■新井 由己 ARAI Yoshimi

食文化と音楽・民俗芸能に興味をもつフリーライター。ギリシャやタイ、ラオスを歩く。フリーター生活のあと、資金稼ぎのために2年間タクシードライバーをやったり、記録映画制作の助手を務めたり、ユニークな体験を重ねる。自身の旅の体験を『遊民社通信』というミニコミで発表しつづけていたが、最近では発表の場をインターネットに移している(http://www.j-link.or.jp/~yu-min/)。ニフティのオアシス関係のフォーラムでも活躍。書庫を兼ねていた軽井沢のアパートを引き払い、新潟県東頸城郡松之山に元板屋根の古民家を借りて、移住を計画中。現在は東京都青梅市在住。97年秋から、おでん文化を訪ねて50ccバイクで日本各地を巡る予定。

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●下北半島の味噌玉(1995年4月1日)
 青森県下北郡大畑町小目名の集落で、味噌玉作りを見せてもらった。「味噌玉」は昔から伝わる味噌作りの方法である。煮た大豆をわら靴で踏みつぶし、両手で包めるほどの大きさに丸め、わらや草でしばって軒先や囲炉裏のそばにつるしておく。
 農閑期に作られた味噌玉は、冬を越す間に表面にさまざまなカビを発生させる。乾燥してひび割れしてきたら、途中で玉を割ってさらにその部分にもカビを付ける。そして春になってから味噌玉を下ろし、タワシで表面のカビを取り除き、一晩水に浸けてから再び臼でついて、食塩を混ぜて樽に仕込む。熟成までは、最低でも半年から1年を要する。
 この方法で作られるのは、原材料に豆と塩だけを使った「豆味噌」と呼ばれる味噌である。日本の一部の地域で自家消費用として作られているほか、愛知県岡崎市の八丁味噌メーカーが、味噌玉作りをオートメーション化で取り入れている。
 また、味噌の原形とされる豆味噌は朝鮮半島から伝わったといわれ、現在の韓国では、「メジュ」と呼ばれるレンガ状の味噌玉が存在している。

01-01…1995年4月1日/青森県下北郡大畑町小目名
01-02…1995年4月1日/青森県下北郡大畑町小目名


●角館のオニオウ様(1995年5月4日)
 秋田県仙北郡角館町下中川原の集落で、オニオウ様作りを見せてもらった。関東から東北地方にかけて、町境に大きなわら人形が立てられている。カシマ様やショウキ様などとも呼ばれ、悪い病気が村に入らないように奉られたのが始まり。下中川原では江戸時代から伝わる方法でオニオウ様を作り続けている。
 以前は集落の辻の両側に立てていたが、明治6年に道端に物を置かないように通達され、集落内の神社に移動した。このときに、オニオウ様を作ることをやめてしまった集落が多いという。

02-01…1995年5月4日/秋田県仙北郡角館町下中川原
02-02…1995年5月4日/秋田県仙北郡角館町下中川原
02-03…1995年5月4日/秋田県仙北郡角館町下中川原


●春巻の皮の産地を訪ねて(1997年3月19日)
 1990年5月にタイをレンタバイクで走ったときに、東北部のシー・チェンマイで春巻の皮を作っているのを見かけた。すだれに張り付いた皮が道の両側に干されていたが、そのときは先を急いでいたためにそのまま通り過ぎてしまった。
 そして、今回の旅でもう一度シー・チェンマイを訪ね、春巻の皮の工場を見学させてもらうことができた。シー・チェンマイはベトナム人の移民が多いことで知られていて、ここで作られた天日干しの製品は、世界中の料理店で珍重されているものである。
 ただ、90年には街のいたるところで見られていた天日干しの光景も、97年にはほとんど見かけなくなってしまった。ラオスへの対外政策から経済発展が進み、家内制手工業的な春巻の皮作りの産業は、だんだん消えていっているようである。すだれが立てかけられていた路地も、対岸のビエンチャンを望める遊歩道の工事が進んでいた。

03-01…1997年3月19日/タイ:シー・チェンマイ
03-02…1997年3月19日/タイ:シー・チェンマイ
03-03…1997年3月19日/タイ:シー・チェンマイ


●ラオスのクイティオ工場(1997年4月3日)
 ラオス第2の都市・ルアンパパンの郊外をレンタバイクで走っているときに、すだれで干された白い皮を見かけた。タイで見た春巻の皮にしては、サイズが大きくて作りも雑である。すだれを運んでいる少女についていき、道路の反対の工場を見学させてもらった。
 蒸し器の構造はほぼ同じで、片方でネタを乗せながら、片方で蒸している。春巻の皮と比べると厚みもあり、均質に仕上げている感じもない。不思議に思って尋ねたら、それが「フー」の麺であることを教えてもらった。フーとはタイでいう「クイティオ」のことで、米の粉で作られた麺類のことだ。
 天日で干されたクイティオの皮は、まだ少し柔らかいうちに、麺の幅に溝が入った機械に入れられ、一気にカットされる。

04-01…1997年4月3日/ラオス:ルアンパパン郊外
04-02…1997年4月3日/ラオス:ルアンパパン郊外

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