど、ほんとは昔、二羽のコンドルが住んでいたと思うよ(だって、山頂の木が、そう私に言ったのです)。若い解説者は昔のこと知らんけんのー。これからチリに戻ります。パイネグランデが待っています。

 このフィッツロイににまだ日本隊は登っていないようです(年度と登頂隊と国旗が入山する所に貼ってあります)。地平線のみなさんをお待ちしてるそうですよ。ではね。あらあらかしこ。

   雲動き ぬっと顔出す 神の主座

 さすが迷句ですね。では、もひとつ。フィゴ島にて。

   はたはたと 風語で話す 夏をゆく     しげ女



シゲ写真 2月の地平線会議で、江本さんから地平線に通信送れと言われて、ウンと返事したのに、丸山さんの住所だけ。ごめんどうでも、地平線にこれを回送して下さい。日本はいそがしいですか。旅行人シゲもいそがしいのよ。もう夏が終って、冬がそこまで来ています。
 雨や寒さは外歩きには困るのよね。イスラエルは強い。軍隊体験者(男女とも)がレンタカーで回ってテントで寝ています。アウトドアというより、野外訓練という感じ。疲れた女だけ、1泊ぐらい夜のベッドに寝ます。彼ら彼女達は、途中で一緒になって、4〜5人でもうBFやGFになって。
 ではね。
                     chili, Puerto Natales
                          Shige KANAI

【写真=出発直前、2月27日におこなわれた地平線報告会(熊沢正子さん)の二次会のあと、地下鉄赤坂見附駅でのスナップ。自転車で世界一周した埜口君と】


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■008 ジャカルタの花岡君がtelnetでHARAPPAに書き込み
ひどい通信事情にもめげずに現地からアクセスする、地平線マラソン常勝者

バリマラソンでの花岡君 皇居を一周する地平線マラソンでは、勤務先の長野県から駆けつけるのでいつも少しスタートに遅刻してしまうのに、必ず優勝をさらってしまう常勝者だった花岡正明君が、JICAの専門家としてジャカルタに赴任して、早くも2年が過ぎようとしています。3月になって、ようやくインターネット経由で、NIFTY-Serveのホームパーティ・地平線HARAPPAにときどき書き込んでくれるようになりましたので、その最初の発言を紹介してみます。

【写真=バリマラソン(ハーフ)に出場したときのスナップ】



7077[96/03/21 21:29] QWF01317 花岡 JKT便り#01

 Selamat Sian! =Good Afternoon
 はじめまして(一部の方にはご無沙汰しています。)

 早いもので94年5月末の着任来、勝手の違う異国の職場で毎日自分の力不足をかみしめ、冷汗を流しつつあたふたしているうちに、1年10カ月になりました。職場の調節がきかないエアコンで何度も風邪をひく以外は病気らしい病気もせずにおります。

 96/2/26に丸山さんの地平線HARAPPA HPへのアクセス方法を教えていただいて以来、ひそかに読ませていただいていました。あまりの書込の膨大さに唖然としてしまました。・・・・・・覗いてはならない世界を覗いてしまった(!)少なくとも、あと3ヵ月で帰国する私にとって、ますます時間が無くなってしまうから。・・・・・・という危惧は的しました。読むだけでもかなりの労力と時間を要しております。書き込まれる方はどのくらいの時間を割いているのでしょうと、他人ごとながら心配してしまいます。「近日中にHARAPPAに挨拶を書き込みます。」と思いつつ、仕事の方が切羽詰まっていまして、 ROM状態でした。

 私はジャカルタに昨年出来た、Internetに接続するRad Netに昨年9月に加入し、当地の電話回線、モデム、我が家の電話回線の問題、Niftyの使用状況etc.etc.そして私の力不足でなかなかAccessできずにいました。こちらのホストや通信事情も改善されたのか、今年になってようやく"NCSA Telenet 2.6"というソフトを使って、NiftyServe に接続するところまで漕ぎ着けました。しかし、平日の日中はRAD NETとの電話回線がなかなか接続できず、かつ不安定で、Niftyserveを呼び出そうとすると、何度も途中で止ってしまい、その度に動させてていました。基本的にキーインのレスポンスの遅れを待つだけでも、なかなか辛抱のいる作業です。

 今日はヒンドゥーの「ニュピ・サカ」、1918年新年で休日で、RAD NETの使用量が激減し、日中からいとも簡単に、快適にアクセスできます。ちなみにインドネシアの祝日は独立記念日を除いて宗教上の重要な日がばかりで、国民の90%が回教徒ですが、4/5キリスト受難の日、5/16キリスト昇天日、 6/2ワイサック等、キリスト教、ヒンドウー教、仏教等の祝日もあります。ただし年間12日程度で日本より少ないです。

★インドネシアの通信事情
 Indonusa Computer Systemtという日本人を商売相手としたコンピュターサーヴィス会社によると、私が入会しているRad Netが一番安定しており、かつ会員が多く、今月中にインドネシア第2の都市Surabaya、そして今年中にSumarang,Bandongにと、ジャワ島を中心にネットワーク整備がが広がるそうです。しかし、ジャカルタ市内でも郊外では回線が安定していないようです。快適な環境まではまだまだのようです。遅ればせながら、日曜日にようやくネットスケープ1.1で、地平線会議のホームページを覗かさせていただきました。

 わたしのMac純正のExpressモデムは通信速度が14,400で、やはり遅いレスポンスを、がまん我慢ですが、奥田さんの撮られた3種類だけ写真が見られました。感激してついディスプレイを写真に撮ってしまいました。しかし、見たい写真は何回セレクトしても開けませんでした(込み合っていたのでしょうか?)。今日トライし見ましたら、すぐに開けたのですが、すでに新しい写真に変えられていました。どれもきれいで興味深い写真です。

 報告会の様子も覗いてみようとおもいます。しかし映像がやり取りできるというのは、遠隔地の暮らすものにとって強力な情報源ですね。昨日来「イ」された短期の専門家の方がデジタルカメラを携行されており、私や秘書の写真をハードデイスクにセイブしていってくれました。これも面白くて役立ちそうです。最終報告書に使ってみたいものですが、ジャカルタで手にはいるか? 日本でもまだまだ高いようです。

 赤道からほんのわずか南の当地(南緯9°)は雨季で、まだまだ洪水が頻発します。ジャカルタは独立以来最悪の洪水被害に見舞われ、スマトラ北端のアチェの洪水被害等ととともに大きな社会問題となっています。

 雨を降らせる雲が日照時間を短くし、夏と言うのに乾季の冬より涼しく感じます。自宅のベランダにおいた最高最低温度計の観測によると、ほぼ一年を通して最高気温35°C最低25°Cくらいで、1月には最高が30°Cをきるほど寒い日がありましたが、最近暑い日が見られ始め、一昨日の最高気温40°C、最低27°C、昨日の最高気温41°C、最低26.5°Cです(!)。このわずかな差が涼しく感じたり、寒く感じたりするから、不思議です。

 1200万人ともいわれる大都市のまんなかで、月の家賃2,500$(当然JICA支給)の高級マンションに住み、運転手やメイドを雇ったり、日本では経験したことのない「非」地平線的生活を送っています。生活するうえではJAKARTAは、日本料理屋も、スーパーもあり、夕方には今日の日本の新聞がシンガポールから配達され、NHKの衞星放送がみられ、何の不自由もありません。インドネシア人気質は日本人に近く、かつ東南アジアでは珍しく日本人に対する良い国民感情をもっており、暮らしやすいところです。

 のんびりしておおらかなインドネシア人は、親しみやすいのですが、仕事をするとなると、日本とは異なる価値観、組織体系、仕事の進め方にはじめは戸惑い、やがて、なかなか進まず、はっきりいって辛いことが多いです。「あわてず、あせらず、あなどらず、あてにせず、あきらめず」という、JICA研修で教わった海外技術協力者の心構えで粘り強く対応することが必要だと、頭では分かっていても、切れそうになることが多々あります。それ以前に瑣末なことにいらいらが蓄積しています。

 たとえば、電話の取次、ひとつにしろ、なかなかつながらない、つながっても話したい相手に辿り着くまでたらい回しにされたり、すご−−−−−く時間と手間がかかる!!! など。その国のペースに従ってと云われても、緊急な事に対しては慌てざるをえなくなります。私の業務では立て続けに緊急な案件が突発しました。

メラピ山での現地調査 一昨年の11月にメラピ火山の噴火・火砕流災害発生後、短期専門家を派遣要請、火山泥流緊急対策計画策定し、抜本的対策のためのOECFローン等の予算確保に走り回りました。ローンの調印も終わり一段落した昨年7月に、今度はスメル山で火砕流災害が発生し、川の真ん中が両岸より高くなってしまうほど、河川を完全に埋め尽くしました。JICA本部に要望し、年度末のため、3名3週間の要望に対し2名2週間だけ技術指導調査団(2名だけですが、たとえ1人でもmission=調査団です)を派遣してもらいました。

 準備がたいへんでバタバタし、また、当地区の地形条件が大きく変化し、火砕流の堆積範囲等正確な情報が不十分だったため、へリコプタ−をチャーターしました。15人くらい乗れる大きなヘリコプター(どうもインドネシア海軍がアルバイトしていたようだった)にインドネシア人スタッフや火山学者ものってもらい、空中から調査をしたました。

 調査はラマダン(イスラム教の「断食月」、今年は1月22日から始まりました。夜中の3時から夕方の6時過ぎまで(太陰暦なので毎日時刻が変わります)、すべての快楽行為(食事、煙草、Sex)が禁じられ、水やお茶をのむことも控える)にかさなり、現地調査中の何日か、インドネシアのスタッフとともには、私たちも断食をするはめになりました! 同調査団はたいへんハ−ドな行程で、短時間にもかかわらず実り多い調査となり、調査団帰国後、現在、報告書のFinalizeに追われています。

 慌ただしさの内にあっというまに2年の任期が終りつつあり、残り2月となりました。これからもきっと、最終報告書の作成や後任者への支援でアッと云う間に5月22日の帰国日に突入してしまう事でしょう。

 かなり近くで雷がなり始めました。ひょっとしたら停電するかも知れませんので、ここで一区切りして、送らせてもらいます。では、皆さんお元気で。

    ドリアンのおいしい季節に忙しくてスマトラに行けなかった、
                    悲しいJICA専門家・花岡

PS
かつて地平線マラソンで実質無敗を誇っておりましたが、当地では、夏風邪をずう−とひいているような、はっきりしない体調がつづき、仕事が忙しいこともあり、ジョッギングも月に数回もできない毎日です。
 94/1/1〜94/5/14:385km、
 インドネシア入国後〜94/12:558km、
 95/1/1〜95/12/31:465km、
 96/1/1〜3/21:81km(!!!)

「『いくらなんでもこれではいかん』と思って、今週から週に100kmをノルマとして再起を目指しています(^_^)」(#7048)と書かれている松田さんと六甲を一緒に走ろうというの、全く相手にならないでしょう。気温のせいだけでなしに、スピードが確実に落ちています。皇居の周りをかつてのように17分台で走れるか、どころでなく、地平線マラソンで江本さん三輪さんについていけないのではないかと・・・・・・。帰国後の任地は全く分かりませんが、昨日「万が一、東京近辺に配属になったとき宿舎をどうするか」と聞かれました。東京勤務となり、激務でトレ−ニング不足のまま地平線マラソンで惨敗とならないよう、地方配属をお願いしようかと考えています。

 私はそもそもサイクリストでした。せっかく日本から持参したキャノンデールのマウンテインバイクも、道路通行が極めて危険な事情から、ほとんど活用していません。非常に穏やかな気性のインドネシア人はハンドルを握ると人格がかわり、割り込み・追越し当然の交通ル−ルは、自転車の走行を深刻に脅かします。対抗車と追越し車両に神経を使い、命懸けで走るなんてサイクリングの楽しみとは正反対の行為です。ジャカルタ市内では自転車に乗る人の姿が異常なくらい少ないのは、身の安全を考えてのことと思います。

      休日も自宅で働く悲しいJICA専門家・花岡

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